73 :
ひろゆき:05/03/01 23:27:02 ID:EWgZC6S+ BE:38423-##
ユニークな発想と全国模試って関連が薄いような。。
>>71 随分と昔にラウンジで「本当に優秀な人とは?」みたいなスレが
あった時に、結論的に「柔軟な適応力のある者」というまとまりを
見せたのを思い出した。
思考に柔軟性を失うと物事の真意に対して本末転倒しやすい。
時折、思い返しては心に留めている。
75 :
チューリップ ◆SALA/cCkcU :05/03/02 08:00:20 ID:0qKFPe/3 BE:88430966-
>>72 きっひっひっひっひっ、ひろゆきに突っ込まれてやんのw
才能はユニークな発想と括った場合、その大ボケを咬ますのも才能。
狡賢さも才能。すっとんきょうも才能ならば、突出した能力も才能。
やさしさも才能なら、人殺しも才能。
でも、
>>1はこの内、突出した能力を才能と定義しているように見える。
それを多様な個性化として大枠に振り、一時的な癒しレスをするやさしさを
見せながらボケを咬ました才能は大いに評価したいが、それは母性に起因する
振る舞いであるということも考えたい。
であるなるならば、同時に社会性を意識した父性の視点も交えて、もっと禿しく。
76 :
ちょっと待て名無しが今何か言った:05/03/02 12:09:18 ID:YWTGvZDk BE:23289784-#
才能って可能性に対する抵抗値みたいなものじゃないかな?
可能性は平等にあるけれど、それを開花させ易い人が才能ある人ってカンジ
77 :
零細企業 ◆reisaifwww :05/03/02 12:37:31 ID:l1dp0EBM BE:40534867-#
>>1 人の向き不向きをわかりやすい単語で表したもの。とかじゃダメですか?
78 :
76:05/03/02 13:31:29 ID:YWTGvZDk BE:26200894-#
>>77 頭イイッ
でもそれで納得しちゃうとスレ終わっちゃうからなぁw
1さんの反応が早く見てみたい
79 :
零細企業 ◆reisaifwww :05/03/02 13:50:07 ID:l1dp0EBM BE:13511472-#
もう少しわかりやすく言うと
物事に対して「諦めろ、お前には不向きだったんだよ」と言われるよりも
「諦めろ、お前には才能がなかったんだ」と言われる方が諦めがつく気がします。
つまり、自分は向いてない。と思うよりも自分は才能がない。と思う方が
自尊心が傷つかないわけです。
向いてない≒努力が足りてない。と自分でも思ってしまうが
才能がない≒仕方ない。と思うことができ、
自分でその物事に対する挑戦を諦めることに納得がつく。
だから才能という言葉が生まれたんだと思いますよ。
80 :
黒目牛:05/03/02 14:09:30 ID:??? BE:71453849-
才能なんてのは言い訳だな
81 :
チューリップ ◆SALA/cCkcU :05/03/02 20:07:06 ID:0qKFPe/3 BE:58953964-
才能のあるなしというのは他者との関係の中で自己を確立していく作業ですから、
自分で自分の才能があると思うだけでも、他人から才能のあるなしを指摘される
だけでもダメなわけです。
別の角度から逝くと、才能を補完しながら形成されている組織と、他人の才能に
寄りかかる比率の大きい組織では前者のほうに競争力がある。
前者で飛び交うコミュニケーションのための言葉とは「君には才能がある」という
言葉の比率が大きいでしょうし、後者で飛び交う言葉とは「君には才能がない」とい
う言葉でしょう。
もちや餅屋の中で才能を開花させるには、まずはそういう組織を選択する
「才能」というのが一番重要なのかもしれない。
自分が、一番欲しい才能は「要領良く生きる才能」かな。
ただ、一番難易度が高い才能かも知れない。。。
