天皇稜を発掘する

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1出土地不明
のはなんで駄目なんだ?
教えて右翼さん
2出土地不明:2009/02/12(木) 20:05:39 ID:uChp8Ikm
仲津天皇陵
3出土地不明:2009/02/12(木) 23:59:46 ID:YwaMgQra
>>1
右翼じゃないが教えてやる。
日本に天皇陵は数々あるが、天皇稜は1つもないから物理的に不可能なのだ。
4出土地不明:2009/02/13(金) 01:00:13 ID:8+TP5dlT
>>1
ありゃ実は明治時代にそこらの古墳をテキトーに天皇陵認定したものだから
掘ったらバレルのでまずいのよ。

いわゆる仁徳天皇陵でさえ誰が埋まってるのかイマダニわからないのだよ。
5出土地不明:2009/02/13(金) 01:17:36 ID:b4YvE1jq
>>3
変換ミスでした

>>4
じゃあなんで宮内庁じゃなくて右翼が騒ぐの?
6出土地不明:2009/02/13(金) 01:19:36 ID:rmff99lB
墓荒らしうざい
古墳の管理もできない連中に掘らせるかよ
7出土地不明:2009/02/13(金) 01:26:28 ID:8+TP5dlT
>>5
しらね、右翼に聞いてきたら?w
8出土地不明:2009/02/13(金) 02:11:50 ID:b4YvE1jq
>>7

右翼こないか期待してたんだがなwww
9出土地不明:2009/02/13(金) 17:43:50 ID:PZtsmDpH
保存技術がさらに発達するまで、古墳はほっとけ。
周恩来はこの点偉大。
天皇御陵は適当に決めたが本当の天皇の墓もあるだろうしな。
おれは右翼的だが発掘に反対はしない。
ところでスレ主は中学生っぽいね
10出土地不明:2009/02/13(金) 18:12:41 ID:b4YvE1jq
>>9よく言われるよ

だいたい分かりました
11出土地不明:2009/02/13(金) 22:15:57 ID:8+TP5dlT
まあ日本の場合墓誌を入れる習慣がないので掘っても
誰が埋まってるか明白な証拠は出てこないんだけどね
内装や副葬品と記録を突き合わせて状況証拠から推定するしかない。

エジプトみたいにヒエログラフが一緒に埋まってれば被葬者やその事績まで分かって
ツタンカーメンみたいに正史から抹殺された王様を見つけて歴史を覆す大発見なんて事もありうるが
日本だと謎の遺跡発見でムーの読者が喜ぶだけw
1211:2009/02/13(金) 22:18:51 ID:8+TP5dlT
×ヒエログラフ
○ヒエログリフ
13出土地不明:2009/02/13(金) 23:13:27 ID:pVNpcc15
天皇陵の発掘調査を宮内庁に認めさせるスレ3墓目
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1202095195/
14出土地不明:2009/02/14(土) 12:23:33 ID:eAwSJ67T
古墳などを掘るのはいろいろな出土品もあるので、誰も興味があるのは分かりますが、
それは同時に貴重な遺跡の破壊でもあるので、今は発掘より保存の方が重要です。
15出土地不明:2009/02/14(土) 14:11:19 ID:F4C2lWAk
16出土地不明:2009/02/14(土) 14:46:30 ID:U1Rs28Pz
関係ないですが、最近いろいろ言われてますが、
私は、皇太子様は、真面目で妻思いで尊敬できます。
少し世渡り下手ですが、それはそれで実直な証拠です。
秋篠宮様は世渡り上手な感じで、ちゃらちゃらしていて
とても尊敬できません。
17出土地不明:2009/02/14(土) 17:38:16 ID:4p+kv76j
明日香の石舞台古墳は、蘇我馬子の墓ということでほぼ確定している。しかし、なぜ破壊されたかについては、納得できる説明がなされていない。
乙巳の政変により蝦夷と入鹿が失脚したから、蘇我氏の墓は暴かれても当然、なのだろうか。
この墓は、近代考古学によって馬子の墓と比定されるまでは、天武天皇の墓と考えられていたという。この説は何故破棄されたのだろうか。
現在の天武陵は、持統との合葬墓だが、これは藤原宮の南に位置する。ひところ聖なるラインの存在が取りざたされたことがある。
天武陵にあわせて都を作ったとは考えにくいから、当然都のプランが先だろう。
ところが天武の死は686年、藤原京の建設は690年に開始。その間4年の開きがある。
天武はまずどこか別の地に埋葬され、妃の持統が死んだ後、その陵に合葬されたと考えるのが自然ではないか。
石舞台を天武の墓と考えれば、なぜこの陵が放棄され、墳丘を破壊されたか納得できる。
その所在する島の庄は、天武にとってもゆかりの地である。
古墳としての様式が飛鳥時代のそれであるというが、天武時代に再建されたであろう法隆寺は飛鳥様式である。
18出土地不明:2009/02/14(土) 19:10:27 ID:eAwSJ67T
>>16
馬鹿な人が名も無い庶民ならその被害は少ないからいいけど、
それなりの立場にいる場合は弊害が大きいことも自覚して欲しいね。
19出土地不明:2009/02/14(土) 21:51:35 ID:m+we3JXM
箸墓は調査して欲しい
20出土地不明:2009/02/18(水) 02:06:02 ID:mXZxNbch
>>17
確かに、朝鮮人が反日でないと、日本人が嫌韓でないと、枕を高くできない人達がいることも事実です。
しかし二千年以上前から朝鮮半島の隣に住む私達に言わせればそれは無用の心配というもの。
彼らが先天的に他者と協調する能力など持ち合わせていない事は、私達が誰よりも良く知っているからです。
21出土地不明:2009/02/20(金) 02:11:45 ID:Yfy8Pn95
>>20

協調性がなかったら渡来人が日本化しないよ
22出土地不明:2009/02/27(金) 00:24:25 ID:FZNF5lhn
うざい

先輩後輩うざい
23出土地不明:2009/03/01(日) 00:29:49 ID:A6k6oHBI
後半と後葉て何がちがうんだ?
24出土地不明:2009/03/01(日) 01:40:38 ID:ggXT3usQ
>>23
後葉→〜の後ろの方(後代など)
後半→1つを半分に分けたうちの後ろ半分
25出土地不明:2009/03/01(日) 15:14:52 ID:/hs2FzBd
>>9が正解だよね。
要するに今発掘すると内部がカビだらけになるからw

