5 :
↓ 動画 :2013/12/16(月) 12:03:47.50 ID:???
6 :
↓ 動画 :2013/12/16(月) 12:08:29.01 ID:???
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【群馬県高崎市筑縄町児童誘拐殺人事件 昭和62年9月14日】
萩原功明ちゃん(5)が 4時15分頃自宅の斜め前にある地神社に遊びに行ったが20分後に母親が通った時にはすでに姿が見えなくなっていた。
6時30分に警察に捜索届を出すが6時42分に誘拐犯から2000万円を要求する電話がかかってくる。その後も3回脅迫電話があり今度は1000万を要求されるが、
結局直接接触もないまま電話だけでの交渉が続き、2日後の16日午後12時35分、自宅から6キロ離れた寺沢川にかかる入の谷津橋の15m下の川底で遺体となって発見される。
死因は窒息死、脊髄損傷、硬膜下出血で気管と気管支に多量の砂が入っており橋から投下されたあと15分は生きていたようだった。
犯人はその後、功明ちゃんの衣服やサンダルを次々と川に投げ捨てながら下流の八千代橋方面に向ったと思われる。4度目の脅迫電話はその後にかけている。
ずさんな点や不自然な点が多く身代金目的の誘拐と考えにくい。平成14年9月4日時効を迎えた。戦後155件目の身代金目的誘拐殺人で28番目の犠牲者だった。
遺留品捜索中に捜査員がうさぎの惨殺体を見つけている。功明ちゃんの幼稚園では過去4回うさぎの惨殺事件があり、周辺の幼稚園、保育園でも同様の事件が起きていた。事件後うさぎの被害はやんでいる。
荻原功明ちゃん誘拐殺人事件 犯人の音声 脅迫電話
(犯人の声が聞けます)
http://www.youtube.com/watch?v=uIMB5rqpJ6c ←
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【三ツ境女子短大生失踪事件】
女子短大生 不明10日 卒業直前、渋谷で失踪 公開捜査 【横浜】
1984年3月29日 読売新聞朝刊より引用
横浜市内の女子短大生が、卒業式直前の今月十九日、東京・渋谷で友人と別れた後、ぷっつりと行方を絶った。
家族から捜索願を受けた横浜・瀬谷署は、事件に巻き込まれた疑いが強いとして二十八火日、
県捜査一課などの応援を求めて公開捜査に踏み切った。
行方不明になっているのは、同市瀬谷区*******、無職三宅*さん(五四)の長女で、
明治短大経済科卒の夕香理さん(二〇)。
調べによると、夕香理さんは十九日午後、一緒に卒業記念のヨーロッパツアーなどを楽しんだ友人三人と、
東京・渋谷の喫茶店などで旅行の写真の交換などをした後、午後十時ごろ、
友人に見送られて東急東横線の渋谷駅改札口を通ったところまで確認されたが、以後行方がわからなくなった。
家族や友人らの話によると、夕香理さんは素直でまじめな性格。特定の男友だちはおらず、
これまでに無断外泊は一度もなかった。
同短大では、経済法ゼミの副長を務め、学校推薦で東京・新宿の住友生命への入社が決まり、
来月二日からの出社を楽しみにしていたという。
同短大の卒業式は、二十六日に行われたが、一生に一度の思い出にと、三宅さん方でははかまを新調していた。
しかし、全く音信がなく、帰宅途中、何らかのトラブルに巻き込まれた疑いが強い。
夕香理さんはふだん、東急東横線で横浜駅に着いてから、相模鉄道に乗り換え、三ツ境駅で下車する。
駅から自宅まで約一㌔あるため、夜遅くなるときは自宅に電話して、兄(二三)に車で迎えにきてもらっていた。
十九日夜は、兄が海外旅行中だったため、バスに乗るか徒歩で自宅に向かったと思われるが、自宅周辺はもちろん、
渋谷駅からの足取りについては一切不明。同夜は、飛び石連休の谷間だったうえ、雪が降っていたため、
電車、バスは深夜まで混雑していたが、これまでの捜査で目撃者は出ていない。
夕香理さんは身長一㍍六五の大柄な美人。セミロングヘアで、失踪当時は緑色ジャケットにリボンつきブラウス、
茶色スカート姿で、現金は三千五百円程度持っていた。
http://wiki.livedoor.jp/mikaiketsujiken/d/%bc%e7%a4%ca18%ba%d0-20%ba%d0%c2%e5%bd%f7%c0%ad%a4%ce%cc%a4%b2%f2%b7%e8%bc%ba%ed%a9/%b9%d4%ca%fd%c9%d4%cc%c0%bb%f6%b7%ef%a2%a8%be%bc%cf%c2?wiki_id=68236 .
14 :
↓ 行方不明:2013/12/16(月) 14:15:15.25 ID:???
