黒潮文化圏

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1出土地不明
黒潮に乗って流れてきた文化や文物はどんなものがあるの?

漁労文化はかなりそうじゃない?

黒潮文化圏の広がりはどれくらいだろう
2出土地不明:2009/07/28(火) 02:39:16 ID:JjlsEDEy
韓国ゴミ
3出土地不明:2009/07/29(水) 12:53:15 ID:9us4iNT+
反流でながれつくが、妄想を南にながすなよ。
4出土地不明:2009/07/30(木) 01:15:25 ID:ZeLV2cYe
九州の彩色古墳って、貝輪とか船の絵とか、同じ古墳でも
土饅頭古墳とは全く違う、黒潮文化と思っているが、、、
5出土地不明:2009/07/30(木) 11:34:39 ID:5r7x460I
エジプトの民だよ
6出土地不明:2009/07/31(金) 00:57:56 ID:ErM2GjS6
フェニキアかもしれんな
7出土地不明:2009/07/31(金) 08:24:56 ID:hxt6VAr6
フェニキアの船ならアメリカにだって行くことが出来たらしい。
実際に行ったかどうかは分からないが。
たまたま日本に漂着したフェニキア船の一行が食料と引き換えに、
スサノオ達に武器を与えるか、傭兵として働いた可能性もあるなw
8出土地不明:2009/07/31(金) 10:53:38 ID:tOj53AX+
日本人ももっと縄文人の研究進めろよ。韓国の連中は極端としても日本人ももっと
大胆な仮説があってもいいんじゃないか
9出土地不明:2009/07/31(金) 11:41:39 ID:xIzwjbOZ
縄文人のDNAを調べると、たしかに2万年前頃には中東にいた人々らしい。
10出土地不明:2009/07/31(金) 17:38:13 ID:/89ZGf05
>>8
縄文土器は世界最古だとか、
縄文人はアメリカにまで行っているとか
三内丸山では栗やヒエを栽培していたとか、
大胆な説は沢山ある(^o^)
11出土地不明:2009/07/31(金) 19:58:04 ID:ErM2GjS6
栗の栽培はしてたろ

接ぎ木した栗の木が見つかってなかったか?

たしか等間隔で植えられていたと思うが

12出土地不明:2009/08/01(土) 19:04:32 ID:EK4zTmb0
>>10
マレーシアの歴史博物館で縄文土器が出てた。
シベリアにも広がってるし、縄文土器って結構世界的なものみたい。
13出土地不明:2009/08/02(日) 00:20:49 ID:k5Cn92IQ
スンダランドだな

14出土地不明:2009/08/02(日) 12:07:19 ID:qfKVYC/v
>>1 日本のダンジリ、山鉾巡業の起源はインドにあるらしい。

 鳥居もインドにあるらしいな。ヤマタノオロチ退治伝説もインド、東南アジアにある。

 だいたい大蛇など南方にしかいない蛇だ。
15出土地不明:2009/08/03(月) 17:52:39 ID:NxGNnASn
蛇はよ、寒さに弱いw

北方、シベリア系のもんじゃない。毒も強烈なやつもあるでw
まさか半島から持ち込んだとは言わんよな。
16出土地不明:2009/08/04(火) 11:15:53 ID:fU11Nbsq
やまたのおろちとか、インドにならリアルにいそうだよな

17出土地不明:2009/08/04(火) 23:35:10 ID:/Z4ymqA0
>>16 インドよりボルネオ、スマトラあたりの密林の方が現実味があると思う。
18出土地不明:2009/08/04(火) 23:45:17 ID:4JzxqoW9
>>14
鉾は支那起源、ヤマタノオロチは洪水伝説
それとアオダイショウでも2mぐらいなるぞ。
19出土地不明:2009/08/05(水) 14:56:14 ID:DB7WJJDk
>>18
祭礼 [編集]
年に1度のラタ・ヤーットラー(山車の行進)の機会には、ジャガンナート像を載せた山車(ラタ)が寺院から出されて
寺院前の大通りを練り歩く。高さ数メートルにも及ぶ巨大な山車にひかれて死ぬと極楽往生ができるとかつて信じられていたため、
実際に行進する車輪の前に身を投げ出す信者が後を絶たなかったという。
そのためイギリス植民地政府によってこの「飛びこみ自殺」の禁止令が出された
(大阪・吹田市の国立民族学博物館にはこの山車の巨大なレプリカが展示されている)。

また このラタ・ヤーットラーが京都の祇園祭の原型になったとも言われている。

by wikipedia
20出土地不明:2009/08/06(木) 12:09:32 ID:iUIWZSQ6
ヘビは南極を除いて北極まで世界中に分布している。



分布 [編集]
南極大陸を除く全大陸。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%93


21出土地不明:2009/08/06(木) 12:29:19 ID:WW0A+HRU
インドのダンジリは日本のものより巨大で装飾も立派だ。

 もしかすると稲作と同時にタミル人が持ち込んだ祭りではないか?

 しかし祭神のジャガンナートという奇妙な神像が伝わっていないな。
22出土地不明:2009/08/06(木) 12:37:03 ID:iUIWZSQ6
>イルクーツクのマリタ遺跡からは、2万3千年程前の マンモスや蛇と螺旋状の点刻のある
プレート(お守り?)が出土しています。

ありがとうございます。
自分でも検索してみました。
シベリヤ少年兵の記録
http://www.tcct.zaq.ne.jp/bpcha702/sub8-4.html
中には蛇捕りの名人も居て、此れは料理して居るのを見ました。
鮮やかとしかいい様が有りません。首の所を折って一気に皮と骨と
内臓を取り除きます、透き通った綺麗な身だけに成ります。
此れをストーブの上で焼くのです。鰻を焼いて居る様な良い匂いが
部屋中に漂います。これ程殺生な事は有りません。ごくりと生唾を飲むと
言うのはこの時の状況でしょうか。空きっ腹を抱えた私達に其の良い匂いは、
堪らないですよね。

蛇はいたみたいですね。
所でhttp://www.kahaku.go.jp/special/past/japanese/ipix/2/2-07.html
では蛇が信仰の対象になっていた可能性もありますね。
23出土地不明:2009/08/06(木) 12:46:22 ID:WW0A+HRU
>>20 アナコンダやボアみたいな大蛇がシベリアにいるんか?
24出土地不明:2009/08/08(土) 21:17:29 ID:sqZG1+Vk
蛇をハミとも言うけど、沖縄のハブと元は一つの言葉から分化したものらしい。

参考文献:【縮刷版】日本民俗辞典 大塚民俗学会編集 弘文堂
25出土地不明:2009/08/11(火) 22:38:32 ID:N8f5P5To
南島方面の入墨は有名であり、とくに精巧をほこったとされる。
魏志倭人伝では倭人の男子は大小となく黥面文身するとあるが、文身は或いは左にし、
或いは右にするとあるから腕とか手首に入れ墨したと思われる。
ここにおいて、古代日本でも南島方面と同じく入墨があったと思われる。

参考文献:【縮刷版】日本民俗辞典 大塚民俗学会編集 弘文堂
26出土地不明:2009/08/13(木) 09:20:59 ID:A3e8hR7q
つうか、ここはもういいだろ。

大和民族は半島、北方の民俗学、考古、分子生物をやれよ。
27出土地不明:2009/08/13(木) 12:17:13 ID:OHvpCz/x
房総半島周辺が畿内勢力の植民地だったことがばれるのがいやなの?
28出土地不明:2009/08/13(木) 15:37:55 ID:uIJC8M9i
でも、黒潮文化圏の範囲はどれくらいなんだろうな

沖縄、九州、朝鮮半島南西

このあたりは、まぁ、いいとして、

中国江南とか台湾、フィリピンとか、インドネシアとかどうなんだろうな
29出土地不明:2009/08/13(木) 16:47:18 ID:HaB0NJrt
朝鮮半島南西 それは対馬。倭人文化圏
九州 南九州ね

あと、高知と愛知が北限かな。東京は苦しいし、大阪は倭人文化圏と被る

フィリピン台湾なんかは元祖だね。台湾は貧乏だったから「小琉球」って言われてたし。

江南は、フィリピンと並ぶ、黒潮文化圏のルーツのひとつともいえるだろうね。
あと古代江南はポリネシアの祖でもある
30出土地不明:2009/08/15(土) 13:34:32 ID:LY52DizS
>>29 江南がポリネシアの祖なら江南起源の倭人もポリネシア系かも知れんな。
31出土地不明:2009/08/15(土) 13:42:18 ID:yyIwIcAI
>>30
は?
32出土地不明:2009/08/15(土) 19:11:18 ID:J/oj1RQ4
なぁ、スンダランドの人たちが、日本に来た可能性はあるのか?
33出土地不明:2009/08/15(土) 19:48:01 ID:yyIwIcAI
縄文人はほとんどそう
34出土地不明:2009/08/17(月) 11:21:22 ID:b2G7CwtW
>>32 スンダランドより南インド(タミル)から来た可能性が高いようだ。
35出土地不明:2009/08/18(火) 19:30:39 ID:DowbazP2
>>34
南インドから来たならスンダランドから来たってことだろ

