1 :
名無し三等兵:
ドイツよりも遥かに早い時期に汎用性のある戦車を作れたのが不思議。
2 :
名無し三等兵:01/09/25 23:46 ID:/.vQvEMY
下手な物作るとシベリア送りになっちゃったりしたからだよ。
3 :
名無し三等兵:01/09/26 01:41 ID:gNllb1vk
4 :
名無し三等兵:01/09/26 04:14 ID:Q.B3dijA
5 :
名無し三等兵:01/09/26 04:33 ID:zKjJ20us
だって工場シベリアだよ。
6 :
:01/09/26 04:35 ID:YpwP6/P2
チェキストがイギリスの技術を盗んだ
7 :
名無し三等兵:01/09/26 04:38 ID:zKjJ20us
クリスティ氏は、ヨーロッパで相手にされなかったので、ロシアに渡ったのではないか?
盗んだとは言いにくいような。
8 :
名無し三等兵:01/09/26 05:53 ID:bORPET6o
荒削りな文化の賜物だよ。
9 :
名無し三等兵:01/09/26 08:25 ID:wFNtUrXs
当時のソ連の軍事費すげーもん。
なんかの本でよんだがナチスドイツのうん倍だったらしい。
10 :
名無し三等兵:01/09/26 12:11 ID:Rn//l0iY
単に技術力が優れていたからとは考えたくないのか?>1
11 :
名無し三等兵:01/09/26 12:24 ID:sYIuqwgg
ソ連は運用面でヘタレなだけで兵器の開発・生産能力は高いよ
独ソ戦開戦時に十分な錬度を備えていたらモスクワの手前まで
ドイツの侵攻は許さなかったんじゃないかな?
別にソ連軍が先進的だったからT-34ができたというわけではないだろ。
それはあくまで結果論であって。
BT戦車の後継として快速戦車を作ろうとした
↓
でももっと防御力欲しいなあ
↓
T-34誕生
↓
(゚д゚)ウマー
なだけであって、それがたまたま適合するような戦争展開になっただけ。
もちろんそういう発展を可能にしたロシアの技術力は大したものだが、
「未来の戦争はこうだ」とかいう先見性があってT-34が作られたわけじゃない。
13 :
名無し三等兵:01/09/26 12:39 ID:BYDru15I
なにも突然T34ができたのではなくて、
フランスとならんでソ連は戦車に対する取り組みが早かったような。
スターリンの粛正でトハチェフスキーらはいなくなったけど
下地はしっかり残ってたということでしょうね。
14 :
正解は:01/09/26 13:44 ID:ttNtqPH2
百日戦争(対フィンランドの戦争)で実戦経験させたからだよ。
正確には試作品だけどね。よほど苦しかったらしく、KV−1(これも試作)も投入されたよ。
この時の戦闘の教訓がいかされたからだよ。
15 :
HG名無しさん:01/09/26 13:49 ID:WVyeSPeY
ロシアの大地ではそもそも戦車のような兵器の必要性は非常に高く、
ロシア人はそれを十分理解していた。
広大で積雪する大地での機動性を考慮するに、
アメリカのクリスティー戦車がそのニーズに合致、
購入・研究してBTシリーズが生まれたと。
同時に重装甲、大火力によるアドバンテージも良く理解していて、
より強力な装甲と火砲の開発も熱心だった。
それらの要素が地味ながらも確実に熟成した結果、T−34が生まれたと。
つまりはロシアにとってはあたりまえの要求を満たす戦車として、
必然的にT−34は開発されたのではと思われ。
なんだよ作れちゃ悪いのかYO!
