特殊器台型埴輪について

このエントリーをはてなブックマークに追加
60出土地不明:2005/11/02(水) 21:58:00 ID:SuUJenrh
特殊器台の上に特殊壺を載せた形――「これぞ朝顔形埴輪の祖形ナリ!」
と説かれる。確かにそうだと思う。しかし――

しかし、朝顔形埴輪は、なにゆえに器台と壺とを合体(一体化)したのか?
これが解らない。
考古学者には説明が求められている、と思う。
61出土地不明:2005/11/02(水) 22:02:10 ID:SuUJenrh
素人なりに考えてみる。

(1)誤観察説
 埴輪づくりの経験が全くない土器職人に、古墳造営責任者が命じる。
 「最近、古墳の上に、オモロイ土器を並べるのがハヤリみたいやで」
 「え? ほんまでっか? ほならワテらも真似せなあきまへんな」
 「おまえ、ちょっと、よそさんの古墳に行って、見学してこいや」
 「へーい」
  (と土器職人、見学に行く)
 「行ってきましたで」
 「おう。で、どやった?」
 「オモロイ土器でんなあ、あれは。下は土管で上はまるでアサガオや」
  (彼、遠目でしか見られなかったので、器台+壺とは認識できなかったのである)
 「おまえ、作れるか?」
 「へい。なんとかやってみまひょ」

 というわけで――つまり誤観察で、朝顔形埴輪が出現!
62出土地不明:2005/11/02(水) 22:29:50 ID:SuUJenrh
(2)運搬労力軽減説
 首長が死んだ。古墳づくりが始まった。今回はとびきりの大型。
 運搬担当者が土器職人のところへやってきた。相談したいことがある、という。
 「器台と壺、今度はなんぼほど作るんでっか?」
 「器台2000本、壺1000個」
 「うえ〜ッ! むっちゃ多いがな」
 「運ぶの、シンドおますか?」
 「シンドイのなんのって…。それに今回は墳丘もすこぶる高う造ってますさかい…」
 「昇り降り、何度も大変でっしゃろな」
 「同情してくれるんやったら、あんさん、ちょっと頼み聞いてくれへんか」
 「なんですやろ? わてに出来ることなら…」
 「知ってはる思うけど、器台と壺、これまでは別々に運んでま」
 「大きいさかいな」
 「割れやすいから、気ィ使うてまんねんで」
 「おおきに」
 「器台と壺のワンセットのために、2往復せなあかん」
 「そうでんな」
 「これをなんとか1往復で済ませたい。労力削減や」
 「???」
 「つまりな、器台と壺を最初から合体して作ってくれたら…」
 「あ、なるほど」
 「少々重うなってもかめへん。ワンセット1往復で済む」
 「よっしゃ、やってみまひょ」
63出土地判明:2005/11/03(木) 08:27:25 ID:IDew3CBs
奈良県天理市 布留遺跡 朝顔形埴輪
http://inoues.net/club/karakonew723.jpg

>>60-62
面白いが「誤観察説」はどうかな。
朝顔形出現の契機について論じるには、最も初源の朝顔形埴輪がどれかを特定しないといけないが、なかなか難しいと思うよ。
布留出土のものは、かなり古いはずだが、「初源」と言い切れるかどうか。
64出土地不明:2005/11/03(木) 10:59:32 ID:HAgko9zO
> 「オモロイ土器でんなあ、あれは。下は土管で上はまるでアサガオや」
> (彼、遠目でしか見られなかったので、器台+壺とは認識できなかったのである)

特殊器台+特殊壷は、どう見てもアサガオではないと思うぞ
一体化した後にデフォルメされてアサガオになったのではないか?
65出土地判明:2005/11/04(金) 14:12:51 ID:3i1Ep1+/
奈良県桜井市 箸墓古墳 特殊器台形埴輪・特殊壺形埴輪・壺形土師器(図)
 (↓PDFなので読み取りにはAcrobat Readerが必要)
http://www.bun-eido.co.jp/publish/culture/himiko/p217.pdf
 (※注 壺形土師器は前方部で採集された)
66出土地不明:2005/11/05(土) 19:55:21 ID:vnculpX1
たいへん乱暴な分類だが、いま口縁部の形状を、つぎの2種類に大別してみよう。

       @カクカク形 └┐┌┘

       Aラッパ形  \ /

  (@は頸部まで描いたのに、Aにそれがないことをを咎めてくれるな)
  (Aはホンマは複合口縁のように描きたいのだが、適当なフォントがないノダ)

