それだけ自分が好きになれれば人生大成功だよな
幽霊を科学で……というが、それは今の所無理、というしかないんじゃないかな。
科学というのがそもそも「同じ条件で同じことをやってる限り起こる同じことを観察する」
というところに基礎をおいてしまっている。科学の範囲は実はすごく狭い。
幽霊を科学的に研究するなら、まず最初に
「こういう条件の中でこれをすれば幽霊が出現する」というのを探さないといけない。
そうしないと幽霊を科学の目で観察することができないから。
で、これがまだわかっていない。
科学って、案外無力なもんだ、と思う。
もちろんその力の大きさは重々承知だけど、でも死後の世界というのを仮定したとして
それを科学的な方法で記述してくれた人がまだ誰もいないわけだから。
俺たちはまだ死を経験していないけど、死という概念は知っている。
それは自分の死ではなくて、他者の死。他者の死は目に見えるし、体験もする。
だから科学のアプローチもあるのだけれど、それもあくまで「他者の死どまり」。
死んでいない人が死について記述するのであって、結局科学は「自分の死」にアプローチできない。
科学って案外、無力なものだよね。
事象が観測不能である内はいつまでも神秘だが、今はその数が減っただけという話。
ニュートリノは眼で見えないが科学はそれに到達した。
ならば、死ななければ死を見ることができないという確証もないだろう。
まあ、霊とか魂とか、そういうものに取り組む土壌も存在していないからね。
最初のとっかかりを作ってくれる人が現れれば、産業革命以来の大進歩が生まれるだろう・・・かもしれない。
科学の歴史もたかだか数百年、そう悲観するものではないよ。
もっとも、俺らの生きてる内は無理かもしれないけどね。
悲観しているわけじゃないよ。
でも、「科学はなんでも教えてくれる」と信じきれるものではないと
改めてそう思っただけなんだ。信じすぎるのも考え物、くらいに解釈してクレ。
今の所こう説明すれば一番矛盾が少ないという説の集まりが科学。
だから、その枠の外に出るともろくなってしまうんじゃないかと思うんだ。
>>208 幽霊は、それを見る人に認識されるだけで良い。
物質や元素は必要ない。
世界は脳が作るパノラマだよ。
君は、自分が今見ているディスプレイが存在することを疑うのか?
見るたびに、ディスプレイの存在の証明が必要か?
224 :
ゲームセンター名無し:2005/04/04(月) 20:37:47 ID:O3Efk6Dr
東京に住みたかった・・・
>>205 そういう事故や殺人での突然の死は理不尽ではなく無常というのですよ。
コンクリで頭を割られて生きてる人間や心臓をナイフで刺されて生きてる人間の
ほうがよっぽど理不尽ですよ。
226 :
ゲームセンター名無し:2005/04/04(月) 22:50:13 ID:f9SPWt17
死ぬまえに2ちゃんねるの最後を見たい。
閉鎖するのかしないのか・・・・
>>219 私サイコーって感じ?
基本的に自分大好きなタイプだけど、大成功っていう感じじゃないなー。
その代わりに無意味に前向きだから、失敗してもそこまで悲観はしないね。
正直、自殺や自傷をする思考が分からない。精神防衛という意味だとなんとなく分かるんだが…。
そこまでのプロセスが自分的に分からなかったり。
こういう事を思うこと自体が傲慢なのかな…。
>自分大好きなタイプ
だろうね。君みててよくわかるわ。
自分大好きクンって、自己愛性人格障害にかかってる人多いらしいよ。
興味あったら調べてみな
>>228 興味があったので調べてみた。
ttp://homepage1.nifty.com/eggs/narcis.html ……うーん。当たらずとも遠からず、かな。
嫉妬や才能関連は大外れ(と思う)だけど、共感や賞賛は当たってるなぁ。
でも、2chでコテなんかやってるんだからそういうモノを求めるのは、
個人差はあるだろうけど意識・無意識問わずにあると思ったり。
しかし、いきなり「人格障害」って言われるとビックリするね。
生まれてから死ぬまで付き合うのは自分だけなんだし、嫌う理由も無いと思うんだが…。
血を分けた家族だろうが親友だろうが結局は他人だし、
成功も幸福も、痛みも失敗も、自分で抱えるしかないと思うわけなんですよ。
…なんかサンボマスターの歌っぽくなってきたww
俺は自分が大嫌いだけどね。
他人の目が届かなくなると嫌な本性が出てくるから、こんな奴が自分なんだな、と。
もっと自分が好きで信じられたら、人生までも変わっていたかもしれない。
>>230 別に嫌な本性があっても良いんじゃないかと。同じ心理学用語で言えば、「ペルソナ」って奴ですよ。
良い部分も有れば、悪い部分もある。悪い部分があるから、良い部分がある。
清濁併せ呑むというか、人間なんだからそういう醜い部分もあるのが当然・普通だと思うわけですよ。
俺が如何に「自分大好き」っても、仕事やバイトでミスすればやっぱり普通に凹むわけですよ。
自分勝手に行動して人に迷惑かけるときもあるわけですよ。
でも、そういう時にちゃんと反省して次に失敗しないようにする。
そういう事が出来ない「真にダメな奴になる」ってのが、自分のプライド的に許せんのです。
……そう考えると、自己愛はそっから派生したのかもしれないですな。
…ダメだなぁ。本格的にサンボマスター化が進んでやがるwww
>>230 自覚した上でも嫌な言葉が自分からこぼれる。
そういう瞬間って激しく自分に怒りを覚えるよね。
>>231 あら、俺と同じ心理学徒でした?