17 :
名無し三等兵:01/09/26 13:52 ID:fAW.xwHo
そして辿り着いたのがスターリンですか
しかしあの時代で122mmは反則だよ
18 :
HG名無しさん:01/09/26 14:05 ID:WVyeSPeY
>>17 ちなみにロシア軍の火砲の口径が異様にデカイのは、
主に榴弾の威力を考慮してのことです。
貫通力だけならJS-2よりKingTigerの方が高いはず。
ここからもロシア軍の汎用性の高さを重視する姿勢がうかがえます。
19 :
名無し三等兵:01/09/26 14:28 ID:Mrppshyo
>>18 そうなの?JS2があんなデカイのをつんでるのは当時のソ連にTIGERTの装甲を確実に貫ける砲が122ミリしかなかったからだと聞いたが。
20 :
名無し三等兵:01/09/26 14:37 ID:2KWF0k06
「今後開発されるファシストのいかなる戦車をも撃破する性能」を
JS(ヨセフ・スターリン)が求めて、
ああいうスペックになったと記憶していますが。
要求性能(パンターなどの破壊)を満たしてなおかつ砲や弾薬の備蓄がたくさんあったから
採用されたんだが。
装甲撃ちぬくだけなら開発中の100mm砲があった。
22 :
名無し三等兵:01/09/26 14:43 ID:opQL80NM
農耕用トラクターの需要が高い国土だったから。
あれだけの戦車作ってトハチェフスキー思想の下地がありながら、
APC類には全く見向きもしなかったのは不思議だ。
>>19-21
失礼、言葉足らずというか、ちょっと外してしまいました。
122mm砲に関しては
>>21がもっとも正確だと思われます。
>>18はむしろ152mm砲に大きく当てはまります。
25 :
Armando ◆KlRadzRE :01/09/26 15:35 ID:eezbxCps
キャタピラはずしてゴム付き転輪で高速走行、ってマジメに考えていたの
クリスティだけだったのかな? 今やトレーラーに載っけて運べばいいって言う
割り切りが普通になって、誰もあのアイディアをまともにトライしようとは
しないけど。でも、自分が思うに、アスファルトやコンクリート路面で連続して高
速走行しようにも絶対出来ない、つまりそれ自体では長距離移動は(砂漠とか平原が
ずーっと続くところ以外)できない、そういう車両というのは、なんか「カタワ」と
言う感じがする。
26 :
名無し三等兵:01/09/26 15:37 ID:VVLBtpKs
>>18、19
122ミリ砲は装甲貫通力自体は凄くはなく、着弾の衝撃で戦闘不能にする効果の
ほうが大きいということはよく言われてますね。あと、榴弾の威力を重視してと
いうのも採用理由の一つなのは確かです。
88と122だと榴弾の威力の差ってどのくらいあるんだろう?3倍くらいは違うのかな。
>>23 見向きもしなかったというよりは、戦車以外はレンドリースでアメリカから良いモノが
大量に届くのでそれで充分だったし、何はなくともとにかく戦車をどんどん造れ!
という状態だったようですね。
27 :
名無し三等兵:01/09/26 15:49 ID:UZuJcUN.
>>26 単純計算では(122÷88)×3乗で炸薬量がでますね。
T−34の優秀さはデザインだけでなく、
優秀な空冷ディーゼルエンジンによるところも大きいと思われます。
28 :
名無し三等兵:01/09/26 15:51 ID:32aHqodc
ドイツの戦車に関する先進性は4号どまり、ということだね。
29 :
名無し三等兵:01/09/26 15:52 ID:oyIAZwTk
>28
戦術ドクトリン的に言えばむしろ3号かな。
全体の縮尺がやや小さすぎて、
本来重戦車として用いるはずだった4号戦車が
中戦車としての運用になっちまったけど。
31 :
名無し三等兵:01/09/26 16:40 ID:fn2e567A
未だに一部のサヨが「科学」「科学」と科学を神聖なものと
して捉え、科学の限界を言うと科学を中傷誹謗するのかと
マスコミ板やニュース議論板で気色ばむ場面がある。
共産主義は一面「科学主義」であって、歴史の知恵、伝統の
叡智を資本主義的、ブルジョア的思想として軽んじ、人類の過去を
否定して進歩主義を唱えていた。
前例・先例を軽視して、意志の力・科学の力・人民の力で文化を
含めたすべての人間活動を変革し、進歩させようとしていた。
それが、軍事面にあらわれたとき、一方では戦術家個人の能力を
軽視してあっさりと殺し、一方では戦車や航空機の大量生産する
ということにつながったのだと思う。
戦略・戦術というような知恵ではなく、すぐれた兵器を大量に持てば
強大な軍事力になるという単純・素朴な思想がT34を実現させたと
いうことなんじゃないかな。
科学信仰+工業力マンセー→大規模な製鉄所+油田→大工業力→
戦車と戦闘機ぞろぞろ
一部の突出した部分ではドイツの技術力が目立つけど、工業力全体
ではソ連の方が上になってたんじゃないの?特に量的には5ヵ年計画を
連続して巨大な工業力を作りあげていたのだと思う。
その工業力を前提として、強い兵器をあっさりと作ってみたらこうなりま
したということなのでしょう。
単純だが力強く、素朴だが非常に合理的な機械。当時のソ連の国力・思想
に非常に合致している兵器だと思う。
ドイツを過大視し、逆に当時のソ連を過小評価してはいけない。
ソ連の国力は当時相当なものだったからT34もできたということで
いいんじゃない?
