1 :
出土地不明 :
2006/06/09(金) 04:01:36 ID:xfb68pu/ 主観や解釈の相違で二転三転するようなチマチマしたエビデンスを出すな!理性と客観性を軸にした大局を読んだ議論を展開してほしい
2 :
出土地不明 :2006/06/09(金) 06:59:16 ID:Z9EPzzv9
2get!!
3 :
出土地不明 :2006/06/09(金) 11:46:27 ID:5+lfGTx2
3なの?俺
4 :
出土地不明 :2006/06/09(金) 13:22:09 ID:XcWNAq9j
急には発祥してないぽ
5 :
出土地不明 :2006/06/09(金) 19:15:38 ID:5BnGiUT5
スレ立ては義務教育を終えてから
6 :
出土地不明 :2006/06/09(金) 22:46:31 ID:qdjnaB+q
↑女を知ってからじゃなかったの?既出ならスマソ
7 :
出土地不明 :2006/06/10(土) 04:03:05 ID:qXEDm1qd
じゃあ例えばインダス文明の前段階の文明について説明夜露死苦
8 :
出土地不明 :2006/06/10(土) 04:28:24 ID:AXQZelQY
インダスって一番分かってないとこじゃないの 中国なら前5000年以前でも老官台文化とか後李文化とかの存在は知られてるし エジプトなら初期王朝期に文化圏が統一される以前のアムラー文化・ゲルゼー文化の調査は 何十年も前から行われてるしオリエントにいたってはPPN期以降のウルやイェリコやメギッドや レバントのナトゥーフ文化みたいなのの社会発展が筑波はじめ日本の大学でも研究されてる 教科書では端折られるけど新石器時代の初期村落研究って結構進んでるよ
9 :
出土地不明 :2006/06/10(土) 08:27:26 ID:qXEDm1qd
情報ありがとう セビル文化にしろナトゥーフ文化にしろ、定住→農耕牧畜→都市化ってプロセスを経てるのは自然だけど、それはあくまで僕ら現代人の人類であるという事が前提で可能なプロセスであり、ナントカ原人、クロマニヨン人が創れるレベルの文明じゃないよね? 僕が知りたいのは人類の進化を視野に入れた文明形成の段階的発展の論証なんだよ まずクロマニヨン人と現代人の中間種っているの?
10 :
出土地不明 :2006/06/10(土) 08:49:58 ID:AXQZelQY
そもそも文明の定義は? 従来言われてきたような「都市への定住と交易ネットワークの形成」みたいなものであっても トインビー以降の「文化的同一性の共有」であってもその元になるのは集住地である都市でしょ? じゃあ都市化の定義は? 考古学ではcivitasという言葉に集約されるような高密度居住とそれに伴う階層化・職業分化、 周辺領域を含めた集住地域に対する恒久的サービスの実現なんかがその条件にあたるわけだけど これらを数万年前のクロマニヨンやその直系的な末裔に求めるわけ? 現状の史料状況からはクロマニヨンだの原人類だのはいなくなってヒトのメインストリームが現生人類に 完全に移行してから大分後に都市化があり文明化があったとするしかないわけだけど その達成をあえて旧人類にまで遡及させる意味は何なの?
11 :
出土地不明 :2006/06/10(土) 10:10:52 ID:/6HP43pf
12 :
出土地不明 :2006/06/10(土) 10:14:40 ID:1WgxesFH
洪績世(新生代第4期)の人類は激しい海進海退を繰り返す現代の海水面 よりもっと下に主要生息地としていたのだと考えられる。 現代の大陸棚の一部は、この時期、海上面に露呈しており、日本もかつ ては朝鮮半島や樺太と陸続きだった。クロマニヨン人の洞窟も多く海底 洞窟から発見されている。 ザイール東部川辺で発見された10万年前には後代にまさる精密加工の骨 角器が槍の穂先や刀類の加工技術が生まれていたし、南アのブロンボス 洞窟からは幾何学的な線刻模様が描かれた石柱(オーカーと呼ぶ絵の具 の原料)が発掘され、8万年前には交易や文字文明の発芽の兆候もある。 安定した生活環境・気候の変化がなければ、これらの先端文明は継承さ れていっただろう。文明化の素地は既にもっていたと考えられる。 最終氷期である10万年前のウルム期以降、1.2万年前と0.6万年前 に二度にわたり大幅な温暖化による海進があったことは地質学者は認識 している。もし当時、温暖快適であったこの低地を中心に人類が密集し て定住生活していたとするならば、最初の都市社会や技術文明が生まれ たのはこの大陸棚であった可能性が強いのだ。我々がなぜ他の哺乳類と 異なり毛皮を持たない理由もそこに隠されているかもしれない。 旧石器時代に当たるこの時期には氷河期と間氷期が長い間何度も繰り返 されていた。最初に先鋭した定住都市化が促進され、文明を起こしたの はこの大陸棚上で生まれたと考えられる。四大文明の起源は、大河を遡 った彼らの作った移植文明であったため、突如急激に出現したようにみ えるのであろう。
13 :
出土地不明 :2006/06/10(土) 12:10:48 ID:qXEDm1qd
議論のベクトルを再考します 世界四大文明って何で急にできたの?と聞いたのは詰まる所、原生人類の起源について疑問に思うからなのです 10さんの言うような都市化、文明の定義に則った世界四大文明は原始人には創れないのは明白 12さんの大陸棚にクロマニヨン人or原生人類の集合居住区があり、川辺まで移動して来て文明を急拵えで創ったと考える説もアリとするなら、四大文明の元を段階的に創った人類はいつどこで生まれた? スレタイを四大文明にしたのは、人類初のインフラ完備された都市を完成させた原生人類はクロマニヨン以前の原始人とは明らかに別種であり、じゃあ彼らは何者なの?詰まる所僕らは何者でどうやって生まれたの?という事を知りたいんです
14 :
出土地不明 :2006/06/10(土) 12:42:12 ID:D+h2YOsH
四大文明が最初に発祥したのはメソポタミア シュメル人がアッカド人に追われて世界に拡散して各地に文明が定着。 シュメル人の王、すなわちシュメルミコトは最終的に日本に来た。 天皇をスメラミコトというのはシュメルミコトからきている。
15 :
出土地不明 :2006/06/10(土) 19:15:23 ID:ffAfgmGc
今の段階ではまだ答えが出せない、というのが真実。 というのも最近の研究で四大文明の地や他地域でも『文明発祥』の時期がどんどん更新されている(遡っている)から。
16 :
出土地不明 :2006/06/11(日) 21:48:44 ID:ZTqXpRSh
何万年前から小文明はあっただろうしな。 四大文明は大きな文明というだけで始めての文明じゃない。
17 :
出土地不明 :2006/06/11(日) 22:11:58 ID:8+A50qzq
18 :
出土地不明 :2006/06/14(水) 14:34:25 ID:gKc6pJPk
>>1 自然に使える淡水と平地の絶対量の差じゃない?
灌漑技術が発展するまでは農業も自然任せだったんだし。
それによって養える総人口に差が出るだけかと。
たまたま人口多いところが目立つだけ。
文明なんてどこにでもあった。
19 :
道灌 :2006/06/14(水) 17:30:56 ID:hVeRwEPE
四大文明といわれている時代、全世界で二十前後の文明があった。 他の所は、四大文明より研究が遅れているんだよ。
20 :
出土地不明 :2006/06/14(水) 22:36:52 ID:JU3sdxVC
今時トインビーやハンチントンもないだろう
21 :
出土地不明 :2006/06/14(水) 23:59:27 ID:XhqeoYXc
>>16 農耕以前を文明とすることがどれくらい可能か、ってことだ。
定住がないと、文明的なものは難しい。
もっとも、スンギール遺跡(南ロシア)の埋葬人骨など(28000年前)
は、たしかに高度な文化があったことは示唆される。
>>17 言語板のシュメール語スレにいろいろある。
ルガルは、「大人」という意味だ。ルー ガルに分かれる。
22 :
出土地不明 :2006/06/15(木) 11:16:42 ID:/6P3ywOP
南米のモホス文明がメソポタミアと同時期な理由を教えてくれ
23 :
出土地不明 :2006/06/17(土) 05:43:00 ID:MJvESEsr
およそ1万1千年前に発生した「ヤンガードリアス(ドライアス)」期 と呼ばれる寒冷化の時代に関係があるのではないか? 1万1400年前の遺跡から栽培種のイチジクが見つかったというスレが 科学板にあるが、この時点で栽培作物(果物だけど)があったと言う事は 栽培文化そのものの歴史はさらに前まで遡るという事で、旧石器時代末には 農業?らしきものが存在していた可能性がある。 その400年後に寒冷期が襲ってきて(氷河期のピークの気温まで戻ったと 聞いた事がある。)、食料が減少し、寒さに強い麦やヒエなどの作物栽培への 切り替えが進んだとしたらどうだろう? 当然内陸よりは水利に恵まれた河の近くに耕作地を持ちたがるのが合理的 だろうし、同種の栽培文化を持った人たちが集まってくるだろう。 すると土地と水利権を巡って争いごとが起こり、決まりごとが作られ、 権力者が発生し、生活する場所として都市が作られ始める。 メソポタミアでもエジプトでも概ねこんな具合に文明が出来上がったのだろう。 モホスでも同じ現象が起きたのではないか?(特に南米はヤンガードリアス期の 発生原因となった北米大陸の氷河と距離が近いから、より深刻な被害が 発生しただろう。)
24 :
ばか :2006/06/17(土) 10:04:16 ID:8dvBcu5X
なぜ四大文明の近くには川があるんですか???
25 :
ばか :2006/06/17(土) 10:05:32 ID:8dvBcu5X
教えてください!!!!
26 :
出土地不明 :2006/06/17(土) 10:43:41 ID:2RatFcqk
文明の近くに川があるのではなくて川の近くに文明があるのです
27 :
出土地不明 :2006/06/17(土) 12:40:28 ID:vz1S49yR
人間が生きるには水が必要だからじゃね
28 :
出土地不明 :2006/06/17(土) 12:52:51 ID:aN/z8ri+
>>23 まず、氷河時代については、部分的な牧畜をはじめていた可能性はあるもの
の、農耕は難しかっただろうな。だから、基本的には氷河時代の終わったこ
ろ、つまり、1万5千年から1万3千年前ごろに、なんらかの農耕が始まった
可能性はある。ただし、それはヤンガードリアス(1万3千年前から1万1千
年前かな)で、かなり大変なことになっただろう。
中近東の初期農耕文化は、ナトゥーフィアンであるけれども、彼らは、
半猟半農だったという。
農耕の本格化以前に定住が始まっていたこともわかっている。
世界的に農耕の始まりの時期、あるいは本格的な農耕は1万年前ごろに
なる。ヤンガードリアスの後だな。
中近東の麦作などや、中国南部の稲作、そしてパプア・ニューギニアの
タロ芋とかそういうのが世界的にみても初期の農業になる。
かなりいっせいに始まったという印象があるな。
29 :
出土地不明 :2006/06/17(土) 12:56:01 ID:vz1S49yR
モホス文明についてなんだけど 日本列島と同じくらいの面積に、 四辺の包囲が完全に同じ方角を向いた数百の 100〜500m級人造湖を造成し 人類初の近代農業を実現させていたわけだが 彼等はいったいいつどこから来たのか
30 :
出土地不明 :2006/06/17(土) 12:56:33 ID:vz1S49yR
×包囲 ○方位
31 :
出土地不明 :2006/06/17(土) 14:22:44 ID:RqFjqJNP
32 :
出土地不明 :2006/06/17(土) 14:43:34 ID:PKUWBXJH
33 :
出土地不明 :2006/06/18(日) 13:43:51 ID:Ijmx4cVV
34 :
出土地不明 :2006/06/18(日) 19:01:39 ID:Uo2jOqSG
>31 寒冷化と乾燥化が原因で栽培作物が育てられない。 寒さに強い作物でも、水が無ければ栽培できない為、農耕が難しい。 その為、水利に恵まれた河川の近くに農耕民が集まったのではないだろうか?
35 :
出土地不明 :2006/06/19(月) 19:25:14 ID:QG7/fwGb
日光猿軍団とか、チンパンジーのアイちゃんとか見てると時々思うんだが、 類人猿のちょっと賢そうなのに、農業を教えることってできないのかな? 収穫の一部を次回の種として分離して貯蔵するとか、できないか。
36 :
出土地不明 :2006/06/19(月) 20:10:24 ID:52V3Sx9I
>>35 手話を教えたら覚えるチンパンジーもいるけど
穀物や作物を貯蔵したり栽培するのは
単なる作業ではなく「労働」だから農業は無理じゃまいか?
目の前にイモとか置かれたら、とりあえず「いただきまーす」で終了。
動物が明日の飯のこと気にして働いてたら、もはや動物ではなく人間だ。
37 :
出土地不明 :2006/06/20(火) 01:01:00 ID:m8hQMoEu
巣にエサ溜め込む動物などいくらでも
38 :
出土地不明 :2006/06/20(火) 01:13:22 ID:S3xK45ap
チンパンジーのアイちゃん、ゴルフのアイちゃん、卓球のアイちゃん...
39 :
出土地不明 :2006/06/20(火) 07:16:03 ID:H/G+Sc/c
動物だってしょくりょうを備蓄したりするし関係ない。 文字による文化の蓄積が重要だとおもうんだが タクラマカンのロプノールなんかは小麦の灌漑農業をやっていたけど文字はなかった。
40 :
出土地不明 :2006/06/20(火) 16:51:58 ID:OUin6bjV
おいおい、リスがドングリ貯め込むのと 植物の生育をコントロールしてる農業とじゃ全然レベルが違うだろ。
41 :
出土地不明 :2006/06/20(火) 21:57:53 ID:5M7Z3OT3
リスさんはドングリ埋めても場所わすれちゃったりするんだよね。 やがて、埋められたドングリは芽を出して・・・ ・・・もしかして、リスさんは植林してるんじゃまいか?
42 :
出土地不明 :2006/06/21(水) 04:11:51 ID:fd/8aJ+G
リスさんは林業で生計を立てるエコロジストなんだよ! 起き場所を忘れるとか勝手に決めるな! 自然を守るリスさんに謝れ!
43 :
出土地不明 :2006/06/24(土) 09:41:40 ID:iQbLooww
川があるという事は狩猟採集民であっても、狩猟の目的となる動物の水場が 豊富であったろうし、季節に影響されにくい漁労生活はより安定的な蛋白資 源となったはず。当然、水に近い場所が植物の実や種を採集するにも有利。 多数の人類の集団生活を支えるのには、適地である。
44 :
出土地不明 :2006/06/24(土) 14:33:56 ID:6GvzcK6l
>>40 たしか、アリの一種が農業をすることになっているよな。
たしか、動物の死骸とかそういうのを巣の中にひっぱりこんで、そこに
菌類(キノコだよな)の胞子をくっつけて、そのキノコを育てて、
そしえt、そのキノコを食べるというやつだ。その菌類自信もそのアリ
が先祖代々維持している特定のものをつかっているんじゃなかったかな。
これは本格的な農業だぞ。人間の農業の基本とかわらん。むしろ、粗放
な農業よりもずっと高度な農業だ。
リスのドングリあつめで、それが発酵して、とかいうなら、発酵食品を
食べることになるな。そこまでやっているのか?
45 :
出土地不明 :2006/06/24(土) 14:39:45 ID:6GvzcK6l
>>39 文字の発達は、文明とはあんまり関係ないだろ。
インカ帝国はすくなくとも普通にいわれている文字文化はなかった。
文字が発達したのは、系統として、二系統か三系統だ。
中近東の文字。シュメールのくさび形文字だな。これはたぶん、エジプト
にも伝搬して、エジプトはそれをヒントに別の文字をつくった。
あと、マヤなど中米の文字。マヤ文明以前に文字はあったらしい。
中国の漢字が独自なのか、中近東系からの刺激によるものかはなんとも
いえないが、時期が、中近東よりも数千年遅れることからして独自で
あるか疑わしい。世界の文字は、現在、中国の漢字と日本語のカナを
のぞくと、一般的に使われているものは、すべて、中近東の文字から
発達している。ベースは、メソポタミアの文字とエジプトの文字から
発達したセム文字だ。
農業の始まりは、文字の始まりよりは、いまんところ数千年は先行して
いる。都市国家もそうだ。
46 :
出土地不明 :2006/06/24(土) 18:31:18 ID:uj75x8qH
アフリカやインド、中国、南米はまず研究者が少ない。未だに未発掘の先史文明遺跡の可能性は否定できない。 またユカタン半島沖やカナリア諸島近海、インド沖、東シナ海の海底にこそ、真のオリジン文明があった可能性が高い。
47 :
出土地不明 :2006/06/24(土) 21:36:44 ID:6ZGJOkJ9
>>46 氷河時代ってのは寒いだろ。すごく寒い。だから、海沿いの地域くらいしか
住めなかった可能性がある。その海沿いの地はすべて海面下になっている
わけだ。だから、今後、海底考古学が発達すると、案外、大陸棚のあたり
から、とてつもない文明が発見されるかもしれないわけだ。
日本の場合も、土器の起源が氷河時代までさかのぼるわけだから、案外
海面下の海底遺跡の中に、初期縄文土器がどひゃーっと発見されるような
可能性が残っているわけだが。
48 :
出土地不明 :2006/06/24(土) 23:57:21 ID:2tZTQlHh
数万年前のユーラシアのマンモスハンター達は、メイドインジャパンの 鏃を使っていたのではないかという研究もある。 バイカル湖近辺からサヌカイトの石鏃が発見されている。 当時の人類には、予想以上に広大なスケールの交易や流通が行われてい た可能性を示唆するものだ。言語・貨幣・文字は、発掘で出土できる物 以外の形で早くからあったかもしれない。
49 :
出土地不明 :2006/06/25(日) 00:14:05 ID:xvP+2jES
>>48 ほー、それはすごい。
>>ドイツもすごいもう2点めだ。
中近東に早々と進出したホモ・サピエンス(後に滅んだともアフリカに
撤退したともいわれているが)も、そうとう広い範囲で石器の石材交易
をしていたらしい。
案外、現在に残らない形で、高度な文明があったのではないかと思う。
50 :
出土地不明 :2006/06/25(日) 22:52:41 ID:Mv/+YPUe
51 :
出土地不明 :2006/06/25(日) 23:42:10 ID:nTitRX80
52 :
出土地不明 :2006/06/26(月) 00:09:32 ID:Xx/zXfj7
53 :
出土地不明 :2006/06/27(火) 17:27:16 ID:JZQEltXs
54 :
出土地不明 :2006/06/27(火) 17:35:01 ID:i9CvWL4E
55 :
出土地不明 :2006/06/27(火) 22:30:29 ID:4nutgyCq
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56 :
出土地不明 :2006/06/30(金) 16:34:37 ID:2jqgJQ9m
「急に文明が発祥したので」
57 :
出土地不明 :2006/07/01(土) 16:05:04 ID:pe5x/d4f
4大文明の中で発展が最も早かったのはバビロンだったと思う 幾何学を主にした数学の発展も一番速かったしね
58 :
出土地不明 :2006/07/01(土) 16:42:50 ID:n2aHoFW0
いや、タッシリではないか? 当時、アフリカ北部は森林があり、象や野牛や獅子の群れる熱帯だ った。 彼らの神々は天体と結びついており、プレエジプトの文明的素地は、 このころ既に生まれていたものと考えられる。 スフィンクスの"獅子"の胴は何からもたらされたか。砂漠化の進ん だ前3000年代、既にライオンはヌビアまでナイル河を遡らねば、み られなかった。
59 :
出土地不明 :2006/07/01(土) 21:34:55 ID:3HPCGX7S
60 :
出土地不明 :2006/07/05(水) 21:57:36 ID:kVItDRUE
「急には」発祥しとらんだろ。 地質学的年代で見れば千年とか二千年はあっという間かもしれないけど。
61 :
出土地不明 :2006/07/08(土) 05:18:14 ID:Id27TUNV
>48 シベリアから出土したのは北海道白滝遺跡群で加工された黒曜石の鏃ではないか? 白滝遺跡は黒曜石加工のコンビナートだったらしい。 サヌカイトは四国の讃岐で取れる石で、弥生時代初期の倭人が鏃として採取していた とNHKスペシャル「日本人2万年はるかな旅」で見た事がある。 ちなみに白滝遺跡は旧石器時代なので日本人の先祖はその時代から加工、貿易をおこなって いたという事になり、現在の貿易立国の礎が既に存在していたのかと驚かされた。
62 :
出土地不明 :2006/09/01(金) 20:39:24 ID:7h90tAQE
4大文明、1000年単位の精度で見るなら、大体、世界共通の同時期に発祥したといえるの?無学なので質問。 基軸時代と同類の現象??
63 :
出土地不明 :2006/09/01(金) 22:33:55 ID:6JQXrFDN
>>62 いまんところだけど、全ての文明は最終氷河期が終わった段階を起点として
始まっているんだよね。それは1万1千年前ごろになる(ヤンガードリアス
の終わったころだよ)。そこから、数千年かけて、農業や定住が始まる。
そして、中近東がもっとも早い段階で、文明化する。
四大文明というと、メソポタミア、エジプト、インダス、黄河とされる
けれど、このうち、メソポタミアについては、根っから独自の形で文明
が形成される過程が考古学的に判明している。エジプトについては、どう
やら、メソポタミアからの影響による要素が大きい。インダスもこれ
またメソポタミアとの関係が示唆される。で、黄河文明はこれら三つより
2千年以上遅い。文字をきちんと持っている遺跡の存在では、黄河文明は、
前15世紀よりはさかのぼらない。よって、時代としては、ギリシア文明
とだいたい同時期とみることができる。ギリシア文明は場所的にも、
オリエント(エジプト、メソポタミア)からは離れているが、なぜか、
四大文明の中には入らない。ただ、黄河文明は他の文明との接点が不明確
であるので、独自のものとされるわけだ。ただ、中国全土を考慮すると、
農耕の開始時期も、メソポタミアを始めとした中近東からそれほど遅れて
いるわけではないので、逆に、なぜ、メソポタミアなど中近東よりも、
二千年近く遅れたのか、というのが問題だな。
64 :
出土地不明 :2006/09/02(土) 07:04:54 ID:YrTqTYV6
>>63 よく分からせていただいた、多謝。
農耕開始時期は大体同じとして、文明発祥にいたる期間はむしろ黄河文明が基準?
3大文明発祥は地域的に情報相互伝達効果により早められた?
65 :
出土地不明 :2006/09/02(土) 08:34:08 ID:jtN73IVz
世界最古の土器を持っていた縄文人が文明を発展させなかったのはなぜ? 縄文人は土器はあるけど文字はないって生活を1万年以上も続けたことになる。
66 :
出土地不明 :2006/09/02(土) 10:01:26 ID:YrTqTYV6
ほんと。 「基軸時代」という発想のように、人類・ヒトの共通の展開という面で見てみたい。 縄文人の農耕の規模は?
67 :
出土地不明 :2006/09/02(土) 15:51:28 ID:Koncmp7T
記録上、日本列島の"文字"が登場するのは、中国の歴史書「随書倭国伝」 の中の倭人の風俗に、「文字は無く、ただ木を刻み縄を結ぶだけ」と記録 されている点だ。「文字は無く、木を刻み縄を結ぶ」つまり中国人が考え る、言葉を完全に表記できる真の意味での文字は無いが、木を刻んだり、 縄を結んだりする事によりコミュニケーションをとっていた事を意味して いる。 皆さんは、縄文字と言うものを御存知だろうか。 一般的に縄文字(結縄 文字)と言うと南米インカ帝国のキープと呼ばれる紐に結び目を付けて情 報を伝達する手段だ。インカ帝国には、このキープが文字代わりに使用さ れてきた。キープは、主に物品の種類やその数を記録するのに用いられ、 納税などの際には必要不可欠のものであった。 物品記録以外にも簡単な文章も表現していたが、今だ完全な解読はされて いない。キープは単なる記号以上の複雑な体系を持つ文字の一種で、イン カ帝国にはキープを教える専門の学校も存在した。 ところが、このキープとまったく同じ物が日本の沖縄でも使用されていた。 しかもなんと戦前まで実際に使用されていた。沖縄の縄文字は、藁算と呼 ばれワラザン、バラサン、ワラザイなど多くの読み方がある。 読んで字の如く、藁算は、ワラで編んだ縄、又はワラその物に結び目を付け て情報を記録した物である。藁算は、古墳時代以前より日本本土でも使用さ れていた。沖縄地方では、高価な紙の替わりに藁算が情報伝達手段として最 近まで広く民衆の間で使用されてきたのだ。 さて、「縄文」式土器だが・・・なぜわざわざ縄目を入れる必要があったの だろうね?
68 :
出土地不明 :2006/09/02(土) 16:07:59 ID:YrTqTYV6
文字は共通に持っていても、文明の発祥に至るには、農耕による富の集積に閾値がある?
69 :
出土地不明 :2006/09/03(日) 01:11:14 ID:SYtSMvyh
>>65 農耕の開始時期は、どこの地域でも比較的共通性が高い。
最近では、世界最古の農業は、中東でもなければ中国でもなく、もしかし
たら、パプアニューギニアの高地民族かもしれないという。もっとも彼ら
は農耕は非常に早い時期に始めたものの、その後の展開は非常に遅かった。
中国でも、農耕は中東と同じような時期に始まっているが、文字をもつ
文明になったのは遅い。
土器については、たしかに中国南部と日本が非常に古い段階で土器をもつ
わけで、その時期は氷河時代の終わる前だ(1万6千年前以前)。で、
この時代は、まだ、ヨーロッパではクロマニョン人が壁画を描いていた
時代でもあったりする。一方で、中東における後期旧石器時代の文化
でも(つまり氷河時代の間)、粘土を焼いて人形(フィギュリン)を作った
りするのは、ある程度行われている。土器は、逆に中国や日本よりは
かなり遅れる。
結局は、どれもかなり偶発的なものではないか。日本や中国で土器が必要
だったのは、ドングリなどを煮て灰汁抜きするためで、単に短時間の煮炊き
をするためなら、水が漏れないような皮の袋や動物の膀胱の容器に、焼けた
石を放り込むだけでよい。だから土器の必要性はほとんどないわけだ。
ドングリの灰汁抜きなどには、長時間の煮沸が必要だから、土器が必要
だったということだろう。
また、文字についても、インカ帝国は文字はなかったが十分に発達した
文化をもっていたわけだ。
農耕、土器、文字などなど文明化の指標とされるものは、どれもそれぞれ
の地域でのニーズに合わせてできたものであって、それらがなければ、文明
が成り立たないものでもないようだ。
メソポタミアの文字は、それに先行する粘土のトークンによる商業取引の
記録がベースにあるから、ようは経理処理のために発達したものだった。
中国の場合は、殷の甲骨文字の使用や漢字の成り立ちの研究からわかる
ように、より占いの要素が強く、しかも、殷の時代は文字の使用はごく
一部の人々に限られていたようだ。ようは、文字の成り立ちも独立して
文字が発達したと考えられる地域では、別の事情で発達している。
ようは、文明はそれぞれがユニークであるということだ。ただ、エジプト
の例をみればわかるように、近くに、発達した文明(メソポタミア)が
あったときには、そこからの文化の吸収により、非常に早い段階で独自
の文化を発展させることもある。ユーラシアは農業に適した温帯が連続
していて、異なる地域が、互いに交流する可能性が高かった。だから、
一つの地域での発明は他の地域に伝搬し、それらの互いの影響の中で、
比較的早い段階での文明化が行われたのではないかと思う。
70 :
出土地不明 :2006/09/03(日) 01:12:58 ID:SYtSMvyh
>>68 トルコのチャタルヒュユク遺跡などをみれば、かなりの規模の富の蓄積も
あっただろうし、宗教も発達していたようだし、支配者階級と一般人の
区別もあったようだ。でも文字はなかった。そのまま発達していたら、
すくなくともインカ帝国なみの帝国にまで育っていたかもしれない。
71 :
出土地不明 :2006/09/03(日) 12:46:04 ID:V6WliLUd
>>70 記号は?
記号と文字の究極の差て何だろう。
72 :
出土地不明 :2006/09/03(日) 12:53:10 ID:AYmh70jK
元の音声言語を忠実に再現できるか否かだろう
73 :
出土地不明 :2006/09/03(日) 13:43:48 ID:O7RVPFYz
>>72 トンパ文字などもまだまだ完全な文字とはいえないっていう話がある。
もっとも、それを言い出すと、甲骨文字がどの程度まともな文字なのか、
あるいは、シュメールのくさび形文字を不完全に取り入れたアッカド語の
記述が文字といえるのか、など問題は残るな。
74 :
出土地不明 :2006/09/03(日) 14:03:45 ID:V6WliLUd
言語の音声系になにか文字化を阻む一因ありや
75 :
出土地不明 :2006/09/03(日) 14:05:34 ID:V6WliLUd
ヒトの記憶と音声系の関係など
76 :
出土地不明 :2006/09/03(日) 14:27:55 ID:O7RVPFYz
>>74 言語のタイプによって、文字化ができたりできなかったりするだろうとは
思うんだよな。
孤立語的で、音素が少なく、同音異義語が大量にあるような言語の場合は、
具体的な形状をもつ絵になりやすいものを記号として、さらにその記号が
同音異義語をも表すことができるとすると、そこですぐに象形文字はスタ
ートするだろう。でも、たとえばギリシア語などはこの方法では表現でき
ず、結局、音素文字が発明されてはじめて表記が可能になったということで
象形文字の誕生(前3500年)から3000年近くかかっているわけだろ。
まず大事なのは、音声言語がそのままの形で記号配列に置き換えられると
いう発想をもつことがあって、これは大変なことだと思う。
ついで、それが可能であっても、どうやってそれをなしとげるか、という
ことだろうな。
中近東における文字の発達は、粘土のトークンから粘土板経理文書になり、
そこから、文章がつづれるようになるという発達過程が分かっているが、
これも数千年かかってようやく文字とよべるものにたどり着いている感じ
がする。そこいくと、マヤなどの文字がどういう形で形成されたのか、と
いうのが面白いな。まだ、よくわからないけれど。
中国の文字の発達にはたして、中近東のアイデアが伝わっていなかった
のかどうかも気になるところだ。エジプトは、そのまま、中近東のやり方
を使っているから、たぶん、アイデア拝借型だろう。
77 :
出土地不明 :2006/09/03(日) 20:51:07 ID:V6WliLUd
具体的で固定した意味の表現しか出来ないように思える表意文字。 融通性を必要とする抽象思考の表現に適したより高度な音素文字、表音文字? 3000年を要す。 4大文明は、共通して、表意文字から出発ですか? 無学・ずぼら男で申し訳ない。
78 :
出土地不明 :2006/09/04(月) 08:56:21 ID:+TRgPfXq
質問;エジプトのヒエログリフは、象形文字(表意文字?)を音素文字として使っているのですか?
79 :
出土地不明 :2006/09/04(月) 12:48:21 ID:Y/BIVqwU
80 :
出土地不明 :2006/09/04(月) 17:55:28 ID:+TRgPfXq
81 :
出土地不明 :2006/09/04(月) 18:56:41 ID:nCQmdu/x
82 :
出土地不明 :2006/09/04(月) 19:33:09 ID:Y/BIVqwU
>>81 面白かった
下側2個みたいなサイトもっとキボン
83 :
出土地不明 :2006/09/05(火) 06:13:54 ID:uFBctQ+v
ありがたい。 インダス文と黄河文明で、文字もどきから文字までの経緯はどんなん? そして、4大文明で、農耕発祥、文字使用、基軸関連の3項の時系列を比較してみたい。 望む結果は共時性だけど。
84 :
出土地不明 :2006/09/05(火) 06:59:26 ID:uFBctQ+v
Googleでインダス・黄河文明の文字発祥時期を調べた。結局、下表の如し 最終氷河期終 1.1万年前(起点) 農耕発祥 数千年後 文字発祥 BC 3千年(±200年) 基軸時代(ヤスパース) BC 500年(±200年) 隔絶したサルの群れの間に、特殊な特定行動(なにかの進歩)の、一寸説明できない伝播 があるそうだけど、ヒトの「認識」がなにか共通して進化する生物的根拠がある? それとも、環境的にいって当然の流れかな。
85 :
出土地不明 :2006/09/05(火) 08:01:12 ID:z2QNHzDe
芋洗いの話はデマだろw
86 :
出土地不明 :2006/09/05(火) 08:18:38 ID:uFBctQ+v
そうか
87 :
出土地不明 :2006/09/05(火) 12:13:51 ID:S3L5jI8L
88 :
出土地不明 :2006/09/05(火) 16:54:49 ID:a8yEdp9Q
アッカド人の スコーピオンキングはどうなった?
89 :
出土地不明 :2006/09/05(火) 18:30:48 ID:uFBctQ+v
というよりヒトに埋め込まれた何かが地域によらずに発現したとかで
>>86 が説明できないかなー
90 :
出土地不明 :2006/09/05(火) 18:31:42 ID:uFBctQ+v
91 :
出土地不明 :2006/09/05(火) 21:36:26 ID:3WF4Lmby
氷河時代は、低緯度地方では1万5千年前ごろに終わりになる。 で、だいたい1万4千年前ごろにはほとんどの地域で終わる。 そのあと、中近東では、定住集落が登場するわけだ。農耕をしていたとは 思えないのだが、まずは定住なんだよな。で、そのあとヤンガードリアス の寒冷期が来て、これが終わるのが1万1千年前ということになる。 そこから、ほどなく農耕が始まる。だいたい、農耕はどこでも、紀元前 8000年ごろとかになる。つまり1万年前だ。 で、まあ、自分としては、もっと氷河時代について考えてみる必要がある かと思う。氷河時代の人々は狩猟採集民で移動しながらの生活であったと いうけれど、シベリアあたりのマンモスの骨で組み立てた半地下住居など は、かなりの耐用年数がありそうで、季節ごとの移動はあったとしても、 基本的には半定住が始まっていたのだろうと思う。 この段階で、案外、まだ知られていない文明があるのかも、と思ってみた りもするわけだが。
92 :
出土地不明 :2006/09/05(火) 23:42:32 ID:uFBctQ+v
狩猟採集型でも、その活動にしかるべき、時間的な共通の複雑化・高度化があるのかな。
93 :
出土地不明 :2006/09/05(火) 23:49:36 ID:uFBctQ+v
単に集団の数が増えるなど量的な変化でなく、パタン的、質的な変化段階がみられるのかな?
