与那国島の海底遺跡を考察する

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92hammerhead
それは肯定派の情報ばかりが圧倒的に
垂れ流し状態にあるからなんですよ。

やはり専門家が黙殺し続けた責任は大きい。
93hammerhead:03/11/16 00:24 ID:ZdV7K2k+
「人工物である7つの証拠」とかいう幼稚な話を1個1個つぶしていこうかと
思っていたが、まだるっこしいので一挙に核心に迫ろうか。ふしぎ発見放映
記念ということで(w。

木村教授がどうしても知られたくない事実がある。知られたくないといっても
「遺跡もどき」の形状がそうなっているのだから、隠蔽しようとしても無理なのだが、
どうやらレポートの書き方ひとつでごまかせると思っているらしい。
94hammerhead:03/11/16 00:24 ID:ZdV7K2k+
それは地層(平坦面)が南東側に10〜15度傾斜しているという事実だ。

角度で10度というとたいしたことないと感じるかもしれないが、10度の傾斜と
いうのは「10m進むと1.8m近く下る」ということ。平坦面上でこみいったことが
できる傾斜ではないだろう。そんな傾斜地を中心とする遺跡なんてあるか?

この場を何らかの目的に利用しようとすれば、上手側に広い平坦面を作るか、
上手側に向かって段々を切り出すかして、下手側は壁状にストッパーを作るはずだ。

ところが広い平坦面はほとんど南東側に広がっており、ストッパーらしきものは
いっさいない。

何をやっても丘の下へ転がっていってしまうはず。どうも石細工に優れた
技術を持っていたはずの木村・超古代人は、ストッパーを下手に切り出す
頭すらなかったらしい。
95hammerhead:03/11/16 00:25 ID:ZdV7K2k+
もともと「遺跡もどき」形成時には水平だったが、沈水後傾いたという
可能性はあるだろうか?それはない。

陸上の地質調査では八重山層群(遺跡もどきを作っている地層)は
すべて南東側に傾いており、その傾いた時代は1000万年前〜200万年の
間と判明している。地表にある断層(遺跡もどきを作る節理はこの断層に
伴われた断裂で、断層と方向が同じ)はこの傾動後の事件である。

従って「遺跡もどき」の構造が形成されたときには八重山層群の地層
=平坦面はすでに傾斜していたことになる。
96hammerhead:03/11/16 00:25 ID:ZdV7K2k+
「遺跡」の平坦面の傾斜がどうなっているか?という問題は、現場を記述する際に
まっさきに記すべき事実のはずだ。

ところが月刊地球冒頭レポートでは「長さ・・m、幅・・m」という記述は
あっても平坦面の傾斜の記述は全くない。レポートの後半で「ブロックが南東には
落ちるが北西には落ちにくい」という説明の段で「non scale」の断面図が出てくるだけ。
傾斜角の数字は書いていない。

後半の別レポートではやはり同じ下りでこっそり傾斜角度が出てくるが、
どうにも目立たないように書いてあるとしか思えない。

よくよくレポートを読めば簡単に分かる事実だが、不注意な人は気づかないだろう。