南インド→スンダランド→九州四国
36出土地不明:2009/08/19(水) 10:13:19 ID:Ll0tta8H
>>35 東北インドのナガランドから来た、という説もあるな。

 ナガランド>長江上流>下流>黒潮>北九州
37出土地不明:2009/08/19(水) 16:43:01 ID:EiBo0JnT
タミル語は日本語との共通する言葉が多いなんて聞いたことあるな

本当なのかな
38出土地不明:2009/08/19(水) 21:24:14 ID:9NV+m3pc
里芋って、何時ごろ、何処からきたの?
39出土地不明:2009/08/19(水) 21:49:08 ID:Ll0tta8H
>>38 イモという単語は南洋でもウモとかいうのが多くて縄文時代から
あるらしい。
40出土地不明:2009/08/19(水) 21:54:18 ID:9NV+m3pc
あと薩摩芋も、何時ごろ、何処からきたの?
41出土地不明:2009/08/19(水) 22:01:11 ID:BWL+UnCm
>>33
あほだろおまえ。

縄文人のほとんどがスンダランドでだ、

何で日本人と共通するHLAハプロタイプが東南アジアに全く無いんだ?

むしろ縄文人も弥生人もスンダランドとはまーーーーーーーーーーーーったく
関係ない人類集団だと言える。
42出土地不明:2009/08/20(木) 21:27:22 ID:DrjOQHJG
>>41
東南アジア人は古代中国人
スンダランドとは無関係
43出土地不明:2009/08/20(木) 21:56:39 ID:EbgatoXw
>>40 中米原産とされる作物で、これを主食とする地域もある。
また、若い葉と茎を利用する専用の品種もあり、一部地域で野菜として食用にされる。

もともとは南アメリカ大陸、ペルー熱帯地方から東南アジアに導入され、
そこから中国を経て沖縄、九州、本州と伝わった外来植物で、日本から対馬を経て朝鮮半島へも伝わる。

このため中国(唐)から伝来した沖縄や九州では唐芋(奄美諸島では例外的に薩摩芋)、
沖縄(琉球)から伝来した北部九州では琉球藷、九州から伝来した本州では薩摩芋と呼ばれる。

by wkipedia
44出土地不明:2009/08/20(木) 22:02:21 ID:EbgatoXw
サツマイモの伝播ルートから見ると稲作も東南アジアから同じコースを辿ってきたんだろうな。
45出土地不明:2009/08/21(金) 09:13:17 ID:CIT4FqI6
昔の考古学者で、いかだで、東南アジアから南米にいってたやついなかったっけ?
コンチキ号とかいうやつ、

南米からも日本にきていても不思議ないな。

南米で縄文土器みつかってたしな
46出土地不明:2009/08/21(金) 10:27:47 ID:AMoMXXOJ
>>45 サツマイモは南米から来たとしても南蛮人が運んできたんだろう。
47出土地不明:2009/08/21(金) 10:30:04 ID:AMoMXXOJ
あとジャガイモはジャガタラ(ジャカルタ)、カボチャはカンボジアから来たんだった。
48出土地不明:2009/08/22(土) 17:56:46 ID:ptjXmZYB
朝鮮半島に稲作が伝わったのは4〜5000年くらい前。


1990年金浦佳■(山と見)里泥炭層から採取された稲籾は4,010+-25BPと
報告されており、問題もあるがもし報告が正しいとすれば韓国での稲の
出現は新石器時代中期段階にまでさかのぼる可能性がある。
http://inoues.net/study/japonica3.html
最近は紀元前2000年ころ(?)とみられる種籾が、漢江の河口に面
する金浦(キムポ)と一山(イルサン)で発見されました(注)。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~halfmoon/hm072.html
然し1992年には、それよりも早い時期の粳米を韓国の清州市における
家瓦遺跡から大量に発見された。今から4721年(+−50)年前と
推測されているが、同時に出土された樹木年輪測定からすると、
今から5020年前のものだと修正がなされた。
http://sakura-nokishita.spaces.live.com/blog/cns!6CB04EFFB064FA79!1873.entr
49出土地不明:2009/08/22(土) 18:02:03 ID:ptjXmZYB
朝鮮半島で最古の水田遺跡は前11世紀のオクキョン遺跡で日本よりも古い。




弥生時代の始まりと深く関連している韓国南部だが、最古の水田は
慶尚南道蔚山・オクキョン遺跡で見つかっており、孔列文〜突帯文土器が
伴っているところから、前11世紀頃と考えられている。
http://www.rekihaku.ac.jp/press/yayoi_kaishi.pdf



50出土地不明:2009/08/22(土) 18:02:44 ID:ptjXmZYB
中国から直接日本に伝来した事にされているRM1-b遺伝子の稲の
調査が日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の朝鮮の炭化米で
なされていない。

かつては朝鮮半島にもRM1-b遺伝子の稲は存在したが朝鮮半島の自然環境に
適応できず遺伝子が消滅欠損してしまった可能性が十分に考えられる。

佐藤洋一郎容疑者はただちに日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の
朝鮮の炭化米でRM1-b遺伝子の有無を調査し、その結果を国民に公表せよ。

考古学界を混乱させた貴方にはその責任がある。

それをしない内はペテン、詐欺と言われてもしかたがない。
http://www.athome-academy.jp/archive/images/0000000116_discussion_004.gif
51出土地不明:2009/08/23(日) 07:42:32 ID:u8pAeJGI
>>50 なぜ韓国の学者は、調査しないの?
52出土地不明:2009/08/23(日) 16:06:50 ID:rihmueq1
調査技術がないからだろ。
53出土地不明:2009/08/23(日) 21:48:08 ID:FDr3l4nb
韓国の歴史には遺物の調査は必要ないよ

自分達の思い描く歴史に反する遺物は、無視したり破壊する
思い描く歴史にあった遺物を捏造する

あとはデカい声で叫ぶ

<丶`∀´>ウリに対する愛はないニカ!

これが韓国の歴史学

54出土地不明:2009/08/23(日) 23:22:15 ID:h7QKvM9P
まあ、発掘の点でも日本のザッと2〜30年は遅れとるだろ韓国考古学会は。

北鮮なら50年以上遅れとるだろ。

実際、楽浪郡遺跡だって発掘してるの日本人だぜ。

南北朝鮮の考古学の遅れが日本考古学を混乱させてると言える。

まあ、その分、53みたいな馬鹿ワン人が江南!江南!とデカい声で
ウソを叫べてきた訳なんだがw
55出土地不明:2009/08/24(月) 00:07:30 ID:tfDo6vIs
なに、そのワン人だの江南亡霊にとりつかれてんだよw
DNA、民俗学レベルの連続性維持してる土地はなかなか探してもw
56出土地不明:2009/08/24(月) 20:49:07 ID:ffWVjgcY
>>54 韓国の元最高科学者の末路な、貼っとくから。二度と現れるな。ボケ
検察、ファン・ウソク博士に懲役4年を求刑(1報)
http://www.yonhapnews.co.kr/society/2009/08/24/0702000000AKR20090824151000004.HTML?template=2087
(ソウル=聯合ニュース)イウン記者

 ソウル中央地検特別捜査チームは24日、幹細胞論文を操作して研究費を不正に受け取った疑いなどで
起訴されたファン・ウソク博士に懲役4年を求刑した。

 ソウル中央地方刑事合意(?)26部(ペ・キヨル部長判事)は、2006年6月の初公判以来、3年以上続けてきた
一審審理手続きをこの日すべて終えて、10月中に開かれる宣告公判で有無罪可否と刑量を決めるものと見られる。

 ファン博士は2004〜2005年に、サイエンス誌に操作された幹細胞論文を発表した以後。患者オーダーメード型
幹細胞実用化の可能性を誇張して、農協とSKから20億ウォンの研究費を受け取り、政府支援研究費などを
引き出した疑い(特定経済犯罪加重処罰法上詐欺、業務上横領)と、卵子不法売買疑惑(生命倫理法違反)で
2006年5月不拘束起訴された。
57ゐの磁:2009/08/24(月) 22:28:05 ID:rxvAqwiv
地図ないと全くイメージできん

当たり前だが
58出土地不明:2009/08/25(火) 21:26:49 ID:Q7TgBVf6
日本における稲は、もとをたどれないほどに分化しているというが、
それでも山間部や僻地にはカバシコあるいはジャコウマイなどという
香りの強い品種が残存していたり、種子島や対馬では赤米が栽培され
古い稲作の様子をさぐる手がかりになるものとされる。
ところでカバシコあるいはジャコウマイや、赤米も朝鮮半島からきたの?

