弥生人が百越人であることは動かない

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514出土地不明:2010/08/05(木) 17:15:12 ID:PFo2ec8j
陝西省咸陽市の子供たち
ttp://www.chbjzx.cn/Upload/p2009033114270696898.JPG
515出土地不明:2010/08/05(木) 22:29:52 ID:U3ckKJ8R
■■■悪の王者『台湾人工作部隊』の卑怯で卑劣で悪辣な工作の手口■■■


@まず日本人のふりをしながら組織で劇団型工作で朝鮮煙幕を炊き付け、
それを自ら叩いて自家発電でもって正義の味方を装う。
(朝鮮人を叩く正義のおじちゃんだ!と、この時点でバカ落ちる)

Aバカがダマサれ切ったのを見計らって、何十年もかけて作り上げてきた
それはそれは高度な誘導用の捏造創作を使って勝手に自分たちの祖先、
長江江南人が渡来したと狂言しまくる。
(バカ、ダマサれ信じ込む)

Bバレかけたら、邪魔な日本人に対して朝鮮人呼ばわりをする卑劣な狂言を
働く事で防衛し、再び@に戻って、A、@、A、@・・・と無限に繰り返す。

Cハイ、直接的関係など何も無い台湾人祖先「江南土人」が日本人の祖先になりました。
516出土地不明:2010/08/08(日) 15:26:46 ID:R5Qh4/ea
河姆渡や良渚については文献が少ないから極力ソースを提示してくれ
517出土地不明:2010/08/09(月) 23:40:44 ID:DyZCVba1
ここが長江流域の古代水田稲作跡研究の総本山だ
http://www.hemudusite.com/home.asp
518出土地不明:2010/08/12(木) 08:30:21 ID:7EJoJXwh
>>513 安本美典はビルマ系江南人と言っているな。
519出土地不明:2010/08/12(木) 10:06:07 ID:VQuz50lD
今のビルマ人の中国での源住地なんかな
そこの米作で人口が増え、国家を作り、習俗が出来、
その後押し出されて流浪、いったん少数民族化し、ビルマで再定着。
520出土地不明:2010/08/12(木) 11:22:52 ID:S0I0Xnsu
全然ちがうぞ。夏休みだから解説してあげるぞ。

ビルマは、チベット族やイ族(ロロ)と同じ系統の文化でシナチベツト語族。ビルマはロロビルマ語群に属する。
中国での源泉地は、甘粛+陝西+四川。これが二方向に民族移動した。
東へは黄河沿いに、南へは雲南を経てミャンマーまで達する。前者が羌族、後者がイ族などロロビルマ人である。
ヒマラヤの南側も近縁のシナチベツト語族。ヒマラヤ語群と呼ばれる。

羌族は、鮮卑族とともに五胡十六国時代に黄河の南側にも押し寄せてきて、旧漢族を追い出す勢力の主力となり
隋唐の王朝の頃には、鮮卑拓跋を盟主とする国を作った。鮮卑の他の部族や羌族の指導者は
鮮卑拓跋に主導権争いで負けたので、王朝の支配者ではなく北部中国の一般住民となった。

ロロビルマ人の農業の基本形は、山の尾根から沢筋に集まってくる水を使い灌漑を行う。
土木技術を用いて、段々畑を作り、古い時代から六条大麦・はだか麦を栽培していた。
森林の水資源を押さえて水利権を確保して、河岸段丘で放牧をする半農半牧の生活をする。
森林限界よりも上のチベット高原だと、遊牧生活となり、チベット族の一部は牧畜専門の遊牧民である。
この遊牧民のチベット族は、一般的にチベット人と呼ばれている集団であり、チベット自治区や青海省ではチベット語を使う。
文字での綴り方はチベット自治区でも青海省でも同じである。

ビルマはもともとカンボジア人と同系のクメール人やチャンパと同系のマレー系の民族の民族が住んでいたが、
9世紀にロロビルマ人が、雲南の南詔国から押し寄せて先住民を追い出してパガン朝を建国した。
ビルマの先住民は、カンボジア人と同系のクメール人が主流であった。
13世紀には、ミャンマーからは先住民が追い出し尽くされて、ロロビルマ人がミャンマー占領が完了した。
こうしてミャンマーの王朝が代々続き、その地域の標準語がビルマ語である。

