1 :
出土地不明:
縄文中期紀元前3500年前にも各地で
出土する勾玉、弥生時代は出雲産が有名ですが
日本古来の宝石だったのでは?
2 :
出土地不明:2005/10/13(木) 18:06:52 ID:nESL5T7B
>>1 >日本古来の宝石だったのでは?
日本以前からのね。
3 :
出土地不明:2005/10/13(木) 18:56:20 ID:+oo9NJ2p
勾玉の材料であるヒスイは長い間国内では産地を確認出来なかった。
そんな事で、東南アジアなどとの交易で得たものとかんがえられていた。
ところが、1939年に新潟県の姫川の支流小滝川でヒスイの原石が発見され
出土されるヒスイが国内産であることが解った。
5 :
出土地不明:2005/10/16(日) 16:41:57 ID:h/39HFJx
終了
6 :
出土地不明:2005/10/24(月) 15:30:25 ID:ylGgNDx3
新潟の海って泣けるほどきれいだよ。
日本海ってもっと暗ーくさみしいものかと
思ってたけど、全然。
太平洋より穏やかに澄んでいて
海はヒスイ色だったよ。
今でも姫川の河口でヒスイが拾えるって聞いたんですけど本当ですか?
8 :
出土地不明:2005/10/24(月) 18:42:37 ID:rEl/SGWM
大昔に勾玉の小さな穴をどうやって開けたのかな?
9 :
出土地不明:2005/10/24(月) 21:05:01 ID:kQvW6lmX
石錐を棒の先につけて、ごりごりやったんだろ。気が遠くなるような作業…。
勾玉を安定して置くためにはどうやったんだろ?また、研磨剤は何かつかったのだろうか?
10 :
出土地不明:2005/10/24(月) 21:06:33 ID:kQvW6lmX
三種の神器で、勾玉は日本由来だよね。鏡と剣は中国か…。(朝鮮かも知れんが)
これは何を意味しているのだろうか?
11 :
出土地不明:2005/10/24(月) 22:37:05 ID:I5PuqfyD
>>7
姫川河口から富山県の宮崎海岸付近までの範囲で拾えるよ。
大雨のあとをねらって拾いに出る人がいるという話。
かくいう漏れも親不知海岸でちっちゃな原石を拾ったことがある。
12 :
安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2005/10/25(火) 14:51:30 ID:ODONssQ8
13 :
:2005/10/27(木) 13:13:36 ID:kfAj6Zg/
14 :
出土地不明:2005/10/29(土) 01:07:45 ID:V3yDWYAI
三種の神器の一つはたしか「八尺瓊勾玉」だったな。
15 :
出土地不明:2005/10/30(日) 00:25:58 ID:NfAeJPtZ
>7
姫川の上流に行くと、そのうえで昼寝ができるぐらいでっかい
ヒスイの原石がある。とても持ち帰れないので、おれも昼寝し
てきた。台風なんかで大雨が降ると、こういう石のかけらみた
いのが河口の方まで流れていくんだろうな。目の色の変わって
いる人たちが結構下を向いて徘徊していたりするもの。
16 :
出土地不明:2005/11/05(土) 14:38:12 ID:T6roxTW2
俺、卒論で玉について書くよ。詳しくないけどw
>>1 縄文前期くらいでも勾玉(曲玉)は出土してるよ。
ただ中期には少ない(無い?)ので縄文後晩期以降の勾玉との関係は解かっていないけど。
>>7 それ専門にするおばちゃんもいるとかいないとかw
ただ、そうやって拾える翡翠で「綺麗」とか「価値がある」のはほんの一部で
粗悪なものも多いよ。ダイヤとかと同じで綺麗な部分を選りすぐって磨いて玉にするわけだから。
>>9 石錐とかも言われてるみたいだけどあんだけ太いものであれだけ小さい穴をあけれるのかが疑問…
管状の工具が使われている痕跡があって、鳥の骨とかとも言われてるよ。
ヒスイは硬いし普通はそれより軟らかいものでは傷すらつけれないけど
媒介があればできる。
金剛砂という粉上のものを工具につければ孔はあけれるよ。
恐ろしいまでの手間がかかるけど…
17 :
出土地不明:2005/11/05(土) 18:29:22 ID:tZspbxmu
勾玉の穴より管玉の穴の方が驚異的だ。
半製品が出土しているが、管玉の形にしてから穴を開けている。
18 :
出土地不明:2005/11/07(月) 02:50:45 ID:4D6qGiIX
>>17 >半製品が出土しているが、管玉の形にしてから穴を開けている。
普通そうだろ、なぜ驚異的なのさ?
ちなみに水晶製の切子玉など見ると、両端から穴を開けて真ん中で繋いでいる。
あと、日本じゃないけど、プレ・インカ文明の遺跡からは
硬玉翡翠より硬度が高いエクアドル産の大粒のエメラルドに穴が開けられている。
もちろん現代のようなダイアモンド粉末の研磨剤などあるわけもない。
19 :
出土地不明:2005/11/07(月) 08:47:35 ID:jaWYFU1S
どうやって開けてたの?
20 :
出土地不明:2005/11/07(月) 09:11:52 ID:Fqyvz5HA
エメラルドの粉末を付けて開けたんじゃないの?
21 :
出土地不明:2005/11/07(月) 21:15:49 ID:0P2/olql
>普通そうだろ、なぜ驚異的なのさ?
あんたね、直系5ミリに満たないのに3センチくらいの長さがある管玉だってあるんだよ。
そんなものの中心をよく貫けるもんだと思わないのは低知能の持ち主だよ。
先に穴を開け、その穴が中心になるように周囲を削る方が圧倒的に楽だ。
俺は滑石で勾玉管玉をたくさん作り、みすまるの首飾りをこしらえて悦に入っていたのだが
あの柔らかい滑石でも先に外形を作ってから穴を開けるのは大変だった。
直系1センチくらいならまだいい。直径5ミリの管玉に貫通する穴を開けるなんて現代の
道具を使ったって大変だよ。
しかも古墳時代の管玉の穴のなかには、テグスすら通らない細い穴を持つものもある。
実際俺はそれを所有している。
22 :
出土地不明:2005/11/07(月) 21:17:34 ID:0P2/olql
もちろん、手作りでね。電動工作機は一切使用せずだ。
23 :
出土地不明:2005/11/07(月) 21:24:11 ID:0P2/olql
>ちなみに水晶製の切子玉など見ると、両端から穴を開けて真ん中で繋いでいる。
水晶なら外から現在どの位置に工具が達しているかわかるし
第一、あの直系のでかい穴なら別に驚異的ではない。
根性で何とかなる。
24 :
出土地不明:2005/11/08(火) 07:18:36 ID:yfo4BYT3
>>21 そのテグスは何号?太さはどのくらい?
専門の職人だったら可能なんじゃないの?
幻想をいだきすぎなのでは?
25 :
出土地不明:2005/11/09(水) 16:52:45 ID:A9bBdWaw
>>24 ならその加工法をここで
説明してみてくれ
26 :
出土地不明:2005/11/10(木) 09:36:30 ID:qBetLay9
27 :
出土地不明:2005/11/12(土) 03:44:58 ID:SWpfc6aF
勾玉は魔よけか。
天照大神がまとったと言うのもわかるな。
28 :
出土地不明:2005/11/12(土) 11:20:30 ID:wD+oXq4u
八尺瓊勾玉
29 :
出土地不明:2005/11/14(月) 14:36:00 ID:MxarXiAi
弥生時代になって古志の糸魚川→出雲→韓半島というルートで
勾玉の多くが流出しているってほんとうですか?
30 :
出土地不明:2005/11/23(水) 18:03:11 ID:+4LvqKgY
韓半島で翡翠が出だすのって、三国時代になってからじゃなかったっけ?
翡翠は特別に流出しなかったのかな?
随分前の本に書かれていたことなので、その後、出土しているのか知らないんだけど。
詳しい人、教えて下さい。
31 :
出土地不明:2005/11/23(水) 22:47:32 ID:/CeXlQhM
三種の神器。
鏡で相手の正体を見分け、剣で邪悪なものを退治する。
そして勾玉は体に密着させた魔除けだ。魂を奪われるのをくい止める。
32 :
出土地不明:2005/11/24(木) 21:34:43 ID:mFJYHHU5
かっこいいぞ!勾玉!
33 :
出土地不明:2005/12/04(日) 09:05:46 ID:4yALhwkQ
ボーダホンのマークって勾玉と関係あるの?
34 :
出土地不明:2005/12/04(日) 10:57:37 ID:YNIwMz93
35 :
出土地不明:2005/12/04(日) 20:28:34 ID:29VBN7D+
大陸や半島の勾玉はどこからきたのでしょうか?
また、あっちの方の起源はどこにあるの
36 :
出土地不明:2005/12/04(日) 20:29:40 ID:29VBN7D+
>>34 千葉の方のは微妙に縄文土器の模様入ってるね。
37 :
出土地不明:2005/12/04(日) 20:30:42 ID:29VBN7D+
日本古来のもの、勾玉、土器、漆器、甕棺
38 :
出土地不明:2005/12/05(月) 09:15:35 ID:MBsVib3b
勾玉は日本のみで作られ、輸出されたって本で
読んだ。
39 :
出土地不明:2005/12/06(火) 01:46:36 ID:w/1sKkMp
40 :
出土地不明:2005/12/31(土) 02:43:03 ID:/y3PYfk5
勾玉は日本で生まれました。
41 :
出土地不明:2006/01/01(日) 13:00:15 ID:CH/3fMgG
糸魚川、姫川(採石)→出雲(加工)→新羅 というルートで
大半はもちだされたものでしょう。日本列島が大陸や半島からの人た
ちによって開拓されはじめた当時に。
列島先住民の硬玉にたいする信仰に様式美が加えられて、勾玉
は日本列島で完成したのではないでしょうか。
42 :
出土地不明:2006/01/04(水) 07:06:25 ID:qaeefv+r
>>21 >先に穴を開け、その穴が中心になるように周囲を削る方が圧倒的に楽だ。
むしろ、そっちの方が大変ですよ。
硬玉ヒスイやメノウなどには石目といって研磨され易い部分があります。
だから、最初に中心孔を穿つと、研磨中に中心孔から外れる可能性がある。
もちろん、現代の貴石細工職人もこの事を熟知していますから、
孔から最初に穿つなんて無茶なことは決してしません。
嘘だと思うなら、滑石などではなく実際に硬玉ヒスイやメノウなどで実験してみることをお勧めします。
>直径5ミリの管玉に貫通する穴を開けるなんて現代の道具を使ったって大変だよ。
それは貴方の持っている道具ではの話でしょう?
古代人は持っている貴方の道具とは違う物を持っていたのです。
縄文人は鳥の骨とヒスイの粉、古墳時代人は極細の鋼鉄棒とヒスイの粉。
そして驚異的に熟練した手業と膨大な作業時間。
43 :
出土地不明:2006/01/04(水) 07:15:27 ID:qaeefv+r
>>34 見た限り、殆ど後世の模作(偽物)ですね。
骨董市とかでよく見るような、特に稚拙なタイプばかりです。
44 :
出土地不明:2006/01/04(水) 15:22:34 ID:rLIQ63wJ
ナニカの番組で見たんだが、
竹を使って穴明け検証実験をしてたぞ、
研磨剤は砂、何の砂だったかは忘れた。
チャンと穴開いてたべ
45 :
出土地不明:2006/01/04(水) 21:13:16 ID:FalU92Jf
>>43 勾玉は全て本歌だよ。
他はちょっと怪しいが・・・
46 :
出土地不明:2006/01/11(水) 23:50:21 ID:W4rQfaAm
47 :
出土地不明:2006/01/11(水) 23:51:26 ID:W4rQfaAm
>縄文人は鳥の骨とヒスイの粉、古墳時代人は極細の鋼鉄棒とヒスイの粉。
>そして驚異的に熟練した手業と膨大な作業時間。
むちゃくっちゃたいへんやんけ。あほか
48 :
出土地不明:2006/01/12(木) 00:03:27 ID:yuisJjhW
勾玉は中国ではどの程度ひろまってたのですか?
49 :
出土地不明:2006/01/16(月) 05:10:57 ID:ZrNOji0f
>>46 この人の場合は勾玉の背中側を完全に整形してから開けてるじゃん。
最初からじゃないじゃん。
しかもこの人は本職のヒスイ職人じゃないから、我流でしょ。
何度も言うけど、実際に遺跡から出土する半製品には穴なんて開いてないの!!
>>47 現代のような工具が無かった時代でしょうが!
大変も糞もあるか!
ていうか、古代人は現代人よりも時間の価値観が違うでしょ!
ブルもダンプも無い時代に巨大古墳とかも何十年もかけて造ってるんだよ!