参考文献:【縮刷版】日本民俗事典 大塚民俗学会編 弘文堂
59出土地不明:2009/08/25(火) 22:50:07 ID:3hBH/g13
**これは縄文なのか弥生なのか分から無く成ってきたぞ。

桜町遺跡と河姆渡遺跡・・「高床の道は米の道、河姆渡遺跡と桜町遺跡はつながっている」

縄文中期末葉から後期初頭(約4.000年前)の「高床建物」の柱材が100本以上も出てきた。
貫穴(ぬきあな)や桟穴(えつりあい)、ほぞ穴などといつた二つの部材を組み合わせる
加工技術があり、「渡腮(わたりあご)仕口」(木材を凹凸に削って組み合わせる)といった
高度な技法も見られた。渡腮仕口は、法隆寺の金堂(7世紀後半)に使われていたのが最古と
されていた。その加工技術が約4.000年前の桜町で既に存在していることが明らかとなった。
http://bunarinn.fc2web.com/gozaru1/gozaru/sakuratokaboto/sakuratokaboto.html
60名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 11:15:50 ID:0X4O7Cwg
389 :出土地不明:2009/08/29(土) 21:07:38 ID:oqHxVwoH
>>382-388
よう!

日本人のルーツを台湾人の祖郷江南に誘導する事がミッションの
侵略者チャイニーズタイペイ工作員くんw

馬鹿と低脳しかダマせない欺罔ネタはそれでもう終わりか?w

では、神の俺様から下々に向かってご神託をしてやろうw

その中で縄文高床式倉庫の証拠として使えるのは、数百以上の跡がある
三内丸山遺跡と高床式倉庫を構成する大部分の部材が出土している桜町遺跡だけだな。

跡や建材の一部だけだと、旧石器時代からある竪穴式住居のものだと言えてしまうからな。

で、肝心のその高床式倉庫の伝来先だが、三内丸山遺跡と桜町遺跡がある青森と富山に
当時登場してきた土器を見れば一目瞭然だな。

「円筒土器」は、東北地方北半部から北海道南西部にかけてと、不思議な事に
東北地方南部を飛び越えて北陸の富山から出土している。

で、この円筒土器、当時の遼寧から沿海州南部にいたる北東アジアに広がっていた
「平底筒形罐」と器形が全く一致している。

つまり、日本海を縦断した青森や富山から一番近い大陸だった「沿海州南部」との
交流を通じて、縄文高床式倉庫も円筒土器も玉ケツ(ケツ状耳飾)も伝わっただけなのである。

ただし縄文高床式倉庫と弥生高床式倉庫は連続していない。

西日本での縄文期の高床式倉庫の確証遺構が全く無いからである。

弥生高床式倉庫は弥生開始期と同時に九州北部に突如として登場するのである。
61↑↑↑↑↑↑↑:2009/08/30(日) 18:07:49 ID:xYjYrM+M

@@@@@@@オレ少し台湾ノイローゼ気味かな@@@@@@@@
62出土地不明:2009/09/01(火) 22:31:35 ID:mr3W0qKh
「断髪」を倭人がしていたなんて魏志倭人伝には書かれていない。
倭人の男子は皆、髪を結って露わにし、木綿を頭に巻いていたと書かれている。




男子皆露? 以木緜招頭

http://www.g-hopper.ne.jp/bunn/gisi/gisi.html
http://boat.zero.ad.jp/~zaw10107/1/yayoi_2.htm
http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/kanbun/wakoku-kanbun1-gisi.htm



63出土地不明:2009/09/07(月) 22:36:07 ID:44Evwoki
数日前のテレビを見ているとラオスで水掛祭りや西瓜割りに似た遊びをやっていた。

 日本と同じことをやっているという印象を受けたが、シナ、朝鮮で日本と同じと感じる祭りや遊びがあるかな?

64出土地不明:2009/09/08(火) 06:35:47 ID:Ooryc8hI
ポリネシア文化圏の一番東であるイースター島のモアイは、
背後に回るとわかるのですが、フンドシをしています。
相撲の廻しと同じ、背中で結ぶタイプのやつですね。
それだけでなく、古いスタイルのモアイを見るとよくわかるのですが、
アレは実は座っている姿の像なんですね。しかも、正座して座っているわけで。

フンドシと正座というのが、実は南方系の文化の影響を受けた文化であるというのを、
日本人はあんまり意識していませんが
65出土地不明:2009/09/08(火) 06:37:30 ID:Ooryc8hI
日本人の起源は、5万年前頃に現インドネシア周辺のスンダランドから黒潮の海流に乗って
沖縄に渡ってきた人々であると言われています。

スンダランドに定住したポリネシア人がカヌーで黒潮に乗って琉球列島弧に至りました。
沖縄の港川で出土した1万8千年前の人骨(港川人)はワジャク人(ジャワ:約1万年前)
や縄文人とよく似た特徴を持っています。

又、与那国島の海底遺跡は巨石の加工技術を持ったポリネシア人が、海退が進んで陸地だった
与那国島沖に作った神殿だと思われます。

さらに黒潮と対馬海流にのって、ポリネシア人(縄文人)は九州・四国・本州の両側の沿岸に
入植し、さらに青森県(三内丸山遺跡)や北海道(礼文島)まで行って、そこに定住しました。

東北・北海道の縄文遺跡からは沖縄のイモガイの腕輪が沢山出土していますし、
東京武蔵野台の旧石器遺跡(3万2千年前)からは、150KM離れた神津島産の
黒曜石が出土しているなど、縄文人はポリネシア人の伝統をそのまま引き継ぎ、
かなり高度の航海技術を持っていて、頻繁に外洋航海をしていたと推定されます

日本列島の文化は、温かい黒潮の恵みを多く受けており、黒潮圏文化と呼ぶことも可能です。
66出土地不明:2009/09/09(水) 09:11:45 ID:RjhsdSeN
急激な温暖化を契機に海に沈んだ大陸の一つにスンダランドがあります。
まさに人類は海を越えてスンダランドから適応を求めて拡散していきます。
オセアニア、東南アジア、江南地方、台湾、琉球、日本本土へと約5万年前〜2万年前に渡って海を越えて
各地へ新天地を求めていきました。

航海技術は縄文時代になるとかなり発展したものになっていました。
黒曜石やヒスイ、タカラガイといった海を越えた交流が盛んになったのもこの技術が下支えをしています。
外洋航海ができる丸木舟が縄文前期の遺跡で発見されています。
桂見遺跡(3500年前)全長7.2m×0.74m
多古町栗山川流域遺跡群(5000年前)7.45×0.7m
島根大学構内遺跡(6000年前)6m×0.57m
67出土地不明:2009/09/16(水) 04:50:54 ID:pmPgp+PO
幻の大陸から黒潮に乗ってやってきた日本人のルーツに迫る!ハイビジョン放送!
http://www.bs-tbs.co.jp/app/program_details/index/KDT0407200

◆黒潮に乗った私たちの祖先

スンダランドを旅立った人々は、
世界最大・最強の暖流「黒潮」の力により新天地を目指しました。
その海流を臨む地域からは、彼らの旅路を示す遺物がいくつも発見され、
また、それらの地域に残る伝承には奇妙な共通性がありました。
フィリピンや台湾、そして沖縄本島や与那国島などに残る構造物や伝承により、
スンダランドから日本へとやってきた人々の旅を辿ります。
68出土地不明:2009/09/18(金) 19:57:39 ID:QEB21jMW
黒潮圏の考古学
http://ao.jpn.org/kuroshio/

……なるページを見つけた。
69出土地不明:2009/09/20(日) 00:54:02 ID:cyWTFuWH
自慰行為か
70出土地不明:2009/09/20(日) 01:41:56 ID:V8hPoA2v
ビルマ系ボド語

足 atheng 
目 megan
口 khuga
歯 hatai
毛 khenai
頭 khara
舌 sila


インドネシア語

目 mata
手 tangan>たなごころ
足 kaki >駆ける
歯 gigi >牙
71出土地不明:2009/09/22(火) 16:20:19 ID:v3bAwKpj
「歌垣」は百済の帰化人から伝わっている。


