1 :
名無し三等兵:
カコイイヨナ。
2 :
名無し三等兵:01/09/20 14:34 ID:Qr/V74/Y
この人って、半ばヤケクソで酔っ払って
死守命令を繰り返してただけかも(笑)
でも機関銃に関しては先見の明がある
3 :
1:01/09/20 14:39 ID:77njYBtU
言えてるね(藁
しかし、騎兵砲の創設を伏線とした各兵種混成思想も
素晴らしいと思わない?
4 :
名無し三等兵:01/09/20 14:42 ID:S8Qp3XZA
悪い。何期のひと? 補足求む
5 :
名無し三等兵:01/09/20 14:45 ID:Qr/V74/Y
6 :
1:01/09/20 15:01 ID:77njYBtU
>>4-5
補足します。
旧陸軍士官生徒第3期で、陸大1期です。
日清戦争時少佐・日露戦争時少将です。最終階級は大将。
近衛師団長・朝鮮軍司令官・教育総監を歴任してます。
通称「騎兵の神様」
日本騎兵の創設・育成・運用に当たった男です。
日露戦、とくに黒構台や奉天の会戦は、秋山がいなければ
勝利は無かったと言わしめる程。
ちなみに、海軍参謀・秋山真之の実兄です。
7 :
G_Tomo:01/09/20 15:06 ID:rByRrzV6
「坂之上の雲」だけ読むと、下馬戦闘ばかりで、機動打撃のシーンがほとんど無いんだが。
実際の処どうだったんでしょ?
8 :
名無し三等兵:01/09/21 06:18 ID:fpG4Kcb2
敵戦線後方での偵察行動や撹乱といった
方面でも見るべきものがありますね。
詳述は避けるが、今年の総火演で、第1戦車大隊から参加していた小隊長は
この人の孫だか曾孫だったはず。伝聞でスマヌ。
10 :
名無し三等兵:01/09/21 06:52 ID:H0B32XkI
・・・奉天へ!!
11 :
名無し三等兵:01/09/21 07:16 ID:3HLvInJU
奉天会戦の勝因の一つは250挺揃えた機関銃(砲)かな
今も昔も有用な兵器です。ダダダダダダダッ
人が寝んのに畳一畳で充分足る
海自には、東郷平八郎のこれまた孫だか曾孫だかの人が・・・第2次日露戦争も
これで大安心か?(ワラ
14 :
名無し三等兵:01/09/21 21:14 ID:e8acoxeo
15 :
真之(偽):01/09/21 23:12 ID:neU3TTwI
兄ちゃん厳しすぎるぞな
16 :
名無し三等兵:01/09/21 23:34 ID:dpg8lagE
坂の上の雲だけ読んでると,確かにアル中おじさんって気もしない訳でもない
でも,その割に長生きしたよな.肝臓丈夫だったのかね
17 :
名無し三等兵:01/09/22 04:23 ID:Rf6AM4ts
「秋山さんほどの大人物はいない!」と言ったのは袁世凱だったか。
18 :
名無し三等兵:01/09/22 04:30 ID:U9tV8hss
>>17 義和団の乱のとき、清国駐轄軍司令官だったからね
19 :
_:01/09/23 08:19 ID:FkbyaaW2
坂上雲読む限りでは「こいつがいなかったら陸戦ヤヴァイだろ」
ってな感じで描かれているけど実際のとこはどうだったんだろ。
あと、この人って爵位もらってないの?当時って中将以上にな
れば爵位貰えるってのがパターンだったんじゃないの?
20 :
:01/09/23 08:47 ID:rD7UZSlc
>>19 爵位はもらってない。
日露戦時は少将。戦後の履歴は以下。
明治39年騎兵監
明治42年中将
大正4年近衛師団長
大正5年朝鮮駐留軍司令官。同年秋に大将
大正6年陸軍軍事参議官
大正9年教育総官を兼務
大正12年予備役編入
大正13年愛媛県松山北予中学校の校長に就任
昭和5年同校長を辞任。同年秋死去。
従二位勲一等功二級陸軍大将が軍人として最終の履歴。
21 :
名無し三等兵 :01/09/23 08:56 ID:XAjbgP0Y
>>19 元々旧佐幕藩出身で、10歳という多感な時期に明治維新を経験していたから
「薩長の出した爵位なんぞもらえるか」みたいな考えがあったのかもね
22 :
名無し三等兵:01/09/23 09:25 ID:cMvTBQoA
中国の地酒からコニャックまで
なんでも活ける口だったそうですね。
23 :
名無し三等兵:01/09/23 10:46 ID:5d.C5vZM
この人が校長先生だったら、怖くて悪さはできないね。
24 :
名無し三等兵:01/09/23 10:54 ID:CJ8vLUd2
アキヤマヨシコちゃん。
25 :
名無し三等兵:01/09/23 11:12 ID:7Og6u97.
26 :
名無し三等兵:01/09/23 16:12 ID:qsyq8Xxg
この人は、コサックには騎兵では勝てないから、乗馬歩兵で対抗したんだと思う。
これは私の推論だけど、軽騎兵や槍騎兵に乗馬歩兵が対抗できた戦争教義は過去
の事例で秋山は研究してたんだろうな。ヘイスティグの戦いだったけ?かな、
騎兵対乗馬歩兵の戦闘教義は乗馬歩兵は騎兵に対抗しうる。有名な事例だし秋山は
乗馬歩兵の教義はおおいに参考にしていたと思う。
27 :
名無し三等兵:01/09/23 16:24 ID:qsyq8Xxg
すいません。「コサックには騎兵ではかてないから」じゃなくて
「コサック騎兵には日本の騎兵では勝てないから」です。
それと、ヘイスティグじゃなくてヘ―スティングズの戦いでした。
ウイリアム征服王の槍騎兵対ハロルド王の乗馬歩兵の戦い、結局は
ハロルドの軍勢が負けるのですが戦闘教義そのものはそれぞれに
戦機があり優劣はなかったそうです。
28 :
名無し三等兵:
明治の気骨そのものを体現した人物ですよね!よく大正生まれは信用できん。
と言われますが、それは大正生まれは兵士として外地で悪いことをした人が
多くて日本に帰ってからもモラルがなかった面があるそうです。本論から
外れますが、秋山さんも日露の戦後になにをすべきか感じていたじゃないかな
と思います。日露戦争後のモラルが崩れていく世相をコサックより手ごわい
と感じてたんじゃないかな?