今までのロロビルマ人の歴史は、雲南では雲南テン王国→烏蛮白蛮→南詔国→大理国の形でシナ王朝と朝貢関係を保ち続け
モンゴル帝国によってシナ王朝に一体化がされた。その後は大理国の王侯が現在の県単位ぐらいに分解されて
世襲の土司・土官として統治を任されていた。

ロロビルマが流浪の民となったことはなく、組織的に軍事行動をとって先住民を追い出して国家建設を行ってきたといってよいであろう。
521出土地不明:2010/08/12(木) 11:41:50 ID:VQuz50lD
>>520
ど素人にくわしい解説、ありがとうございます。
それにしても詳しい。

羌族、イ族と近い、南詔国経由など初めて知りました。
522出土地不明:2010/08/12(木) 11:53:08 ID:S0I0Xnsu
続きも書いておきましょう。
江南の住民は主に二つのグループがあります。

一つ目は、中流の湖北省や湖南省には、秦によるシナ統一までの期間には楚という大国があった。
秦を滅ぼしたのは元が楚国の住民で、貴族層の出身が項羽である。
この民族グループは、ミャオ・ヤオと呼ばれる。だいたいミャオ・ヤオ語派と呼ばれる言葉を使う。
この中に今のミャオ(苗)族とよばれる流浪の民がいて、ミャオ・ヤオ語派の言葉を話すものは
世界中に2000〜3000万人いると推定されている。
農業の基本形は、焼畑農業であり、陸稲がローテーションに入る大麦・ソバ・粟・黍などの栽培。

二つ目は、下流に住んでいたが、今でもシナに残っているのは、タイ・カダイ語族のタイ系民族である。
農業の基本形は長粒米であるインディカ種の水稲を栽培、水源は平地を流れる川である。
山間地に住んでいる場合は、焼畑農業も混ぜて行われる。
タイ系民族も南詔国→大理国の頃に国家形成に参画しており、やがてモンゴル帝国の時代を迎える。
13世紀に北部タイランドに、タイ系民族が南下してきて、スコタイ王朝やアユタヤ王朝を建国する。
この地域の先住民の主流は、クメール人である。

その後もタイ系民族の南下は続いて、バンコクまで到達し、マレー系の先住民を追い出していく。
タイ系民族は、交易などでスマトラ島にまで足を伸ばすが、自分達がタイランドから追い出したマレー系住民が地盤を固めていたので
版図に組み入れることはできず、大規模な軍事行動を起こすことはなかった。
マレー系民族は、マレー半島とスマトラ島、そしてバリ島やジャワ島、西部のボルネオ島などでも地盤を固めて
現在のマレーシアやインドネシアの元となるマラッカ王国やマジャパヒト王国を建設するのである。
523出土地不明:2010/08/12(木) 12:07:54 ID:S0I0Xnsu
そして、最後にチャンパ=チャム族を追い出した民族について。
これは、現在のベトナムの主力、キン(京)族。
そう。20世紀のベトナム戦争トンキン湾事件を漢字で書くと、東京湾事件となる。

この民族は古くは安南と呼ばれていて、ハノイのあたりに住んでいた。
南のほうは、チャンパというマレー系の先住民がいた。
これも、キン(京)族が南下してきて、呑み込んでしまった。
ベトナム人も南のほうでは、ハノイと違った言い回しや隠語があるのは何か理由があると考えられているが
それがチャム族由来なのかは、ベトナムの地域研究をしている人に任せたいので、ここで私は言及しない。

チャンパの支配層は、海南島やカンボジアに逃げていることが確認されており、
今でもチャム語を使って生活している。
マレーシアやインドネシアに逃げたチャム族は、チャム語がマレー系の言語ということもあって
発見がしにくいので、どこへどう渡ったかはっきりしていない。
チャム族が駐在していたマラッカもその後の歴史の渦に巻き込まれ、チャム族がどうなったかわらない。
524出土地不明:2010/08/12(木) 12:51:39 ID:S0I0Xnsu
東南アジアとシームレスに思考すると、民族移動は非常にわかりやすい。
ここまでの解説で、まだ中国沿海部で解説していない空白地帯があることに気づいたあなたは鋭い