50 :
出土地不明:2006/01/19(木) 00:56:07 ID:hoJFlPvk
私も意見を読んではっとしました。
現代の価値観、感性とは全く違いますもんね。
古事記、日本書紀以前の文化でも調べれば
現代の物差しでは計れない縄文時代の人のこころの一端でも
感じれるかもしれませんね。
51 :
出土地不明:2006/01/19(木) 16:17:32 ID:e4gSHmCd
52 :
出土地不明:2006/01/19(木) 16:22:40 ID:0CZGwKxv
格好の良い勾玉
ttp://www.kenkobunka.jp/kenbun/kb14/miyata14.html メノウの孔開けの方法はまだすっかりは分かってはいない。
しかし、ヒスイでは分かっていて、植物の茎を使用したと考えられている。
石粉(砥石で多量に出た)を開けたい部分に置いて、そこに中空の茎
(細い竹の一種)を当てて、回転させて孔を開けた。
その根拠として未完成品の不完全な孔の末端にヘソ様の突起が残っている。
ただ、孔の貫通の瞬間がもっとも難しかったらしく、貫通時に平面が破砕した
ものがある。それで、荒造りの段階で孔を開け、それができたものをさらに
完成工程に進めたのであろう。
53 :
出土地不明:2006/01/19(木) 16:45:14 ID:0CZGwKxv
54 :
出土地不明:2006/01/22(日) 22:21:47 ID:VA4P6mpH
昔も翡翠のほかに水晶やメノウ等もあったと思うのですが
なぜ翡翠で勾玉を作ったのでしょうか
翡翠は硬くて粘り気がありますが
他の石の方がもっと早く作れると思います
翡翠でないといけない理由があったのでしょうか、、、、、
55 :
出土地不明:2006/01/22(日) 22:41:16 ID:nCfrQuQu
ヒスイ以外の材料の方が多いです
特に鋳型で量産可能な鉛ガラス製が多いです
56 :
出土地不明:2006/01/22(日) 22:43:47 ID:6SOR1Nl6
これモロ
古代ユダヤ起源でしょ
57 :
出土地不明:2006/01/22(日) 23:41:02 ID:LLs+Isx3
翡翠以外の材料があったのですね
ご回答、ありがとうございます。
58 :
出土地不明:2006/01/23(月) 00:17:04 ID:2M1S/HsW
ちなみに昭和初期まで日本ではヒスイ原石が産出しないとされ
縄文〜古墳時代のヒスイ遺物は全てビルマ産ヒスイであると信じられていた。
59 :
出土地不明:2006/01/23(月) 09:09:41 ID:iCpa9MWA
60 :
出土地不明:2006/01/23(月) 09:54:00 ID:KhTbwgbw
>>56 ソースは?
イスラエルの方の遺跡からも発見されてるの?
61 :
出土地不明:2006/01/23(月) 11:45:01 ID:XiddTTcG
>>21 おっさん、馬鹿か? ガラス溶かして、金属の管に付け、少し吹くと
ガラスのシャボン玉の小さい奴が出来る。それを引き伸ばすと、中空の
管が出来るぞ。後は冷やして適当な長さに切ればよい。
じゃなかったら、溶かしたガラスを生木の小枝に巻きつけりゃ、小枝は
外側が燃えるから、ガラスの管が出来るだろう。なんで、穴尖けること
しか考えないんだ? 少しは発想の転換しろよ。
62 :
出土地不明:2006/01/23(月) 12:12:20 ID:XiddTTcG
>>39 硬質ヒスイは東アジアでは日本にしか産しない。ビルマで発見されたのは
ずっと後になってから。従って日本製に間違いなし。
百済の阿華王は十一年に倭国に大きな珠を求めているが、これは、硬質
ヒスイだろう。
63 :
出土地不明:2006/01/24(火) 00:09:35 ID:+laiRsGn
>>61 21氏の言ってる管玉はおそらく碧玉(出雲石)製だと思われ。
あれは確かにガラス管玉の孔より驚異的に細い。
64 :
出土地不明:2006/01/28(土) 13:19:51 ID:ecpa0owy
>ていうか、古代人は現代人よりも時間の価値観が違うでしょ!
>ブルもダンプも無い時代に巨大古墳とかも何十年もかけて造ってるんだよ!
どこまで低脳なんだろこの人は 。゚(゚^▽^゚)゜。 ブヒャヒャヒャ
65 :
出土地不明:2006/01/28(土) 13:23:17 ID:ecpa0owy
何十年もかけること自体驚異的なんだろうが。
中南米の水晶どくろ、あれも手作業で数世代100年以上(300年という人もいる)
かけてみがきあげて作った。
驚異的と言わずなんと言おう。
出雲石の管玉にテグスも通らない穴を開ける。驚異的だよ。
66 :
出土地不明:2006/01/28(土) 13:24:39 ID:ecpa0owy
>61
阿保はどうみてもお前だな。レスをちゃんと読んでいない。
現国の偏差値は30以下であろう。w
67 :
出土地不明:2006/01/28(土) 13:32:25 ID:ecpa0owy
翡翠以外の勾玉は、時代が下ってからの代用品だよ低脳共。
(起源については牙かも知れないから、翡翠自体代用かも知れないが)
翡翠については、何かしらの思い入れがあったのだろう。その深い緑色に。
一説によると、翡翠の緑色は山岳地帯の渓流に見られる水の色であり
翡翠はその水が石になったものであるらしい。透明な水晶が、水の
結晶と考えられているのと同様に。
で記紀のどちらだったか忘れたがこういう記述がある。
「青い玉の水の色のように永遠に、赤い玉の色のように血色良く元気で
勾玉の絶妙な曲線のようにうまく天下を治められますように」
68 :
出土地不明:2006/01/28(土) 13:45:25 ID:ecpa0owy
縄文時代翡翠の大珠はあるが、その他の素材の大珠は見たことがない。
有るのかも知れないが非常に少ないだろう。
勾玉の形状からみると、大体初期〜最終期の区別が付く。
翡翠以外の素材のものは圧倒的に後期型の物が多い。
とくに赤瑪瑙はそうである。出雲石製も中期くらいから増える。
滑石も中期〜後期。
上質の翡翠は古墳時代初期におおかた掘り尽くしたのであろう。
このころの勾玉は大型で非常に品質がよい。しかし時代が下ると
翡翠勾玉であっても質が悪くなってくる。そうなると白い翡翠の勾玉
なども現れる。しかし、「翡翠」という素材も大事だが「緑色」という
色も重要だったのであろう。出雲石を代用品に求めるようになる。
翡翠も出雲石も水晶も超高級品である。
貧乏な一族が「勾玉」というものを素材にこだわらずほしがった結果
有りとあらゆる素材でまがたまを 作り始める。
硝子製勾玉は、やはり緑〜青で作られる。これも「緑」色に意味を
求めた結果であろう。高度な技術が必要だが翡翠より大量生産が効く。
69 :
出土地不明:2006/01/29(日) 02:46:07 ID:mDrUvKrC
>何十年もかけること自体驚異的なんだろうが。
現代人から見れば驚異的でも、比較対象の無い古代人からすればごく普通。
ヒスイにドリルで孔を瞬時に開けてしまう現代人の方がむしろ驚異的。
70 :
出土地不明:2006/01/29(日) 11:35:39 ID:jfZ8ucg1
道具をつかえば簡単。
そんな道具のない時代に高度な加工をするから驚異的なの。
見苦しいよおまい。゚(゚^▽^゚)゜。 ブヒャヒャヒャ
71 :
出土地不明:2006/01/29(日) 11:37:22 ID:jfZ8ucg1
ピラミッドを見て
人手と時間をかければこんなの驚異的でも何でもない
と言うのか低脳。
72 :
出土地不明:2006/02/02(木) 09:32:57 ID:fWs2EPjR
確かに人手と手間をかければピラミットも万里の長城も驚異的でも何でもないな。
1日で造ったら驚異的だけどな。
73 :
出土地不明:2006/02/02(木) 14:57:11 ID:7cWOYmpG
>>70 >>71 現国が苦手ですか?
マンガばかり読んでないで新聞や文庫を読みなさい。
74 :
出土地不明:2006/02/02(木) 19:03:43 ID:Pp3x1hi7
驚異的な時間がかかっているけど
75 :
出土地不明:2006/02/02(木) 19:04:40 ID:Pp3x1hi7
>73
素直に外国人向け日本語学校へ行きなさい。
もちろん生徒として。
76 :
俺等05772:2006/02/04(土) 14:39:06 ID:bundEPXG
77 :
俺等05772:2006/02/04(土) 14:47:58 ID:bundEPXG
78 :
出土地不明:2006/03/10(金) 01:14:05 ID:Ju2Q0eWI
日本とミャンマー、どちらの翡翠が好きですか。
79 :
出土地不明:2006/03/11(土) 10:44:47 ID:igiX1eFt
勾玉のカタチは(一般的には巴紋のカタチだろうけど)何か意味はあるのかな?
80 :
出土地不明:2006/03/11(土) 10:57:12 ID:BJwzZt5t
翡翠と聞いて飛んできますた
81 :
出土地不明:2006/03/12(日) 09:04:16 ID:/dLuxdLx
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
あ〜たまらんぜぇ〜〜〜、VAIO 独自 変態仕様 (1年と少々で鉄くず)
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
82 :
出土地不明:2006/03/12(日) 16:29:31 ID:NdfQ7ouJ
83 :
出土地不明:2006/03/12(日) 23:44:28 ID:u/bGeuGM
勾玉の形の研究は良くされていて、縄文から発達が追えます。
今「勾玉」と認識されている形は弥生時代にできました。
石は弥生時代ではヒスイが上等で、メノウとか他の石もあります。
古墳時代には水晶も多いです。
また砂からガラスを作る技術は古墳時代末までなかったので
ガラス製勾玉も貴重。
ガラスを吹いたりして勾玉や管玉つくるなんて不可能で、
入手したガラスを砕いて鋳型をつかって勾玉作っています。
ガラス管玉はほとんどが外国製。
玉造工房跡から、弥生中期までは石製の孔あけ工具が、
後期以降は鉄製の工具がでています。竹は腐るので発見例はないけれど
可能性はあります。
朝鮮半島で、日本で言う勾玉がみられるのは、
原三国時代以降で多くは三国時代(新羅百済加羅)。ヒスイもね。
最初は日本からの交易品だったと思われ。
三国時代の勾玉の石の原産地の調査はされているものもあって
日本産もあるけど半島産もある。気に入って半島でも作り出したかと。
半島の青銅器時代に見られる玉は形がかなり異なり
かつ時代的にへだたって、三国時代のと直接的にはつながらないようです。
84 :
出土地不明:2006/03/13(月) 00:44:34 ID:NvN6//rs
85 :
出土地不明 :2006/03/13(月) 19:48:21 ID:gaXM4fx8
勾玉の穴は真円って聞いたことあるけれど、
どうやってあけたんだろう。
87 :
出土地不明:2006/03/16(木) 19:26:36 ID:8OkywpVm
>また砂からガラスを作る技術は古墳時代末までなかったので
>ガラス製勾玉も貴重。
>ガラスを吹いたりして勾玉や管玉つくるなんて不可能で、
吉野ヶ里や丹後半島の弥生時代の遺跡から
た〜〜〜〜〜〜〜くさんガラス勾玉管玉髪飾り出てますけど。
88 :
出土地不明:2006/03/16(木) 20:04:07 ID:jTnJycj/
【百済の歴史】
『百済の歴史』は、前期と後期に分かれる。前期の国を「第一次百済」、後期の国を「第二次百済」と
呼んで区別して考えるべきである。第一次百済は、西暦315年に、帯方郡の漢人・倭人が大和朝廷の
支援を受けて、日本領=任那の北部地域に建てた国である。前年の314年に、高句麗の侵攻によって
帯方郡を滅ぼされた、帯方郡出身の漢人・倭人たちによる「亡命政権」が第一次百済である。
これに対して、第二次百済は、西暦345年に第一次百済が高句麗に滅ぼされた後、倭人の近肖古王が
大和朝廷の支援の下で西暦346年に建国した国であり、完全な倭人国家である。
また、第一次百済が、大和朝廷の支援を受けているとはいえ、役人の中核が旧帯方郡出身の漢人・倭人たち
であったのに対し、第二次百済は、役人も武将も全て倭人であり、本国=大和から派遣された役人・武将も
多かった。
第二次百済は、大和国家の一部と呼んでも間違いではない。
第一次百済は、最初は乾馬国(コマ)と呼ばれたようだ。
89 :
出土地不明:2006/03/16(木) 20:15:35 ID:jTnJycj/
【百済の歴史】
『百済の歴史』は、前期と後期に分かれる。前期の国を「第一次百済」、後期の国を「第二次百済」と
呼んで区別して考えるべきである。第一次百済は、西暦315年に、帯方郡の漢人・倭人が大和朝廷の
支援を受けて、日本領=任那の北部地域に建てた国である。前年の314年に、高句麗の侵攻によって
帯方郡を滅ぼされた、帯方郡出身の漢人・倭人たちによる「亡命政権」が第一次百済である。
これに対して、第二次百済は、西暦345年に第一次百済が高句麗に滅ぼされた後、倭人の近肖古王が
大和朝廷の支援の下で西暦346年に建国した国であり、完全な倭人国家である。
また、第一次百済が、大和朝廷の支援を受けているとはいえ、役人の中核が旧帯方郡出身の漢人・倭人たち
であったのに対し、第二次百済は、役人も武将も全て倭人であり、本国=大和から派遣された役人・武将も
多かった。
第二次百済は、大和国家の一部と呼んでも間違いではない。
第一次百済は、乾馬国(コマ)と呼ばれていた。
これは、帯方郡が、古代日本人から駒国(コマのクニ)と呼ばれていたためである。
90 :
出土地不明:2006/03/19(日) 11:34:58 ID:gmX/CLFt
「最近、あちこちで(日本人に)文句を言うと、『出てけ』とか『帰れ』と言われる。
そうすると、『ハイわかりました。朝鮮人はみんな帰ります。天皇つれて帰ります』
と言ってやる。(笑)。だけど、アイツ働かないからな(笑)」
【「正論」2003年号1月号81ページ 憲法集会での辛淑玉の発言】
↑
救いようのないバカ(嘲笑
★★ 朝鮮人は、古代日本に移住していない ★★
朝鮮人は、古代のカラ半島南部にあった、志良岐・任那・久多良は 朝鮮人の国だったと
信じ込み、
「半島の国々から、古代日本に多くの朝鮮人が移住し、半島や大陸の輝かしい先進文化を伝えた」
と、主張する。
だが、こういった説は妄想に基づく妄言である。 朝鮮人が古代日本に移住したという事実はない。
日本列島にもカラ半島南部にも、紀元前から、長江以南の越地方から多くの越人(倭人) が移住しており、
日本列島とカラ半島南部の倭人は、紀元前から日常的に交流していたのだ。
つまり、『同一の文化』を共有していた。だから、古代ヤマトとカラ半島南部で、文化水準のレベルに差があった、
などということはありえない。古代においては、日本列島もカラ半島南部も『倭人の世界』だったのであり、
同じ倭人どうしが交流していたのだ。朝鮮人は、古代日本とは何の関係もないのである。
朝鮮人は、韓人(カラビト=倭人)ではない。
朝鮮民族の先祖として、もっとも可能性が高いのは、穢(ワイ)族である。
このワイ族は、古代カラ半島北部にあった中国の自治領=帯方郡の東部地方・ワイ郷(現在のソウルの東方地域)に
住んでいた少数部族であるが、高句麗が楽浪郡=帯方郡を滅ぼした313〜314年頃に難民となって南下し、
日本領=シラキに移住したのである。後に、高句麗と手を組んで稲飯命の子孫である志良岐王族を虐殺し、
王権を簒奪して志良岐を乗っ取った金奈勿(キン・ナブツ)も、ワイ族であった。
朝鮮民族は、けして韓人(カラビト)ではない。 もちろん、倭人=日本人でもない。
辛淑玉は、日本人と朝鮮人を同族だと思いたいようだが、残念でした、何の関係もありません(笑
91 :
出土地不明:2006/03/19(日) 15:08:10 ID:gmX/CLFt
百済のような小国が、なぜ300年以上に渡って、
高句麗帝国との戦争を続けることが可能だったのか?