94 :
出土地不明 :2006/09/05(火) 23:54:39 ID:anDbaXr/
>>92 氷河時代に着目したい理由の一つは、なんといっても、シベリアやら、
ロシアやらの当時のむちゃくちゃ寒い地域に、かなり高度な文化がある
ってことだ。で、以前のこの板のどっかのスレでだれかがいってたけど、
「氷河時代は冬は暇だった」というつぶやき。これあんがい当たっている
かもしれないと思って、がぜん興味が湧いてきた。
芸術文化の意味では、氷河時代は北のほうほど文化水準が高い。
とくに彫刻とかビーズ細工とか、スンギール遺跡とかのもふくめて、
すごい手の込んだ作業が為されているわけ。これって、冬が暇だったから
かもしれないと多うわけ。夏から秋の狩りで、蓄えて、干し肉とかの
形で蓄積する。野菜などの食べ物も、漬け物にするとか蓄える方法が
ある。なんせ、冬は寒いから、冷凍保存という方法もある。どうせ、外
で狩りはできない。そうすると、時間がたっぷりあるし、文明発生の一
つの要素であるところの富の蓄積みたいなことが、短期的だけど行われ
るわけだろ。当然、彼らの冬の住まいは、蓄積に適した倉庫やらも必要
で(たぶん、ピットなんだろうけれど)、かなり広く、頑丈な建物も
作られる。共同作業が必要で、リーダーも出てくる。ある意味で、貴族
階級のようなものも多少生まれてくる。
氷河時代の人々は移動する狩猟採集民だと思って、現代の狩猟採集民の
あり方からその生活を類推するのは間違いだと思うわけだ。現代の狩猟
採集民は、工業や農業などの近代文明の手が入らないような荒れ地で
生活しているわけだし。つまり、現代社会の主流ではないわけだ。
でも、氷河時代の狩猟採集民は、とくに条件のよいところで暮らしていた
ら、それは、「当時の最先端の主流」だったわけだ。かなり豪華な暮らし
ってのがあったのかもしれない。
95 :
出土地不明 :2006/09/06(水) 00:30:47 ID:aIkeikec
一寸ずれて申し訳ないですが、狩猟採集型、遊牧型、農耕型の3型、それぞれ、気候、土地条件などで発祥してきたのでしょうが、古代では、時系列的・相対的に相互にどんなチャート的な関係にあったのですか。交易型も入れたい。
96 :
出土地不明 :2006/09/06(水) 23:38:32 ID:vZSM2u71
>>95 まあ、こういうのもあんまり形式的にはいえないんだけどね。
まず、人類250万年前に石器を作るようにはなったものの、しばらくは、
スカベンジャーだったようだね。本格的に大型動物の狩りをするように
なったのは、50万年前のハイデルベルゲンシスの時代からとされている。
現在のハッザ族など狩猟採集民もスカベンジがかなり重要らしい。
というわけで、後期旧石器時代(だいたい5万年前後前から)においては、
狩猟採集民しかいなかったと思われる。
ただ、犬の家畜化というかペット化や、そのほかの動物の家畜化のような
ものが氷河時代にどうだったかは、まだ証拠がないのでなんともいえない。
案外、馬に乗ったりした人もいたかもしれないけど。っていうか、そういう
のを信じたい気もする。
氷河時代がいったん終わったときに、ナトゥーフィアンなどの定住文化が
始まる。狩猟採集をしつつも、安定した地域で短期的な狩猟行動をのぞき、
同じところに定住して生活するパターン。しかし、ヤンガードリアスで、
もう一度氷河時代のような状態になって、かなりもとに戻ってしまった。
ヤンガードリアスが終わった1万1千年前ごろから以降は、比較的早い
段階で、農耕が各地に始まる。栽培された植物は地域による。
麦類は中近東が中心。中国南部の稲作もこれまたかなり早い。そして、
パプアニューギニアでは、芋類だっけ?バナナじゃないよな。あれ?
とにかく、紀元前8000年ごろには農業が各地で始まる。もちろん、
定住が基本。で、案外遅いのは遊牧民の登場だ。これは歴史時代に入って
からかもしれないという。
農業はアフリカではかなり遅れたようだ。栽培に適した植物が非常にすく
なかったのが要因とされる。
まあ、このあたりは、「銃、病原菌、鉄」ジャレッド・ダイアモンド著に
詳しく書かれているから、読んでみたら、納得いくと思う。
97 :
出土地不明 :2006/09/07(木) 02:18:31 ID:Z7b4sByF
>>96 > 農業はアフリカではかなり遅れたようだ。栽培に適した植物が非常にすく
> なかったのが要因とされる。
小麦とか麦系統原種の原産地はアフリカ。雑穀類の多くも原種はアフリカ。
山羊、牛、の原種の原産地もアフリカ。
馬も従来は中央アジア原産かと思われてたがどうやら原種の原産地はアフリカらしい。
(↑DNA解析の研究途中の報告によると)
農業の起源はアフリカだと思うんだがなぁ・・個人的に。
> 麦類は中近東が中心。中国南部の稲作もこれまたかなり早い。そして、
麦類の原種、米類の原種はアフリカ原産の原種とDNAが近似したらしいよ。
もっと古代種みたいなもののを採集が出来ればより研究精度は上がるんじゃないかな。
98 :
出土地不明 :2006/09/08(金) 06:48:04 ID:Acw6mBW8
氷河期の言語・道具・火の使用、農耕、4大文明発祥、基軸時代、などなど、一般に人間の歴史を、「人間精神」の段階的発展(共通の宿程)として捉える考えが有るようです(ヘーゲルの「歴史哲学」、ヤスパースの「歴史の目標と起源」など)。 今ならさしずめ、ヒトとしての認識過程、の段階的な解発的発展(脳の構造は先史時代からそう進化していると思えない)として認知科学的に説明する道は無いかなと考えてしまう。先行き不透明な現代に生きる者としては。 いろいろ教えて頂いて感謝してます。
99 :
出土地不明 :2006/09/08(金) 22:17:45 ID:hUOrM+AA
>>98 人間の精神の段階的発展ということであれば、後期旧石器時代以降は基本的
に同じだろう。現代の人類の中にも、旧石器時代的な狩猟採集民もいれば、
新石器時代的な農耕民もいて、さらに、都市住民から工業国の人もいるという
いうようなさまざまな要素がある。ただ、一ついえるのは、現在の全ての人類
が、後期旧石器時代の文化をもつということだろう。
そして、現代における後期旧石器文化的な生活習慣をもつ狩猟採集民もまた、
文明の中にまざって、なんの問題もないとされる。逆もまた正しいだろう。
中期旧石器時代までは、文化的要素がほとんど遺跡や人工物の中にみいだす
ことができない。装飾的要素も宗教的要素も見いだすことができない。
そして、石器や生活跡をみても、その形式は、なんと地域への適応すら
ほとんど見せることがない。すなわち、その時代までの人々は、試行錯誤
であれ、論理的な思考であれ、生活のあり方を積極的に改善しようとか
改良しようとかいうことをしなかった。
石器文化の進展をみれば、そこには、現在のチンパンジーのもつ地域的な
文化や伝統というものすら見せることがない。
(もっとも、中期旧石器文化では若干の地域性は見せるが)。
ところが、世界のいろいろな地域で、後期旧石器文化に入ったとたんに、
地域ごとの文化的な違いがあきらかであり、地域の気候への適応なども
つぎつぎに行われ、しかも、道具の種類も爆発的に増え、これまでは、
数十万年に一度あるかないかという技術の進展が、千年単位で起こるよう
になる。これでも現代に比べて十分に遅いのだが、遺跡や遺物としてのこ
らない文化や形式は、世代ごとに変化するような状態であったと思う。
この大きな変化が5万年前ごろ、世界各地でそれぞれで起こって以降、
人類は、非常に短期的に生活を変化させ、改善させ、そのまま歴史時代
へと突入するのだ。
100 :
出土地不明 :2006/09/09(土) 13:08:43 ID:fZnf0vlC
南アフリカのケープタウンから約240kmのところにあるブロンボス洞窟で 発見された77000年前の道具を見てみると、初期現生人類の集団は、革製 品用の骨器、身体の装飾に用いるための赤いオーカー(鉄分を多く含んだ粘土 で、顔料に用いる)を破砕したり、幾何学的な模様を彫ることさえしていた。 また彼らは、小さな炉床で火を使ったり、様々な動物や魚を獲ったりしていた。 洗練された道具と協力関係の必要な漁労文化の証拠とを示唆する印がある。オ ーカー粉は、身体装飾や宗教儀式信仰の記号として使用されたと考古学者は確 信している。 もっとも注目されるのは、赤いオーカーの二つの破片である。それらには滑ら かな平面と網目模様が認められ、人類の最古の芸術の痕跡かもしれない。
101 :
出土地不明 :2006/09/09(土) 13:11:38 ID:U2H6WiXg
>>97 でも、麦の原種はいまでもイラクとかイランとかで普通に存在するんだから、
って、あれが原種でないことが証明されたのか?
アフリカは、ソーガムとかしかなかった、ってことだったが。
牛の家畜化はかなり古いし、アフリカから中近東からさらに東にまで
ひろがっている。ただ、アフリカの現在のこぶのある牛はインドから
導入されたものだってことが、DNAでわかった、って話はどっかで聞いた。
102 :
出土地不明 :2006/09/09(土) 13:13:15 ID:fZnf0vlC
現生人類の芸術に代表される象徴的思考の能力や洗練された言語など芸術行為の起源 については、5〜4万年前の「創造の爆発」といわれる時期に欧州と西アジアで突如 として花開いたとの見解が有力であるが、それらはアフリカで徐々に育まれていたの ではないかとの見解も有力になりつつある。 最近の相次ぐ発見で多少苦しくなったとはいえ、現生人類のアフリカ単一起源説でい われているように、解剖学的現代人が最初に登場したのがアフリカであることは、現 在のところ否定しがたいだろうから、現生人類の行動様式も、まず最初にアフリカで 認められるというのは、まったく無理のない解釈である。 しかしながら、依然として従来の「創造の爆発」論にも根強いものがあり、現生人類 の行動様式アフリカ起源説もとうてい通説とまではいえない。しかし、今後発掘が進 めばアフリカ起源説がますます有力になっていくであろう、と私は考えている。 従来の「創造の爆発」論は、考古学界の欧州・西アジア中心主義の影響が大きかった 事と、アフリカでの発掘があまり進んでおらず、その数少ない発掘成果も軽視されて いた結果、学界やマスコミにも浸透していたにすぎないと思うからだ。
103 :
出土地不明 :2006/09/09(土) 13:35:44 ID:U2H6WiXg
>>102 この問題は最近とくに顕著になってきたようだな。
アフリカで、あきらかに5万年前よりも以前の象徴行動の例が発見されている
わけだ。10万年前、さらには、たぶん、20万年前近くまでいくんじゃない
のかと思う。
一ついえることは、アフリカにおけるこういう象徴行動やら革新性、創造性と
いうものが、ほとんど単発的である点だ。ある遺跡はそういうものがある。
ところが、その近辺のちょっと違う時代の遺跡にはそういう痕跡がない、という
ことを繰り返す。そして、アフリカにおいて本格的な後期旧石器文化(LSA)が
はじまるのは、2万年前以降だろ。
それから、8万年前以前にアフリカを出た人々、たとえば、中近東に進出の、
AMHも、中期旧石器文化段階(MSA)だった。インドに7万年前ごろまでに進出
していた人々もMSA段階だった。さらに、オーストラリアに到達する直前の
東南アジアの人々も、MSA段階だった。
ところが、アフリカの外では、MSAから、後期旧石器段階に移行すると、その
あとの揺り戻しで、MSAに戻る例がほとんどない。オーストラリアは、最初
から後期旧石器段階に移行している。ヨーロッパもオーリナシアンが入ると
それから後は、ネアンデルタール人のものをのぞくと、中期旧石器段階の
遺跡は消える。ほかもほとんどそうだ。ところが、アフリカだけは、その
段階に至るのも、非常に遅く、2万年前で、さらに普及するのは、1万5千
年の氷河時代が終わるころだ。
今後の発掘によって、アフリカでさらに古い象徴行動の例はあるかもしれ
ないし、アフリカ外で、中期旧石器的なものが出てくるかもしれないが、
しかし、アフリカにおいて、5万年前以降でも、中期旧石器文化がみゃく
みゃくと存在することは否定されないだろう。
104 :
出土地不明 :2006/09/09(土) 19:07:25 ID:/4PZuwr6
>>103 アフリカには、後期旧石器文化を持つ段階に(DNAレベルで)未だ
達していない人類が多くいたということだろう。(今も残っているかもしれない)
アフリカを出て行った人類は、基本的に後期旧石器文化を持った
(持つ能力を有した)人類だった。そういう人類でなければ、環境が大きく違う
別大陸に順応していくことはできなかった。
105 :
出土地不明 :2006/09/10(日) 11:23:14 ID:I7qbEwO1
>>104 だから、それはそうであっても、なぜに、アフリカから出ていった人々が、
後期旧石器文化段階に至らず、MSAで数万年とどまったのか、というのも
謎だろ。
106 :
出土地不明 :2006/09/10(日) 13:54:08 ID:j3FqQ1Wy
停滞した連中は俺らの直接の祖先じゃないってことさ
107 :
出土地不明 :2006/09/10(日) 22:26:09 ID:O++OHUSm
狩猟採集社会の知的到達点、「創造の爆発」、を経験したヒトの直接の子孫の精神(脳)が、次なるステップ、農耕社会の知的到達点、基軸次代なる現象、を経験することになった?
108 :
出土地不明 :2006/09/10(日) 22:27:43 ID:O++OHUSm
基軸次代→基軸時代
109 :
出土地不明 :2006/09/11(月) 06:01:50 ID:lBREiJlB
藻前拉、真面目に語りあってるなムー読んで勉強しなさい!
110 :
出土地不明 :2006/09/11(月) 06:57:31 ID:kca7NqLu
脳が知的到達点を作り出したのでなく、それを経験した。進化済みの脳の解発的発展?
111 :
出土地不明 :2006/09/11(月) 22:11:47 ID:vOMg5jZ2
>>107 このあたりの話は、どうやら、ミズンの AFTER THE ICE という本の中にか
かれているらしいので、これから読むつもりだ。
狩猟採集社会といっても、50万年前ごろまでは、集団的な狩猟がおこなわ
れていたわけではなく、スカベンジが中心だったといわれている。
50万年前以降も後期旧石器時代になるまでは、技術的、文化的進展がほと
んどない時代だったわけだ。後期旧石器時代になったとたんに、いろいろな
ものが短時間で、考古学的な時間的空間的解像度できっちりと変化がみられ
るようになる。その後の氷河時代における文化的技術的蓄積があれば、農耕、
遊牧、都市国家、という千年単位での進歩は、比較的簡単に理解できるよう
にいわれている。
112 :
出土地不明 :2006/09/12(火) 08:50:42 ID:l0afeL7a
認知考古学、なるほど。 見てみます。
113 :
出土地不明 :2006/09/19(火) 22:47:13 ID:OML0OWo3
>>111 さて、ミズンのAFTER THE ICEは、かなり分厚い本なので、ちょっと時間がかかり
そうだが、とりあえず、西アジアの話の部分はかなり読んだ。あと一節を残す
程度だ。
非常に面白い。かなり一般的な本ではあるが、十分な調査の裏打ちがあり、さらに
著者本人が関わった遺跡の話も非常に多い。たんに平たく情報がかかれているので
はなく、実際にその遺跡に人々が住んでいた時代の生活の描写があり、これがかな
り面白い。一人の案内人をあてて、その案内人がいろいろ感じ、いろいろ体験する
という形で遺跡の紹介がすすむ。しかも、2002年ごろまでの発掘の成果が詳し
く書かれている。
まず、比較的最近になって本格的に判明してきた話としては、農耕以前の定住生活
という話だ。氷河時代が終わったあと、ヤンガードリアスまでの短い間に、温暖化
による獲物となる動物の増加や、食料となる植物の増加を利用して、ナトゥーフィ
アン文化が始まる。狩猟採集を中心としつつ、定住生活をし、豊かな交易ネットワ
ークまであったという時代だ。で、この時代に定住生活とともに、祖先崇拝のような
ことも始まり、ヤンガードリアスによる気候の悪化で、再び移動生活が始まった後期
ナトゥーフィアンにおいても、ナトゥーフィアン時代の居住地を聖地として関連する
部族が集まって集会を開くなどしていたという。そして、ヤンガードリアスが終わる
と、再び定住による狩猟採集生活が始まったという。
農耕牧畜についても、初期に定住が始まってすぐに、居住地域の近辺に、家庭菜園の
ような形で栽培が始まっていたらしいことや、牧畜に関しても、周囲の動物の狩猟に
ついて、繁殖に比較的関係のない雄を集中的に狩猟するなど、資源保全の意識が感じ
られるという。しかし、このときに、大きな雄ばかりを狩ったため、家畜化以前に
周囲の動物の群(主にガゼルだが)の個体の大きさが小さくなる傾向にあったという。
また、植物の栽培において、そのやり方に問題があり、栽培品種ができにくかった
などの問題点もあったという。
さらに、農耕牧畜に先立って、定住による意識の変化が非常に大きかったことと、
それに伴う宗教的な儀式などの発達が、逆に農耕牧畜社会を産みだしたのではない
か、ということが語られている。
旧石器時代から新石器時代への移り変わりに関する最新研究のレビューとしては、
かなりおすすめの書籍である。
114 :
出土地不明 :2006/09/20(水) 16:55:34 ID:t1L1rD44
「創造の爆発」と「定住による意識変化」とは関係しているのでしょうか?地域的、時間関係など含めて。
115 :
出土地不明 :2006/09/20(水) 23:06:04 ID:t7nURLII
Google Earthでナスカの十時に交差する巨大な線(14°42'41"S 75°10'34"W )を東にたどっていくと マチュピチュ(13°09'45"S 72°32'47"W )付近の上空を通過する。誤差50km リビヤ砂漠では正体不明の巨大な建造物(24°08'16"N 23°29'55"E )の上空を通過し インドではビンベットカのロック・シェルター群(22°50'40"N 77°34'53"E )にたどり着く さらに東に進むとアンコールワット(13°21'18" 103°51'29")の上空を通過する。誤差150km 北にたどっていけばテオティワカン(19°41'31"N 98°50'34"W )から 20km離れた巨大な渦巻き状の上空を通過し、エリア51で有名な グレーム・レイク空軍基地(37°13'53"N 115°47'41"W )にたどり着く。誤差なし さらに、地球を半回転するとアンコールワット(13°21'18" 103°51'29")の上空を通過する。 地球をぐるっと一回りすれば、チリのアンデス産山脈に巨大な水色の 建造物の上空を通過する(23°33'30"S 68°23'37"W ) 結論、地球でナスカの裏側はアンコールワットから150km離れた地点だった
116 :
出土地不明 :2006/09/20(水) 23:50:03 ID:e9kqEaVg
>>114 よく言われているのは、後期旧石器時代への突入の段階で言語が発達し、
そこから、文化が起こり、という説明だね。
で、これは私は懐疑的で、言語はもっと昔からあったと思うのだが、今回
のAFTER THE ICEを読んでいて、一番印象が深かったのは、ナトゥーフィアン
とヤンガードリアスのさなかの後期ナトゥーフィアンとの関係だな。
ナトゥーフィアンでいったん狩猟採集生活のまま、豊富な自然資源のもと
で定住生活を始めた人々は、気候が悪化し、定住生活をあきらめたあとも、
ナトゥーフィアン時代の先祖の地にその後数百年、あるいはヤンガードリアス
が終わる千年後くらいまでずっと訪れ、そして、放浪生活の中で死んだ
ものたちの遺骨を、祖先のナトゥーフィアンの遺跡の近くに葬り、そして
一時的に滞在して、祭りをし、そして去っていく、というあたりがなかなか
人間的だなと思った。確実に言語により伝説、伝承が伝わり、過去において
自分たちがどこに定住していたかを知り、そして、過去同じ町に住んでいた
人々がわかれわかれになっても、年に一度、いや数年に一度は集まり、
そこで祭りをし、先祖への思いをつのらせ、というあたりだ。
彼らが言語を話していたことはもちろん間違いないことだが、ただ、この
ような行動は、本当に言語と文化と、そして宗教的なものがないとおこらない
ことなんだろうと思う。
117 :
出土地不明 :2006/09/22(金) 21:20:25 ID:LJV4Kd8K
>>116 なんか、涙が出てきますね。 定住、言語、農耕、記憶、文字、「創造の爆発(これは?)」など、なにか仮説がありそうに思ってしまう。
118 :
出土地不明 :2006/09/23(土) 23:42:42 ID:nDAnTtyN
>>117 たぶん、後期旧石器時代が定着して以降、人類はもとに戻れない状態に
なったんだろうな、と思う。たしかに、気候の変化や、未知の土地にいって
農耕民だった人々が狩猟採集民になった例もある。ニュージーランドのマオリ
も、ポリネシア人全体がそうであるように、もともと農耕民であり、さらに、
家禽と豚と犬を家畜としてもっていたわけだが、南島に移住した人たちは、
過酷な環境で農業を放棄して、狩猟採集民になってしまった。
ただ、ヤンガードリアス前のナトゥーフィアンとヤンガードリアスの気候悪化
の中での後期ナトゥーフィアンについて書いたように、後期ナトゥーフィアン
は明らかに、ナトゥーフィアン以前のケバランなどの文化とは違う。
たぶん、詳しくわからないけれど、南島のマオリも、本来の狩猟採集民とは
違うような過去農耕民であったことの遺産をもっていたんじゃないかな、
と思う。
ようするに、後期旧石器時代以降、確実に近代化に向けてのステップが
あって、地域環境気候により、その歩みの遅い地域集団もいれば、速い
集団もいる。また、気候の悪化で見かけ上は、より古い時代の段階に
一歩さがってしまうように見えることもあるけれど、でも、本当に古い
時代の段階とは違うものを引き継いでいるんだということじゃないか
と思う。この、確実にステップアップしていくもの、というのが文化の
流れのようなもので、やっぱり、後期旧石器時代の始まりというのは、
そのステップアップを確実にする、なんか大きな変化があったんだと
いうことになるだろうね。
119 :
出土地不明 :2006/09/24(日) 00:02:32 ID:1ub+Pkil
>>97 カメレスだが、麦類のDNAなどからは、原種と栽培種の間でもっとも近いのは、
アナトリアの原種だということだ。2002年ごろの本(AFTER THE ICE)の
中に書かれている。だから、その後の研究でアフリカ起源に変わったという
なら、教えてほしい。中近東では今でも、原種の麦が大量に存在している。
しかも地域ごとに系統が違うものがある。栽培種はどれも同じ系統で、それが
アナトリアの原種に近いのなら、麦の栽培はアナトリアで始まったということ
ではないかと思うのだが。
120 :
月光仮面 :2006/09/24(日) 11:43:58 ID:dtAzH+TZ
カメカメだが、米もアフリカか。距離的にちと難しいんじゃない?穀類栽培と言う アイディアを持ったものが、例えば、ビーチコーメーという生業を持ちつつ移動して いたものが、山岳に入った頃にヤンガー・ドリアス過冷却の直面し、先住低地帯に フィードバックした結果としてインディカ。しかし、アフリカでも別途こんなことがあった とか、乃至は、米が逆方向に移動したとかはあるかも。
121 :
月光仮面 :2006/09/24(日) 11:50:30 ID:dtAzH+TZ
ビーチ・コーマー、海浜採集生活民。過冷に直面し。・・・どうもタイプがうまく打てない。
122 :
月光仮面 :2006/09/24(日) 12:08:46 ID:dtAzH+TZ
123 :
出土地不明 :2006/09/24(日) 12:21:00 ID:tKsxoh9x
>>122 でたな、なんでも韓国起源説!
はおいといて、栽培種ってのが本当なのかな。
インディカとジャポニカはすでに完全に最初から別種ってことだよな。
いずれにせよ、農業の起源などは、案外そうとう古い段階にさかのぼるんで
はないかという気がしてきたな。この時代だと、氷河時代が終わりきって
ないだろ。いまんところナトゥーフィアンは狩猟採集ってことになっている
が、周囲の狩猟動物の群の数を管理するようなことはやっていたらしいし、
定住地近辺に、採集すべき植物を豊富にあつめていたってのもあるんだから、
これを初期栽培とか初期放牧とか呼んでもいいわけだ。で、氷河時代でも、
シベリアのマンモスの骨の住居などは、かなり頑丈で、移動生活で短期的に
利用するには、がっちりできすぎている。何年も使っていたんだとしたら、
季節的移動はあっても、基本的には定住に近いものだろ。だとしたら、その
段階で、採集対象植物を、近傍で栽培するってことは自然に起こったはず
だよね。なんせ、植物で食べるのは実やら種やらだから、それを採集して
家に持ち帰るとしたら、その実やら種やらが豊富におっこちて、芽を出す
のは、その家の近所ってことになる。だから、数十年の単位で一所に、
季節移動はあったにせよ、同じ季節には同じ集団が暮らしていたら、当然、
そのキャンプ地の周囲には採集対象植物が茂る。同じことは後に家畜化
された動物にも言えることだ。
現代の遊牧民のように定住せずに、群れをひきいて移動する人々の遺跡が
将来的にみつかったとして、彼らが遊牧民であって狩猟民ではないと断定
することのできるような証拠が残るだろうか、と思うと、氷河時代から、
既に、遊牧や栽培農業のようなものがかなり広範囲に始まっていたのでは
ないか、と思うんだがな。
124 :
月光仮面 :2006/09/24(日) 13:16:52 ID:dtAzH+TZ
>で、氷河時代でも、
>シベリアのマンモスの骨の住居などは、かなり頑丈で、移動生活で短期的に
>利用するには、がっちりできすぎている。何年も使っていたんだとしたら、
>季節的移動はあっても、基本的には定住に近いものだろ。だとしたら、その
>段階で、採集対象植物を、近傍で栽培するってことは自然に起こったはず
>だよね。なんせ、植物で食べるのは実やら種やらだから、それを採集して
>家に持ち帰るとしたら、その実やら種やらが豊富におっこちて、芽を出す
>のは、その家の近所ってことになる。だから、数十年の単位で一所に、
>季節移動はあったにせよ、同じ季節には同じ集団が暮らしていたら、当然、
>そのキャンプ地の周囲には採集対象植物が茂る。同じことは後に家畜化
>された動物にも言えることだ。
これはバイカル湖マリタ旧石器遺跡が後の興隆窪・遼河文明へと移行する間
の状況の説明にはうまく当てはまる。
>>116 >ナトゥーフィアンでいったん狩猟採集生活のまま、豊富な自然資源のもと
>で定住生活を始めた人々は、気候が悪化し、定住生活をあきらめたあとも、
>ナトゥーフィアン時代の先祖の地にその後数百年、あるいはヤンガードリアス
>が終わる千年後くらいまでずっと訪れ、そして、放浪生活の中で死んだ
>ものたちの遺骨を、祖先のナトゥーフィアンの遺跡の近くに葬り、そして
>一時的に滞在して、祭りをし、そして去っていく、というあたりがなかなか
>人間的だなと思った。
これって最近までヤクートでやっており、アラスカ方面からも参加したようだが
大々的に復活してるようだ。伊藤久男のイヨマンテの夜を歌わせたら受ける
とおもう。イヨマンテ習慣を持っている連中が多いようだ。
125 :
月光仮面 :2006/09/24(日) 13:24:57 ID:dtAzH+TZ
「オロチョンの火祭」、「イヨマンテの夜」をウェブを使用してユーラシア に無料公開したいのだがいい方法はないかな。
126 :
月光仮面 :2006/09/24(日) 19:30:19 ID:4AXxbJov
>>124 ヤクート、ブリャート、ツングース系諸族などが一同に会するその場所でブリャート
民族踊りのヨホルを踊ると言うが、その場所を冗談でシオンの岡と読んでいるが、
さすがにロシア正教の文化圏で巧みな表現だ。だが、ユダヤのシオンもナトゥーフィ
アンのシオンではなかったではなかろうか。
127 :
出土地不明 :2006/09/24(日) 21:49:55 ID:o1OOtDPi
>>124 "AFTER THE ICE" の、西アジアの部分は読み終わったが、このあと、さらに
世界のこの時代(2万年前から6千年前ごろまで)を網羅している本なので、
まだまだ読み終わるのに時間がかかるけれど、たぶん、シベリアの話も詳しく
出てくると思うので、そこで面白いことが書かれていたら、またレポート
します。まだ、日本語訳は出てないみたいだし。
これから、ヨーロッパ編に入るところで、ヨーロッパの氷河時代末期から
以降の話が出てくる予定です。
128 :
出土地不明 :2006/09/24(日) 23:35:29 ID:5gzje1Xk
>>127 私も、教えていただいた"AFTER THE ICE"、
それに
The Prehistory of the Mind: The Cognitive Origins of Art, Religion and Science by Steven Mithen (Paperback - April 1, 1999)
Origins of the Modern Mind: Three Stages in the Evolution of Culture and Cognition by Merlin Donald
あたり、まず目次だけでも見てみようと思います
129 :
出土地不明 :2006/09/25(月) 00:04:36 ID:NhuFkjJv
>>128 "The Prehistory of the Mind" は、日本語版でよんじゃった。
もっとも、最近英語版も仕入れたけど。
これは感動的な本だったと思う。
そんなわけで、The Singing Neanderthal も日本語版で読んでしまった
わけですが。それで、今はちょっと話を最近のものにして、AFTER THE ICE
を読んでいるわけで。
以前紹介した、"The Emergence of Culture" by Philip G. Chase もいい
です。これはかなり哲学的。文化の定義が素晴らしい。
130 :
出土地不明 :2006/09/25(月) 00:18:08 ID:vELjFYGh
131 :
出土地不明 :2006/09/25(月) 00:45:54 ID:BObjQlR+
ご紹介いただいた「The Emergence of Culture" by Philip G. Chase」、 レビュー(アマゾン)で見る限り、私の求めていたものに最も近い!! >>以前紹介した<< は、どこへアクセスしたら?
132 :
出土地不明 :2006/09/25(月) 00:52:07 ID:BObjQlR+
なお、"The Prehistory of the Mind" の日本語版書名、お教えください。
133 :
月光仮面 :2006/09/25(月) 15:29:54 ID:Nqb4jX85
>>127 >シベリアの話も詳しく 出てくると思うので、そこで面白いことが書かれていたら、
>またレポート します。
日本人として極めて大きな興味があります。ぜひお願いいたします。
134 :
出土地不明 :2006/09/25(月) 23:21:30 ID:yMq4HKyg
>>131 さしあたり、考古板の人類600万年スレで。721番あたり。
>>132 まんま「心の先史時代」です。
>>133 ヨーロッパ編は、いきなりカニバリズムから始まりました。
135 :
出土地不明 :2006/09/25(月) 23:44:57 ID:yMq4HKyg
>>133 シベリアの話の前に、先のほうに、日本の縄文時代の話があったので、
そこだけ、先に半分くらい読んでみたけれど、それほど新しい話はない
けれど、1万4千年前ごろの縄文土器の初期のものの存在は確実で、
その場合、いったい何につかっていたんだろう?というのがかなり問題
とかいうことが一応書かれていた。定説のドングリ煮込みの話もあるんだ
けど、それだけじゃないようなことが書かれていた。
136 :
月光仮面 :2006/09/26(火) 07:33:14 ID:EoGgZ7N3
137 :
出土地不明 :2006/09/26(火) 13:55:53 ID:pKrXJsMV
>>134 多謝
心の先史時代、The emergence、それに「認知考古学」、注文しました。
138 :
出土地不明 :2006/09/26(火) 16:13:46 ID:pKrXJsMV
「認知考古学とはなにか」by松本
139 :
出土地不明 :2006/09/27(水) 02:52:08 ID:eeeZqKFU
140 :
月光仮面 :2006/09/27(水) 11:01:56 ID:x900YqC9
漏れは日本人の別の3割近いYAP-Dはパミール・ヒマラヤ・チベット高原で約 12000年前のヤンガー・ドリアス過冷却期においてアフリカ・中近東起源の YAP-E型が突然変異を起こし寒冷地対応化したものと見ている。これがチベット・ 羌・殷、そして周の時代にオルドス・外モンゴルで倭人に合流したものと見る。 彼らが中国にミレット農業・鋤をもたらし、その後、トカラ族が仲介したシュメール・ 西アジア小麦農業を殷に仲介したものと見る。この説は日本の学界の説、つまり、 YAPは日本で独自に発達したとする説と真っ向から対立する。
141 :
出土地不明 :2006/09/27(水) 11:42:02 ID:lA+lfsEF
河口に何故文明というのは、 狩猟採集を漁業に依存すれば、定住が可能ということに関係してそう。 また、氷河期の終了により海抜が上昇したことにより、 河川および周辺環境が激変し、 漁業の有効性と農業の可能性が上昇したのだと思うぞ。
142 :
月光仮面 :2006/09/27(水) 12:27:19 ID:x900YqC9
>>141 海進、海退の繰り返しにより、貝塚文化の応用として農業が出現ってことか。
レバントは単に小麦だが、メソポタミア、ナイルにおいてはその他穀物の可能性
もあるね。
143 :
出土地不明 :2006/09/27(水) 15:08:56 ID:0+KXUs8Y
>>140 >日本の学界の説、つまり、
YAPは日本で独自に発達したとする説と真っ向から対立する。
日本の学界って、そんな説を主張してたの?!