そう、呉という地域であり、江蘇省や安徽省といった地域についてだ。
グループ分けをすると、漢語でも、江准話とか呉話と呼ばれる言葉を話す人達についてだ。
呉話の広域通用語は、上海語である。
これらは、華南の福建語や広東語の人達のように
タイ・カダイ語族の人が漢民族に合流したとは考えにくい性格がある。
かといって、ミャオ・ヤオから合流してきた勢力とはちょっと似ているが、また違う。同じではない。

古い漢民族が河南省を追い出されて南下した勢力にはいろいろあり、客家もその一つで
古い漢語の形態をたくさん残している。
江准話は、古い漢語と呉話のハイブリッドなのか? とりあえずそうしておくことにしよう。
では、呉話とはもともとどういう集団の言葉だったのか? そこが問題となってくるところだ。

呉という古代の国は、南の浙江省や福建省のタイ系民族の越を支配していたが、楚という西の大国に呑まれてしまった。
五胡十六国時代に、河南省を追い出されて南下した古い漢民族も合流してきている。
一体江蘇省や安徽省に、古くから住んでいた人達=呉人とは、どういう人達だったのか?
素直に考えれば、古い漢民族と同じで地元ピープル=ジモピーというだけでしょ? この地域から漢の劉邦もでているわけだから。
洛陽で覇権を握っていた人達が、戻ってきただけだよね? ................ ということで落ち着いているわけ。

いや浙江省とかもあわせて考えると、浙江省は越の人達ばかりじゃないじゃないではないか?
なんか呉人がいたのではないだろうか? 特に支配層は呉人じゃなかったのか? 呉人の本当の姿を推定できるんじゃないのか?
なんてことを、肝心の中国人が関心を持ってこなかったんだけど、最近経済発展してきて、科学的手法によって
何かルーツが探れないだろうか?ということになってきた。あんまり上海の人達は、期待してないみたいだけどね。
525出土地不明:2010/08/12(木) 16:37:58 ID:CBhYmKlI
上海人は後漢や三国志の時代の漢民族だったという自負があるから
占城のチャム族だったとか、mtDNAがチャム族と同じとかされたら
めちゃくちゃ怒ると思われ。
526出土地不明:2010/08/12(木) 16:51:19 ID:+pc3z+4N
いやぁ、中じゃ俺が本物龍の子孫とか色々遊んでんだろw
527出土地不明:2010/08/13(金) 07:39:01 ID:qpBn3/QK
>>524
>呉話とはもともとどういう集団の言葉だったのか?

呉が有った長江河口で良渚文化(BC3,500~BC2,200)を築いたのは、
オーストロネシア語系 Y-O1 らしいね、以下の英文記事だと、

良渚文化, Lingzhu Culture sites、56カ所の human remains から
5 SNPs from the Y chromosome, つまり Y遺伝子(関連)を抽出するのに
成功したと書いてある。良かったら、この記事に入ってみて。現代上海人には
他の地域より高率でY-O1が残っているので良渚文化の残存Yだと思われ。
良渚文化は、BC2,000年頃、北方から南下した勢力(Han?羌?苗?)に
滅ぼされたり、後の春秋戦国時代に越 Y-O2a に蹂躙されたので、
現代上海人は Y-O2a + Y-O3系 + Y-O1。
BC 2,200 年, 良渚文化が滅んた時、言語は Y-O1 オーストロネシア語から、
別言語に置換されただろ。良渚文化の後地が戦国時代に「呉」だった頃、
南岸の 越 Y-O2a にヤラれて(BC473), こんだオーストロアジア語へ置換。
次に 越 が 楚 にヤラれて、多分、長江河口一帯は、楚 のHmong-Miean 語に
転換。秦による国土統一で、最終的に Y-O3 Sino-Tibetan語へ転換。
くるくる変わりまくり。
英文Wiki とか Confucius Institute だと、そもそも Y-O1オーストロネシア語は、
スンダランド〜海南島の Daic 族に発祥して、台湾、マレー、インドネシアへ拡散。
別派は、海南島〜華南〜長江河口へ上陸、先住民の Y-O2a オーストロアジア語族を
南方へ押しやったと書いてる。(春秋時代に、しっかり越に復讐された)

http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/17657509
528出土地不明:2010/08/13(金) 08:04:01 ID:4yrfkSCU
状態が良ければ4千年前位でも抽出できるんですね。
あんまり変なのが出ない事を期待しましょう。
529524:2010/08/13(金) 09:07:35 ID:zsopF71w
>>527
オーストロネシア語であるということは、近いところでは台湾の高山族/高砂族。
アミとかタイヤルが鉄器などの高度な文明を持ち、母系社会だった。
社会学的な調査によれば、アミは日本統治化になるまで母系相続の社会だった。
この事は、高山族の先祖がミャオ・ヤオの影響下にはなかったという可能性がある。