保存技術が確立したり調査のノウハウが蓄積するまでは最重要級の
天皇陵は開けない。
たしか始皇帝陵も同じ理由で発掘調査をためらっているはず。
その気になれば明日にでも重機を持ち出して土を掘り返すこともできようが、
記録に伝わるような遺構が出現した場合、今だと壊してしまう可能性が大。
そうなると二度と取り返しがつかない。
あと天皇陵の場合は構築物が現役だからってのがあるかも。
秦王朝はすでに滅んで関係者も散ったけど天皇家は今でも存続機能している。
26出土地不明:2009/03/02(月) 04:03:13 ID:rxfFhCyC
◆造山古墳の謎を解明へ、岡山大が発掘調査

 前方後円墳で墳丘の大きさが全国4位の造山(つくりやま)古墳(岡山市、国史跡)=写真・本社機から=について、岡山大は1日、本格的な発掘調査を始める。
同古墳は全長350〜360メートルと推定され、全国3位で同時期の築造とされるミサンザイ古墳(履中天皇陵、堺市)に匹敵しており、天皇陵と並ぶ巨大古墳が、畿内以外に築かれた謎に迫る。

 調査は3年計画で、初年度は前方部の西側、後円部北側の2か所を発掘。墳丘の周濠(しゅうごう)の有無を調べて全長を確定させ、埴輪(はにわ)を発掘して、5世紀前半とみられる築造年代の特定を目指す。

 国内最大の大山古墳(仁徳天皇陵、堺市)などは造山古墳以降の築造とされ、調査にあたる新納(にいろ)泉・岡山大教授(考古学)は
 「畿内をライバル視していた吉備の権力者が巨大な古墳を造ったことで、畿内の古墳造りに火を付けたとも考えられる」
と話している。

(2009年3月1日 読売新聞)
http://osaka.yomiuri.co.jp/university/research/20090301-OYO8T00294.htm

◇造山(つくりやま)古墳(岡山市、国史跡)=写真・本社機から=
http://osaka.yomiuri.co.jp/photo/20090301-471847-1-N.jpg
27出土地不明:2009/03/03(火) 16:21:08 ID:UOpg2etT
でも天皇稜を発掘すれば考古学は20年は進むのになぁ
28出土地不明:2009/03/04(水) 02:29:57 ID:Vx1nOsTh
まぁ歴史好きだから俺も開けては欲しい
でもツタンカーメン発掘時に花輪とか破壊しちゃったし
首飾りの宝石は盗まれたし
やっぱり慎重であるべきだよ。


あと俺は9なんだがスレ主に中学生とかいってすまんな。
ただ右翼さんとかいうのは人を小馬鹿にしてて子供っぽいから中学生と言った。
29出土地不明:2009/03/04(水) 19:40:51 ID:1JAee0FG
>>27
目先の興味のために2000年近い歴史を有する
過去の貴重な遺跡を破壊するのは止めるべきだろう。
30出土地不明:2009/03/08(日) 15:51:21 ID:zhttahFe
>>29

それを言ったら天皇稜だけじゃないよ


人間がいる限り遺跡は破壊されてしまう。その前にきちんと調査してその存在を記録すべき
大体、日本考古学の調査・保存レベルは世界でトップクラスの精度がある。確かに破壊ではあるけど、最低限だよ
31臣民:2009/03/08(日) 16:15:58 ID:rwlS39Ox
>大体、日本考古学の調査・保存レベルは世界でトップクラスの精度がある。

wwwwwwwwwwww
いくつ古墳をカビだらけにしたら気が済むんだ?w
32出土地不明:2009/03/08(日) 16:56:15 ID:zhttahFe
>>31
カビってるやつは中央の役所仕事の責任

きちんとした研究機関の保存技術は確かなものだし神経質なぐらい気を配っている

例えば木簡だが、橿原考古学研究所ではその保存技術のおかげで発見当時の鮮明さを保っている
それに大抵の古墳は工事とかでやむなく破壊されない限り、築造当時の表面を保護しつつ埋め戻され地中保存されている

33出土地不明:2009/03/08(日) 18:35:58 ID:oQmREz9c
現在の技術では地中に埋蔵された物質が大気中に晒された時点で
埋蔵時の状態から変質することを防止することは不可能だから、
良心的な学者ならよほどの緊急事態でない限り発掘は避けるだろう。
34出土地不明:2009/03/08(日) 23:08:25 ID:zhttahFe
>>33

じゃあエジプト考古学の吉村さんは全く良心的でない学者なんだね

その成果で喜んでる人も多いけど
35出土地不明:2009/03/08(日) 23:20:24 ID:+kRF1TX3
発掘、保存技術は発掘して進歩するんだから
そんな事を言ってたら永久に掘れない。
36出土地不明:2009/03/08(日) 23:52:01 ID:zhttahFe
>>35

結論出ました〜
37出土地不明:2009/03/09(月) 06:52:59 ID:/1n1YsK+

お前はファイバースコープが石棺の中を覗くため発明されたとでも言うのかね
暴論やめい
38臣民:2009/03/09(月) 07:02:51 ID:p9rZ1VhK
吉村作治は人格破綻者で有名だろww
39出土地不明:2009/03/09(月) 09:46:05 ID:PAHCQNaA
>>37

何が言いたいの?
40出土地不明:2009/03/09(月) 12:53:34 ID:/1n1YsK+
>>39
35へのレスだが。
41出土地不明:2009/03/09(月) 14:42:07 ID:PAHCQNaA
>>40

よく知らんのだが、ファイバースコープは結果としていい方向で使われているんじゃないのか?
42出土地不明:2009/03/09(月) 15:06:07 ID:h4/kpXFy
>>35
破壊されても損害が少ない遺跡で発掘技術を向上させてからと言うことですね。
43出土地不明:2009/03/09(月) 15:57:59 ID:T04tlqnQ
天皇陵とされている前方後円墳はユダヤ人の墓です。前方後円墳の形はマナの壺の形です。発掘調査をするとコジキや日本書紀が全部嘘っぱちだとバレるし、天皇がユダヤ人だということがバレるので発掘調査させないんですよ
44出土地不明:2009/03/09(月) 16:02:06 ID:LartiL0p
日本の考古学が、ちゃんとした科学になってからだな
45出土地不明:2009/03/09(月) 18:47:29 ID:/1n1YsK+
>>41
説明不足すいやせん。