俺は「人格障害」という単語を今より無害なものにしたいと思いますけどね。
>>230 「自分が嫌いだ」と判断する自分は好きなんでしょ?
>>234 いやいや、学徒まで行かないですよ。専門はまったく違うジャンルですし。
心理学は昔、興味があった時に自分で調べただけです。
>「人格障害」
「メンタルの問題」と言えば良いモノを、わざわざ「障害」とするのは俺も好きではないですな。
日本はマイナスイメージばかり強調して、その背景や原因のことを思慮しようとはしない風潮がある。
嫌な物は遠ざけるだけ遠ざけて、あとは見ないことにしておけば良い。
問題解決を先送りにするのは、それこそ最悪なわけで。
私は生きる事が苦しむ事と考えているから
生きることの10割が苦痛ならともかく、
苦しみが4割ぐらいまでなら誰だってそんなもんだと思う。
生きることが死ぬことより辛いこともある
>>235 人格障害って所詮「Panic Disorder」の直訳ですからね。
その直訳加減に俺は物凄く「安易さ」を感じております。
つまり、好きにはなれません。
んな言葉を考えなしに輸入したのは誰だ?
町沢某か?鈴木茂か?ユング一派か?ロジャリアンか?
それはともかく、ある現象を説明する新概念として
レッテル貼り用の外来語をさっくり輸入して(受け入れて)しまうのは
俺を含む日本人が古来から持ってる一種の性癖なのかもしれません、ね。
「オレオレ詐欺」が「振り込め詐欺」に呼称を変えたところで
事態は何にも変わらない。それと同じですわ。
>>238 野宿って、何回やった?あれはつらいよね、特に2月。
↑「Panic」じゃなく当然「Personality」だわなぁ…失礼しました。
酒が入るといつでもこういう書き損じ→書き直しのコンボを
やらかしてしまう…
>>239 「日本人はアレンジは上手いが、オリジナリティには欠ける」とはよく言われますな。
とはいえ、技術や文化に著作権が無い限り、それを止めることは出来ませんがね。
逆に言えば、それを認めてしまえば人類全体の成長・発展を阻害するわけで。
「レッテル張り」というか、受け入れ当初での柔軟性の概念は薄いですな。
タートアルアナヘミアしかり、文明開化しかり。
っても、ある程度概念が馴染んでくればアレンジや再解釈は起こってくると思いますよ。
超遅レスすまぬ。
>>174(=
>>220、
>>222でしょうか?)
ちくまプリマー新書「死んだらどうなるの」ざっとですが今読了しました。
脳科学、量子力学、心理学、哲学…まぁ2004年のオイシイとこを
全部放り込んだ本のように思えました。ご馳走様。おいしく頂きました。
ついでなんですが…同じちくまプリマー新書から同時期に出た
内田樹の「先生はえらい」は、読みました?未読でしたら立ち読みを
強力にオススメします、
>>174に。ちなみに橋本治はオススメしません。
>>241 俺が「レッテル」を唐突に振ってしまったのは、
>>235の
>背景や原因のことを思慮しようとはしない
>嫌な物は遠ざけるだけ遠ざけて、あとは見ないことにしておけば良い。
>問題解決を先送り
…の部分にインスパイアされて、
こうした「原因遡及への動き」を封じる「封印」「魔除けのお札」として
外来語が使われてる場合が(俺のような一般層では)多いんじゃなかろうか…、
という事をちょいと言ってみたかったわけです。
ものごと全て功罪両面ありますから、「レッテル貼りはだめ」なんて
簡単に言っちゃいけないんでしょうけど、んでも俺はやっぱ嫌いですね。
遡れないのは、つまらない。
…っと、話がスレタイからそれ過ぎてしまって申し訳ないです。
スレタイに沿う形になるよう方向転換すべく、ちょっとネタ考えてきます。
あー肝心なことを書き忘れてしまった。
句読点を一切使わず1行だけ書いてくあなた。
とにかく一度玄侑宗久(げんゆう そうきゅう)著の
「死んだらどうなるの?」を読んでみてくれ。
本屋に言ったら必ず「新書コーナー」ってのがあるから。
「新書」ってのは文庫本程度の厚さだけど、もっと縦長の本。
そこに「ちくまプリマー新書」っていうパステル調で和風の模様の
カバーがかかった本が絶対置いてあるから。
わかんない部分があったらがんがん飛ばして嫁。俺だって飛ばし読みだ。
自分の分るとこだけでいいから、その本から何かを持っていってくれ。
これはまさに今のあなたの為の本「かもしれない」、と俺は思った。