台湾語には、オーストロネシア系の高山族とタイ・カダイ系のの言語から入った漢羅という固有単語がある。
だから、高山族はタイ・カダイ系例えば海南島の Daic 族である黎族との関係が何かあると考えられている。

同じ台湾の漢語でも、客家話にはその漢羅は流入していない。
台湾の客家から高山族に嫁いだ女性はきわめてすくなく、国語(漢語普通話)教育がされる前の
高山族の使っていた漢語は福建語から派生した台湾語であった。
台湾語にだけ漢羅が流入しているのは、台湾語が福建人と高山族の人的交流によってできたものに間違いない。

この前提にたてば、現代高山族のオーストロネシア語から福建語の要素を除去すれば
元の高山族言語が推定でき、そこにタイ・カダイ系の要素が入っているのか否かも推定できる。
どうやら、元の高山族言語には入っていないで、福建人がもともと持っていたタイ・カダイ系単語ということになりそうだ。
大陸で使わなくなったタイ・カダイ系単語が台湾で保存されていたと結論を出してしまうと
高山族の先祖がミャオ・ヤオの影響もタイ・カダイの影響も受けていない時期に台湾へ渡ったことになる。

高山族は16世紀には製鉄も行っていた。1600年前の4世紀静浦文化が高山族との継続性があると考えられている。
4世紀といえば、五胡十六国&東晋時代。その時代に浙江省や福建省から台湾に渡った可能性が高いようだ。
530出土地不明:2010/08/13(金) 09:44:43 ID:qpBn3/QK
>>528
>>529
レス、どうも有り難うございました。

SF〜成田 間の飛行機の中で高砂族の御高齢のオバチャンと相席に成り、
日本語で話した事あります。御子息一家がSF在住だそうです。ともかく
オバチャンの奥ゆかしい日本語にコッチは、たじたじ。
すごく頭の良い人達なんですね。
531出土地不明:2010/08/13(金) 09:57:58 ID:zsopF71w
復旦大学というのが、いまいち信用ならんなぁー。
上海交通大学とならんでデータ捏造問題の発覚が多い。
上海交通大学のほうは実験資材盗用までからんで刑事訴訟沙汰まで起こしている。
外国文献からもあまり引用されてないものは、信用されていないとみていいから、逆リファレンスするといい。

日本人も、あんまり上海と韓国は信用してないからね。
良渚文化=オーストロネシアは、まだダウトでいいや(笑)
532出土地不明:2010/08/13(金) 10:50:43 ID:4yrfkSCU
社会科学院が束ねてんのか?まともな国は近くにないですねw
外堀から眺めるくらいしか。
533出土地不明:2010/08/13(金) 11:43:27 ID:qpBn3/QK
復旦大学も上海交通大学も信用できないのね。
八重山諸島に集積してるY-O2bの古郷が、まさか良渚やカボトじゃないでしょね。
Y-O2a と Y-02b って多分、同じ頃、そう遠くない場所で産まれた。
それなのに、Y-O2a は、南越やインドネシアの他、中国南部などに
現代も大勢残ってる。だけど Y-O2b は生まれ古郷から完全犯罪で
消された。Y-O2bが八重山諸島に、あんな高率で集積してるって事は、
海流から見て必ず古里は南方のハズ。誰よ、何よ、Y-O2b の故郷を
完全犯罪で消し去ったのは! 
534出土地不明:2010/08/13(金) 12:21:37 ID:yGLdUq73
>>522 >>523 >>524
重ね重ねありがとうございます。
小さい脳が飽和しそうです。
535出土地不明:2010/08/13(金) 13:02:33 ID:zsopF71w
オーストロネシア系のアミとかタイヤルそして平埔族(番仔園文化、十三行文化)が
4世紀に台湾に鉄器を携え上陸して、先住民を皆殺しにしているっぽいね。
矢が刺さった跡のある古人骨がいぱーい出てくる。
台湾は島だから、追放された側は海の藻屑となるので痕跡が残らない。