32 :
ソ連人:01/09/26 16:53 ID:ng7vS04.
ワシが思うに東洋の蛮人のヤポンスキィが未だに世界一の巨大戦艦を
作ったほうが充分インテリアスだぞ!
33 :
名無し三等兵:01/09/26 17:02 ID:6YAHmLDM
ギアをハンマーでねじ込む話にはなんか感心
34 :
名無し三等兵:01/09/26 20:41 ID:sJq9YG.w
作れるだけの鉄があったから。
なんだかキリ番。 オメデト >34 (ヨコレスゴメンヨ)
36 :
名無し三等兵:01/09/27 06:17 ID:VOXRvyRs
61式戦車は、ズバリT34と同等以上の戦車を要求した結果だ。ちょっとM47の影響入ってるが。
幅と高さは、国鉄のトンネルサイズで決まった。
37 :
名無し三等兵:01/09/27 07:10 ID:Z3TxBs9U
61式ってT34/85に勝てるのかなあ?
38 :
名無し三等兵:01/09/27 08:22 ID:DNFy1yOQ
>>27 ある晩秋の午後、日が傾くまでT34を見つめている初老の紳士がいた。
元ドイツ戦車兵シャイテル氏であった。
彼は「ディーセルエンジン付きのこいつは300Kmも走った。ガソリンエンジン
付きの我々のティーゲル戦車は150Kmでガス欠になってしまう。
そこで終わりであった。こいつはいいマシーネ(機械)だった。」
39 :
名無し三等兵:01/09/27 09:46 ID:Gq0KsynQ
もともとソ連のディーゼルエンジンは高性能だから重装甲、大口径砲を
搭載したJS2シリーズが重量38tで量産できたが
エンジンに不安を持つドイツの技術で同様の条件で戦車を作ると高馬力の
大型エンジンが必要になりそれに伴いキングタイガーのような大型に
なったと本にあった。(マウスがいい例)
実際模型で確認するとなるほどなと思う。
重量38tと60t以上では運用がまるっきり変わってくるからね。
ドイツは砲関係は強かったけど戦車関係の肝心部分であるエンジン系は
ある意味放置されていたようなもんだ。
あとシャーシの統一にしてもUからY号戦車まで多岐に渡っているし
これではドイツの生産能力では大量生産は無理。
実際パンターが6千輌以上生産されたことが奇跡だよ。
パンター六千両・・・60両でいいから、日本の守備隊にあげたかった。
41 :
Armando ◆KlRadzRE :01/09/27 11:18 ID:4/zSYCiA
>25
なるほど、他の国でも苦心して開発していたみたいだけど、結局、キャタピラの
外側にタイヤを着けたりして駆動装置が過度に複雑になったり
、キャタピラをそのたびにつけたりはずしたりするっていう煩雑さが現場に嫌がられたり
で結局は、専用のトレーラーにした方がいい、っていう風になったのかな。
関係ないけど、旧ソ連がいち早く開発した主砲の自動装填装置、自分が読んだ本では
とにかくまともに動かなくて、砲手の腕をまきこんでしまうという事故が続出した
そうで、だから片腕になるひとが非常に多かったそうだが。
42 :
名無し三等兵:01/09/27 14:55 ID:LPh9DoLQ
>>38 >>39 T-34のエンジンについては(機械?)工学の教科書でも
引き合いにだされるそうです。
比較的最近まであれを凌駕するものはなかったそうです。
それからトラック(キャタピラ)をつなぐピン(シャフト)のストッパーを
省略しているという思い切りがすごいです。
抜け落ちようとするピンは車体に固定した簡単な金具で押し戻されるのです。
43 :
名無し三等兵:01/09/27 17:09 ID:737CGhaM
>42
それはすごい。
ストッパー廃止は。
44 :
名無し三等兵:01/09/27 17:12 ID:HF/IRLw6
そうです。すごいです。
つまり虫ピンのでっかいのが一本通っているだけなんです。
45 :
Armando ◆KlRadzRE :01/09/27 17:14 ID:u3L7vTCQ
クリスティー型をはじめとして、T34以降のソ連製戦車、あるいはティーガー
を代表とするような大型転輪タイプと現在の主流とされる上下2段の転輪を使った
タイプ、それぞれの利点、欠点というとなんだろう。どこかの本で大型転輪は
キャタピラがはずれやすいって読んだような気がするが。
46 :
名無し三等兵:01/09/27 17:40 ID:ciyAtBMM
>42も書いてるようにとにかくT34の機構はシンプルだ。T34の成功は単純かつ機能的な発想が出来たソ連の技術者のおかげではないだろうか?