この疑問に、朝鮮人工作員が答えることは絶対にないであろう。
★ 百済は日本領土 ★
百済軍の実態は、大和軍。
百済の国家財政は、ほぼ100%、大和のODAに依存していた。
そもそも、百済という国は、日本の四国と同じくらいの面積しかない小国。
そんな小国が、300年以上に渡って高句麗のような大帝国と戦争し、互角に戦うことなど、
普通は不可能であろう。
しかし、実際に百済は、315年に建国された第一次百済の時代から300年以上も高句麗と
戦争し、時には高句麗を追い詰めてもいる。
それが可能だったのは、百済の背後に、もう一つの帝国=大和がいたからである。
百済=高句麗戦争の実態は、日本=高句麗戦争だったのだ。
92 :
出土地不明:2006/03/23(木) 01:03:33 ID:IWcNN+p6
最近、島根県安来市でも玉作遺跡が見つかったらしいですね。
なにやらニードルみたいな鉄器で弥生時代は加工していたとか・・・・
93 :
出土地不明:2006/03/31(金) 02:35:22 ID:9qVCK8rD
こちらと朝鮮古代史は関係ないと思いますが、記載事実は間違えはないのでしょう。
朝鮮の方々の大嫌いな「高句麗好太王碑」が鴨緑江中流の北岸、丸都城に414年建立
しました。記載された事実は400年前後ですから大半の人が書かれた事実を目撃したり
聞き伝えで詳細に知っていた時期です。ウソなど書けない時期と思われます。
朝鮮の方々の大嫌いな歴史資料は自分たちに都合の悪い真実です。
倭(日本)は沢山登場しますが他はあまり登場しません。
日本が朝鮮半島南部を支配したことや今のソウルの方まで船を連ねて上陸作戦を決行して
新羅駐留の高句麗軍を追っ払ったり大活躍です。敵の高句麗が書いているのですから
かなり割り引いた記載と思われます。私も日本は古代の朝鮮半島で大活躍していたと
この事実からも考えています。自分たちで戦えれば楽浪の中国難民たちは後々
居座られる可能性の有る他国の軍隊など自国に入れません。戦線を支えられないから
危険性はあっても他国の強力な軍隊を入れるのです。
勾玉の話に戻りますが、モデルは「火の玉」ではないでしょうか。
球電は気象屋さんも認めている。
大変に貴重な球電の写真です。
長野県黒姫付近で学生がかなり前に撮影したものと思われます。
こちらからヒスイの産地姫川流域はすぐ近くで、
こんなものを頻繁に目撃していたのでしょう。
http://www.unexplained-mysteries.com/gallery/albums/natural/normal_ball-lightning1.jpg http://www.unexplained-mysteries.com/gallery/albums/natural/ こんなものを目撃したらビックリするでしょう!!
古代人だと拝んだりしたのでしょう。
94 :
出土地不明:2006/04/02(日) 22:15:38 ID:g56IAAFl
問題外の外
95 :
出土地不明:2006/04/03(月) 17:57:51 ID:J0COCbHG
◆◆ 和漢共栄時代から三民戦争時代へ。カラ半島の古代史 ◆◆
3世紀以前のカラ半島は、半島北部地方は、漢民族が楽浪郡を置いて支配し、半島南部地方は、
倭人(日本民族)が、志良岐と任那を建国して支配していた。この時代が、『和漢共栄時代』である。
しかし、313年から314年にかけて、満州地方のフヨ人(高句麗人)が、漢人が支配する楽浪郡を
攻撃して滅ぼしたため、これ以降、『三民戦争時代』に突入する。
三民戦争時代とは、カラ半島北部の高句麗を支配するフヨ人、任那・百済を支配する倭人、そして、旧帯方郡の
東部地方に住んでいたが、356年に倭人国家=志良岐(シラキ)を乗っ取り、新羅を建てたワイ人(穢人。朝鮮民族の先祖)
が、カラ半島の支配権をめぐって戦争を繰り返した時代である。
当初、ワイ人国家=新羅は高句麗に朝貢し、倭人勢力と戦争していたが、433年に高句麗に対して反乱を起こした。
そして、倭人国家=百済・任那と同盟を結び、今度は高句麗と戦争した。
だが、550年代になると、ふたたび倭人勢力とワイ人勢力の関係が悪化し、新羅と百済の間で戦争が再開された。
643年には、敵対関係にあった倭人とフヨ人が反新羅で同盟を結び、ワイ人国家=新羅を攻撃した。
倭人とフヨ人は協力してワイ人国家=新羅と戦ったが、660年、唐と手を組んだワイ人勢力=新羅によって、
百済は滅ぼされた。
668年には、フヨ人国家=高句麗も、ワイ人勢力=新羅と唐の連合軍の攻撃により都を落とされ滅びた。
最終的に、カラ半島はワイ人によって統一された。このワイ人が、後の朝鮮民族である。
倭人=日本人勢力は、663年の白村江戦争で敗北した後、カラ半島の領土を手放した。
しかし、白村江戦争以降も、ワイ人=朝鮮人勢力は、海賊活動を中心に何度も日本侵略を繰り返した。
これが、古代カラ半島の真実の歴史である。7世紀以前のカラ半島は、三つの民族が領土戦争を展開して
いた地域だったのである。
96 :
出土地不明:2006/04/06(木) 11:42:06 ID:s3MkZHJt
兎に角結論としてチョンは昔から食い物が無く日本に何か食べ物が
落ちてないか探しに来た奴が多少は居た。
しかし、その殆どはバカだった..以上
97 :
出土地不明:2006/04/08(土) 14:50:21 ID:MkLWWxC3
勾玉はいつの時代まで使われてたの? 今でも実用に使っている?
98 :
出土地不明:2006/04/09(日) 08:58:49 ID:emOnM8NW
>>97 奈良時代〜平安初期
今はインチキ業者がヤフオク用に製作してまつw
99 :
出土地不明:2006/04/09(日) 09:48:41 ID:KFpSMLn3
私の婆さま、毎朝神棚を拝む時、勾玉のついた紐を首にかけて祝詞あげてます。
「これ、先々先々の先祖様から与かっている物だから、あんたの代にも大切にしてよ」
よく見ると、ガラスか石で出来た10ミリくらいの勾玉が10個ほど付いてます。
見た感じは古い物ですが・・・・・こんな例、どなたかありますか?
100 :
出土地不明:2006/04/09(日) 10:41:09 ID:pJq1m0Nt
先々先々の先祖様から与かっている物なのにガラスじゃ悲しいだろ
101 :
出土地不明:2006/04/09(日) 11:09:15 ID:KFpSMLn3
100様。99です。材質は正確には解かりません。青い色と赤い色があります。
しかし、硬い材質で触れ合うと、カチカチと云う感じの音がします。
婆さまの話しでは、自分が嫁いできた時、大祖母さんも既に先代から与かったと聞いてます。
そうすると、どうみても江戸時代からの伝わった物は、確かだと思います。
もともと、神道の家系です。出土品ではないと思います。
102 :
出土地不明:2006/04/09(日) 16:18:34 ID:NEWsHzhI
>>101 青と赤というのは古神道での言霊解釈「火水(かみ)」との関係性が考えられるね。
ガラスで出来ているように見えるということはガラス質の鉱物なのかもしれない。
もともと神道の家系というけれど、それは神社神道? それとも復古神道?
103 :
出土地不明:2006/04/09(日) 16:46:59 ID:/Dqnf/25
モノホンの勾玉はメノウとガラスが多い
104 :
出土地不明:2006/04/09(日) 17:03:54 ID:KFpSMLn3
101です。102様103様レス有難う御座います。
私の家系は、神社神道です。勾玉の材質は、身近なところで鑑定していただける処有りますでしょうか?
105 :
:2006/04/10(月) 10:34:43 ID:OLyWHfvZ
ホリミネラロジーにお願いしたら?
106 :
出土地不明:2006/04/10(月) 15:52:20 ID:Bic1LXSQ
ていうか、どんな石材でもあの形に作れば勾玉扱いだろ?
107 :
出土地不明:2006/04/12(水) 08:51:07 ID:3VVMK9Uz
108 :
:2006/04/12(水) 10:07:54 ID:RAw/PHHn
jftujsiyyh
109 :
出土地不明:2006/04/13(木) 20:01:55 ID:tRhPF6/K
>>96 100パーセントの間違い。
朝鮮人=ワイ人は、古代日本に一人も来ていない。
なぜなら、古代日本人とワイ人(古代朝鮮人)は敵対関係にあったから。
★★ 謎の民族カラビトの正体 ★★
古代のカラ半島南部に住み、日本語を話していた謎の民族=カラビト(韓人)とは何者なのか。
『渡来人』とも呼ばれた彼らの正体は、「倭人」である。
カラビトは、カラ地方(韓)に住んでいたことから、韓人=カラビトと呼ばれたわけだが、
彼らが話していた言語は日本語であり、大和言葉の方言である。古代カラ半島には三つの国が存在した。
シラキ、ミマナ、クタラの三国である。これらの国に住んでいたカラビトは、日本にも移住し、
古代日本の繁栄に貢献したが、彼らは倭人(日本人)なのである。
つまり、古代日本に、朝鮮人は移住していない。古代日本に朝鮮人は来なかったのだ。
戦後、朝鮮人は「古代日本には多くの朝鮮人が移住し、日本文化の発展に貢献した」という宣伝を
組織的に展開しているが、これはデタラメなのである。
古代日本に移住したのは、カラ半島に住んでいた倭人=カラビト(韓人)であり、彼らは日本民族
だったのである。
カラビトは、現在の朝鮮半島に住んでいる朝鮮人とは、民族が違うのだ。
110 :
出土地不明:2006/04/14(金) 09:37:00 ID:0vStSYs1
>>109 見てきたようにおっしゃいますな。
高名な学者と拝察します。
111 :
出土地不明:2006/04/14(金) 10:01:42 ID:6I9D5yVZ
チョソのはなしなんかするなYO
112 :
出土地不明:2006/04/16(日) 13:04:16 ID:7NYrx4io
113 :
出土地不明:2006/04/19(水) 09:17:46 ID:IxGD05o0
勾玉の話ししろ在日野郎め
114 :
出土地不明:2006/04/22(土) 11:53:30 ID:nUPUDtPy
やっぱ、牙でしょ、ルーツは。
115 :
出土地不明:2006/04/23(日) 00:48:05 ID:Uv7zD/f/
でも何ですね、勾玉って現代人の我々が見ても魅力的なんだから、古代人にしてみたら
すごかったでしょうね、あと埴輪も魅力的ですね。やはり古代から日本はすごい
116 :
出土地不明:2006/04/24(月) 00:56:17 ID:trqj+NFf
俺は日本人だから、埴輪や勾玉にシンパシーを感じる。
現代の日本人の感性に通じるものがあると感じる。
しかし、外人が見たら、日本的だと感じるだろうけど
スゴイと感じるかは疑問。
埴輪より遙かに古い始皇帝の兵馬俑を見よ。
これは「スゴイ」。日本人の俺はシンパシーをちっとも感じないけどね。
117 :
1947:2006/04/24(月) 01:29:47 ID:1dD0IVe/
埋蔵金とは違うが現実的な話として結構砂金が採れ
る川がある。埼玉、群馬、長野の県境が重なる辺りだが、
埼玉県側からは車で入れるが石灰石採取の鉱区が設定さ
れていて現在も採掘されている、人も結構居る。私は群
馬県側から山道(登山道)を四時間半程度掛けて歩いて
いく、埼玉側に入ると登山道に道標と旧国土地理院設置
の識別標が立っている(一昨年夏には手書きの案内が有
った)なだらかな下り坂を一時間半程度下りると左下の
方に川が見える。坂の途中で左下の方に下る踏み分け道
が何カ所か有る。正面を見ると石灰の採掘場が見える辺
りの踏み分け道を川に向かって下る。川まで下りていく
と幅15メートル程度の川に出る。夏の水量は少ない、
1メートル程度で深さは2〜30センチ程度(この水は
飲める)対岸を見ると結構古い40センチ程度の楕円の
石があり「水源様」と彫ってある。ここから上流で砂金
が有る。一昨年は一日で20グラム位採れた。純度は良
く判らないが色合いから20金程度と期待している。誰
かこの砂金を精錬してくれる店を知っていますか?幾ら
掛かりますか?