読書とは他人にモノを考えてもらうことである。
リーンカーネーションが 無いと言うなら
1・死んだら何もなくなる。無。
2・あの世に行ってしまう。こちらには戻れない。
3・いやホントはまた人間に生まれ変わる。
4・そうじゃなくて草木や動物などにも生まれ変わる。
さぁ選べ。
アケ板だと筋少ネタの食い付きが悪いのか
そもそも自分のが解かり辛いのか
>>248 筋少は三柴江戸蔵(Key)がいた頃のやつしか知りません。
まぁ曲名を教えてくださいよ。
カーネーション・リインカーネーションって曲。かなり終盤に出た
「ノゾミ・カナエ・タマエ」とか「戦え! 何と? 人生と!!」とかは超スゴイ。
あー俺ってやっぱ年いってんなぁ。
アルバムで言うと「SISTER STRAWBERRY」「猫のテブクロ」「月光蟲」、
で途切れてるもんなぁ。
とりあえずサンクスコ
>>250
板的にはバトル野郎って言っといた方がいいか
pgr
「死んでしまえば、あの世には何も持っていけない」って言うけど、
これってかなり真理だよなーと。
世の中にはドキュソや暴走族みたいな、存在が害でしかない人間も居る
だから俺は小学生の頃から「クズ人間は殺しても良いんじゃないか」と思っていた
だが、それは世間的に危険な思想だ、迫害されるのが面倒なので口には出さなかった
人は「人間の命は誰だって尊い」とか「倫理に反する」「危険だ」とか言うだろう
でも、それこそが危険なのだ、人間の命は誰でも尊い、というのは
人間以外の命は尊くない、という事の裏返しでもある
殆どの人間が刷り込まれている「人間の命は尊い」という思想は、そういう意味で恐ろしい
今日のニュース、奥多摩で増えすぎた鹿を「駆除」したという
ではなぜ、ドキュソは「駆除」できないのか?存在が迷惑なのに
鹿の命は…人間以外の命は尊くないから?
なんとも恐ろしい常識に我々は捕らわれている
我思う故に我あり
>>256 「DEATH NOTE」だけは拾うなよー、と。
でもまぁ、「人間以外の命は尊くない」ってのはちょっと理解出来る。
家畜の扱いはそういうことだからね。だからこそ、
日本文化に「いただきます」「ごちそうさま」の概念があるんやろうね。
………ちょっと説話っぽくなったなぁ。
>>256 分かってるとは思うが、鹿駆除は鹿のためでもあるし森のためでもある。駆除しなかったら結局鹿を全滅させるしね。
殺す人達もみんな鹿の命が尊くないとは思ってないだろうし。
じゃ、人でそれが出来るかって言ったら出来ない。だがそれをなんとかするために「考える力」があるんだろうと思う。
ま、そんな俺もドキュンと飼ってる猫どっち取る?って聞かれたら、猫!と即答するけどね。
260 :
ラッパーカカオ ◆jhvwhGjNAc :2005/04/24(日) 23:11:22 ID:qgIxug55
あげ
>>255 意外と「死んだ時点での所有物」があの世に持ち越しで、
しかもあの世が資本主義社会だったりして…
思ったのはこの世界のパラレル世界が無数に存在して
死ぬ事により次の世界へ移動→そこでまた死ぬ→また次の世界へ移動→また死ぬ
の繰り返しなのではないかと。
此岸と彼岸を単に行ったり来たりの双方向を輪廻と呼ぶのではなく、次から次へと
色々な違う世界にワープを繰り返すような感覚が輪廻なのでは?と最近考えるようになった。
>>262 む、面白い発想。それだと前世の記憶とかも説明できるかも。
「俺が書き込んだ世界」と「書き込まなかった世界」だけでも、既に分化しているわけで。
しかし、魂の定義ってなんやろねー。
>>259 いただきますとか言うのをよく考えてみると、俺ら人間は動物とか生き物の命を奪って
までも生きている。
そう考えていくと虚しくなってくる。
要は、死ぬの怖いですよっと
>>256 口に出さないだけで、ほとんどの人間はそれに近いことを思ってるかもしれん。
洩れもドキュソは生かしても殺しても、百害あって一利なし、と思うし。
人間の半分はバカなんだと思って、あんまり思い詰めないことだね。
人間の残りの半分はいい人なんだからさ・・・。
>>265 まあ、それはもう食物連鎖のシステムだから仕方ないんだけどね。
そこに(例え偽善でも)申し訳ない気持ちがあるのが日本人的だよなー、と。
しっかし、本当にアケ板的じゃないよなぁ…
>>266 ドキュソから見たらこっちが「百害あって一利なし」に見えるんだろうな。