144 :
月光仮面 :2006/09/27(水) 18:48:56 ID:H0ws1bIf
そうなんだよ。その結果世界中でYAPの見直しが始まり、不明瞭な結末 に至っている。ごまかされていると言う風に漏れは見ている。問題は日本の 考古学者とか、歴史学者に意見と言うものがなく、あるのは漏れくらいという ようなところにあるのかなー。
145 :
月光仮面 :2006/09/27(水) 19:07:26 ID:H0ws1bIf
>>142 漏れはモンゴロイドがなぜヒマラヤチベットに登ったのが大きな謎であったが
ヤンガー・ドリアスのような気象激変の結果、動物相、植物相の高地-低地変動が
起こり、これに対応した人間の動きが遺伝子の突然変異と言う結果を招いたという
事もありえるんじゃないか。また、米の起源もガンジス流域-長江流域の共通山間部
で、こうした時代に生まれたのだろう。
146 :
出土地不明 :2006/09/27(水) 22:22:51 ID:0+KXUs8Y
>>143 常識で考えて、YAPが日本で独自に発展するわけないよな。
>その結果世界中でYAPの見直しが始まり、不明瞭な結末 に至っている。
日本が原因で世界が大混乱、、ということ?
な〜にやってんだ?日本の学者は・・・orz
「不明瞭な結末」の詳細を、かいつまんで教えてくれねえべか?
147 :
月光仮面 :2006/09/28(木) 06:40:55 ID:bdwE3Y7p
>>145 非常に歯切れが悪く、YAPについてははっきりわからないと言った結論になっている。
日本の学者陣も関与してのことのようだ。
148 :
月光仮面 :2006/09/28(木) 10:23:48 ID:bdwE3Y7p
149 :
出土地不明 :2006/09/28(木) 22:48:45 ID:TcCeYGXG
日本人と韓国人は本音の部分で良く似てるからな。 特に天皇と米に関しては韓国人以上の自尊心が有る。 嘘だと解ってても全身全霊を掛けて主張してしまう。
150 :
出土地不明 :2006/09/28(木) 23:12:48 ID:HftZN6th
月光仮面さん。いろいろ書き込むのはいいけど、内容が著しく特定地域の特定 分野に偏るなら、ゴビ砂漠スレでやってね。
151 :
出土地不明 :2006/09/28(木) 23:22:32 ID:HftZN6th
>>141 農業の始まりにおいて、栽培品種ってのは、種がばらばら落ちないタイプ
なんだよね。野生種は、一般に種がはじけて飛び散るわけね。
そこで、AFTER THE ICEに書かれている話を簡単にいうなら、当初狩猟採集
民ってのは、そこらの原っぱに生えている稲科とかのでっかい栄養分のある
種(っていうか実っていうか)をつける植物を、目の細かいザルとかを
受け皿にして、そんで、穂の部分を叩いて、種をぱらぱらとザルの上に
落とすような形で採集していたらしい。で、その種(っていうか実)を
持ち帰って食べるわけだ。当然、原っぱから比較的定住性の高い(季節
移動はあったかもしれないが)住居に持ち帰る途中で種が落ちる。その
落ちる頻度は、当然、住居の近辺が一番多い。そこで、住居群の近傍に
比較的採集しやすい稲科などの植物が茂るようになるってことだね。
ところが、これを、穂狩りするようになると話が違うっていうわけ。
穂のあたり全体を鎌で刈り取るとかする。で、そのまま持ち帰る。そう
すると、もとの原っぱに生き残るのは、その穂狩りの前に種をとばした
のだけ生き残る。だから原っぱのはそのまま野生的なものばかりになる。
一方持ち帰ったものは、そのまま全部食べてしまう。
で、重要なのは、持ち帰ったものを種籾にして後でばらまくということが
起こらないといけない。そうすると、種を飛び散らかす野生のものではなく
種をとばさないタイプの栽培に適したものが選択されるというわけだ。
どうやら、氷河時代の間も、それからヤンガードリアス以前の温暖な時代
においても、栽培種が選択されるような仕組みはなかったようだという。
ヤンガードリアスが終わったあとから、栽培種が登場するので、そのあたり
で、農業が本格的になって、栽培種というものが固定的になったというわけ
だな。
152 :
出土地不明 :2006/09/29(金) 03:13:54 ID:mUKQNyLS
>>151 イモ類とかの話は載ってないの?
根菜とか地下茎植物とかは主に氷河期対策で進化した植物なので、
氷河期に栽培文化を得た可能性が高いと思うんだ・・
地下茎を主食にしてたヒト科の種もいたからその辺が非常に気になる
153 :
月光仮面 :2006/09/29(金) 07:45:19 ID:DnzYirvP
154 :
出土地不明 :2006/09/30(土) 09:34:26 ID:dt9BAFp+
>>152 いまのところ、イモ類の話は、ないことはないが、その栽培に関わる話
はないみたい。最近ちょっと読む速度が遅くなっていてすいません。まだ
ヨーロッパも半ばです。ヨーロッパ編は、中石器時代(旧石器時代と、
新石器時代の間)の話が中心で、ヤンガードリアスが終わりました。
155 :
出土地不明 :2006/10/07(土) 20:38:18 ID:NLlX92/D
AFTER THE ICEのヨーロッパ編を読み終わり、アメリカ大陸編の半分くらいまできました。 ちょっと読む時間がとれてないので、遅く成っております。 ヨーロッパ編は、内容としては、中石器時代を主眼においていて、中石器時代の いろいろな文化、遺跡を紹介することになっており、また、それらと新石器時代人 との交流について、いろいろ思いをはせているって感じですか。 西アジア編ほど、面白い内容はありませんでした。 アメリカ編は、とりあえず、「クロービスが最初」仮説をうちくだこうといういつ ものパターンですね。モンテヴェルデの遺跡で、最終的に「クロービスが最初」 仮説が崩れたことになります。それから、アメリカ大陸における大型動物の 絶滅と、人類の拡散はあんまり関係なさそうだ、という話で終わっているような。 まあ、やっぱり、この本は西アジア編が一番面白い気がしました。
156 :
出土地不明 :2006/10/07(土) 20:40:42 ID:NLlX92/D
追加ですが、このAFTER THE ICEとか、The Singing Neaderthal とか、
あるいは、The Prehistory of Mind などの著者である、スティーブン・ミズン
が来日予定で、講演会を開くそうです。時間があったらいってみたいと思うけど、
うーん、ちょっと忙しい。もし行く人がいたら、いろいろお話をおききしたい
と思うので、時間がある人にお願いします。紹介は以下の河合氏のページ。
http://nobukazu-web.hp.infoseek.co.jp/
157 :
出土地不明 :2006/10/07(土) 21:25:51 ID:a/Sefd60
ある意味、寒冷化の終焉が巨大哺乳類の絶滅を加速させた。寒冷化適応 が必要なくなったのが大きい。
158 :
出土地不明 :2006/10/07(土) 21:58:04 ID:YmfT7X+y
>>157 クロービス石器ってのは、っとても大きいのだが、なんでも、これ、宗教的
な行事のための特別な石器で、あまり狩猟用ってことじゃないらしい。
クロービス以前の石器がないから、クロービス石器の人々が最初にアメリカ
にやってきたというのが、「クロービスが最初」仮説なんだけれど、実際の
ところ、モンテヴェルデ(チリ)の遺跡でそれより以前のものがみつかって、
クロービス以前にも北アメリカに遺跡は残していないが人々が住んでいたこと
が明らかになったわけで、そうすると、クロービス石器以前の人々がいて、
むしろ、クロービス石器がある時点で突然現れるのは、北アメリカの中に
おける文化運動の結果だったということになるようだ。
で、その時代のクロービス石器を使っていた人々が食べていたりしたのは、
マンモスや、巨大ナマケモノや、巨大アルマジロやスミロドンとかそういう
大型動物ではなくて、案外ちっちゃいものだったらしい。
マンモスを食べたあともないことはないが、そこらで死んだやつを適当に
料理しただけじゃないかって。カリブーとかかバイソンとか絶滅してない
ものを狩猟していた痕跡のほうが多いらしい。ってことで、大型哺乳類の
絶滅は、気候変化で、とくに、氷河時代の間は季節による寒暖の差が小さい
のが、季節が顕著になったことで、寒いところに適応した動物は夏が苦しく、
逆に温かいところに適応した動物は冬が厳しいという状況で、がたいの
大きい大型哺乳類がもっとも影響を受けた、というのが答えだったようだ。
159 :
出土地不明 :2006/10/08(日) 22:31:06 ID:OgN70g88
>>158 ちょっと話が違っていたので、追加です。
たんに、氷河時代の終わりとともに、気候が変わり、それで絶滅したと
いうのなら、過去何度もあったそういう気候の変化に対して十分に生き
延びてきた動物が、どうして、最終氷期の終わりで絶滅したかの説明が
つかないというわけです。
そこで、過去の気候変動のときにそういう動物がどうやって生き残って
きたかを見ると、大量絶滅があっても、その中で一部は気候変動の後も
あまり大きく気候が変動しないところや、うまく適応可能な逃げ場所を
選んで、そこで群れを小さくし、かつ体も小さくなるなどして適応して
きたということがわかるわけです。
ところが、最終氷期の後、その個体数が小さくなり、さらに体もだんだん
と小さくなる、というかたちでの生き延び戦略の中で、人間の、クロービス
石器をもつ人々の比較的散発的な狩猟があり、それがとどめを刺したらしい
というのが、最終的な結論のようです。で、これを説明するのに十分な、
考古学的な証拠もあるようです。つまり、クロービス人が、弱ったマンモス
を狩猟していたとかいうような形跡があったわけです。
160 :
出土地不明 :2006/10/09(月) 20:22:47 ID:ZUHe5pzC
それは人類の大型化と組織化が大きいのではないか? 生殖期の制限がなくなり、年中子作りできる人類は氷河期の勝利者 となった。数は増え、血族・部族・民族を形成していく過程で言語 ・歌謡等の情報伝達能力を蓄積していった人類は狩りの効率性を極 限まで追求した。食う以上に狩り過ぎた。マンモスの追込猟は大殺 戮を伴った。食物連鎖の頂点にいた巨大肉食獣は、彼らのつまらな い精神的な満足"宗教"や"社会儀礼"を満たすためだけに狩られたり もした。巨大肉食獣の減少は自然の摂理である食物連鎖そのものを 狂わせ、草食獣の爆発的な増加と食料である植物の喪失・・・最終 的な砂漠化を促進した。サハラやアラビア、グレートプレーンの森 林は沙漠と草原なり乾燥していった。 人類が最初に起こした「環境破壊」である砂漠化は、巨大哺乳類の 生活の場であった湿った森や沼を脅かしたのである。
161 :
出土地不明 :2006/10/09(月) 23:06:44 ID:+TjpOyD5
>>160 >>158-159 を読めよ。
実際のところ、マンモスの大量殺戮の形跡はないんだよ。
たしかに、弱って倒れたマンモスを利用することや、部分的にマンモスの
狩りも行われたことはある程度考古学的にもわかっているが、大量殺戮
なんてなかった。むしろ、環境変化で個体数が減ってしまったマンモスに
対して、最後の一撃をみまったのが人間だったということだ。
もちろん、人間が氷河時代後の変化を生き抜いたのは、人間の文化的適応
のせいだ。
162 :
出土地不明 :2006/10/10(火) 07:42:43 ID:lOsi4/Nr
>>161 160じゃないけどさ。
読んだからこそ、160の反論があったのではないか。
で、158では、氷河時代は寒暖の差が小さかったと断定的に述べているが、
いまいち根拠がわからない。
163 :
162 :2006/10/10(火) 07:49:52 ID:lOsi4/Nr
ついでに、言っておくと、 氷河時代にマンモスが繁栄したのは、シベリアにおいては、 氷河時代にもかかわらず温暖であり、食料が豊富であったからという 話もある。 それは、地球全体で氷河期であっても、海流や風の流れにより 地域によってその気候状態はどうなるか不明な部分が多々あるということだ。
164 :
出土地不明 :2006/10/10(火) 23:25:59 ID:DOSDtPGx
>>162 ようは、ずっと寒かったわけです。
ずっと寒い。そのあたりは、根拠というのは花粉の解析によるflora の
分析だ。そこから、fauna を求めて、そんで、だいたいの環境分析をする
っていうのはかなりうまいこといっているわけです。
>>163 というわけで、花粉などの分析や堆積物の分析で、ここ十年程度でもの
すごい知識が蓄えられているわけ。そのあたりが、ようやく書籍の形で
いろいろと一般的にも知られてくるようになったのが、最近数年ってこ
とだと思う。その意味で、AFTER THE ICEは面白い。非常に詳しいから。
もちろん、謎としての、氷河時代の3万年前ごろから2万年前ごろにおい
て、北方でかなり文化が発展している、というあたり、たとえば、古いとこ
ろでは、スンギール遺跡などもあるけれど、そういうのの理由というのは、
まだよく分からないと思う。あきらかにものすごく寒いけれど、そこで、
人類の文化がもっとも花開いていると思うし。
165 :
出土地不明 :2006/10/12(木) 05:42:24 ID:VTqsKG0S
マンモスなど大型のものは骨もでかいので持ち帰るはずもなく。その場で料理だろ普通。
166 :
出土地不明 :2006/10/12(木) 10:35:37 ID:K/BzhiTh
167 :
出土地不明 :2006/10/14(土) 11:44:51 ID:i12vZA2W
シベリアの冷凍マンモスの胃袋からはキンポウゲ等の温帯植物が出ており 当時の環境はかなり異なっていたことが判明している。当時の北極はベー リング海〜北米大陸北部にあった。 シベリアで実際に追込み猟で数十頭単位で群れごと泥湿沼の底なし沼に沈 んだものも多数、発見されている。その中には鏃や骨角器で傷ついた骨も みられるのだ。 地球の経度的シフトも十分に考慮にいれよう。
168 :
出土地不明 :2006/10/14(土) 11:49:35 ID:kr3kT0Ph
>>167 "FROZEN IN TIME" Michael Oard. 読め。
すごい面白いぞ。マンモスはどうやら立ったままいきなり瞬間冷凍された
のがほとんどで、しかもその時期はたった一日かそこらで、シベリアから
アメリカ大陸まで一気に、ってことだったらしい。
169 :
出土地不明 :2006/10/14(土) 11:55:40 ID:mWQ3DH8d
>>167 まあ、上にあげた書籍は創造論者のオモロイ本なのでおいといて、。
氷河時代の末期になると、季節変化が非常に激しくなったということはすで
に書いたけれど、その結果として、植物も動物も、非常に大きく移動するよう
になった。氷河時代の末は、だんだんと温かくなるというよりは、毎年の温度
変化が非常に激しく、数年は徹底的に温暖で、次の数年はむちゃくちゃ寒い
とかいうことになった。そこで、寒いときの冬は、氷河時代よりも寒いとか
熱いときの夏はかなり暑いとか。これで、北の動物、植物が南に、さらに南の
動物、植物が北に、ということで、攪拌が起こったわけね。で、攪拌された、
たとえば南の動植物が、たまたま北方においても生き残るようなことがあったり
逆に北の動物や植物が南のほうでたまたま生き残るようなことがあったりという
ことで、亜寒帯から温帯あたりがかなりぐちゃぐちゃにまざっていた状態だった
ことがわかる。
もともとマンモスは、永久凍土などの上の薄い草原の植物などを食料としていた
わけだけど、南にも進出したり、北にやってきた温帯系の植物とも出会うような
ことが、末期にこそあったわけだ。
逆にいえば、こういう大きな寒暖の変化の中で、大型動物がやられた、ということ
になるんだけど。
170 :
出土地不明 :2006/10/20(金) 20:46:55 ID:x4x9ZvX1
>>人類の最古の芸術の痕跡かもしれない。 で、文明とどう関係があるの?
171 :
出土地不明 :2006/10/20(金) 22:24:02 ID:yoOL32DN
全部、敵かやるぞ。
172 :
出土地不明 :2006/10/20(金) 22:30:16 ID:yoOL32DN
全部潰すぞ。基地外考古。
173 :
出土地不明 :2006/10/20(金) 23:40:40 ID:yoOL32DN
あほう、黙っとけ。
174 :
出土地不明 :2006/10/20(金) 23:41:18 ID:yoOL32DN
あほう、だまとっけ。
175 :
出土地不明 :2006/10/25(水) 21:37:31 ID:92jnwn1B
AFTER THE ICE を読み終わりました。 うーん、なかなか面白かったです。 最後のアフリカ編の話では、アフリカの牛が、独自に家畜化された話や、また、 アフリカの現在のサハラ砂漠のあたりでの、家畜化に先立つ時期に羊の囲い込み というか、野生羊を村の近所に繋いでおいたり、フェンスで囲っておくという ことをやっていた、などの話がありました。 全体として、この本でいっているのは、どの地域でも同じように氷河時代の後 急速に変化していき、そして、場所によっては、定住、農耕、そして都市へと 進んだということのようでした。 たんに考古学的な話をならべるだけでなく、その考古学的な発見から想定され る実際の昔の人たちの生活を、ジョン・ルボックという現代人(本当は、18 世紀の人)が時間空間を越えて旅をするという形で、描いているのが面白い。 翻訳が待たれるところです。
176 :
出土地不明 :2006/10/26(木) 11:14:18 ID:aJUvnPr0
177 :
出土地不明 :2006/10/26(木) 21:33:21 ID:HdYPNZsV
氷河期は大陸だけでなく大気中から大量の氷河として水を蓄積凍結した結果、 海に循環すべき水を奪った。 これは大海退として海抜水位の低下となって影響を与えた。海抜は現在よりも 70m〜150mもの低下を促した。 黄海は肥沃で広大な大地に変わり、台湾海峡や対馬・津軽・千島海峡は地上に なり、瀬戸内海は干上がり大渓谷となった。地中海は湖となり、五大湖は巨大 な淡水内海となった。 ネアンデルタール達は現在は海底の地中海の湖のほとりで暮らしていた。人類 の大陸間の往来は、今よりも自由だったに違いない。逆にこの浅い海こそが人 類の揺籃となったのではないだろうか?
178 :
出土地不明 :2006/10/29(日) 00:24:26 ID:TFxNa3eh
>>176 なにが知りたいですか?
かなり読むのに時間がかかった本だから、内容はかなり濃いです。
日本の縄文時代の話もかかれていた話は前にもしましたよね。
えっと、ここまでのこのスレでの話と関係しそうなのは、たとえば、その、
氷河時代からあとの人類の文化、生活の発展のしかたについて、あと農耕が
始まるまでの様子について、それぞれの地域でそれぞれ違うという話があり
ましたね。
ちょっと面白いのは、たとえば、西アジアの農耕が始まるときは、石臼が
あったのに、土器がなかったが、中国では逆に土器はあったが石臼がなか
った、なんてことが書かれています。麦作には石臼が必要でこれで粉にして
パンを焼く。一方中国南部の稲作では、米を土器で煮炊きする。中国の北部
で麦作が始まったときは、西アジアの文化セットがまとまって入ってきたの
で、もちろん石臼もあった、というようなことも書かれていたっけ。
ようは必要のないものは発明されず、必要のあるものは発明された、というこ
とのようです。前にも書きましたが。
最後の纏めとして書かれているのは、氷河時代後というのは地球温暖化の時代
であり、そして現在もまた地球温暖化の時代で、ただし、そのスケールは氷河
時代後のものよりも遙かに小さい。しかし、氷河時代後の人口密度は非常に
小さく、海岸地帯が水位の上昇でしょうしょう洪水に見舞われたとしても、
逃げていくべき場所がいくらでもあったが、今はちょっと水位があがっただけ
でも、数千万人、数億人の人が住む場所を失う。人間にとってのインパクトは
今回の温暖化のほうがでかい、みたいなことが書かれています。
で、氷河時代後の温暖化では、人類は、「意図的かどうかは別にして、栽培
品種の開発という遺伝子改変によって切り抜けた。」そして現在もまた、作物
の遺伝子改変を今度は遺伝子工学を使ってやろうとしている。ということで、
なんか、氷河時代後と、そして地球温暖化のおこっている現代とのパラレルな
話をもってきて、終わり、って感じです。
ところで、ミズンさんの講演だれかきいてませんか?
179 :
176 :2006/10/29(日) 23:30:56 ID:G0AVxtKt
>>178 前にも書いたけどアフリカ関係かな。
従来のオリエント由来の麦類の農耕起源説以外が知りたいですね。
アフリカのイモ類(地下茎植物)栽培の痕跡とか家畜の起源。
あと東南アジア系のイモ類(サトイモ系?)の栽培歴とか家禽類(鶏とか)
こんな感じでしょうか?
よろしくお願いしますm(_ _)m
アジアでいくと雑穀系の起源も面白そうですね
180 :
出土地不明 :2006/10/30(月) 23:46:20 ID:PZpDsTQd
植物で負って行くのは実はあんまり役に立たんのだけどな。
181 :
出土地不明 :2006/10/31(火) 23:31:59 ID:+pNCLv1N
>>179 アフリカ関係は、牛が独自に家畜化されたらしいという話と、ソーガムなどの
栽培植物の話がちょこっと。あとはサハラの壁画の話。上で書いた羊の家畜化
以前の囲い込みの話が中心でしょうかね。
考えてみると、紀元前2万年から紀元前5千年の話っていうのは、ようするに、
新石器時代の始まりの時期ではあるものの、考古学的にみると、案外あまり
注目されていないように思うんです。そこをいろいろと面白く紹介していると
いう点で、この本は面白いと思いました。
アジアの話は、オーストラリアからパプア・ニューギニア、中国、日本、と
きて、そのまま北極圏の犬ぞりの話、そしておしまいということで、案外
駆け足でした。パプア・ニューギニアの初期農業の話などは、まだ遺跡もすく
ないようですが、非常に初期からなかば灌漑に近い方法の水利がおこなわれて
いたという話もありました。
182 :
出土地不明 :2006/11/01(水) 02:58:03 ID:g05Qnkzo
1万2千年前、南極に一大文明アトランティスがあった。 しかし地球のポールシフトが起こりアトランティスは極寒の地となった。 人々は新たな温暖な地へ移住をはじめた。 その最初の場所が世界5大文明地である。
183 :
出土地不明 :2006/11/03(金) 12:04:03 ID:ATYhCnxh
184 :
出土地不明 :2006/11/03(金) 13:16:53 ID:al6iWLgL
185 :
出土地不明 :2006/11/03(金) 16:41:47 ID:Jbx5O0Ua
カルトなんかより隣組の官僚談合体質の真の恐怖を知るべきだな。 外資なんて余所者は、日本に入れない。
186 :
出土地不明 :2006/11/03(金) 23:39:52 ID:Ueoe/Y03
>>183 ムー民のようなプリ・オウムには何言っても無駄ですよ。
187 :
出土地不明 :2006/11/04(土) 02:41:41 ID:IH2Q0zNv
モノリスに触れてから
188 :
あのね :2006/11/05(日) 06:02:35 ID:Yp5XlAfx
四大文明という考え方がおかしい。たまたま安易に見つけた文明を取り上げ四大文明というのは間違え。当時少なくても100以上の文明が存在していたのは現代の定説。 四大文明なんていってると歳ばれるよ。
189 :
出土地不明 :2006/11/06(月) 01:47:03 ID:Rnbl8ix/
四大ってくらいだから、メジャーな4つって事じゃね?
190 :
出土地不明 :2006/11/06(月) 03:13:55 ID:FfFH1+kX
「四大文明」といっても、始まった時期はまちまちだし、 別に「急に」発祥してないじゃんよ
191 :
出土地不明 :2006/11/07(火) 07:35:05 ID:D6XL/BmD
192 :
出土地不明 :2006/11/11(土) 12:28:38 ID:PaKQyerf
>>191 ありがとうございます。
AFTER THE ICEの内容に近いような気がする。
193 :
出土地不明 :2006/11/11(土) 15:27:40 ID:h78kDBnW
194 :
67 :2006/11/11(土) 19:15:01 ID:BtvitAF7
ヒント: 日本の古文書には時々、イースター島のロンゴロンゴ文字のように渦巻き状に回転させて読まないといけない場合がある。 火焔式土器等はそもそも毎日の日常生活で使われていたかは専門家でも疑問視する向きがある。形状が複雑でかつ厚手で 装飾性・信仰性がより重視されたのではないか?という事。しかも縄文時代にしては結構広範囲に"流通"していた事がパ ターンの種類により判別できる。製作地と出土地は異なる訳だ。 土器はそもそも「容器」なのだから何かを中に入れて流通したのかもしれない。 その表面にびっしりと「無造作」につけられた縄目は1本の列を成すのだが・・・それはただの滑り止めに無造作につけ る必要があったのだろうか? その他の「用途」「目的」がなかったのだろうか? 藁算と似たものにポリネシア原住民の航海術の縄張り枠もある。これはある島を基点として、方位(山・島・星等)を目印 にその長さ・結び目で目的地までの距離・中継地・産物等の記号が記されたれっきとした「海図」で、キャプテンクック の時代まで実際に使われていた。 その利用法や記号は代々部族の船頭に口伝され、他部族に教えてはいけないものとされていた。
195 :
出土地不明 :2006/11/11(土) 22:50:28 ID:hGWf0OrC
>>194 面白い話だが、いちおう、定説を述べておこう。
ロンゴロンゴは、たしかにイースター島に伝わる文字だという話であったが、
イースター島で、白人がやってくるまで文字が使われていた痕跡は一切無い。
ロンゴロンゴは、普通、白人が文字を書いているのを見て、自分達の文字を
を作ろうとした結果のものであろうとされている。イースター島の人々が、
その後、奴隷に売られたりいろいろしたので、たしかに数がへってしまった
というのはあるが、ロンゴロンゴを読めると主張した人が複数いたが、かれ
らのだれもが、同じ読み方をしなかった。書かれているのはイースター島の
ポリネシア語であることは間違いないのだが、読めない。つまり、文字のよう
な模様だった、あるいは、たかだか数人の人達の間だけで通用していた、記号
セットと考えるべきだろう。
196 :
出土地不明 :2006/11/11(土) 23:48:20 ID:h78kDBnW
>同じ読み方をしなかった。 ここをもうちょい詳しく
197 :
出土地不明 :2006/11/18(土) 21:57:16 ID:LVg5/QLA
別に急に発達したわけじゃないんだが・・・
198 :
出土地不明 :2006/11/23(木) 08:36:08 ID:ZCor/Gtk
韓国文明にはどの国の文化も勝てない!!
199 :
出土地不明 :2006/11/23(木) 18:48:15 ID:q3plDsSl
>>195 だから、複数の人が、同じロンゴロンゴの字面をみて、違うこといいだした
わけだ。いちおう、ヨーロッパ人がやってきて、そもそも1万人いたという
イースター島の人口は、100人あまりまで減ってしまったわけだが。
アメリカのとあるインディアンが、アルファベットを眺めて、独自のそれ
らしい文字をつくり出し、それで新聞までつくって発行していた話もある。
ロンゴロンゴもそういうものではないかな。
200 :
出土地不明 :2006/11/23(木) 18:49:07 ID:q3plDsSl
>>198 なにをもって、韓国文明と読んでいるのか、そのあたりを詳しく。
201 :
出土地不明 :2006/11/23(木) 19:23:24 ID:vL1MTx+E
朝鮮人民は断固としてそれを認めることは出来ない。
202 :
出土地不明 :2006/11/24(金) 18:01:54 ID:mCw0A8r4
日本の稲作以前はどうだったんでしょうねえ。 大規模集落が発見されるが、さすがに数百人が採集だけで生活はナンセンス。 日本には大型獣がいないからなおさらナンセンス。 ドングリなんかは早いうちに優性種の選別はあったのではないか。 あと、農家の親戚の爺さんがいうには、 「拓いたばかりの土地は十年ぐらいは草に悩まされる。特に粟やヒエはほっておいてもわいてくる」 とか。 他の草を徹底排除し、勝手に生えてくる粟やヒエだけ成長させる、 そういうプレ栽培的ななにかはあったのではないか。 なんにしても、土器の高い芸術性や量、石器などを見るに、集落といえども職能集団はいたのではないか。 戸数の多い集落ならなおさらだとおもう。 職能集団がいるから栽培が必要なのでなくて、栽培などがあるから職能集団を抱えられるとすれば、 日本の稲作以前には意外な可能性があったのではと思う。
203 :
出土地不明 :2006/11/26(日) 15:04:00 ID:zYo47sLJ
日本の稲作以前? そこかしこから廃棄物の山ででてるじゃないか。貝塚だよ。貝塚。 日本は海洋系の生活が一般的だったんだよ。漁労・貝や海草の採集。 貝塚の中には、数千年かかって溜まって出来たものもある。おそらく干物 等の保存加工法や調味料の多くも早くから生み出されていただろう。 日本人が水産資源の確保・漁業の知識に豊富で、魚の種類を区別するのに 秀でた能力を持ち得たのも、この貧しい火山島で蛋白質やミネラルを豊富 に獲得できた水産資源を活用できたからこそである。 魏志倭人伝でも中国人が日本の漁労生活ぶりに特に注目しているのでもよ くわかる。海女漁はその頃から既に存在していたのだ。
204 :
出土地不明 :2006/11/26(日) 16:09:34 ID:jmo8E26A
漁労をしていたいたひとたちが、何の前段階もなく、突然畑作をはじめたの?
205 :
出土地不明 :2006/11/26(日) 17:25:49 ID:NZvpyVrD
前段階として弥生人が弓矢や金属器で殴ったり蹴ったり斬ったり刺したりしました。 近畿各地に鏃や利器で破損した縄文人骨が出ています。 これで平野が手に入りました。 もう一つは大規模な灌漑・治水施設を作る集中権力と一定の人口密度が初期投資とし て農業には必要です。種籾を持込み、気候を読む占い師等のジョブも集めてようやく コンプリート。 最初は、農作物は副食だったでしょう。ほとんどは季節の野草・果実の採集に頼って いた。青森からは縄文大集落から栗の栽培林も見つかっていますが、貝塚の主力はや はり魚介類でした。
206 :
出土地不明 :2006/11/26(日) 18:34:07 ID:WDgxTZID
飛鳥時代までは普通に肉食もしていたと思う
207 :
出土地不明 :2006/11/26(日) 22:40:08 ID:9ga4pWH+
貝を捨てたから貝塚 じゃぁ今我々が残してるゴミは何塚と呼ばれるようになるんだろうか
208 :
出土地不明 :2006/11/27(月) 00:41:49 ID:Xi0e3ff+
メタン塚じゃないか?発掘する子孫は防毒マスクが必要だ。間違えて放射能廃棄物最終処分場なんて掘り当てた日にゃ・・・滅
209 :
出土地不明 :2006/11/27(月) 01:35:29 ID:3ufdq+3c
じゃあ昔見た、生産調整で穴ボコにブルドーザーで大量投棄されていたMacは Mac塚か。
210 :
出土地不明 :2006/12/04(月) 19:59:19 ID:M1VjXzcR
百瀬高子著『御柱祭 火と鉄と神と』という本にこんな事が。 ・縄文土器を焼く時には700〜800℃の熱を5〜6時間必要とする ・葦の根に付着する褐鉄鉱は焚火の温度である400〜800℃で熔解を始める ・諏訪神社の重要なシンボルである鉄鐸は褐鉄鉱と同じ形 ・諏訪湖及びその周辺の河川の鉄含有量は日本一であり葦や芳も豊富 ・以上の事から縄文土器の焼成時に焚火の底に純度の低い鉄分が溶け出して鉄として固まった可能性は高い →製鉄技術は縄文時代からあった ・不純物が混ざった貴金属は縄文土器の焼成温度で熔解する ・土器の素材である土に鉱物が含まれている状態で焼いた場合、土器は自然釉が掛った状態で焼成される ・灰が熱で溶けて土器に掛れば自然に灰被土器(灰釉陶器)が焼成される ・縄文土器、弥生土器、土師器、須恵器、青磁、奈良二彩・三彩陶器、緑釉、灰釉の内で1200℃以上で焼成する必要があるのは最後の灰釉のみで他は皆800℃で焼成される ・伝来品は技術的にはある程度進んでいるはず ・中信松本地域で出土する灰釉陶器は技術的に初期的段階の様相を見せている →灰釉陶器や緑釉陶器のルーツは縄文中期の松本周辺であると言える ・諏訪湖湖底に眠る縄文前期後半の湖底遺跡土器の器壁(土器の厚み)は5o ・縄文中期土器の器壁は2〜3p ・土器でも丈が60p位、器壁が2〜3pのものを作れば製鉄炉に出来る ・縄文中期の大型水煙土器は器壁2〜3pで丈は40〜70p ・自分で製鉄実験したら鉄が出来た →水煙土器は製鉄炉だった 他にも色々書いてあったが時間が無いので今日はここまで。
211 :
出土地不明 :2006/12/05(火) 18:36:54 ID:kxer5vtb
四大文明なんてなかった!
212 :
出土地不明 :2006/12/07(木) 15:37:46 ID:RqeNsrFl
で、スレタイへの答えは 「急に発祥してねぇ」であってるか?
