死刑確定囚の中から次の執行者を予想希望するスレ3

このエントリーをはてなブックマークに追加
3名無しさん@お腹いっぱい。
【二月二十一日 ある死刑囚の記録】
ウソつき きんごろー
二〇一三年二月二十一日。加納(旧姓武藤)恵喜(けいき)の死刑が執行された
その日の昼どき、恵喜の実の兄(66)は長野県の自宅の居間で何となくテレビ
を眺めていた。
「かのう、旧姓『むとう』けいき…」
「えっ」
アナウンサーが旧姓も読んでくれなかったら、聞き逃したかもしれない。
執行に先立つこと九年前、恵喜がある支援者夫妻の養子となり、武藤姓を
捨てたことを兄は知らなかった。
「本当は『ぶとう』なんだが」
短いニュースの中、名字の読みすら間違えられた弟だが、ふびんと思うのも煩わしい。
「やろう、死刑になったわ」
「ああ、そうかい」
近ごろ、体が弱り、伏せりがちの母がそれだけ、ぽつり。
実家の青果店は恵喜が中学校へ進む前、母の病をきっかけに廃業となったが、
父は鉄工所などで汗を流し、一家にひもじい思いはさせなかった。
よく笑い、よく笑わせる。恵喜はそんな少年だった。
近所でのあだ名は「きんごろー」。明治から昭和にかけ「爆笑王」と
たたえられた落語家・柳家金語楼が由来というから、その口達者ぶりがうかがえる。
が、それも度が過ぎては笑えない。当時を記憶する幾人もが口をそろえる、
きんごろーの質(たち)。「ウソつき」
すし屋に偽の出前を頼んだり、開くあてのない数十人の宴会を予約する。
「もうしません」。父に叱られるたび涙ながらに謝るが、すぐにまた…。
兄はやがて理解した。「自分を大きく見せようとでたらめ言って、収拾がつかなくなる」
恵喜は獄中からの支援者への手紙で母のこんなエピソードを記している。
いわく戦時中、満州と呼ばれた中国東北部へ渡った母が引き揚げ途中、生後三カ月の
赤ちゃんを亡くした。母は作家藤原ていの戦後のベストセラー小説「流れる星は生きている」
のモデルになった−。本当は母が満州へ渡ったことなどない。
きんごろーのころからそうだった。大した意味も無く、すぐにばれるウソをつく。
恵喜は中学を出ると実家を離れ、住まいや職を転々とする。二十代半ばから食い逃げや盗み
で出ては戻りの刑務所暮らし。そして、三十二歳の時、ついには人を殺(あや)めることになる。
http://www.chunichi.co.jp/article/feature/feb21/list/CK2013121802000204.html