日本の古代史 Part7

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585出土地不明
わぉ〜わぉ〜わぉ〜

>>554
日本の皇統である神武・卑弥呼のニニギ(丹巫)族が、雲南ハニ族と同祖の「古代の和夷」であった
とすると新嘗祭の神事が、ハニ族の穀霊祭にそっくりなのも理解できます

またハニ族の和夷に特徴的な文化としては、茶王樹を保護して餅茶などの「発酵茶」を生産しますが
列島の中でN1*-LLY22gの分布が多い徳島県では、「阿波晩茶」といった「発酵茶」が今なお残存しています
586出土地不明:2013/01/24(木) 16:44:05.60 ID:AIupIz0b
わぉ〜わぉ〜わぉ〜

>>585
その徳島県には、考古学上全国的にも注目されている「萩原墳丘墓」があり、2007年にその2号墓が
発掘されて新しい発見があったことから話題になりました
http://www.jrt.co.jp/tv/ohayo/2007/0404.htm

「萩原墳丘墓」は、3世紀の弥生末期の墳丘墓でありながら、神武の墓とも考えられる「ホケノヤマ古墳」
と同様に「石積み壁木郭」と「画紋帯神獣鏡」を有し、朱塗りが施されていた

このことから徳島県の「萩原墳丘墓」は前方後円墳である「ホケノヤマ古墳」の祖形であるとみなされており
4世紀以降なってから「北方木郭墓人」が南下し日本列島を侵略したとの説をみごとに粉砕してしまう存在です〜
587出土地不明:2013/01/24(木) 17:00:18.03 ID:AIupIz0b
わぉ〜わぉ〜わぉ〜

>>586
この徳島県「萩原墳丘墓」で使用された水銀朱は、その後のイオウ同位体比分析から国産の朱ではなく
陝西省産の辰砂であることがわかりました

3世紀以前にこの地に入植したニニギ(丹砂)族は、その後徳島県の若杉山で国産種の大量生産を開始し
弥生時代末期から古墳時代初頭にかけての近畿圏での墳丘墓・古墳に使用されたと考えられます〜
588出土地不明:2013/01/24(木) 17:10:58.93 ID:AIupIz0b
わぉ〜わぉ〜わぉ〜

>>587ちょっと修正
「徳島県の若杉山で国産種の〜」

「徳島県の若杉山で国産朱の〜」