118 :
:2006/04/24(月) 03:26:47 ID:J4Jg8eSf
勾玉って、胎児だという説もあるが、本当はね、
大昔に宇宙人がやって来て宇宙船が壊れて修理する道具を探しにその場を離れる時に
宇宙船が持ち逃げされないようにキーをはずして持って行ったんだよね。そのキーが
勾玉の原型なんだってモロモロヒーポンさんがおっしゃってたもんね。
119 :
ぽん:2006/04/24(月) 06:56:00 ID:xnNTNZpj
>>117 鉱物標本として売った方が高く売れるよ。
120 :
出土地不明:2006/04/30(日) 01:45:45 ID:hTH9KtoL
銅鐸、鏡は一時的な流行だったが勾玉は縄文時代から
続くおそらくもっとも古い祭祀の道具でしょう。
これは他のアイテム以上によく研究する必要あります
121 :
出土地不明:2006/04/30(日) 02:34:32 ID:uKtRc/MG
122 :
出土地不明:2006/04/30(日) 03:13:55 ID:TVAKQw1d
ガメラがギャオスにやられそうになった時に
勾玉も壊れちゃったんじゃないっけ?
よく覚えてないや。
123 :
出土地不明:2006/05/26(金) 01:25:00 ID:aPdEe/EC
>>98 ですよね
オークションで糸魚川の勾玉や翡翠が売られてますが
ほとんどがミャンマー産の勾玉です。
あと糸魚川でも翡翠探し企画があったとき、お客さん用に
外国の翡翠を海に蒔いたということを噂で聞きました。(喜んでよいのか悪いのかよくわかりませんが)
それに、そこの翡翠のお店で売っている翡翠は海外の翡翠だそうです。
良心的なお店だったのでしょう、きちんと産地を教えてくれたそうです。
124 :
出土地不明:2006/06/25(日) 07:25:41 ID:vh/dWs8L
ほしゅ
125 :
出土地不明:2006/08/28(月) 23:22:19 ID:DhyXyc0J
保守
126 :
出土地不明:2006/09/03(日) 02:34:36 ID:X2Czp44+
127 :
出土地不明:2006/10/07(土) 16:28:12 ID:Ha3i6pZy
>>99 で書かせて頂いた者です。
婆さまの例の勾玉ですが、その後の経過をご報告させていただきます。
展示会に似たものが出ておりましたので、N市博物館の学芸員の先生にお預して見て頂いておりました。
先日、「説明してあげる・・」とのお電話で、博物館の来客室へ通されました。
「赤色の勾玉はメノウ。青色はガラス。恐らく3世紀時代のもので、どこかの埋葬墓か古期古墳から出土品であろう・・
・・・風化も少ないので粘土質の中に朱で密閉された出土状況が推定される・・・
・・・宜しければ、類例調査のため保管依頼書を書いて博物館保管で預からせて欲しい。」
とのことでした。どうして私の家(神社家系)にこんな物が有ったのか?受け継がれてきたのか?不思議です。
128 :
出土地不明:2006/10/07(土) 19:25:08 ID:nkrovWV0
ガラスってハリのことですね
古代にもありましたよ
写真upして欲しいですが
129 :
出土地不明:2006/10/13(金) 01:03:25 ID:xMJVFYIk
勾玉は胎児らしいよね。朝鮮半島出土の勾玉には手のあるものもあるらしい
130 :
出土地不明:2006/10/15(日) 03:07:01 ID:hBIVI53d
131 :
出土地不明:2006/10/21(土) 02:54:47 ID:9ve2Iqfi
132 :
出土地不明:2006/10/21(土) 03:23:56 ID:KWc4r+x9
縄文時代の大珠に原型があるの?
133 :
出土地不明:2006/11/29(水) 17:06:31 ID:eCnHUF5K
134 :
出土地不明:2006/12/01(金) 20:15:42 ID:Lsyg/KTc
曲がったままの勾玉
135 :
出土地不明:2006/12/05(火) 05:19:49 ID:C8SqzUzC
ふとんがふっとんだ
136 :
出土地不明:2006/12/10(日) 21:11:30 ID:do3E2R3Y
大珠たことではない
137 :
出土地不明:2006/12/14(木) 01:04:57 ID:flQAki/Q
今、勾玉ウリナラ起源が盛り上がってるみたいだね
138 :
出土地不明:2007/01/25(木) 19:16:03 ID:VJ9Q+SaK
韓国の研究では、三国時代(新羅や百済)に見られるコの字型の珠(いわゆる勾玉、韓国では曲玉)
は国内で発達したという主張が主流。青銅器時代に発達して定型化した
天河石製の曲玉が、その後三国時代に見られる形態になった、というのがその起源論。
でも、定型化した天河石製曲玉は左右のバランスの取れた優美なもので、
頭部の発達した、いわゆる勾玉と形態違うんだよね。
それと、三国時代前に日本型勾玉が登場するまで、時間が空くことも指摘した論文多いのに
みんな「説明がつかないが、でも半島製」みたいな。
あとそれらと、日本の勾玉がどういう関係にあるかは実際研究上ではほぼふれていない。
日本では、日本の勾玉は縄文時代に祖形があり、弥生時代に定型化したという、
一連の発達が研究されており、当然定説。
三国時代の日本と同じ形態の勾玉に関しては、その形態は当然日本由来だと思っていて
いまさらいわない。
もしくは下手にいうと、感情的な反論されそうだから黙ってる、って状態なのかな?
139 :
出土地不明:2007/03/04(日) 22:30:55 ID:Ht5YWSHt
勾玉の形状が陰陽マーク(大極図だっけ?)と似てるのってたまたま?
片っぽを反転にして二つ合わせると陰陽になるよね?
140 :
出土地不明:2007/03/05(月) 01:09:54 ID:Lv/wU0c2
うん、たまたまだよ。
141 :
出土地不明:2007/03/08(木) 02:18:47 ID:ihQS4jNA
142 :
出土地不明:2007/03/10(土) 00:02:50 ID:zNWLwviG
おもいきり韓国産にされてるな
143 :
出土地不明:2007/03/10(土) 14:26:10 ID:7g8mYfE5
>勾玉の形状が陰陽マーク(大極図だっけ?)と似てるのってたまたま?
そもそも似てません。
144 :
出土地不明:2007/03/13(火) 00:05:44 ID:rRnT1aPv
いや、形状は似てるっしょ。
大極図を陰陽勾玉巴と呼んでる事もあるし、歴史的関連性は知らないが。
145 :
出土地不明:2007/03/18(日) 05:50:14 ID:zodGCt/P
曲がった玉でマガタマ
146 :
出土地不明:2007/03/29(木) 21:00:14 ID:4LuVMord
マガタマ持ってるヤツいる?
ヤフオクで売ってる奴の出所ってどうなってんだろ?
147 :
出土地不明:2007/03/30(金) 11:58:48 ID:uKbV+80E
ガメラに使われた勾玉のレプリカが欲しいです。
148 :
出土地不明:2007/03/31(土) 23:39:17 ID:Do5Mhixl
勾玉は太極図に似ていません。
縁もゆかりもありません。
似ているなんて言う人は目が腐っています。
古代勾玉はしっぽ部分はとがっていません。
現代勾玉(おみやげ・アクセサリー等)がとがっているのは
石の効率的カットによるもので、そもそも勾玉と呼べるものではありません。
ちなみに勾玉は本物を持っています。
魂の形 愛の形であり 想像の産物であった。 (霊界通信)代打Fでした。
下記も興味持って欲しいなー。
内容:
霊医アトス様曰く 錦帯橋もある意味オーパーツである、図面もなく勘を頼りに
口伝えにより完成させるなど1級建築士とやらから見たら、余りに頼りない
設計図であり、それを頼りに橋は架けようとはしないだろう。
霊媒Fは、ヒーラーがお仕事ですが趣味でオーパーツも霊界通信で聞きましたことを
書き込みいたします。これが、ホームページのアドレスです。
相談料は有料ですが、オーパーツは気が向けば書き込みに参りますね。
後、エジプトファンのY氏に送った霊界通信も有るのだな〜〜滅相も無いでしょ!
http://www1.megaegg.ne.jp/~furukawa/ ブログに知りたいこと書いてくだされば、たまに御返事いたします。
お客様が1番ですからね、2番は家族であり 3番御近所付き合いであり
4番私の広〜〜〜〜〜い趣味の霊界通信と言う訳で、失礼いたします。
追伸:お守りでなく魔女の印だそうですよ、霊の道具の証です。
嬉しくもあり悲しくもありでFの家にも3個ありますが、身に着けない方がいいよ。
霊の道具は大変です、しんれいスポットへは、心して・・・何かあれ場Fを探して・・
150 :
出土地不明:2007/04/11(水) 18:42:19 ID:5NQyX/if
151 :
出土地不明:2007/04/11(水) 20:19:39 ID:m9M3E1eK
>>150 瑪瑙のなかで青いもの(実際には緑色)を碧玉、青石などと言います。
152 :
出土地不明:2007/04/14(土) 22:55:58 ID:jjCT1QlN
153 :
出土地不明:2007/05/10(木) 18:43:12 ID:g8HXsXBw
154 :
出土地不明:2007/05/15(火) 04:10:35 ID:qXgCEzXR
太陽と卍と十字
155 :
出土地不明:2007/05/16(水) 20:03:51 ID:EXTEvl9A
勾玉は生まれてくる物をシンボリック化した物だと思う。胎児とか動物の子(兎の生まれたばかりの子は近いと思う)や種
(発芽した時の双葉とか)、両生類の小さいとき(蛙の卵が成長したときとか)。
156 :
出土地不明:2007/05/24(木) 17:55:41 ID:z7ninw00
魂の形説が個人的には好き
157 :
出土地不明:2007/05/31(木) 21:50:17 ID:qpVozKXm
>153
超絶たぬき と読んでしまった。
それはともかく、緑の豆かイモムシみたいな勾玉を見ると、南の国の「ヘイ・ティキ」という胎児を象った緑の守り石を思い出すなあ。
158 :
出土地不明:2007/06/20(水) 01:11:46 ID:6ltc0mZ1
勾玉のルーツが紅山文化という説について。
159 :
出土地不明:2007/06/21(木) 14:25:19 ID:0SMnvhZV
ヘブライ語で10番目yud,yodの文字は、神yahを表し神聖視された。従ってyah坂瓊勾玉には形に表裏がある筈。
160 :
月光仮面:2007/06/22(金) 11:36:45 ID:QYXNLKyD
アマゾンモホス文明ではピューマの牙の首飾りがあるが、熊の牙、爪などもマスコット
としては意味があろう。
161 :
月光仮面:2007/06/23(土) 08:24:00 ID:AJq7/R7d
>>160 クシャーナ朝では王統はアルタイ出身で雪豹の子孫とされたようだが、アマゾンモホス
の王の棺は隼人盾文様で、これはアイヌ、隼人、パジリクに見られる。遠くはケルトとか
ポーランドにもある。ピューマの牙を首に飾るのは日本における勾玉と同じで、起源は
アルタイの雪豹の牙なのかもしれない。
162 :
出土地不明:2007/07/05(木) 16:14:59 ID:4HyjY9TA
雪豹=グリフィン?
163 :
月光仮面:2007/07/05(木) 17:07:33 ID:k7JW+9Wa
中名 雪豹 和名 ユキヒョウ 学名 Panthera uncia または Uncia uncia
英名 Snow Leopard Ounce Irbis
白地に黒い豹柄で、毛がふわふわしてて、足の裏にまで毛がはえてる(雪山仕様)。
見た目はけっこう大きいんだけど、分厚い毛を刈っちゃうと、すごくやせっぽちさんになり
そう。 学名の Uncia はラテン語でオンス(重さの単位)のこと。ユキヒョウを表す英名 Ounce が、たまたま重さのオンスと同音だったため、学名に採用されたのだとか。
じゃあ、その重さの単位みたいな英名はどこから来てるのか知りたいわって感じ。
164 :
出土地不明:2007/07/07(土) 19:34:32 ID:CUScFmXR
165 :
出土地不明:2007/07/22(日) 18:43:48 ID:PmMYKCbV
ちっちぇ〜よ
俺が持っているのは7センチあるし。
大和では7センチくらいのは結構あるぞ
166 :
出土地不明:2007/07/25(水) 11:47:11 ID:wQW3WEZv
世の中の間違ったルールに真っ直ぐ育つくらいなら
いっそ勾玉んまの子で居て欲しい。
167 :
91:2007/08/18(土) 18:50:31 ID:Tc/J2qbh
勾玉は韓国が発祥地なの?