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●巽敏一(当時16歳、男)大阪 S35年(1960)7月【特失】
「映画館に向かう途中で失踪」
●宮澤康男(当時17歳、男)東京 S35年(1960)9月【特失】
「勤務先の製パン宿舎から失踪」
●藤田進(当時17歳、男)大阪 S40年(1965)3月【特失】
「映画館の演奏会に向かう途中に失踪」
●鈴木俊之(当時7歳、男)静岡 S40年(1965)7月
「「遊びに行く」と言ってでかけたまま戻らず。女からの電話あり」
●吉田雪江(当時17歳、女)北海道 S42年(1967)1月【特失】
「同僚の新婚旅行の見送りに行く、と言い残し失踪」
●岡田優子(当時14歳、女)北海道 S42年(1967)10月【特失】
「カゼを引いて休んだ日に外出して失踪。海岸にカーディガン」
●国井えり子(当時17歳、女)北海道 S43年(1968)12月【特失】
「「学校で試験があるのでいつもより早く学校へ行く」と自宅を出たまま行方不明」
●庄山仁(当時14歳、男)長崎 S44年(1969)2月
「制帽を手にした見知らぬ男(当時24)が自宅に現れ、制帽の持ち主に強盗にあった話をする。
翌日、父親宛に何者かに無理やり書かされたと思われる強盗を詫びる自筆の手紙が届く。
その後行方不明」
●長谷川文子(当時17歳、女)北海道 S44年(1969)3月【特失】
「高校からの帰宅途中、バスから降りた後行方不明」
●大屋敷正行(当時16歳、男)静岡 S44年(1969)7月【特失】
「海水浴に行って夜中にトイレに出たまま行方不明」
●大谷記代(当時9歳、女)静岡 S47年(1972)8月
「そろばん塾の帰りに行方不明」
●猪原修(当時5歳、男)熊本 S48年(1973)7月
「失踪数年後に「山に男児の遺体を埋めた」と書かれた手紙が届き、
それに書かれた場所を捜索するも見つからず」
●関谷俊子/遠山常子(当時17歳、女)千葉 S49年(1974)7月【特失】
「親類の男性と千葉市内の飲食店で飲食後、親類の男性が「車で二人を家まで送ってくる」と
店の従業員に言い残して出たまま3人一緒に行方不明」
●竹内久美子(当時13歳、女)大阪 S50年(1975)3月【特失】
「小学校卒業直後失踪」
●明石靖彦(当時14歳、男)大阪 S50年(1975)5月【特失】
「自転車で出た後行方不明。海上のボートに本人の草履と靴下」
●萩友美(当時8歳、女)山梨 S52年(1977)4月
「遊びにでたまま行方不明。近くのリンゴ畑に自転車だけ残されていた」
●田畑作之介(当時3歳、男)大阪 S53年(1978)3月
「大阪府の自宅近くで車にはねられ、運転していた男に連れさられその後不明」
●藤倉紀代(当時12歳、女)・靖浩(当時11歳、男)広島 S55年(1980)3月【特失】
「母親が仕事に出て深夜帰宅すると不在。夕食はとってあった」
●酒寄はるみ(当時9歳、女)茨城 S56年(1981)5月
「自宅から遊びに出たまま行方不明」
●永本憲子(当時16歳、女)高知 S56(1981)5月【特失】
「自宅近くのバス停で目撃されたのを最後に失踪」
●諏訪大(当時7歳、男)北海道 S58年(1983)8月
「アスレチック場で行方不明」
●下田実加(当時10歳、女)広島 S58年(1983)10月
「早朝マラソンに出かけたまま行方不明に。自宅近くのバス通りに実加さんの血痕が残っていた」
●澁谷美樹(当時3歳、女)宮城 S58年(1983)11月
「保育所からの帰り道、祖父が立ち話のため目を離した隙に、路上駐車中の車内から姿を消す。
付近の路上には美樹ちゃんと同じO型の血液と自動車のタイヤ痕が残っていた」
●佐々木奈保子(当時3歳、女)栃木 S60年(1985)10月
「帰省中、長女(10)と長男(8)と魚釣りに行き行方不明になる」
●根本直美(当時15歳、女)茨城 S62年(1987)6月【特失】
「学校からの帰宅途中に行方不明。神社に自転車とバッグが残っていた」
●松野愛子(当時7歳、女)福岡 S63年(1988)12月【福岡飯塚2女児殺人事件関連】※遺留品発見
「同市での女児殺害で死刑執行された故久間元死刑囚の自宅で遊んでいるところを目撃された後行方不明。
15 :
↓ 行方不明:2013/12/16(月) 14:21:49.03 ID:???