>>533
河姆渡や良渚の文化はタイ系の文化に引き継がれていく感触がありますね。

>>534
どういたしまして。
536出土地不明:2010/08/13(金) 16:48:48 ID:zsopF71w
>>533
遼東半島の大嘴子遺跡 これが弥生人の稲作の原型でしょう。
土木の方式や短粒米の水稲粳米であることを考慮すると
大嘴子が、弥生人の「古郷」として有力です。

河姆渡や良渚は、弥生人の稲作とは別の型であると考えられています。
出てくる炭化米は殆ど長粒米の水稲粳米です。
537出土地不明:2010/08/13(金) 20:07:09 ID:sMk1EejL
品種:楊家圏遺跡(中国山東省)→5300年前 ただし水稲であるか不明
土木:大嘴子遺跡(中国遼寧省)→3000年前
   松菊里遺跡(韓国忠清道)→2900年前 弥生−松菊里同時進行論へ
なんと韓国から伏兵が!
家瓦遺跡(韓国忠清道)→4700年前 やはり水稲とは確認されていない
538出土地不明:2010/08/14(土) 05:31:16 ID:C7T5/rFw
>>536
どうも有り難うございます。
その「大嘴子遺跡」人の故郷は何処でしょう?

Confucius Ins. の歴史フォーラムだと、長江河口の先住民は
オーストロアジア人 Y-O2a だと言ってる。ここに隠し事があるwww。
Y-O2系は、Y-O2a も Y-O2b も 両方とも中国海岸添いで漁業/交易に
従事する水辺民だったのよw。Y-O2aは主に長江南辺。Y-O2bは主に長江北辺。
そこへタイ系農作民が華南から北上して、水辺民のテリトリーを奪い、
良渚文化を築いた(BC 3,000~BC 2,200)。Y-O2aは南へ逃亡して越人に。
Y-O2bは北へ逃亡して山東省か遼寧省か東北地方で半漁半農民に変身。
遼寧で大嘴子遺跡人となった一派は米食してエネルギー倍増、故郷の
江蘇省へ再び南下して勢力拡張、これが春秋時代の例の江蘇省・弥生人のホネ。
さて、弥生系Y-O2b1の中に、越人と仲良しの一派がいた。自称「呉の太伯の末」。
良渚文化によって海岸を奪われた時、越人と一緒に南へ逃げた。江南へ、
インドネシアへ、八重山諸島へ。彼らは南方で引ったくった神話と語彙を
携えて黒潮に乗って北上し、新天地の日本で縄文人と混血、漁労交易倭人と
成った。一番、儲かったのは多分、大陸/半島の逃亡/開拓民を
運ぶ human trafficking 業. でも櫓を漕ぐって手がダリ〜い。
喉は乾くし舟は沈むし。やがて自らも半農民化して水田稲作に参戦。
元より海洋縄文人と相性が良く、陸地でも良く混血し、どちらもネズミの
様に人口増殖して、Y-O2b1a + Y-D2 を主流とするヤマト民族と成った。
ちゃんちゃん。
539出土地不明:2010/08/14(土) 06:17:46 ID:JSXJ1ew9
一番すっ呆けてんのはD系だろw
540出土地不明:2010/08/14(土) 08:08:39 ID:C7T5/rFw
D系は、おそれ多くも朝鮮半島を侵攻、洛東江河口に東三洞縄文コロニーを
築いた朝鮮半島の先住民の一派なんだお。河口から北上、新羅盆地の先住民となった。
朝鮮半島に遼寧から弥生人がアメ降って、水田稲作時代が始まったら、
さっそくDが種モミを買い付けて、菜畑の縄文人に売って儲けた。
列島倭人がタバナ国から新羅へアメ降って新羅4代目の王様に成ったてのも
Dか、Dの混血だろ。Dが、家内安全交易ルートに精通してて、列島倭人と
半島弥生人の交流を先導したのよ。
541536:2010/08/14(土) 08:39:27 ID:T+94hjdE
Confucius Insって孔子学院のことで、東京にはこんなのがあります。
ttp://www.waseda.jp/wci/
この大学と孔子学院の関わりはこのあたりから始まっています。
ttp://www.waseda.jp/jp/news98/981128k.html
これらの孔子学院は新儒家という学者によって指導されている。
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E5%84%92%E5%AE%B6