35は発掘によって保存技術高まるから発掘しろみたいな事言ってるみたいだが、
ファイバースコープみたいに発掘と関係なく保存に役立つ技術は開発されるから、
むやみやたらに発掘するのはやめようという趣旨
46出土地不明:2009/03/09(月) 23:12:37 ID:PAHCQNaA
>>45

納得

てかみんなどこで知識得るの?考古学の学生さん?
47出土地不明:2009/03/09(月) 23:41:19 ID:/1n1YsK+
さぁ?
俺は法学生だが。
そんな高度な知識をこのスレは論じてないような。
48出土地不明:2009/03/10(火) 00:52:42 ID:+E6C8PWt
>>47

高度っていうか、この議論は知識より価値観によるからなぁ

考古学を学んでる人は発掘してほしいやろし
ただ、天皇陵とかは掘って無駄にならん事は確か
49臣民:2009/03/10(火) 01:04:35 ID:phUwgbwz
どうしても掘りたければ、発掘者の厳密なチェックが必要だな
反日学者に日本の歴史を貶める機会として使われたくはない
歴史というものは、過去の断片からの推測を要求される以上、イデオロギーや主観から完全に中立になることは不可能だ
50出土地不明:2009/03/10(火) 01:09:42 ID:+E6C8PWt
>>49

正直偏った学者が通用するほど考古学の研究者は甘くないだろ

荒唐無稽な理論が通用するのはどこかの国だけ

発掘者は問題ない
51出土地不明:2009/03/10(火) 01:46:51 ID:bQy97XIf
仮説が成立すれば一応どんな説でも主張できる上に
完全な証明は難しいものが多いしなぁ

52出土地不明:2009/03/11(水) 00:06:00 ID:vmNzQRV1
いつだったか大阪の金山古墳の事を蘇我氏の墓だとも考えられると
書いてた人が居たんだけれど、そこら辺り詳しい方教えて下さいませんか?
53出土地不明:2009/03/11(水) 07:49:03 ID:WyOTH6vY
それは、双円墳という墳形や装飾須恵器など渡来系要素が検出され、文献によるとそこは蘇我氏の支配地であったからじゃね
54出土地不明:2009/03/12(木) 22:48:08 ID:CGd8u5ap
>>40 >>45
アンタの言う発掘はファイバースコープで中覗いて終了かいw
ごく特殊な例外事項で正当化か。
55出土地不明:2009/03/13(金) 11:35:49 ID:zt+tAV/5
>>54
君は日本語がよめないの?
単なる例示
発掘や遺物の保存に役立っている
防カビ剤やら土木機械や赤外線分析機や遠心分離器や加速器やら各種樹脂
が発掘の為開発されたとでも?

馬鹿なの?それともアラシなの?

本気なら馬鹿に噛みつく馬鹿だから謝罪するが
君が普通の日本人なら単なるアラシとしか思えない。
56出土地不明:2009/03/13(金) 21:13:33 ID:T0tGj6Y+
>>55
それが発掘に使えるってのは発掘しなきゃわからんのだがw
防かび剤や、加速器や各種樹脂を作ってる連中が発掘にも使えますよって持って来るのか?
57出土地不明:2009/03/13(金) 21:22:39 ID:T0tGj6Y+
どんなに優れた防かび剤が出来ても単に防かび剤が出来たと言うだけで
それが発掘現場で使えるかどうかは発掘現場で使ってみなければわからない

畳の上でどんなに必死に水泳の練習をしても泳げるわけではない。
58臣民:2009/03/13(金) 21:48:47 ID:Bre2jfaM
本末転倒だね
保存技術の向上実験のために古墳をカビだらけにするんじゃ、なんのための保存技術かわからないね
保存技術のために掘るのか、掘るために保存技術を使うのか、はっきりさせるがよろし
59出土地不明:2009/03/13(金) 22:03:24 ID:T0tGj6Y+
本末転倒たって技術はそう言うもんだ、使ってみなけりゃ判らないし進歩も改良も無い
飛行機や車だって犠牲が出てそのたびに調査されて進歩する
犠牲を一切許さないのなら、飛行機飛ばすな車に乗るなって事になり

カビがそんなに怖いのなら考古学なんてやめちまえて事になるw
60出土地不明:2009/03/13(金) 22:05:29 ID:rnLMZvce
カビを防ぐ技術など、本物の古墳使わなくてもいくらでも実験出来るだろ
それを怠っといて、技術向上のために古墳を掘らせろってのは戯れ言にしか聞こえん
考古学者は、小学生の理科から勉強し直せ
61出土地不明:2009/03/14(土) 01:28:34 ID:kGBJX035
55だがまぁ上の人らが大体語ってるな。
破壊されたら二度と戻らない唯一無二の物で実験するなんてキチガイ沙汰だ。
大体古墳で実験しなくても有効かどうかは大抵わかるし。
未来には古墳で実験しなくともその手法が有効か調べる技術が開発されうるし。
あと本筋の未来はもっと優れた技術が開発されるから保存すべきとの主張に
なんら有効な反論がないのは気にかかるが、日本語がよめないからしょうがないか。
62出土地不明:2009/03/14(土) 10:36:46 ID:ccrW6iFF
破壊しても損害の少ない遺跡なら発掘してもいいが、
貴重な遺跡は今の考古学の水準で発掘するのは、
貴重な文化遺産の破壊になるので止めるべきだろう。
63出土地不明:2009/03/14(土) 15:39:29 ID:Z7KUhVle
何故こうも考古学は虐げられるのかなぁ
64出土地不明:2009/03/14(土) 23:41:19 ID:Jf3H3zA0
>>63
書き込みを見てればわかるでしょう。
65出土地不明:2009/03/15(日) 09:00:10 ID:ByM1mrEE
>>63
考古学に対する悪いイメージは、一部の考古学者の思い上がった言動も一因だろう。
66出土地不明:2009/03/15(日) 12:20:08 ID:asRetyr4
>>65

どんな発言?
67出土地不明:2009/03/16(月) 03:50:55 ID:9zo9N0An
>>60
その実験が本当に実物で使えるかどうかは古墳でやってみなくちゃ判らない訳だがw
でその実験でどんな結果が出たら満足するんだ?