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●松岡伸矢(当時4歳、男)徳島 H元年(1989)3月【特失】
「親戚の玄関先で親が目を離した40秒のスキに消える」
●石嵜容子(当時14歳、女)茨城 H2年(1990)12月
「失踪から1年後、本人から「大勢の人がいて帰れない」と電話」
●加茂前ゆき(当時8歳、女)三重 H3年(1991)3月
「飲みかけのココアを残し行方不明。「ミユキ カアイソウ」の怪文書が届く」
●石井舞(当時7歳、女)福島 H3年(1991)7月
「自宅で2人の友達と一緒に寝ていて消える」
●野村香(当時8歳、女)神奈川 H3年(1991)10月
「書道塾に行く途中?で行方不明に」
●佐久間奈々(当時13歳、女)千葉 H3年(1991)10月
「友人と深夜コンビニへ行った帰り、補導員を名乗る男に一人だけ路地へ連れて行かれそのまま戻らず」
●横山ゆかり(当時4歳、女)群馬 H8年(1996)7月
「パチンコ屋でサングラスの男に声をかけられている姿が防犯カメラの映像に」
●北山結子(当時17歳、女)三重 H9年(1997)6月
「本人のポケベルを持っていた男が逮捕されるも後に釈放」
●金子絵里(当時6歳、女)岩手 H9年(1997)6月
「自宅前の山道で遊んでいるところで行方不明。参考人所在不明」
●藤原浩(当時15歳、男)北海道 H9年(1997)12月
「「遊びに行く」と自宅から自転車で出たきり行方不明」
●柳田賢志(当時5歳、男)福井県 H10年(1998)3月
「長靴が近くの海に投げ込まれていた」
●恵良悠視(当時16歳、男)大分県 H11年(1999)5月
「ジョギング中に行方不明」
●平澤裕(当時16歳、男)長野県 H11年(1999)11月
「自宅から出かけて行方不明。知的障害あり」
●駿河秀斗(当時8歳、男)岡山 H12年(2000)10月
「自宅を出たまま行方不明」
●千田麻未(当時16歳、女)北海道 H13年(2001)3月
「バイト先のパン屋へ出たまま行方不明」
●佐野由香利(当時10歳、女)愛知 H13年(2001)11月
「友達の家へ遊びに行く途中行方不明」
●小林雅尚(当時1歳、男) 岡山 H13年(2001)10月
「祖母宅の庭先で兄と遊んでいたが、祖母が目を離した10分程度で行方不明」
●大川経香(当時9歳、女)茨城 H14年(2002)5月
「自宅近くの公園で遊んでいる姿を最後に行方不明」
●吉川友梨(当時9歳、女)大阪 H15年(2003)5月
「学校帰りに行方不明。父親が娘の所在を騙る詐欺事件の被害者になる」
●大西有紀(当時5歳、女)香川 H17年(2005)4月
「タケノコ掘りイベントの最中に行方不明」
●滝村隆規(当時7歳、男)岩手 H19年(2007)2月
「養護学校で河川敷で遊びに行った時に行方不明。障害あり」
●砂浜佳祐(当時15歳、男)北海道 H20年(2008)2月
「入所施設から行方不明。知的障害あり」
●長友俊樹(当時17歳、男)宮崎 H20年(2008)10月
「授業中に学校を出たまま戻らず」
●門田美咲(当時16歳、女)神奈川 H20年(2008)11月
「母親「連れ去った団体もほぼ特定」と」
●峯岸正史(当時16歳、男)群馬 H20年(2008)12月
「朝行方不明に。障害あり」
●下村まなみ(当時10歳、女)岐阜 H21年(2009)7月
「林間学校で来ていたキャンプ場で、きもだめしの下見中に行方不明。自閉症あり」
●尾久賢治(当時15歳、男)秋田 H21年(2009)10月
「親に叱られた後家を出たまま戻らず」
●貫戸強輝(当時17歳、男)北海道 H22年(2010)6月
「リュックを持って自転車に乗って出たまま失踪」
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北関東で相次いで失踪する女児
1981. 5 少女(9)行方不明事件 (茨城/真壁)酒寄はるみちゃん
1985.10 幼児(3)行方不明事件 (栃木/日光)佐々木奈保子ちゃん
1987. 6 少女(15)行方不明事件 (茨城/藤代)根本直美ちゃん
1987. 9 少女(8)殺人・死体遺棄事件 (群馬/尾島) 大沢朋子ちゃん
1990.12少女(14)行方不明事件(茨城/三和町)石嵜容子ちゃん
1996. 7 幼児(4)誘拐事件 (群馬/太田)横山ゆかりちゃん
2002. 5 少女(9)行方不明事件 (茨城/取手)大川経香ちゃん
これに殺人事件を加えると
1979. 8 保育園児(5)殺人・死体遺棄事件 (栃木/足利)福島万弥 *利事件関連
1981. 5 少女(9)行方不明事件 (茨城/真壁)酒寄はるみ
1983.10 少女(12)殺人・死体遺棄事件 (群馬/桐生)中島喜代美
1984.11 幼児(5)誘拐・殺人事件 (栃木/足利)長谷部有美 *利事件関連
1985.10 幼児(3)行方不明事件 (栃木/日光)佐々木奈保子
1987. 6 女子高生(15)行方不明事件 (茨城/藤代)根本直美
1987. 9 幼児(5)誘拐殺人事件 (群馬/高崎)荻原功明
1987. 9 少女(8)殺人・死体遺棄事件 (群馬/尾島)大沢朋子 *利事件と同一犯の可能性
1990. 5 幼児(4)誘拐・殺人事件 (栃木/足利)松田真実 *利事件
1990.12 少女(14)行方不明事件 (茨城/三和)石嵜容子
1996. 7 幼児(4)誘拐事件 (群馬/太田)横山ゆかり *利事件と同一犯の可能性
1999. 5 女子大生(19)殺人・死体遺棄事件 (茨城/筑波)川俣智美
2002. 5 少女(9)行方不明事件 (茨城/取手)大川経香
2003. 7 女子高生(15)殺人・死体遺棄事件 (茨城/五霞)佐藤麻衣
2004. 6 女子高生(16)殺人事件 (茨城/坂東)平田恵里奈
2005. 8 少女(10?-20?)殺人・死体遺棄事件? (栃木/足利)未解決
2005.12 少女(7)誘拐殺人・死体遺棄事件(栃木/今市[現日光]・茨城/常陸大宮) 吉田有希
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17 :
コピペ:2013/12/16(月) 16:50:03.99 ID:???