新儒家の研究は、史書と出土遺跡との突合せという
従来からよくある研究スタイルから逸脱してませんか?
542出土地不明:2010/08/14(土) 08:45:59 ID:oYGN3nHr
(6)山東半島の楊家圏遺跡(紀元前2,300年)の焼土中の籾粒は
日本の在来の稲品種によく類似したが、
遼東半島の大嘴子遺跡の炭化米は短狭粒で、
韓国の松菊里遺跡(紀元前500年)、あるいは日本の北部九州の古代稲粒の
いずれとも異なるものであった。
このことから、稲作が朝鮮半島の北から内陸を南下したとは考えられない。
http://kaken.nii.ac.jp/en/xmlb.cgi?o=0&i=70250355
543出土地不明:2010/08/14(土) 09:06:11 ID:C7T5/rFw
>>541
孔子学院(Confucius Institute)の名称は、西ドイツが各国に設立した,
Goete Institute をパクッたんだと思う。ゲーテと孔子。過去の偉人の名を
冠したプロパガンダ機関。「ゲーテ」の方はドイツ語を教えたりして、割合
人畜無害。一方、「孔子」の方は、中国共産党の歴史観を広宣するから、
早稲田は、大学の中に孔子学院なんか入れるべきでない。媚中アホ。
544出土地不明:2010/08/14(土) 09:11:20 ID:T+94hjdE
>>538
オーストロアジア人とは、カンボジアなどにいるクメール系の人達です。
確かに、土木技術や農業技術にはタイ系と似たものを現代に引き継いでいますが
内陸では焼畑農民で、ミャオヤオ系のものを引き継いでいるクメール系の人達もいます。

クメール系が、タイ系やミャオヤオ系から追われたのは間違いないでしょう。
ただ、山東省か遼寧省の領域については、それらと同じ源流なのかどうかわかっていないのです。
それを分子生物学だけで補完するのはどうかな〜
545出土地不明:2010/08/14(土) 09:38:00 ID:C7T5/rFw
>>542
どうも有り難うございます。勉強させて下さって感謝します。
「山東半島の楊家圏遺跡(紀元前2,300年)の焼土中の籾粒は
日本の在来の稲品種によく類似した」んですね。それって、伊勢神宮の米が
斉の国から来たと言う言い伝えと重なる。。。きっと山東半島から来たんだわ。

「遼東半島の大嘴子遺跡の炭化米は短狭粒で、韓国の松菊里遺跡(紀元前500年)、
あるいは日本の北部九州の古代稲粒のいずれとも異なるものであった。」んですか。
すると日本の弥生式稲作農具は遼寧〜松菊里型と言われてるけど、矛盾しますね。

それとも山東半島・楊家圏遺跡〜遼寧・楊家圏遺跡〜朝鮮・松菊里、と
同じ農具の伝播があるのでしょうか。松菊里型の特徴と言われる、
イロリの両側に一本ずつ柱穴がある竪穴式住居、あれアチコチの日本の
弥生遺跡にも流入しています。松菊里人と同じ文化を持つ弥生人が何処からか
来たと思います。あのイロリ両側柱穴の竪穴式住居が、山東半島と遼寧の
遺跡にも有るのか知りたいですね。どこに発祥しているのか。
546出土地不明:2010/08/14(土) 09:54:06 ID:T+94hjdE
>>545
稲の品種はもともと日本にも陸稲があったので、水田耕作とは切り離すべきでしょう。
稲の品種で伝播ルートを探るか、畦畔などの土木で伝播ルートを探るかの違いで
それぞれセットで伝播してくるとは限らないでしょう。

あと楊家圏遺跡はまだ発掘進行中なので、全貌がまだわからないですよ。
547出土地不明:2010/08/14(土) 10:12:36 ID:C7T5/rFw
>>546
>稲の品種はもともと日本にも陸稲があったので、水田耕作とは
切り離すべきでしょう。稲の品種で伝播ルートを探るか、畦畔などの
土木で伝播ルートを探るかの違いで、それぞれセットで伝播してくるとは
限らないでしょう。