213 :
出土地不明 :2006/12/10(日) 13:07:53 ID:RSCIMwaA
>>212 あっている。農業の開始は、現在のところ、たしかに世界あっちこっちの中核
地帯で、同時ってことになる。まあ、1千年くらいのずれはあるけれどね。
中近東(西アジア)、中国南部、パプアニューギニア、それから南アメリカなど
でも早いところは結構早い。
ただ、日本で「四大文明」とされるのは、時間的大きくずれている。
これらは、文字をもち、王国や都市国家の段階に達するものをいうが、中国は
その段階に達するのは、紀元前14世紀かそこらで、これは、ギリシア文明の
古さに相当するが、メソポタミア文明のそれよりは2千年以上遅れる。
中国は、北方での農耕も、その種子の遺伝的な分析からして、中近東の麦作
が入って来て以降の話で、逆にいえば、中国南方の稲作地帯が文明化するのは
農耕が始まってから、6千年以上たってから、みたいな話になる。かなりの
後進地帯って話になりかねない。
エジプトの文明は、メソポタミア文明のぱくりだから、元祖じゃない。
インダス文明も、メソポタミアのぱくりだろ。独立した文明っていうのは、
メソポタミアと、アメリカ大陸のいくつか、くらいになるんじゃないか。これ
らは、まあ、四つかそこらになるんだろうが。
214 :
出土地不明 :2006/12/10(日) 17:49:54 ID:A8scUpAd
■朝鮮人の工作サイトか■
このサイトを初めて覗いたときは、日本人が運営しているサイトだろうと思ったが、よくチェックしてみると、
「倭寇の中には、少数の日本人もいた」などと、デタラメの記述がある。
中世の時代に、日本海や東シナ海で暴れまわっていた海賊、いわゆる<倭寇>の正体は朝鮮海賊なのだが・・。
【韓国の歴史歪曲捏造】(49編収録) 2004/11/10更新
http://members.at.infoseek.co.jp/konrot/reki.htm ★下記の記述を見てほしい。
倭寇と言えば、13〜15世紀に日本の海賊たちが暴れ回ったというイメージでのみ語られることが多い。
今回、その倭寇の悲しい事実(←ここからすでに変な表現である)と隠された真実を見ていこう。
まず倭寇と呼ばれた人達を見ていくと、朝鮮に「三島倭寇」という言葉がある通り、倭寇の根拠地は対馬・壱岐
・松浦、それに博多等、いずれも元寇の際、高麗軍の直接の被害をうけた地域の住民であった。
(嘘である。倭寇の本拠地は済州島や巨済島など、朝鮮の島であり、構成員も全員が朝鮮人だ)
先のスレッドで日本征伐(「元寇」では翻訳されないため、韓国側の呼称を敢えて使わせてもらう)における
朝鮮の非道を書いたが、まさに倭寇の根拠地とはその朝鮮の侵略・虐殺行為をまともに受けた地域だったのだ。
(だから、これは嘘。たしかに対馬・壱岐・松浦・博多等は、新羅海賊や高麗海賊、そして元寇の侵略の被害を受けたが、
倭寇の構成員は全員が朝鮮人である。新羅海賊・高麗海賊が「倭寇」を名乗ったのである。)
詳細は先のスレッドを参照してもらいたいが、記録によれば、高麗軍により男はことごとく殺され、女は手に穴を
あけられて数珠つなぎの捕虜にされた。また、二百人の童男童女は高麗軍に連れ去られ、忠烈王に献上された、
と記されている。
この世の生き地獄を味わったこれらの島民・住民達が、朝鮮に対し憎しみの炎を燃やすのは当然と言えば当然ではないだろうか?
(もちろん、朝鮮人の侵略の被害にあった日本人が朝鮮人を恨むのは当然だ。しかし、倭寇はあくまでも朝鮮人である。
これは事実だ)
また、当時の高麗は、元の侵略により数十万に及ぶ住民が強制連行されたり、住民が虐殺され、国家の弱体化が著しかった。
それがまた、積年の恨みも混じり倭寇を刺激し、行動が活発になった要因でもあった。
(朝鮮人を被害者扱いしているが、朝鮮人は加害者である。朝鮮人が倭寇なのだ。)
さらに、ここで注目しなければならないのは、倭寇は日本人だけではなかったということである。
(だから、倭寇は全員、一人残らず朝鮮人なのだ。日本人の倭寇はいなかった。朝鮮海賊が倭寇である。)
「世宗実録」28年(西暦1446年)の記述によれば、倭寇のうち日本人は一、二割に過ぎず、他は日本人に成りすました
朝鮮半島の民であったと記録されている。
(日本人は倭寇の一、二割ではない。日本人はゼロである。倭寇は朝鮮海賊なのだ。)
当時の朝鮮半島の住民も、高麗時代の末期には、軍隊や官吏は統治能力を喪失して治安を維持できない無政府状態にあった為、
生きるために倭寇を騙り略奪をせざるを得なかったのだろう。
(そうではない。最初から朝鮮人が倭寇である。倭寇の一部には朝鮮水軍の将兵もいた。)
このように、韓国では古来の記録があるにも関わらず、自分たちに都合の悪い事柄は絶対に表に出さないという歴史を冒涜する
行為がまかり通っているのである。韓国政府の自国に不利なことは国民に教えない、悪いのは全て日本、反日こそ国是という
教育方針により、ここに来る韓国人の多くもその真実を知らないのだ。
倭寇を産んだのは朝鮮による日本への侵略が最大の原因であり(だから、倭寇は朝鮮人なのである。日本人は侵略を受けた
被害者である)、また倭寇の被害の多くは、倭寇を騙る当時の朝鮮半島住民によるものである。韓国人よ、これが真実だ。
(倭寇は朝鮮海賊であり、その朝鮮海賊が日本人を襲った。日本側の警備が厳しい時は、朝鮮人を襲ったのである。)
215 :
出土地不明 :2006/12/10(日) 18:02:56 ID:+BEmtt+0
シュメール語はインダス系言語という説もあるが。
216 :
出土地不明 :2006/12/10(日) 21:44:57 ID:sbgfihNw
>>215 インダス文字が読めない以上、なにも詳しいことはわからん。
一番不思議なのは、エジプトだよね。メソポタミア文明のパクリなのは
確実だが、ヒエログリフは楔形文字と違うわけだし、そこが理由不明だな。
わざわざ新しい文字を作ろうとしたってのが、どうしてなのか理由がわかん。
メソポタミアとかは、文明の時代には、銅石器文化くらいになっていたわ
けだが、エジプトはずっとずっと石器時代のままだった。ヨーロッパよりも
ながい間石器時代が続いたんだよな。文字とピラミッドがあるから文明だが
石器時代人だったことはかわりない。金属器の時代になるのは、ヒュクソス
以降の新王朝時代だろ。
217 :
出土地不明 :2006/12/15(金) 03:05:27 ID:X297s+C7
青銅や鉄製の武器持った奴らにコテンパンにやられた経験がなかったからだろ。 加えてナイル川が肥沃なやわらかい土を毎年供給してくれるから、荒土をガシガシ 耕すような農業生産上の必要もなかった。
218 :
出土地不明 :2006/12/15(金) 20:37:17 ID:JSDIaYKp
初心者質問で悪いんだけど、どういうきっかけで人間は金属器の製造に気付いたんだろうか? 四大文明というのは、旧大陸に根付いた四つの文明圏で、先進的且つ代表的だったもののことでしょ? その広大な地域における端緒となったとしたならば、 自然物→欠けた石→打製石器→磨製石器という流れならば理解できるものの、 石器→金属器?というのが理解できない。 焼いたり、溶かしたりという工程は石器には無いのだから、どういうきっかけで金属器の製法に気付いたかわからない。 史学や考古学ではどういう考えになってるのでしょうか?
219 :
出土地不明 :2006/12/15(金) 23:55:08 ID:9hfljKP9
まだ誰も説明し得ていないねえ
220 :
出土地不明 :2006/12/16(土) 01:52:49 ID:trBwu0GX
>>218 自然銅や隕鉄を打製石器の要領で加工していた例は世界中にあるようで。
221 :
出土地不明 :2006/12/16(土) 01:56:44 ID:jgBoqPEk
より効果的なフリント製作のために色んな石ころの破砕特性を調べまくってたときに 自然界に単体で存在する金銀銅鉄の固まりを発見して これら金属に岩石にはない延性や可鍛性があることに気付いた連中が 冷間加工をしたのが始まりだろうとか言われてるけどな
222 :
出土地不明 :2006/12/16(土) 05:43:31 ID:5MePdvdv
>>218 金属器の製造、最初の銅の発見はおそらく偶然の産物だっただろう。
それは打製石器に自然銅や隕鉄を使用した時に延伸性の特徴を知る
機会はありますし、土器製作の際に木材を燃料に焼いた炉壁から金属
が遊離・溶解することを知る機会もあり、その証拠となる遺物も知ら
れているので、彼らの生活の場に銅鉱石の特徴・製法を経験的に知っ
たのは間違いありません。
ただ銅を彼らの生活の中で有益な道具に用いる為の「需要」と「生産」
がなければ直ぐには広まらなかったでしょう。
銅は延伸性加工のしやすさ等の特徴はありますが、加工しやすい反面、
硬度が乏しい面があり、当時あった打製・磨製石器との強度的選択の点
でそう需要の必然性があったとはいえません。後に砒素等を混ぜてより
強度の増した青銅という素材になってはじめて石器に替わっていったの
を見ても明白です。必要は発明の母なのです。
金属ですから錆びて腐食するという石器では考えられない弱みもありま
したし。
次の障害は、銅鉱石の安定供給の問題です。当時は銅の鉱石の供給は「
採集」からはじまったでしょう。しかし石器と異なり、銅鉱脈の発見・
採掘・精錬・加工となると、狩りの合間に一人でできるものではありま
せん。銅が優れた素材だったとしても容易に安定的な供給環境がなけれ
ば広まりません。最初の供給体制を確立したのはおそらくアナトリアの
タウラス山脈の南側から北シリアにかけての地域だったと思われます。
銅・石器時代 (Chalcolithic)の始まりは偶然と需要供給の必然の賜物
だったのでしょう。
紀元前6000年頃、西アジアのメソポタミア地域で緑色のくじゃく石
、青色の藍銅鉱が大量に発見されその後、エジプトでは前5000年頃
の墓から副葬品として銅製の武器や用具が出土されています。前380
0年頃、シナイ半島においてはスネフル王によって銅鉱石が採掘された
という記録や、当時のるつぼも発見されており、鉱石からの銅精錬技術
があったことを示しています。前2750年頃のエジプトのアプシル神
殿には、銅で作った給水管が使用されています。
223 :
出土地不明 :2006/12/16(土) 06:40:46 ID:jgBoqPEk
最初期の銅製品て8500BCのイラク、タルメッシとかじゃなかった? アナトリアでも8000BCころから冷間加工はやってたみたいだけど 南西アジアではヤリムテペやジャルモで6000BCまでに製錬技術が確立してるから 銅はそれなりに利用されてたんでないの
224 :
出土地不明 :2006/12/16(土) 13:54:00 ID:7cO3ehvX
モノリスが4個あっただけだろ
225 :
出土地不明 :2006/12/16(土) 17:14:57 ID:9LTsdWO2
>>222 ,223
鍛造・鋳造の発見のきっかけとして、土器窯内での偶然の産物、というのは聞いたことがあります。
しかしそれでは、土器の無い地域での金属器文明の発達に疑問点が残ります。
小アジアでは土器の発見が少ない割に、鍛造による金属器の発見はかなりおおいように思います。
226 :
出土地不明 :2006/12/16(土) 17:41:41 ID:9LTsdWO2
そういえば日本には諏訪湖畔から出る、やたら肉厚で背の高い土器があるそうですが、 どこかの学者が、この土器を焼成する際に、土器中の低融点の金属が遊離し、底に溜まることに着目、 日本でも渡来人以前に金属利用があったのではないかと主張しているそうです。
227 :
出土地不明 :2006/12/16(土) 17:57:17 ID:K2EFul8X
バルカン半島のブルガリアのヴァルナ遺跡は世界最古の加工された金が 残っている。最初の金属器群の生産を確立したのは、ヨーロッパ・アジ ア・アフリカの3大陸の要衝として文物・情報そしておそらくは戦乱が 早くから集中した中東なのだろう。 トルコやイラク・バルカンは素材革命を要求する「需要」があったとい う訳だ。 最初の金属器は実生活的な製品より、まず宗教・美術的用途の面が強か ったのかもしれない。石器時代人に金ぴかで朝日に輝く金銀銅の宝はそ れだけで神々しさを心理的に与えたろう。
228 :
メイラックス :2006/12/16(土) 20:16:45 ID:1QGtBTPv
おいは、エビデンスと聞くと 子供のころラジオから流れてた某広告のジングルを つぶやいてしまうんだ
229 :
出土地不明 :2006/12/16(土) 21:14:57 ID:2i07/tmV
230 :
出土地不明 :2006/12/16(土) 22:40:22 ID:XZxi6Swl
金属器っていっても、利器として利用されない場合も多いだろ。 たとえば、南米のインカ帝国なんぞは、石器文明だが、金属は「装飾品」として は金の利用などが行われている。そのあたりを分けて考える必要があるな。
231 :
出土地不明 :2006/12/17(日) 09:45:14 ID:gbhj7XQV
人類史上最初に登場した金属は、金銀銅で岩石に含まれる自然金属の小塊や砂金を 冷間形成したものでそれは石器時代に遡る。やがて、岩石中の酸化金属を還元する 処方が普及し、青銅器はB.C.4千年期に出現する。 純度の高い金・銀・銅は非常に軟らかく、利器には不向きであった為、硬度を上げ る為に色々な合金技術が生まれた。初期の青銅は砒素青銅であり、やがて錫と銅の 合金へと移行する。青銅は一般に錫と銅との合金として知られているが、初期の青 銅はこの合金ではなく、銅と砒素を含む鉱石を同時に焼いて得られたものであり、 これは希少な鉛を自然採集で得る事が非常に困難だった為であり、銀の普及と共に 方鉛鉱精錬の課程で副産物として鉛が安定的に得られるようになってから合金に変 わっていった。 その後、ヒッタイトに鉄器が出現する。青銅や鉄は、主に利器として使用され技術 発展し、機械部品にも使用されるようになったと考えられる。一方、金銀は権威の 象徴として集められ、地金がコインとして利用され、やがてコインが製造されるよ うになり広く流通するようになる。これらの技術はお互い関連しあい発展したもの と考えられ、当時の経済にも大きな影響を及ぼした。 リディアで最初に自然金からコインが作られるようになるまで、青銅、鉄、金塊な どがそのまま通貨として使用されていた。金属器は長く地金だけでも通貨としての 価値を持っていたのである。これは古代の流通・経済にかなり大きなインパクトを 与えたはずであり、物々交換から貨幣経済に移行する中間期といえる。 またもう一つの金属器製造の過程で習得されたものとして化学毒の知識を人類は得 たことだろう。鉛や砒素等の劇物の使用はおそらく経験的に得られたものだろうが、 おそらくかなり大きな犠牲も強いたはずであり、それまで知られていた動植物のも つ毒と異なる化学毒の知識もこの時、得られたのであろう。
232 :
出土地不明 :2006/12/17(日) 11:49:50 ID:7ThFpXPk
どっかの本をまんま書き移してるこのバカは何なの 主張が全く見えないんだけど
233 :
メイラックス :2006/12/17(日) 17:10:33 ID:j0PrVS37
お前の方が馬鹿に見えるのも2chの価値
234 :
出土地不明 :2006/12/19(火) 18:13:17 ID:XZ4ubwAP
235 :
出土地不明 :2006/12/21(木) 15:30:04 ID:DmxvjgSM
結婚を迷っている若き独身男性諸君、結婚ほど馬鹿馬鹿しいものはない。 今の20代、30代の女は「どうやって男にたかるか」を必死に考えている。だまされるんじゃないぞ。 家事は極めて軽労働になった。 さらに、コンビニやインターネット、AVや風俗関係も、ますます「嫁いらず」に拍車をかける 昔は男にとって結婚も妻も「必要」だった。今は「人生の不良債権」にすぎない 社会的に男女は対等で平等です。男性が女を養う必要はありません 女は社会的優遇、過剰な法的保護、仕事と家庭の二束のわらじを得て、もはや女尊男卑〜結婚しようとするあなたを彼女は陰で小馬鹿にしている事でしょう〜 ★☆★よほどの事が無い限り結婚は保留し、たくさんの女性と自由に恋愛(セックス)を楽しもう♪★☆★ 避妊(ピル等)は忘れずにねd(^−^ ★☆★捨てた女は何も知らない真面目な馬鹿男が結婚(残飯処理)してくれるさwww★☆★ ■〜それでも結婚するあなたへ〜■ [夫婦財産契約登記] これはある意味では男性の『究極の護身法』と言えるかも知れません 夫婦の財産についての法律です。夫婦財産契約により契約財産制となり、自分の稼いだ財産はすべて自分のものとなります 離婚時に財産の半分を配偶者に持って行かれることはありません 狙撃は女子のほうが強い。男は、ノイローゼになってやめてしまうが 女は何人殺してもノイローゼにならない。そして、骨盤が安定しているため ナチスの拷問で、女の拷問の残虐非道さを見て、拷問をしていた男達もひいたという 拷問しながら楽しそうに笑みをうかべていたそうだ。罪悪感や引け目が無い ・有史以前が女尊男卑の時代だったことを指摘したのは、スイスの学者バッハオーフィン アマゾン女族の女王は、法律を定め、女には従軍させ、男たちには卑しい奴隷の仕事を課した。 男児が生まれたら、脚と腕を不自由にして、戦えなくした ・王位継承権が女性にだけあったという事実だけから考えて、古代エジプトでは女性権力が非常に大きかった。 男女平等どころか、かなり女性上位の社会であった ・日本国でも卑弥呼が女王。 ・昆虫などにいたっては、オスカマキリはメスに食われてしまう。 女は虐げられてきた?父系社会など人類の歴史から見ればほんのわずかな期間に過ぎない。むしろ・・・
236 :
出土地不明 :2006/12/22(金) 22:48:47 ID:KeOEnQtF
後期旧石器時代の古い段階(グラウ゛ェット文化だと2万5千年前)とか、あるいは 最近のフロレス原人とかの石器とかもだけど、加熱による石器加工っていうのは、 かなりあっちこっちで存在するんだよな。石を焼いてなんかする、っていうことだ から、そこから、加熱して金属が出てきて、みたいなことは結構あったかもしれない。
237 :
出土地不明 :2006/12/23(土) 12:25:14 ID:qa8TpEm9
銅製錬法には加熱・熔融による乾式製錬法と、水溶液として抽出する湿式製錬法 (主に酸化鉱が対象)とがある。古代より行なわれていた乾式製錬法だと、19世紀 まで遅れていた選鉱技術では黄銅鉱製錬は、最大でも鉱石中に含まれる十%程度 の銅を抽出するのがやっとだった。 石器加工の焙焼程度では、その石器を完全に融溶したとしても生産量として極少 量の銅粒片くらいしか得られないだろう。 また黄銅鉱を焼くと有毒の硫化ガスが四辺に飛散する上に、ややもすれば銅の 流失が生じやすく、融溶分離までに10〜15日の長時日を要する等々の欠点があ る。まだ恒常的に使用していた土器窯の壁面から採取するほうが、数百倍利口 である。
238 :
出土地不明 :2006/12/29(金) 12:13:58 ID:fzKcJM55
すっごく疑問なので、詳しい人教えて! 約1万年程前にウルム氷期が終わった後、肥沃な地域に人が定住し、 その後農耕が始まり、メソポタミアのような高度な文明が生まれるまで わずか5千年程度だったんだよね?そして現在のような科学文明に達するまで 1万年くらいしかかからなかった。 つまり、温暖な気候(間氷期)であれば、石器文化から高度な文明に育つのに 5千〜1万年あれば済むということ。 現世人類(ホモ・サピエンス)が生まれたのが20万年前だとすると、 その後に温暖な気候(間氷期)は13万年前から7万年前の間に6万年間も あったのに、なぜ現代文明のような高度な文明が育たなかったのか? 不自然に思えてならない。 かといって、アトランティスや南極の文明なんかを信奉する気にもなれない。 よくあるオーパーツはほとんどが眉唾だし、もしそういった文明が存在した ならもっと膨大な証拠が残っているはず。 こちらは素人だけど本当に知りたいです。詳しい人教えてください!
239 :
出土地不明 :2006/12/30(土) 00:12:02 ID:/C1g0AqU
>つまり、温暖な気候(間氷期)であれば、石器文化から高度な文明に育つのに >5千〜1万年あれば済むということ。 その仮説では不十分だということだ。
240 :
出土地不明 :2006/12/30(土) 13:15:31 ID:YtI8ywAP
>>238 なんだアルビン・トフラーも提唱しているではないか。文明先端技術の
開発速度は経過時間の2乗に比例すると。
科学技術の発見・発明の相互波及・補完性は、地理や国境や体制の制約
から解放されれば、その速度が当然なのである。
241 :
出土地不明 :2006/12/31(日) 21:53:30 ID:P++3l7yl
アマゾンに第5の文明があったみたい
242 :
出土地不明 :2007/01/01(月) 18:54:13 ID:vZvaYIy8
でかいよね。グーグルアースでも見える巨大さ。しかしほんとに古いのか?
243 :
出土地不明 :2007/01/02(火) 21:48:44 ID:Is5+1m04
>>238 人類が解剖学的に現代人と同じになったのは、たしかに20万年前だという
ことになる。オモ人骨などはその時代のもので、脳の容積からしても、その
形状からしても、あきらかに、ホモ サピエンスだといってよいだろう。
ただし、それは、あくまでも、「解剖学的」であって、精神的文化的にみて
現代人的になったのは、5万年前前後だ。
5万年前ごろに人類の行動が基本的に現代人と同じようなものになったという
ことは、各種の考古学的な遺物からも人工物からも明らかだ。
で、その5万年前は、まだまだ氷河時代であって、そこから初めて氷河時代が
終った、というのが、1万5千年前の段階で、そこから農業や都市化や、さらに
いわゆる4大文明のようなものが始まるわけだ。
定住とか、農耕の始まり。そして農耕牧畜に伴う栽培植物や家畜化動物の進化
といったものに、早くて数百年、遅くて数千年はかかっているわけで、農業の
本格化は1万年前以降になる。現在もっとも古い文明とされるのは、メソポタミア
だが、それが概ね紀元前4000年ごろに遡るから、現代文明に達するまでに
は5千年から6千年かかっているわけだ。
氷河時代が終ってからの1万5千年の間には、やっぱり一回くらいしか、現代的
な文明の状況に至ることはなかっただろう、って話になるんだろうな。
244 :
238 :2007/01/07(日) 10:18:53 ID:or8NiuX1
>>243 どうもありがとうございます。
ネット等で”新人の誕生”と調べると、20万年前と書いているものと
3〜5万年前と書いてるものが両方あるんで、どっちが本当か疑問
だったんだけど、243氏のおかげでやっと分かりました。
う〜ん、しかし、解剖学的に現代人と同一であれば、文化的にも一気に
進歩しそうな気がするけどなあ・・。15万年もかかるもんなのかな。
まだ疑問はすっきりは解けないっす、すみません・・
245 :
出土地不明 :2007/01/08(月) 00:37:16 ID:Bg+Ptb7u
>>244 そのあたりの話はこのスレのスコープではなくて、人類600万年スレ
にいっての議論になろうかと想うけど、ちょっと簡単に書いておこうか。
ホモサピエンスは、「解剖学的現代人」と「行動学的現代人」にわかれる。
解剖学的現代人は、20万年前に現れるが、その行動は現代人とは違う
ネアンデルタール人や、ホモエレクトスなどと同じような行動だった。
とくに、50万年前にホモサピエンスとの共通祖先とわかれたとされる
ネアンデルタール人とは行動が非常に近い。作っている石器の種類も
ほとんど同じだ。
ただし、解剖学的現代人もときに行動として現代人的な行動を示すこと
が最近になってわかってきた。20万年とはいわないが、15万年前ごろ
でも、現代人的な行動、たとえば、装身具を身に着けるとか、あるいは、
なんか意味がありそうな記号を骨に刻むとかそういうことをしている。
ただし、それが「散発的」であって、そういう行動が「常に行われる」
ようになるのは、5万年前ごろになる。
たぶん、これは遺伝的な変化が20万年前ごろにあったが、その変化した
遺伝子をもつものがだんだんとひろがるのに10万年以上かかったという
ことなのかもしれない。
とくに面白いのは、解剖学的現代人は10万年前ごろからアフリカ以外の
ところにも住むようになるが、その出ていった人々はみな「行動学的に
現代人的」なんだな。6万年前にオーストラリアに達した人々もとっても
現代的だった。洞窟に絵を描いたりしている。もっとも、中近東やインド
などでは、あまり現代的ではないが。
アフリカでは15万年くらい前から現代人的行動が現れるが、定着したの
は2万年前だ。アフリカでは「現代人的でない」現代人が最後まで多数
残ったんだろう。有名なクロマニョン人というのは、ヨーロッパに、およ
そ4万年からもうちょっと前くらいに入り込んだホモサピエンスを指すが、
これは、5万年前ごろ中近東北部で現代人的な行動様式を身に着けた
人々だった。作る石器も洞窟壁画なども(これは3万年前以降がほとんど
だが)、現代人的であったことを物語る。一般にはオーリナシアン文化
をもった人々だった(その後のグラヴェッチアン文化やソリュートレ文化、
さらにマドレーヌ文化なども含めるけど)。
で、面白いのは、クロマニョン人と1万年以上にわたって同じヨーロッパ
にいたネアンデルタール人の一部も現代的な行動をすこしではあるが、
はじめたようだ。彼らもペンダントを作ったり、新しい石刃技法の石器を
作ったりしていた。
246 :
出土地不明 :2007/01/08(月) 09:04:25 ID:ih2NFTVd
それならエジプト文明だけがまず独走しそうにもみえるがね。
247 :
出土地不明 :2007/01/08(月) 11:56:45 ID:idbaM6uU
>>246 エジプト文明というのは、作ったものがでかいので、非常にすごいとおもわ
れるわけだが、文明の段階からすれば、新王朝時代になるまでは、基本的に
は新石器時代の文明であって、金属器時代に入るのは非常に遅い。
メソポタミアに近かったことと、ナイル川の氾濫との関係で農業が比較的
すんなりとはじめられたことと、文字が早い時期から使われるようになった
ことで、文明としては体裁が整った、ってことだろう。ピラミッドをふくめ
て、あれは、文明の一時期に必ず存在するような「巨石文明」のひとつだろ
う。日本でも弥生時代初期、中期に九州の支石墓があり、巨石文明的といわ
れるくらいだ。イギリスのストーンヘンジも大きいよな。
まあ、エジプトのピラミッドは並外れているが。
248 :
出土地不明 :2007/01/08(月) 12:05:30 ID:idbaM6uU
アフリカの人類史というのは、いわゆるLSA(後期石器時代)の始まりが、 2万年前ごろになる。世界の他の地域では、3万年前には、ほとんどのところ で後期旧石器時代に入るので、かなり遅い。で、LSAに突入したのは、その 当時の骨の解剖学的特徴などから、現在のブッシュマンに近い系統の人々 であろう、といわれている。現在のブッシュマンなどコイサン系は、南 アフリカを中心に住んでいるが、当時は、中央アフリカ近くまで進出して いた。彼らは、いわゆる「黒人」とされる人々とは系統がかなり違う。 あと、中近東からアフリカに「戻って来た」人々というのが中近東に近い、 エジプトやエチオピアのあたりにやってきた。さらに、サハラ砂漠にも 進出したんだろう。 いまだによくわからないのが、アフリカ人の中のもっとも代表的な黒人 がいったいどういう形でアフリカ西部からほとんどの地域にひろまったの か、ということだ。彼らは現れたときから、農耕民であって、それが、 コイサン系の人々を南アフリカまでおしやった、ということになる。 おそらく、農業をはじめた西アフリカの黒人が、いっきにアフリカ全土に ひろがり、狩猟採集民族のコイサン系を南におしやったことになるんだ ろう。エジプトというのは、この黒人系と、中近東系と、さらにいろいろ なのが、まざった地域だったと想う。 ようするに、アフリカの黒人というのは、アフリカの中ではもっとも新参 ものである、ということがいえるんではないかな。
249 :
出土地不明 :2007/01/12(金) 16:32:55 ID:fSNkDsIF
亜細亜方面の解説も頼む
250 :
月光仮面 :2007/01/12(金) 17:47:07 ID:RDsfrbMP
>>248-249 日本・チベット・中近東・コイサンをつなぐYAP遺伝子の動きとの関連で大いに興味
あり。是非アジア方面の解説をお願いしたし。
251 :
出土地不明 :2007/01/13(土) 02:03:48 ID:DVYt3aVT
徐々に賢い人間が出現し それらがより賢い人間を作っていったに違いない! 大河の周辺はそれを行うのに最適な場所であった 知能のビックバンが四大文明発祥 犬を見ればわかるだろ?レトリバーはハスキーより賢い 人は賢さまでも人為的に作り出せる より賢い人間がより賢い人間を作っていった結果文明がうまれ俺達がいる。
252 :
出土地不明 :2007/01/13(土) 03:10:06 ID:Wa0ZZznQ
253 :
出土地不明 :2007/01/13(土) 07:55:15 ID:4chRDi9e
254 :
4 ◆oEEIcs72tU :2007/01/13(土) 10:41:48 ID:j8imX6+g
てす
255 :
4 ◆d61PEjlHb. :2007/01/13(土) 10:42:42 ID:j8imX6+g
あ
256 :
出土地不明 :2007/01/13(土) 11:25:53 ID:G8KdHEfw
拉致核実験将軍国、愛国無罪軍国独裁国は9条を頼りにしており、周辺領土 からと、内部侵入によってあなたの心の故郷を彼らの領土に変えつつある、 現状9条ユートピアの存亡が次第に難しくなっているのが実情。されど9条 を死守せよというのは彼らの戦略と同じみたい。
257 :
出土地不明 :2007/01/13(土) 11:50:59 ID:6/oxu5zu
>>246 漏れもエジプト文明の先駆けになる文明が北アフリカにあったのではないかと
思っている。もしその痕跡が発見されるとしたらそれはサハラの砂漠の下から
だろう。
人類最初の高度文明はここで長い揺籃期を過ごし牧畜・初期農業の生活スタイ
ルを確立したのではないだろうか。しかしそれは一度失敗に終わった。砂漠化
を人類が起こしたのだろう。
タッシリの壁画をみると、サハラは森林・平原が広がる「エデンの園」だった
ことがわかる。
258 :
出土地不明 :2007/01/13(土) 21:22:23 ID:hmWpT3BP
全ては日本文明が源
259 :
出土地不明 :2007/01/13(土) 22:59:15 ID:uTmOOO33
260 :
244 :2007/01/15(月) 11:37:32 ID:YzXyzbhh
>>245 ありがとうございます。面白いですね!
やっとイメージが浮かんできた。きっと、15万年程前から「偶発的」に
生まれた「行動学的な現代人」達はアフリカを飛び出し、10万年の間に
そういう人たちが徐々に集まることで次第に相乗効果を発揮し文明を築いて
いったという事ですね!面白いな。
パイオニア精神こそが全ての人類文明発祥の源ということですね。
アメリカが建国後わずか200年で世界最強の国になり、残った人たち
の国イギリスがあっという間に衰退したことからもうなずける理屈です。
しかしこの理論は、外に出て行こうとしない人間は進歩できないということ
を教えてくれて、人生訓としても貴重な知恵になります。
261 :
出土地不明 :2007/01/15(月) 14:37:33 ID:NwfE+jHx
>>260 行動学的な現代人は、実にいろいろなパターンをとります。
中近東では、10万年前に解剖学的現代人が登場するけれど、彼らの作って
いる石器は、ネアンデルタール人のそれとほとんど同じ。ただ、ときどきで
はあるが、先進的な石刃技法の石器を、それも作り方としては古い方法で
作ってたりする。ところが、石器の素材となる石の流通や交易のようなもの
が行われていて、ネアンデルタール人などでは、せいぜい石の素材が数キロ
とか数十キロの範囲からもってきて石器を作っているのに対して、中近東
の十万年前の解剖学的現代人は、百キロ以上離れたところの良質な石材を
使って石器を作ることもあったりする。さらに、埋葬方法などが、同時期の
ネアンデルタール人よりははるかに現代的なものだったりする。
あと、10万年前ごろのアフリカの人々や、アラビア、インドなどにいた
8万年、あるいは6万年前ごろの人々も、海産物を食べるということをする
ようになっているんですね。漁労というのは、狩猟のひとつではあるけれど、
ネアンデルタール人をはじめとする、現代人以前の人類は絶対にやってい
ないわけです。もちろん、本格的な漁労は、釣針が発明される2、3万年
前になりますが、10万年前から、貝類などを食べるようになったらしい。
ネアンデルタール人の行動など見ると、15万年前ごろに固定化された、
ムステリアン文化が最後の最後まで続き、ほんのちょっとだけシャテルペロニアン
文化で現代人的行動をとるようなことが多いのですが、解剖学的現代人の行動
は、あきらかに、数万年単位でみると、進歩かどうか別にして「変化」が
あります。その変化が恒常的になるのは、アフリカ以外で5万年前、そして
アフリカでは2万年前ごろでしょう。アフリカ以外の5万年前というのも、
場所によってばらつきがあり、もっとも古いのはオーストラリア。そして、
中近東北部、東アジアですと、4万年か3万年前になりますか。
ただ、中近東北部の5万年前の原オーリナシアン文化というのは、それ以前
のネアンデルタール人の中近東型のムステリアン文化とかなり継続性がある
ので、もしかしたら、ヨーロッパのオーリナシアン文化のもとは、解剖学的
現代人とネアンデルタール人の双方による合作だったかもしれないです。
262 :
出土地不明 :2007/01/15(月) 14:46:20 ID:NwfE+jHx
>>260 >しかしこの理論は、外に出て行こうとしない人間は進歩できないということ
>を教えてくれて、人生訓としても貴重な知恵になります。
この考え方はそう単純じゃなさそうです。
外に出ていったという意味では、200万年前のホモエレクトスや、さらに、
50万年前のホモハイデルベルゲンシス(ネアンデルタール人の祖先)もいた
わけです。でも、彼らは、出ていって、出ていった先で「環境に適応して
進化はした」けれども、人間的な文化を生み出すことはなかったわけです。
現代人の祖先は、500万年以上前に登場した初期直立歩行人類だかなんだ
かの直系の子孫で、かつ最後の最後までずっとアフリカにいつづけたもの
の子孫であるわけです。
遺跡の数や人工物の数などから考えて、すべての人類(亡びたネアンデルタール
人や、ホモエレクトスもふくめて)の人口を考慮すると、アフリカの人口が
もっとも多い状態が、かなり最近まで続きます。
人口が多く、かつ、アフリカは、地域ごとの環境が異なり、いろいろな環境
がある上に、それらの異なる環境の地域が陸続きで連続しているわけですね。
ですから、ある地域で進化的、文化的に適応した人々がまた移動して、まざ
り、というようなことが繰り返された。つまり、離合集散ということがあった
し、絶対的な人口密度も高かったのが、進化を早めた要因ではないかと思う
わけです。ネアンデルタール人はヨーロッパから北部中央アジアという
比較的寒冷な地域に移動し、しかも人口密度も低かった。同じことは、
ホモエレクトスも、おもに東南アジアから東アジアへと移動し、しかも、
北京原人となった北方とジャワ原人の南方のものたちとの交流も少なかった
ようです。
冒険して、でていってでてった先でそのまま袋小路に入り込むと、進歩は
止まることになりますね。冒険して、出ていって、そしてその先で見たこと
を、また戻って来て、持ち帰る、ということができると進歩が早いという
ことではないかと思います。
263 :
260 :2007/01/18(木) 11:26:26 ID:L5f+mIN0
>>261 丁寧なご説明ありがとうございます。
おかげさまで解剖学的現代人の進化の流れのイメージが良くつかめました。
>>262 な、なるほど〜(汗)やっと分かったつもりが、そんなに簡単ではなかった
わけですね!そんな浅い学問ではないですよね、失礼いたしました。
お二人のお教えを総合して自分なりに解釈すると、
アフリカの大地で離合集散を繰り返した結果すでに高いレベルに進化
していた解剖学的現代人だったからこそ、その中でも特に冒険心(探究心)
の豊富な人たちが、出て行った先でさらに離合集散することで相乗効果を
発揮し、さらに急速に進化することが出来たのではないかと考えます。
逆に言えば、未熟なまま外に出て、しかも孤立した場合は、例え冒険心が
あっても進化は止まってしまうということですね。
進化の要素とは「個の成熟」「集団による相乗効果」「冒険心・探究心」
といったところかな?まるでコヴィー博士の”7つの習慣”のようだ・・
それにしても、古人類学がこれほど現代人の行き方を反映しているとは・・
新鮮な驚きだ!
