死刑確定囚の中から次の執行者を予想希望するスレ3

このエントリーをはてなブックマークに追加
16名無しさん@お腹いっぱい。
【二月二十一日 ある死刑囚の記録】
女房の無念のみ込んだ
見慣れた店がまったく様変わりしていた。
二〇〇二年三月十四日午前九時すぎ。名古屋・栄の雑居ビル三階にあるスナック「パティオ」
には制服姿の警官が慌ただしく出入りしている。
須藤正夫(仮名)が警官の制止を振り切り、店に入ると、変わり果てた「女房」が床に
ごろりと転がっていた。
その後のことを正夫はよく覚えていない。腰が抜けたか、捜査員に抱きかかえられ、店を出た気がする。
殺されたママ千葉春江(61)。籍は入っていなかったが、正夫は確かに夫だった。
出会ったのは、お互い三十代半ばをすぎたころ。二つ年下の春江は、栄のクラブでピアノの生演奏に
合わせて歌っていた。仕事の金融業が順調だったころで足しげく通い詰めたが、まったくこびようとしない。
二年ほどで、正夫は家族に春江を引き合わせることになる。前妻との間の小学生、中学生二人の娘たち。
名古屋市内の肉料理店での会食は緊張で身が縮こまった。
ある日、正夫は母親のいない台所で、娘が不慣れな手つきで、フライパンになみなみと油を注ぐのを目にした。
ひどく危なっかしい。そんなことに背を押された。春江となら家族になれると思った。
「いっしょに暮らしてくれんか」春江はうなずいた。
四人で食卓を囲む日々。手づくりのみそ汁で朝が始まる。
休みのたび、温泉やスキーにも出掛けた。例えば、富山・宇奈月温泉に出かけたときは大雪で列車が立ち往生し、
四人でスナック菓子を分けながら、すきっ腹に耐えた。
娘二人が独立し、こんどはのんびり小料理屋でもやろうか、そんな話もしていた。それなのに…。
事件から二日がすぎた三月十六日。春江の葬儀が名古屋市内の斎場で営まれた。
焼き場から出てきた亡きがら。
これからもいっしょだ−。
正夫は骨片を左手でひとつかみすると、口に押し込み、バリバリとかみ砕きながらのんだ。
手のひらが焼けるように熱かった。
その直後、正夫の携帯が鳴る。
「犯人、逮捕したで」
武藤恵喜(ぶとうけいき)…。捜査員が口にしたのは一度も耳にしたことのない名前だった。
春江を殺(あや)めてなお、無銭飲食をしながら名古屋市内にとどまっていたという。
=続く
http://www.chunichi.co.jp/article/feature/feb21/list/CK2013122302000214.html