翌宝亀元年(770年)3月には、男女230人が歌垣(うたがき)
には百済から河内の地に渡来した王仁(わに)の末孫たちが奉仕した
との記録が残されています。(続日本紀)
http://www18.ocn.ne.jp/~doukyou/shirukai/sub01.html

弓削の道鏡の出身地で称徳天皇がこの地に遊行されて、百済の人々が
歌垣をして慰めたという
http://www.shiga-miidera.or.jp/serialization/shinra/136.htm

歌垣を行った葛井氏ら六氏は百済からの渡来人を先祖としており
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/kaihou26/kaihou26.html
72出土地不明:2009/09/22(火) 16:25:53 ID:seUsthct
「歌垣」は現在でも朝鮮半島に見られる。


先生は「韓の国紀行『歌垣』」のなかで、「朝鮮民族には凄味がある、
と、ほとほと思ったのは、この仏国寺の松林で野遊びを見、歌垣の
歌声をきき、そして杖鼓(チャング)のリズムをきいたときであった。
http://homepage2.nifty.com/kodaijin-tamat/index.files/karanokuni.htm

日本にも野遊びはあった。万葉のころ歌垣は絶えた。韓国ではいまも
生活の中にある。
http://www.ric.hi-ho.ne.jp/nishikawasan/siba/karakuni.htm
 
韓国の山野では野遊びをする人々に出会うという。司馬さんは
「人々は強烈なリズムにのって群舞しており、さながら万葉時代の
歌垣や踏歌を現(うつつ)に見る思い」がすると書いていた。
http://www1.coralnet.or.jp/kn/tenti/c2002401.htm
73出土地不明:2009/09/22(火) 16:28:10 ID:rrYTy4VF
次に、歌垣(かがい・歌會)について語ろう。七七〇年三月、河内の弓削の称徳離宮で歌垣が
行われた。万代にわたる帝と離宮の存続を祈り、周囲六ヶ村男女二百三十人の渡来人が夜を
通して歌い踊った。歌垣は若い男女にとって、他の部落との間の通婚の機会設定に大きな役割を
果たしていた。このころは、山麓の景勝地まで人々が出かけて、賑やかに野外舞踏会を開いた
ものであった。というよりは、日のあるうちは野に遊び、日が暮れると篝火が灯され、酒が
入って宴は佳境に入る。日野の朝鮮坊山では、毎年歌垣が行われていた。
お月見の習慣と併せて、韓半島からの伝来の風習であった。いまも扶餘や慶州あたりの野原では、
夏の夕べに月見の宴を張る。これを野遊とよんでいる。大和の民衆もこの楽しみをまねて、
農業神事に取り入れた。慶州の仏国寺の松林で、水色・桃色・緑・赤など色とりどりの袴・上衣を
着た老若男女が楽しそうに踊るのを見ることができる。杖鼓を膝の前において鞭のようなバチで
打つ。このリズムに合わせて踊る。韓国ではいまでも一般の家庭で使われている楽器である。
日本舞楽の羯鼓に似た楽器である。筑波山麓の歌會や常陸国風土記にある童子女松原の歌會が
知られている。筑波嶺の歌會で詠んだ歌一首と短歌が万葉集巻九にある。この伝統が盆踊りの形で
現在の日本に引き継がれた。
http://www.tmd.ac.jp/med/mtec/wakamatsu/emperor/historybackground.pdf#search
74出土地不明:2009/09/22(火) 18:04:33 ID:OLS0L+UY
歌垣   出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

歌垣(うたがき)とは、特定の日時に若い男女が集まり、相互に求愛の歌謡を掛け合う呪的信仰に立つ習俗。
現代では主に中国南部からインドシナ半島北部の山岳地帯に分布しているほか、フィリピンやインドネシアなどでも類似の風習が見られる。
古代日本の常陸筑波山などおいて、歌垣の風習が存在したことが『万葉集』などによりうかがうことができる。

歌垣と同様の風習は、中国南部からインドシナ半島、フィリピンやインドネシアにも存在する。
このことから、古代日本の文化は、東南アジアから中国南部にかけての地域と、一体の文化圏を築いていたという見方もある(照葉樹林文化論など)。
75出土地不明:2009/09/22(火) 20:57:12 ID:z3TuBLBn
杵島山は筑波山,摂山と並んで三大歌垣山といわれる歌垣山です。
東側には広大な白石佐賀平野が広がってます。田園に点在する集落は
昔ながらの懐かしく赴きのある風景がみられます。

稲佐神社:長い長い石段の先(車でもいけます。)にあります。
祭神は、五十猛命(いそのたけるのみこと)日本書紀によれば、
二人の妹神である妻津姫、大屋津姫とともに朝鮮半島から木の種を
日本に持ち帰り植樹したという神です。また、推古天皇の時代百済の
聖明王(仏教を日本に伝えたと言われる)を祀ったのに始まる。
という古代朝鮮国家百済に所縁のある神社である。古代杵島には
百済から渡来人が訪れ、住み着いたのかもしれません。
http://eimari.web.fc2.com/hagakure/sights/hizen/utagaki/j-hizen-2.htm
76出土地不明:2009/09/22(火) 21:11:49 ID:Rfwz9NHp
佐用姫伝説は肥前風土記や万葉集などに取り上げられてます。
大和朝廷は新羅・唐王朝連合に脅かされる百済救援のため兵を送ります。
都から出征のために狭手彦は軍を率いて松浦の地に赴き、駐屯します。
この地方 (厳木町笹原)の長者の娘・佐用姫が狭手彦の身の周りの世話をするうちに
二人は恋に落ち、契りを結びます。 しかし、狭手彦は任務があります。
ついに兵を率 いて百済、任那に旅立つことになりました。
狭手彦は鏡を佐用姫に「これを自分だと思ってくれ」と渡します。
旅立ちの日、佐用姫は玄界灘を見渡す鏡山に登り水平線に消え行く
狭手彦の船団に領巾を振りつづけます。
さらに佐用姫は鏡山を駆け下り、松浦川を渡り、ついに海を渡って加部島にたどり着きます。
しかし、海にはも船団の影もう見えませんでした。
佐用姫は悲しみのあまり七日 七晩泣き明かし、とうとう石と化してしまったと言う話です。
http://eimari.web.fc2.com/hagakure/sights/hizen/tajima/j-hizen-1.htm
77出土地不明:2009/09/23(水) 12:38:49 ID:qoDuRHTl
>>76 兵庫県の佐用郡にも佐用姫伝説があるが、肥前と何の関係があるんだ?
78出土地不明:2009/09/25(金) 05:22:51 ID:f5Trq5q2
大好きなYAP+の存在との矛盾はどうした?w

説明してみなクロシオボーイ
79出土地不明:2009/09/25(金) 09:13:44 ID:YxCfuhT/
すべては中国東北部(旧満州)から日本海を縦断して伝播しただけw


しかも、この査海遺跡の玉ケツ(ケツ状耳飾り)や玉匕とよく似ている遺物が、
福井県金津町の縄文早期末〜前期(6,000年前)の桑野遺跡から出土していた。
桑野遺跡だけではない。類似したケツ状耳飾は、前節の鳥浜貝塚をはじめ、
新潟県清水上遺跡、京都府浦入遺跡など日本海側の遺跡を中心に、日本全国に
分布しているのである。  

即ちこの玉ケツ(ケツ状耳飾)は、実は長江流域から照葉樹林文化の一つとして
伝播したものではなく、中国東北部(旧満州)から日本海を縦断して伝播し、
桑野遺跡を含む北陸地方を生産拠点として、全国的に拡がったと今では考えられている。
http://www.geocities.jp/ikoh12/honnronn1/001honnronn_11_1nihonnkai_bunnkakenn.html
80bienner ◆KvKoaNcMgg :2009/09/25(金) 18:46:46 ID:AQFuLzz2 BE:642930539-2BP(352)
>>79
冷蔵庫を使って食物を保存する文化が欧米から伝わったが、人種も欧米から伝わったのか?