            ***

それで、>>64が言いたいのは、こういうことだろう。

 1.「吉備系の特殊器台形土器はおおむねカクカク形(立坂型や向木見型のころ)」
     ↓  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓
 2.「それが特殊器台形土器の上に載っていた」
     ↓  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓
 3.「そのさまを一体化≠オて朝顔形埴輪がつくられたんだから、最も初源となる朝顔形埴輪の口縁部は、当然@のカクカク形であったはずだ(アサガオ(=ラッパ形)ではなかった)」
     ↓  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓
 4.「しかる後に、何らか経緯でデフォルメが行われ、朝顔形埴輪の口縁部はAのラッパ形となった。そしてそれが古墳時代全般を通じての、朝顔形埴輪の最も普及した形態となっていった」

違うかい?
6766:2005/11/05(土) 20:30:47 ID:vnculpX1
ごめん。↑の「1.」の文、間違えた。訂正。特殊器台形土器(×)→特殊壺形土器(〇)。

 1.「吉備系の特殊壺形土器はおおむねカクカク形(立坂型や向木見型のころ)」

が正しいデス。スマソ
68出土地不明:2005/11/06(日) 21:21:41 ID:QFJJZhuC
>>66
      >@カクカク形 └┐┌┘
      >
      >Aラッパ形  \ /

カクカク形の口縁を備えた朝顔形埴輪…なんて出土してないだろ。
朝顔形埴輪はぜ〜んぶラッパ形。
だからモデルにされた「器台+壺」の壺も、ラッパ口縁だったはず。
結論…吉備のカクカク形特殊壺は無関係。終了。
69出土地不明:2005/11/06(日) 23:22:03 ID:FX0b1XWk
\___  ___/
      |  |

なかんじのが、間にあるんじゃない?
都月坂とか

で、左右の\/が肥大化していくと、自然にアサガオになるとおもうのだが
70出土地不明:2005/11/09(水) 23:22:33 ID:HJ1bf7aN
>>63
現在もっとも古いとされる朝顔形は東殿塚のものだよ。

>>69
この話題に関しては宇垣匡雅が論じている。
『考古学研究』第31巻第3号の「特殊器台形埴輪に関する若干の考察」を読むべし。
71出土地不明:2005/11/09(水) 23:44:58 ID:9T+0C0WP
>>70
東殿塚の年代って古いって確定したの?
72出土地判明:2005/11/10(木) 16:28:18 ID:uy5+V7SE
奈良県天理市 東殿塚古墳 朝顔形埴輪ほか
 (↓PDFなので読み取りにはAcrobat Readerが必要)
http://www.city.kani.gifu.jp/gakushuu/bunsin/rekisikan1/tenji/tokukika/past/kakotoku-kika/14toku/tenjizuroku/p08-09.pdf
 ↓同実測図
http://www.city.kani.gifu.jp/gakushuu/bunsin/rekisikan1/tenji/tokukika/past/kakotoku-kika/14toku/tenjizuroku/p60-61.pdf
朝顔形埴輪なのに、巴形透孔と沈線文様(蕨手文)があるのは、注目すべきことと思われ。
73出土地判明:2005/11/12(土) 23:22:26 ID:VcENwald
 【朝顔形埴輪】…特集!

岐阜県加茂郡富加町 後平茶臼古墳
http://www.maibun.gifu-net.jp/shosai/77-396.jpg

愛知県犬山市 青塚古墳(鰭付)
http://www.inuyama.gr.jp/ssinfo/contents/aotsuka/shinpo/shinpo21.jpg

三重県亀山市 能褒野王塚古墳
http://www.city.kani.gifu.jp/gakushuu/bunsin/rekisikan1/tenji/tokukika/past/kakotoku-kika/14toku/08.jpg

兵庫県朝来市(旧朝来郡和田山町) 茶すり山古墳
http://www.keyton-co.jp/gensetu/chasuriyama/images/chasuriyama03.jpg
http://kyoto.cool.ne.jp/kanta727/haniwa4-4.jpg

鳥取県東伯郡湯梨浜町(旧羽合町) 長瀬高浜遺跡
http://inoues.net/ruins/nagaset_31.jpg
http://inoues.net/ruins/nagaset_22.jpg
74出土地不明:2005/11/13(日) 01:33:57 ID:Snl7ZdaU
どう見てもアサガオ型って、メスリ山のやつの手抜き品としかおもえんのだが。