実験では完ぺきです、でも実際にやったらどうなるかわ分かりません
でも気にせずに掘らしてくださいって言ったら結局オマイは反対するんだろw

>>61
大抵判ると言うが、
じゃあ大体わかったから掘らしてくださいて言ったらまた反対するんだろw

唯一無二だからダメですなんて言ったら、光や酸素に触れるから古文書も開けちゃいけないって事になっちゃうぞWww
68出土地不明:2009/03/16(月) 03:54:46 ID:9zo9N0An
風洞での実験や設計上は大丈夫でした

でも飛ばしたら墜落しました
なんて例は飛行機ではいくらでもあるんだがw

実験で良けりゃいいなら車のリコールなんて発生しないよ。
69出土地不明:2009/03/16(月) 04:49:40 ID:OSh0MLrI
>>67,68

問題は、古墳のカビに関しての報告が極めてお粗末
まず、生物化学的分析とカビ発生のメカニズムの究明が第一に必要だ
そして、文化庁の隠蔽体質、チェック体制、意思決定、権力構造を含めた、組織的方法論的分析がない
科学的にやっても、飛行機は絶対に落ちないとは言い切れない。しかし、事故を教訓と
して、事故から学ぶ姿勢が大切。

これは、むしろ考古学者のせいではないと思うが、考古学に要求される科学的教育が、全くなされていない現状が問題
いわば、原子物理学をフランス文学者がやってるようなもので、スキルセットが全く合っていない

今の考古学者に科学的アプローチを求めるのは、フランス文学を科学的に分析しろと言ってるようなもんだからな
7069:2009/03/16(月) 04:52:17 ID:OSh0MLrI
今の考古学者に科学的アプローチを求めるのは、フランス文学を科学的に分析しろと言ってるようなもんだからな
7169:2009/03/16(月) 04:54:11 ID:OSh0MLrI
↑連投失礼
誤>>今の考古学者に科学的アプローチを求めるのは、フランス文学を科学的に分析しろと言ってるようなもんだからな

正)フランス文学者に科学的に分析しろと言ってるようなもんだからな
72出土地不明:2009/03/16(月) 08:56:45 ID:e8CevuUI
>>67

>結局オマイは反対するんだろ
てお前の勝手な妄想じやねーか!w
妄想を根拠に議論を立てるんじゃあねぇ!


俺は61だが古文書はもうすでに酸素に晒されてるだろ
酸素に晒されてない古文書てなんだよw
どこに存在するんだ!?
あとセルロースと炭素は化学物質としては安定してる物だからな光にも酸素にも強い。
古墳の副葬品や壁画とは違う。
光は退色がおきるからむやみやたらにさらすべきではないが、
古墳みたいに千年以上曝露されてないわけではない。古墳の方がより物質が原形のまま保存されてるだろう。
つまり保存すべきという結論になる。

で未来にもっと保存技術発達しうる。おそらく想像もつかない技術が開発される蓋然性が高いから保存すべきという理由はきちんと検討したのかよ。
2ちゃんなんてわずか二十年前には想像もできないぜw
なら千数百年封印されたものなら百年位待っても良いだろ
73出土地不明:2009/03/16(月) 13:01:32 ID:Bu1deYE1
そんなに保存保存騒ぐなら、家を建てるな車使うなだよ?ゴミもだしたらダメかな
結局は人間の営み自体が破壊なんだから考古学ないと死亡だよ
74出土地不明:2009/03/16(月) 14:42:12 ID:e8CevuUI
議論が噛み合わなくなってきたのは
論破されての話題そらして事でOK?
75出土地不明:2009/03/16(月) 23:34:23 ID:Bu1deYE1
>>74

論破?
76出土地不明:2009/03/17(火) 15:17:00 ID:wZcHm30U
ケロンパ
77くうる丸:2009/03/17(火) 18:05:59 ID:dirE5VCF
 43へ。

 詳しいですね。何か、関連書籍とか、知っていたら教えて。
78出土地不明:2009/03/17(火) 23:49:01 ID:vGX5PwlN
>>77
あるわけないじゃん

適当だろ
79出土地不明:2009/03/18(水) 15:22:54 ID:LpqphMNc
天皇陵とされている前方後円墳はユダヤ人の墓です
80出土地不明:2009/03/18(水) 18:35:39 ID:xLIhfPfQ
>>79

病院を紹介しようか?
81出土地不明:2009/03/18(水) 20:12:06 ID:AsLDW7yp
我が日本が誇る天皇御陵がユダヤ人の墓だと……!?


馬鹿な!そんなヨタ話、ユダヤの陰謀に決まっとる!

82出土地不明:2009/03/29(日) 14:25:10 ID:NS0TqjUk
>>9 確かに壁画が空気に触れて劣化するとかいろいろ不都合ありそうだな!
83出土地不明:2009/04/02(木) 21:01:47 ID:cIIQ4R50
さよう。
副葬品も劣化するだろうし。

ツタンカーメンの発掘のとき胸にあった花飾りは触れただけでバラバラになったしな。

84出土地不明:2009/04/02(木) 22:40:09 ID:aEFE5N4d
朝鮮半島に稲作が伝わったのは4〜5000年くらい前。


1990年金浦佳■(山と見)里泥炭層から採取された稲籾は4,010+-25BPと
報告されており、問題もあるがもし報告が正しいとすれば韓国での稲の
出現は新石器時代中期段階にまでさかのぼる可能性がある。
http://inoues.net/study/japonica3.html

最近は紀元前2000年ころ(?)とみられる種籾が、漢江の河口に面
する金浦(キムポ)と一山(イルサン)で発見されました(注)。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~halfmoon/hm072.html