違うだろ。優れた文化は人種関係なく他地域に移動していくもの。
まして北アジアは氷河時代に大繁栄を築いたんだから、日本中国にも多くの文物がもたらされて当然
81出土地不明:2009/09/25(金) 21:27:50 ID:sOlsuAxO
>>78
今の地上のDNA分布傾斜は移動混血の結果だからよ。
大陸側なんて混血の塊だぜ。

時系列再現は地面掘らなシベリアボーイさんよw
82出土地不明:2009/09/26(土) 00:36:38 ID:uKiM/mZX
いいか馬鹿どもw

馬鹿でチンカスの小田静夫のドアホウはな、「重量石器」を黒潮海流を
北上してきたという根拠にしているだけなんだよw

だが重量石器はな、出アフリカ以前にすでに登場している器種なんだよ。

だから黒潮海流を北上してきたなんて余裕のよっちゃんで否定できるし、
中央アジア・モンゴル南部経由でマンモスを追って数百年のうちに
あっという間に日本列島入りしたとも余裕で言えてしまうんだよw
83出土地不明:2009/09/26(土) 14:49:54 ID:FiQHx4CA
食糞文化は、日本には伝わっていない。
84出土地不明:2009/09/26(土) 17:16:58 ID:J7fuJliZ
>>81
それは日本も台湾も一緒だろ

で、黒潮の影響があったならこんなに両者に差なんてできないし。
フィリピンとかも。

原始に海洋民族なんていないんだよw

いたなら海岸沿いに北上だよ
85出土地不明:2009/09/26(土) 19:40:15 ID:FvOnXO2R
>>83
確かにw



嘗糞は中国が起源。



嘗糞の記録は中国の南北朝時代や唐代の説話にも見受けられる。
『二十四孝』や『日記説話』によれば、南斉時代に庚黔婁と言う
役人が父親が病気になったので帰郷すると医者に、糞を嘗めて
見ないと状態が解らないと言われ、その味が甘かったので憂いたと
言う「嘗糞憂心」の故事が残っている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%98%97%E7%B3%9E


86出土地不明:2009/09/27(日) 23:47:30 ID:tDF/fs2D
>>79

>すべては中国東北部(旧満州)から日本海を縦断して伝播しただけw  ×

高床式建物や稲作は、中国東北部(旧満州)から伝播していない。
87出土地不明:2009/09/27(日) 23:59:27 ID:Mhus2sYa
実は長江流域から照葉樹林文化の一つとして伝播したものではなく、
中国東北部(旧満州)から日本海を縦断して伝播し、桑野遺跡を含む
北陸地方を生産拠点として、全国的に拡がったと今では考えられている。
http://www.geocities.jp/ikoh12/honnronn1/001honnronn_11_1nihonnkai_bunnkakenn.html

実は長江流域から照葉樹林文化の一つとして伝播したものではなく、
中国東北部(旧満州)から日本海を縦断して伝播し、桑野遺跡を含む
北陸地方を生産拠点として、全国的に拡がったと今では考えられている。
http://www.geocities.jp/ikoh12/honnronn1/001honnronn_11_1nihonnkai_bunnkakenn.html

実は長江流域から照葉樹林文化の一つとして伝播したものではなく、
中国東北部(旧満州)から日本海を縦断して伝播し、桑野遺跡を含む
北陸地方を生産拠点として、全国的に拡がったと今では考えられている。
http://www.geocities.jp/ikoh12/honnronn1/001honnronn_11_1nihonnkai_bunnkakenn.html

実は長江流域から照葉樹林文化の一つとして伝播したものではなく、
中国東北部(旧満州)から日本海を縦断して伝播し、桑野遺跡を含む
北陸地方を生産拠点として、全国的に拡がったと今では考えられている。
http://www.geocities.jp/ikoh12/honnronn1/001honnronn_11_1nihonnkai_bunnkakenn.html

実は長江流域から照葉樹林文化の一つとして伝播したものではなく、
中国東北部(旧満州)から日本海を縦断して伝播し、桑野遺跡を含む
北陸地方を生産拠点として、全国的に拡がったと今では考えられている。
http://www.geocities.jp/ikoh12/honnronn1/001honnronn_11_1nihonnkai_bunnkakenn.html

実は長江流域から照葉樹林文化の一つとして伝播したものではなく、
中国東北部(旧満州)から日本海を縦断して伝播し、桑野遺跡を含む
北陸地方を生産拠点として、全国的に拡がったと今では考えられている。
http://www.geocities.jp/ikoh12/honnronn1/001honnronn_11_1nihonnkai_bunnkakenn.html
88:2009/09/28(月) 13:11:01 ID:isApdruW
89出土地不明:2009/09/28(月) 17:12:59 ID:/SY2jV2b
日本語はタミル語だろ
90出土地不明:2009/09/29(火) 13:19:14 ID:/rtjfGws
↑その説唱えてた先生かなり弾圧されてたみたいだけどなぜ。学会はまだ騎馬民族征服説なんて信じてるわけ?
91出土地不明:2009/09/29(火) 13:34:51 ID:93gDEmij
どっからの横槍で学会名称変更する国だぜw
国立なんたら博物館要ったら史観的に終わってることに気づくだろ。
92出土地不明:2009/09/29(火) 23:24:38 ID:b6p/KkxF
>>89 ダンジリがインドにもあるからその説にも信憑性があるな。
93出土地不明:2009/09/30(水) 00:28:07 ID:kV7fyPID
とにかく騎馬民族征服説なんて
極小の電波しか唱えていない
ありえない
日本に騎馬民族が来た痕跡も、騎馬民族すらいない
まったくのデタラメ
日本の歴史、書物、各地の伝統、風習、言語
すべて南方に由来するものばかり
日本が東アジアで特殊な文化を持っていると奇異にとられたのも
実は離れた南にルーツがあったから、南の方との関連をよく調査していない
それは古くは、人類は大きな移動をせず、その土地土地で猿人から進化したという
地域発生説が根強く、また陸地移動しか考えていなかったからで
太平洋の島々にも独自に人類が発生したと考えられていた
何十年も前の古い説が、いまだ根強く広められているからだ
事実はアフリカ北部を起源とし、そこから東進、北進のルートが確実となってきた
日本人のルーツはインド北部辺りにある
人類が東進した結果太平洋に舟で航海に出、太平洋の島々、アメリカ、日本列島にたどり着いたのは
疑いようがないのである
94出土地不明:2009/09/30(水) 00:41:46 ID:2yy+hzmI
タミル語の先生の本は読んだが、それなりに説得力はあったな
95出土地不明:2009/09/30(水) 04:19:17 ID:zw2M44JX
>>94 その後、タミル語否定説を読むと肯定説以上の説得力があった。
96出土地不明:2009/10/01(木) 00:13:25 ID:eurWpDB0
朝鮮半島に稲作が伝わったのは4〜5000年くらい前。


1990年金浦佳■(山と見)里泥炭層から採取された稲籾は4,010+-25BPと
報告されており、問題もあるがもし報告が正しいとすれば韓国での稲の
出現は新石器時代中期段階にまでさかのぼる可能性がある。
http://inoues.net/study/japonica3.html
最近は紀元前2000年ころ(?)とみられる種籾が、漢江の河口に面
する金浦(キムポ)と一山(イルサン)で発見されました(注)。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~halfmoon/hm072.html
然し1992年には、それよりも早い時期の粳米を韓国の清州市における
家瓦遺跡から大量に発見された。今から4721年(+−50)年前と
推測されているが、同時に出土された樹木年輪測定からすると、
今から5020年前のものだと修正がなされた。
http://sakura-nokishita.spaces.live.com/blog/cns!6CB04EFFB064FA79!1873.entry
97出土地不明:2009/10/01(木) 00:15:23 ID:dHmwbmpi
朝鮮半島で最古の水田遺跡は前11世紀のオクキョン遺跡で日本よりも古い。




弥生時代の始まりと深く関連している韓国南部だが、最古の水田は
慶尚南道蔚山・オクキョン遺跡で見つかっており、孔列文〜突帯文土器が
伴っているところから、前11 世紀頃と考えられている。
http://www.rekihaku.ac.jp/press/yayoi_kaishi.pdf



98出土地不明:2009/10/01(木) 00:17:20 ID:LhEL1+5Z
中国から直接日本に伝来した事にされているRM1-b遺伝子の稲の
調査が日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の朝鮮の炭化米で
なされていない。

かつては朝鮮半島にもRM1-b遺伝子の稲は存在したが朝鮮半島の自然環境に
適応できず遺伝子が消滅欠損してしまった可能性が十分に考えられる。

佐藤洋一郎容疑者はただちに日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の
朝鮮の炭化米でRM1-b遺伝子の有無を調査し、その結果を国民に公表せよ。

考古学界を混乱させた貴方にはその責任がある。

それをしない内はペテン、詐欺と言われてもしかたがない。
http://www.athome-academy.jp/archive/images/0000000116_discussion_004.gif
99出土地不明:2009/10/01(木) 09:49:09 ID:3fJ7sZce

