日本人はどこから来たんだ?33

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885白馬青牛 ◆RYwvsC45ZhAa
>>861
>>884の続き。
福田中尉殿(司馬遼太郎氏)も、朱子学が大嫌いじゃのう。
http://www.geocities.jp/pilgrim_reader/study/dualism.html
「イデオロギーはそれとは逆で、これ以上ないほどの悪魔的要素を詰め
込まれた概念となっている。それは現実離れした観念主義であり、
固陋な教条主義であり、ファナティックな煽情主義であり、空理空論の
形而上学的思弁性であり、ファナティックな煽情主義であり、過激で
直情的で破壊的な革命主義である。歴史的には、近世の水戸学と陽明学、
幕末の尊皇攘夷と天誅テロ、近代においては左翼(マルクス主義)
と右翼(昭和国家の超国家主義)がこのイデオロギー(朱子学)の
現象形態である。或いは平田国学などもこの系列に含めるべきかも
知れない。」と。 ―朝鮮人による司馬遼太郎の歴史観批判ーも面白い。
http://www.shibano-jijiken.com/NIHON%20O%20MIRU%20JIJITOKUSHU%2033.html
「司馬は、中国の周辺民族達は、この様に頭を削る事で“‘中国の
周辺民族’と言うアイデンティティーを、頭の形で立証した。”と
語った。この様に、同文同種の親族系列である満州族とモンゴル人、
そして日本人が辮髪をしたのに反して、他の種族である中国人は辮髪を
しなかった。然し、唯一韓国人は、同じモンゴル系統でありながらも
中国人と共に辮髪をしなかった。これに対して司馬は、辮髪をしない
韓国人と中国人が自ら‘文明の中心’の中にいると自負しながら、
周辺族たちを野蛮へ追いやったと信じた。彼の眼に、韓国人は、中国と
一緒に“文明の中にいたし、文明の中にいた為、人間”として扱われたが、
日本人は、他の周辺族達と並んで辮髪のアイデンティティーを表示した
為に、‘野蛮’として扱われたと見えた。司馬は、中国人が辮髪しない
ことに対してはさほど反感がなかったようだ。彼が目障りに感じたのは
韓国人だった。人種的にとか言語構造で、モンゴル系統である韓国人は、
どうして辮髪をしなかったのか、司馬は、韓国人が中国に追随する
‘小中華’を自負した為に辮髪をせず、日本人を含んだ周辺族を差別した
と信じた。さらに、この様に韓国人が自らを‘小中華’と見て、‘文明’
の中にいると自負する為に、日本人を‘倭野郎(日本人野郎)’と、
蔑視し、人間以下の扱いをしたと主張した。
‘小中華’を自任した韓国が、中国と一緒に東アジア文明(中国文明)
の陣営にあって、他の陣営にはモンゴル・日本が席を取っている構図が、
司馬の文化分類法だ。司馬が韓国を言及するとき、通例中国と同じ線上に
置いて語る理由が、即ちそんな対比的構図に根ざしている為だ。
中国と韓国を一つの束として処理してしまった司馬の文化分類法で、
韓国はモンゴル族―満州族―日本人として連結される周辺文化に
属さない。
司馬は、イデオロギーという定型化された思想をとても嫌い、機会ある
毎に強調したものだ。彼はイデオロギーが、人間を‘土木機械’のような
奴隷にしてしまうと指摘した。だから司馬は、マルクス主義に目を
そむけ、それと同様に中国と韓国の儒教思想、特に朱子学のドグマを
徹底して批判した。同様に、空理空論を業とする朱子学こそ、中国と
韓国を停滞の泥沼に落とした、観念的な‘虚学’だと規定した。
実際に司馬自身は、日本文化を周辺文化と考えたくなかったし、
むしろ中国−朝鮮文化に対比される騎馬民族の中心文化と強調した
かったようだ。」