168 :
出土地不明:2007/08/19(日) 17:48:23 ID:eapgjrUN
勾玉は倭人の文化。
韓国にも倭人がいたということ。
169 :
出土地不明:2007/08/23(木) 11:10:29 ID:ObMCRf3+
女の子に私の見せてあげるから、チンチン見せてと言われて見せた。僕のチンチンはパルキーウインナー位の大きさに勃起して、女の子に触られた。僕も女の子の白いグンゼの花柄パンツを脱がせ、おまんこを木の棒でつっついて、おまめを摘んだよ
170 :
出土地不明:2007/08/25(土) 14:04:30 ID:+/K22n+8
釣り中に腹減ったからラーメン屋でラーメン一杯。
食い終わってムラムラしたから店員の子(20位)にレジで携番渡したら夜かかってきた。俺『港に居るから来なよ』女『うん』
カーセックルしました
171 :
出土地不明:2007/09/12(水) 23:39:48 ID:wRIGyGBY
コメント : wabi9とhakuhou2001は同じ人物だということが判明
しました。自分のやっている事を棚に上げて随分勝手放題な事を
言っているようですね。
両方の評価を見ると非常に反社会的な人間ですので取引はしない
方が良いです。まるで子供です。
(評価日時 :2007年 4月 2日 10時 16分)
みなさん、これがHAKUHOU2001こと名古屋/ニシク在住のヨコイカヨ
の評価ですよ
ご参考までにどうぞ
ちなみにWabi9は落札専門のIDでHAKUHOU2001が出品専門のIDです
吊り上げも当然の如く行っておりますので御注意ください
これは、ヤフオクでの贋物勾玉出品の常習犯・横井についての事です。
172 :
出土地不明:2007/09/13(木) 00:45:33 ID:g24wJld4
携帯のストラップにまがだまの俺が来ましたよ
400円だった
173 :
出土地不明:2007/09/15(土) 10:45:51 ID:9Y3A7GJH
自分で作ったら変な形になった。
もともとは動物の牙に穴あけて作ってたんだっけ?
174 :
出土地不明:2007/09/15(土) 18:36:40 ID:X6a2I/L1
翡翠を加工した貴人のアクセサリーだろ
雑貨屋とかで売ってるよ
博物館の売店とかさ
石は翡翠じゃなくて大きさも2cmくらいかな
インターネットで検索すると、まがだまストラップの通販は結構見つかる
5cmくらいの翡翠のストラップが欲しいな
175 :
出土地不明:2007/09/16(日) 18:20:05 ID:LX4cxpDD
店で売ってるアクセサリーの勾玉さあ
あんな形は本来の勾玉ではないよ。
176 :
出土地不明:2007/09/18(火) 23:51:32 ID:Auyf+s/y
どんな形してんだ?
177 :
出土地不明:2007/09/19(水) 06:43:22 ID:sP+1aB+Q
大極旗の巴型みたいな勾玉は
勾玉じゃあないよ。
日本古来の勾玉はあんな変な形じゃあない。
それと、複数の勾玉をネックレス等にした場合、勾玉の向きが逆。
尾っぽは下向きではなく、上向きに、外に突き出すようにするのが本当。
埴輪をちゃんとみて調べろってんだ!
178 :
出土地不明:2007/09/19(水) 08:03:21 ID:WofbWKM2
>>177 熱くなんなよ。
一つの石から多くの勾玉をとろうという商売上の戦略だよ。
売れてんだからいいんじゃね?
179 :
出土地不明:2007/09/19(水) 23:10:48 ID:gID47Wuh
宮地嶽神社の勾玉は丁字頭
180 :
出土地不明:2007/09/20(木) 00:09:22 ID:96H4DgP/
書き込みみてても、今いち形がイメージできん
写真のURL晒してくれ
181 :
出土地不明:2007/09/20(木) 02:14:26 ID:pyhMPHYD
182 :
出土地不明:2007/09/20(木) 14:18:28 ID:Qel0xaaz
183 :
出土地不明:2007/09/22(土) 12:33:31 ID:n8EYH/uo
>商売上の戦略だよ
まがいものイラネ。
184 :
出土地不明:2007/09/25(火) 00:53:01 ID:M9278FUv
185 :
出土地不明:2007/09/30(日) 12:40:05 ID:tzBIefCG
東京、横浜で本物の勾玉を買える骨董屋はどこ?
186 :
出土地不明:2007/10/01(月) 22:39:18 ID:IWiGBVYf
案外知られてないようだが
三神器のうち勾玉は後で加えられた
元々は剣と鏡のみだった
現在でも勾玉だけ取り扱い方がちがう
剣や鏡が大陸の影響を強くうけた形状をしているのに
対し勾玉の形はあきらかに異質
この異文化の結合が
大和の誕生であると思われる
187 :
出土地不明:2007/10/03(水) 11:10:36 ID:NWrfXGZm
勾玉の形状って棟梁死去の際の涙の雫だと思ってた、、、、、。
188 :
出土地不明:2007/10/19(金) 14:52:19 ID:18CLg0MA
age
189 :
出土地不明:2007/11/08(木) 19:31:17 ID:wAuyk0Ad
朝鮮半島で出土した、最も古い勾玉っていつの物?
それは、日本の弥生時代のものより古い?
190 :
出土地不明:2008/01/12(土) 16:28:31 ID:bX7L9AUs
九州の勾玉は雲母だったってさ。
191 :
出土地不明:2008/01/13(日) 20:18:01 ID:sxJqtABR
今までヒスイとされていた勾玉に緑色白雲がどの程度混入してるを調査してもらいたいっすね。
192 :
出土地不明:2008/01/26(土) 15:28:20 ID:IhrjTRM9
勾玉は弥生時代から古墳時代に最盛期になるが、その祖形は縄文時代中期頃に
遡ることができる。素材は本来的には硬玉翡翠製だったが、後に古墳時代には
水晶やメノウや滑石などが用いられた。
さておなじみのウリナラ起源だが、チョーセン半島からは翡翠の鉱脈は発見
されていない。また近年の精密検査では韓国の翡翠製勾玉は90パーセント
以上の確率で糸魚川産の翡翠であると証明されている。
韓国から勾玉が出土するのは、三韓時代から半島南部が日本の領土であった
から当然である。シナの宋書倭国伝にそう出ている。
193 :
出土地不明:2008/01/27(日) 01:12:17 ID:rMATDjcn
>>99 沖縄のユタの末裔の家には現在も勾玉と水晶の丸玉のネックレスが伝承され、
神事にはかならずこれを身に着けて拝んでいる。
私も実際に見たのはアオメノウ製の5センチくらいの勾玉だった。
恐らく出雲の花仙山のメノウだろうと思われ、玉作部が大和朝廷に献上するものではないかと思う。
注)沖縄のユタ(祝女)は本土の神主的職業で、母から娘へと世襲される。
身分的には琉球王朝の聞得大君を頂点とした神女組織に位置する国家公務員であった。
194 :
出土地不明:2008/01/27(日) 01:41:34 ID:rMATDjcn
勾玉の形状については今だ結論は出ていない。一応仮説なるものを列挙すると・・・・
◎ 獣の牙・・・かつて有力説だった
◎ 魚
◎ 腎臓
◎ 三日月・・・早稲田大名誉教授・水野祐氏の説(月神説で銅鏡は太陽神)
◎ 胎児・・・・・吉野裕子氏の説 一般的にはこの説が受け入れやすい
◎ 釣り針
◎ 破損した?状耳飾の発展系・・・郷土史家・土田孝雄氏やその他多くの考古学者の説
195 :
出土地不明:2008/01/31(木) 18:10:07 ID:xBPa6AUY
>>189 朝鮮半島では、曲玉といわれるタイプの玉が無文土器時代から出ている。
(絶対年代は難しいから割愛)
松菊里出土とかのが完成された形。日本の勾玉とは異なる形態。
でもこれは鉄器時代前ごろ(前3世紀ごろ)には消滅。
その後原三国時代中頃(1世紀以降頃)に、日本と同様の形態をもった
勾玉が出現。特に三国時代(新羅百済加羅)には大量に使用。
これは最初は日本からの交易品だったと思われ。
三国時代の勾玉の石の原産地の調査はされているものもあって
日本産もあるけど半島産もある。気に入って半島でも作り出したかと。
この日本由来の原三国時代以降の勾玉と、無文土器時代の曲玉を
混同するから、朝鮮半島で一貫して勾玉が作られていたような誤解や
日本の勾玉が朝鮮半島由来である、といったような誤解や
混乱が生じるのかと。
日本の勾玉は縄文時代から一貫した流れがおえるので、
発生や系譜については、日本内で問題なし。
196 :
出土地不明:2008/01/31(木) 21:27:56 ID:FqFwP2qf
勾玉や南洋貝や昆布を朝鮮青銅器と交易したんだろうな。
197 :
出土地不明:2008/01/31(木) 21:46:03 ID:3aWaBgHL
>>195 無文土器時代の曲玉ってどんな形?
どこかソースあればURLキボン
198 :
出土地不明:2008/02/02(土) 12:28:16 ID:NOo89fyk
ネット上にはとりあえずなさそうだな。
松菊里、南城里、草浦里遺跡あたりでしらべてみて。
199 :
出土地不明:2008/02/25(月) 12:30:59 ID:ra1+uQRr
韓国の土産物屋に勾玉があったので買おうとしたら、店のおばちゃんに「子供が生まれるの?」と訊かれた。
何のこっちゃと思ったが、安産のお守りだと説明され、結局買わなかった。
200 :
出土地不明:2008/03/01(土) 22:41:48 ID:H4HZA3IC
生まれますと言って買ってくればよかったんだよ。
もしかして、韓国語わかるの?
201 :
出土地不明:2008/03/04(火) 01:24:02 ID:gG0fye/m
AMS法年代値bc8cの松菊里の青い天河石の勾玉は韓ビョンサム氏によると
シャーマンの祭儀器(星、月、太陽)の月、星は銅の鈴、太陽は銅の鏡だそう
で天皇の勾玉はこれです。それから縄文からの日本の勾玉はいのししの牙の
変形だそうです。勾玉は胎児とは無関係です。からかわれたのでしょう。
202 :
出土地不明:2008/03/09(日) 10:32:41 ID:dbNHNP/q
天皇の勾玉がこれ????
195を読もう。
朝鮮半島の松菊里とかの天河石の玉と日本の勾玉は無関係だよ。
韓国では、安産のお守りなのかもね。
しらないけど。
203 :
出土地不明:2008/03/11(火) 14:31:46 ID:V7OA+WE2
195>縄文人のファッションについて語ろう。
まず木の皮をはぐそして棒でたたいてやわらかくする。
骨の針で縫う。貫頭衣を作ってきる。首にお守りひとつ。
外出する。
204 :
出土地不明:2008/03/12(水) 01:19:19 ID:zJhDglRa
205 :
出土地不明:2008/03/23(日) 16:54:04 ID:9HxqoA20
206 :
出土地不明:2008/03/23(日) 17:34:46 ID:sMWZlyrK
207 :
出土地不明:2008/03/30(日) 16:34:13 ID:iNFpKJbl
>>201 まったく違います。
勾玉の獣牙説はほとんど現在では論拠を失っている。
そもそも縄文時代の狩猟採集時代に
猪が普通に森林に生息し、それを捕食していた縄文人が何ゆえに、
面倒な硬い石で牙を模したものを作らなければならんかったか?
また天皇の祭祀器の月の象徴と言うのは、
40年前に早稲田の水野祐教授が唱えている。
チョーセン学者は相当レベルが低いですので、信憑性はまったくありません。
208 :
出土地不明:2008/04/08(火) 00:38:47 ID:83qGNtmn
初期の勾玉は滑石という高度2の石をつかいました。
作り方は博物館の「勾玉を作ろう。」にあります。
ファッションは苦労して作るものです。
209 :
出土地不明:2008/07/01(火) 02:50:13 ID:gmzdL605
age
210 :
出土地不明:2008/07/21(月) 01:46:34 ID:26crqvHs
日本書紀一曰
時に、天地の中に一物生れり。
状、葦牙の如し。便ち神と化為る。
国常立尊と号す。 (注)葦牙・・・アシの芽
とありますが、それとは無関係でしょうか?