メスリ山出土円筒埴輪
http://www2.begin.or.jp/sakura/mesuri04.jpg
http://www2.begin.or.jp/sakura/mesus3.jpg
75出土地不明:2005/11/14(月) 15:44:04 ID:r67g/KUs
>>74
いや、それは違うだろ。
メスリ山古墳の巨大円筒埴輪の上に載っている >< 形のものは「高杯形埴輪」と言ってるが、
その脚部の口径は、円筒埴輪の口径より大きいので、はみ出しちゃってる。
こんな「器台+高杯」の図式をいくら合体(一体化)しても、朝顔形埴輪にはなり得ない。
やはり通説通り、朝顔形埴輪は「器台+壺」が元と考えるべきだろう。
76出土地不明:2005/11/14(月) 21:22:34 ID:ejbKP2UD
>>75
いや、上のリンクの断面図を見てもらえばわかるように
脚部は円筒の口径より狭くすっぽり中に入っている。
そのまわりに末広がりの装飾がついていると見るべきでは?

一体化する上でデフォルメされて装飾が削られれば、自然にアサガオ型になる。
こういう省略はおこりうることで、アサガオのラッパまで省略されてしまったのが丹後型だろう。
と想像しているのだが・・・・・
77出土地不明:2005/11/15(火) 00:50:34 ID:fOlK6TfT
>>76
>いや、上のリンクの断面図を見てもらえばわかるように
>脚部は円筒の口径より狭くすっぽり中に入っている。

おいおい、ウソやろ! 断面図でもハミ出しとるやんけッ!
↓にメスリ山埴輪(レプリカ?)のデカ写真が掲載されとるで(拡大可)
http://sun3panda.nce.buttobi.net/narakohun1/sekisitu3/mesuri12.jpg
よ〜く見てくれッ! 再検討キボッ!
78出土地不明:2005/11/15(火) 14:12:53 ID:cz13EfCO
>>76さんおっしゃる「丹後型」が分からなかったからググってみたわ

京都府与謝郡加悦町 作山1号墳 丹後型円筒埴輪
http://inoues.net/tango/kofun_kouen59.jpg
うふっ ステキよん! §*^o^;ポッ
79出土地不明:2005/11/18(金) 11:37:35 ID:nMTd1bpN
↑淫乱娘よ、聖なる古墳を前にして過激妄想発言はやめれ。
だが、ま、われわれ男子学生アルバイト作業員一同、貴女の訪問を歓迎。
発掘現場にはできるだけ露出の多い服装で来られたし。
うしし、寄ってたかって…
80出土地不明:2006/07/02(日) 07:08:23 ID:vJYrylHW
zezwdx
81出土地不明:2006/10/11(水) 17:43:35 ID:cz+HxjrJ
age
82出土地不明 :2006/11/08(水) 21:22:32 ID:UeBHzvss
特殊器台型埴輪幻人
83出土地不明:2007/04/14(土) 05:52:19 ID:Q48YI+WT
楯築弥生墳丘墓
84出土地不明:2007/07/19(木) 02:03:11 ID:+pmsMH/O
85出土地不明:2007/09/07(金) 05:32:18 ID:xTpyimjt
トクシュキダイ
86出土地不明:2007/09/30(日) 05:28:55 ID:410MiNcR
特殊器台 → 円筒埴輪
87出土地不明:2007/10/21(日) 03:27:33 ID:qYX4bVGp
では、円筒埴輪はどのような経過を経て、古墳に立ち並べられるようになったのでしょうか。
円筒埴輪は、弥生時代の末期に吉備(きび)地方=現在の岡山県で墓に供えられた
「特殊器台(とくしゅきだい)・特殊壺(とくしゅつぼ)」を起源とするものと考えられています。
これは複雑な文様で外面を飾り、亡き被葬者(ひそうしゃ)に対して供物を捧げるという行為を
表したものと考えられています。また、墓に立てられる位置も部分的で、限られた数量でした。
そして、この「特殊器台・特殊壺」が古墳出現期に大和地方=現在の奈良県北部に採り入れられ、
その後古墳時代前期を通じて円筒埴輪として変化していきました。
その過程で、「特殊器台」に「特殊壺」を乗せた様子は朝顔形埴輪(あさがおがたはにわ)として変化し、
円筒埴輪と朝顔形埴輪が古墳や周濠のまわりを取り囲むようになったのです。

http://www.city.sakai.osaka.jp/kyoiku/_syougai/_maibun/koni1.html
88出土地不明:2007/11/01(木) 12:53:25 ID:dTpmmllB
●「史跡東之宮古墳シンポジウム」のご案内

