古代出雲東北日本海新羅王朝の謎

このエントリーをはてなブックマークに追加
317出土地不明
よく百済との関係を云々する人がいるが、新羅との関係の方が遥かに興味深い。
中国の史書では百済に関し、その元来の住民については倭人が頗る多いと記されているが、王族はツングース系の扶余であったという。
しかし新羅の場合、なんと日本列島から渡来した倭人が王になって王統をも伝え、述べ8代の王を輩出したとされる。
初代 赫居世居西干(朴氏)
*2代 南解次次雄(朴氏)
*3代 儒理尼叱今(朴氏)
*4代 脱解尼叱今(昔氏) ←倭人。丹波の国出身説が有力。
*5代 娑婆尼叱今(朴氏)
*6代 祗摩尼叱今(朴氏)
*7代 逸聖尼叱今(朴氏)
*8代 阿達羅尼叱今(朴氏)
*9代 伐休尼叱今(昔氏)
10代 奈解尼叱今(昔氏)
11代 助賁尼叱今(昔氏)
12代 沾解尼叱今(昔氏)
13代 味鄒尼叱今(金氏)
14代 儒礼尼叱今(昔氏)
15代 基臨尼叱今(昔氏)
16代 訖解尼叱今(昔氏)
17代 奈勿尼叱今(金氏)
そしてさらに、それ以上に興味深いのが建国時に新羅の宰相となって影の王のように振る舞い活躍した瓢公という、
瓢箪を腰に付けて船で渡来したとされる倭人で、この人物は現代の朝鮮人のアイデンティティの根幹を揺るがしかねない問題を孕んでいる。
というのも、現代の朝鮮人の姓名は"中華"への服属意識を如実に表す、音読みで姓=漢字一字、名=漢字二字という漢族式で、
実際の姓自体も漢族が使用するものの借用が殆どという有様だが、新羅の初代王の朴赫居世に始まる「朴」という姓だけは、
辰韓の語の「バク」という単語を借字で音写した独自の姓とされ、特殊な姓と言える。
ではこの「バク」という辰韓の語が何を意味するかと言うと、「瓢」。宰相として影の王のように振る舞った倭人の「瓢」公となんと同じ。
このことから、瓢公と朴赫居世は共に倭国から渡来した同族、あるいは同一人物であるとも言われている。
ちなみに金氏の祖は、件の、倭人である昔氏初代にして第四代新羅王脱解の治世時に、これまた件の倭人宰相瓢公が拾って来たとされている。
瓢公(あるいは朴氏も)や昔氏一族といった倭人たちが新羅建国に深く関わり、王、宰相として支えたわけです。非常に興味深いですね。
参考文献:三国史記、三国遺事
318出土地不明:2007/08/07(火) 21:17:07 ID:XLeX3KUn
大韓民国史跡第16号
半月城(Banwolseong)
新羅時代王が住んだ宮廷跡
http://www.koreatips.net/_share/cities/images/gyeongju_seokbinggo.jpg

半月城は雁鴨池(Anapji)の東南方向にある新羅時代の代表的宮廷のあった所だ。
史跡第16号に指定されているこの半月城は、その形が新月に似ている事から新月城、または月城と
いい、王がいる所という意味から在城とも呼ばれている。
約900年間新羅が治めた所であった半月城には、現在鬱蒼と生い茂る森と、青い芝生の丘が調和し
た状態で、城跡のみ残っている。
しかし過去には華麗で壮厳であった宮廷を始め南門と正門である帰正門(Gwijeong-mun)、北門、玄
徳門(Hyendek-mun)、武平門(Mupyeong-mun)などの城門と月上楼(Wolsangnu)、忘恩楼(Mangeunnu)、
鼓楼などの楼閣、政事を論議した朝元殿など、たくさんの建物があったと言われている。

※ ちなみにここはもともと倭人で新羅建国時の宰相、瓢公の住居。2代目の新羅王の長女と結婚し、
  4代目の新羅王になった倭人の昔脱解は、知略でこの住居を詐取したことにより出世しました。