然し1992年には、それよりも早い時期の粳米を韓国の清州市における
家瓦遺跡から大量に発見された。今から4721年(+−50)年前と
推測されているが、同時に出土された樹木年輪測定からすると、
今から5020年前のものだと修正がなされた。
http://sakura-nokishita.spaces.live.com/blog/cns!6CB04EFFB064FA79!1873.entry
85天国照雄:2009/04/03(金) 02:47:05 ID:upstcsby
皇室というタブーがあるので
縄文の研究の方が進んでしまうかも知れませんね
古墳は墓という事なので発掘し難い部分もあるでしょうけどね
ミイラは発見されてるんでしたっけ?
86出土地不明:2009/04/03(金) 14:39:55 ID:Jim1XzRH
縄文でも弥生でも古墳でも貴重な遺跡はみだりに発掘して破壊しないように願いたいね.
87出土地不明:2009/04/03(金) 17:22:04 ID:buPO7zME
逆に工事で発見された場合はきちんと発掘してほしいけどな。
88出土地不明:2009/04/19(日) 15:00:08 ID:p8OOU+4B
神保町で弥生の住居あとの発掘記録買ったが面白かった
89出土地不明:2009/04/25(土) 00:40:45 ID:6c1+E0Dz
仁徳天皇陵を発掘すれば兵馬俑が出るかも知れんな。
90出土地不明:2009/04/25(土) 03:19:23 ID:qhIUhlf7

        , -, - 、
  ,、 ,、 ,イ!〃 , ='‐ \__ト,__i、_
 l T! Tl'lT_-r-、ィ_‐_7´ l l! l!  | >>89 死ねぃ!        
 l、` ` lヽ_lー〈!_,. - ´j  _ -, !  
  \`丶!、l  ̄ l /,ィ ´  /   
   \ i、!  ̄ l´ ,ィ ヽ/      
  _ _ ,.l lヽ‐_7´ ll   ゝ- .,, _   _
‐ ´// (! l!  ll   ll ノ  //  >'´   ``丶、
  ,','   ヽ、  !l__,.,. -'´  //   /        ヽ
 i l     77 ̄      //  ,'            ',
 !l       l !      ,','   l     ,. -―- 、l
 !l   _   !l   _    !l     ',   / , _,、'" ト=、ヽ
 !l  (O.)  !l  (O.)  l !   _. ヽ / /ヽ ', '、 !〈
 l !_,.. ---.!.!-- ..,,_ l l   (O.) ヽl∧ヘ ヽ_j  ヽJ ',

91出土地不明:2009/04/25(土) 17:35:03 ID:FtbHdDio
糸引き納豆の登場は室町時代頃、なれずしは3C頃に朝鮮経由で伝わる。


平安時代の文献にも塩辛納豆の名は残っているが、一般に広まったのは
室町時代以降でこの頃から糸引き納豆も登場しており区別するために
塩辛納豆を久喜と呼び糸引き納豆を単に納豆と呼ぶようになった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%8D%E8%B1%86

なれずしの歴史は古くて、紀元前には中国で食べられていたらしいんだ。
それが三世紀頃に日本にも伝わって、奈良時代には文献にも登場する。
http://www.kouryu.or.jp/asobi/2003syoku/d/3.htm

「すし」のルーツは遠く東南アジア、メコン川の地域と言われております。
メコン川周辺地域から中国へ、そして朝鮮半島から稲作の伝播とともに
日本へ伝わってきたと考えられているようです。 
http://www3.ocn.ne.jp/~kosaka/izusi.html
92出土地不明:2009/08/06(木) 13:25:12 ID:IH8hfgn3
ホントは人民を奴隷化して築いたのに、発掘したら
「いや〜、古代文明は素晴らしい〜」って森浩一が喜びそう。
93出土地不明:2009/08/07(金) 00:38:41 ID:oPhJEkpk
>>85
力士みたいな名前だな。

94出土地不明:2009/08/07(金) 06:47:42 ID:QckfeiHm
高校の時に、社会の先生が言っていたが、
掘ったら、
「日本民族の自尊心が壊れてしまうものが出てくるらしいぞ。」
そうしない為にも、治定してるんでしょう。
95いかりや:2009/08/07(金) 07:51:40 ID:ZhO2nFtw
日本の考古学は国家に管理されてる訳か。
だめだこりゃw
96出土地不明:2009/08/07(金) 21:24:36 ID:oPhJEkpk
保存技術が十分でないんだから掘るんじゃねーよ。
理由はともかく俺は現状を支持する。
97出土地不明:2009/08/07(金) 23:13:04 ID:Twulua+d
「貫頭衣」は単に人類最初の服装の形で、古代から現代まで世界中に見られる。


●貫頭衣 (かんとうい)
一枚の布を2つに折り、その折り目の中央に穴をあけ、そこから頭を貫いて
(通して)衣服としたもの。エジプト時代から見られる原始的な衣服の
形式である。ポンチョやガラビアなどもこの一種。
http://www.frontstyle.com/dictionary/j_ka.html

人類最初の服装の形は一枚布であったり、一枚布の真ん中に穴を開けて
被るという貫頭衣というシンプルな形であった。
http://homepage1.nifty.com/mottoi/kokusai8.htm

人類の衣服の工夫の中で最も単純な基本形として、貫頭衣の分布は広いが、
南米アンデス諸国に見られるポンチョがその代表的なものとされている。
http://www.h6.dion.ne.jp/~fu35/minzokuHP/ajia/indonesia.htm
98出土地不明:2009/08/07(金) 23:13:58 ID:Twulua+d
古代ローマ時代の貫頭衣のような、一枚の布の頭の部分をくりぬいた
だけの服を着ていた。
http://home.att.ne.jp/red/senseofwondr/mou2.htm

古代中国もローマもギリシャも布を纏うか貫頭衣であった。
http://www.lcv.ne.jp/~yokota/contents/mumble/ykt/970410.htm

ローマ時代のイタリアでは男性はトーガという貫頭衣
http://www.psats.or.jp/psats.or.jp/column/nakamura027column.html00
99出土地不明:2009/08/08(土) 11:58:09 ID:mGxW4Wwv
>日本の考古学は国家に管理されてる訳か

この国のアカデミズムは、中華人民共和国に確かに管理されております
100出土地不明:2009/08/08(土) 15:53:58 ID:W9Ba9W9S
>>94
出てコネーヨw
日本には墓誌を入れる習慣が無いから出てきたものを
古代の記録と突き合わせて無理やり解釈するしかない
ツタンカーメン王みたいに歴史から抹殺された人物が発見されて
未知の記録がワンサカ出てきて歴史が書き換わるなんて事は無い。
副葬品で何か出てきても単に埋められた人に縁のあるものを埋めたっで終了。