83 :
ちょっと待て名無しが今何か言った:05/03/03 14:43:00 ID:xqyDHn8P BE:133504496-
82に足りないのは「要領良く生きる才能」ではなく、失敗をしても
後悔しないという「断固たる決意」と、なによりも「自分への自信」
なんだとおもうよ。
>>83氏にポイント送らせていただきます。
感動しました。
85 :
段造 ◆b5w5DanzOU :05/03/03 21:36:00 ID:wiP4xyIE BE:4839023-
>>73 全国模試を例に出したのは、世の中には頭の良いやつが無数にいる、
上には上がある、ということで。
才能が無いと想うんだったら、才能があるやつの二倍頑張るしかないだろう。
86 :
零細企業 ◆reisaifwww :05/03/03 21:50:42 ID:8pjzMahW BE:17371692-#
こんなこというのはあれだが
ダメな奴は何をやってもダメ。
>>85 うむ、例に漏れず努力出来るのも立派な才能ですな。
>>86 それを言うと元も子もないだよ、アニキ。
88 :
段造 ◆b5w5DanzOU :05/03/03 22:44:55 ID:wiP4xyIE BE:25804984-
>>87 努力できる、ってのも才能の一つですか・・・
なるほど。そうかもね。
ただ、その才能は後天的に身につけることが出来るのではないかしら。
>>86 ダメなやつ、ってのは努力できない奴かもね。
それとも結果が出るまで頑張れないやつ。
89 :
SB一代 ◆ttDN1PIvWc :05/03/03 23:00:21 ID:B3lQ0uP0 BE:60782887-#
>>88 努力出来る才能ってのは、
結果を求める云々じゃなく努力自体が「楽しい」と感じられるか否かだと思うので、
多分全ての人間が始めから持っている才能だと思いますよ。
でなければ言葉を発したり、物を使ったり遊んだり出来ないですから。
今やってる事を全て「楽しい」と思える事、それに尽きるのではないかな。
90 :
段造 ◆b5w5DanzOU :05/03/09 19:14:39 ID:v65Y7adj BE:16935337-#
>>89 するとやはり、努力できるやつとそうでない奴が出てくるのは後天的なものである、と。
話は変わるが、結果如何に関わらず、努力した者を評価する、ってのはかなり日本的なものではないかな。
米国辺りは結果主義のような気がする。
結果よりも過程を重視すると
成功者よりも努力した者が評価される。つまり圧倒的多数者である無能者も努力していればそれなりに
評価されやすくなり、弱者に優しい社会となる。判官贔屓などはその現れ。
反面、能力者はあまり面白くない。
即ち、日本の社会は一部の能力者にではなく、圧倒的多数舎である無能力者によって支えられている社会である。
これが欧米のトップダウンではなくボトムアップ体制の根底になっている。これこそが、東洋でただ一国、欧米に対抗できる国家と
なった原因ではないか。
何々「道」ってのは、結果よりも過程を重視する心構え。過程を誇り評価するのが国民性。
勿論、成功者を評価しない訳ではない。バランスの問題で、欧米などよりは過程を重視する、ということに過ぎないが。
現代は、以前よりも結果重視に傾いているようには思える。
過程を重んじ、結果を軽視しているため、良い結果がでなくても反省することが出来ない。否、反省し、修正するのに時間が掛かる。
>米国辺りは結果主義のような気がする。
激しくwた。
結果がすべてだし。
93 :
yuki ◆RevGiOKgRo :05/03/09 21:35:14 ID:lfIlhwaZ BE:23719897-#
敢えてムチャな反論してみよう。
結果と言うなら、人間最後は死ぬのです。
結果が同じならばその結果に至る道筋の方が大事では?