47 :
名無し三等兵:01/09/27 17:40 ID:HF/IRLw6
物理的には小径転輪は転がり摩擦が大きく、高速走行に向かない。
大径転輪は重量を逃がす事が出来にくくなる(数が少なくなるから)ので
強度やサスに工夫が必要になる。
両方解決しようとしたのが虎戦車などのオーバーラップの千鳥配置。
キャタピラの外れやすさって転輪径に関係あるのか?
T-54,55,62系列など中東戦争でキャタピラが外れるトラブルが続出したらしい。
上部転輪が無いと高速走行時にキャタピラが外れやすくなるらしいが捕獲した車両
をアメリカ本国に持ちかえり実験したところ特にその傾向は無かったそうだが。
いずれにしても大型転輪は揺れが激しく行軍射撃など照準関係への悪影響と乗務員
も疲れやすくなるので現在の主力戦車,ロシアでもほとんどが小径転輪・上部転輪付きと思ったが。
当時のソ連でT-34が出来たのはロケット技術のような一部だけの飛躍的な発展(平坦な大地にロケットが聳え立つ)
民需を無視して大型プレス機械導入(イギリスは民需を元にしたので継接ぎな装甲)
エンジンもイタリアのものを大元にしてドイツやフランスのエンジンの良いところ
(燃料噴射装置など)を付け足す。
そういった外国の技術プラスもちろん当時のロシアアヴァンギャルドの先進性と
伝統的な砲力重視が上手く噛合ったのでは?
がカダログ上の能力を上げるため居住性など大切な部分が犠牲にされていたので
朝鮮戦争でM4シャーマンE8系列でもT-34/85とは互角以上に渡り合えたという話だ。
そういう意味では61式は十分勝算がありそうだが逆に条件の悪い戦場では不利かもしれない。
49 :
名無し三等兵:01/09/27 20:16 ID:El9NEB9E
>23 APCの類が無い
その代わり、T-34には手すりが着いてますね。
兵士を剥き出しのまま戦車に乗っけて、最前線に突撃。生き残ったものだけ下車して「ウラー!」
装甲車両作って人命を大切にするより、無尽蔵ともいえる人員を大量導入するほうを取ったのでしょうか。
50 :
38:01/09/27 20:48 ID:ArU8OoDY
>>42 悲劇の豪華客船タイタニック号が船出をしたイギリス、サザンプトンをさらに西に
向うとボビングストン戦車訓練場がある。
その博物舘に、T34型戦車が解析された状態で大切に展示されている。
そこにあるフィアットのコピーといわれるT34型戦車のB2型(V2とも呼ばれる)
ディーゼルエンジンが極めて高度な技術を持っていた事に驚かされる。
V型12気筒DOHCで寒冷時の始動はシリンダー内に圧縮空気を送り圧縮比を
高くし圧縮温度を上げてやるのである。
こんな物がオリジナルのフィアットに付いていたとは考えられない。
燃料噴射ポンプはドイツの名門ロバート・ボッシュ型であるが見事にソ連製である。
当時の日本などは20ミリ位の浸炭鋼板をリベット接合で満足していた時代に
45ミリの鋼板を大型プレスを用いバタバタと打ちぬいたり、50ミリ以上の
鋳鋼製の装甲を採用したりしている。
また、通常巣穴に悩まされる鋳鋼製の砲塔では、敵弾を受ける前面は巣穴が無く
弾の来ない後方では大きな巣穴を許容している。
硬い頭ではこういう品質基準はできない。
T34戦車用B2型ディーゼルエンジン
アルミ合金製直噴V12シリンダー