縄文時代の遺物「の」の字型玉 というものがありますが、翡翠で作られています。
これは種から芽が出始めるときの状態にそっくりに見えます。
素人なので大変な勘違いかも知れませんが、ご意見をお聞かせください。
211 :
出土地不明:2008/08/27(水) 23:12:44 ID:OXtaUUso
>>210 ヒスイ(ジェダイト)製の「の」字状の玉。どこの遺跡ですか(あるいはどこの所蔵でしょうか)
知らなかったので教えてください。
212 :
出土地不明:2008/09/09(火) 12:27:17 ID:S5a41ZHY
ブルーシードってマンガ思い出した。懐かしくなった。
213 :
出土地不明:2008/09/22(月) 03:41:00 ID:uPTmcKM1
何年も前から勾玉が大好き。いとおしすぎる。
どの角度から見てもなんでこんなに愛くるしいんだろう。
しかし実際ペンダントなどで人目につくように身につけるのはムリ。
つけてる人も見たことがない。
巷にはたくさん売られているし誰でも知ってるポピュラーなものなのになあ。
ストラップやキーホルダーならつけてる人みかけたことあるけど。
214 :
出土地不明:2008/11/16(日) 06:09:09 ID:+pp2NQj8
半島南部から勾玉が出土していますね。
あれはどう考えたらいいのでしょうか。
215 :
出土地不明:2009/01/13(火) 20:08:36 ID:a/VvqJDs
>>214 お前の家にも韓国製品はあるだろう
朝鮮半島にも日本製品はあるだろう
216 :
出土地不明:2009/01/22(木) 01:20:17 ID:/wQ15OOJ
>>214 83のコピペですが
勾玉の形の研究は良くされていて、縄文から発達が追えます。
今「勾玉」と認識されている形は弥生時代にできました。
石は弥生時代ではヒスイが上等で、メノウとか他の石もあります。
古墳時代には水晶も多いです。
また砂からガラスを作る技術は古墳時代末までなかったので
ガラス製勾玉も貴重。
ガラスを吹いたりして勾玉や管玉つくるなんて不可能で、
入手したガラスを砕いて鋳型をつかって勾玉作っています。
ガラス管玉はほとんどが外国製。
玉造工房跡から、弥生中期までは石製の孔あけ工具が、
後期以降は鉄製の工具がでています。竹は腐るので発見例はないけれど
可能性はあります。
朝鮮半島で、日本で言う勾玉がみられるのは、
原三国時代以降で多くは三国時代(新羅百済加羅)。ヒスイもね。
最初は日本からの交易品だったと思われ。
三国時代の勾玉の石の原産地の調査はされているものもあって
日本産もあるけど半島産もある。気に入って半島でも作り出したかと。
半島の青銅器時代に見られる玉は形がかなり異なり
かつ時代的にへだたって、三国時代のと直接的にはつながらないようです。
217 :
出土地不明:2009/02/09(月) 03:30:05 ID:6Lmsp+WE
半島にも旧石器時代から勾玉あるよ。ただし半円形に近い偏平なもの。
いわゆる弥生時代の勾玉はアッチでは日本と違ってジャラジャラ使っているし、穿孔方法からして違うから半島産だろうけど、いったいどっちが古いんだぜ?
218 :
◆TJ9qoWuqvA :2009/02/09(月) 13:23:01 ID:OsTcDqAl
ghh
219 :
♯123:2009/02/09(月) 13:23:32 ID:OsTcDqAl
xmhj
220 :
出土地不明:2009/02/10(火) 22:52:04 ID:2xPHaF9X
勾玉の玉は、アイヌ語のタマ=魂、霊魂です。
縄文人は魂がこういう形をしてると思ってたのでしょうか?
天皇家の神器にこれがあると言うことは、縄文=アイヌが和睦して
決着したということを意味してると思います。
あー。またヒスイ拾いに行きたいなぁ。
でも、あの石どこで拾ってきたんだっけなぁ??
キツネ石でも物によっては人工的にヒスイに変え
られるような気がするんだけど、どうなの?
マジで行きたくなって来た・・同士よ。
223 :
出土地不明:2009/02/17(火) 19:42:56 ID:FFhRqV60
日本全国にある八幡神社の巴のマークは勾玉を二つ向かい合わせに
しているように見える。
応神天皇(ホムチワケ)と勾玉は深い関係にあるのではないのか。
224 :
出土地不明:2009/03/07(土) 15:50:54 ID:Z/Qp4InT
>巴のマークは勾玉を二つ向かい合わせ
巴と勾玉は全く関係ない。
225 :
出土地不明:2009/07/03(金) 11:07:33 ID:dwrUAscc
翡翠の勾玉の穿孔の仕方に
片側から開けるのと両側から
開けたものがありますが、
このことから細工した地域などがわかるのでしょうか?
226 :
出土地不明:2009/07/12(日) 22:11:53 ID:ybySiK6p
まがったままの勾玉
227 :
出土地不明:2009/07/13(月) 00:27:17 ID:8VWqro4s
朝鮮半島や沿海州にはあるのかな?
江南や東南アジアは?
228 :
出土地不明:2009/07/13(月) 06:30:07 ID:bKv8to0B
「アナヒ―タストーン」まがたまつくってる。
229 :
出土地不明:2009/07/22(水) 22:07:12 ID:UhZA+pvt
>>225 片面穿孔か、両面穿孔かは地域時代によって異なってるので、
製作地と時代の手がかりの一つにはなります。
230 :
出土地不明:2009/07/23(木) 23:29:33 ID:1fnCqj+W
神璽とは何か。義解は。。。「神璽之鏡剣」は神聖なる鏡剣の意だとする。
この5字に関する限り、神璽は印や玉(勾玉)ではなく形容詞であり、
神器は鏡と剣の二種と見られる。しかし、公式令天子神璽条には、
。。。とあり、ここの神璽は、即位のとき授受される印ととるのが自然である。
すなわち、令には践祚のとき授受されるものに、
鏡・剣及び神璽(印ヵ)の3つを規定するのである。
つぎに令文から離れて、書紀の践祚の儀の記載にみえる神器授受の文を検するに、
。。。とある。これによって。。。鏡と剣を神器としていたことは疑う余地がないが、
。。。「璽」が神器一般をさしたか、印・玉等の器物をさしたかあきらかにしがたい。
。。。璽筥中の器物は印か玉(勾玉)か二説あるとしてある。
井上光貞「日本古代の王権と祭祀」(東京大学出版会)198頁
231 :
出土地不明:2009/08/02(日) 20:08:07 ID:SYleV1P2
>>221 何て石か忘れたけど染色し翡翠として売られてたりするよ
232 :
出土地不明:2009/08/25(火) 10:40:51 ID:FyTHt3gC
「三種の神器の勾玉は、糸魚川産翡翠で作られた」
「三種の神器の勾玉は、出雲地方で作られた」
この二つの記述はよく目にしますが、矛盾してるような。
出雲で作られたなら出雲石(碧玉)製では・・・??
233 :
出土地不明:2009/08/28(金) 23:57:58 ID:miZ5Iid9
稲川「うえッゲェwぺっ!!」
二宮「稲川さあん!気持ち悪いんですう」
尾崎「ヤダヤダヤダヤダww」
234 :
出土地不明:2009/09/12(土) 05:28:38 ID:QNNr/MFZ
勾玉って土のやつのが沢山出土するね。
石のはさ、ケツジョウ耳飾りが作る過程で落としたか何かで半分に割れて、それを磨いて穴あけでリサイクルもされてたみたいだ。だからあの形がで来た可能性があるらしい。
よくわからんが、物が大事な時代だから、当たり前か。
玉文化研究会の本にあった。チラ見だけど。
そういうのは一般ピープルのオシャレだったんかな?
235 :
出土地不明:2009/09/13(日) 01:19:58 ID:iX1bAJpO
国立博物館で勾玉を展示しているスペースがあるんだけど
それを見ると複雑で複数ある初期の形から洗練されて今の形になったんだなー
としみじみ思うことが出来る。緒締形勾玉とか勾玉らしさの欠片もないw
236 :
出土地不明:2009/09/13(日) 11:47:27 ID:BicartIR
勾玉は単にオタマジャクシを模したものかと思っていたが、違うんか?
237 :
出土地不明:2009/09/19(土) 00:06:28 ID:YarRknSx
子宮内の胎児の形
捧げる命の柱は人柱
238 :
出土地不明:2009/09/19(土) 13:49:42 ID:cUEr3ue5
>>237 人差し指を曲げて計る定規の一種という説もあったな。
239 :
出土地不明:2009/09/19(土) 19:30:32 ID:x4zWRGOz
胎児説が信憑性ナンバー1だな
妊娠3週目頃の胎児の形
生命自体に信仰心があったと
そうすると前方後円墳は後円が子宮で前方が産道かもしれないね
240 :
出土地不明:2009/09/19(土) 22:49:46 ID:0jFtFMNb
自分は胎児説が一番信憑性がないと思ってる
勾玉が胎児に似てるって思うのは妊娠初期の胎児の形を知ってる
現代人だからそう思えるだけなんじゃないかと。
だってどうやって初期の胎児の形を知ることができる?
胎児の成長過程の知識や進化の概念がない古代人に
あの人間とかけ離れた形状をしたものが
やがて生まれてくる赤ん坊になると想像することができるのか?
241 :
出土地不明:2009/09/20(日) 00:28:19 ID:403yrBzx
>>240 昔は戦争などでおなかを引き裂いた。
動物の肉を食べるとき、動物を解体した。
腹の中がどうなってるかなんて古代人は現代人よりよく見ていただろう
242 :
出土地不明:2009/09/21(月) 18:29:53 ID:YucHk+lh
「入れ墨」は日本では旧石器時代からおこなわれている。
タトゥーは少なくともオセアニア大陸で新石器時代からおこなわれていました。
タトゥーをしたミイラが発見されています。日本では旧石器時代から
おこなわれていたと考えられています。その他の多くの文明でも、
それぞれ独特のタトゥーの様式がありました。
http://blog.livedoor.jp/sakae101/index.rdf 日本では旧石器時代からおこなわれていた
日本では旧石器時代からおこなわれていた
日本では旧石器時代からおこなわれていた
日本では旧石器時代からおこなわれていた
243 :
出土地不明:2009/09/21(月) 18:30:35 ID:YucHk+lh
日本には世界最古の7000年前の入れ墨の証拠遺物がある。
紀元前5,000年前-日本人が世界で初めて?
日本人が最初に入れ墨を取り入れたであろうと想像できる縄文時代の土器が
発掘されています。縄文土器にあしらわれた顔には埋葬者を守る意味合いを
持つ神秘的な「入れ墨」のようなものが認められ、これが入れ墨として記録
されている世界最古のものではないかと想像されています。
また、日本原住民族であるアイヌには優れた入れ墨技術があったものと
思われます。
http://www.ta2.com/tattoohistory.html 紀元前5,000年前-日本人が世界で初めて
入れ墨として記録されている世界最古のもの
紀元前5,000年前-日本人が世界で初めて
入れ墨として記録されている世界最古のもの
244 :
出土地不明:2009/09/21(月) 18:32:32 ID:YucHk+lh
245 :
出土地不明:2009/09/22(火) 01:42:33 ID:FPx9EdG4
>>241 それだったらなおさら数センチ程度の胎児なら
他の肉片とまざってわかんなくなるな
246 :
出土地不明:2009/09/22(火) 10:14:52 ID:TfIdmOFO
馬鹿? 別に胎児説を支持する訳じゃないが、胎児は子宮という臓器の中に
あるだろうが。他との識別は容易だ。
247 :
出土地不明:2009/09/22(火) 15:03:26 ID:FPx9EdG4
?