95 :
ちょっと待て名無しが今何か言った:05/03/09 22:42:00 ID:RQcisogE BE:45587276-#
>>94 死を迎えた時の結果とは「生き様の完成」であり、
名無しの古参氏が言ってる「個として生き続けるための小結果」の積み重ねた成果ですね。
また、"成果"を得るために必要な小結果の積み重ねが"過程(人で言う人生)"です。
自分に対して全力且つ誠実に生きなければ成果を残せない、と言う事かな。
>>89と重複するが「才能」というのは「努力を苦を無く行える資質」だと思う。
本来苦痛であるはずの訓練を意識せず行う資質。
故に「天才」と言われる人には努力の痕跡が見えにくく、傍から見れば楽しそうに、
あるいはストイックに写る。「自分の好きなこと」を想像してみるといい。
趣味の合わない他人にとってそれは苦痛になるかもしれない。
>>90 確かに日本は過程重視の社会であるように思う。
成功には「努力」と「苦痛」が伴わなければならない。日本の場合、成功者は
「成功したから偉い」のではなく「苦労した結果成功したから偉い」のだ。
大部分重複するので割愛するが、こういった風潮が変わってきたのも確かだと思う。
一昔前なら、例えばイチローや俊輔の受け取られ方も違ったと思う。
「才能が無くても努力すれば成功できる」というアナウンスが
必要なくなってきたのだろうか。それは「日本が豊かになったから」とも言えるだろうし
「日本人が格差を認めだした」とも言えるだろう。
そもそも成功の定義が曖昧になってきているのかもしれない。
97 :
えいいち:皇紀2665/04/01(金) 00:57:13 ID:Yz6aS2H7 BE:36666959-#
僕には才能ってものが無いんじゃないかって感じるときがある。
なぜかというと、才能がある分野に関してはきっと楽しいと思ってるからだと思うんだ。
にしても、物を真似る才能って何?
そんなことは置いといて、個人主義の僕が思うには、結局は結果なんだよね。
イチローだって、小学生の頃から野球が好きで、うまくなりたい一心で走ってる車のナンバープレートで足し算したぐらいだからね。
誰だったか、努力の天才云々でもてはやされてる野球選手もいる。
いくら才能があっても腐らせたら結果は出ないわけなんだよ。
そうなると僕はまったく結果を出していないんだよね。
それに最近、自分には才能があると勘違いして努力をしない野郎もいるよね。
今の若者が典型的な例なんだけど。
先ず其の言を行い、而して後にこれに従う。
いい言葉ですね。
98 :
ちょっと待て名無しが今何か言った:皇紀2665/04/01(金) 01:11:04 ID:c4qS2jAf BE:52537829-#
俺的には、例えば何か仕事があるとして、それを成功させるために
有利な考え方・価値観を持っている事が「才能」。
一種「性格」と言い換えても良いかな。
イチローにせよ松井にせよ、野球選手として成功するための
「性格」を天から授かった訳で(勿論、後天的な物もあるかも知れないが)
俺としてはそれこそ「才能」なんだと思う。
「才能」って、その時点での現状だよね。
だから生まれつきも努力も含まれるでしょ。
ある時点で土台となる能力がしっかりあれば
その上に形を作りやすいという感じ。
「才能なんてない、努力しだい」っていう馬鹿いるけど、
とりあえずモーツァルトやピカソについて調べて欲しいね。
あいつらは天才通り越して化け物だけど。
天才と言うに値するだけの仕事をした人が居た事を
努力を否定する根拠にできるのかな?
天才って言われるのは最終的な出力であって、
過程で努力してないとは言えないのでは。
天才とは、正しく飛躍できる能力。
根拠無く正解にいたる能力。
それを形にするには、天才であろうとも努力は必要かと。
ただし、天才の努力と凡人の努力は見かけが似たようなものであったとしても本来異質なものだろう。
天才じゃないので本当のところは判りませんがw
104 :
えいいち:2005/05/18(水) 20:42:56 ID:eeKiYGI9 BE:12222735-#
ある分野をやるとして、その習得が速ければそれの才能があると思ってるんだけどな。
でも、大抵の人はその才能がある分野を見つけられず、腐らせることのほうが多い。
つまり、自分は才能があると思い込んでも、才能はやってこないんだな。
才能は自分で見つけるものだと思ってるんだ。
けどな、ピカソの絵はあまりにも酷いんだ。あれは才能じゃなくて便所の落書き。
>>104 > 才能じゃなくて便所の落書き
?どういう意味?