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田畑作之介ちゃん轢き逃げ連れ去り事件
1978年のひな祭りの日に大阪市住之江区で起きた、未解決の事件です。
ちょっと前にネットで知って、気になっていました。
ただ、きちんとした出典を明示したサイトはなく、
信頼度の高い情報源もネットに見当たらず・・・
「もしや都市伝説か創作では?」と思っていたのですが、
1978年3月5日付『朝日新聞』の23面に記事を発見しました。
前日付『読売新聞』夕刊の11面にも、同様の記事があります。
ここに内容をかいつまんで紹介します。
3月3日午後、3歳の田畑作之介ちゃんは
5歳のA君と近所の道路で遊んでいました。
悲劇が起きたのは16時半頃。
作之介ちゃんが車にはねられてしまったのです。
はねた車から出てきた中年男は、「どこの子やろ?」と言いながら
作之介ちゃんを車に運び込みました。
A君は田畑さんの家に駆け込んで、作之介ちゃんの母親に事故を知らせます。
母親とA君は急いで現場に走るのですが、そこには車も作之介ちゃんも見当たりません。
A君の話では、作之介ちゃんは顔から血を流し、グッタリしていたそうです。
すぐに病院に運ばないと危険な状態であったことは間違いありません。
ところが・・・
四日になっても作之介ちゃんが病院などで手当てを受けた形跡がないことから、
誘拐容疑事件とみて、住吉署に合同捜査本部を置く一方、
目撃者の証言から犯人は「中年の男」と断定。
モンタージュ写真づくりなど本格的な捜査を始めた。
「幼児はね誘かい」 (『朝日新聞』 1978年3月5日 p. 23)
この事件には、A君の他に大人の目撃者がいました。
近くを自転車で通りかかった女性教師、
少し離れた建築現場にいた作業員たちです。
彼らによると、犯人と車の特徴は・・・
・40歳くらいの男
・スーツ姿ではない
・車の色は白
・車種はカローラ?
・南の方へ走り去った
また、車が作之介ちゃんをはねた後、停止するまで
数十メートルも走っていたという証言も出ました。
現場に急ブレーキを踏んだ痕がないという現場検証結果からは
前方不注意が事故原因であった可能性が窺えます。
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なお、Googleマップを見ていて気がついたことですが、
現場付近には事件発生数年前に開通したばかりの
阪神高速15号堺線が高架で通っていて、
現場と田畑家は高速道路を挟んで東と西にあるのですね。
こういった場所の一般道は普段は比較的交通量が少ないのですが、
ラッシュ時になり高速道路が混み始めると、つられるように混んできます。
また、高速道路料金を渋り、スピードを上げて下道を走る車もあります。
さらには、渋滞を回避するために生活道路を回り道する車もあります。
作之介ちゃんをはねたのも、そういう車だったのかもしれません。
さて、目撃証言から数々のことが判明しましたが、
肝心のプレートナンバーが分かりません。
Nシステムもなく、防犯カメラも未整備の時代。
車を特定することはできず、時効を迎えてしまいました。
・・・作之介ちゃん(当時3)が自宅付近から行方不明になっている「作之介ちゃん事件」は
三日午前零時で、業務上過失致傷、略取誘拐罪など5年の時効が成立した。
大阪府警交通指導課の捜査本部では現在でも連日、捜査情報が寄せられていることから、
捜査本部は専従捜査員15人のFBI方式で引き続き捜査を進める。
「作之介ちゃん事件、時効」 (『毎日新聞』 1983年03月03日 p. 20)
次のページは折しも、岡山県で起きた「敬一ちゃん誘拐事件」が無事に解決し、
抱き合って喜ぶ親子のニュースを大見出しで伝えています。
それだけに、この小さな記事がより哀しく見えました。
なお、作之介ちゃんが生きていることを前提にした容疑になっていますが、
事故時の状況から考えて、残念ながら生存の可能性は低いと言わざるをえません。
事件発生時の新聞には「遺体を遺棄した最悪の場合も考えられる」
と書かれていたのですが、まさにその通りだったのではないでしょうか。
もし息絶え絶えの被害者を車に乗せて、人目に付かない場所に遺棄し、
死なせたのであれば、殺人罪が適用されます。
それでも、当時の刑事訴訟法では殺人罪にも公訴時効があり、
その期間は15年でしたから、1993年に時効となっていますね・・・。
民法上の不法行為に基づく損害賠償請求も、除斥期間を過ぎています。
もはや法律で犯人を裁くことはできません。
しかし、だからこそ、犯人にはきちんと謝罪し、どのような状態であれ、
作之介ちゃんを家族の元に返す義務があるように思えてなりません。
Googleストリートビューで事件時の住所を見ると、今でも田畑さんの表札がかかっていました。
一日も早く作之介ちゃんが帰宅できますように。
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19 :
コピペ:2013/12/16(月) 17:00:07.05 ID:???
