死刑確定囚の中から次の執行者を予想希望するスレ3

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28名無しさん@お腹いっぱい。
【二月二十一日 ある死刑囚の記録】
死を予感 最初の一通
使ったグラスやテーブルの上をタオルで入念に拭う。衣服は少し乱した。
これで暴行目的に見えるだろう。
二〇〇二年三月十四日未明、名古屋・栄のスナック「パティオ」。
ママの千葉春江(61)を絞殺した武藤恵喜は、凶行の後始末を終え、店を出た。
早く遠くへ逃げよう、とは思わず、まずはタクシーで名古屋駅近くへ。サウナに入店し、ひと眠りした。
恐らく、この時点で春江を殺(あや)めて得た八千円は半分以上が消えたはずだ。
後始末をうまくやれたと思い込んだ恵喜は、その後も、無銭飲食や盗みを繰り返しながら
名古屋をうろつく。
実はパティオで飲んだビール瓶に指紋の拭き残しがあり、愛知県警は早々にその名を割り出していた。
二日後の十六日夕、名古屋・金山の駅前で恵喜は捜索中の警官に呼び止められる。
このとき五十二歳。うち二十三年十カ月が刑務所暮らし。まだ恵喜は知らなかったが、
以降、二度と塀の外を歩くことはなかった。
恵喜の十歳年下で、同じころ、詐欺事件で捕まった沢田竜一(仮名)は逮捕直後の恵喜を
最もよく知る男だ。この年の四月半ばから七月まで名古屋・中署の留置場の同じ房ですごした。
沢田はクリスチャン。古ぼけた一冊の聖書を持ち込んでいた。
恵喜はそれに興味を覚え、暇があると耽読(たんどく)した。「牧師ってどういう人がなれるんだい」。
沢田にそう尋ねたこともある。
恵喜は後に支援者にこんなエピソードを明かしている。
「愛のない言葉は人の心に届かない」。中学生のころ、家のラジオで聞いた宗教番組の
こんな言葉が忘れられない−。
事件後、昔の記憶を呼び覚まし、自身の罪を心から反省したのだろうか。そうでもない。
恵喜は沢田に事件のことをこう語っている。「債権回収に行ったら、ママと口論になり、
何かの拍子に倒れて気絶した…」。相変わらずのうそ。
ただ、何を思ったか、恵喜は一通の手紙を書く。
五月四日、名古屋市の牧師、戸田裕(80)がその封を開けた。「私は殺人という大罪を犯し、
中警察署で取り調べを受けています(中略)死刑に近いところにいます…」
刑死の気配が忍び寄る塀の中で、新たな人々と交わり、揺れ動く心中をつづった九百通余の
最初の一通だった。
=続く(この連載は一月中旬に再開します)
http://www.chunichi.co.jp/article/feature/feb21/list/CK2013122402000194.html