■■■オウム真理教をめぐるTV報道■■■

このエントリーをはてなブックマークに追加
682オウム信者が作った毒ガスは充分な殺傷成分を持っていたのか

. *** オウム信者が作った毒ガスは充分な殺傷成分を持っていたのか ***

「松本サリン事件」:犯行開始時刻よりずっと前から中毒症状自覚者が多数いた!
→ http://www.asyura.com/0403/nihon12/msg/272.html

しかし非常に不思議なのは、サリン噴霧車を使用して毒ガスを放出したとオウム実行犯は供述しているのに、
その再現検証が行われていない事である。
地下鉄とは違って大気中への毒ガス噴霧の場合、上空の気流の状態は噴霧効果に大きく影響するだろう。
気流が速い場合は拡散の度合いが大きくなり、ガスが上昇気流に乗った場合はそのまま上空に達してしまう。
その風向き ・ 風力 ・ 風量などを、信者実行犯の村井はタバコの煙だけで推測したようだ。
さらにサリン噴霧車の毒ガス放出能力の他、噴霧車内操作していた信者実行犯の毒ガス防護装備も疑問なのだが。

.  *** 松本サリン事件の検察側冒頭陳述の部分抜粋 ***

第三 犯行状況、 三 サリン噴霧
94年6月27日午後10時前ころ、裁判所宿舎の西方約190メートルにある駐車場に到着した。 一方村井は
“ 風向きを調べるためのたばこ・ライター “ 等を携行して、同駐車場からサリンを噴霧するのに適した場所を
探しに行き、裁判所宿舎の西方約37メートルにある同市深恵一丁目の駐車場を噴霧場所と定めて、
同日午後10時30分ころ、その駐車場に移動し、

到着後直ちに、防毒マスク用のビニール袋を頭から被り、酸素ポンペからホースを通しビニール袋の中に
酸素の供給を始めた。 一方ワゴン車の中でも被告人らが、同駐車場到着後直ちに
ビニール袋の防毒マスクを頭から被り、被告人が酸素ボンベからホースを通し酸素の供給を始めた。

そして村井は噴霧車の助手席で遠隔操作で、サリン貯留タンクの下についているエアバルブを開けるとともに、
銅製容器の加熱および有圧換気扇の作動をそれぞれ開始して、噴霧装置を始動させた。
すると、同日午後10時40分ころから噴霧車の噴霧口から気化したサリンが “ 白煙状 “ になって噴出し、
噴霧車の周りに立ち込め、同駐車場の東側にある池の畔に生えている木立の上等を通って周囲に拡散された。
村井は、同所で “ 約10分間 “ サリンの噴霧を続けた後、同駐車場から逃走した。
683オウム信者が作った毒ガスは充分な殺傷成分を持っていたのか:2012/05/31(木) 15:08:38.96 ID:GXRg1ocE

第四 サリンの拡散および被害発覚
一 サリンの拡散
村井らがサリンを噴霧した前記駐車場一帯は、松本市の市街地の中心からやや北寄りで、一般住宅、マンションおよび
社宅等が立ち並ぶ閑静な住宅街であり、同駐車場を中心とするおおむね直径400メートルの範囲に居住する住民の数は、
約1860世帯、約4300人である。
94年6月27日の本件犯行前後ころの同市の天候は、同日午後10時40分、西の風、風速1.7メートル、気温20.6度、
午後10時50分、南西の風、風速0.6メートル、気温20.4度、であり、雨量はなかった。
噴霧されたサリンは同駐車場周辺に拡散した後、折からの気候条件の中、同駐車場付近を流れる風に乗り、主として
同駐車場の東方から北方にかけて広がり、村井らが狙いとした裁判所宿舎に居住する住民はじめ付近住民等に到達した。

** 毒ガス噴霧場所付近では約10分間の噴霧とはいえ、加熱ヒーターと放出換気扇の動力は車のバッテリーからであり、
それはかなりの音がしたのではないか。

二 被害の発覚等、
河野義行氏(当44才)は1976年11月ころから、サリンの噴霧場所である前記駐車場北側に接する所在の家屋に、
妻(当46才)および三人の子供(一男二女)と居住する会社員であるが、本件事件当日である94年6月27日夜、
夕食を済ませた後、同日午後10時ころから、自宅一階南側の居間で同妻とテレビを見てくつろいでいたところ、
同日午後11時前ころ、同妻が、突然身体の不調を訴えたため、同妻に横になるよう勧めた。