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交通事故被害者が連れ去られた事件
前回書いた「田畑作之介ちゃん連れ去り事件」に似た事件の
記事を目にしたので書いておきます。
1983年、東京都立川市で起きた事件です。
東京都立川市で7月27日未明、トラックに人がひかれ、
連れ去られる事件があったことが4日明らかになった。
東京・立川署は目撃証言がしっかりしていることから
重大事件に発展する疑いが濃いとみて、警視庁の応援で捜査を始めた。
事件が起きたのは、27日午前3時半ごろ、立川市一番町6の4の
都道交差点で、近くに住む主婦が「ドスン」という物音で目を覚まし、
2階の窓から外を見ると、青っぽい小型トラックが交差点の角に停止していた。
車から出て来た若い男が、路上に倒れていた人に
「大丈夫か。立てるか」と声をかけ抱え上げて荷台に乗せた。
「痛い、痛い」と甲高い声が聞こえトラックはライトを消して走り去った、という。
また、現場を通りかかったトラック運転手によると、
倒れていたのは「赤い上着に紺のジーパン姿の若い女性」で、
被害者を荷台に乗せていた男は「30歳くらいで身長170センチ、
白半ソデに作業ズボン姿」だったという。
同署は事故の衝撃音が大きかったため、被害者は大怪我を負ったとみている。
「はねて連れ去る? ~ 立川で不審なトラック」 (『毎日新聞』 1983年8月5日 p. 23)
わざわざライトを消すというところが怪しすぎますね。
途中でパトカーにすれ違ったら、すぐに停められると思うのですが、
そこまで気が回らないほど動転していたのでしょう。
飲酒運転、保険未加入、無免許運転といった違法行為をしていて、
届け出ることができずに遺棄したのでしょうか?
いずれにせよ被害者にとっては気の毒な話です。
なお、立川市ということで、人通りの多い商業地域を想像しがちですが、
地図を見ると、現場は立川市の北の端、武蔵村山市との市境付近です。
周囲は団地ばかり。
きっと当時も寂しい場所だったのでしょう。
また、今でこそ立川は多摩地区の中心都市ですが、
事件当時は立川基地返還で米軍兵士相手の夜の店が閉店していった頃。
立川が生まれ変わりつつあった頃でした。
事件のあった年の秋、米軍基地跡の一部が昭和記念公園として
市民に開放されています。
そう考えると、夜間人口の割に、再開発工事に関わる労働者や
車両は多かったのかもしれません。
続報があるか、機会があれば調べてみます。
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東大阪母子殺人・誘拐事件
山崎俊忠(当時2歳、男)大阪 S58年(1983)9月 ※母殺害
「自宅で母親が強盗に殺害される。一緒にいた本人は妹を残し犯人に連れ去られる」
1983.9.2夕方。大阪府東大阪市の会社員・山崎さんが仕事から帰宅すると、
家にいるはずの妻千代子さん(当時28)と長男の俊忠ちゃん(当時2)の姿が見えなかった。
翌3日朝になって警察に通報。4日夕方になって押入れから異臭がするのに気づき、
中を調べると千代子さんがさんがふだん着のワンピース姿で両足を抱える形で死亡しているのを発見した。
しかし俊忠ちゃんの姿はそこには無かった。。
警察の捜査で千代子さんの死亡推定時刻は2日の午後4時~5時の間とみられた。
室内にあった現金約40万が無くなってはいたが、室内に争った形跡などがないことから、
顔見知りの犯行で、俊忠ちゃんに顔を見られたため連れ去ったものと思われる。
交友関係を中心に捜査を行ったが、犯人逮捕にいたらず時効を迎えた。
俊忠ちゃんの行方も分からないままである。
http://blog.livedoor.jp/mikaiketsujiken/archives/25336009.html .