264 :
出土地不明 :2007/01/21(日) 09:20:37 ID:fL46D+n7
>>263 お二人、って同じ人物だけど。IDいっしょでしょ。アクセスごとにIDかわるけど
さ。
人口密度っていうのは案外大事なんではないか、と思うんですよね。
10万年前ごろの、現代人がアフリカを出る前までの段階では、とにかくアフリカ
の人口密度がもっとも高かったと推定されているわけで。
現代はアジアの人口密度が高いわけですけど。
でも、ワールドカップサッカーをみていて、フランスチームとかみると、あそこ
は、事実上、ヨーロッパ系とアフリカ系の混合でしょ。しかも、最近では、どんどん
アフリカ系の人達が世界に進出している。実は、ここ500年くらいっていうのは、
アフリカ系の人々の世界進出がかなり建著で、奴隷貿易とかもあったけれど。
つまり、現代人の祖先がアフリカを出て、それぞれの地域で特殊化して、
それぞれ文化をもつようになったが、ここ500年くらいで、またアフリカから
世界へむけて人々が出ていく、「出アフリカ」が起こっているのかな、という
気もするんですがね。
265 :
出土地不明 :2007/01/21(日) 19:11:37 ID:HL3YnQHH
そして人類はネグロイドにより支配されるのだ。
266 :
出土地不明 :2007/01/21(日) 22:23:39 ID:SI7RAKrS
>>265 その可能性はあるかもしれないな、と思う。
現在のところ、人口が一番多いのは、インド、中国をふくめたアジアに
なるわけだが、その意味では、アジア人の拡散という現象が今後続くの
かもしれない。それに対抗するのが、アフリカ/ヨーロッパ連合みたいな
形だろう。ヨーロッパはかつてネアンデルタール人がほろんだように、
次第に、アフリカ化していくだろうな。あとアジア化もする。
267 :
出土地不明 :2007/01/21(日) 22:53:31 ID:8O9SSGgS
出アフリカして全人類の祖先になったのはニグロイドではなく、 オーストラロイドなんだがな。 ニグロイドもオーストラロイドから分岐した新人種でっせ。
268 :
出土地不明 :2007/01/21(日) 23:15:51 ID:K+xrq1Me
>>267 それはちょっと違うだろ。10万年前ごろのホモサピエンスをみると、
現代人としては、オーストラリアのアボリジニがもっとも近いかもしれない
というのはある。けれど、系統的にはそれはまったく間違いだ。
アフリカのニグロイドといわれる黒人が新しい系統なのは事実。せいぜい、
ここ1万年か1万5千年くらい前に西アフリカを中心に登場し、その後、
農業と遊牧技術によって、サハラ以南のアフリカを席巻したとされる。
それ以前のサハラ以南は、ブッシュマンと近い系統の人々が主流だった。
269 :
出土地不明 :2007/01/21(日) 23:45:40 ID:CnvmIqn8
選ばれた優秀なるアーリア人種だけが、この世界を統治するのだ。
270 :
出土地不明 :2007/03/01(木) 18:45:09 ID:ithuDPle
冒険心をもっていたというより、追い立てられて移動したんじゃないんですか。
271 :
出土地不明 :2007/03/01(木) 19:02:21 ID:ithuDPle
現代人以前の人類が魚介類を食べていないというのは違うと思うテレビで ピグミーマーモセットが熱帯魚をえさを使って食べていました。
272 :
出土地不明 :2007/03/01(木) 19:12:39 ID:ithuDPle
人口密度どうこう以前にアフリカにしか人類がいなかっただけで人口密度 は、関係ない。
273 :
出土地不明 :2007/03/01(木) 19:17:53 ID:ithuDPle
なぜそんなにアフリカの人類は増えたのか?のほうが重要だと思う。
274 :
出土地不明 :2007/03/01(木) 22:05:47 ID:8prWduBa
人類は自然の食物連鎖から逸脱した癌細胞のような存在なのさ。 最初にアフリカ大地溝帯から広まった人類は北アフリカの熱帯森林 地帯を草原に変え、砂漠に変えてしまった。 知恵の実を食べてしまったアダムに怒ったエホバは、彼らを楽園から 放逐したのである。
275 :
出土地不明 :2007/03/03(土) 23:26:59 ID:hgYntOzV
276 :
出土地不明 :2007/03/04(日) 12:18:26 ID:hALuwv1w
>>272 ホモ エレクトスやネアンデルタール人を考慮すると、10万年前段階では、
アフリカ(ホモ サピエンス古代型)、ヨーロッパから中央アジア(ネアンデル
タール人)、東アジア(北京原人の子孫)、東南アジア(ジャワ原人の子孫)が
いた。
5万年前の段階では、ホモ サピエンスがアフリカからオーストラリアまで
のルート上に、さらに中近東からヨーロッパの一部に入り込もうとしていた。
277 :
出土地不明 :2007/03/04(日) 13:58:13 ID:kVnf+DPu
3月5日(月) 21:00〜22:54 TBSテレビ 古代発掘ミステリー秘境アマゾン巨大文明歴史が変わる第2弾!! ▽世界中の科学者が集結…アマゾンの古代文明の謎を徹底解明!! ▽身長2メートル以上の人骨…巨人のルーツとは!? ▽四角い湖に秘められた水利システム ◇古代発掘ミステリー秘境アマゾン巨大文明歴史が変わる第2弾!! ◇秘境アマゾンのモホス文明の痕跡を追うシリーズの第2弾。 世界の先駆的科学者が謎に迫る。 人工の丘、ロマの中心部で金属の装飾品をまとった人骨が見つかった。 金属は高度な文明の証しで、階級社会を裏付ける貴重な発見。 最先端の科学で骨を分析する。 また2千個にも及ぶ四角い湖が、雨期乾期を利用した養魚場だったという説を紹介。 養魚システムを成立させるための湖をつなぐ水路を探す。 ほかにも縦横無尽に張り巡らされた道路や巨大サークルなどの不思議を科学的に 解明する。 リポーターは日比野克彦氏。司会は森本毅郎、真鍋かをり。
278 :
出土地不明 :2007/03/05(月) 00:44:49 ID:ICXLnJfq
>科学的に解明する TBS風情ができるもんならやってみろwwww
279 :
出土地不明 :2007/03/07(水) 15:39:12 ID:Hmalhsic
四大文明というより、三大文明プラス一くらいのものだろう? エジプト、メソポタミア、インダスはほぼ同時に発生し、相互に強く影響しあいながら発展。 およそ千二百年遅れて黄河・長江の文明が発生。 発生というよりは、西の三つの文明の往来から飛び火したものと見てよいだろう。
280 :
出土地不明 :2007/03/07(水) 21:19:57 ID:DLayF6bt
>>279 四大文明自体が考え方古いんじゃないかな
古代文明は他にもいろいろあったんだし
281 :
月光仮面 :2007/03/07(水) 21:28:29 ID:nM6uwttd
アマゾンのモホスで大文明の痕跡が発見され、その王が極東アジアのDNA保持者 で、日本で特に発達した管錐穿孔された翡翠を身につけ、アリューシャン列島によく 見られる鼻ピアスをしていたことはエジプトから中南米につながる文明ネットワークの 発見につながる可能性がある。これまでの世界史を根底から覆す発見であろう。
282 :
出土地不明 :2007/03/07(水) 21:41:28 ID:sKUPGg8T
そうです。世界の歴史は皇祖によりはぐくまれたのです。富山は世界の中心です。
283 :
出土地不明 :2007/03/09(金) 16:54:14 ID:kpB+txUt
255 おっと
284 :
月光仮面 :2007/03/09(金) 18:35:07 ID:QpR7EUrX
ネットワークと言うのはおかしいな。アマゾン、ナイル、黄河のような大河の流域には 文明を生み出すような環境、条件があり、そこに何らかの技術革新とか、人間の交易、 移動等が契機となって文明が興る。僻地の考古学調査が進むにつれ、これまでに発見 されていなかったそうした文明発生の要素が新たに浮上してくるとでもいえようか。
285 :
出土地不明 :2007/03/09(金) 22:50:25 ID:lVcO5d9m
最初にまずアトランティスで発生したオリジンカルチャーが、エジプト ・メソポタミアに文明を伝えたのだよ。
286 :
出土地不明 :2007/03/09(金) 23:09:27 ID:re5Yrj4J
文明の起源を、文字の使用に求めるとすると、旧大陸の文明においては、 文字は中近東、すなわちメソポタミアが発祥となる。ここでは文字の前 段階から、やがて文字らしくなるまでの過程が、考古学的にしっかりと わかっている。しかし、エジプトの場合は、あのナルメル王(メルナルとも) の文字がかかれたものが突然現れてしまい、それ以前の文字になる前と いうものがたどれない。同じことは、インダス文明でも言える。 中国の場合は、殷虚の甲骨文字が、せいぜい紀元前14世紀までしかさか のぼれないから、中近東に比べて、2000年は新しい。中国の漢字が、 たとえ、かなり離れているとはいえ、中近東における文字使用にヒントを 得て発生したものである可能性は高い。もちろん、中国においては、新 石器時代段階での、土器片などに、文字のような文様が毛筆で書かれた ものなどが存在しているが、これを文字とするかどうかはまだ意見が わかれる。 ということで、四大文明というのは、まあ、結局は中近東メソポタミア の文明ひとつに収束することになるだろう。あとはそこから派生したもの ということだ。
287 :
出土地不明 :2007/03/10(土) 01:27:38 ID:6UFa7t2J
>文明の起源を、文字の使用に求めるとすると その仮定はおかしいから、以後全部おかしい。
288 :
出土地不明 :2007/03/10(土) 01:30:07 ID:x+eabVzq
穀物の集団耕作だろ 中国のそれが1万2千年前 人類文明の誕生だ
289 :
出土地不明 :2007/03/10(土) 12:56:00 ID:D4eU2q27
>>287 もちろん、そういう考え方もあるな。
>>288 うーん、パプアニューギニアのほうが早くなかったか?
農業の起源は世界的にどんどん早い時期になってきている。
農業の始まりは、ほぼ全世界で、同期しているように思うけどな。
ヤンガードリアスのあと、というそれだけのことだ。
中近東は、ヤンガードリアス以前の段階で、定住集落があるわけで、
その定住集落の一部は、農業というほどのものでないにしても、
集落の近所で栽培農業に近いものをしていたという話もないことはない。
とすると、農業の始まりは、さらに古くなる。
日本の土器はBC1万4千年に遡るだろ。これも農業と関係ありかもしれ
ないしな。
290 :
出土地不明 :2007/03/10(土) 14:10:26 ID:k2ymz+JB
>>289 >パプアニューギニアのほうが早くなかったか?
穀物の集団耕作については中国がダントツで古いよ。
米と大豆の耕作は中国から始まった。
麦は中央アジアから。
291 :
出土地不明 :2007/03/10(土) 17:36:31 ID:OfBazIN7
世界最古の文明は中国の長江文明だろう。
292 :
MU :2007/03/10(土) 17:50:32 ID:8lTNXzFC
293 :
出土地不明 :2007/03/10(土) 21:16:41 ID:bomWdc9i
294 :
出土地不明 :2007/03/11(日) 01:06:02 ID:Do/PZQJE
>290 中央アジアの麦作よりも中国での稲作のほうが早かった(古い)ってこと?
295 :
出土地不明 :2007/03/11(日) 02:23:50 ID:qybOcCOW
>>291 >世界最古の文明は中国の長江文明だろう。
違う。
正確には
世界最古にして、いつの世でも最大、
しかもずっと現役の文明は中国の長江文明だ、
が正しい。
296 :
出土地不明 :2007/03/11(日) 02:32:52 ID:qybOcCOW
>>294 小麦の集団耕作の確たる証拠となる遺跡の出土は
中央アジアや中東地域で9千年前程度から。
稲の集団耕作の確たる証拠となる遺跡の出土は
中原地域で1万2千年前程度から。
小麦や稲を食べた痕跡や、原始的な小規模農耕の跡は
1万数千年前頃から東西それぞれにあるが、それを
集団的耕作の開始とみるか、偶然の痕跡とみるかは議論が多い。
ちなみに大豆の集団的耕作は中国東北部で5千年前からだ。
297 :
gigi :2007/03/11(日) 07:47:03 ID:J2BFaryW
www.sumerian.org/nam-ki-aga2.gif does anybody know what does it mean?
298 :
出土地不明 :2007/03/11(日) 18:42:45 ID:NhnPR/VA
>>286 中国の文字とメソポタミアの文字ではあきらかに文字の質が違う。
楔形文字と象形文字では象形文字から楔形文字に変化することはあっても
楔形文字から象形文字に変化することはない。
日本も漢字から仮名を作り出した。
メソポタミアで発展した楔形文字がなぜ中国まで伝わらなかったのか?
もしメソポタミアから東アジアまで文字が伝わったのだとしたら。
299 :
出土地不明 :2007/03/11(日) 19:46:59 ID:35h1b7XJ
文字の形成過程において大陸の自然的障壁に分断されたので中国・メソポタミア の文字体系は独自に進化し、定着し、完成された。 一度、完成した表音・表意言語同士が接触したのはインドや中央アジアであった かも知れない。 しかし表音文字はもともと表意文字に移行できないので、両者の間で発生したの は、新たな表音語の誕生と、表意文字での表音表記化の過程となる。 例えば、表音文字体系に属するインドのサンスクリットを中国に大量に翻訳して 広めた東西言語翻訳大事業に仏教伝来がある。 仏教の表音語は漢字に翻訳され経典となって、日本にも渡り写経された。現在の 葬式で読まれる般若経等はインドの表音語を意味と音にあわせ漢字に置き換えた 二代言語圏の融合体の走りだともいえるのだ。
300 :
月光仮面 :2007/03/12(月) 12:00:16 ID:hsWKWj3J
般若心経はマントラ合唱の部分、ギャーテ、ギャーテ、パラギャーテ、パーラサム ギャーテ、ボーディスヴァーハ!とか、アノクタラサンミャクサンボディとか、漢語に翻訳 するより、前後のコンテキストから意味がわかり得る、或いは、導師によって説明しえる、 部分であって、漢語に約する原語の音韻的長所の失われる部分が、あたかも、現在の ジャズ等の歌詞ののようにわざと横文字を残す手法である。
301 :
出土地不明 :2007/03/12(月) 23:52:06 ID:r5UReEyN
>>298 同じことは、ヒエログリフと楔形文字との関係についてもいえる。
ヒエログリフも、楔形文字とはまったく違う系統といってよいだろう。
しかし、楔形文字については、新石器時代以来のトークンをベースにした
文字以前の発達の系譜がたどれるのに対して、ヒエログリフについては、
その系統はたどることができず、ナルメル王の碑文だかなんだかで突然
文字が始まる。
エジプトとメソポタミア、あるいはもっと以前の新石器時代後期の中近東
とエジプトとの交流もまた明らかであるので、ヒエログリフは、中近東
における「文字の概念」が伝搬してできたもの、という仮説がかなり広く
受け入れられているわけだ。
同じことは、中国についてもいえるのではないだろうか、というのが一般
的な説だ。
302 :
出土地不明 :2007/03/13(火) 13:08:25 ID:6dYLWbeR
文字の概念とは?
303 :
出土地不明 :2007/03/14(水) 00:25:36 ID:HZZjrkZ5
>>302 うーん。シンボルから文字への大きな展開ってことだろう。
シンボル、印の類は、後期旧石器時代から存在するわけだ。絵画もこれだ。
ところが、「話しことばがそのまま記録可能」となったときに文字になる。
声に出して読めるかどうか、っていうことだ。これが可能なものは文字だ。
メソポタミアの場合のトークンはもちろんシンボルであって文字ではない。
トークンをそのまま粘土板に記すようになってもシンボルの羅列であって、
文字ではない。しかし、トークンが象形文字となり、たとえば、シュメール
語なり、アッカド語なりを記すことができるようになった段階で文字だ。
声に出して読むことができるからね。
304 :
出土地不明 :2007/03/14(水) 23:40:43 ID:PTpanS2m
文明が川の近くにあるのは 陸運コストより海運コストのほうがはるかに 低いからだよ 近くに川があると船でいろいろ運べるわけ。
305 :
出土地不明 :2007/03/15(木) 00:01:27 ID:AkoBswQN
>>299 その意味では日本語は表音文字である仮名・カタカナと、表意文字の
漢字を有機的に結合した難解な言語であるといえる。
カタカナは表音語の西欧言語の音を無理やり似せた子音+母音の50音
で日本語熟語化してしまうのである。
これは日本語彙の多様性・可能性を拡張する能力を秘めているが、逆
に日本人の認識できる子音は限られてしまう。日本人が十数年、英語
を学んで話せないのは、このあたりに根源的な原因があるのだろう。
306 :
出土地不明 :2007/03/16(金) 00:59:33 ID:HbCGYXOt
文明を独自の文字に求めるとすると、日本にはまだ文明は発生していない。
307 :
出土地不明 :2007/03/16(金) 21:37:40 ID:9zlyWNdG
いや、日本にも漢字にはない「和字(国字)」というものを開発している。 「峠」「俣」「樫」等の和製「漢字」である。 日本は文化にしろ、科学にしろ、社会にしろ、常に新しいものを換骨奪胎 して新しく取り込んでいくのが特徴的なのだ。敢えて言えば慣用体系その ものが日本的といえばいいのかもしれない。中国人が日本語を理解できな いのは、その無秩序にみえる秩序(ゆらぎ)が理解できないのである。
308 :
出土地不明 :2007/03/19(月) 00:53:21 ID:JarT+LYs
そりゃあ独自のアーキティクチャーじゃないだろ
309 :
出土地不明 :2007/03/19(月) 04:01:39 ID:9ddM9EuI
4大文明が目立つだけで 他にもいっぱいあちこちに人は住んでたはず ただ資料がなかったり巨大な建築物作らなかっただけで
310 :
出土地不明 :2007/03/19(月) 23:22:08 ID:cG4Mm6CQ
>>307 1/fゆらぎ文明の日本はなんと量子的な民族なんだ。
311 :
出土地不明 :2007/03/20(火) 00:53:30 ID:wO1eZKQS
>>290 20世紀に入ってもまだチンコに竹筒被せて顔に白土塗って、総勢100人かそこらの
部族間紛争は石斧で……とかいうのが文明なのかよ?
312 :
出土地不明 :2007/03/20(火) 01:53:27 ID:FeKTGAVz
ニューギニア高地人が遺伝子ツリーの中では最新で、 もっとも進化したヒトだそうだね
313 :
出土地不明 :2007/03/20(火) 23:43:54 ID:7DvoAaBg
>>310 相互作用をもって和とする民族だからでしょ。
314 :
出土地不明 :2007/03/21(水) 00:14:00 ID:ppKCTUpz
もっとも進化したボディに最も原始的な生活様式、か。 まぁ、でも、霊長類というのは哺乳動物の中では下から四番目に原始的だというしな。 下から、玉子ケモノ、袋ケモノ、ウサギ、そして霊長類。 霊長類の直上には、ヒヨケザル(翼皮目)、モグラ類。
315 :
出土地不明 :2007/03/21(水) 10:08:24 ID:BkJQh0Em
>>314 たしかに、たいがいの霊長類は、手足に指が5本という哺乳類の基本をまも
っているしな。牛や馬などのほうがよほど特殊化しているわけだ。
316 :
出土地不明 :2007/03/21(水) 19:29:16 ID:grfeavzE
メソポタミアの文字よりも500年ほど古いヒエログリフが見つかっている。
317 :
出土地不明 :2007/03/21(水) 22:36:11 ID:A8jw51qB
>>316 しかし、ヒエログリフにつながる、より原始的な「文字以前」がエジプト
ではみつかっていないだろ。メソポタミアでは、新石器時代の初期段階
から、トークンの使用があり、そこから文字以前の経理文書として
粘土板に刻まれたシンボルが存在する。そういうトークンから文字までの
連続的な変化というのがメソポタミアには存在するが、こういうものが
あるのは、メソポタミアだけであり、それ以外のところではないのだ。
エジプトでもない。
318 :
出土地不明 :2007/03/23(金) 15:36:34 ID:u78+pTAt
あれだけ完成された文字に文字以前がないわけがなくまだ発見されていないだけ。
319 :
出土地不明 :2007/03/23(金) 19:09:51 ID:TVq1bLFl
エジプト人が楔形文字を使わなかった理由は文字以前のシンボルの段階で シュメール人とは共有できないほど、エジプト人の共同体の中で 物事に対する捉え方が確立していた。 逆に象形文字としての完成が早かったのはエジプト人でその影響を受けて シュメール人が楔形文字を作り出した。 またシュメールの神にはエジプトの神に似ているものが多い。 シュメールの最高神アンはジャッカルの姿に、頭には牛の角 が生えている。 楔形文字では米に似た文字で書かれた。 エジプトの最高神アテンは太陽にいくつもの手が生えた姿で書かれる。 楔形文字の米に似た文字は太陽のようでもあり八本の手にも見える。
320 :
出土地不明 :2007/03/23(金) 20:17:33 ID:GGkMOo6a
321 :
出土地不明 :2007/03/24(土) 00:23:16 ID:9Oui5OwQ
>>318-319 いずれにせよ、十分な論証が可能なほど、証拠となる資料はそろっていないな。
322 :
出土地不明 :2007/03/24(土) 22:53:24 ID:8f/wJVRJ
文字は支配者たる王権との関係も深い。王国の存亡で言語や文字は今までも 何度となく強制的に破壊されてきた。 また新しい国家は新しい文字を生み出していった。最初のうちは同様に楔形 文字もヒエメグリフも漢字も雑種多彩な体系があったはずで、その中から、 各言語圏を統括するような広域言語が誕生したと考えるのが妥当。
323 :
出土地不明 :2007/03/25(日) 18:12:15 ID:qZY1cFyF
____ n /⌒ ⌒\ | | /( @) (@ ) \ i「|^|^ト、/::::::⌒(__人__)⌒:::::: \ もはや政府転覆しかない |: :: ! } | /| | | | | | ヽ ,イ \ (、`ー―'´, /
324 :
出土地不明 :2007/03/25(日) 18:37:36 ID:r4oouF4c
>世界四大文明ってなんで急に発祥したの?? ヒトが今の形に進化してから、 氷河期が終わったからだよ。
325 :
出土地不明 :2007/03/25(日) 22:37:16 ID:+ojUJPlU
>>322 その意味では、まさにエジプトの文字がメソポタミアの文字という概念の
もとで成り立ったという仮説が現実味があるだろう。
メソポタミアにおける文字以前の段階というのは、実に日常的なもので、
多数の部族間(農耕民や牧畜民などなどいろいろ)の間の交易の記録であり、
また、交易を確実に行うための契約のためのものであったわけだ。
その段階では、部族のリーダーはいたかもしれないが、大きな国家のよう
なものはなかった。それが、シュメールの初期都市国家が始まるころに
突然、王をたたえる文章のようなものが現れるようになる。
エジプトにおける王権というのも本格的になったのは、ナイルの南北統一
のころであり、そのころに文字が突然始まる。しかもエジプトではそれ
に続く文字前段階がまったく存在しない。
エジプト考古学は世界でもっとも進んでいるし、もっとも早い段階で
はじまったもののひとつであるが、それでも、エジプトの新石器時代から
古王朝時代へという流れは歴史的にはつかめていないわけだが、おそらく
メソポタミアにおける初期王朝の出現がかなり大きな引き金になったので
はないか。とすれば、王権と文字という概念がセットで入って来て、
そして、王権が本格的になった段階で文字も現れたということではないか。
中国における文字も、現在のところ、殷虚における文字以前のもので
確実なものは存在しない。夏王朝のものとされる多数の遺跡群があるが、
それらのいずれからも文字は出てこない。
しかし、殷虚の甲骨文字の段階、および、それと同時期に始まる青銅器の
金文が突然登場する。どれも王の決定事項、そしてそれを示した青銅器
の配布という形で始まる。
神にも等しい存在としての王の存在と、その言動を記した文字による
「文章」というものが、文字が文字となった最初の姿ではないかな。
326 :
出土地不明 :2007/03/26(月) 01:18:16 ID:gHyzYHk/
だってエジプトでは碑文以外は太いカヤツリ草の軸を剥いだ薄片に書いていたし、 毎年毎年洪水が来るから、練った粘土を干しただけの中途半端な碑文は水に浸かれば 溶けて崩れてしまうし、カヤツリ草の薄片は腐ってしまうし。
327 :
出土地不明 :2007/03/26(月) 14:28:51 ID:GsQKLH7m
<<325 交易の記録をなぜのこしたのか?
328 :
出土地不明 :2007/03/27(火) 01:33:39 ID:xBwTBUSC
>>326 うーん。これはなかなか面白いね。
エジプトにおいて、もとから、パピルスによる記録が中心であったとしたら、
それは新石器時代からで、だったら、あまり記録が残っていないということも
たしかに納得できるけれど、うーん、でも、なんか残りそうな気がする。
>>327 記録を残すというよりは、契約だね。契約が行われたことをきちんと記して
お互いに、「そんな契約はしてないぞ、嘘つくな」とかいうことでのいざこざ
を避けるためだろうよ。
基本的には、メソポタミアでは、まず、トークンで商品となる物品を示し、
次に、それを粘土で作った封筒にいれて、それを封印し、どの商品をどれ
だけの数だけ互いに取り引きするか、を記録しておく。で、後に、その
封印したトークンの内容を、粘土の封筒に記しておく。で、その封筒の
外側に、トークンがいくつ入っているかを記した記録が、やがて、粘土板
文書へと発展していく。で、王朝ができたころに、文字としての記録が
始まる、っていう形で発展していくわけだ。
ようするに、商品取り引きが行われたことを示す契約を確実にするための
トークンから、トークンをいれた封筒(これも粘土で作る)の上書きに発展、
さらに、粘土板文書の経理記録につながり、そこから文字が発展する。
こういうことは、他の地域でも、キプ(結縄)などで行われていたこともある
けれど、メソポタミアにかぎっては、文字へと発展した。
インカでは、キプから先に発展せず、文字にはならなかった。
文字への発展の過程が確実においかけられるのは、現在のところ、メソポタミア
だけなんだよな。
329 :
出土地不明 :2007/03/28(水) 00:00:16 ID:NZvoZBxj
330 :
出土地不明 :2007/03/30(金) 00:22:11 ID:wlJOuR9i
>>329 文字の発生を考慮しないと、30くらいはあったことになるだろうな。
331 :
出土地不明 :2007/03/30(金) 09:52:10 ID:9coPvIZP
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足士器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
三霊の神の降臨があったのだ・・霊界通信でした、代打Fより:何でもイエス様の10倍効果だそうです。
下記も読んで見て そしてFを宜しくね。
内容:
霊医アトス様曰く 錦帯橋もある意味オーパーツである、図面もなく勘を頼りに
口伝えにより完成させるなど1級建築士とやらから見たら、余りに頼りない
設計図であり、それを頼りに橋は架けようとはしないだろう。
霊媒Fは、ヒーラーがお仕事ですが趣味でオーパーツも霊界通信で聞きましたことを
書き込みいたします。これが、ホームページのアドレスです。
相談料は有料ですが、オーパーツは気が向けば書き込みに参りますね。
後、エジプトファンのY氏に送った霊界通信も有るのだな〜〜滅相も無いでしょ!
http://www1.megaegg.ne.jp/~furukawa/ ブログに知りたいこと書いてくだされば、たまに御返事いたします。
お客様が1番ですからね、2番は家族であり 3番御近所付き合いであり
4番私の広〜〜〜〜〜い趣味の霊界通信と言う訳で、失礼いたします。
333 :
出土地不明 :2007/04/01(日) 21:57:05 ID:+g90MeAP
急ってどんくらい?