稲作も黒潮にのって南方から伝わったと考えるのが自然だな。
100出土地不明:2009/10/01(木) 11:52:16 ID:lhKZT0hZ





じゃあ何でインディカ炭化米がねえんだ?w



101出土地不明:2009/10/01(木) 12:26:04 ID:lhKZT0hZ
インディカ型のジャポニカも含めてなw
102出土地不明:2009/10/01(木) 13:28:47 ID:3fJ7sZce
>>100

ジャポニカイネの起源は東南アジアで、そこから中国へ伝わり、
そこで温帯ジャポニカイネが生まれ、日本列島に伝わったたのですが。w
東南アジアって南方でしたね。

http://www.nias.affrc.go.jp/press/20080707/



103出土地不明:2009/10/01(木) 13:47:04 ID:VJImSBaT
わかったぞ!インディカ米を日本で育てるとジャポニカ米になるんだ!
104bienner ◆KvKoaNcMgg :2009/10/01(木) 17:41:34 ID:ZGzZaEEl BE:857240249-2BP(352)
>>103
火病るなww
105出土地不明:2009/10/01(木) 20:02:56 ID:eQrlqlUo
>>102
なこと聞いてるんじゃねえよカスw

長江江南の炭化米はな、熱帯ジャポニカでさえ一見インディカに
見間違える細長い形質の炭化米ばっかりなんだが、日本には何で
一見インディカに見える細長い形質の熱帯ジャポニカの炭化米が
ねえんだと聞いてやってんだよw

うんこ佐藤はイネのDNAを調べたと言っても形質遺伝子を調べた訳じゃねえだろがw
106出土地不明:2009/10/01(木) 23:01:08 ID:CaQogCho

ジャポニカイネの起源は東南アジアで、そこから中国へ伝わり、
そこで温帯ジャポニカイネが生まれ、日本列島に伝わったたのですが。w
東南アジアって南方でしたね。

http://www.nias.affrc.go.jp/press/20080707/
107出土地不明:2009/10/01(木) 23:08:33 ID:CaQogCho

>>105 ←×

一見同じ形に見えても、遺伝子がぜんぜん違う品種は、別品種、
一見違う形に見えても、遺伝子がほとんど同じ品種は、同品種。

バカにはわからねーだろーなー、ww
108出土地不明:2009/10/01(木) 23:49:27 ID:d/IZwCl+
>>105
なにが形質遺伝子だボンクラw

人間にたとえれば、古モンゴロイド集団に少量の新モンゴロイドの血を混ぜ
その集団をDNAレベルで完全封鎖しても形質部分は新モンゴロイド方向に書き換えられ
薄面になっていく、コア部分や民俗学的な部分は乗っ取れんぞw
109出土地不明:2009/10/02(金) 12:22:06 ID:o9xEfThi
んなこと聞いてるんじゃねえよカスw

長江江南の炭化米はな、熱帯ジャポニカでさえ一見インディカに
見間違える細長い形質の炭化米ばっかりなんだが、何で日本には
一見インディカに見える細長い形質の熱帯ジャポニカの炭化米が
ねえんだと聞いてやってんだよw

うんこ佐藤はイネのDNAを調べたと言っても形質遺伝子を調べた訳じゃねえだろがw
110出土地不明:2009/10/02(金) 12:35:21 ID:1GFG1+Co
>>109 ←×

一見同じ形に見えても、遺伝子がぜんぜん違う品種は、別品種、
一見違う形に見えても、遺伝子がほとんど同じ品種は、同品種。

バカにはわからねーだろーなー、ww

ジャポニカイネの起源は東南アジアで、そこから中国へ伝わり、
そこで温帯ジャポニカイネが生まれ、日本列島に伝わったたのですが。w
東南アジアって南方でしたね。

http://www.nias.affrc.go.jp/press/20080707/
111出土地不明:2009/10/03(土) 12:18:12 ID:PjbYG4ZX
>>109
黒潮だろ。瓦一枚で妄想したりちょっと絡みすぎ。

奄美に稲だま信仰があり、李朝時代難破したあんたらのご先祖様が島伝いに送り返されるときに記録して
くれた稲作にまつわる民俗学的な戒めがある。
112出土地不明:2009/10/08(木) 23:45:12 ID:bxkEAFij
「糸引き納豆」の登場は室町時代頃、「なれずし」は7C頃に朝鮮経由で伝わる。


平安時代の文献にも塩辛納豆の名は残っているが、一般に広まったのは
室町時代以降でこの頃から糸引き納豆も登場しており区別するために
塩辛納豆を久喜と呼び糸引き納豆を単に納豆と呼ぶようになった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%8D%E8%B1%86

日本最古のすしといわれる「鮒ずし」は、7世紀、近江大津宮に天智天皇が
遷都した以前からこの地にあったといいます。フナずしは、すしといっても
現在の握りずしとは違い、すしの原型といわれる「なれずし」の一種です。
なれずしは、米作民族が考え出した動物性タンパク質の原始的な保存法で、
そのルーツは東南アジアとされ、中国、朝鮮をへて日本へも伝えられました。
http://asamiya.sakura.ne.jp/gotouti/siga/siga.html
113出土地不明:2009/10/09(金) 08:30:48 ID:wKOayI0+
114出土地不明:2009/10/10(土) 00:15:06 ID:1B5h509w

近代、清朝時代に鵜飼いがあったから古代にも、「あったかもしれません」記録はありませんが!

近代、沿海州には高床式倉庫があったから古代にも、「あったかもしれません」遺跡はありませんが!

近代、沿海州には自動車があったから古代にも、「あったかもしれません」遺物は発見されてませんが!

近代、古代日本には納豆、なれ寿司があったから古代朝鮮にも「あったかもしれません」古代朝鮮の記録にはありませんが!

近代、古代日本には歌垣があったから古代朝鮮にも「あったかもしれません」古代朝鮮の記録にはありませんが!
115出土地不明:2009/10/10(土) 12:34:19 ID:6o+izoKA
>>113
>そもそも熟寿司自体が稲作の伝来とともに中国南部から伝播したものと
>考えられている


これ笑うところか?w

日本には中国南部の稲作なんて伝来していないがw

おまえの脳内だけで考えられている。

だろがw
116bienner ◆KvKoaNcMgg :2009/10/10(土) 18:26:33 ID:zHP62jd/ BE:380995744-2BP(352)
>>115
>日本には中国南部の稲作なんて伝来していないがw

ソース
117出土地不明:2009/10/10(土) 20:19:09 ID:AC4EG+wN
日本には長江稲作が伝わっていない。

石鋤で耕作をして釜や三足土器で米を炊く長江稲作が
伝わっていない。

むしろ中国南部の稲作が伝来したとかいう超大嘘のソースは?>>116
118出土地不明:2009/10/10(土) 21:13:42 ID:VAJWg9yy
水稲が江南→日本→半島もあるが、
半島に伝わっていない品種があるので、
水稲が 江南→日本−×→半島もあります。
稲のDNA調査から、ほぼ間違いないと思われます。
また、朝鮮半島に稲作が伝わったのは4〜5000年くらい前、
日本では、稲作や麦作は約6000年前からです。

稲作が朝鮮半島から伝わったのなら、日本列島になぜ古代朝鮮半島の
農機具も伝わっていないのだろうか、
弓山里遺跡から石鍬、角鍬、猪牙鎌などの農耕具が出土してるのに、
日本列島は木製農機具ばかり。
また、朝鮮半島では、石犂、石鎌も智塔里遺跡から出土している。
農機具で、稲作の伝わり方を説明するのには、朝鮮半島経由では、
矛盾が出てくるんだが。
119出土地不明:2009/10/10(土) 21:47:36 ID:m3RHgIE9
むかーしむかし、長江の河口域あたりの江蘇省から3000年前、渡来系弥生人が
九州北部に渡来して水田稲作を伝えました。

ところが、なぜかこの最古の水田遺構を残した長江の渡来人、何を血迷ったのか、
自らの故郷の石鋤などの石製農耕具を伝えず、長江に無いはずのクワを農耕具として
伝えてしまったんです。しかも木製の。

最後の最後まで当時の江南の農耕具の主役だった石鋤を一切伝えてくれなかったんです。

おまけに、この水田稲作を伝えてくれた長江の渡来人、何をとち狂ったのか、
故郷の江南系中国土器を伝えず、わざわざ遠く離れた北方の沿海州系の土器を
最古の水田遺構に伝えてしまいましたとさ。


おしまい(爆
120出土地不明:2009/10/10(土) 22:45:52 ID:z3DK79hS

日本に縄文稲作が有ったのは確実で、その縄文稲が朝鮮経由なら

遼寧の半月型石包丁が縄文遺跡からザクザク出てくるはずだが出てこないね

あれえ〜〜どゆこと トンスル団員さん教えて!
121出土地不明:2009/10/11(日) 00:44:56 ID:uwiqY7ko
まぁ、いいたいことはわかったよ

つまり、

<丶`∀´>ウリミンジュクは世界一優秀ニダ
<丶`∀´>当然日本に稲作を伝えたのも朝鮮民族だったはずニダ

で、最後は

<#`∀´>ウリに対する愛はないニカ!