そのうち自宅の北側犬小屋の方から、不審な物音がしたので屋外に出たところ、飼育していた二頭の犬が
全身を痙攣させて倒れていたのを発見し、当初、誰かが自宅敷地内に毒を投げ込むなどの悪質ないたずらでも
したのではないかと思ったが、居間に戻ると同妻がテーブル付近で口から全身を痙攣させるなどして
仰向けに倒れているのを発見し、同日午後11時6分ころ、自宅から119番通報した。

** 河野氏と同妻や三人の子供達は被害当時、それほど離れた場所に居たという訳ではないのに、同妻だけが重篤な
被害を受けたのは不可解だという指摘がある。  また河野氏は、当時時刻での周辺は静かだったと発言している。
684松本サリン事件の冤罪騒動は真犯人追及のかく乱が目的:2012/05/31(木) 15:13:13.37 ID:GXRg1ocE

1994年6月27日に起きた長野県松本市のサリン事件では、オウム真理教で作られたとされる致死性毒ガスが
大気中に噴霧され、7人が死亡した。 この捜査開始の段階で一人の人物が救急車で運ばれる途中に、
「 除草剤を作ろうとして調合に失敗して煙を出した 」 と話したといって逮捕された。
これは警察からのリークに基づく虚報だったようで大きな冤罪事件となった。 “ しかしこの虚報はどこから出たのか “
→ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E6%9C%AC%E3%82%B5%E3%83%AA%E3%83%B3%E4%BA%8B%E4%BB%B6
松本サリン事件 当時の報道 in松本市 → http://www.valley.ne.jp/~ichinose/kohno_aum.html

このような “ 前代未聞の事件 “ が起きれば、誰もが、別の実行組織による “ 某国の軍用毒ガステロ “ を疑う筈
だが、この冤罪騒動によって、初期段階から真犯人の嫌疑がこの人物に集中したために、それによって、
“ 某国の軍用毒ガス使用の可能性 “ が掻き消されたことも事実だ。
この事件で起きた冤罪騒動の目的として、この真犯人追求の視点を逸らすことではなかったかと “ 強く思われる “。

さらに、嫌疑をかけられたこの人物の初期の言動が、” 意図的に “ 嫌疑を強めるようなことは無かったのか、
あるいはこの人物とは別に、無実とは分かっていたが一旦は強い嫌疑をかけた後に冤罪となるように仕向けた、
組織的謀略の可能性についても考慮されるべきと思われる。

特にこの点について、他の専門家が 「農薬からサリンを合成することなど不可能」 と指摘していたにもかかわらず、
日本の民放テレビ各局は “ 某国の軍用毒ガステロ “ の可能性には全く触れずに、
日本テレビの番組 「ザ・ワイド」 などでは松本サリン事件発生初期から、神奈川大学経営学部教授常石敬一氏の、
「有機リン系の農薬を原因とする神経ガスが発生した」 という発言ばかりを放送していた。
685小沢一郎中国軍野戦司令官、毒ガステロで日本を破壊:2012/05/31(木) 15:28:10.10 ID:GXRg1ocE

.     *** 小沢一郎中国軍野戦司令官、毒ガステロで日本を破壊 ***

政治家や超党派グループの政治資金について厳しい目が向けられるのは、国内企業からの政治献金を受けてその便宜を
図るというのがありますが、もっと大掛かりなのは、外国政府や闇組織からの資金提供を受けてそれに協力するという
可能性もあります。
1994年6月27日に起きた長野県松本市のサリン事件を始めとする、オウム真理教サリン事件を振り返ってみますと、
教祖の麻原とその狂信信者たちの犯行とされています。
それにしては高額な資金を投入して、素人が毒ガスを最初から手作りして “ 立ち入り捜査をかく乱するために “ 、
それが毒ガス散布の動機だということですが、ここでも、その毒ガス製造に係わる資金の調達先は極めて不明です。

この毒ガス事件は、田中角栄を逮捕した当時の政府への親中国派による報復テロである可能性があります。
その実行部隊は北朝鮮の破壊工作機関が担当して、その見返りとして北朝鮮には、

核兵器開発に係わる精密機械や資料の提供、長距離ロケット兵器製造に係わる機材や資料の提供、そして偽札製造
に係わる印刷技術の提供が、日本の親中国派政治家グループによって行われた可能性が極めて高い。
これはその後の北朝鮮の核開発やロケット技術の進展を見ますと、少なからず説得力があるように思います。
この、日本の親中国派政治家グループには、小沢一郎や森喜朗あるいは野中広努らがいるようです。