334 :
出土地不明 :2007/04/02(月) 23:49:04 ID:LCgYxm+9
>>333 メソポタミアがBC4千年紀前半、エジプトもそれくらいかちょっと遅い。
インダス文明がBC3千年紀中葉、中国がBC2千年紀の後半。
中国は遅過ぎ。メソポタミアとエジプトとインダス文明は互いに近いから交流が
あったんだろう。だから、基本的には、メソポタミアってことだろうな。
だから、四大文明ってのは、四つもなくて、1つしかないってことだ。中国
はせいぜいギリシア文明あたりと比べるべきだ。つまり、メソポタミアから
の文明がその後伝わった地域ってことだ。
335 :
出土地不明 :2007/04/03(火) 01:43:15 ID:59RWhCLj
文明が始まったのは 氷河期が終わったからだよ 中国で人類最初の集団定住による稲作開始が1万2千年前 そして人類最初の水稲耕作開始、大豆工作開始が続く 遅れて中央アジアや中東近くで小麦工作が始まって 世界各地で文明が花開く
336 :
出土地不明 :2007/04/03(火) 01:50:44 ID:59RWhCLj
陸稲工作開始は長江流域で1万2千年前 パン小麦工作開始はイラン・イラクあたりで7千年前 水稲耕作開始は浙江あたりで7千年前 大豆工作開始は華北あたりで5千年前
337 :
出土地不明 :2007/04/03(火) 21:28:01 ID:30uYxqy4
>>335 いや、氷河期に既にプレカルチャーは存在した可能性が否定できない
状況にある。地中海の海底洞窟や、黄河大陸棚海底、インド洋浅海底
から人類の黎明期文明の痕跡が発見されつつある。
氷河期末期の大海進で海底に沈んだ大地こそ、人類文明のゆりかごだ
ったのだ。
338 :
出土地不明 :2007/04/03(火) 21:40:30 ID:Wg08wlGt
>>335 氷河期が終ったから、っていうのはひとつの説明だが、その時期っていう
のは、案外地域によって違う。日本あたりだと、氷河時代の終りは、
1万5千年前ごろと考えてもいいようだ。一方ヨーロッパなどだともう少し
遅れる。さらに、ヤンガードリアスの影響が強く出たところとそうでないと
ころがある。
中近東のレバントなどでは、氷河時代の終りに、いちおう半栽培型の食糧
採集で定住生活が始まるなどしているが、ヤンガードリアス期に入って、
また定住ができないまでに気候の悪化があり、そしてヤンガードリアスの
後に、本格的な定住と農業が始まる。ヤンガードリアスの間の約千年ほど
は、ヤンガードリアス以前の記憶をもとにかつての定住生活していた場所で
先祖まつりをしていたりするらしい。
>>337 まあ、たしかに、氷河時代は海水位がいまよりも150メートル近く下に
あったから、その当時の海岸は、いまでは海底とか大陸棚になっている
わけだが、やっぱり、氷河時代の間はそうそう簡単に文明ってのがあった
わけじゃないとは思う。
ただ、何度もいうように、氷河時代の人々が狩猟採集民であったからとい
って現代の狩猟採集民と同じような生活であったと考えるのは大きな間違い
だ。現代の狩猟採集民は、農業や工業的な文明生活が難しい砂漠や極寒の
地などにいる人々で(ブッシュマンやイヌイットなど)、そこは、狩猟採集
的な生活以外が難しい地域だ。
一方、氷河時代においては、ほとんどだれもが狩猟採集民であり、彼らは
狩猟採集をするのにもっともよい地域を選んで生きていたわけだ。
現在のもっとも大変なところで暮らす狩猟採集民と、たとえ氷河時代とは
いえ、もっとも条件のよい場所を選んで生活していた狩猟採集民ではまったく
違うだろう。ロシアのスンギール遺跡の様子からしても、階級社会の存在
や贅沢で豪華な装飾品に囲まれた埋葬人骨もあり、そうとうな豪華な生活
ぶりであったことがわかる。有機物は残らないが、かなり現代的にみても
ファッショナブルな生活だったのではないか。
我々は未開人というとなんか南のジャングルの、というイメージであるが、
北方の豪華な装飾品にかこまれた狩猟採集民というのはイメージすること
が難しい。イヌイットほど北でなく、もっと条件のよいところの狩猟民の
姿は、かなり文明的ではなかったかと思う。
339 :
出土地不明 :2007/04/03(火) 22:23:49 ID:3xM5gZP5
エジプト、インダスがメソポタミアを祖とするのはあり得るかもしれんが 中国での水稲の始まりは説明できないよな
340 :
出土地不明 :2007/04/03(火) 23:04:31 ID:IhenVHJc
>>339 ここで文明というのをなにをもって文明とするのか、っていう定義の問題がある。
たんに、農業が始まった、ってことなら、世界のあっちこっちでだいたい同じ
時期に農業が始まっている。それも、たぶん、独立して始まっている。
たとえば、最近わかったのは、パプア ニューギニアの高地の農業は1万年以上
前に始まっていて、中国の稲作やらとどっちが早いかっていうとなんともいえな
いことがわかっている。南アメリカの農業もかなり早い時期にさかのぼりそうな
勢いだ。おそらく、農耕の開始は、ほとんどの場合、氷河時代、あるいは、
ヤンガードリアスの終りから、千年くらいの間に独立してぼこぼこ始まったと
みることができる。始まらなかった地域では、栽培に適した植物が存在しな
かったとか、土地が痩せていたとかそういう理由だ。
とすると、文明というからには、農業だけでなく、それに伴う階級制度や、
定住と行政をともなう国家的なものがないと文明とはいえないっていうこと
になるだろ。ところが、階級制度は日本でも縄文時代にもあったらしいし、
スンギール遺跡などのように氷河時代においても裕福な人っていうのはいた
らしい。現在の狩猟採集民が階級社会を持たないからといって氷河時代の
人々もそうだったとはいえない。とすると、定住と都市あるいは大きな集落
と、そして、行政が行われていたことを示す証拠、基本的には文字資料か
それに変わるものがないといけないわけだ。
だから、文字が大事ってことになる。インカ帝国の場合はキプがあったかも
しれないが。とすると、中国の文字が中国で始まったのか、それとも、そうい
うものが西から伝わったものなのか、っていうことで議論があるってことだ。
時代も、中国で文字が使われるようになるのは、紀元前1千5百年より後だ。
メソポタミアの文字よりは2千年以上遅い。2千年あれば、伝わるだろ。
伝えたのは、ローランの美女の一族だったかもしれないわけだ。時代的には
ぴったりだ。初期の中国文明が、実はインド ヨーロッパ語族によるものだ、
という可能性すらあるんだよ。
341 :
出土地不明 :2007/04/04(水) 00:17:49 ID:9If0QK3p
>初期の中国文明が、実はインド ヨーロッパ語族によるものだ、 >という可能性すらあるんだよ。 いや早急すぎです。 文字はメソポタミアから伝わったとしても 他は判別不能とすべき 少なくとも灌漑土木技術は
342 :
出土地不明 :2007/04/04(水) 00:26:24 ID:pVqRiGz6
>>339 それはそうだね
中国文明が1万2千年間
人類最大で人類最長
最古にして現役
現在も最大集団
エジプト、インダス、
中南米とかギリシャローマとかは
亜文明でいい気さえする
343 :
出土地不明 :2007/04/04(水) 00:47:52 ID:jae1JKrT
>>341 灌漑農業の本格的なものは、古代文明段階では始まっていないよ。
中国でもそれがちゃんと始まるのは、春秋時代くらいになる。
ようするに、古代文明とは、灌漑農業が始まって食糧生産量が飛躍的に
高くなった段階以降であって、そうなると、それはエジプトでも、案外
新王朝(ヒュクソクの後)とかで、メソポタミアでもアッシリア帝国時代、
古代ギリシア、ローマ、などなどになる。
もうすこし段階を追うと、
まず、氷河時代が終った段階で、半定住型の狩猟採集民が現れ、それが、
半栽培型の採集民になる。狩猟はしているが、周囲の動物や植物の管理を
行う形になってくる。だからこそ、一定の場所に長く住んでいても十分な
食糧資源が得られるようになるわけだ。
この状態が崩れるのが、ヤンガードリアス期。気候が再び寒冷化して、
多くの定住が可能になった地域で定住生活ができなくなった。
ただし、日本の場合は特殊で、氷河時代末期から、土器を作るなどして、
かなり栽培型の採集生活に移っているようだ。
ヤンガードリアス期のあと、本格的に温暖化してくると、そこで農業が
始まる。各地で始まる。メソポタミアよりはレバントなどのほうが早い。
パプアニューギニアの高地の農業などもこの時代には始まる。
中国の稲作農業もこの段階で始まっているとみてよい。これらが、だいたい
紀元前8000年とかそのくらいだ。1万年前ごろになる。
これらの農業は各地で独路に始まったとみてよい。ただし、ユーラシアの
場合は、温帯地域がかなり横につながっているので、それを通じて交流も
有った可能性が高い。
ついで、集落が大きくなってくる。そして神聖な儀式などをおこなった神殿
のようなものが作られるなどする時期もある。チャタルフュユクなどの遺跡
もその段階だろう。紀元前5000年ごろ以降の本格的な新石器時代って
ことだな。部分的には青銅器が使われ始めたりもする。
やがて、都市が起こる。比較的簡単に農業ができるような大河の近辺が多い。
それが、ナイル、メソポタミア、インダス、黄河の四つの大河の回りってこと
になるんだが、ほかにもこの程度のものはいくらでもありそうだ。
で、メソポタミアはその後、都市国家となり、文字による行政が行われ、
記録が始まる。エジプトもそれに続く。そして、インダス文明なんかもそう
だろう。
ところが、こういう初期文明は紀元前2000年ごろに亡びるか、あるいは
有る程度崩壊することになる。インダス文明の崩壊などがその例だ。
そして、紀元前1500年ごろから、灌漑農業が本格的に始まる。
エジプトでは新王朝の時代。メソポタミアではアッシリア帝国の時代だろう。
中国はこの段階では、まだまだ灌漑農業が本格的になっていない。とくに
黄河文明はね。ようやく文字が使用され始めたころだ。
世界的に本格的な灌漑農業と食糧生産による「帝国」が現れるのは、紀元前
1000年よりは後で、ギリシアなどの初期段階やローマの初期段階、あるい
は、エジプト新王朝、アッシリア、そして中国では春秋時代から戦国時代に
なる。このころでは日本も弥生時代に入っているわけだが。
まあ、どこでも農業は始まる。ただ、都市国家や国家としての文明の誕生は
時代がかなり違ってくる。そして灌漑農業はまたかなり時代が一致している
ようでもある。まあ、こうなるとどういう段階のどういう時代をさして、
四大文明とかいうのか、よくわからなくなってくるな。
344 :
出土地不明 :2007/04/04(水) 14:42:45 ID:fWUTS043
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足士器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
345 :
出土地不明 :2007/04/04(水) 22:52:23 ID:SMc/Prwp
4大文明に共通して、当時の神話として洪水神話や世界沈没の伝承が あり王国や都市が滅亡したと語られていたのは、ヤンガードリアス期 末期の急激な大海進や、氷河湖の決壊による破滅的な大洪水の記憶が 語られていた可能性が高いと思われる。 では、その大災害で滅んだ王国・島・都市とは? つまり大事件以前に繁栄を極めたソドムやゴモラ、アトランティス等 に比定しうるプレカルチャーは「存在」している前提で書かれている。 人類の黎明期の文明痕跡は、海底から発見されるだろう。
346 :
出土地不明 :2007/04/05(木) 01:07:47 ID:tYt5spdJ
我々の祖先は宇宙から来たというのに、なぜ海底なのか。 そこらへんが凡人の発想の限界なのであろう。 この人は山岳部から発見されるという発想の転換は無いらしい。 いやはやまったくもって情けない事だ。
347 :
出土地不明 :2007/04/05(木) 12:45:55 ID:tqp7UvlS
>>328 交易の記録を残す意味がない。
物々交換なら物を見てから取引するはずだからわざわざトークンを作る必要がない。税金を納めた証としてならわかるが。
348 :
出土地不明 :2007/04/05(木) 12:52:24 ID:gtqyxUvs
349 :
出土地不明 :2007/04/05(木) 22:45:51 ID:kzm6RVmR
>>347 交易はもちろん物々交換なんだが、ものが同時に交換されるわけではない。
ある品物は、夏場に手に入るもので、それを別の地域の部族の冬場に手に
入るものと交換するとしたらどうするか。そこで、夏場に手にはいった段階
でそれを相手の部族に届けておき、そのことを記録に残して置く。
つまり、「貸し」の状態を記録しておくわけだ。次に、冬にその相手の部族
がそこで手にいれたものを、記録に基づいて「返して」もらう。
こうすることで、交易はより広範囲で融通の効く形で行えるようになる。
トークンは、中近東では新石器時代が始まってかなり早い段階で利様され、
粘土で作った封筒にトークンをいれておき、ある一定の時期になって
それを開封するなどのいろいろな使いかたができた。封印という契約の
方法もこの段階でできた。
まあ、基本的には、トークンは、「物品の貸し借り」を証拠として残し、
また、将来において、「何と交換するべきか」を明確にするためのもの
ということだな。貨幣がない段階では、トークンはそれぞれが物品を
表す必要があり、トークンの形によって、羊であるとか、穀物であるとか
を表し、トークンの大きさによって、10頭の羊とか100頭の羊
などという数量をも表すことができた。
もちろん、この段階では、まだ国家と呼べるもの、あるいは税を徴収
するような行政が生まれてはいなかった。
350 :
出土地不明 :2007/04/05(木) 23:30:23 ID:gtqyxUvs
351 :
出土地不明 :2007/04/06(金) 00:03:39 ID:yhzbcfML
いや いくらなんでも掛け取り引きは高度すぎるよ。>349 貨幣もなかったのに。 信用や取り引きを決済できる能力などが必要になってくる。
352 :
出土地不明 :2007/04/06(金) 09:10:32 ID:BmUIsdKN
貨幣はなかったが、金・銀・銅・鉄等の地金はそれだけでも物々交換 の仲介に中東では既に使われていた。 また石器後期時にはサヌカイト等の良質石器材自体も流通していた事 が判明している。石鏃や石斧の材料として不可欠の素材である。 リディアで最初の貨幣が発明される以前から、既に希少鉱物はその代 用として使われていたのである。
353 :
出土地不明 :2007/04/06(金) 18:01:14 ID:Zf6L6+ZH
>>349 手形のようなものにはそのことを保証するだけの力を持った部族が必要になる。
またトークンの種類が地域によって違いがあってしかるべきそれに見つかった数が少なすぎる。
354 :
出土地不明 :2007/04/06(金) 23:49:56 ID:Bxjw44iy
>>359 すこしは、自分でその手の本でも読んで、当時の状況理解しろよ。
中近東の新石器時代の文化のレベルはかなり高いぞ。メソポタミアが
発達する紀元前四千年紀よりも数千年前から、かなり大規模な都市と
呼べるものが出てくる。チャタルヒュユクなどもその例だけど、ほかに
もすごいものがある。この段階で、後の都市国家に発展するための、
ありとあらゆる方法が試されたことが考古学的にも判明しているぞ。
それらの都市国家前段階の集落などには大きな権限が一部の人達に集中
していて、十分な行政などが行われていた可能性もあるくらいだ。
しかも、比較的似た文化をもつ遺跡がいくつか存在し、それらが同族意識
で連係していたこともわかっているし、それらのカバーしている領域も
非常に大きい。
>>353 全然しらないで書いているだろ。トークンがどれだけどういう形で発掘
され、どう利用されたかが、どういう形で判明しているのか、そのあたり
のことを知らないで、こういうことを書いているだろ。
少し勉強してみ。トークンの地域による違いがないということは、逆に、
中近東全体がひとつの系統のトークンによって動いていたことを表す
んだよ。
トークンの使われていた時代の封印や封書、それにつかわれれた円筒印象
などは、メソポタミア時代(ウルとかウルクとかのシュメールの時代)に
おいても、使われていたし、さらにそれらはインダス文明においても利用
されている。
楔形文字もこれらトークンを粘土板に押しつけて封筒内の内様を示すため
に使われるようになったこともわかっている。
すべて系統的な発展のあとがたどれるんだよ。しかも、中近東全体で一斉
にそういうものが使われているんだ。そこがすごいところだ。
355 :
出土地不明 :2007/04/07(土) 01:42:58 ID:Ph/Y4CjR
>354 トークンが手形として使われていたのかい?
356 :
出土地不明 :2007/04/07(土) 09:35:23 ID:ruPes3K4
注文書、決裁書、などなどいろいろな形で使われていたわけだ。
357 :
出土地不明 :2007/04/07(土) 11:17:26 ID:JYdd7JxC
>>349 国家のような制度システムは必要なかった。交易の元となったのは遊牧民
が主体であったからだ。最初の部族単位の言語も遊牧民達によって攪拌さ
れ、集束されていった。
遊牧民達は定期的に移動し、その先の定住農耕民と交易・戦乱・契約を繰
り返した。彼らは最初のバイリンガーだったのである。
北方遊牧民が母部族語と商用広域語(民族語)を使い分けるのと同じである。
やがて商用や交易だけで用いられていた広域語は、複雑化・淘汰され民族
語に高められていった。民族間の戦乱で更に民族語は淘汰されていった。
最初にできた広域言語は数字と商品を示す、到って経理的なものであった
に違いない。契約という法規的システムがその力の淵源だったのだ。
358 :
出土地不明 :2007/04/07(土) 14:03:54 ID:ruPes3K4
>>357 ずいぶんと古い説を出されているようだな。
最近の考古学的な研究からすれば、遊牧民族の成立は新石器時代のかなり
あとのほう、あるいは、厳密には歴史時代に入って以降というのが一般的
な考え方だ。ようするに、農業をベースとした経済が定着し、そこでの
商取引などが部族間で行われるようになった段階で、一種の農耕社会に
寄生する形で遊牧というパターンが生まれたわけだ。その理由は遊牧民
の多くが、生活資材のかなりの部分を農耕民から供給を受けているという
点だ。
もちろん、遊牧民とはいわず、部族間を渡り歩く隊商的な民族がかなり
早い時代に登場した可能性は十分にある。定住性の高い農民の一部が、
商人として、農業をせずに、遠隔的なトレードの担い手となって、専業化
したものだ。
遊牧民族が本格的に登場するのは、中近東においてもかなり後のことだ。
もちろん、この場合の農耕には、牧畜も含まれるが、非定住的な遊牧と
いうのは、そうとう後の時代にならないと出てこない。
言語の拡散という現象も、遊牧民による撹乱によるなどというのはおかし
な説だ。現在主流になっている説は、農耕民が、オリジナルな土地で、
農業を成功させて、その結果として人口爆発が起こった場合に、外部の
荒野に農業の場をもとめて、拡散していったことで、言語が拡散したと
いうものだ。狩猟採集民は人口爆発がほとんど起こらないので、この
ような段階(新石器時代以前)には言語の拡散もほとんどなかった。
そのことは、比較的近代まで狩猟採集が中心であった北米の言語分布を
みればかなり明確だ(例外は、パプアニューギニアの高地農耕民)。
また、民族移動というものも、狩猟採集民では非常に遅く、一般に、
狩猟採集民は、環境を熟知した場所を離れようとはしない。定住生活
はしないが、生活の場となる地域はかなり固定的である。
一方、農耕民は家族や部族単位で拡散し、言語を固定する。
遊牧民のように、特定の居住の場を持たず、農耕民に寄生しているような
場合は、言語の拡散ということが起こらないわけだ。
人々が、大家族単位で、資産(種籾とか)をもって、新しい土地に出向く、
これが、言語の拡散のもっとも大きな原動力であり、これがおよそ
新石器時代の中葉から後半にかけて頻繁に繰り返されたことで、現在の
主要な言語族が拡散したということだ。インド ヨーロッパ語族の拡散、
あるいはセム語族の拡散などはこれらが歴史的時代において検証可能な
例であると思う。
359 :
出土地不明 :2007/04/07(土) 22:21:55 ID:ShRJtO2B
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。 古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。 古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。 古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。 古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。 古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。 古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。 古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。 古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。 古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。 古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。 古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。 古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。 古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。 古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。 古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。 古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。 古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。 古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
360 :
出土地不明 :2007/04/07(土) 23:48:50 ID:xiUxfg/t
動物の飼育痕については、旧石器の初期から既に開始されていた事 が判明している。またクロマニョンに限って言えば、岩窟壁画の中 から鼻輪をした草食獣群を人が連れているものも発見されている。 更に、牧羊犬の品種改良は少なくとも旧石器初葉からはじまったこ とがDNA分析から知られている。 次に初期の農耕民は定住をしていなかった事が発掘調査で判明して きている。中東で現在発見されてたいる"耕地"遺跡は土壌分析の結 果、ほとんどが塩分濃度やリン等の栄養物質量からみて小麦等の耕 作に不適であった事が知られている。すべて放棄された耕作地であ ったのである。これは休耕等の技術が未熟であった為に、連続して 過度の水分を用いて耕作を続けた結果、土地の土壌破壊をひきお越 していたのである。 現在の研究では当時の農耕民は、10年程で耕作地を枯らしては、常 に移動を繰り返していたと考えられている。焼畑と同じく、初期農 業は定住には不向きなものであった。現代のメソポタミアの沙漠の 35%はもともと森林を伐採して人類が農地として開墾した折に、乾燥 化させたものであることも判明してきた。牧畜が止めを刺したのであ る。 彼らは常に砂漠に追われながら増えた人口を養う為に更に新しい土地 を開墾しなければならなかった。
361 :
出土地不明 :2007/04/08(日) 12:11:57 ID:sSEM7rDK
>>360 > 動物の飼育痕については、旧石器の初期から既に開始されていた事
> が判明している。またクロマニョンに限って言えば、岩窟壁画の中
> から鼻輪をした草食獣群を人が連れているものも発見されている。
> 更に、牧羊犬の品種改良は少なくとも旧石器初葉からはじまったこ
> とがDNA分析から知られている。
このあたりは、ソースを求めたいな。かなり最新の情報も取り上げている
つもりだが、飼育痕が氷河時代ごろまで遡るとか、鼻輪をした動物の話
は見たことがないので。
定住が先か、農耕が先か、それとも両方ともだんだんと発達したのか、
っていうあたりは、かなりいろいろな説がだされているな。
農耕もいきなり始まったわけではなく、植物採集の結果、比較的定住
的なベースキャンプの周囲に、採集してきた植物の種が落ちる頻度が
高く、そのあたりに芽をだしてきた、ということから、ベースキャンプ
近辺が比較的採集の場として便利になり、それが農地化したというの
もある。
それから、狩猟採集といっても、たんに無目的に周囲の動物を狩るので
はなく、ある程度動物の繁殖を考慮して、狩るべき動物を制限(たとえば
雄の成獣だけとか)して、持続的に狩りが成功するように、また狩りに
必要な労力を最低限にするための方法をある程度編みだすようなことも
あるようだ。
いつも思うのだが、中近東あたりの羊の放牧みたいなものについて、これ
がかなり古い時代に行われていたとして、この放牧が考古学的にはどの
程度立証できるか、みたいなことがある。実際の放牧では、とくに羊を
囲うフェンスがあるわけでもなく、羊の放牧に必要な道具も特別なものは
ない。木の棒をもっててきとうに追いかけるとかしている。逃げ出す羊
はおいかけまわして、なんとか見付けるとかする。
とすると、人工物として羊の放牧に必要なものはほとんどない。
そこで、考古学者は、処理された動物の骨から、その動物の雌雄と年齢
を推定し、そこに狩猟的か放牧的かを見極めようとするが、実際の狩猟
といっても、ある程度管理された狩猟があると、これは放牧とは区別が
つきにくい。とすると、あとはそれぞれの羊が家畜的であるか野性的で
あるか、みたいな話になるけれど、植物の場合も、栽培植物か野性かを
判断するのは、そう簡単ではない。現代の基準で家畜化栽培化されたもの
が当時の家畜化、栽培化と同じかどうかも、保証はできないわけだし。
また、現代の狩猟採集民は、農耕や牧畜がほとんどできない地域にのみ
暮らしているわけで、ある意味で、狩猟採集しか不可能な場所における
現代の狩猟採集民と、条件さえ整えば、放牧や初期栽培農耕のようなもの
が可能であった地域の狩猟採集民ではかなり違う生活であった可能性も
高いわけだ。
362 :
出土地不明 :2007/04/08(日) 12:30:43 ID:5eRiheXd
他人ばかりにソースを求めるなよ。ギブ&テークだよ。くれくれ君。
363 :
出土地不明 :2007/04/08(日) 13:46:13 ID:sSEM7rDK
>>362 いや、2chではソースがないものは、嘘であると断定されることになって
いるんで、
>>360 は、でたらめ、ってことで、いいんだよな。
自分では、いままで、ソースの提示を求められたときは、すぐに出している
けれど。で、何のソースが欲しい?ちなみに、
>>361 に書いたことは、
一般的に知られていることをベースにした、自分の考えが中心であるから
とくにソースはないよ。一般的に手に入る書籍などに普通にのっている
ことを根拠にしている。強いて必要というなら書籍名をあげるが。
364 :
出土地不明 :2007/04/08(日) 19:19:35 ID:trbtD+KP
> 更に、牧羊犬の品種改良は少なくとも旧石器初葉からはじまったこ > とがDNA分析から知られている。 すまんが、この部分のソースをくれないか?
365 :
出土地不明 :2007/04/09(月) 01:18:32 ID:MVjtleuH
>>364 あ、
>>363 だが、そっちについては、結構一般的な書籍にあるよ。
mtDNAの分析で、現在のいろいろな犬の品種についてしらべると、その系統
はかなり古い段階に分岐したことがわかり、その起源は10万年位前に
なるはずだ。旧石器時代の初期っていうのは250万年前ってことで、これ
はアウストラロピテクスの時代だから、その時代から犬と仲良しだった
というのは、ちと不可能だが、
>>360 がいいたいのは、後期旧石器時代
(upper palaeolithic)ってことだろう。5万年前としても、そのころは
犬はいた可能性が高い。牧羊犬ってことに限定されると、羊の家畜化
と関連するから、それはせいぜいおもいっきりトンでもてさかのぼって
も、氷河時代末期だろうな。普通は、新石器時代と想定される。
まあ、狩猟採集民の時代、氷河時代から、犬と人間は仲良くやっていた
可能性は高いと思うね。ただ、mtDNAの分析の話は、犬が一種類の犬属
から分岐したという前提だ。犬の家畜化が、多地域で起こったとすると
それぞれは案外新しい可能性も出てくるな。
一般的な書籍として、 Mithen の AFTER THE ICEにもあった。
366 :
出土地不明 :2007/04/09(月) 01:21:13 ID:L3y9Um5E
私の疑問は四代文明発祥地は今はなぜおちぶれているのか ということ。
367 :
出土地不明 :2007/04/09(月) 01:41:04 ID:MVjtleuH
>>366 資源の破壊的な利用+気候の変化。だけど、気候の変化も資源の使い過ぎ
に起因している可能性が高い。
とくに農業ね。森林をやきはらって、農業を始めて、最初は土地が肥沃
だから、収穫はいいが、だんだん土地がやせたり、森林伐採による気候
の変化で、乾燥気候になり、その結果表面の肥沃な土がすっとんだりして
だんだん農耕に適さないようになる。それで、見捨てられるってことだ。
メソポタミアのあたりに「エデンの園」があったわけで、これは、
シュメール時代の文献にも「グ エディン」という地名がある。意味は、
「大地の首」とかいう意味で、かなり肥沃で農業がやりやすい楽園という
ような意味にとれるらしい。それがいまでは、、、。
ギリシアだって、いまじゃあオリーブと葡萄しかとれないけど、古代ギリシア
時代以前はすごい肥沃な土地だったようだ。
368 :
出土地不明 :2007/04/09(月) 16:37:09 ID:Q8FshVD/
>>367 単純に地球規模の気候変化が起こったって話もあるよ
なんだっけ、花粉化石の分布で気候を調べてる学者いるべ
名前忘れた
369 :
出土地不明 :2007/04/09(月) 17:37:00 ID:Ianh2DUu
ギリシャの自然破壊については日経サイエンスに記事があった。
370 :
364 :2007/04/09(月) 22:30:10 ID:LZHZi7gA
371 :
出土地不明 :2007/04/09(月) 22:43:56 ID:F3QMQm0i
>>368 かなり大規模な気候変動があっても、まともに持続的な発展が可能な農業
などをしているところでは、人口の変動くらいはあるが、簡単に崩壊には
いたらない。
花粉をしらべるのは、かなり一般的な方法だよ。
まあ、ドイツのペルガモン博物館(ベルリン)にいってみると、面白いよ。
あの、ネブカドネザル王の新バビロニア時代のバビロンの城門がそのまま
展示されている。あのあたりは干ぼし煉瓦が基本の地域だが、この新バビロニア
(カルディア)の時代は、煉瓦がウワグスリかけて、やいた青くひかる
美しいものだ。これほどの量の煉瓦を高温度で焼いてかためるのだから、
相当な木材をつかって焼いたんだろう。ものすごい森林伐採があったはず
だ。レバノンもレバノン杉で船をつくって、それがフェニキア人だった
わけだが、いまじゃ禿山ばっかりという状況。さすがに1万年近くも、
人が非持続的な農業やら文明やらをもっている地域はもう疲弊しつくして
いる、っていう印象があるな。
372 :
出土地不明 :2007/04/10(火) 00:25:10 ID:A7036Kar
オリエントに関しては気候変動の要素も大きいよね アッシリア時代から新バビロニア時代にかけて大きく乾燥化が進み アケメネス朝時代には環境的には昔の栄華は何処へやら、って感じだったらしい
373 :
出土地不明 :2007/04/10(火) 23:27:29 ID:fOLnZ/PA
>>372 気候変動があったとして、その気候変動も、局所的には森林破壊などが
あったために、気候がかわったという要素もあるんじゃないか、と思う。
農業のやりすぎ、森林破壊、砂漠化、乾燥化、干魃、という悪循環とか。
374 :
出土地不明 :2007/04/11(水) 10:49:42 ID:apv8khKM
なんかの番組でインドの古代都市の盛衰について、 気候変動かなにかでいままでの生活じゃ成り立たなくなったので都市を築き、 大集団で生活をはじめたけど、そのうちまた気候がよくなってきたので都市に 居る必要がなくなり、みんな野や森や山に帰ったという説をやってた。
375 :
出土地不明 :2007/04/11(水) 22:39:30 ID:PXsDSDU4
現代でもアマゾンの熱帯雨林の焼畑が問題になっているが、焼畑で同じ耕地で耕作 できるのは、せいぜい5年ほど、よくて10年位だという。原住民は常に森を焼き払 いながら耕地を開墾しては、塩害の荒地を拡げている。 古代から何も我々は学んでいない。
376 :
出土地不明 :2007/04/12(木) 00:04:55 ID:1aJo8DkJ
377 :
出土地不明 :2007/04/12(木) 04:09:38 ID:Re+GTopb
もともと一ヵ所に暮らしていた人類が突然分散させられたからでしょ。
378 :
出土地不明 :2007/04/12(木) 21:14:07 ID:xOo+1zAa
人類が後期旧石器時代に入った5万年前以降、人類のでていったところで はかならずや動物の大量絶滅があったりする。 アメリカ大陸には、家畜に適した動物がすくなく、リャマくらいしかいな い。とくに、ものを運ぶ、人を運ぶという点では馬がいれば、という要素 があるんだが、その馬については、やっぱりアメリカ大陸に移住したあと 人間が食ってしまったらしい。 氷河時代末の動物の大量絶滅は非常に不思議だ。たしかに気候変動があっ てそれで動物の絶滅があるのはおかしくないのだが、しかしそこで絶滅 した動物は、それまでなんども起こっている氷河時代と温暖な時代との 境目を行き抜いてきた動物たちだった。 とすると、気候変動で個体数が減るなどしていた動物群に最後のとどめを さしたのが人類だったということになるらしい。それまでの氷河時代と 温暖な時代との境目では、個体数が減っても、なんらかの形で生き残る 個体がいて、それがまた気候に適応し、というのを繰り返していたわけ だが。
379 :
出土地不明 :2007/04/12(木) 21:53:42 ID:wbXM0173
いわゆるオーバーキル仮説ですな。
380 :
出土地不明 :2007/04/12(木) 22:11:44 ID:kR6ZdLE8
そうしなきゃ生き残れなかったんだろうけど、 人間の影響はたった一種の生物としては大きすぎるな。
381 :
出土地不明 :2007/04/12(木) 22:45:15 ID:Xp0OwlPv
>>378 西部劇によく出てくるスー人の馬賊というのは、虚構なの?
あんなマダラ模様の馬匹はどこに居たの?
382 :
出土地不明 :2007/04/12(木) 22:45:42 ID:S5+i5Ayb
>>380 もっとも、過去の文明において、たとえば、アメリカ大陸のアナサジ文化の
崩壊とか、マヤ文明の崩壊とかもふくめて、あるいはイースター島のほとんど
崩壊という状況にいたった点もふくめて、環境破壊や森林破壊をしてしまうと、
そこに住む人々もまた崩壊してしまうのだ、ということだ。
オーストラリアのように苛酷な環境である場合、オーストラリアのアボリジニは
狩猟採集生活をしていて、農耕には至らなかったが、しかし一方で、彼らが、
数万年にわたり、あの苛酷な環境でいきてこられたのは、彼らが持続的な狩猟
採集を行って来た結果だ。狩猟しすぎない、採集しすぎない。また、環境の
よかった南部東海岸地帯では、持続的な採集をめざした栽培的なものも試み
られていた。もっとも、オーストラリアの自然環境は白人の入植と、外来
動植物の導入により、かなり荒れはててしまったわけだが。
人類が後期旧石器時代に入って以来、あるいは、農耕牧畜が始まった新石器
時代に入った時代、それぞれの時代で、破壊的な活動を行った部族は亡びて
きたはずだ。また、農業が始まったときに、定住生活とともに人口爆発が
はじまったときに、それをなんらかの方法で抑え込む手段をもたなかった
部族も滅んでしまった。あるいは、拡張、拡散して周囲の部族を征服、ときに
皆殺しするような部族が勢力を拡大したこともあったかもしれない。
いずれにせよ、現在まで生き残っている人類は、そういう生存競争、環境破壊
と戦って、勝ち抜いた部族の系統に属するということだ。
383 :
出土地不明 :2007/04/12(木) 22:57:56 ID:S5+i5Ayb
>>381 これが実際には驚きなんだよ。
アメリカ大陸(南北あわせて)に馬をつれてきたのは、もちろんヨーロッパ人
だ。で、そのヨーロッパ人がつれてきた馬が、あまりにも素晴らしいんで、
ネイティブアメリカンも必死で手にいれようとして、実際に手にいれたとたん
に、ヨーロッパ人も顔負の騎馬民族になってしまったりした。
その間、たった数十年ともいう。だから、いまアメリカにいる馬は、
全部、コロンブス以降にヨーロッパから持ち込まれたものだよ。
もともと、馬はアメリカ大陸発祥とされる。
馬が登場した時代は、すでにアメリカ大陸はアフリカやヨーロッパとは
分離したあとだったわけだが、氷河時代がなんどかあると、ベーリング
海が陸続きになったときには、北方でのみ動物の交流があった。
だから、たとえば、北海道のヒグマとカナダとかのグリズリーベアは
ほとんど同じ種類の熊だ。馬も同様にして、逆にアメリカ大陸から
ユーラシアに渡り、シベリア、そしてヨーロッパまでひろまっていった。
384 :
出土地不明 :2007/04/13(金) 22:14:52 ID:EQci2sVQ
>>374 古代都市か放棄された理由の8割方は上下水の管理未熟が原因、糞尿の処理や
それに起因する病害・獣害が主原因である。
385 :
出土地不明 :2007/04/14(土) 00:31:11 ID:xleL/ISW
>>384 ようするに、文明初期段階、いろいろと試行錯誤があって、そういう中で、
比較的うまくやったところだけが、崩壊を免れて、うまいこと後の世にも
文明を伝えた、ってことだろ。
昨今、環境問題とか、温暖化がどうのとか、リサイクルとかリユースとか
リデュースとかいろいろいっているけれど、人間の歴史を見ると、つねに
どうにもならんと思うようなところに至るまで、無駄づかいしないとか、
再利用をするとか、そういうことには考えがいかないもんだということが
わかる。そんな状態はそれこそヨーロッパの17世紀や18世紀のとんでも
ないほどの衛生状態の悪い都市などをかんがえても言えることだろう。
最近、James Hutton の伝記を読んだけど、17世紀から18世紀の
エディンバラがいかに汚い都市だったかが書かれていた。高僧住宅は
たっていても、その上層の階から汚物が道にむかってぶちまけられる
様子などだ。夜になると、都市全体が汚物の匂いで、外部から来た人間
には絶えられないほどの悪臭だったとか。
新石器時代がはじまり、定住生活で人口密度が高く、さらに家畜との
共存みたいなことがはじまって1万年近くたっても、まだこういう状態
というのは、現在のスラムなどをみてもわかるように続いている。
人間、まだまだそう簡単に都市生活に対応した生活習慣を身につけるまで
至っていないのかもしれないな。
それでも、過去、都市生活が始まってから、長い間にうまい生き方、
生活習慣を発明した部族だけが生き残って来たのも事実だ。それで、
だいぶよくなった部分もあるんだろうが。
386 :
出土地不明 :2007/04/14(土) 06:45:12 ID:BsKmHS/B
奈良・京都もし尿処理能力がパンクしてたからね・・・パリでは近代 まで窓からし尿を道路に捨ててたし、西洋の城跡の城壁でも必ず1部 に黄金色になってるところがある。当時は城壁の上で用を足していた からだ。
387 :
出土地不明 :2007/04/14(土) 13:10:27 ID:cwedn/2W
ペストでバタバタ死んでたがねw
388 :
出土地不明 :2007/04/14(土) 13:51:12 ID:1fY5IfdV
>>386 そういや、ローマのコロッセオにいったときに、ちょっと日陰になって
あんまり乾燥していないような場所が、やけに尿の匂いみたいなのが
あったが、あれはまさか2000年前の人の尿の匂いってことはないだろ
うな。
389 :
出土地不明 :2007/04/14(土) 19:50:28 ID:8n1NKrYM
↑ 発掘してみろ スクープ 2000年前の黄金水を発見! ローマ人は糖尿だった!?