こうなるんですね

122出土地不明:2009/10/11(日) 00:51:38 ID:CTjwpO4T
ウリを台湾人に置き換えると良く分かる文章だなw
123出土地不明:2009/10/11(日) 05:50:11 ID:mejmzJC4
■ 倭人伝の風俗記事が南方的である。
『魏志倭人伝』に描きだされた倭人の風俗は圧倒的に南方的であって、
中国南部から東南アジアにかけての文化、ことに江南の古文化と密接な親縁関係をもっている。

刺青の風習や貫頭衣などは、中国南部から東南アジアの風俗である。
すでに倭人伝の著者陳寿も海南島との生物・文化の類似を強調している。

■ 語彙が南方的
日本語の語順は、北方的特徴を持つのに対し、語彙は南方の諸言語と親近感を示す。
計量言語学的な方法で、言語と言語との近さの度合いを測定すると、
日本語はインドネシア語、カンボジア語、台湾の高砂族のアミ語やパイワン語、
ビルマ系諸言語など南方的な諸言語と、
「基礎語彙」において、確率論的に、しばしば偶然以上の一致を示す。

『隋書』流求国伝に、流求国の国王の居処を三重の濠と柵で囲み、
濠に水を流していたことが記されている。濠と柵を三重に巡らした景観は吉野ヶ里などに近い。
流求国を沖縄とする説と台湾とする説があるが、いずれにしても、環濠の伝統は南方からと思われ、
朝鮮半島を伝わってきたとは考えにくい。

弥生文化は稲作だけでなくさまざまな文化要素の複合体である。
日本にあって朝鮮半島に存在しない南方的な要素が数多くある。
日本の弓は朝鮮半島とは異なり、南方に同種の弓が分布している。
124出土地不明:2009/10/11(日) 10:08:06 ID:O9UaO9Hr
中国南部から東南アジアにかけての文化、ことに江南の古文化とは
土器や金属器などの主役級文物において全く一致していない。

刺青は物証から日本が最古であって貫頭衣などは世界中の原始社会で見られ、
どりわけ中国南部から東南アジアの風俗という訳ではない。

人類最古の弓である丸木弓は弓矢が普及する中石器時代から既に北方ユーラシアまで
伝わっており、とりわけ南方の文物という訳ではない。





 不 逞 湾 人 は 考 古 学 サ ギ を や め な さ い !




125出土地不明:2009/10/11(日) 15:00:02 ID:efDr241h
6000年以上前の長江江南の釜(炊飯器)は、さてどれでしょうか。

(1) http://www.miyazaki-archive.jp/d-museum/unit/hakubutsu/kou/k0009/img/k0009-1.jpg
(2) http://www.uq.edu.au/news/images/media/9202.002.jpg
(3) http://inoues.net/museum/torihama81.jpg

ヒント
(1) http://www.miyazaki-archive.jp/d-museum/unit/hakubutsu/kou/k0009/
(2) http://www.spf.org/spinf/news/pdf/wop8.pdf
(3) http://inoues.net/museum/mikata_museum_kaboso.html

これは、ただの竈で使う釜のクイズでした。
長江流域でも、漢民族が南下する前は三足土器では無く
釜を使用していたようです。
その民族は、現在のどの民族にあたるかは不明ですが。
126出土地不明:2009/10/11(日) 15:15:33 ID:7ZuL7gH1
で、縄文土器・弥生土器に釜という器種があるんですか?あるんですか?
で、縄文土器・弥生土器に釜という器種があるんですか?あるんですか?
で、縄文土器・弥生土器に釜という器種があるんですか?あるんですか?
で、縄文土器・弥生土器に釜という器種があるんですか?あるんですか?
127出土地不明:2009/10/11(日) 15:39:22 ID:efDr241h
米は、どのように炊飯したのですか?炊飯したのですか?
米は、どのように炊飯したのですか?炊飯したのですか?
米は、どのように炊飯したのですか?炊飯したのですか?
米は、どのように炊飯したのですか?炊飯したのですか?
128出土地不明:2009/10/18(日) 13:02:30 ID:z73o3dV8
稲作も黒潮で日本と朝鮮半島に同時につたわったんじゃないか
129出土地不明:2009/10/18(日) 13:48:29 ID:4OYGdn81
日本には江南稲作なんか伝わっていない。

石鋤で耕作し釜や鼎で炊飯する江南稲作なんか伝わっていない。
130出土地不明:2009/10/18(日) 15:14:30 ID:z73o3dV8
日本には朝鮮半島にはない稲があるし、日本の稲は黒潮ルートしかないだろう

131出土地不明:2009/10/18(日) 15:17:36 ID:z73o3dV8
米の伝播以前に雑穀を食べていて、米がきた

雑穀の為の道具をそのまま使ったんだろう

132出土地不明:2009/10/18(日) 15:24:41 ID:R9uZVxvq
稲の遺伝子の経年変化
@突然変異して、元に戻ることは確率として少ない。
A群分布の経年変化なら、朝鮮半島南進時に、熱帯ジャポニカは0%になる。
よって、東シナ海ルートか黒潮ルートが、熱帯ジャポニカの伝播路
133出土地不明:2009/10/18(日) 15:57:13 ID:q2vgNfda
ビルマ系ボド語

足 atheng 
目 megan
口 khuga
歯 hatai
毛 khenai
頭 khara
舌 sila


インドネシア語

目 mata
手 tangan>たなごころ
足 kaki >駆ける
歯 gigi >牙
134出土地不明:2009/10/18(日) 18:56:21 ID:0/8/lCcY

鍬は、台湾(卑南遺跡)から出土している。
長江・江南稲作の時代は、釜で炊飯していた。
※鼎は漢族が中国北部から侵攻して伝えた。
>6000年以上前の長江江南の釜(炊飯器)は、さてどれでしょうか。
>(1) http://www.miyazaki-archive.jp/d-museum/unit/hakubutsu/kou/k0009/img/k0009-1.jpg
>(2) http://www.uq.edu.au/news/images/media/9202.002.jpg
>(3) http://inoues.net/museum/torihama81.jpg
>ヒント
>(1) http://www.miyazaki-archive.jp/d-museum/unit/hakubutsu/kou/k0009/
>(2) http://www.spf.org/spinf/news/pdf/wop8.pdf
>(3) http://inoues.net/museum/mikata_museum_kaboso.html
135出土地不明:2009/10/18(日) 21:19:17 ID:7RbThPxh
ほーら、お食べ。ハッカクくせえ茶色豚(爆






◆江南中国土器の様々な器形


鼎のオンパレード。鼎の初期器形の釜形鼎、日本には弥生末まで無い蓋に注意。
http://www.hemudusite.com/products.asp?sort_id=5&page=5
水差しのオンパレード。?(カ)、?(サン)、長頸壺、鳥型の三足土器の?(キ)。単耳、把手、圏足に注意。
http://www.hemudusite.com/products.asp?sort_id=5&page=4
蓋、器座という器台。日本には弥生末まで無い。使用目的さえ分からない支架。甑の双耳に注意。
http://www.hemudusite.com/products.asp?sort_id=5&page=3
盂のオンパレード。日本には無い器種。日本には弥生末まで無い蓋。
http://www.hemudusite.com/products.asp?sort_id=5&page=2




136出土地不明:2009/10/19(月) 22:54:06 ID:lWthcul4
「鵜飼」は満州や朝鮮半島にも見られる。


満州の京都ともいわれた古都吉林の松花江の鵜飼は6月から9月までの日中に
行われる。鵜縄をつけずに川に放った鵜が魚をくわえると網で船にすくい
あげて吐かせるという満州式の鵜飼であった。
http://www.jiyuu-shikan.org/shoseki_video4.html

日本の鵜飼いは、鳥居氏に便乗すれば、江南よりも朝鮮や満州の
北方民族から伝わったのかもしれません。鴨緑江や松花江などでも
鵜飼いは見られます(注9)。
http://www.han.org/a/half-moon/hm080.html
137出土地不明:2009/10/19(月) 22:55:09 ID:lWthcul4
しかも日本の「鵜飼」は中国よりも古い。