27 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/30(月) 20:10:29.86 ID:JPhNzvIq
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千葉県 杵渕さん夫婦失踪事件
http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E6%9D%B5%E6%B8%95%E6%B8%85&aq=-1&oq=&ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa&x=wrt 事件の概要
平成13年5月18日午後6時ころ以降から千葉市若葉区貝塚町居住の夫妻、会社員 杵渕 清さん(当時59)パート杵渕 郁子さん(当時54)が所在不明となった事件。
また、平成13年5月18日、千葉市内の金融機関において、夫名義の通帳から現金が引き出されており、その際、同金融機関の防犯ビデオに払い戻し者(第三者)が撮影されている。
両親と連絡がとれないことから留学先から娘さんが急遽帰国し警察に届け出たが発見には至っていない。
失踪前に郁子さんが親しい友人に「今日は一生のうちで一番悲しいことがあった」という旨のメールを送っていたことがわかっている。
また、郁子さんが5月15~18日に仕事を休んだ理由は、「警察の人が来る」からだったという。
郁子さんは知人らに警察の人から「お宅は泥棒に狙われている」と言われ、「通帳の保管場所などを事細かに話した」「朝から晩まで話をした」と話している。
しかし、それらしい男の情報はなく、県警も「該当する警察官はいない」と語る。
(以下略)
【閲覧注意】日本で起こった奇怪な10の未解決事件【迷宮入り】
http://matome.naver.jp/odai/2136783319177370201/2136789104588223703 平成13年5月18日、午後7時30分の目撃を最後に、千葉市若葉区貝塚町居住の夫妻、
会社員、杵渕清さん(当時59)と妻の郁子さん(当時54)が行方不明となった。
両親と連絡が付かないことを不審に思った娘さんが、留学先から急遽帰国し、
警察に届け出て、事件が発覚。が、未だに発見には至っていない。
郁子さんが5月15~18日に仕事を休んだ理由は、「警察の人が来る」からだったという。
郁子さんは知人らに「 警察の人から「お宅は泥棒に狙われている」と言われ、
通帳の保管場所などを事細かに話した」「朝から晩まで話をした」と話している。
しかし、それらしい男の情報はなく、県警も「該当する警察官はいない」と語る。
失踪前に、親しい友人に送った「今日は人生で3本の指に入る辛いことが起きた」
という謎のメールが何を意味するのかも解っていない。
(1)自宅風呂場などから夫婦の血痕が発見される。
(2)失踪当日、杵渕さん本人を名乗る男が銀行を訪れ、口座から350万円を引き出している。
清さんとその男は、顔見知りのように親しげな雰囲気だった、と近所の住民は語る。
(3)夫婦と共に消えていた愛車は、4ヵ月後、自宅から300キロ離れた名古屋で発見。
車内には指紋もなく、トランクからは夫婦の血痕、さらに後部座席から尿反応がでた。
(4)失踪3日前から、ニセ警官が自宅に出入りをしていた。
8:00 妻、郁子さんが職場に「今日は30分程遅れます」という電話を入れる。
9:20 郁子さんの職場に夫を名乗る男から「親戚に不幸があったので2、3日休む」という電話が入る。
通話記録では自宅から発信されていたが、この時、夫は埼玉県三郷市の職場にいた。
13:45 千葉駅前銀行で男が夫婦の口座を解約。現金350万円を手にしている。
19:30 夫、清さんと不審な男が談笑しながら家の中に入って行くのを近所の住民が目撃。
20:00(頃)杵渕さん宅から何かの衝撃音が響く。
20:00(頃)自宅で男が電話に出て「今、臥せ(ふせ)っています」と言った。
夫を名乗った男と、警察官を装う男との関連は分かっていない。
杵渕さん夫婦を探して下さい
http://www.ekins.jp/jrhigashi/sobu/chiba/bbs/read/1359169844/ 夫婦失踪事件 - 茂原近郊ニュース
http://blogs.yahoo.co.jp/takaki0124/1501145.html .
