死刑確定囚の中から次の執行者を予想希望するスレ3

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117名無しさん@お腹いっぱい。
【二月二十一日 ある死刑囚の記録】
「命で償う」本心なのか
梅雨のはしりか、二〇〇二年五月半ばの名古屋は連日、雨に見舞われていた。
こんなときはけんしょう炎の両手がひどく痛む。ゆっくりとしかワープロを
たたけないのがもどかしい。
「あなたは独りじゃない」。牧師の戸田裕は面会した数日後、武藤恵喜(ぶとうけいき)
へ宛て、まずはそんなことをつづった。
五月二十二日、恵喜から返信が届く。
「何の罪もない人の命を奪った。自分の命をもって償いをすることが、被害者の
家族にとって、それにも増して自分でも一番納得がいくと思う」
その二カ月前、名古屋・栄でスナックのママを殺(あや)めて以来、恵喜は
初めて「償い」という言葉を使った。
一読、殊勝に思える。だが、戸田はこう感じた。
「軽い…」
実は恵喜はこのころ、取り調べでも殊勝な態度を続けていた。

「会話中に腹が立ち、殺してしまった後で金を盗んだ」。
逮捕直後はこう主張した恵喜だが、わずか一週間で簡単に変える。
「金を奪うため、殺すしかないと思った」
殺した後で金を盗んだのか、金を奪うため殺したのか。結果は同じようでも、
裁判では大きく意味が異なる。殺人と窃盗なら有期刑もあるが、後者は
強盗殺人となり、法が定めるのは無期懲役か死刑しかない。
恵喜が一九八三年、長野県の旅館で女将(おかみ)を絞殺した事件で、判決
が懲役十五年だったのは前者と認められたゆえだった。
罪を正直に認め、償いのため、もう死刑でいいと考えたのだろうか。

戸田の答えは否。ある日の面会でこう尋ねた。
「あなたは償いのために自らの命を差し出すと格好良くいうが、あなたに
とって命はそんなに重いのか。だったら、そんな人の命をなぜ簡単に消したんだ」
恵喜は黙り込んだ。
命の重みと本当に向き合っているのか。「反省の情を示して刑を軽くするためか、
単にやけになっているだけじゃないのか」。そんな疑念がぬぐえなかった。

五月二十八日、名古屋地裁で迎えた初公判。
「殺してやる」。恵喜は被害者の残された「家族」から峻烈な怒りを浴びる。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/feature/feb21/list/CK2014011202000114.html