鵜飼いの歴史は古く、『日本書紀』神武天皇の条に鵜養部のことが見え、
『古事記』にも鵜養のことを歌った歌謡が載っている。また中国の史書
『隋書』開皇二十年(600年)の条には、日本を訪れた隋使が見た変わった
漁法として紹介されている。

隋書の書かれた時代には鵜飼いは中国人にとって珍しい漁法だったが、
その後中国においても鵜飼い漁法が定着した。

確実な記録として最古の物は、10世紀の文人・陶穀が残した『清異録』
(965年)において、当塗(安徽省太平府の都市)の漁民が「魚を捕らえる
のに非常に機敏な鵜を使う」と記述されているのが最初である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B5%9C%E9%A3%BC%E3%81%84
138出土地不明:2009/10/20(火) 21:48:39 ID:ZHmOe9pb
キムチくせーなー
139出土地不明:2009/10/20(火) 22:26:01 ID:uZBsnKTq
トンスルくせーなー
140出土地不明:2009/10/20(火) 22:46:18 ID:u+usxDSp


ホンタクくせーなー


141出土地不明:2009/10/20(火) 22:48:42 ID:rCRKoS6f
と、もはや涙目でセン人認定するしかない台湾褐色広鼻土人なのあった(爆
142出土地不明:2009/10/20(火) 22:51:11 ID:ZHmOe9pb
↑ 感動のあまり、ろれつが回らない。
143出土地不明:2009/10/20(火) 23:00:49 ID:twNx/32U


ケコギくせーなー


144出土地不明:2009/10/20(火) 23:08:59 ID:BmgmFug0
「貫頭衣」は単に人類最初の服装の形で、古代から現代まで世界中に見られる。


●貫頭衣 (かんとうい)
一枚の布を2つに折り、その折り目の中央に穴をあけ、そこから頭を貫いて
(通して)衣服としたもの。エジプト時代から見られる原始的な衣服の
形式である。ポンチョやガラビアなどもこの一種。
http://www.frontstyle.com/dictionary/j_ka.html

人類最初の服装の形は一枚布であったり、一枚布の真ん中に穴を開けて
被るという貫頭衣というシンプルな形であった。
http://homepage1.nifty.com/mottoi/kokusai8.htm

人類の衣服の工夫の中で最も単純な基本形として、貫頭衣の分布は広いが、
南米アンデス諸国に見られるポンチョがその代表的なものとされている。
http://www.h6.dion.ne.jp/~fu35/minzokuHP/ajia/indonesia.htm
145出土地不明:2009/10/20(火) 23:09:42 ID:BmgmFug0
古代ローマ時代の貫頭衣のような、一枚の布の頭の部分をくりぬいた
だけの服を着ていた。
http://home.att.ne.jp/red/senseofwondr/mou2.htm

古代中国もローマもギリシャも布を纏うか貫頭衣であった。
http://www.lcv.ne.jp/~yokota/contents/mumble/ykt/970410.htm

ローマ時代のイタリアでは男性はトーガという貫頭衣
http://www.psats.or.jp/psats.or.jp/column/nakamura027column.html00
146出土地不明:2009/10/20(火) 23:16:00 ID:Om51Xmyl


ポシンタンくせーなー


147出土地不明:2009/10/21(水) 19:18:03 ID:aO8f6fO3
九州のほうにはどんな氏族がいたの?
148出土地不明:2009/10/21(水) 19:36:03 ID:kB7GXq00
朝鮮半島に稲作が伝わったのは4〜5000年くらい前。


1990年金浦佳■(山と見)里泥炭層から採取された稲籾は4,010+-25BPと
報告されており、問題もあるがもし報告が正しいとすれば韓国での稲の
出現は新石器時代中期段階にまでさかのぼる可能性がある。
http://inoues.net/study/japonica3.html
最近は紀元前2000年ころ(?)とみられる種籾が、漢江の河口に面
する金浦(キムポ)と一山(イルサン)で発見されました(注)。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~halfmoon/hm072.html
然し1992年には、それよりも早い時期の粳米を韓国の清州市における
家瓦遺跡から大量に発見された。今から4721年(+−50)年前と
推測されているが、同時に出土された樹木年輪測定からすると、
今から5020年前のものだと修正がなされた。
http://sakura-nokishita.spaces.live.com/blog/cns!6CB04EFFB064FA79!1873.entry
149出土地不明:2009/10/21(水) 19:36:55 ID:kB7GXq00
中国から直接日本に伝来した事にされているRM1-b遺伝子の稲の
調査が日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の朝鮮の炭化米で
なされていない。

かつては朝鮮半島にもRM1-b遺伝子の稲は存在したが朝鮮半島の自然環境に
適応できず遺伝子が消滅欠損してしまった可能性が十分に考えられる。

佐藤洋一郎容疑者はただちに日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の
朝鮮の炭化米でRM1-b遺伝子の有無を調査し、その結果を国民に公表せよ。

考古学界を混乱させた貴方にはその責任がある。

それをしない内はペテン、詐欺と言われてもしかたがない。
http://www.athome-academy.jp/archive/images/0000000116_discussion_004.gif
150出土地不明:2009/10/21(水) 19:47:57 ID:aO8f6fO3
日本における稲は、もとをたどれないほどに分化しているというが、
それでも山間部や僻地にはカバシコあるいはジャコウマイなどという
香りの強い品種が残存していたり、種子島や対馬では赤米が栽培され
古い稲作の様子をさぐる手がかりになるものとされる。
ところでカバシコあるいはジャコウマイや、赤米も朝鮮半島からきたの?

参考文献:【縮刷版】日本民俗事典 大塚民俗学会編 弘文堂
151出土地不明:2009/10/21(水) 22:26:36 ID:lHKGzre9
赤米は古代からあるから朝鮮経由だろうけど、香米は江戸初期まで
文献に登場しないから朱印船貿易時代に東南アジアから持ち込まれた
んだと思われ。

152出土地不明:2009/10/21(水) 23:55:56 ID:MZEEopYM
対馬は古代から日本領だったので長江から来たんだろうね
あの場所は朝鮮人が入れなかったから
153出土地不明:2009/10/22(木) 00:35:01 ID:Rxcl3nQn
はい、詐欺ワン豚は日本から出てった出てった。
154出土地不明:2009/11/09(月) 18:57:24 ID:fUf/f4NS
こんなページ、見つけた。

縄文と古代文明を探求しよう!
ttp://www.kodai-bunmei.net/blog/
155出土地不明:2009/11/12(木) 00:59:27 ID:FXb7Xt3K
高床式「倉庫」は北方アジアから直伝している。




高床式建物はシベリアやアムールにもあるけど何か?

http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1164871625/




156出土地不明:2009/11/15(日) 16:42:34 ID:MwwNz0wF
半月型石包丁(桂葉形雙孔石刀)は遼寧を経由している。


中国遼寧省羊頭窪遺跡.  黒陶系土器 石器(石包丁 磨製石鏃) 紡錐車 骨角器 卜骨
http://www.museum.kyoto-u.ac.jp/museumF/jpncul.html

紅山文化は北方地区の新石器文化の中で重要な文化です。ここでいう北方地区とは、
東北3省(遼寧、吉林、黒龍江)、内蒙古自治区および新彊維吾爾(ウイグル)自治区を指します。
大型石器の中で特徴的なものに、土掘具(耜あるいは犁とも呼ばれる)、桂葉形の双孔石刀があります。
http://kohkosai.web.infoseek.co.jp/kaisetu/15-1kouzan.htm

中国北部の文化が東北部の遼西まで及んでいるいることを知りえた。それに、石包丁が出土していた
のには目を見張った。日本に石包丁が伝わったのはそれから3千年もたった弥生時代になってからなのだ。
http://kyohiro.blog.ocn.ne.jp/
◆遼寧の石包丁
http://kyohiro.blog.ocn.ne.jp/./photos/uncategorized/2008/02/04/070827_078_2.jpg
157出土地不明:2009/11/16(月) 19:07:07 ID:G/nNH7LZ
椰子の実の和歌があったような

島崎藤村だっけ
158出土地不明:2009/12/03(木) 19:23:12 ID:njkKTRfK
かつて南九州に、熊襲・隼人という民族がいたはずだけど、彼らも半島から渡来したの?
159出土地不明:2009/12/03(木) 22:31:13 ID:XAT2xipo
158
熊襲隼人が東南アジアから日本に来た頃、半島に人は住んでなかったよ
160出土地不明:2009/12/04(金) 18:46:33 ID:LIolOTT1
こんな論文、みつけた。

海からみた日本の先史文化
ttp://jomon.sakura.ne.jp/kiyou2-oda.pdf
161出土地不明
日本人は黒潮にのってきたんだろうな