日時:平成19年11月23日(金)13:00−16:00
場所:犬山国際観光センター「フロイデ」4Fフロイデホール(犬山市松本町4-21名鉄犬山駅東へ徒歩3分)
入場無料(定員300人、当日先着順)
内容
・平成19年度調査成果報告 …渡邉樹(犬山市教育委員会)
・パネルディスカッション「東之宮古墳の魅力」
  …森下章司(大手前大学) 中野金弘(池野小学校) 赤塚次郎(愛知県埋文センター)
・シンポ古代劇 「東之宮幻想」
http://higashinomiya.com/index.php?plugin=attach&refer=%E6%9D%B1%E4%B9%8B%E5%AE%AE%E5%8F%A4%E5%A2%B3%E6%8E%B2%E7%A4%BA%E6%9D%BF&openfile=higashi-sinpo.jpg
89出土地不明:2007/12/08(土) 19:42:57 ID:GvlfehoC
日本史板の「邪馬台国ドンと来い24」スレからコピペ。勝手してスマソ。

708 名前:707[] 投稿日:2007/12/02(日) 04:50:39
【特殊器台および特殊器台形埴輪の出土遺跡名(抄)】

■立坂型特殊器台
▽立坂墳丘墓 (岡山県総社市新本)
▽楯築墳丘墓 (岡山県倉敷市矢部)
▽黒宮大塚 (岡山県倉敷市真備町岡田)
▽鋳物師谷2号墳 (岡山県総社市清音三因)
▽雲山鳥打1号墳 (岡山県岡山市津寺)
▽中山遺跡 (岡山県真庭市落合垂水)
▽古坊遺跡 (岡山県新見市神郷下神代)
▽浦尾5号墓 (岡山県岡山市門前)
▽貝ケ原遺跡 (広島県尾道市御調町貝ケ原)
▽西谷3号墓 (島根県出雲市大津町下来原)
90出土地不明:2007/12/08(土) 19:44:57 ID:GvlfehoC
■型式不詳、特殊器台に類似する「特殊な大型器台」
▽津島遺跡 (岡山県岡山市いずみ町)

■向木見型特殊器台
▽向木見遺跡 (岡山県倉敷市木見)
▽西江遺跡 (岡山県新見市哲西町上神代)
▽愛宕山遺跡 (岡山県赤磐市黒本)
▽鯉喰神社墳丘墓 (岡山県倉敷市矢部)
▽西山遺跡(箭田西山遺跡) (岡山県倉敷市真備町箭田)
▽便木山遺跡 (岡山県赤磐市山陽)
▽秦山崎遺跡 (岡山県総社市秦)
▽矢部南向遺跡 (岡山県倉敷市矢部)
▽矢谷古墳 (広島県三次市東酒屋町) ※「矢谷古墳」は史跡名称
▽東郷遺跡 (大阪府八尾市光町他)

■型式不詳、特殊器台(壺)形土器片(向木見型か)
▽小阪合遺跡 (大阪府八尾市小阪合町他)
▽萱振遺跡 (大阪府八尾市萱振町他)
91出土地不明:2007/12/08(土) 19:45:56 ID:GvlfehoC
709 名前:707[] 投稿日:2007/12/02(日) 04:52:39
■矢藤治山型特殊器台
▽矢藤治山古墳 (岡山県岡山市西花尻〜東花尻)