そして何より、天皇陵の大半は明治時代にそこらへんの古墳をテキトーに天皇陵認定しただけ
仁徳天皇陵でさえ誰が埋まってうのかいまだに判らない。
101出土地不明:2009/08/08(土) 21:10:44 ID:VQ8Rwl4p
>>94
そんなキチガイ先生に教わってるか?お前〜
そりゃそんなキチガイ書き込みもするはずだ・・・
102出土地不明:2009/08/11(火) 00:09:34 ID:VjfvjG7I
「糸引き納豆」の登場は室町時代頃、「なれずし」は7C頃に朝鮮経由で伝わる。


平安時代の文献にも塩辛納豆の名は残っているが、一般に広まったのは
室町時代以降でこの頃から糸引き納豆も登場しており区別するために
塩辛納豆を久喜と呼び糸引き納豆を単に納豆と呼ぶようになった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%8D%E8%B1%86

日本最古のすしといわれる「鮒ずし」は、7世紀、近江大津宮に天智天皇が
遷都した以前からこの地にあったといいます。フナずしは、すしといっても
現在の握りずしとは違い、すしの原型といわれる「なれずし」の一種です。
なれずしは、米作民族が考え出した動物性タンパク質の原始的な保存法で、
そのルーツは東南アジアとされ、中国、朝鮮をへて日本へも伝えられました。
http://asamiya.sakura.ne.jp/gotouti/siga/siga.html
103出土地不明:2009/08/11(火) 09:11:12 ID:EXxc/7MN
天皇の墓を天皇家の人の労働力だけで造ったとか、正当な代金を
払って造ったとかの場合なら、天皇家固有のものとして、発掘を
拒否するのも正当だと思うが、そうではないだろう?
国民全体の文化遺産として、発掘を許可するべきだろう。
104出土地不明:2009/08/11(火) 11:00:52 ID:R4ZhImAu
なんじゃそら
当時は勿論天皇の墓なら天皇の権限でつくっとる
105出土地不明:2009/08/11(火) 12:00:27 ID:coH168Iy
>>104
>>当時は勿論天皇の墓なら天皇の権限でつくっとる

だから発掘を許可するべきなんだよな。
106出土地不明:2009/08/11(火) 12:01:12 ID:coH168Iy
>>104
>>当時は勿論天皇の墓なら天皇の権限でつくっとる

だから発掘を許可するべきなんだよな。
107出土地不明:2009/08/12(水) 00:14:54 ID:55uYF6o6
おらのご先祖様の墓も国民の文化的遺産にちげえねえだ。

だからおらのご先祖様の墓も発掘してほしいだ。

おらがうちの墓は山寺の裏手にあるだ。
108出土地不明:2009/08/12(水) 05:11:53 ID:Ow4rP7k6
>>107
>>おらのご先祖様の墓も国民の文化的遺産にちげえねえだ。

だからおらのご先祖様の墓も発掘してほしいだ。

それは良いことだな。許可次第で一般人の墓も
どんどん掘れば良い。

天皇の墓を掘ることは日本人のルーツを探ることだ。
現在の天皇家の私的事情など超越した問題だ。宮内庁
は発掘を許可するべきだ。
109出土地不明:2009/08/12(水) 15:22:43 ID:rWrB7K43
大和民族のルーツなw

悪いが、それに選択肢はないぞ。
110出土地不明:2009/08/12(水) 17:30:22 ID:0mY66q99
保存技術向上するまで待て
以上
111soopllofeiv:2009/08/12(水) 17:42:32 ID:eoB2q082
朝廷=中国語
112出土地不明:2009/08/20(木) 21:59:51 ID:Nz9QM4pE
>>103
バカだな

古墳は天皇家のものじゃねぇーよ
あの頃の王家は、今の皇室の先祖ではない
113出土地不明:2009/08/21(金) 11:54:49 ID:j19J67Hz
応神天皇とそれ以前の天皇は血縁がない

か、親戚といえないくらいかなり遠縁
114出土地不明:2009/08/21(金) 12:22:26 ID:QwRFtShQ
「呉服」は百済経由で伝わっている。


また百済国に、「若(モ)し賢(サカ)しき人あらば貢上(タテマツ)れ」
とおほせたまひき。かれ、命(ミコト)を受けて貢上(タテマツ)りし人、
名は和邇吉師(ワニキシ)、すなはち論語十巻・千字文一巻、并(アハ)
せて十一巻(トヲアマリヒトマキ)をこの人に付けてすなはち貢進
(タテマツ)りき。この和邇吉師(ワニキシ)は文首(フミノオビト)等(ラ)の
祖(オヤ)。また手人(テヒト)韓鍛(カラカヌチ)名は卓素(タクソ)、
また呉服(クレハトリ)の西素(サイソ)二人を貢上(タテマツ)り、
また秦造(ハタノミヤツコ)の祖(オヤ)、漢直(アヤノアタヒ)の祖(オヤ)、
また酒を醸(カ)むことを知れる人、名は仁番(ニホ)亦(マタ)の名は
須須許理(ススコリ)等(ラ)参(マヰ)渡り来つ。
http://kamnavi.jp/link/kojiki2.txt
115名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 13:13:43 ID:t//MH+nc
民主党政権になったら発掘出来るようになるかも。
考古学者、関係者よ、政府に突撃だー!
116出土地不明:2009/09/01(火) 00:07:41 ID:bHBfpcI/
酸性雨で古墳の中の金属類が腐食し、日本人のルーツを知る重要な鉄器や青銅器が永遠に失われる
もっと発掘を主張すべき
117出土地不明:2009/09/01(火) 00:45:49 ID:JCrpRGwT
ははh
118出土地不明:2009/09/01(火) 02:36:59 ID:Lk6eb82I
>>112 しかし巨大古墳は宮内庁が皇室の墓地だと主張して、発掘に抵抗するんだな。

119出土地不明:2009/09/01(火) 09:09:25 ID:nzTNbmdp
>>112
見てきたような嘘をつく朝鮮人ですか?
120出土地不明:2009/09/02(水) 20:21:54 ID:ddw5a/ty
「糸引き納豆」の登場は室町時代頃、「なれずし」は7C頃に朝鮮経由で伝わる。


平安時代の文献にも塩辛納豆の名は残っているが、一般に広まったのは
室町時代以降でこの頃から糸引き納豆も登場しており区別するために
塩辛納豆を久喜と呼び糸引き納豆を単に納豆と呼ぶようになった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%8D%E8%B1%86