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未解決を歩く ― 坪野鉱泉少女二名失踪事件 ―
1、車ごと消えた少女たち
1996年5月5日、魚津市松倉にあるホテル坪野跡、通称・坪野鉱泉を肝試し目的で訪れた二人の少女が消息を絶った。
なぜか事件当時の新聞記事は見つからないが、事件から約1年後の1997年5月4日と5日の2日間に渡って、読売新聞北陸支社版17面
「富山よみうり」にて特集記事として取り上げられているものが唯一発見されている。
まず4日の記事を紹介しよう。
1996年5月5日21時頃、氷見市に住む19歳の少女二人が家族に、魚津へ肝試しに行く、と車で家を出たまま車ごと失踪した。同日深夜、
二人はポケベルで友人に、今魚津市にいる、とメッセージを送ったのを最後に消息を絶った。“肝試し”や“魚津市”などのキーワードから、
二人は若者の間で、幽霊が出る、と噂され、週刊誌に取り上げられた温泉旅館廃墟・ホテル坪野跡に向かったと見られている。事件から1年が経ち、
県警や氷見署、魚津署などは、事件事故両面から捜査してきたが、手掛かりは見つかっていない。失踪した会社員A子さんと元スーパー店員B子さんの二人は
氷見市の県立高校で同級生だった。氷見市を発った後、若者のたまり場だった射水市(旧新湊市)の海王丸パークに寄って友人と会っている。そして同日午後十時過ぎ、
二人の乗ったB子さんの車が国道8号線の富山市と滑川市の市境を魚津方面に向かって走っているのが確6認されている。その後、二人から友人のポケベルに、今魚津市にいる、
とのメッセージが送られた。ホテル坪野は1984年頃に倒産したが、建物はそのままで敷地を囲む有刺鉄線は切られた上に、ガラスもほとんど割られ、カラースプレーなどによる
落書きで荒れ放題のまま放置されている。同廃墟は週末になると県内のみならず、隣県(石川・福井・新潟・岐阜)からも珍走団が集まる場所になっており、周辺住民から不安の声も出ていた。
県警は1996年6月下旬と11月下旬の2度に渡って、魚津市の国道8号線から同廃墟に向かうルートを4つに分け、県警ヘリと山岳警備隊を動員して車が転落しそうな地点を徹底捜索した。
中には険しい山道もあることから、崖では警官が谷底までロープを用いて降りるなどの危険な捜索活動も行われた。車が発見されていないことから谷底や湖、海などへ転落した可能性が高いと見られている。
一方で、事件に巻き込まれた可能性も視野に、事件事故の両面から捜査が行われた。家族から家出人届けを受けた氷見署は、二人の友人関係や家に残っていた所持品を調べるとともに、十数人の男友達にも事情聴取を行った。
1997年3月には、二人が20歳になったことから県警は尋ね人として署内限定で、二人の特徴を記したパンフを作成し、準公開捜査に踏み切った。しかし、有力情報は得られていない。
二人の特徴はA子さんが身長一五三センチ、左利きで八重歯、鼻の横に水疱瘡跡がある。当日の服装は白いブラウス、黒字に白の縦じまのミニスカート、黒のカジュアルシューズだった。
B子さんは身長一六七センチ、黒のTシャツにうぐいす色の綿パン、黒の革靴で、茶髪に染めていた。二人の乗っていたB子さんの車は九五年式スバルVIVIОの黒、ナンバーは「富山50 そ 14―02」。
同廃墟には1997年4月早々から、他県も含めた暴走族が集まり始めていた。
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2、最後の手掛かり ―ポケベル―
少女たちの失踪した場所はどこなのだろうか。ポケベルのメッセから魚津市に入ったことまでは確認できる。
恐らく市境の標識か何かで魚津市に入ったことを知り、いよいよ坪野鉱泉に近付いて来たことを実感して、
ドキドキしながらメッセを送ったのだろう。
問題はこの後で、魚津市に入ったことを知らせたのなら、今から帰る、といったメッセを送ってもよさそうなものだが、
そうしたメッセが送られなかったということはポケベルが圏外になる魚津の山中に入ってから失踪したと考えてよい。
最後のメッセを送った時点で既に深夜だったことを考えれば、時間に気兼ねして送らなかったとは考えにくい。
また、最大の疑問が移動時間の長さである。富山市と滑川市の市境で目撃されたのが22時過ぎ、魚津市に入ったのが深夜。詳しい時間は
記事に書かれていないが、深夜というからには0時を過ぎていたと思われる。夜の国道8号線はほとんど車が走っていない
(市境での目撃者が少女たちを覚えていたのもこのためだろう)。富山市と滑川市の市境から魚津市まで約2時間かかるということは通常ありえない。
ポケベルのメッセは見方を変えれば、少女たちの意思に反して送られたもの、つまり犯人が送るよう強制した、または犯人自身が後々の捜査を撹乱させるために送った可能性が高いのではないだろうか。
尚、ネットには次のような文章が新聞記事からの抜粋として流布している。
「坪野鉱泉へ肝試しに行く」と一九九六年五月五日、乗用車で家を出た氷見市に住む当時十九歳の少女二名が行方不明になった。県警などによると、行方不明になっている氷見市内の会社員A子さんと
スーパー店員のB子さんは新湊市の海洋丸パークで知り合った友達から、元ホテル坪野跡地が「肝だめしの場所」となっていることを知らされている。これまでの調べで二人は事件当日以前にも一度、
同ホテル跡を訪れ、不明となった日も同ホテル跡を目指していた。その日、スーパー店員のB子さんは勤め先で懐中電灯の電池を購入。アルバイト店員に「今晩、肝だめしに行こう」と誘ったが、断られ、
A子さんに電話している。同日深夜、「今魚津市にいる」というメッセージを友人のポケットベルに送った二人。その後の足取りは何も分かっていない。
