日本の古代史 Part3

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113白馬青牛 ◆8mr41B7alChB
>>98-107
ほいから、今回はエーバーハルト氏がツングース文化の影響が強いと
され、穢族のルーツに関連が深く、チベット羌族とも関連が深い
山東についてのブログを挙げとこう。
http://www.rku.ac.jp/~hara/tokushujune17.htm
「山東半島には、殷周交替に際して、太公望呂尚という人物が封建されたと
伝えられている。釣りをしているとき、周の文王と出会った、という
伝説が、現在でも「釣りマニア」をちょっとシャレて「太公望」と呼ぶ
由来なのだが、その子孫である斉の支配者集団は「姜姓」であったとも
されていて、白川静氏をはじめとして、「姜姓」の人々と、現在、
四川省や青海省に生活する羌族との関係を想定される論者は多い。
「姜」「羌」とも羊を含む文字であるから、他集団から見て、羊飼育が
特徴的な人間集団だった可能性は高いといえる。
斉に纏わる伝承のうち、家畜に関連する逸話としては、『尚書』禹貢という
文献(戦国から漢代までに成立したらしい)に、青州(山東半島東部で、
戦国時代の齊の領域の東半分に相当する場所))では「莱夷が牧を作す」と
記されている。」と、西方の羌族羊牧畜民と、東夷の牧畜民が山東に
おった。田斉となって彼らは特に羊飼育民は自然環境破壊から圧迫される
側となる。
「羊は、斉において、余りに一般的家畜であり、しかも為政者にとって、
余り好ましくない存在だったのではないか、という推定が成り立つ。
なぜか。羊は、草を食い尽くす。根っこまで掘り返して食べてしまうので、
頭数が増えると、草原が再生されなくなるのである。今日の中国西北部や、
モンゴル共和国で重大な被害を生んでいる、いわゆる「放牧圧」の問題で
ある。少々ウガッタ見方をするならば、春秋の斉国成立以前から山東半島で
生活していた「「莱夷」のような人々は、同じ牧畜でも牛馬が中心で、
春秋までの斉の国君・姜姓の一族は羊飼育を慣わしとする集団であった
から、その一族を追い落とした田斉にとって、元の為政者につながり
かねない羊飼育を継続しようとする者には、庇護を加えない、という事情が
あったのか、とも想像される。」
 斉(山東)からは、朝鮮へも多くの移民がおったけど、牧畜系は穢貊の
胡族に同化したんじゃなかろうか。
と、云うのも、日本の鳥取の青谷遺跡は穢系要素が強いが羊を描いた
琴板があり、朝鮮で山東で農耕化した連中は楽浪へ、牧畜の羌や夷は、
穢貊胡族へ吸収され、やがて日本列島へ渡来したとも思える。