文化人類学 遺伝学 考古学の融合について語るスレ

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1出土地不明:2005/09/25(日) 14:12:27 ID:oNSrdlEs
最近になって先史時代のことが、考古学的な研究だけでなく、
現代人の遺伝子解析やさらには、古人骨の遺伝子解析(とくに
mtDNAの解析)によって分かるようになってきた部分があります。
とりわけ、現生人類がアフリカを出て世界全体に散らばっていく
過程については、mtDNAの解析が非常に大きな力を発揮しました。
一方遺伝学のほうでは、創薬とからんで、薬の耐性などと遺伝子
の変異(SNPs)との関連の分析が非常にすすんできて、さらに疾病
と遺伝子の変異との関係についてもかなりいろいろなことがわか
ってきました。
さて、たとえば、ある先史時代の民族が特定の病気に対する療法
を開発したとすると、その療法が有効であるSNPsをもつ人はたすか
り、そうでない人は助からないということが起こります。非常に
小さなコミュニティで移動していた狩猟採集民族ではこの効果は
大きく、その民族の文化伝統による特定の医療行為が進化的な選択
に大きく影響することになるでしょう。一方、民族の文化伝統は
その民族の住む地域の気候風土やとくに植生とも深く関係します。
そこでこれらを総合的に判断して、考古学で分かることと、文化
人類学でわかること、そして遺伝子解析でわかることを結びつけ
ると、よりいっそうクリアに見えてくることがありそうです。
つまり、文化はミームであり、これは遺伝子ジーンの選択に関連
し、かつそのジーンは現代人にも反映されていて、そして、その
文化の過去のありようは、考古学的な遺跡、遺物に記録されている
ということから、互いに分からないことを補いあうことで、先史
時代を復元し、かつ、それによって、現代人の医療やよりよい文化
の発信のための基礎を作り出すことにもつながるという新しい
学問です。さあ、みなさん、議論しましょう。
2もりこし:2005/09/25(日) 15:26:11 ID:PDJuLuM1
人生はっつの2げと
3出土地不明:2005/09/25(日) 23:57:33 ID:iQhYvNG1
新スレおめでd
記念カキコかつ3ゲッツ


文化(ミーム)…一重瞼でふくよかな体系ののっぺり顔のやつはカコイイ&美人(天平〜昭和初期)

遺伝子(ジーン)の選択への関連…二重ソース顔の淘汰


田舎のひいばーちゃんの若い頃の写真を見せてもらったことがあるんだよね
目なんかパッチリ二重でアイドル顔負けのかわいさだったんで正直ビックリしたんだ
だけどひいばーちゃんに言わせると、当時(大正時代)はすげえコンプレックスで
こんな目では嫁にいけないかもしれないって真剣に悩んだんだってさ
今と昔じゃえらい価値観が違うもんだなって子供心に思った
4出土地不明:2005/09/26(月) 00:05:58 ID:R4uTEdVR
3のつづき
よく天皇家の顔が一重瞼で大陸系だとかいう奴いるけど
伝統ある家系の顔って、たいていそんな感じの顔だよな
歌舞伎の中村一門だって、みんな一重瞼とかのっぺり系じゃまいか
5出土地不明
>>3
どうもです。
>>1ですが、
最近になって、ヒトゲノムが全部わかったでしょ。まあ、まだまだ
細かい内容はおいといて、いろいろな遺伝子がどこにあるとか、どの
遺伝子とどの遺伝子は染色体上で近くにあるとか。
で、近くにあるものは、一緒に子孫に伝わる率が高いわけです。
そうすると、たとえば、おっしゃるような、一重瞼の話もあったとして
一重瞼になるような遺伝子がまあ、たぶん、一つじゃなくて、二つか
三つか、四つかそれくらいあるとしましょうや。そうすると、そういう
のが選択的に選ばれる文化においては、その遺伝子の近傍にある別の
遺伝子も残っている可能性がたかいですね。そうすると、たとえばの
話ですが、一重瞼が選択的に残るような文化では、突然、ある種の病気
が頻繁に起こったりするかもしれないわけです。
そうなると、形質と病気との関係なんてのももう一度考えてみないと
いけません。よくあるでしょ。こういう顔したやつは悪いやつだ、みた
いな直感的なもの。それが案外今後分かってくるかもしれないし、こう
いう行動をとるやつは、胃が悪くなる可能性が高いとか。
で、さらに、その行動原則はときに文化的影響を受けるし、さらに
もっとダイレクトなのは1で述べたように、ある文化で民間療法として
うまれた(近代医学以前は全部民間療法でしょうが)ある方法も、特定
のSNPをもつ人だけに有効だとすると、そういう療法を発達させた文化
はそのSNPの人が生き残りやすいし、かつそのSNPのある染色体上の場所
に近い他の遺伝子も選択に影響うけて、その結果が突然背が高くなった
り、あるいは、ずんぐりむっくりになったり、みたいなことが起こる
のではないか、ということなんです。