靖国参拝

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66ちょっと待て名無しが今何か言った
1978年松平永芳は宮司預かりとなっていたA級戦犯合祀を行うことを決意し、
合祀者名簿を天皇のもとへ持って行った。受け取った徳川侍従次長は、天皇の意向に基づき
「相当の憂慮」を表明した。特におかしいと思われたのは病気でなくなった、永野修身、松岡洋右らの合祀だ。
しかし松平はそれを無視し、独断で合祀を強行した。これに強い違和感、不快感をもった昭和天皇は
その後、靖国神社にいかないことを決めた。

松平永芳は幕末の福井藩主、松平春獄の孫にあたる軍人であった。
彼の強烈な天皇観は、平泉澄東大教授からの影響が大きいといわれている。
それは単なる天皇崇拝ではなく「現天皇が天皇制本来の伝統にてらし過ちを犯したと
判断されるべきときには、死をもって諫言すべきだ」という思想であった。

なあ、合祀至ったこういう経緯からみても、いわゆるA級戦犯を合祀する正当性にかなり疑いがあるように思えるのだが。
なんつーかかなりイデオロギー臭いんすけど。