で「民主主義」だが、重要なのは 責 任 の問題。
ttp://www.csf.ne.jp/~sasanojk/shakai/nonpori.html これはいわゆる「ニューレフト」の世代を生きた人の危機感。
「ニューレフト」こと新左翼が掲げる「参加民主主義」は議会制民主主義の「代議制」の硬直を「補佐」する形で
有効利用が叫ばれている。「政治的無関心」の打破の為に。
そもそも選挙権は制限されていたものだから普通選挙制が実現するまでは本当に関心の対象だった。
しかし手に入れてみたものの「立法国家」の「行政国家」化によりまったく民意と言うものは反映されない。
と言うのは、自由主義の権力正当化機関たる議会は、少数の「財産と教養ある市民」の利害調整役として代議制を
取ったのだが、民主主義の要請により制限選挙から普通選挙に移行すればそれだけ利害の幅は広くなり、
また新たに権利を保障された「大衆」は財産を当然「市民」と比較して持たないため、
民意の大半の関心は「福祉」となり、福祉拡充のために「行政」が拡大するわけだ。
(「行政国家化」は現代国家に顕著に見られる傾向でありそれらに対抗する新自由主義が
中曽根、サッチャー、レーガンによって推進され「行政改革」と呼ばれる)
つまり「無関心」の根底には、いくら投票しても反映されない自分の政治的意思に対する諦念がある。
よって参加民主主義の出番。
ttp://appsv.main.teikyo-u.ac.jp/tosho/oniduka15.pdf 参加民主主義の解説。
そして「責任」を果たすために初期ニューレフトが国会前に30万人終結し、
「革命前夜」が真剣に論議されたのが「60年安保」。
民主主義はどこまで行っても「利害調整」即ち闘争。
自分の利益にならん香具師は寝ててくださいってこと。
わからん事あったらまた質問どうぞ。
眠くて読み返しもしてないから適当すぎる文章。