241を元に考えるなら
戦争でお腹を引き裂いたとしたらもうぐちゃぐちゃで子宮だか肝臓だか
分からん状態だろうし(第一そんな極限状態で内臓を区別するのだろうか)
これがもう臨月の人間の形をした赤ん坊というのならまだ分かるが
人間の形をする前の子宮の中の胎児が赤ん坊だと分かるもんなんだろうか
胎児がまだ勾玉の形をしている状態では、妊婦の腹もまだ膨らんでないから
それが妊婦だと他人には分からんだろうし
やっぱりその考えは解剖学が発展した現代の考え方なんだと思う
248 :
出土地不明:2009/09/23(水) 09:37:11 ID:/UQ6XMke
腹なんか切らなくても流産したらでてくるよ
249 :
出土地不明:2009/09/23(水) 19:11:01 ID:P4M/yUmg
胎児も人の仔とはかぎらんよ
形は似ているよね
250 :
出土地不明:2009/09/23(水) 23:13:54 ID:goQDhLvp
マタギ料理にウサギの胎児の串焼きというのがあるそうな。
縄文人も、ウサギ、カモシカ、イノシシなどの胎児を美味しく
いただいていたことでしょう。(゚д゚)ウマー
251 :
出土地不明:2009/09/24(木) 07:06:56 ID:JbCN+VKG
勾玉は、目合い(まぐわい)の赤子との解釈
マガはマグワで男女の愛情
タマは玉の様な赤ん坊という表現があるとおり
つまり勾玉は胎児ではないのか
252 :
出土地不明:2009/09/24(木) 07:13:00 ID:JbCN+VKG
赤(アカ)という言葉自体が、あがめるの崇(アガ)からきている
古代倭では赤は神聖な色
253 :
出土地不明:2009/09/24(木) 07:16:13 ID:JbCN+VKG
つまり縄文時代の信仰は、勾玉=赤子=崇子信仰、つまり生命信仰だったのかもしれない
男根女陰信仰があったのだからあって当然じゃないか
254 :
出土地不明:2009/09/24(木) 16:41:47 ID:4TiffKI0
勾玉って緑のものが多い。
子持ち勾玉もある。
赤ん坊が子持ちじゃおかしいだろう。
赤ん坊説は却下だな。wwww
255 :
出土地不明:2009/09/24(木) 18:55:29 ID:GJ7VtAhk
>>248 たしかに流産で初期胎児も形を保ったまま出てくるかもしれない
でも人間の形をしていない手でつまめるほど小さい「勾玉の形」をした
肉塊を見て、それがやがて人間になるものだと想像できるものなんだろうか
むしろ奇形児だと思うんじゃないか?イザナミが産んだヒルコみたいに。
>>249 それだと古代人が動物と人間の胎児を同じものとして見ていたと言う前提がいる
最初から最後まで人間の形をしていない動物の胎児を人間の胎児と
重ね合わせていたと考えるのは不自然なんじゃないだろうか
確かに胎芽の状態だったら人間も動物もほとんど同じ形をしているが
それは脊椎動物の発生の段階を研究していなければ気がつけない
胎児を食べていたとしても単体で食べられるほど大きくなった胎児は
もう親と同じような形まで育っているしね
古代人が動物と人間の胎児が発生の初期段階において酷似していると
気がついていたとするのはちょいと無理なんじゃ
>>251 言葉遊びの域を出ないと思う
あと縄文時代あたりの勾玉は子持ちや獣形、緒締形が多くて
今の胎児を髣髴とさせる勾玉の形に洗練されるのはもう少し後だよ
だから縄文に生命信仰があったのは否定しないけど
それをすぐ勾玉胎児説に結びつけるのは強引なんじゃないかなぁ
256 :
出土地不明:2009/09/24(木) 19:45:12 ID:GJ7VtAhk
自分が胎児説が嫌いなのは
縄文から古墳時代にかけての勾玉の形の変遷を無視して
「勾玉の形は胎児だ!」という結論ありきで語られているところ。
もはやオカルトの領域に入ってると思ってる。
257 :
出土地不明:2009/09/25(金) 21:23:30 ID:9lSZg/ZX
258 :
出土地不明:2009/10/11(日) 05:22:06 ID:mejmzJC4
新羅の王は日本人、従って新羅の王権の象徴は翡翠の勾玉という事とも一致する
259 :
出土地不明:2009/10/12(月) 03:18:07 ID:3lgiiLAT
朝鮮半島では5〜6世紀の新羅・百済・任那の勢力圏内で大量のヒスイ製勾玉が出土しており、
新羅の宝冠や耳飾などにヒスイ製勾玉が多く使用されている。
勾玉に使われる宝石レベルのヒスイ(硬玉)の産地は、アジアでは日本とミャンマーにほぼ限られ、
朝鮮半島にはその産地がないことや、
また朝鮮半島で出土されるものは日本出土の硬玉製勾玉を時期的にさかのぼる例が認められないことに加えて、
最新の化学組成の検査により朝鮮半島出土の勾玉が糸魚川周辺遺跡のものと同じものであることが判明した。
これにより倭の勢力範囲を示し、少なくとも倭から朝鮮半島へ伝播したものであると考えられている。
260 :
出土地不明:2009/10/12(月) 04:56:05 ID:3lgiiLAT
キレイだよな糸魚川ヒスイ勾玉
261 :
出土地不明:2009/10/12(月) 06:56:07 ID:dqdlh3vF
>稲飯命(神武天皇の兄)は新羅王の祖である。
『新撰姓氏録』右京皇別下新良貴条は、「是出於新良国 即為国主 稲飯命出於新羅国王者組合」とあり稲飯命は新羅王の祖であるとする異説を載せている
(朝鮮の歴史書『三国史記』新羅本紀・脱解尼師今紀では、「脱解本多婆那國所生也 其國在倭國東北一千里」とあり新羅の4代目の王にして昔氏王統の初代である脱解尼師今は
倭国の東北千里にある本多婆那國の出であるとされており、関連性が見られる)。なお尼師今は日本語のニシキと思われる
262 :
出土地不明:2009/10/12(月) 11:51:09 ID:E+NM5ePX
円盤形をしていて中央にあいている穴が小さいのを「壁(ヘキ)」という。
円盤形をしていて中央にあいている穴が玉の環を構成する肉幅より大きいのを
すなわち忘れたり。
円盤形をしていて環が細いのを「環」という。
円盤形をしていて一方が欠けているのを「勾」という。
263 :
出土地不明:2009/10/13(火) 06:17:02 ID:P8ql3gB8
■前史■
紀元前から4世紀頃まで朝鮮半島南部は漢人・夫余人・倭人・韓人の雑居地帯だった。
・300年頃 ヤマト朝廷発足
・313年 中国植民都市=楽浪郡、高句麗によって滅ぶ=半島大混乱
・346/356年 百済・新羅建国。ミマナ含む伽耶諸国は倭の後援を得て小国分立。
■戦争前夜■
・360年頃 百済・高句麗国境地帯に鉄鉱山発見される=紛争の火種
・367-371年 百済、倭に遣使。軍事援助を要請
・372年 百済倭軍事同盟締結。百済、誓約の証として倭に七支刀を贈る
この頃、軍事介入に反対した仲哀天皇は暗殺される。(363年)
代わりに未亡人の神功皇后が司令官、武内宿禰が副官に就任。
七支刀は石上神宮に現存。この神社は服属部族の神宝保管庫なので百済が臣従したことがわかる。
武内宿禰は蘇我氏の先祖。
264 :
出土地不明:2009/10/13(火) 22:05:03 ID:Ru+8WPDF
265 :
出土地不明:2009/10/13(火) 22:08:37 ID:/KHDzrO4
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆
岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html 稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
266 :
出土地不明:2009/10/13(火) 22:11:39 ID:pM71iHdT
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆爆
縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。
http://osaka.yomiuri.co.jp/inishie/news/is50219a.htm 小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
267 :
出土地不明:2009/10/13(火) 22:18:35 ID:CjTJ0iry
論破され、鬱火病の再発ですか、お大事に。
268 :
出土地不明:2009/10/13(火) 22:33:36 ID:aw/qde6J
土器の内側のプラントオパールは、年代推定で信頼性が高いので、
笑いどころじゃないとおもうがなあ?
269 :
出土地不明:2009/10/13(火) 22:43:48 ID:15DWzaie
土器の粘土内から見つかっているので、
笑うしか無いんだよ。
270 :
出土地不明:2009/10/13(火) 23:22:24 ID:b2okzhCZ
プラントオパールは粘土の粒子よりも小さく、
粘土に浸透していくから笑うしか無いんだよなw
プラントオパールは炭素測定しない限り信憑性は無い。
271 :
出土地不明:2009/10/14(水) 21:08:58 ID:r1pp490G
縄文時代からの日本の祭祀物であるヒスイ勾玉を、新羅の王冠に
使っていた時点でアウト ヒスイ勾玉が出土するのは、朝鮮半島
では百済・新羅・任那の旧領にほぼ限定され、 倭国と対峙して
いた高句麗の旧領では殆ど出土しない点でも明らか
272 :
出土地不明:2009/10/15(木) 21:54:55 ID:46fwvGbk
273 :
出土地不明:2009/10/15(木) 21:55:43 ID:ffAr5Ahd
274 :
出土地不明:2009/10/15(木) 21:56:44 ID:45pcYQMI
次に、歌垣(かがい・歌會)について語ろう。七七〇年三月、河内の弓削の称徳離宮で歌垣が
行われた。万代にわたる帝と離宮の存続を祈り、周囲六ヶ村男女二百三十人の渡来人が夜を
通して歌い踊った。歌垣は若い男女にとって、他の部落との間の通婚の機会設定に大きな役割を
果たしていた。このころは、山麓の景勝地まで人々が出かけて、賑やかに野外舞踏会を開いた
ものであった。というよりは、日のあるうちは野に遊び、日が暮れると篝火が灯され、酒が
入って宴は佳境に入る。日野の朝鮮坊山では、毎年歌垣が行われていた。
お月見の習慣と併せて、韓半島からの伝来の風習であった。いまも扶餘や慶州あたりの野原では、
夏の夕べに月見の宴を張る。これを野遊とよんでいる。大和の民衆もこの楽しみをまねて、
農業神事に取り入れた。慶州の仏国寺の松林で、水色・桃色・緑・赤など色とりどりの袴・上衣を
着た老若男女が楽しそうに踊るのを見ることができる。杖鼓を膝の前において鞭のようなバチで
打つ。このリズムに合わせて踊る。韓国ではいまでも一般の家庭で使われている楽器である。
日本舞楽の羯鼓に似た楽器である。筑波山麓の歌會や常陸国風土記にある童子女松原の歌會が
知られている。筑波嶺の歌會で詠んだ歌一首と短歌が万葉集巻九にある。この伝統が盆踊りの形で
現在の日本に引き継がれた。
http://www.tmd.ac.jp/med/mtec/wakamatsu/emperor/historybackground.pdf#search
275 :
出土地不明:2009/10/16(金) 11:13:47 ID:5YBOa9/G
■ 勾玉
勾玉とは縄文時代より伝わる日本固有の装身具で、古代から権力者の力を象徴してきた。
縄文時代中期の長者ヶ原遺跡からは、ヒスイの大珠や勾玉、加工道具、工房跡などが続々と出土され、
6000年前の世界最古の勾玉文化が実証された。
勾玉の材料となる翡翠自体東アジアでは日本の糸魚川でしか産出されず、
その美しい翡翠で作った勾玉は支那や朝鮮半島の権力者達を魅了してきた。
現在朝鮮半島で見つかっている勾玉の大部分が日本からの交易品であり、
新羅の王冠にも勾玉が使用されているのも注目したい。
276 :
出土地不明:2009/10/16(金) 18:16:22 ID:yF5Led4c
277 :
出土地不明:2009/10/17(土) 18:03:40 ID:GKwdI6xk
278 :
出土地不明:2009/10/17(土) 18:04:28 ID:GKwdI6xk
279 :
出土地不明:2009/10/17(土) 19:33:23 ID:UU75Cm1J
【ソウル時事】
17日付の韓国紙・東亜日報は、北朝鮮が国内で6カ所の政治犯収容所を運営し、
約15万4000人を収監していると報じた。韓国政府が国会の外交通商統一委員会
所属の与党議員に提出した報告書で明らかになった。
同紙によると、韓国政府が北朝鮮の政治犯収容所の詳細について確認したのは
初めて。北朝鮮は平安南道の价川と北倉、咸鏡南道の耀徳、咸鏡北道の化城、
会寧、清津にそれぞれ5000〜5万人を収容している。
政治犯は主に、権力闘争で追放された上層階級者や反体制活動家、脱北者だが、
故金日成主席や金正日労働党総書記を侮辱するなどした一般住民も多いとされる。
収容所では1日10時間以上も強制労働に動員され、医療も受けられない。脱走を
図った者は公開処刑され、女性収容者に対する性的暴行も日常的に行われて
いるという。
280 :
出土地不明:2009/10/18(日) 08:58:32 ID:R9uZVxvq
>>277 九州北部は10世紀、四国は9世紀
江南から、直接伝播したと、考えるほうが、良くないか?
281 :
出土地不明:2009/10/18(日) 11:37:51 ID:fgcG/ftj
日本には江南稲作なんか伝わっていない。
石鋤で耕作し釜や鼎で炊飯する江南稲作なんか伝わっていない。
282 :
出土地不明:2009/10/18(日) 18:55:24 ID:0/8/lCcY
283 :
出土地不明:2009/10/18(日) 19:52:20 ID:zZvvt8aM
284 :
出土地不明:2009/10/19(月) 22:59:11 ID:lWthcul4
「呉服」は百済経由で伝わっている。
また百済国に、「若(モ)し賢(サカ)しき人あらば貢上(タテマツ)れ」
とおほせたまひき。かれ、命(ミコト)を受けて貢上(タテマツ)りし人、
名は和邇吉師(ワニキシ)、すなはち論語十巻・千字文一巻、并(アハ)
せて十一巻(トヲアマリヒトマキ)をこの人に付けてすなはち貢進
(タテマツ)りき。この和邇吉師(ワニキシ)は文首(フミノオビト)等(ラ)の
祖(オヤ)。また手人(テヒト)韓鍛(カラカヌチ)名は卓素(タクソ)、
また呉服(クレハトリ)の西素(サイソ)二人を貢上(タテマツ)り、
また秦造(ハタノミヤツコ)の祖(オヤ)、漢直(アヤノアタヒ)の祖(オヤ)、
また酒を醸(カ)むことを知れる人、名は仁番(ニホ)亦(マタ)の名は
須須許理(ススコリ)等(ラ)参(マヰ)渡り来つ。
http://kamnavi.jp/link/kojiki2.txt
285 :
出土地不明:2009/10/20(火) 00:34:54 ID:Rve2ESH6
百済には倭人が多く住んでたからね
286 :
出土地不明:2009/10/20(火) 12:59:41 ID:AxyVSzo8
百済の住人の多くは倭人でしたからね
【隋書 百済伝】
>其人雜有新羅、高麗、倭等、亦有中國人。
「そこの人は新羅、高句麗、倭などが混在しており、また中国人もいる。」
[梁書,百済伝] >その国は倭に近く、身体に刺青を施している者がとても多い。
其國有二十二檐魯、皆以子弟宗族分據之。其人形長、衣服淨潔。其國近倭、頗有文身者。
今言語服章略與高驪同、行不張拱、拜不申足則異。呼帽曰冠、襦曰複衫、○曰褌。其言參諸夏、亦秦、韓之遺俗云。
その国には二十二の檐魯があり、いずれも子弟や宗族にこれを分与している。人の姿形は身長があり、衣服は清潔に洗っている。
その国は倭に近く、身体に刺青を施している者がとても多い。今も言語、服装、規約などはほぼ高句麗と同じだが、道では大仰な拱手はせず、
拝礼は述べずとも足りる則りが異なる。呼称では冠を帽、複衫を襦、褌を○という。その言葉には中華諸国や秦(の方言)が加わっており、韓に遺された習俗だという。
287 :
出土地不明:2009/10/20(火) 23:14:34 ID:BmgmFug0
288 :
出土地不明:2009/10/24(土) 15:19:18 ID:KJ0xTRlA
勾玉の話はどこいった
289 :
出土地不明:2009/12/07(月) 16:09:43 ID:G0HQLt29
勾玉アクセサリーを復活させろ
290 :
出土地不明:2009/12/09(水) 00:48:53 ID:NTXCFKmy
>鍬は、台湾(卑南遺跡)から出土している。
>長江・江南稲作の時代は、釜で炊飯していた。
>※鼎は漢族が中国北部から侵攻して伝えた。
長江江南に鍬が無いのに台湾に鍬がある。
つまり日本から鍬が台湾に伝わったんだろ。高床式倉庫と一緒に。
長江江南の鼎は6000年前の河姆渡文化期からあるだろがこのボケワン!