わ!目から鱗が落ちた!タオル、タオル!
発想の転換て、大事だなー!
すごい事、勉強させて頂きました。有り難うございました。
548出土地不明:2010/08/14(土) 10:24:12 ID:T+94hjdE
>>538
>Y-O2aは南へ逃亡して越人に。
>Y-O2bは北へ逃亡して山東省か遼寧省か東北地方で半漁半農民に変身。
前者はあんまり機動力を持たないから血統的な痕跡を残しているが
後者は水軍や騎馬民族のような高機動力の集団ならば
血統的な痕跡を残さないのが普通です。全部が逃げ切ってドロンできちゃう。
では、インドネシアやベトナムにいるとされる末裔は水軍か何かですか?

遼寧省のほうは時代的に古くから研究が進んでいるので
どんな機動力を持っていたかも気になりますね。
山東省と遼寧省は、比較的海運保険料掛け金が低い海域である
黄海の中で移動できちゃうわけで、ここで水軍の組織力を構築して大挙して
日本列島に来たと考えられるわけです。
549出土地不明:2010/08/14(土) 10:43:11 ID:T+94hjdE
タイ系、ミャオヤオ系、クメール系ときてもう一つ江南の文化で忘れている集団がありませんか?
そう、マレー(オーストロネシア)系のチャンパ・チャム族です。
江戸時代の御朱印船はどこへ行っていたか知っていますか?
朝鮮だけではありませんよ。ベトナムにも行っており、チャンパの住んでいた中部ベトナムです。

チャンパは母系相続なので、血統の追跡方法が違ってきます。
《天空の城ラピュタ》のドーラ一家のようなものを想像していただければ
何となくイメージできるのではないでしょうか?
550出土地不明:2010/08/14(土) 10:43:43 ID:C7T5/rFw
>>584
水軍説は メッ!
途中の朝鮮半島で水車を作ってから言ってよね。
櫓を漕ぐ明け暮れ〜 大陸難民開拓民をイパ〜イ朝鮮半島南部へ運んだの。
日本へ行きたい人は日本へ運んだの。扶餘の難民自称王族を馬韓へ運ぶ話は
大バクチだった。扶餘の王様ってのが内陸民で、初めて舟に乗ってゲロばっか
吐いてオラの舟、汚しまくって。船賃も上陸したら倍額払うと言ったのに
払わなかった。オラこんな仕事いやだ、倭国へ行くだ、倭国へ行って農民に
なるだ。ついでに無賃乗車した扶餘王への腹イセに、半島腐女子を引っ張って
倭国に売るだ。
551出土地不明:2010/08/14(土) 10:45:12 ID:C7T5/rFw
>>584は、>>548の間違いでした、orz。
552出土地不明:2010/08/14(土) 11:28:42 ID:T+94hjdE
水軍説を捨てれば、長江北辺の河口起源も一緒に捨てないといけない。
稲作民はドロンしきれず、タイ系民族に拘束されていなきゃいけない。
よって機動力は、水田稲作とは別の集団が持っていたことになるので、水軍と稲作民は別勢力に分離できる。
水軍は日本列島だけに残留して、大陸や半島からはドロンし尽くしてもいいわけですよ。
弥生人は朝鮮半島にも遼寧にも残留しててかまわないのです。

チャンパの水軍と遼寧あたりの水軍は全く別系統で、弥生人江南起源説はきれいさっぱり捨てましょう。
553出土地不明:2010/08/14(土) 11:49:17 ID:T+94hjdE
human trafficking 業 つまり跡形もなくドロンできる集団

ttp://www.geocities.jp/tyuou59/tanada.html
新思索社「長江文明の探求」
ttp://img.asiantown.net/members/37448/miyaozokuA-0031.jpg

http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1263883002/67-68
これが気になるわけだ。
ttp://www.youtube.com/watch?v=kKO-uGTm7Js
554出土地不明:2010/08/14(土) 12:07:13 ID:T+94hjdE
晋代に麗江に伝播していた突厥シャーマニズムは
唐代には、サルウィン川水系にまで伝わっているわけだ。
ttp://zgys.ccots.com.cn/2010_1/1_13/5kzqg4dpy0zo_3_0.htm
ttp://zgys.ccots.com.cn/res_base/upload/article/image/2010_1/1_13/af7zg4dpxpby.jpg
555出土地不明:2010/08/14(土) 12:30:34 ID:PFa5JAFm
人と文化が一緒に移動するってのが前提の議論に意味あんのかね?
明治維新なんて西洋文化を持った西洋人が押し寄せてきて日本が乗っ取られたってことに成りかねない
556出土地不明:2010/08/14(土) 13:55:34 ID:gHzleNFu
>>555 奈良時代に漢字、漢文、仏教が日本に入ってきたこともシナ人が日本を乗っ取ったことではないしな。