390 :
出土地不明 :2007/04/15(日) 23:26:34 ID:I7LQ9AKT
>>388 以前、ローマに遊びに行ったとき、ほろ酔い気分で月夜に導かれて
友人と一緒にコロッセオに立ションを浴びせてしまった。
スマソ
391 :
出土地不明 :2007/04/16(月) 22:43:39 ID:lzRP7xvb
そこは実はライオンに食い殺されたキリスト教の使徒が死んだとこですが何か・・・
392 :
出土地不明 :2007/04/17(火) 23:16:55 ID:vctmyN+m
いえ、聖ペテロが架刑になった場所です。
393 :
出土地不明 :2007/04/21(土) 07:24:50 ID:dXsv9Oef
別に急にできたんじゃないんだが・・・
394 :
出土地不明 :2007/04/22(日) 23:33:58 ID:uv0i4X4l
モノリスが4ケ所にあったんだよ。
395 :
出土地不明 :2007/04/25(水) 16:36:42 ID:FQkLcyot
396 :
出土地不明 :2007/04/25(水) 16:39:21 ID:FQkLcyot
397 :
出土地不明 :2007/10/29(月) 02:05:08 ID:w1yeJSbk
age
398 :
出土地不明 :2007/10/29(月) 16:15:36 ID:z/c9ZQy3
そいやーニュートンで殷特集やっとった。
初めてみた写真もおおかったのでヨカタ。
戦車はかなり西のもんににとると書いてあったな
>>384 写真見る限りじゃ殷の下水処理は相当だったような気ガス
つうか、モヘンジョダロにしたって、ラビリンスにしたって下水は相当高度だ。
なんでそんな珍説がでてんだか。ネタだとおもいますが。
399 :
出土地不明 :2007/10/29(月) 17:03:03 ID:z/c9ZQy3
400 :
出土地不明 :2007/10/29(月) 22:56:54 ID:erxIciBF
>>1 古い映画だが2001年宇宙の旅を見ろ
人類がどう発展したかわかる
401 :
出土地不明 :2007/10/30(火) 22:03:25 ID:CC2hu/sR
昔からある説なんだろうが、氷河期から間氷期への移り変わり → 海水準が 100m も上昇 → 居住地の移動や生活ぶりの変化を 余儀なくされる → 文明の同時多発発生、だとかね。
402 :
出土地不明 :2007/10/31(水) 06:04:25 ID:JwdTqNCT
いま海のそこにしずんどるのを発掘せんかぎりなんともいえんわ。
403 :
出土地不明 :2007/11/07(水) 21:46:50 ID:oIDC4fWX
age
404 :
出土地不明 :2007/11/30(金) 21:24:57 ID:6dGGM1C8
405 :
出土地不明 :2007/12/09(日) 23:42:28 ID:mazpJkFw
406 :
出土地不明 :2007/12/17(月) 21:42:35 ID:M4FfTK+X
407 :
月光仮面 :2007/12/18(火) 11:48:04 ID:cyGkzcfe
>>404 モンゴリア、満州、日本の殷末、弥生に、例えば日本では方形周溝墓といった
方形の埋葬形態が始まるが、このルーツは稲作文明と関係があろうと考ええられる。
しかし、今まで方形の遺跡は具体的に発見されていなかった。また、長江下流の
銅鈴埋納祭祀が内蒙古地方で銅鐸に変形してその後朝鮮半島から日本に来ている
ようである。また、中国神話では三苗、羌族共工が甘粛経由幽州に流されるとされて
いる。地震、洪水により長江流域から黄河上流域に民族移動があったのかもしれない。
こうした見地から「良渚」古代都市の消長に興味がある。HLA遺伝子も日本人と古代
長江下流域とに強い関係があったことを示し、魏志倭人伝も倭人と呉の太白の関係を
示唆している。
408 :
出土地不明 :2007/12/18(火) 15:20:32 ID:Zzh8AWlI
今の人類を未来の人が見たら西暦が始まってから今までの短期間にスゲー進歩したのはおかしいつって宇宙人渡来説が沸くよ 実際渡来してるけどな
409 :
出土地不明 :2008/02/24(日) 00:42:07 ID:H4faI021
>>325 wikiを見てみろトークンは地域の発展の一部だろ。
少なくとも主流はそう見てる。
文字の発達は世界同時だ。
410 :
出土地不明 :2008/02/24(日) 01:06:15 ID:V4vzj5WK
その4かしょのみが、文明のはったつしうる環境にあったから
411 :
出土地不明 :2008/02/24(日) 01:25:22 ID:oN1uYKk+
文字の起源はどう考えても絵から象形文字。 なのにトークンが最古の文字だという頭がわからない。
412 :
出土地不明 :2008/06/21(土) 16:38:13 ID:D7k32V5Z
四大文明の内3つまでは実はそんなに距離が離れていない ナイル川のデルタからユーフラテス川中流域までは東京〜博多間くらい チグリス・ユーフラテス川からインダス川までは北海道から沖縄より まだ距離があるけど、ペルシャ湾からオマーン湾を伝えば、ほぼ 穏やかな海を海岸線沿いに航行できる。 そして3っつの文明とも乾燥地帯を流れる大河のほとりに都市国家を築いている。 (都市を中心に周りを農地が囲み、灌漑農法で穀物を生産している) まずチグリス・ユーフラテス川流域に文明が起こりそれがナイル川流域と インダス川流域に広まっていったのではないだろうか? 黄河文明に関しては分からない。が、どうも他の3つの文明とは異質に見える。
413 :
出土地不明 :2008/06/21(土) 17:47:44 ID:wUCQLn3y
>>1 何をもって「急に発祥」と言うのかが問題では?
人類が文明を持つには安定した生活余力が必要なわけで、採集や狩猟では無理。
結局のところ、農耕に鍵がある。
農耕に適した土地と農耕技術の発展が安定した生活余力を生み、
安定した生活余力が人口増加を生み、
人口増加が更なる生産力を生み食料生産以外の商工業を生む。
つまり、初期の農耕技術でもそれなりの生産量が得られる
農耕に適した気候&大河流域というのは初期文明の発展に必須条件ってこと。
氷河期末期には世界中に散らばってたであろう人類が、
その土地土地で生活しつつ、上記条件に居た集落が文明へ発展したわけで、
「急に発祥」したわけじゃないと思うんだが?
414 :
出土地不明 :2008/06/21(土) 21:00:31 ID:3B4pX0aS
>>408 >今の人類を未来の人が見たら西暦が始まってから今までの短期間にスゲー進歩したのはおかしいつって宇宙人渡来説が沸くよ
さらに西暦1800年〜2000年までの200年の進歩がすごい
海上交通は帆船からタンカーまで
陸上交通は馬車から鉄道・自動車
空の交通はゼロから一日で世界のどこでもいけるまでに
通信は馬車に頼った郵便からケータイへ
メソポタミア文明が生まれた5000年前から西暦1800年までより
西暦1800年から2000年までの進歩の方が大きいんじゃない
415 :
出土地不明 :2008/06/22(日) 01:24:32 ID:oWg2gVdi
生息環境のあまりに急激な変化は絶滅に繋がるだけなんだが。 「絶滅に至るプロセスを『進歩、進歩』と浮かれてた愚かな古代人類」と思われるだけだ。 そう思うのが人類なのか宇宙人なのかカラスから進化した知的生命かは分からんが。
416 :
出土地不明 :2008/06/22(日) 01:58:32 ID:Xk2HEQ2T
417 :
出土地不明 :2008/06/22(日) 02:11:38 ID:v/Oz/ztR
>>415 >メソポタミア文明が生まれた5000年前から西暦1800年までより
>西暦1800年から2000年までの進歩の方が大きいんじゃない
土台が違うんだから比較にならないな。
それって、小学生の6年間に学んだことよりも中学生の3年間で学んだことの方が、
より多くてかつレベルが高い。
と当たり前なことを言ってるだけだぞ。
418 :
出土地不明 :2008/06/22(日) 19:27:26 ID:d3cv//GE
>>417 >土台が違うんだから比較にならないな。
そんなにちがうか?
5000年前でも200年前でも陸上移動は馬車だった。
5000年前でも200年前でも海上移動は帆船だった。
5000年前でも200年前でも情報伝達は馬と船だった。
産業は農業中心、政治は君主制か封建制
土台自体に「これほど違うぞ」という違いは見当たらないが?
419 :
出土地不明 :2008/06/23(月) 05:16:40 ID:BImd7ndh
>>418 そうだね
電気を使うようになってから急速に発達し続けてる
420 :
出土地不明 :2008/06/23(月) 07:52:06 ID:Ms43E2rl
四大文明のうち黄河文明は今の中国文明につながっている。 ナイル・メソポタミア文明はアラブ・イスラム文明に取って代わられた。 ではインダス文明は? 今のインド文明とつながってるのかな? また黄河文明は本当に今の中国文明につながっていると言えるだろうか? またナイル・メソポタミア文明はアラブ・イスラム文明に取って代わられたといえるだろうか?
421 :
世界@名無史さん :2008/06/23(月) 19:30:59 ID:fDNGzAnF
四大文明の中でも有名なエジプトのピラミッドや神殿 かつては『過酷な奴隷労働で築かれた』と言われているけど その後の調査で『農閑期の失業対策であり住宅も医療も十分配慮されていた』 と言う事が解かってきた。でもそうするとユダヤ人の旧約聖書による 『神殿建設のため過酷な奴隷労働を強いられた』という記述と矛盾する。 どうなってんだろ? (1)その後の調査はウソ。やっぱり過酷な奴隷労働だった。 (2)その後の調査が本当。旧約聖書がウソ (3)旧約聖書が書かれた時期だけ暴君が出て住民に過酷な労働を課した。 (4)ユダヤ人だけ過酷な労働を課した。 (5)全部ちがうよ。本当は○○××
422 :
世界@名無史さん :2008/06/23(月) 20:08:25 ID:fDNGzAnF
【追加】そう言えば旧約聖書にエジプトを脱出したユダヤ人たちが 途中で『エジプトの方がよかった』と言いだしたりエジプトの神像を作って お祭りをしだしたりする記述があったな。いくらつらい旅の途中だからって エジプトの生活がつらかったらそんなことしないと思うが
423 :
出土地不明 :2008/06/23(月) 20:31:44 ID:PfxL8YfK
ピラミッドって何を目的に造られたんだろうね?  ̄ V ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ∧_∧ ( ´・ω・`) ∧_∧ / \ (´Д` )まあ、色んな説があるけど、 .__| | .| |_ / まだはっきり証明はされてないよねぇ。 ||\  ̄ ̄ ̄ ̄ / .| | | ||\..∧_∧ (⌒\|__./ ./ ||. ( ) ~\_____ノ| ∧_∧ / ヽオイオイ \| ( ´_ゝ`)あれは実は観光客を呼び込む為の | ヽ \/ ヽ.巨大テーマパークだったんだよ。 | |ヽ、二⌒) / .| | | .| ヽ \∧_∧ (⌒\|__./ /
424 :
出土地不明 :2008/06/24(火) 04:27:13 ID:+ok73jsI
%3
425 :
出土地不明 :2008/06/24(火) 09:06:26 ID:96UQQmwk
さらに解からないのが神殿だ。エジプトの神殿は重さ200トン位の石を 使って建てられている。しかもそれをいくつも積み重ねて作られている。 現在の建築で使われているクレーンで200トンを持ち上げられるのは アメリカに2つしかない。そのクレーンの責任者に聞くと『200トン の石を何百個も吊り上げる? ムリだろう。だいたいクレーンを置く 土台の地盤がもたない。 なに機械を使わず人力で? わからん、 見当もつかない。そもそも何で200トンもある石をそのまま使うんだ? 1トンか2トンぐらいに切って使った方がはるかに楽だろうに』 一番ありそうなのが古代エジプトの人々は200トンの石を軽々と持ち上 げられる技術を持っていたということだが、それはさすがにありえないだ ろう。とすると (1)神殿は何万年も前に滅んだ超古代文明が作った。 (2)宇宙人が作った。 (3)とにかく古代エジプトの人たちが人力で作った。 となる。だが(3)を主張するのは歴史家や考古学者であり建築の専門家 ではない。そしてなぜか建築の専門家による調査はおこなわれていない。 なぜ考古学者は専門家に調査を依頼しないのだろう? そうすれば人力(風力・水力・畜力を含む)で作成可能かどうかはっきり するだろうに
426 :
出土地不明 :2008/06/24(火) 09:08:26 ID:96UQQmwk
さらに解からないのが神殿だ。エジプトの神殿は重さ200トン位の石を 使って建てられている。しかもそれをいくつも積み重ねて作られている。 現在の建築で使われているクレーンで200トンを持ち上げられるのは アメリカに2つしかない。そのクレーンの責任者に聞くと『200トン の石を何百個も吊り上げる? ムリだろう。だいたいクレーンを置く 土台の地盤がもたない。 なに機械を使わず人力で? わからん、 見当もつかない。そもそも何で200トンもある石をそのまま使うんだ? 1トンか2トンぐらいに切って使った方がはるかに楽だろうに』 一番ありそうなのが古代エジプトの人々は200トンの石を軽々と持ち上 げられる技術を持っていたということだが、それはさすがにありえないだ ろう。とすると (1)神殿は何万年も前に滅んだ超古代文明が作った。 (2)宇宙人が作った。 (3)とにかく古代エジプトの人たちが人力で作った。 となる。だが(3)を主張するのは歴史家や考古学者であり建築の専門家 ではない。そしてなぜか建築の専門家による調査はおこなわれていない。 なぜ考古学者は専門家に調査を依頼しないのだろう? そうすれば人力(風力・水力・畜力を含む)で作成可能かどうかはっきり するだろうに
427 :
出土地不明 :2008/07/02(水) 15:21:15 ID:JzO68GFl
どれにしても大変です(・ω・) (1)神殿は何万年も前に滅んだ超古代文明が作った。 →古代文明人はどうやって建てた? (2)宇宙人が作った。 →宇宙人はどうやって建てた? (3)とにかく古代エジプトの人たちが人力で作った。 →古代エジプト人はどうやって建てた?
428 :
出土地不明 :2008/07/02(水) 15:50:06 ID:2E5Ge5xy
>なぜ考古学者は専門家に調査を依頼しないのだろう? 建築家の色んな説があるわけだが?
429 :
出土地不明 :2008/07/02(水) 16:57:52 ID:urCWpwt3
科学・物理には無知だが一言 >一番ありそうなのが古代エジプトの人々は200トンの石を軽々と持ち上 >げられる技術を持っていたということだが、それはさすがにありえないだ 自転車の変速ギアわかるよな? 小さな歯車で大きな歯車を回すと移動時間が長くなるが坂道などを楽に登れる 仮にその原理で1トンの重量物を巻き上げる装置があったとする ピラミッド建設予定地にはなだらかな傾斜をつけた坂道を造る それを200台で巻き上げる 問題はその石を巻き上げるだけの信頼性のある素材がどうかだがね ただ1台で1トンよりも200台分で200トンのほうが、装置の信頼性は高まる そして傾斜面に潤滑油を用いればより労力は少なくて済むように思えるが・・
430 :
出土地不明 :2008/07/02(水) 17:26:25 ID:JzO68GFl
日刊考古学より 「変速ギアがピラミッドの壁画に描かれていたっ?!」
431 :
出土地不明 :2008/07/02(水) 17:39:06 ID:2E5Ge5xy
432 :
出土地不明 :2008/07/02(水) 17:44:59 ID:aoQ3fxtV
609 :出土地不明 :2008/06/25(水) 20:10:33 ID:nZNvK/kE 建築会社の大林組は、1978年に現在の技術でピラミッドを作るとしたら? という見積もりを行うプロジェクトを行ったことがある。 1978年の試算では総工費1250億円、工期5年、最盛期の従業者人数3500人という計算結果となった。 現代の技術でも作れないというのも、エジプト人が作れなかったというのも、 明確な根拠はなく当時や現在の建築技術を貶めるだけのものだと言える。
433 :
出土地不明 :2008/07/02(水) 17:45:48 ID:aoQ3fxtV
611 :出土地不明 :2008/06/26(木) 21:22:14 ID:pvcjFZ+H 重くて運ぶのは不可能 切り出した石は確かに重いが、オベリスクや彫像にはピラミッドの石よりも遥かに重い(数十倍)ものもあり、 ピラミッドの石程度のものが運べないならば、オベリスクや彫像を運ぶことは完璧に不可能だったことになる。 しかし、実際はピラミッドの建設時代にも、もっと後の時代にも、実際に大きく重い石が運ばれていることからも、 “運べない”とする根拠はない。 近年、単純な直方体であれば、ソリやコロとロープで運ぶよりも大幅に効率の良い運び方が発見され、 少し前のエジプト学で考えられていたよりも遥かに楽に石が運べていた可能性も非常に高くなった。 カナダのNick Raina氏が考え出した方法で、半円形の木枠に石をはめ、転がして運ぶ方法である。 Nick Raina氏はこの方法を用いることによって、7歳の女の子に200kg以上のものを引っ張らせることもできたという。 半円形の木枠はエジプトで実際に発掘されている。 つまりピラミッドの材料となる石を運ぶことは問題なくできたといえる。
434 :
出土地不明 :2008/07/02(水) 17:48:17 ID:xQYswIy9
スレ立て主は文明発祥の前の長きにわたる社会の発展を知らないのか?
435 :
出土地不明 :2008/07/03(木) 00:42:46 ID:riY+SOtP
呉の「大和ドック」のクレーン(大正〜昭和初期)が、巻き上げ能力300トンw
436 :
出土地不明 :2008/07/03(木) 01:11:56 ID:sMvoTLj/
>>426 単に採算が合わんから造らないだけだろうが。
クレーン設計製作者でもない現場のおっさんの言葉のみを一方的に信用するのは如何なもんかな?
仮に宇宙人が造ったものなら、宇宙人がどのような過程でそこまでの科学技術を獲得出来て
そして地球に飛来したのかを説明してくれ^^
あと超古代文明の遺物であった場合、仮に現代で不可能な技術であれば
超古代の発展過程の遺物も大量に出土していて当然。
そこまで進化しているのであれば、当然大津波の被害を免れた遺跡以外のものもある筈なんでな。
437 :
出土地不明 :2008/07/03(木) 01:14:38 ID:0vrsPY5n
おまえら モノリスしらないのか…
438 :
出土地不明 :2008/07/03(木) 01:36:42 ID:sMvoTLj/
考古学板でトンデモ論を展開するのがおるから反証せざるを得ない
ちなみに四大文明に相当するプレ文明
間氷期などに人口数万規模を誇る都市などが存在した可能性はあり得る「かもしれない」と思う立場です。
但し証拠になるものが出土していませんからね・・
>>432 '70年代後半だったか、TV番組(日テレの木曜スペシャルだった筈)で実際に現地に赴いて
ピラミッド建築に挑むといった番組がありました。
確かエジプト観光庁か何かに1ヶ月程度の許可を得ての挑戦だった筈
当時の建築の専門家を使って、石の切り出しから運搬〜積み上げに至るまで
当時使われていたとされる機材のみを用いて建造するといった内容。
残念ながら期限オーバーで後は現代の機材を用いて完成させましたが
途中までは人力でも可能であることを証明しましたな。
439 :
出土地不明 :2008/07/03(木) 03:11:13 ID:H10UFQh7
氷河期にも文明はあったんじゃねえの 氷河期終わって海水面が300メートルだか上がったんだろ? だから海底探せばスンゲー飛行機とか乗り回してた文明があるよ アトランティスとか
440 :
出土地不明 :2008/07/03(木) 05:59:24 ID:sMvoTLj/
>>433 転がすといった発想も確かにありそう
石の切り出し→下面に潤滑油などを用いて横移動→そのまま木枠に嵌め込む
→固定のため隙間に木や石などを詰め込む付近の河川まで転がす→
船で運搬→建築現場まで転がす
ここまでは頭の中で見えてきた
問題は建築過程でなだらかに造ったではあろうが、登坂道が必要になる
転がし+歯車での巻き上げ+人海戦術で地道に積み上げていったとも想像できるな
その方法で可能か否か見てみたいもんだ
やるとすればTV局の企画、BBCやNHK辺りか
当時あったもののみを用いて実際に検証し
証明してくれればピラミッド建築論争の決着がつく
441 :
出土地不明 :2008/07/03(木) 07:20:54 ID:Zpo6tsyl
442 :
出土地不明 :2008/07/03(木) 13:23:00 ID:Fkyt3bux
>>439 何でそんな高度な文明が海水面上昇如きにに対応できなかったんだ?
443 :
出土地不明 :2008/07/03(木) 21:22:51 ID:YPPzamlW
>>442 答え)実はそんなに高度な文明じゃなかったから。
黒海に氷河期のころの水位の海岸に港の痕跡が発見されてる。
近くに木造交易船と交易品を納めてたであろう壺なども発見されてる。
つまり、氷河期末期に存在した文明もその程度ってこと。
444 :
出土地不明 :2008/07/03(木) 21:23:28 ID:YPPzamlW
黒海に氷河期のころの水位の海岸に港の痕跡が発見されてる。 ↑ 当然だけど、現在の海底
445 :
出土地不明 :2008/07/03(木) 21:58:36 ID:sMvoTLj/
>>443 現在知られている文明ではどの時代に相当する?
氷河期末期との根拠は?例えば水深で推測するであるとか
その地域とは違うパターンの遺物であるとか
それが氷河期末期時代の遺物である根拠や理由を説明願いたい
446 :
出土地不明 :2008/07/03(木) 22:03:36 ID:YPPzamlW
>>445 一言で言えば、港跡があった位置の水位。
ってか443にも書いてるけどね。
447 :
出土地不明 :2008/07/03(木) 22:17:02 ID:sMvoTLj/
だから水深何メートルにあるのか? 情報源は? それが事実なら中国で発見された最古の文明から更に遡ることになる 今までの歴史認識が覆される位の大発見だぞ! 学校の教科書も全て書き換えないといけないぜ! 地中海なんて2,000年の間に水位が相当上がっているから遺物の多くは海の中 カルタゴやギリシャ沿岸部、アレクサンドリアなども 海中から新たな発見がされている位だからな
448 :
出土地不明 :2008/07/03(木) 22:48:27 ID:YPPzamlW
>>447 >情報源は?
ナショナルジオグラフィック
うろ覚えの記憶だけど、発見したのはタイタニック発見したりしてる
水中探査では有名な水中考考古学者。
氷河期末期の海面上昇の頃にはボスポラス海峡は陸続きで、
黒海は海面上昇の影響を受けなかった。
それが地中海の水圧に押されて決壊したことで黒海の水面が急激に上昇。
(決壊の痕跡も見つかってるらしい)
その頃に当時の海岸にあった文明が大洪水に飲み込まれたわけで、
これがノアの洪水の起源かもって内容も載ってたと思う。
449 :
出土地不明 :2008/07/03(木) 22:57:21 ID:YPPzamlW
450 :
出土地不明 :2008/07/06(日) 12:03:45 ID:VNnhchrD
>>447 >地中海なんて2,000年の間に水位が相当上がっている
本当か? 初耳だ?
地中海も日本海も海は全部つながっているから地中海だけが水位が上がる事は
ありえない。これは【一時的に】水位が上がったという事か?
それとも地中海沿岸の地面が陥没したという事か?
それとも当時地中海は内海でジブラルタル海峡は閉じていたという事か?
答え求む!
451 :
出土地不明 :2008/07/06(日) 17:37:29 ID:R83/VT3B
プラトンの記述を信じるなら 「超古代国家アトランティス」は海の底でも そこの軍を打ち破った「超古代国家アテナイ」は沈んでいない訳で、遺跡が出てこないのはおかしい
452 :
出土地不明 :2008/07/06(日) 18:47:33 ID:qJmrOVh2
プラトンはその行動を書物で読む限りでは ソクラテスのように情熱的と言うよりも理性と現実主義の印象がある そのプラトンが荒唐無稽なモノを著すとは思えないね。 ドーリア人国家=アトランティスと解釈してもいいかな。 トロイア戦争時のミケーネ文明とも考えられるね。 ミケーネを滅ぼした「海の民」がそうとも考えられる。 それより千年以上前のミケーネ文明に対するクレタ文明=アトランティスかな? 口伝なので、尾ひれがついたほうが面白みがあって伝承しやすい。 そうそう、アテナイはアテネの古名。
453 :
出土地不明 :2008/07/07(月) 14:26:15 ID:dzTI9lkw
>>421 どちらにしても、きっつい労働だったのは変わりないと思う
農閑期で食事も不自由なのに肉体労働
住宅も医療もあやしいこった
454 :
出土地不明 :2008/07/07(月) 14:27:56 ID:MhSUzu4g
>>452 「クリティアス」「ティマイオス」の時系列をみると
プラトンが幼児期に聞いた話を、晩年に書き記したモノになる
...いくらプラトンが実践主義者だろうが、この話は創作だと考えた方が自然だろう
元々の話の出所がエジプトの神官からなのに、
彼らに話を聞きまくったヘロドトスの「歴史」に、アトランティスは一行たりと出てこないんだよなぁ...
455 :
出土地不明 :2008/07/07(月) 21:31:06 ID:5wzK6gJ3
>>447 >>448 海水面はここ6000年間ほとんど変わっていない。
むしろ沖積平野が拡大し、平地がどんどん海に突きだしている時代。
ギリシア・ローマ時代の遺跡が逆に沈んでいる地域もあるが、
それらは基礎工事の不備や水の組み上げによる地盤沈下が原因。
456 :
出土地不明 :2008/07/07(月) 21:33:48 ID:5wzK6gJ3
>>454 一応アトランティスはヘロドトスにも登場するぞ。
もっともモロッコのアトラス山のふもとの砂漠地帯の住民として
アタランテス人、アトランテス人という名前が登場するだけだが。
457 :
出土地不明 :2008/07/10(木) 14:24:31 ID:vPW2PW3Z
急に発祥したんじゃなくて、文字が残っててある程度解読可能だから、 その史料の年代に急に発祥したように見えるだけだろ。 当然文字の無かった時代から長い時間をかけて、連続的に発展しているはず。 その条件は、定住・農耕に適した肥沃な大河の流域の平原で、 気候が温暖かつ暑すぎないこと。 なおかつ、人類発祥のアフリカから、できるだけ近い場所。 そうなるとナイル→メソポタミア→インダス→黄河ってのは、ごく自然な流れだろう。 この4つは地理的にも近いから、相互の影響で発展の速度が上がったんだろう。
458 :
出土地不明 :2008/07/11(金) 02:10:09 ID:CWOs+Qty
黄河はどうなのか・・・? チベット越えすんの大変じゃね
459 :
出土地不明 :2008/07/11(金) 02:11:18 ID:CWOs+Qty
黄河以前にもあったし
460 :
出土地不明 :2008/07/11(金) 06:41:40 ID:X4hx3aPO
>>457 人類起源=アフリカは、まだ確定してない
461 :
出土地不明 :2008/07/11(金) 11:55:21 ID:ZxkGhIju
確定はしてなくてもミトコンドリア分析からするときわめて有力じゃね? 少なくとも主要勢力は。
462 :
出土地不明 :2008/07/11(金) 11:57:44 ID:ZxkGhIju
>>458 だから黄河文明だけちょっと異質なんじゃないかな。
遊牧民経由の間接的な接触にとどまるよね。
直接の征服による文化交流がまったく起こらなかった。
463 :
出土地不明 :2008/07/11(金) 20:36:53 ID:aUdKGEoy
黄河文明の建築物が、揚子江文明の建築物にそっくりなところが笑える(w
464 :
出土地不明 :2008/07/12(土) 01:38:57 ID:u1IrXukj
実は朝寝鼻貝塚からは6000年前の小麦とハトムギのプラントオパールも
稲と同時に検出されていて、小麦が中国よりも数千年も前から、江戸期に
伝来したハトムギが5500年以上も前から栽培されていた事になってしまい、
改めてプラントオパールの調査自体が極めて疑わしいと言わざるを得ない。
岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
465 :
出土地不明 :2008/07/12(土) 12:46:42 ID:1GXWGpst
>>461 何故か「ミトコンドリア」と言う根拠だけで主流になっちゃってるんだよね
別の遺伝子追っかけたら東南アジア〜オセアニアに行き着いたり、
オーストラリアのマンゴ湖から出土した人骨の年代測定の結果が、人類がアフリカにいた頃と丸かぶりしてたりするんだけどね
466 :
出土地不明 :2008/07/12(土) 13:33:36 ID:IqEzcQvE
>>465 母親から伝わるミトコンドリアDNAの方が解析が楽なので先行研究となったが、
最近ではゲノムDNAの解析も進み、2000年には父親からしか伝わらないY染色体でも
アフリカ説をサポートする結果が得られている。
東南アジア云々の話も2001年にScienceに発表された論文で否定されてる。
「Y染色体アダム」は6万年ほど前で、「ミトコンドリア・イヴ」よりも
年代がはるかに新しく、人類の先祖でも優秀なオスがメスを独り占めしていたことを示す。
467 :
出土地不明 :2008/07/12(土) 15:08:13 ID:IqEzcQvE
マンゴー湖湖畔のLM3(Lake Mungo 3)骨格から採種されたミトコンドリアDNAが 現世人と違うという主張も、実際のところは微妙。下の変異箇所の表は、 G. C. Adcock, et al. PNAS 98(2), 537-542 (2001)の論文に掲載されたものだが、 LM3採種のミトコンドリアDNAとCRS(Cambridge Reference Sequence, 現世人平均)の ミトコンドリアDNAは10塩基しか違っていない。現世人のミトコンドリアDNAは 標準偏差で約8塩基違うのが常であり、むしろ現世人のミトコンドリアDNAと誤差範囲。 現代のアボリジニ27人から採種されたDNAでは平均すると完全にCRSと同等だが、 個々で比較すると、23塩基に変異が認められており(全体の変異であって、固体毎の変異はもっと少ない)、 論文中で示しているようなゲノムDNAの挿入モデルなどを考えるよりも、 LM3とアボリジニのミトコンドリアDNA間で相関があるようにみえる。 ATCCCCTGACTACACTTCTCCTACATGATACACCTCGCACCTCAACTAACCTCTTTTTA CRS ....................T.G...........CT.T....T..T......TC....G LM3 ......TG......CT..TCC...A.....CA..TCG...C.C.A.T..CC.CT.T... アボリジニ平均 ......CA......TC..CTT...T.....TC..CTA...T.T.G.C..TT.TC.C... アボリジニ変異 GCTTTT.ATTC.T-.CC.C.T.GT..A...AG.T...T......G.C..T.....C... Feldhofer (ネアン) ......CAT...T..CCTA.TCGA.CACCAA...C.......AG..CCCT..A.CCC.. ボノボ ....T..ATT.....AA.C.TCGA.CA...A......TG....CG..CT.T.T.C.C.. チンパンジー
468 :
出土地不明 :2008/07/12(土) 15:26:36 ID:IqEzcQvE
↑等幅フォントじゃないと何が何やらだな・・・ orz
469 :
出土地不明 :2008/07/15(火) 17:22:49 ID:dsV7xy4O
多分誰もが突っ込んでると思うが、 「急に」は発祥していない。
470 :
出土地不明 :2008/08/09(土) 21:16:06 ID:3WQsUgQi
■古代カラにおけるシラキ王統と、その敵=ケリンの王統 ―−−【シラキ王統】――【ケリン王統(金氏)】 初代−稲飯命(日子郭居瀬命[越しの加美]) 2代−鋤日命(中鍬鍬男[ナカスキノスキオ命]) 3代−受利命(智鈷王。〔稲飯命の孫であり、天日矛[天日日子]の弟〕) 以後は、 シラキ日本府の長官。 4代−ダケ公(ヤマト朝廷が派遣) 5代−ハサ公 6代−キマ公 7代−イセ公 初代王−金・閼智王(キム・アルジ)[ケリン国=辰韓を建国] 8代−アタラ公 2代王−金・勢漢王(セハン王) 9代−バキュウ公 3代王−金・阿道王(アド王) 10代−ナケ公 4代王−金・首留王(スル王) 11代−ジョフン公 5代王−金・郁甫王(ユポ王) 12代−テンケ公 6代王−金・仇道王(クド王) 13代−ズレ公 7代王−金・味鄒王(ミチュ王) 14代−キリ公 8代王−金・末仇王(マク王) 15代−キケ公 9代王−金・奈勿王(ナモツ王=ネムル王:356年即位)[国号をケリンからシラに変える] 16代−ノチ公 10代王−金・実聖王(シルソン王) 17代−コト公 11代王−金・訥祗王(ヌルジ王)[金奈勿の息子] 18代−マボン公 <以後、935年の新羅滅亡まで、金氏の王統が続く・・・> 19代−コシヤ公 20代−イコホン公 21代−イマチ公 22代−フキ公 23代−ジチ公 24代−カンチ公 25代−クイ公(ミマナ日本府の最後の長官) 4世紀の中頃、ケリン(辰韓)の第9代王=キム・ナモツは、シラキの国司(ミコト持ち)のキケ公と戦争し勝利した。 そして、シラキ領土の東半分(現在の韓国・慶尚南道東部)をケリンに吸収し、国号をケリンから『新羅』に改めた。
471 :
出土地不明 :2008/08/24(日) 05:57:37 ID:/a5a8XF/
ナルホド 中洲薄野好き男か・・ 俺みたいな奴
472 :
出土地不明 :2008/09/17(水) 19:46:27 ID:seWPKNoo
473 :
出土地不明 :2008/09/25(木) 13:44:34 ID:nHmuto8s
474 :
出土地不明 :2008/11/08(土) 06:24:30 ID:GP81YnCH
文明が急に出来たわけじゃないと思うね 基盤が十分に整っていたうえでの大文明だから、大文明以前数千年のバックボーン があったと見なしていいと思う
475 :
出土地不明 :2008/11/08(土) 21:09:08 ID:0mbwRogQ
急に没落した ってのなら話はわかる。
476 :
出土地不明 :2008/11/23(日) 20:01:38 ID:EKFPlM8F
>>457 人類発祥のアフリカから、できるだけ近い場所。
そうなるとナイル→メソポタミア→インダス→黄河ってのは、ごく自然な流れだろう。
先史時代の海上交通による文化伝播はどうなんだろう?外洋交通は意外と古いと言われてるけど。
477 :
出土地不明 :2008/11/27(木) 10:19:39 ID:kyoOwlWI
四魂の玉が砕け散ったのじゃ
478 :
出土地不明 :2008/12/27(土) 06:43:07 ID:11zkXgLp
急な発祥に見えるのは見かけだけ それ以前の蓄積が有ってそうなった 食べるためだけの労働から解放された人達が文字の発明、冶金の技術進歩に貢献出来る様になった まあここで書く迄も無いが
479 :
出土地不明 :2008/12/27(土) 12:07:22 ID:/TllbIYX
四大文明は発見されただけの分だお。 まだまだ未発見の分があるですお。 インディージョーンズ博士の探検はまだまだ続く・・・
480 :
出土地不明 :2008/12/27(土) 12:24:34 ID:dektCklZ
そうだね。急だと思うなら一度600万年前から遡って人間の歴史を excelの1セル=100年くらいにしてざっくり年表を自力で作ってみると 面白い。6万セル必要だけどw いまやってるんだけど最初はほとんど書くことなくて空欄だがとりあえず3000年前に至るまでどれだけ 長いことか。とりあえず1万2000年前までは1セル=1万年くらいにしないと かなり疲れるんだがそうすると人間の歴史の長さを実感できないからなぁ。。 今の人間と割と近くて遜色ない頭脳を持った人間、あるいは人間モドキならそんだけ長く種を保存しながら 集団社会生活による分業制で生きながらえてきたからには、暇も出てくるだろうし何かしらやってきただろう。 そもそも地域特有の文化を何万年後にも”残す”なんて至難の業だっただろうね。 ”残す”かのように文明を気づけてきたのがたったの1万2千年前としても。。 (オーストラリアやフランスの壁画は別格として) あと日本だけ(分かる範囲で)作った場合、やってみると、異様に縄文時代が長くて面白い。 けど、人間の歴史全体からみると、縄文時代からいきなり日本に文化が、とは考えにくい。 さぞかし跡形もなく消え去った文明があるんだろうな、と思わずにはいられない。 それで、歴史学ていうより、考古学分野の歴史にはまりだすw
481 :
480 :2008/12/27(土) 13:01:09 ID:dektCklZ
そして今ハマっている年表づくりはやっぱり南米。盛衰の視点から見ておいしい歴史がてんこもりだよね。 とくに、チチカカ湖にはまってるんだけど、ここって神秘の湖だね。行ってみたい。 日本の四国くらいの大きさにもかかわらず、しかも富士山以上に高地の湖で、さらに高地、いや、上空からしか 見えないような湖の形、チチ=ピューマ だって思ったこと自体、不思議すぐる。月なら地上から見て、ウサギが餅つきとか言えるのはわかるけど。 どっから見てピューマだって思ったんだろ。そんな人たちの文明がなぜ”急”に・・・?チラ裏すまそ
482 :
出土地不明 :2008/12/28(日) 03:43:00 ID:2/Tv91Iu
文明というのは文字の発明があって、知識の蓄積が可能になったから 文字のない社会から急速に発展したんだろう。 今で言えば情報革命が起こったことになる。文字の無い古代文明など ないし、周辺蛮族は文字をもっていなかっただろう。
483 :
出土地不明 :2008/12/28(日) 04:58:55 ID:FVQvG4qe
中南米の文明は文字なかったんじゃなかったか? キープはあったけど
484 :
出土地不明 :2008/12/30(火) 21:14:39 ID:/A27wdNo
age
485 :
出土地不明 :2008/12/31(水) 02:12:04 ID:K8PRiMLT
>>482 お説ご尤もっとも
ニワトリが先か卵が先かじゃないけど
文字を発明するほど時間に余裕が出来たのでさらに正のフィードバックにより
加速度的に進歩したというのはどうかな?