291 :
出土地不明:2009/12/16(水) 02:52:10 ID:mqmHA6g8
現在勾玉と称して売っているモノは縄文弥生古墳時代の勾玉
とは似てもにつかぬ形をしているとんでもないシロモノである。
古墳時代型を作ると石の歩留まりが悪いからあんな無様な形
になってしまっている。許し難い話だ。(良い石がもったいないし)
それと勾玉と巴型は無関係。ましてや陰陽の太極のあの形とは
100000000000000000000000000000%関係ない。
勾玉の形は時代を経過するに伴い、意味が追加され、複数の意味が
融合していると考える。
1.もともとは獣牙ネックレスの物まねである。意味は獣の牙の
威力で魔除け効果をねらったモノである。
2.勾玉はネックレスになったとき、他の玉より突き出すことに意義
がある。また、単に突き出すだけでなく、曲がっていることにも
意義がある。そしてその形はものを引っかける形であり、転じて
魂が体から抜け出るのを引っかけて防止する意味が付け加わり、
ますます魔除けの要素が強化されていく。
(鈎型が魂を引っかけるというのは東南アジアの民俗に珍しくない
考え方だそうだ(by春成)
3.美しい石でネックレスを作るようになったが、その際獣牙も美しい
石で作るようになった。材料の転換である。これは後に貝輪が銅
に置き換わり銅釧になったり、鍬型石が貝製から出雲石製に切り
替わったりするがそれの先駆けである。
4.獣牙を美しい石(翡翠)で作るにあたり、体に優しくない部分(突き
刺さる先端や、がさつく頭部分)を丸めて形を整えた。その結果、
勾玉の形状は胎児を想像させる形状となった。(その際、ひもを通す
穴が目に見立てられた。あくまで勾玉はネックレス使用がメインで
あるので、穴が目に見えるというのは後からの意味付けである。)
292 :
出土地不明:2009/12/16(水) 02:54:36 ID:mqmHA6g8
5. 勾玉が胎児=人間の元=魂の形 として認識されると、ますます魔除け
意味合いが強化される。つまり、勾玉を身につけると言うことは、獣
の牙の力で邪悪なものを遠ざけ、生命力を強化し、魂が体から抜け
出ることを防止するということなのである。
6.勾玉が魂の形の象徴であればこそ、子持ち勾玉の意味が明確になる。
子持ち勾玉は大型なモノが多い。つまり大きな魂から小さな新しい
魂がどんどん生まれ出る姿を現しているのである。
7. 勾玉が魂の形を象徴するならば、勾玉を魂の入れ物と考え、降ろした
精霊を勾玉につけることも可能であろう。八坂にの勾玉に天皇霊が宿る
と考えれば、勾玉のレプリカが作られず、ずっと宮中に置かれてきたこ
とも頷ける。
8.こう考えてくると三種の神器の中での位置付けも明確になる。つまり
3つとも魔除けなのである。
鏡=相手の真実の姿(正邪)を見極める。自分の状態(穢れていない
か)を把握する。
剣=言うまでもなく邪悪な相手と闘うためにある
勾玉=身につけ生命力を増大させる。牙の力で相手を退ける。魂を抜き
取られるのを防ぐ。降ろした精霊を勾玉につけ守護を期待する。
勾玉はネックレスとして24時間365日身につけ常用できる。非力
な巫女が多用するのも納得できる。
9.間違っても月の象徴ではあり得ない。子持ち勾玉の説明が出来ない。
巫女埴輪が十個以上首にじゃらじゃら巻く理由も説明できない。
293 :
出土地不明:2009/12/17(木) 02:26:37 ID:hlMogyfV
月です。間違えて真床追衾の儀式の中で胎児になった。
294 :
出土地不明:2009/12/17(木) 02:53:21 ID:hlMogyfV
古池や蛙飛び込み
千の月とか
295 :
出土地不明:2009/12/21(月) 20:48:17 ID:slQ6iVOV
月はあり得ない
296 :
出土地不明:2009/12/26(土) 00:41:02 ID:iNOha9WU
>現在勾玉と称して売っているモノは縄文弥生古墳時代の勾玉
>とは似てもにつかぬ形をしているとんでもないシロモノである。
>古墳時代型を作ると石の歩留まりが悪いからあんな無様な形
>になってしまっている。許し難い話だ。(良い石がもったいないし)
すごーーーーーく同意する。
297 :
出土地不明:2010/02/06(土) 20:49:59 ID:gazIpBae
ネット通販とかで売ってるパワーストーン勾玉ってやたら高いけど、
本物の宝石を使ってるの?
298 :
出土地不明:2010/03/03(水) 10:01:44 ID:9UuzUV8J
ものによるんじゃないかな?
パワストの世界って値段が本物の宝石よりは安いから鑑別書をつけないことが多い。
着色・染色・加熱・脱色なんでもやるよ。
とくに翡翠・メノウはそういった加工がしやすい石で、手軽に買えるものには
大体何かされてるんじゃないかな。
本物の宝石使ったものがほしいならソーティングのついたものがいいんじゃない?
自分はまがたまは翡翠が一番いいというか、しっくりくると思いますが、
このスレの人は何だと思いますか?
というのも、やさかにの勾玉の「に」って赤メノウだとも聞くので…。
299 :
出土地不明:2010/03/18(木) 02:03:55 ID:xAz9dfiq
勾玉カッコイイ、おしゃれ。
300 :
出土地不明:2010/03/18(木) 04:17:21 ID:mzlz5ZLD
マガタマは日本独自のもの?
それとも古代支那文化(5000年以上前)の影響?
301 :
出土地不明:2010/03/20(土) 09:05:39 ID:UHKYcxrI
>>214 日本中国朝鮮どの国の史跡でも新羅百済は日本人の国高句麗は中国人の国と記されてるんだから当たり前だろ
朝鮮人はただ日本人と中国人の国にたまたまいただけ
302 :
出土地不明:2010/03/26(金) 23:27:02 ID:lcIO/ImA
二上山のふもとから大量に出てきた勾玉(古代の工房跡)、
いくつかほしい…いつかTVで映ってたけど。
やっぱ本物があこがれるな。
303 :
出土地不明:2010/04/08(木) 20:46:30 ID:hpxk+LPI
自作加工派はおらんのかいの?
304 :
出土地不明:2010/04/12(月) 08:32:05 ID:bTThD1lM
>>67が
>起源については牙かも知れないから、
って言ってるけど、勾玉のあの形は何を表してるんだろう?
何を真似た形なんだろう。
305 :
中薗:2010/05/31(月) 00:43:19 ID:eCnuavOX
人間の胎児という説が最有力
306 :
出土地不明:2010/05/31(月) 04:47:59 ID:35Qc3DfJ
金の勾玉が欲しい
307 :
出土地不明:2010/06/03(木) 05:45:26 ID:gCyyzv0s
勾玉発祥の起源は日本か韓国か?
ttp://npn.co.jp/article/detail/69150275/ (略)
さて、勾玉の起源であるが、日本では遥か縄文時代の遺跡から出土される物がもっとも古い。勾玉には呪術的な
要素も強く、勾玉には精霊が宿り、それを身に付けることで災厄から身を守ると思われて来た。また、その形態は
弥生時代から古墳時代の間に、ほぼ形作られた物と思われる。その形状からか、勾玉は胎児を指しているとも
言われている。
勾玉の大きさは、1センチ大から5センチ大まで様々な大きさがあり、材質は翡翠、水晶、瑪瑙、ガラス製の物など、
様々な材質で作られてきた。中でも翡翠製の勾玉が最も多く、新潟県糸魚川から出土される翡翠を用いて製作
された勾玉が、日本各地から出土されている。
さて、韓国の勾玉の歴史であるが、韓国からは主に、6世紀頃の遺跡から出土される。しかも、その材質は翡翠製
であり、韓国から翡翠は産出されない。
近年、科学的な研究の結果として、韓国の勾玉は日本の糸魚川産の翡翠で作られたものだと判明された。
つまり、韓国の勾玉は日本からその時代に韓国へ輸出されたものだったのである。これに異を唱える学者もいるが、
勾玉が日本起源であることは、どうやら間違いないと言えそうだ。
308 :
出土地不明:2010/06/03(木) 11:22:12 ID:NeT3EZ0Z
309 :
出土地不明:2010/06/04(金) 11:30:58 ID:gnAiL09S
勾玉と聞くと「空色勾玉」を思い出す
310 :
出土地不明:2010/06/09(水) 00:01:19 ID:GgDJ5X5y
そいえば新羅の王冠の勾玉にも空色っぽいのがあったような。
311 :
出土地不明:2010/06/11(金) 16:13:39 ID:iATxG1im
糸魚川翡翠の勾玉を愛用しているけど、勾玉の形が魂の形なんじゃないかって凄く思うようになってきた。
愛用するまではそんな事思わなかったけど。
昔は青と緑の区別をしなかったらしいから、青白い人魂を見た人が緑や青であの
形を作ったんじゃないかな…なんか最近そう思うようになってきた。ちなみに愛用の
勾玉は青とも緑ともとれるエメラルドグリーン。
312 :
出土地不明:2010/06/12(土) 00:32:19 ID:X4j68L4N
確かに糸魚川翡翠の勾玉はパワーある
ものによりけりなのかどうかは知らないが
俺は結構霊感強くて、嫌な目に遭わないようにパワストを重ねづけしていたんだが、
今は糸魚川翡翠勾玉一つだけで十分だ
313 :
出土地不明:2010/06/24(木) 13:36:04 ID:jBCnHxZO
勾玉ってほんと生きてる感じする。大好きだよ。
金の勾玉持ってる人、傷つきませんか?ペントップですか?いつか作ってみたいです。
青ともみどりともとれる勾玉オーナーさん、糸魚川のろうかんかな?
滅多ないでしょ?すごいですね。糸魚川は硬質な石質ですね。キヨラカというか。
霊感の強い方、霊を見なくなったのですか?
守られる感じがするのですか?
いい勾玉と出会ったみたいでよかったですね。
自分も含め、いい出会いがありますように。
314 :
312:2010/06/25(金) 10:34:38 ID:QyTPwlSe
>>313 霊を見なくなったというより、嫌な目に遭わされなくなった。
代々祈祷師の家系で、俺なんか何も能力受け継いでいないと思っていたんだが、
実家出て一人暮しをしているうちに奇妙なことが重なって、ある晩にバーンと霊体験orz
天眼石だ、オニキスだとパワストを重ねづけしていたんだが、寄って来たのが
近くにたむろしている状態だったんだよね。
糸魚川翡翠の勾玉は、相手がスーッと通り過ぎていく感覚。俺を認識していない?みたいな。
白い透明感のある翡翠に、ガッガッと濃い緑が入ってスパイダーマンみたいで気に入っている。
一度青緑色の勾玉を見せてもらったことがあったけれど、この世のものとは思えない美しさだった。
糸魚川でもかなり稀少らしいね。
315 :
出土地不明:2010/06/25(金) 11:37:23 ID:hMBc6zy8
なんかスレ違い気味になってない?
ここ考古学板なんでそういう話はオカルト板でどうぞ
316 :
出土地不明:2010/06/25(金) 12:19:17 ID:QyTPwlSe
すまん。もう書き込まないから
317 :
313:2010/06/26(土) 00:03:14 ID:CnYY7uK3
>>312 いろいろ教えてくれてありがとうございました。参考になりました。
いいお守りができて良かったですね。
船泊遺跡では勾玉ではないですが、翡翠の大珠が人骨とともに出ています。
翡翠は魔よけとしての力があるのかなと。この辺疑問でした。
今に通じる何かがあるからこそ今この瞬間にも存在するんじゃないかと思っています。
318 :
出土地不明:2010/07/11(日) 00:45:59 ID:wKGVhBWX
チョッとエロイ人にお尋ねします。
勾玉には孔の無いものが出土されていると聞きましたが、自分で身に付けないで
どのようにしてその勾玉を守ったのでしょう?
孔は身に付けるためでしょうね!
だからその守ったとかいうのが思い込みなんじゃないの?
ただの装飾品じゃん
320 :
出土地不明:2010/07/11(日) 01:16:10 ID:wKGVhBWX
古代においては稀なる貴重なシンボルだったと思ったものだから。
装飾品ならきっと紐を通す孔は必要と思うが?
321 :
出土地不明:2010/07/11(日) 01:20:12 ID:wKGVhBWX
装飾品=置物だろうか?
現代でも価値のある物は人目がなければ盗んでいきますね!
322 :
出土地不明:2010/07/11(日) 13:31:54 ID:wKGVhBWX
>>319 守ると言うのは盗難から守ると言う意味です。
323 :
出土地不明:2010/07/11(日) 16:49:02 ID:wKGVhBWX
そう言えば子供の時先生から大切なものはシッカリ身に付けましょうと習った。
324 :
出土地不明:
勾玉の形はアコヤガイの貝柱を模したもの