脳味噌割って調べれば早い罠。
108 :
小六:2006/01/23(月) 20:02:07 ID:D8NMAXtO BE:343468984-
個性です。
109 :
ちょっと待て名無しが今何か言った:2006/01/24(火) 20:20:27 ID:/B860NlB BE:124336962-
才能は先に気付いたもの勝ち。つまり適正があるかどうかが
分かれば、後はその芽を伸ばせば良いだけ。気付かない人は
一生気付かない。
好きなものには何らかの適正があるかもしれないな。
110 :
◆XoxirrW7Kw :2006/01/25(水) 13:13:17 ID:TCOzGA4j BE:312665074-
才能は、生まれもったもの。(天才)
努力して得たものは、秀才。
才能って言うか。。。
たいさばきとかからだのつかいかたは、もうちゅうがくせいくらいでかんせいされてるきはする
サッカーも例えば、上手さ自体は中学時代も社会人時代もかわらんだろ?って
身長は変わるけれども
112 :
ちょっと待て名無しが今何か言った:2006/07/17(月) 19:17:16 ID:8fxWBKuX BE:14718454-
思うんですが,,,
例えば「サッカーの天才」って
ボールを蹴る才能があるってことなんでしょうか?
それとも戦略を考える才能なんでしょうか?
はたまたボールの動きを見る才能なんでしょうか?
なんかよくわかりませんが
ちょっとかんがえました
113 :
ちょっと待て名無しが今何か言った:2006/07/18(火) 04:13:58 ID:fd8XCn88 BE:728532577-
才能も、努力も、あるか分からないものだから
考えても仕方ないと思うんです
人間には必ず才能があると思う
ひろゆき氏=おいらを癒す(癒す才能
厨房=スレ建てただけで、叩かれる(叩かれる才能
こんだけしか思いつかないw
あと、才能は自分で見つけ出すものだ〜
>>1 才能とは、ある事柄にかんして
能力があるか(例:野球で肩が強い、サッカーでシュート力がある)と
興味があるか(例:ボールを打つのが好き、ドリブルで相手を抜くのが好き)
の二つに分けられると思う。
もちろん、努力は自分をいくらでも変えれるからそれも大事。
だけど努力の動機があるかも人それぞれ、だからそれも才能。
能力と好き度の二つが重なったら最高なんだよね。
だけどそれを発見することがとても難しい。
>>114も書いているけれどきっとみんな何かしら持ってるよ絶対!
それを見つけられるかなんだよね。
これやだなーってことでも自分が好きになる要素が出てきてそれが能力につながる事だってある。
だから大事なのは事を選びすぎずに世界に体当たりしてみることだ!
友達と話しているのでも働いているのでも何からでも発見の可能性はあるよ。
案ずるより産むが易し、です。なんとかなるよ。
116 :
ちょっと待て名無しが今何か言った:2006/07/30(日) 18:33:56 ID:xdxQWsXV BE:713141677-2BP(0)
天才
天才の遺伝も初期に興味を呼んだテーマの一つで,たとえばイギリスのゴールトンは高い天分をもつ学者や芸術家 415 人の家系をしらべ, 31 %にすぐれた父を,48 %にすぐれた息子を, 41 %にすぐれた兄弟を,
14 %にすぐれた孫を見いだして,高度の天分が遺伝することを実証した (《天才と遺伝》1869)。
こうした知見の延長上にあるのがクレッチマーの指摘で,それによると,近世ヨーロッパの天才たちは北方人種とアルプス人種との混交地帯に多く現れており,フランスの大部分,フランドル・オランダ,ドイツの大部分,
上部および中部イタリアがこれに属するという (《天才人》1929)。
他方,天才の知能指数を問題にしたのがアメリカの心理学者ターマンL.M.Termanで, 1916 年に考案したビネ=シモン知能検査のスタンフォード改訂版を用い,知能指数 (IQ) 140 以上が天才で,その百分比は 0.25 %であることを
明らかにした。
>>114 >あと、才能は自分で見つけ出すものだ〜
他者に才能を見い出される話がよくある気がしますが、
それついてはどう御考えですか?
それもそれでいいんじゃない?
「ありがとう!」と言って、感謝の念を込めて力強く握手し、
そのままベランダから放り投げればいいと思う。
119 :
ちょっと待て名無しが今何か言った:2007/02/09(金) 01:37:16 ID:+zGgwE8z BE:255182898-2BP(40)
全て発揮は出来ないだろ
あればよし
才能が見つからない・・・
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