ボア、150ミリ ストローク、180ミリ
コンロッドはメイン及びサブ方式
排気量38,8リッター 4バルブ方式
500馬力/1800回転
12,9馬力/リットル 燃料消費率170g/Ps.h
日本のディーゼルエンジンがこの水準に達したのは1970年代である。
51 :
Armando ◆KlRadzRE :01/09/28 00:40 ID:Su/DMJsI
>48
ご教示ありがとう。そういう故障が続出したんで、T64が当時のソ連製戦車としては異例の
上下小型転輪式になったのか。
当時でもJSやT-10なんかは上下小型転輪式だったけどね
53 :
ナナシニコフ:01/09/28 00:55 ID:WEPj9D0g
>45殿
>クリスティー型をはじめとして…大型転輪はキャタピラがはずれやすい
ただ、クリスティー型とは別の懸架装置(形式名忘れたが小型転輪)を装備した
Т―64は、クリスティー型装備のТ―55以上にキャタピラが外れやすかった。
とする資料もあります」。(スヴォーロフ著「ソ連軍の秘密」)
>23・>49 APCの類が無い
縦深突破戦術の理想から言えば,当然あったほうが良かったでしょうし,
事実‘30年代には,Т―26のシャシーを使った兵員輸送車が開発されています。
ただ、大祖国戦突入後は、数も揃いそうもないその種の車輌を作る以上に,
直接戦闘を行う戦車の生産を優先したのがその主因かと思われます。
またレンドリースにより、M3ハーフトラック等の調達があったのも一因といえましょう。
戦後このM3を元に国産のБТР―152が作られ,その後‘70年代には,
БТР/БМП系列によりほぼ全軍のAPC/IFV化が達成されている事実を考えれば,
ソ連軍が歩兵の自動車化/装甲化に対し全く無頓着であったともいえないと思われます。
54 :
少佐:01/09/28 01:03 ID:xHPUBDXA
それはソ連が社会主義国家だったから。
計画経済の良さが出た稀な例がT−34である。
55 :
ナナシニコフ:01/09/28 01:12 ID:WEPj9D0g
んで、
>>1さんの疑問に対し、アタクシ的に答えを出すとしたら,
@革命国家であるがゆえに,戦術や技術面の獲得において進取の精神が発達していた。
Aスペイン内戦および対フィンランド冬戦争の戦訓をいち早く取り入れた。
B計画経済による重工業基盤の整備。
C国民性から,”簡潔な兵器ほど良い兵器”という思想が定着していた。
農民から搾取しまくって、外貨を稼いだから。
お蔭で重工業設備が買えましたとさ。
57 :
名無し三等兵:01/09/28 02:22 ID:A/hLu4vk
そらん製造だから。
.
58 :
名無し三等兵:01/09/28 02:46 ID:kgnUAAk.
T34は76と85では大違いだと思うね、
85は大戦後でもしばらくは、十分西側戦車と戦えたね、
ソウルを旅行したとき、高層ビル街で展示してあるのを観たが、
思ったより小さくてコンパクトにまとまっているね、ある種の
非の打ち所の無さを感じたよ、
話によると、Tを運転していたソ連兵は指で数すら数えられなかった
悶盲者が多かったそうだ、誰でも容易に操縦できる操作性も特徴の
一つのようだ、
>57
懐かしいな(w
60 :
名無し三等兵:01/09/28 02:47 ID:Obrt.VPY
Obiekt770マンセー!!
