死刑確定囚の中から次の執行者を予想希望するスレ3

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4名無しさん@お腹いっぱい。
【二月二十一日 ある死刑囚の記録】
一人目。旅館の女将 
山あいにある長野県諏訪市の冬は、氷点下にこごえるのが常だ。
一九八三年二月五日。その日、諏訪湖では、湖面に張った氷がせり上がってできる
神の道「御神(おみ)渡り」の具合を見て、一年の吉凶を占う神事が執り行われていた。
湖畔から歩いて五分の「山彦旅館」には三日前から、やせた男の客が一人。
熱心な見物客ではない。三十二歳の武藤恵喜(ぶとうけいき)だった。
このころ、有り金が尽き、東京で無銭飲食を繰り返していた恵喜は、塀の中で知り合った
暴力団員を頼り、この地へ流れ着いた。
部屋数六つの小さな宿には九年前に夫と死別した六十四歳の女将(おかみ)、伊藤美遊登(みゆと)
しかいない。「怖いから、知らない人は泊めたくない」。常々、口にしていたはずが、
なぜか、いちげんの恵喜を迎え入れた。
その日、恵喜はあてにした暴力団員から仕事の口利きをしてもらえず、昼を過ぎても二階の
「羽衣の間」でテレビを見ていた。
「映りが悪い」「代金を払ってから文句は言って」
カッとなった恵喜が突き倒す。女将は近くにあった靴べらを握り、必死に振り回した。
恵喜はうまく避けて背後に回ると、首に手をかけた。すぐにぐったりしたが、
恵喜は念を入れ、電気コタツのコードで絞め直した−。判決文による事件のあらましだ。
帳場から二万円と預金通帳を盗んで逃げた恵喜は指名手配され、二週間後、東京・浅草
の喫茶店で警官に見つかる。所持金は三十九円。コーヒー一杯も飲めない額だった。
八三年十月、長野地裁は殺人、窃盗罪などで懲役十五年(求刑二十年)の判決を下した。
国選弁護人を務めた御園広実(77)は判決後の接見でこう語りかけたという。
「刑務所で悪知恵を付けるんじゃないぞ。出てきて街で会ったら声を掛けてこい」
そのときの姿が忘れられない。「もっと早く先生と出会っていれば…」。恵喜は涙ながらに言った。
本気で悔やんでいる…。御園は信じた。
事件を知った母は四国を遍路し、女将のために祈り続けた。月に一度、獄中の息子へ送った手紙
に改心を願う母心をつづった。
しかし、恵喜は服役した岐阜刑務所時代の心境を、後の支援者への手紙で打ち明けている。
「はじめは本当に反省の気持ちが強かったのですが、次第に薄れていったのです」
http://www.chunichi.co.jp/article/feature/feb21/list/CK2013121902000222.html