日本最古のすしといわれる「鮒ずし」は、7世紀、近江大津宮に天智天皇が
遷都した以前からこの地にあったといいます。フナずしは、すしといっても
現在の握りずしとは違い、すしの原型といわれる「なれずし」の一種です。
なれずしは、米作民族が考え出した動物性タンパク質の原始的な保存法で、
そのルーツは東南アジアとされ、中国、朝鮮をへて日本へも伝えられました。
http://asamiya.sakura.ne.jp/gotouti/siga/siga.html
121出土地不明:2009/09/03(木) 21:19:04 ID:44TniJVl
「納豆」「ナレずし」こうした発酵食品は、弥生、縄文にまでさかのぼるといわれ
、魚貝のほか、シカやイノシシの獣肉やヤマドリのような鳥肉の保存食としても
生産されてきたことが考古学の発掘出土骨の研究からわかってきている。

 今でも、東北や北海道の郷土食にあるサケやハタハタの飯ずしは、このナレずし系
に属している。
122出土地不明:2009/09/13(日) 12:38:59 ID:ZnuQ1icS

天皇陵ではないトコを掘ろうとしてる愚か者
123出土地不明:2009/09/15(火) 15:23:16 ID:7xfl14xS
イエスの墓かもしれんな。   
そんなことがばれたら大変。
124出土地不明:2009/09/25(金) 01:46:06 ID:LSeB+Iwh

盗掘したいんだろ? 発掘にかこつけて
125出土地不明:2009/09/25(金) 20:22:08 ID:cZL6yPhH
悪徳県令某男爵が盗掘したものがメトロポリタン美術館に
126出土地不明:2009/09/28(月) 23:06:26 ID:4hPSJret
半月型石包丁(桂葉形雙孔石刀)は遼寧を経由している。


中国遼寧省羊頭窪遺跡.  黒陶系土器 石器(石包丁 磨製石鏃) 紡錐車 骨角器 卜骨
http://www.museum.kyoto-u.ac.jp/museumF/jpncul.html

紅山文化は北方地区の新石器文化の中で重要な文化です。ここでいう北方地区とは、
東北3省(遼寧、吉林、黒龍江)、内蒙古自治区および新彊維吾爾(ウイグル)自治区を指します。
大型石器の中で特徴的なものに、土掘具(耜あるいは犁とも呼ばれる)、桂葉形の双孔石刀があります。
http://kohkosai.web.infoseek.co.jp/kaisetu/15-1kouzan.htm

中国北部の文化が東北部の遼西まで及んでいるいることを知りえた。それに、石包丁が出土していた
のには目を見張った。日本に石包丁が伝わったのはそれから3千年もたった弥生時代になってからなのだ。
http://kyohiro.blog.ocn.ne.jp/
◆遼寧の石包丁
http://kyohiro.blog.ocn.ne.jp/./photos/uncategorized/2008/02/04/070827_078_2.jpg
127出土地不明:2009/09/29(火) 17:47:36 ID:oLICplVJ
結局は時代に名を借りての盗掘ってことだろ。
そっとしておくのが自然な仕草だと思うのだか・・・
128soopllofeiv:2009/09/30(水) 01:16:12 ID:/7RP7M7d
発掘するより
水爆でも////
129出土地不明:2009/10/03(土) 06:28:48 ID:ZF5Yb4cv
大王級古墳100年ぶり発掘、葺き石確認 津堂城山古墳

大王墓級の墳長208メートルを誇る前方後円墳、大阪府藤井寺市の津堂城山(つどうしろやま)古墳(4世紀後半)の墳丘で、
こぶし大の石を敷き詰めた「葺(ふ)き石」が良好な状態で確認されたと同市教委が1日、発表した。古墳は陵墓参考地と国史
跡に二重指定されており、墳丘本体の発掘は約100年ぶり。研究者は「なぞに包まれた巨大古墳を解明するうえで貴重な資
料。陵墓調査・公開への前進にもつながる」と注目している。

 陵墓や陵墓参考地を含む古墳本体が、宮内庁以外によって調査されるのは極めてまれ。今回、後円部墳頂の陵墓参考地
部分を囲むフェンスの基礎部が土砂崩れで露出し、石棺のある竪穴式石槨(せっかく)(石囲い)が崩壊する恐れがあるため、
復旧工事を前に市教委が墳丘すそ部までの長さ50メートル、幅2メートルを発掘調査した。

 その結果、河原石をびっしりと敷いた1段目斜面(長さ9メートル)の葺き石が出土。続く長さ6メートルの平面に並ぶ埴輪(は
にわ)3基や、2段目斜面(長さ6メートル)の葺き石も確認された。市教委は「初期の大王墓墳丘がどんな規格で築造されたか
を推定できるデータが得られた。墳丘上部はえぐられているが、1、2段目の形などからみて、これまで3段とされてきた墳丘が
4段だった可能性もある」としている。

 津堂城山古墳は、大阪平野に群集する大型古墳の中で最も早く築造されたとされる。室町時代、山城に利用されて墳丘の形
が大きく崩れ、王権の象徴とされる巨大な前方後円墳でありながら、明治初期の陵墓治定から外された。1912年に後円部の
墳頂が掘り起こされ、国内最大級の長持(ながもち)形石棺が出土している。

 白石太一郎・同府立近つ飛鳥博物館長(考古学)は「200メートル超の大王墓級の古墳本体に発掘の手が入った意義は大き
い。他の陵墓発掘に宮内庁がどう対応するのか注目したい」と話す。奈良県立橿原考古学研究所の今尾文昭・総括研究員は
「画期的な調査。宮内庁と文化財行政側は立場が違うが、しっかり保存したいという目的は同じはず。宮内庁と地元行政が互い
に活用できる調査データを共有する関係を築くきっかけになれば」と期待を込める。

 現地説明会は、3日午前10時〜午後4時(随時説明)。問い合わせは市教委文化財保護課(072・939・1417)へ。(大脇和明)

ttp://www.asahi.com/culture/update/1001/OSK200910010118.html
130出土地不明:2009/10/03(土) 06:30:51 ID:ZF5Yb4cv
津堂城山古墳から大量の葺き石出土 大阪・藤井寺