61 :
名無し三等兵:01/09/28 12:41 ID:iNQSJ/hc
APCがない理由。抵抗が予想される場合は下車して散開、抵抗がなければ戦車に掴まって移動という方法で十分満足していたからだろう。
勢いよく突破してきた赤軍歩兵に対し、突破された敵勢力が側面や背後から攻撃をする状況が、ほとんど考えられないという点もあるのではないか。
戦車と歩兵の協調の理想形だったと俺は思う。
62 :
名無し三等兵:01/09/28 13:07 ID:yYNvkSv2
>>1 第1次大戦で敗戦したドイツ軍は、戦車の開発、保有を禁じられていた。そこで
ドイツ軍はロシアに戦車戦経験者、戦車技術者を派遣し、ドイツの戦車ノウハウ
を提供する見返りにロシアの開発廠でロシア陸軍と共同で戦車設計を行った。
2種類の試作戦車が作られ、これを用いてソ連軍、ドイツ軍で共同戦車運用
訓練を行った。この演習場は後に、ソ連陸軍戦車学校が作られた。第二次大
戦前の奇妙なひと時であった。
T34の設計はこの時の経験が大きく反映されている。
63 :
42:01/09/28 14:07 ID:OoSZpw4w
>>50 具体的な引用ありがとう。
キャタピラの離脱…。
なぜかM1戦車は頻発しアイドラーホイール(M1って前がスプロケットだよね?)
がみっともない事にナテルヨ…。
M1ってアメリカの現用の?
あれのスプロケットは後ろですよ。
65 :
名無し三等兵:01/09/28 15:01 ID:OoSZpw4w
さんきゅ。リアドライブね。
今度、また餓鬼連れで北京に行くので
坊の娘にT34と「美国M4式謝曼戦車」を比較して
どっちが大きい? どっちがスマート?
リサーチやって見る。
前回(娘小学生)はチハ改とM3A3軽戦車で
大きいのはM3
スマートなのはチハ・・・と言う回答。
67 :
名無し三等兵:01/10/04 16:26 ID:mhRMJs56
age
68 :
名無し三等兵:01/10/05 01:46 ID:1qeyTlkA
T34も凄いけどT35・SMK・T100なんかも年代を考えると
ある意味かなり凄いと思う。
69 :
少佐:01/10/05 03:45 ID:WtRJS1zg
ここで評価すべきはまずクリスティであろう。
彼は時速100キロで進む戦車軍団というのを考えたのだから。
その考えを受け入れたソ連は、かなり常識に囚われない革命的な
精神が当時はあったと思う。
70 :
別に露好じゃないが:01/10/05 11:03 ID:TbYeJNls
少佐殿のゆーとーり
当時の日本は軍部のエリートが至上で、まさに泣く子も黙る存在であったが
(だから専門技術者の意見も軍に対立したら全て無視される)
ソ連ではテクノクラートなる、党に忠実な専門家(技術者も)集団が有力であった。
独裁者が高齢化、硬直化しないうちは彼らが健全に機能していた。
(ツポレフのように中にはライバルの策略に嵌って一時投獄されたりすることもあったが…かれは、これにめげず獄中でせっせと新型高速爆撃機の図面を描いていたそうで偉い)
一般国民や外国に対しては、政治的宣伝臭の濃い情報しか伝わらないが
内部では技術者主導で合理的に物事を処理していたようである。
幸か不幸か、日本とは逆に「過去の成功体験」の無い組織だけに、発想もそれなりに
柔軟であったろう。独裁者が高齢化しないうちは…
日本では日清・日露を戦った軍人がやたら成功体験に固執したため
近代戦に大きく遅れをとった。火力軽視の陸軍、艦隊決戦しか念頭に無く、通商破壊・
船団護衛を理解できぬ海軍…
それと、「騎兵戦」を知っている国柄が一連のクリースティー系戦車を受け入れたと言える。何より、戦車は快速力をもって敵集団の横腹めがけて突っ込むべきとする戦術である。
この経験はドイツも知っていたし、アメリカモまあまあ知っていた。
71 :
名無し三等兵:01/10/05 12:38 ID:exHOh.6k
クリスティが「戦車軍団」まで考えていたのかどうか。
あぼーん
何が言いたいねん↑
74 :
名無し三等兵:01/10/05 23:10 ID:xrPPkFoE
タミヤのプラモデルは,ドイツの戦車より、T34/76とかは作るの簡単だぞ。SU−85はもっと簡単だぞ。
75 :
名無し三等兵:01/10/05 23:17 ID:siUURgy2