■宮山型特殊器台
▽宮山古墳(三輪宮山古墳) (岡山県総社市三輪)
▽西殿塚古墳 (奈良県天理市中山町)
▽中山大塚古墳 (奈良県天理市中山町)
▽箸中山古墳(箸墓) (奈良県桜井市箸中)
▽葛本弁天塚古墳 (奈良県橿原市葛本町)
92出土地不明:2007/12/08(土) 19:47:24 ID:GvlfehoC
■特殊器台形埴輪(都月型円筒埴輪および亜式)
▽都月坂1号墳 (岡山県岡山市津島本町)
▽浦間茶臼山古墳 (岡山県岡山市浦間)
▽七つグロ1号墳 (岡山県岡山市津島西坂〜津島笹が瀬)
▽中山茶臼山古墳 (岡山県岡山市吉備津〜尾上)
▽網浜茶臼山古墳 (岡山県岡山市赤坂南新町)
▽操山109号墳 (岡山県岡山市平井)
▽宍甘山王山古墳 (岡山県岡山市宍甘)
▽矢部(B)42号墳 (岡山県倉敷市矢部)
▽矢部17号墳(矢部大ぐろ古墳) (岡山県倉敷市矢部)
▽矢部伊能軒遺跡 (岡山県倉敷市矢部)
▽矢部堀越遺跡 (岡山県倉敷市矢部)
▽権現山51号墳 (兵庫県たつの市御津町中島)
▽西川遺跡 (兵庫県尼崎市次屋)
▽西殿塚古墳 (奈良県天理市中山町)
▽中山大塚古墳 (奈良県天理市中山町)
▽馬口山古墳 (奈良県天理市兵庫町)
▽波多子塚古墳 (奈良県天理市萱生町)
▽箸中山古墳(箸墓) (奈良県桜井市箸中)
▽玉手山9号墳 (大阪府柏原市旭ケ丘)
▽元稲荷古墳 (京都府向日市向日町北山)
▽壺笠山古墳 (滋賀県大津市坂本町)
93出土地不明:2008/01/29(火) 02:25:25 ID:XC/2IiGT
うちでも出たよ 住居の舞いどから
94出土地不明:2008/02/10(日) 16:06:25 ID:mqQ1Wi8e
夢のお告げで聞いたんだけど、埴輪の「わ」って、器(うつわ/空ろな器)の
「わ」で、三輪山の「みわ」も器(酒造の器)のことなんだと。
天皇家の「みかど」は、甕(かめ/みか)の家、甕戸、甕門から来ているんだと。
以上、今朝見た夢のお告げでした。
95伊藤伊織:2008/05/05(月) 11:27:27 ID:Tyy+0jLZ
5 4 4 7 0 8 0 0 0 2
1 1 8 4 4 8 2 5 5 0
0 6 8 2 7 3 0 7 6 8
7 2 5 8 8 2 8 2 6 4
8 5 8 1 4 3 7 3 5 0
96出土地不明:2009/03/07(土) 22:08:50 ID:626ORmEX
.
97出土地不明:2009/03/09(月) 16:12:39 ID:T04tlqnQ
埴輪を作ったのはユダヤ人です。古墳時代は言い換えればユダヤ人時代です
98出土地不明:2009/06/03(水) 22:26:38 ID:BywdNayp

<※以下引用をちょと伏字にするっすよ、興味あったら各自リンクファイル開くっすよw>


奈良大学文化財学科特別講義のお知らせ(PDFファイル)
http://www.nara-u.ac.jp/update/20090529/kougi.pdf

■文化財学科特別講義のお知らせ■

文化財学科では、次の日程で特別講義を開催します。

一般の方にも無料で参加いただけます。多数のご来聴お待ちしています。


   ■演 題: 「卑××と××古墳」
   ■講 師: ×××× 先生 (×××××××××名誉教授)


日 時:6月10日 (水) 16:20-17:50
会 場:奈良大学 教室棟 (C棟)3階 C-302教室

* 駐車場はありませんので、来学時は公共交通機関をご利用下さい。
* C-302教室は16:10まで他の授業で使用しています。入室は授業が
  終了するまでお待ち下さい。

奈良大学 (奈良市山陵町1500)
http://www.nara-u.ac.jp/
交通の案内
http://www.nara-u.ac.jp/kotu.html
99出土地不明:2009/06/05(金) 00:19:36 ID:aIn5uTDG

■広島県立みよし風土記の丘・広島県立歴史民俗資料館
   開館30周年記念 春の特別企画展 「弥生の都・吉野ヶ里遺跡」

 記念講演会(第2回文化財講座)

          『邪馬台国ヤマト説の今日』

  講師 奈良県立橿原考古学研究所総務企画部長 寺澤 薫さん

日 時 平成21年6月6日(土) 14:00〜16:00
会 場 広島県立歴史民俗資料館 研修室

申込み 当日受付
定  員 120名
受講料 200円(資料代を含む)
http://www.manabi.pref.hiroshima.jp/rekimin/bunkazaikouza1.html

広島県立みよし風土記の丘・広島県立歴史民俗資料館 広島県三次市小田幸町122
http://www.manabi.pref.hiroshima.jp/rekimin/
100出土地不明:2009/06/13(土) 05:46:15 ID:hOE/z73E

■桜井茶臼山古墳:王墓囲う「丸太垣」 神聖な空間を区画

毎日新聞 2009年6月12日
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20090613k0000m040042000c.html


■桜井茶臼山古墳:強大王への恐れ 封じ込め願う?