486 :
出土地不明 :2009/01/01(木) 09:09:18 ID:32azQuzH
池■田大■作の本名はソン・テチャク。小泉純一郎、小沢一朗は朝鮮人。
911では小型の水爆が使用されている。
http://ri ■ch■ardkosh■im■izu.at.webry.info/
創価の保険金殺人事件。
オウム事件は、統一・創価.北朝鮮の共同犯行である。CIAが監修している。
http://www15.ocn.ne.jp/~oy ■ako■don/kok_web■site/ir■iguc■hi.htm
与党も野党もメディアも全部朝鮮人だった。
http://jb ■bs.li■vedo■or.jp/b■bs/read.cgi/news/20■92/115794■1306/
2チャン寝るは「■とう■■■一■教■■会■」が 運■■■営して「個人じョうホう」を収集してる。
駅前で「■手■■■相を見せてください」 と「カンユウ」してるのが「■とう■■■一■教■■会■」。(カ■■■ルト宗■教)
カ■■■ルト宗■教の下にいる人と、上にいる奴を分けて考えないといけない。
下にいる利用される人は上がどんなことをしてるか知らない。
ユダヤ権力の子分→2ちゃん運営=「とう★■■一■教★■★会」上層部=層化上層部=自■民党清■和会=野党の朝■鮮■人ハーフの政治家=
与党の朝■鮮■人ハーフの政治家=金■ 正■■日(キ■ム・ジ■ョンイル )=読売サンケイ=小沢十朗
ユダヤ人=ロックフェラー=ブッシュ=クリントン=ヒラリー=アドルフ・ヒトラー=オサマ・ビンラディン
毎■日■■■新聞スレを荒らしてる奴らも「■とう■■■一■教■■■会■」。
荒らしは洗脳するために「ネトウヨ」などのレッテル付けレスを何千回もする。
現実には「ネトウヨ」などは存在しない。
http://changi.2ch.net/test/read.cgi/ms/1230363385/
487 :
出土地不明 :2009/01/03(土) 20:47:18 ID:Yutrsgbe
1、インダス文字と楔形文字の両方が併記された碑文が見つかる。 (インダス文字とロンゴロンゴがクリソツ。見比べてみたが全く同じ形の文字が多数) 2、殷墟に遷都する前の殷中期の遺跡を発掘する(中国政府は嫌がるだろうが人工衛星で地下をレーダー探査) 甲骨文字の元になる文字が見つかるかも。 この二つでかなり解決すると思う。
488 :
出土地不明 :2009/01/03(土) 21:04:36 ID:Yutrsgbe
メソポタミアのシュメール人が起源とされるトルクメニスタン南部のアナウ文化の 担い手の末裔が中国にやって来て夏王朝を作ったという説もある。 2001年にはアナウで文字らしきものが発見されたと言う話もあった。もし本当なら 甲骨文字の原型も見つかるかもしれない。 夏王朝が文字をもし使用したとしても王家の秘伝とかだからまだ見つからないのかもしれない。 殷中期の遺跡を見つけるのが先決だが。
489 :
出土地不明 :2009/01/06(火) 20:01:05 ID:syrwRhFe
<丶`∀´>韓国人が古代四文明の地に移民したんだニダ
490 :
出土地不明 :2009/01/06(火) 23:22:37 ID:5Ybihs5m
韓国には本気でそれを唱えてる学者がいるらしいなw
491 :
出土地不明 :2009/01/07(水) 09:24:47 ID:I++176VX
学者とか言っても、さすがに民間レベルでしょう 一応、大学教授とかは与していないはず
492 :
出土地不明 :2009/01/07(水) 11:23:51 ID:RcWmFnoQ
493 :
出土地不明 :2009/01/08(木) 03:28:36 ID:e31onObT
電波
494 :
出土地不明 :2009/01/10(土) 12:27:28 ID:ON1Mlmbc
インダス文字=ロンゴロンゴは定説
495 :
出土地不明 :2009/01/10(土) 17:03:38 ID:RWVvQyJe
定説からほど遠い。 似ていると主張している人は、インダス文字の中で ロンゴロンゴ文字と似ている部分を取りだしているだけで、 インダス文字全体と比べれば、ロンゴロンゴ文字は全然違う体系であることは一目瞭然。 楔形文字の原型であるウルク文字もロンゴロンゴ文字と似ている部分があるけど、 こちらは楔形文字への進化の過程がわかっており、むしろロンゴロンゴ文字に見られる 絵文字表現はどこの場所でも最初に考案される形であることがよくわかる。
496 :
出土地不明 :2009/01/11(日) 16:19:36 ID:BHywPlL5
インダス文字は400文字程度あるそうだが、長い文章を書くようには使用されて居ないと言う説も聞いたことがある。 単語だけで使用していて物の所有者の名前とかそういうのに使用していている。 10文字以下の短い文字がほとんどで長文はあまり無い。 だから牛の絵とインダス文字で「この牛は○○の所有物」とか「100ルピーで金1gと交換可能」とか「この家は3階建て」とか 単発的にあるだけ。長文じゃなくて短文なのでなかなか解読しにくいと言う説。 またインダス文字と動物の絵(牛が多い)をセットで意味をなすと言う説もある。
497 :
出土地不明 :2009/01/13(火) 16:45:58 ID:AlnF1lx2
4万あるとかいうマヤ文字って一体どうやって解読すればいいの?
498 :
出土地不明 :2009/01/13(火) 21:34:57 ID:NxYaCQ3/
マヤ文字の種類は800文字程度だぞ。 むしろ解読されている方の部類だろ(文章の9割は解読されているといわれている)。 そりゃまだ完全には解読されていないが、 甲骨文字や初期シュメルの文字だって、100%は解読されていない。
499 :
出土地不明 :2009/02/04(水) 02:08:48 ID:7XH+ZqQK
age
500 :
出土地不明 :2009/02/10(火) 13:38:27 ID:QLuObxiI
おそらくインダス文明はレンガを作るために薪を多く必要として、森林を伐採しすぎたために 砂漠化して滅んだんだろうと思う。
501 :
出土地不明 :2009/02/10(火) 20:04:29 ID:VrlPtnuB
>>500 文明エリアの森林が多少破壊されはしただろうけど、
それが原因で砂漠化したなんてこたー100%ないw
ま、そういう説があることは知ってるけどね。
502 :
出土地不明 :2009/02/22(日) 08:22:52 ID:MGrDLTPP
>>501 それは
「当時の文明による森林の伐採程度では砂漠化する事はない」
と言う事?
503 :
出土地不明 :2009/02/23(月) 01:51:27 ID:cDRttwgy
>>502 当時の文明の都市人口から考えて、
砂漠化の範囲が広すぎるということ。
伐採による砂漠化よりも自然環境の変化による砂漠化というのが妥当。
逆に当時の文明よりも高度化・大規模化して
焼成煉瓦が大量に作られただろう後続文明地域で砂漠化が起きてないことをどう説明するんだ?
504 :
出土地不明 :2009/05/21(木) 10:52:55 ID:kJOTp16N
文明というのはモノジェネシスなのかな。
505 :
出土地不明 :2009/06/09(火) 20:19:03 ID:E1Iw3wJP
インダス文字と古代蜀王国の文字は酷似している。インダス文字が判明したら これも解読できるでしょう。問題はインダス文字を解読しないと手がかりすら得られない事だが。 古代蜀文字を解読できたら中国政府から数億円もらえるそうだ。 インダス文字とロンゴロンゴが似ている説は確かにある。似た文字が結構あるのは事実だが全く似ていない文字も かなりあるので一概にイコールではないね。
506 :
宇宙人 :2009/07/30(木) 02:04:13 ID:zFzLqizw
あなたたちは原始人ですねーw 約5200年前に地球規模の大災害が起こりまして 前の文明は崩壊してしまったのよん 99.9%の人類が死んだのですた。生き残りは原始生活に戻ったのです 高山で助かった人間たちは1000年間、怖くて低地に下りなかったのれす 高地の原始人たちに世界周期の基礎理論や農業を教えたのが宇宙人ですた 聖書編纂や宗教を教えたのも宇宙人なのよん。 バカな原始人たちは、すぐに争うからね〜。猿のゲノムは失敗だったかな? 次は2012年、26000年の周期の初めになるねー どのくらい生き残るんだろーねー。
507 :
出土地不明 :2009/08/01(土) 09:16:58 ID:iRKdfksK
インダス文明は日本の神代文字ですべて読める!!
508 :
出土地不明 :2009/08/31(月) 10:43:26 ID:bIXd2lz7
どうやって? インダス文明は紋章に書いてあるような坐法をくんだ瞑想はすごいです。 これ一点に限れば古代文明の中で一番優れてると思う。
509 :
出土地不明 :2009/09/07(月) 11:16:25 ID:X8kMAUYr
てst
510 :
出土地不明 :2009/09/07(月) 11:17:59 ID:X8kMAUYr
ロシアとか東方の方に遊牧系の宗教的な文明が在る筈だと思うんだが心当たりがある人はいないか?
511 :
是正 :2009/09/07(月) 11:25:53 ID:X8kMAUYr
遊牧系の宗教的な文明→(その流れの一分は?)遊牧民のルーツになった宗教的な文明
512 :
出土地不明 :2009/09/07(月) 15:47:48 ID:GadN3Om9
モノリスしらないのか…
513 :
出土地不明 :2009/09/07(月) 19:30:53 ID:irLcRqmK
>>510 地下都市の事?
深入りすると拉致殺害されちゃうよ
514 :
出土地不明 :2009/09/08(火) 04:49:07 ID:BDIVZUcM
515 :
出土地不明 :2009/09/08(火) 05:30:56 ID:sCgi74ff
ヒマラヤ山脈の麓に「海抜5000mの村」がある 彼ら200人は遊牧民であると同時に定住者でもある 彼らにとって2000頭の羊は全て たかだか数センチ程度にか生えずにしかも点在するだけの牧草?が羊の食糧 最高気温零下20℃の冬は凍結した湖の真ん中にある島に渡り枯れ草を食べて春を待つ 夏は20℃近くまで上昇することもあるが、昼には湖の水が蒸発して雲になり 昼過ぎには雪が降って一気に3℃まで気温が下がる 最近までの彼らは羊の乳と肉が食糧の全て 羊毛を紡いで1週間はかかる道のりを経て交易を行ない茶やお菓子や煙草を買う 糞は暖炉用で灰は凍結した島に渡るための滑り止め用として徹底活用される かつて隔絶された環境の彼らにも独自の文化・文明はあった 但し文化大革命で破壊されてしまったがね だから条件の良い海抜が低くて湿潤な場所では桁違いの定住者を抱えることも可能
516 :
出土地不明 :2009/09/13(日) 03:11:42 ID:dnRMUxzs
インダス文明の壁画にかかれている瞑想と坐法は邪念を消してよからぬことを防ぎます インダス文明が滅んだあとにアーリア人が支配しなければもしかしたら坐法による瞑想や インダス文字が解明されたかもしれません
517 :
出土地不明 :2009/09/15(火) 20:48:09 ID:2iLNGuyj
「世界四大文明」なんて世界じゃ通用しないだろw
518 :
出土地不明 :2009/11/03(火) 23:43:13 ID:u7jTDCHU
519 :
出土地不明 :2009/11/05(木) 01:21:07 ID:oAF6UKAL
人間はある時偶然に神様を拾ったんだよ・・ それが全ての始まりなんだよ
520 :
出土地不明 :2009/11/23(月) 00:04:18 ID:5AvxXkm9
インダス文字は表意文字と表音文字両方を使う文字体系って説をどっかで聞いたな。 日本語で言えば漢字に相当するのがインダス絵+ひらがなカタカナに相当するインダス文字。
521 :
出土地不明 :2009/12/13(日) 12:11:20 ID:g2qKzc2X
age
522 :
出土地不明 :2009/12/23(水) 13:37:03 ID:wpP9aM4S
>>520 車輪のようなマークは太陽を意味するって説も有る。表意文字か。
523 :
出土地不明 :2009/12/27(日) 19:42:07 ID:ZRofN0OL
524 :
出土地不明 :2010/01/03(日) 03:32:56 ID:B6UTJ5pD
>>516 インダス文明人はアーリア人から感染したインフルエンザで壊滅したんだっけ?
黄河文明(漢族)は四大文明にあらず、それより八千年も古い長江文明(非漢族)こそふさわしい。
それは平和な農耕社会であり、温帯ジャポニカ水稲と弥生人(倭人、長江文明人)の故郷でもあった。
525 :
出土地不明 :2010/04/07(水) 00:48:17 ID:F/EXHRsY
526 :
出土地不明 :2010/04/07(水) 00:53:00 ID:F/EXHRsY
>>466 人間が哺乳類のなかでは、体の大きさと性器の大きさの比率が
でかいというのは、やっぱりそういうことだったのか!
527 :
浅し :2010/04/27(火) 23:52:22 ID:HsKmtyE1
色々あるんですね。
528 :
出土地不明 :2010/04/27(火) 23:54:39 ID:HsKmtyE1
ほかにもあるのかな・・・
529 :
出土地不明 :2010/05/11(火) 20:52:30 ID:c1bASbFR
文字の存在がでかいな。南米にも文明はあったけど長い事文字は生まれなかった。マヤ文字も 四大文明から比べるとだいぶ後だし。文字が発達すると文明は急速に発展して周辺地域に広がる。 文字がないと文化の拡散に乏しい。 メソポタミア文明・エジプト文明・インダス文明・中国文明(黄河文明+長江文明)+ギリシャ文明の 4+1がこれに該当する。なぜギリシャ文明を加えて五大文明にしないのか不思議である。 線文字Aとか紀元前20世紀のクレタ島で使われているのに五大文明にふさわしいはずなんだが。 それから長江文明も巴蜀文字とかが未解明だけど物凄く古いし黄河文明と別けて考えたら六大文明かもしれない(さすがにこれは個人的にも無理があると思うけどギリシャは入れたほうが良いと思う)
530 :
出土地不明 :2010/05/13(木) 22:18:47 ID:9TlMqy3H
正確には五大文明が正しい黄河文明と長江文明は中国文明としてひとまとめにする。 南米のアマゾンの文明とかは文字が無いので含めない。
531 :
出土地不明 :2010/05/14(金) 05:21:22 ID:skx4/qRS
文字あったけど
532 :
出土地不明 :2010/05/14(金) 05:25:47 ID:skx4/qRS
巨石建造物や大規模灌漑農耕など文明に値する
533 :
出土地不明 :2010/05/20(木) 15:01:38 ID:iulY+GVb
沖縄の海底ピラミッドが本格調査されるのは何時ですか。
534 :
出土地不明 :2010/05/21(金) 15:34:33 ID:KsZ+Qwhs
1、メソポタミア文明(シュメール文明) 2、エジプト文明 3、インダス文明 4、黄河文明 5、長江文明 6、エーゲ文明 7、トランス・エラム文明 8、オクサス文明(バクトリア・マルギアナ複合) 現在は八大文明と呼ぶのがふさわしい。 文字(もしくは文字と思われる物)、農耕牧畜定住民(非狩猟・非遊牧)、巨大建造物、高度な土器、強力な指導者の存在 神話体系の確立、遠方との交易・・・これら全てを満たした物は文明に値する。 定住しないで文字を持たない遊牧民はこの限りではない。メソアメリカのオルメカ文明が文字を持っているようなので これに加えて九大文明とするのもあり。
535 :
出土地不明 :2010/05/21(金) 16:07:13 ID:KsZ+Qwhs
八大文明の伝播経路 1、メソポタミア文明→エジプト文明→エーゲ文明=西洋文明 2、メソポタミア文明→トランス・エラム文明→オクサス文明→黄河文明=東洋文明 3、メソポタミア文明→トランス・エラム文明→インダス文明→長江文明=南方文明(インド・東南アジア・中国南部)・・・→倭国文明 そして、メソポタミア文明の最北部のアナトリア(現トルコ)から文字を忘れて、或いは文字を持たない連中が 遊牧民となりカスピ海を境に東へ向かった者達がモンゴル高原や中央アジアの遊牧民になり後に中国を脅かし、西に向かった者達がヨーロッパ北部の遊牧民 になり後にローマを脅かす。彼ら遊牧民は定住せず文字を持たず巨大建造物も持たず長い間部族単位で行動していた。 文化と呼べる物はあったが文明とは言えない。 メソアメリカにあった、マヤ文明の前身オルメカ文明に至っては系統不明である。
536 :
出土地不明 :2010/05/22(土) 04:11:14 ID:Atv0zpbM
独自の文明なんだから系統も何もアメリカ独自の系統だろ。
537 :
出土地不明 :2010/05/22(土) 08:33:40 ID:AYHNBjUF
上記の八大文明は全て何らかの形で現代文明に影響を与えている。アメリカのオルメカ文明は 紀元前1200年で若干新しい上に現代文明とは直接関係ない異質な文明。 周りに学ぶ相手も交易相手もいないのにどうやって独自の文明を作ったのかは一切不明。 他の文明はお互いが交易しており影響を与え合ったのが分かるのだが。
538 :
出土地不明 :2010/05/23(日) 04:25:25 ID:wJU/9i2M
現代文明への影響なんてのは文明かどうかとは関係がないね。 何で学ぶ相手がいないと文明が生まれた理由が不明だなんてことになるんだよ? ユーラシアの文明も最初は宇宙人にでも教わったとでも言うの? アメリカの文明も発生初期のユーラシアの文明のように彼ら独自で生み出したんだよ。
539 :
出土地不明 :2010/05/23(日) 04:31:37 ID:wJU/9i2M
隔絶されているのだから成立した年代なども関係ない。
540 :
出土地不明 :2010/05/23(日) 04:34:50 ID:wJU/9i2M
文明の起源をすべて一つから派生したように言うからおかしくなるんだよ。
541 :
出土地不明 :2010/05/23(日) 10:58:54 ID:5iXz4uC/
メソポタミア文明もエジプト文明もトランスエラム文明もインダス文明もオクサス文明も 相互に交流しあって発展したが、メソアメリカの文明だけは隣の文明が存在しない。 一つの文明から発生したというよりも互いに影響を与えあって文明が進化した感じである。 メソアメリカにも他に競合するような文明が生まれて交流しあえるような感じだったらヨーロッパの侵略を防ぐだけの 力が手に入っていたかもしれない。ユーラシア大陸の文明は隣に競合する文明があったので 時に交易し時に争い互いに影響し合って発展していった。これがユーラシア文明がメソアメリカの文明を圧倒した理由だろう。 孤立した文明はやはり発展に限りがあるようだ。
542 :
出土地不明 :2010/05/23(日) 11:05:08 ID:5iXz4uC/
隣の文明は貿易相手であるとともに競争相手でもあるライバル関係。自分たちに無い物を相手から習得し また相手に無い物を習得させてやる。時に争いも起こり戦争になる事もある。 相手を超えようと考えたり優れた文化を吸収しようとしたりして両方とも発展していく。 南米の文明は孤立していたので発展が遅れてしまった。自分たちが唯一ならば学ぶ相手も学ばせる相手も無いし 攻められる心配もないが攻める事もない。外部からの刺激が無いと文明の発展は著しく遅れる。 スペイン人が南米にやってこなくて現在もマヤ文明が存在し続けていたらようやく鉄器を使い始めた段階で産業革命は まだ起きてなかっただろう。
543 :
出土地不明 :2010/05/23(日) 16:22:26 ID:5iXz4uC/
オルメカ文明はマヤ文明に発展してユーラシアの主要八大文明とは隔絶されて栄えた。 文字をもっていたのもオルメカ→マヤの文明ただ一つ。他は縄の結び目で伝達手段をになっていたのと 対象的。どうしてほかのアメリカの文明に文字が生まれずオルメカ→マヤでだけ生じたのか?そして、他のアステカやインカでは なぜ文字が生じなかったのか?こういうユーラシアとの違いも興味深い。 マヤ文字とオルメカ文字の両方が表記されたロゼッタストーン的な物の発見が待たれる。
544 :
出土地不明 :2010/05/23(日) 20:30:17 ID:Ts92uHYa
例えばロンゴロンゴは西洋人の文字をまねて作ったのでは、という説があるでしょ? オルメカの年代測定って実際の所、正確なのかな? 紀元後ならばバイキングや中国人が渡米していた事は判ってるから、 そっちの線は無いのだろうか。
545 :
出土地不明 :2010/05/24(月) 03:50:00 ID:ANLLbiUX
ないだろ。
546 :
出土地不明 :2010/05/24(月) 04:20:15 ID:ANLLbiUX
バイキングが行ったのはグリーンランドだし、中国人は眉唾。
547 :
出土地不明 :2010/05/24(月) 07:38:01 ID:U4cGsG/7
>>544 オルメカは文明が発生したの紀元前1100年ごろで文字が出来たのが
紀元前800年ごろと言われている。当たり前だけどマヤよりも古い。ユーラシアでは
その頃8大文明どころかその派生の文明が世界中で発生している段階。
でもアメリカ大陸まで渡ってこれたかな?
ギリシャから中国に直接行くぐらい大変だと思うけどな。馬車とかラクダ利用したら
物理的には行けない事も無いが遊牧民とのいざこざは避けられないし・・・・
まず太平洋や大西洋を渡れる技術が当時のギリシャ人や中国人にあったかどうかだな。
548 :
出土地不明 :2010/05/24(月) 07:42:38 ID:U4cGsG/7
>>546 マヤとかでモンゴロイドと思われる人物の石造が見つかっているからね。その線では?
細めのラーメンマンみたいな顔した石造がモンゴロイドに見える説がある。
明らかに現地の人間をかたどった石造と顔が違う。現地の人間の石造はそれぞれ
顔違うが同じ人種であろうと推測される。でもオルメカのは黒人ぽい顔だと言われている。
アフリカ人がアメリカにわたってきた可能性はほぼ無いと思うが謎だ。
549 :
出土地不明 :2010/05/24(月) 08:55:40 ID:ANLLbiUX
アメリカの先住民もモンゴロイドだけど。 石像じゃちょっと根拠とするにはどうかね。 太平洋の島嶼民は南米まで行ってサツマイモなどを持ち帰って栽培していたから、 それなりの交流はあったかもしれないが、東アジアの人間が直接行ったというのは眉唾。
550 :
出土地不明 :2010/05/25(火) 10:30:26 ID:F3fNHMAu
>>549 オルメカ文明の石造はほとんどがネグロイドを思わせる大きな目と厚い唇をしていて
現地のインディオたちとは似ても似つかない。だからアフリカ人が漁に出ていて嵐に巻き込まれて
アメリカ大陸に流されて帰れなくなり、そこで文明を作った説がある。
あと他にも目が細くておかっぱ頭で古い漢服を着ていると思われるモンゴロイド風の石造もあるし
コーカソイドっぽい石造も見つかっている。
アフリカ人が流された説、ギリシャ人がエジプトから征服に行った説、中国人が来た説、縄文人が文明を築いた説
と様々な説がある
アフリカ人説は上に上げたとおりだが、中国人説は何でも甲骨文字にソックリな文字が出たとか。縄文人説は縄文土器がアメリカで
見つかったらしいから。ギリシャ人説はクレタ島の文明が崩壊して逃げた連中が新天地を求めてエジプト経由でやってきたと言うもの。
でも独自に発展したと言う説も根強い。
オルメカ文字が紀元前900年〜800年頃に書かれた様なので他の文明では既に文字は完成していた時期ではある。
何とか解読出切れば判明するかもしれない。マヤ文明の原型だから南米の文明の発展過程が分かってきそうだ。
551 :
出土地不明 :2010/05/25(火) 10:33:33 ID:F3fNHMAu
正直縄文人説はねーよと思ったけどね。アフリカ人もエジプトに居たから文字を知っている知識人が 漂着したのなら有りかもしれない。でも文明が外から来たかもしれない説を唱えているのは欧米人と中国人と日本人だけで 現地の人は自分達の先祖が独自に作り上げた文明だと言ってるんだけどね。
552 :
出土地不明 :2010/05/26(水) 10:03:25 ID:EKJYhNwr
ユーラシア八大文明+オルメカ文明の九文明が真の意味での文明であると言える。 四大文明はもう古い概念。 四大文明は確かに周りを超越しているがその周辺の中継地点に独自文明が発展していた事実を忘れてはならない。 1、ギリシャ・クレタ・キプロス一帯のエーゲ文明。紀元前3000年以上前から独自の文明があった。エジプト文明とのかかわりが深い。 2、ペルシャのトランスエラム文明。隣国のメソポタミア文明とほぼ同時に発生して互いに影響を与え合った文明でメソポタミア文明とインダス文明の 橋渡しをしている。 3、トランスエラム文明の北東に位置する中央アジア諸国のオクサス文明。北に後のシルククロードともなった遊牧民の文化。南西にトランスエラム文明、南にインダス文明 が存在し後にインドを征服したアーリア人の故地とも。また遊牧民とも友好的で黄河文明との結びつきも考えられている。 トランスエラム文明・インダス文明・黄河文明の中継地点としても良い位置にある。 特に黄河文明はメソポタミアやトランスエラムから離れすぎているが中間地点のオクサスからなら馬車に乗れば割と近め 4、中国南部に発生した長江文明。畑作中心の黄河文明に対して稲作中心の文明。上流の巴蜀文化はインダス文明との関わりが見え隠れする。インダスとの交易のためには ジャングルを越えないといけないが、当時の現地人は普通にジャングルを越えて行き来していた。その中にはインダスまで行った人も居ただろう。
553 :
出土地不明 :2010/05/26(水) 10:09:41 ID:EKJYhNwr
長江文明・トランスエラム文明・オクサス文明・エーゲ文明とオルメカ文明が四大文明に匹敵する文明だ(本当は日本も入れて十大文明にしたいがやめておく) メソポタミアと黄河は離れすぎているが途中にトランスエラムとオクサスというメソポタミアに匹敵する文明が存在するので距離はぐっと近くなる。 影響を与えるのは十分可能。特にオクサス文明はアナウ文化もすぐ近くにあるし東西の文明の中継地点としては場所的にも的確。 発掘が始まったばかりでまだまだその全貌が掴めないがかなり独自の文明を築いている。 文字らしき物も発見されているし、各種の像も独自の物。アーリア人の源流だとすると非常に面白い。 ただトルクメニスタンとかその辺なので発掘が滞っているような気がする。
554 :
出土地不明 :2010/05/26(水) 10:12:28 ID:EKJYhNwr
555 :
出土地不明 :2010/05/27(木) 01:13:30 ID:w7HwrjJA
文明と文化の違いを教えてくれ
556 :
出土地不明 :2010/05/30(日) 15:49:39 ID:f5LPMDHq
黄河文明ってほんとにあったのかな
557 :
出土地不明 :2010/05/31(月) 00:21:12 ID:QrN4L6Nt
>>556 あるよ、夏もおそらくはある。だが彼らの自称は夏ではない。とてつもなく古い遺跡がよく出てくる。
しかし、夏王朝は紀元前20世紀〜18世紀ぐらいで言われているよりは古くない。
それ以前は原始時代であり、三皇五帝とかは完全に架空の存在。
ハッキリ言って夏以前は長江文明の方が栄えていた。
558 :
出土地不明 :2010/06/08(火) 22:40:44 ID:KJvjorI8
>>555 文化は広い意味で同じ風俗で同じ風習で同じ様な暮らしをしている全般をさす。
文明は技術革新と社会が急速に発展してそれまでとは全然違う都市文化が生まれて
周囲に影響を及ぼすようになった物・・・・でいいかな?
現在に繋がる文化を生み出した物を文明。
559 :
出土地不明 :2010/06/12(土) 21:27:15 ID:3CDBHGJS
縄文時代の巨大集落とかは文明って言っていいの?農耕も縄文中期にはもう行っていたみたいだし
560 :
出土地不明 :2010/06/12(土) 22:39:24 ID:OGzVI1w+
>>559 文明は国家体制が確立(別に全土を統一する必要は無い)してからだと思うので。邪馬台国か奴国の建国ぐらいにならないと
文明とはいえないと思う。だから文化のレベルで留まっていると思われる。
何らかの国家体制が出来て周辺部族を従えるような権力の発生が文明の条件の一つ。もちろん農耕の開始も文明の条件の一つだが。
561 :
出土地不明 :2010/06/18(金) 14:52:39 ID:GJf39LvP
イラク エジプト インド 中国北部 中国南部 ギリシャ イラン 中央アジア(トルクメニスタン・ウズベキスタン・タジキスタン・アフガニスタン北部) メキシコ この現在の9ヶ所が文明発生地点
562 :
出土地不明 :2010/06/23(水) 03:57:48 ID:EUGxbKGA
ギリシャやメキシコは無理じゃん? 文明構築レベルまでになるには大量の生活余力が必要で、 大量の生活余力を作るには広大で肥沃な農業地が必要だしな。 小規模で生活余力ができて多少の技術革新とかはあっても、 世界四大文明が作り出す余力に比べれば微々たるもんだろうし。
563 :
出土地不明 :2010/06/23(水) 03:59:45 ID:EUGxbKGA
新大陸でいえばメキシコよりも南米の方が可能性高くないか? 南米の東側、アマゾン流域に初期文明ができてそれが広がった希ガス。 なんで滅びたのかはわからんけどね。
564 :
出土地不明 :2010/06/23(水) 16:27:15 ID:bIn4ZJ+Z
>>663 アマゾン川流域って年中スコールで毒蛇とか毒蜘蛛が出てくるような不毛地帯で今もインディオが細々と
焼き畑農業やっているが国家を作れるほどの文明だったかな?
モホス平原の文明があると言われているが・・・・アマゾン川はナイル川とかチグリス・ユーフラテス川と違って
住みにくそう。野生生物が大勢居るから食料には困らな無そうだが、逆に猛獣や毒を持った生物が一杯居るからちょっと住みたくないな。
しかし、なぜアマゾン川なんだろうな?四大文明と比較的似た条件のミシシッピー川の方が文明を築くのに適切だと思う少なくともジャングルに囲まれた
アマゾン川よりも。しかし、ミシシッピー川に文明が誕生した形跡が無い。ついでに言うとガンジス川もインダス文明が滅ぶまで文明が生じた形跡が無い。
メコン川はアマゾン川に近い環境だから分かるんだが。
ミシシッピー川やガンジス川こそ文明が誕生してもおかしくは無かったはず。長江と同じくね。
565 :
出土地不明 :2010/06/23(水) 17:26:22 ID:HLHFSAUy
じゃあ尚更メキシコに文明が発生するわきゃないな。
566 :
出土地不明 :2010/06/25(金) 00:27:50 ID:Fz1+VRBs
エーゲ文明のギリシャに関してはギリシャ本土よりもキラデスク諸島とクレタ島の文明が 文明の源流でミノア文明・ミケーネ文明を築きそれがギリシャ本土やキプロス島に波及した感じ。 河は無いがクレタ島には海があるのが強みだ。ここから西洋文明の源流が生まれた。 かなり重要な文明で東洋でいえば黄河文明並みに重要な文明だ。
567 :
出土地不明 :2010/06/25(金) 00:41:55 ID:u8hU4/iV
南北米大陸に文明がなかなか発達しなかったのは、大陸が南北に延びているせいらしいぞ。 あと、主要な農作物がトウモロコシしかなかったこととか、適当な家畜がいなかったこととか。 「銃・病原菌・鉄」とか読むとその辺詳しく考察してる。
568 :
出土地不明 :2010/07/28(水) 22:12:56 ID:oj8EFNis
四大文明の相違点って何でしょうか。 どうもよくわからなくて・・・・ 教えてください偉い人!
569 :
出土地不明 :
2010/08/02(月) 14:49:53 ID:JXDd7tXs 場所が違う