 それを朝鮮人は朝鮮人が日本を乗っ取ったような法螺を吹く。
557出土地不明:2010/08/14(土) 18:00:28 ID:T+94hjdE
文字とイラストで文化が伝達できる時代なら
人が来たのか資料を輸入したかわかるんですけどね。
6世紀より前はどっちのケースか分類できないんですよ。
558出土地不明:2010/08/14(土) 21:59:02 ID:PFa5JAFm
分類できないと言いつつ自分の創作ストリーに都合のいい方の立場に立った書き込みばかりなんだけど
559出土地不明:2010/08/14(土) 22:26:17 ID:NMg9qhq4
こういうふうにハプロタイプを決め付けているLUNAMASKみたいなのは電波工事だな。

> 良渚文化を築いた(BC 3,000~BC 2,200)。Y-O2aは南へ逃亡して越人に。
> Y-O2bは北へ逃亡して山東省か遼寧省か東北地方で半漁半農民に変身。
まず、良渚文化の遺跡の形式と遼寧省の遺跡の形式に共通性があるのか?
そして、遼寧省では本当に半漁半農の人が住んでいたのか?

> 遼寧で大嘴子遺跡人となった一派は米食してエネルギー倍増、故郷の
> 江蘇省へ再び南下して勢力拡張、これが春秋時代の例の江蘇省・弥生人のホネ。
遼寧から江蘇に南下した人達は本当にいるのか? 民族移動といえるレベルなのか?

> さて、弥生系Y-O2b1の中に、越人と仲良しの一派がいた。自称「呉の太伯の末」。
> 良渚文化によって海岸を奪われた時、越人と一緒に南へ逃げた。江南へ、
> インドネシアへ、八重山諸島へ。彼らは南方で引ったくった神話と語彙を
> 携えて黒潮に乗って北上し、新天地の日本で縄文人と混血、漁労交易倭人と
> 成った。一番、儲かったのは多分、大陸/半島の逃亡/開拓民を
> 運ぶ human trafficking 業. でも櫓を漕ぐって手がダリ〜い。
呉の太伯は、西周の姫姓姫氏であって、河南省の漢族ではないのか?
これを自称するやつらが、なぜ百越と仲良しなのか? ただの支配者だろう。
インドネシアに大人口が住むようになったのは、12世紀以降ではないのか?
弥生時代の戦国末期や前漢の時代に、当時の航海術で八重山に渡れるのか?

> 喉は乾くし舟は沈むし。やがて自らも半農民化して水田稲作に参戦。
> 元より海洋縄文人と相性が良く、陸地でも良く混血し、どちらもネズミの
> 様に人口増殖して、Y-O2b1a + Y-D2 を主流とするヤマト民族と成った。
> ちゃんちゃん。
どんな同盟関係があったのでしょうか? 海洋の水軍を操るのは
粛慎もその一つだけれど、佐渡に現れたみしはせびとを当時の日本人は
非常に警戒している。
560出土地不明:2010/08/14(土) 23:05:26 ID:ugAYLUAC
ID:PFa5JAFmがID:C7T5/rFwの相手をしてやれ
決定的に学習方法を知らなすぎるからトレーニングしてやれ
561出土地不明:2010/08/14(土) 23:39:40 ID:PFa5JAFm
その娘だけの問題じゃない
562出土地不明:2010/08/15(日) 04:47:48 ID:L6GIZvZd
>>559
うわ〜読んでくれたんだ! どうも有り難う。
ついでに、も一回 >>527 と >>538 を読んでくれる?
カキ氷バケツ一杯、食べてからね。
その質問リスト、脳内溶解するから。
563出土地不明
┐( ̄ヘ ̄)┌ ヤレヤレ