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ちょっと待て名無しが今何か言った:
このスレの意図する”ゲーム”とズレると思うんだけど
この世の中のいろんな要素、もしくは日常をゲームとして
捉えて、クソゲーかクソゲーではないかで判定すると
また違ったものの見え方があるんじゃないだろうか?
例えば就職の面接とか、大学入試の試験問題とか。
ハッキリ言って就職の面接ってどう考えてもツマンナイ
クソゲーだよね。大学の入試問題はどうだろうか?
ぼくは出題者のテクニックにものすごく感心するんだけど。
数学とか、なんであんな難しいんだけど凡人でも解けなくは
なくて、そのプロセスと答えの出る瞬間があんなに快感のある
問題にできるのか、凄いなあと思う。でも暗記量がハンパじゃない
ところはややクソ?バランス悪くね?
そう考えていくと学校のそれぞれの教科もクソゲーだったら学力が
低下して当たり前な気がする。学力というのは問題を解く力だと
思うけど、問題というのは一つのゲームだからそれがクソだったら
ゲームをやらなくなるから腕も落ちる。よく教育の問題でゆとりが
どうのとか、先生の力量とか挙げられるけど、ぼくは各教科が
良ゲーになっていけばみんなどんどん勉強をするようになるんじゃ
ないかと思う。これまで勉強とは苦しいけれどやらなければいけない
ものという考え方が主流だったと思うけど、TVゲーム
と同じ比重でもっと積極的に面白いものにはできないのだろうか?
ところで人生もゲームかもしれないけど、今の自分がクソなのは
人生がクソゲーだからじゃなくて自分のプレーが下手だからだと思う。
ゲームとして宇宙の中の人間というのはけっこう神ゲーだな。
思考や行動の自由度。エネルギー保存則や勤労の義務など練りこまれた
システムとバランス。やっぱり宇宙を作った香具師は神認定。