 応神天皇陵(全長425メートル)など大王クラスの巨大古墳が集中する古市古墳群内にある大阪府藤井寺市の前方後円墳、
津堂城山古墳(全長208メートル、4世紀後半)で、墳丘を覆っていた大量の葺(ふ)き石が見つかり、市教育委員会が1日、発表
した。現在は木が生い茂る墳丘も、築造当初は「石のモニュメント」を思わせる壮観な姿だったことが分かった。

 墳丘北東側を発掘したところ、墳丘斜面から、にぎりこぶし大の葺き石が当時の状態で大量に出土。墳丘中段の平坦(へいたん)
面にも、数センチ大の石が敷かれているのが確認された。平坦面に石が敷かれた古墳は全国的に珍しく、津堂城山古墳では墳丘
全面に石が敷かれていた可能性が高まった。

 墳丘頂上部近くでは、数センチ大の白い瑪瑙(めのう)の石も多数出土。頂上部に築かれた被葬者を納める石室を神聖にみせる
ため、敷き詰められたという。市教委は「大王クラスの被葬者にふさわしいよう、大量の石を使ってより丁寧に墳丘を築いたのだろう」
としている。

 津堂城山古墳は、宮内庁によって後円部頂上部分が陵墓参考地に指定されているが、指定範囲を囲むフェンスが倒壊の危険が
あるため、発掘調査が行われた。現地説明会は3日午前10時から。



白石太一郎・大阪府立近つ飛鳥博物館長(考古学)の話

 「津堂城山古墳は、(古市古墳群のある)南河内の勢力が大きな力をもつようになって最初に築かれた古墳。これまであまり知られ
ていなかった墳丘構造が明らかになってきた」

ttp://sankei.jp.msn.com/culture/academic/091001/acd0910012051002-n1.htm
131出土地不明:2009/10/04(日) 21:35:17 ID:hdhcHtZq
「歌垣」は百済の帰化人から伝わっている。


翌宝亀元年(770年)3月には、男女230人が歌垣(うたがき)
には百済から河内の地に渡来した王仁(わに)の末孫たちが奉仕した
との記録が残されています。(続日本紀)
http://www18.ocn.ne.jp/~doukyou/shirukai/sub01.html

弓削の道鏡の出身地で称徳天皇がこの地に遊行されて、百済の人々が
歌垣をして慰めたという
http://www.shiga-miidera.or.jp/serialization/shinra/136.htm

歌垣を行った葛井氏ら六氏は百済からの渡来人を先祖としており
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/kaihou26/kaihou26.html
132出土地不明:2009/10/04(日) 21:37:35 ID:GOQH0es6
「歌垣」は現在でも朝鮮半島に見られる。


先生は「韓の国紀行『歌垣』」のなかで、「朝鮮民族には凄味がある、
と、ほとほと思ったのは、この仏国寺の松林で野遊びを見、歌垣の
歌声をきき、そして杖鼓(チャング)のリズムをきいたときであった。
http://homepage2.nifty.com/kodaijin-tamat/index.files/karanokuni.htm

日本にも野遊びはあった。万葉のころ歌垣は絶えた。韓国ではいまも
生活の中にある。
http://www.ric.hi-ho.ne.jp/nishikawasan/siba/karakuni.htm
 
韓国の山野では野遊びをする人々に出会うという。司馬さんは
「人々は強烈なリズムにのって群舞しており、さながら万葉時代の
歌垣や踏歌を現(うつつ)に見る思い」がすると書いていた。
http://www1.coralnet.or.jp/kn/tenti/c2002401.htm
133出土地不明:2009/10/04(日) 21:38:06 ID:HW+NgP1m
「歌垣」は現在でも朝鮮半島に見られる。


先生は「韓の国紀行『歌垣』」のなかで、「朝鮮民族には凄味がある、
と、ほとほと思ったのは、この仏国寺の松林で野遊びを見、歌垣の
歌声をきき、そして杖鼓(チャング)のリズムをきいたときであった。
http://homepage2.nifty.com/kodaijin-tamat/index.files/karanokuni.htm

日本にも野遊びはあった。万葉のころ歌垣は絶えた。韓国ではいまも
生活の中にある。
http://www.ric.hi-ho.ne.jp/nishikawasan/siba/karakuni.htm
 
韓国の山野では野遊びをする人々に出会うという。司馬さんは
「人々は強烈なリズムにのって群舞しており、さながら万葉時代の
歌垣や踏歌を現(うつつ)に見る思い」がすると書いていた。
http://www1.coralnet.or.jp/kn/tenti/c2002401.htm
134出土地不明:2009/10/04(日) 21:42:01 ID:ovMtzjO6
次に、歌垣(かがい・歌會)について語ろう。七七〇年三月、河内の弓削の称徳離宮で歌垣が
行われた。万代にわたる帝と離宮の存続を祈り、周囲六ヶ村男女二百三十人の渡来人が夜を
通して歌い踊った。歌垣は若い男女にとって、他の部落との間の通婚の機会設定に大きな役割を
果たしていた。このころは、山麓の景勝地まで人々が出かけて、賑やかに野外舞踏会を開いた
ものであった。というよりは、日のあるうちは野に遊び、日が暮れると篝火が灯され、酒が
入って宴は佳境に入る。日野の朝鮮坊山では、毎年歌垣が行われていた。
お月見の習慣と併せて、韓半島からの伝来の風習であった。いまも扶餘や慶州あたりの野原では、
夏の夕べに月見の宴を張る。これを野遊とよんでいる。大和の民衆もこの楽しみをまねて、
農業神事に取り入れた。慶州の仏国寺の松林で、水色・桃色・緑・赤など色とりどりの袴・上衣を
着た老若男女が楽しそうに踊るのを見ることができる。杖鼓を膝の前において鞭のようなバチで
打つ。このリズムに合わせて踊る。韓国ではいまでも一般の家庭で使われている楽器である。
日本舞楽の羯鼓に似た楽器である。筑波山麓の歌會や常陸国風土記にある童子女松原の歌會が
知られている。筑波嶺の歌會で詠んだ歌一首と短歌が万葉集巻九にある。この伝統が盆踊りの形で
現在の日本に引き継がれた。
http://www.tmd.ac.jp/med/mtec/wakamatsu/emperor/historybackground.pdf#search
135出土地不明:2010/02/07(日) 10:44:59 ID:vJbMhSaZ
幕末に仁徳陵が大雨で一部崩落
石棺が垣間みえた という話を読んだことがある
136出土地不明
たいふーん