あの三菱の堀越さんだが、あるとき何かの会議で某海軍士官
と意見が対立し、あとで会議場の外で、イキナリその士官に
ぶん殴られたそうだ。
ソ連では新兵器を開発した技師(または設計チーム)の名はその兵器の
名称となるのが普通。
人間、名誉をくすぐられては意欲的にならぬ訳が無い。
ツポレフが獄中でもせっせと開発に取り組んだのは、いずれ釈放されたら
今までどおり研究を続けられ、自分の名前の新型爆撃機が世に現れる筈。
という確信が持てたからだろう。
76 :
少佐:01/10/05 23:48 ID:2ZRJH.Eo
最高時速120キロのクリスティ戦車はアメリカ軍からも笑われたという
当時の常識を超えた戦車です。
それに飛びついたソ連はアメリカ以上の革命性に満ちていたということだろう。
77 :
名無しさんの野望:01/10/06 00:04 ID:S4V7VRyA
>>76 ソ連は広大な領土を守らなければならないし、航続力と共に速力も必要としたんだろうな。
対するアメリカは本格的な機甲戦を戦うことなんざ、WW2が始まるまで考えていなかったみたい。
国境を接した予想されうる脅威がメキシコ軍じゃ無理もないやね。
78 :
名無し三等兵:01/10/06 02:55 ID:As15Eo6g
少佐は明らかに偽
79 :
75 :01/10/06 08:42 ID:sxSAQOg2
スマソ、戦車には個人名は付かなかった。
英国人の書いた本には、
「粛清された後のソ連軍は歴戦の将軍を多数無くしたものの、
過去の成功体験に拘束されない体質になれた」とある。
保存sage。
81 :
名無し三等兵:01/10/12 10:39 ID:6r4ugBqs
82 :
名無し三等兵:01/10/12 10:42 ID:gI8tp6CA
>81
結果論だからなあ
83 :
75 :01/10/12 11:27 ID:ps/YvVf2
当時、ジューコフは粛清される一歩手前であったそうな。
スターリンの腹積もりは、
「結果良ければそれで良し。日本に敗れた場合は、その責任を
とらせる」で、結果は御存知のとおり…彼は元帥に昇進。
ジューコフ元帥曰く、
「日本軍の下士官兵は勇敢、下級将校は責任感旺盛で勇猛…
それに引き換え、上級軍人は驚くほど無能…」
84 :
名無し三等兵:01/10/12 17:46 ID:cnBOt0cA
85 :
少佐:01/10/12 17:57 ID:ev5k1xPQ
レーニンからスターリンまでが行った粛清によって革命的な
気運が生まれ、その成果のひとつがT−34ということだろう。
日清、日露の勝利にしても明治維新による粛清の結果といえない
ことはない。
>84
サンケイの第二次世界大戦ブックスシリーズのT34に載ってた気がします。
>85まさに、その通りですね。明治の将軍・提督たち。
もし一次大戦でロシア軍が大勝利して、その将軍
たちが、1930年代になっても強力な発言権を
持っていればT-34は生まれてなかったでしょう。
>86確か、サンケイの第2次大戦ブックスにも載っていましたね。
他に旧軍の将校だった人の戦後の労作にも書いてありましたわ。
スターリンはすぐにでも、ジューコフを裁判に掛けようとしたが
国防相、ウォロシロフがこれを取成して急遽、ハルハ川に派遣
したとのこと。
88 :
名無し三等兵:01/10/18 13:44 ID:RFtJgKoF
単純にロシアの軍事技術がそれだけ進んでいたからというだけのことでは。
89 :
名無し三等兵:01/10/18 15:36 ID:vOXDznJs
鋳造砲塔の技術の出所はフランスなのでしょうか。
90 :
名無し三等兵:01/10/18 16:18 ID:+CsPlCOb
91 :
名無し三等兵:01/10/18 16:21 ID:O3EgmPAi
ロシア戦車がヤラレまくったのは
搭乗員の技量がヘボだったから。
92 :
少佐:01/10/18 16:55 ID:zSkJgwe2
ロシア戦車がやられまくったのは縦深作戦だったからだ。
93 :
名無し三等兵:01/10/18 17:45 ID:FQ79EtL+
>>17 :名無し三等兵 :01/09/26 13:52 ID:fAW.xwHo
>そして辿り着いたのがスターリンですか
>しかしあの時代で122mmは反則だよ
あの時代は85mmじゃないの?