この文章は先に紹介した「富山よみうり」のものとは明らかに異なる。引用元が確認されていないが、この文章の内容が事実だとすれば、少女たちは坪野鉱泉に行ったことがあるので、道に迷ったために
市境から魚津市まで2時間かかったとは考えにくいことがわかる。
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事件が起きたのは1996年9月9日。午後4時過ぎに東京・葛飾区の住宅街で
木造2階建住居が全焼した。2階の寝室から上智大学外語学部4年の順子
さんが両手両足を粘着テープで縛られ、首を数箇所刺された無残な姿で発見
された。死因は右頸動脈切断による出血死だった。
順子さんの着衣には乱れがなく、性的暴行のあともなかった。犯行動機は不明
のままだ。
娘を殺害された小林賢二さんは「明けても暮れても『お母さん、お母さん』って、
甘えん坊でどうしようもなかった。だから、1年ぐらい海外留学で1人で生活す
れば、少しは一人前になって」と話した。
事件の約3カ月前には、箱根に家族旅行をしている。順子さんの米国留学と、
姉の結婚が決まり「もう家族4人で旅行ができなくなるかもしれない」と順子さ
んが提案した。
「娘は将来ジャーナリズムの仕事を夢見ていました。殺害されなければ、2日
後には米国シアトル大のコミュニケーション学科に留学する予定だったんです。
焼け残った遺品のなかには、憧れていた筑紫哲也さんの著書「多事争論」が
ありました」
小林順子さんは事件発生約10日前に不審な人物の影を感じていた。
彼女は最寄の京成電鉄柴又駅の公衆電話から自宅に電話した。
「誰かが後ろを付けてきて、道を曲がっても、次にまた曲がっても付いてくる。
だから駅まで戻った」と訴えた。
その電話を受けた母親が駅まで向かえに行き、自転車の後ろに乗せて帰っ
た。その間不審な人物の姿はなく「変な人はいなくなったね」と二人で話した
という。
地底湖のやつ 事件についてカキコがあるとなぜか即火消しが来ることで有名
52 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/13(月) 04:20:21.04 ID:WvIyMAw/
テレビの力で似顔絵にそっくりな人が出演したのは何でしたっけ?
55 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/13(月) 22:52:42.29 ID:XOHSVx52
TBSでなんかやる
俺が文献を調べたり新聞社に聞いて書いた文章をリンクも張らずにコピペしてんじゃねーよクズ
お前みたいなのがいるからブログに事件記事書く意欲なくすわ
>>56 そうかも。
その時の当人の反応はどうでしたっけ?
61 :
毛利良勝:2014/02/22(土) 21:49:55.60 ID:7w1Ej1ly
62 :
毛利良勝:2014/02/22(土) 22:24:59.69 ID:7w1Ej1ly
64 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/28(金) 07:42:05.19 ID:YCCY+hTO
>>63
をれも筑紫さんの追悼ムック今手元にあってここから表紙みえるで。調査人には天空の星のひとつじゃけえ。
愛をください
67 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/08(火) 05:56:52.17 ID:k2M+qZlf
68 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/08(火) 23:09:06.00 ID:CqzKWRBc
22
なぎさちゃんの筆箱について
70 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/15(火) 02:20:45.76 ID:Jd4j61Lb
*気になるもの*(検索エンジンで辞書をソートしよう)
・なまえの物語繋がり(男名:まさき(博識で上位の男)ひろゆき(博識で下位の男)
女名:マリ(毬)と たま(玉)他、兄弟で親子)
・ひらがな繋がり(いし:石 意志 医師 意思 ・・・)
・まるい繋がり(たまごとミートボールと・・・)
・羽繋がり(鳥と飛行機と・・・)
・白い繋がり(パンと米と水と卵白と白玉と・・・)
・豆繋がり(コーヒー豆 大豆 小豆 枝豆 そら豆 えんどう豆・・・)
71 :
たける:2015/02/04(水) 17:41:36.09 ID:U8hZjklV
くわしく
72 :
名無しさん@お腹いっぱい。:
そういや コンビニのバイト娘を見染めたトラック運転手の男が コクったけど相手にされず
その家族を本人除いて殺した事件があったな
埼玉県での事件 県警は碌に捜査もしないで犯人自殺という憶測だけで捜査を終了
ところが犯人は生きていた可能性が出てきた
去年 2014年に起こった 中年女性への通り魔殺人で犯人のものと断定された指紋が そのトラック運転手の指紋と一致したんだ
なのにサツは この事件もオミヤにして責任に頬かむりを決め込んでいる
95年の池袋要町の路上で起こった強殺も悲劇的だ バンで野菜を路上販売していた男性が男に白昼 周囲に人がいる中で刺殺され金(五千円)を奪われた
犯人は歩いて表通りのとあるパチンコ店に入店 目撃者がすぐに警察へ連絡した
にもかかわらず 店から出てきた様子もない犯人は未だに逮捕されず 事件はオミヤになった
付近では その後も複数の強盗殺人が行われたが その全てが未だに未解決になっている
犯人はいずれの場合も そのパチンコ店へ入店しているのを目撃している
その店は現在は廃業しているが 警察はその店が犯人を庇い逃走を助けているのを知りながら放置し続けていた