<略>
 調査を担当した岡林孝作・同研究所付属博物館総括学芸員は、石室を覆う方形壇のすそで見つかった二重口縁壺が、方形壇の上部から転落し壇のすそに立っていた丸太垣に引っかかった跡だったことに驚いた。
他に例がない光景が「大王墓」の証しになると確信した岡林さんは
 「王の偉大さに対する恐れがあったのだろう。何が何でも死者の魂を封じ込めたい、という強い思いが伝わってくる」
と話す。

 一方、石野博信・香芝市二上山博物館長(考古学)は柱列が垣の痕跡ではなく、屋根のある建物の壁だったのではないかと考える。
 「垣根ならこんなに深く柱を埋める必要はない。古代中国には『死者の魂は建物に宿る』とする思想がある。
 ホケノ山古墳(桜井市)の木槨(もっかく)には屋根があった可能性を示す柱があるし、勝山古墳(同)でも周濠(しゅうごう)から建築部材が出ている」
と指摘する。

毎日新聞 2009年6月12日
http://mainichi.jp/enta/art/news/20090613k0000m040091000c.html

60年ぶりの調査で現れた桜井茶臼山古墳の石室天井石=奈良県桜井市で2009年3月7日、三村政司撮影
http://mainichi.jp/enta/art/news/images/20090613k0000m040099000p_size5.jpg
101出土地不明:2009/07/18(土) 12:33:51 ID:qMGAX7TP
102出土地不明:2009/08/29(土) 20:40:14 ID:A1X4+67a
>>100
「封じ込める」とか妄想的だなあ…

http://mainichi.jp/area/nara/news/20090808ddlk29040600000c.html
> 一方、考古学研究以外から、この調査成果に異なった理解を示す研究者もい
>る。神戸大大学院工学研究科の黒田龍二准教授(日本建築史)は「現段階で復
>元形態は一つに絞れないが、丸太の列は高い柵列ではなく、石室上の土の流出
>を防ぐ土留め杭だった可能性がある」と指摘する。「聖なる空間を区画してい
>たとしても、死者のたたりなどを恐れ、霊を封じ込めるための施設だったとす
>る見方には根拠がなく、疑問だ」と指摘する。
103出土地不明:2009/10/09(金) 01:52:42 ID:3tbptJEr
>>89
コピペにレスしてあれですが・・・
雲山鳥打墳丘墓に関する書籍、報告書って出ていないのでしょうか?
104出土地不明:2009/10/13(火) 22:25:20 ID:wlJZcG+Q
 
105出土地不明:2009/10/15(木) 01:44:35 ID:Hf54nQBv
>>103
正報告はでてない
調査団の内部資料として概報が作られているが引用禁止になっている
それ以外では岡山県史がもっとも情報量が多いんじゃないかな

近藤義郎先生が亡くなられたことで「呪縛」が解けることを祈ろう
106出土地不明:2009/10/15(木) 05:07:36 ID:GYbdkIlx
>>105
ご教示ありがとうございます。

近藤先生、4月に亡くなっておられたのですか・・・
107出土地不明:2009/10/15(木) 09:10:55 ID:PHXFldDP
日本の著作権法では
(引用元の明記など不備がなければ)
引用禁止はできない。
108出土地不明:2009/10/17(土) 16:11:21 ID:KEmC9Nsn
 
109出土地不明
「糸引き納豆」の登場は室町時代頃、「なれずし」は7C頃に朝鮮経由で伝わる。


平安時代の文献にも塩辛納豆の名は残っているが、一般に広まったのは
室町時代以降でこの頃から糸引き納豆も登場しており区別するために
塩辛納豆を久喜と呼び糸引き納豆を単に納豆と呼ぶようになった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%8D%E8%B1%86

日本最古のすしといわれる「鮒ずし」は、7世紀、近江大津宮に天智天皇が
遷都した以前からこの地にあったといいます。フナずしは、すしといっても
現在の握りずしとは違い、すしの原型といわれる「なれずし」の一種です。
なれずしは、米作民族が考え出した動物性タンパク質の原始的な保存法で、
そのルーツは東南アジアとされ、中国、朝鮮をへて日本へも伝えられました。
http://asamiya.sakura.ne.jp/gotouti/siga/siga.html