94 :
名無し三等兵:01/10/18 17:55 ID:FQ79EtL+
>>39 :名無し三等兵 :01/09/27 09:46 ID:Gq0KsynQ
>もともとソ連のディーゼルエンジンは高性能だから重装甲、大口径砲を
>搭載したJS2シリーズが重量38tで量産できたが
こっちも手元の資料ではJS-Uで46tとある。
JS‐Umではさらに重量は増していた記憶が・・・
ここの住民のソースの出所はどのへん?
>93
>そして(T-34の後に)辿り着いたのがスターリンですか、
>しかしあの時代(1944年)で122mmは反則だよ
という意味では?
>94
単なる入力ミスでは?
やっぱ、WW2オタクとしては、
8t差とかでも納得いかないんだろうねぇw
97 :
名無し三等兵:01/10/18 20:17 ID:UryRQcGk
>ロシア戦車がヤラレまくったのは
内燃機関においては航空機でも戦車でもドイツを凌ぐものがあったと思う。
ただロシアは昔から電子機器が弱いから。あの国では電化製品は
あまり必要では無いのかも。でも電波技術に関しては「フレイヤー」
が存在したことすらも気がつかなかったってのはねえ。
>96
50t以下の話で8tも誤差があったらまずいだろう。誤差2割だもん。
99 :
名無し三等兵:01/10/18 20:25 ID:6cmDfejr
JS3が前面200ミリ、側面90も装甲があって、46トン程度
というのは、弾丸等が少なかったとはいえ、信じがたい・・・。
100 :
94:01/10/18 20:40 ID:FQ79EtL+
手元の資料ではJS-Vで45.8t。
実は、全長も全幅も全高もJS-Uの方がJS-Vよりも上回っている。
武装もJS-Uの方が多い(7.62mm機銃一個分)。
101 :
94:01/10/18 20:51 ID:FQ79EtL+
追加。
どうやら砲塔の後部にも機銃穴があるみたいだね。>JS-U
ちなみにJS-Uの最大装甲は160mm。走行速度はJS-U、Vともに37km程度。
鋳造砲塔の低車高亀型戦車JS-VとシャープなラインのアニマルキラーJS-U。
もし信じがたいようでしたら個人的に調べてみてはいかがでしょう?
オススメはホビー系の資料かな。入手もしやすく、データも豊富。
102 :
名無し三等兵:01/10/18 21:04 ID:tdFxoJ8C
>>97 関係あるかどうかは分からんが
ドイツ領侵攻時に初めて電球、便器を知ったソ連兵なんかも
ごろごろいたらしいからな。
ソ連スパイは秋葉原うろうろしてたらしいし。
104 :
94:01/10/18 21:16 ID:FQ79EtL+
>>102 THX〜。
見たこと無い写真が多くてよかったよ。
でも、データベースとしては×かな。
ほかにもあったらヨロシク。
ソ連スパイがギャルゲオタってことか?
> でも電波技術に関しては「フレイヤー」
> が存在したことすらも気がつかなかったってのはねえ。
知っていて負けた国よか、よほど良かろう…住みたくなど決してないが。
107 :
ロシア人じゃないけど:01/10/19 11:41 ID:/+IMPWoP
「フレイヤー」って、なに?
109 :
名無し三等兵:01/10/19 23:39 ID:R3GQaAgp
ソ連時代は通関用のわいろに電卓もつかえたらしい。
>>99 JS-2とか3がなんで軽いのかというと『小さい』から。プラモで確認方。
燃費のいいディーゼルエンジンなので車内の燃料タンクを小さく出来、その分全体が
コンパクトになる。容量が足りない分は車外に増設。ガソリンタンクで同じ事をする
わけにはいかない。
また、ご指摘通り搭載弾数もコンパクトな車体に合わせて少ないが、これはこれでいいと
割り切って戦車の台数で補うという方針も小型化/軽量化成功の一因。
111 :
名無し三等兵:01/10/20 22:25 ID:LeKN5rNE
泥と石だけの荒野を延々と走破できてこそ「戦車」と呼ぶにふさわしい。
112 :
名無し三等兵:01/10/20 22:28 ID:TFCSqQ7d
113 :
名無し三等兵:
訂正。延々と走破できてこそ→延々と走破できてなお戦えてこそ