『チョコレート』 現代ではカカオを原料とした菓子の事を言うが 元々は古代中国で使われていた薬草『茅是意図』(ちこれいと)を起源としたもの この薬草は大変美味であったが、猛毒を含み食すと 三日三晩高熱と吐血を繰り返し苦痛にのた打ち回りながら死に至る 主に菓子等に混ぜて暗殺する為に用いられたりしていた この『茅是意図』を混ぜた菓子は薬草の成分により、黒い色をしていたという 時の皇帝の側近であった『馬齢安泰』(ばれいあんたい)将軍がこの『茅是意図』 を含んだ菓子を食し、暗殺された事件が元で 1500年前の中国では憎むべき存在に黒い色をした菓子を贈りつけるという 嫌がらせが流行し、社会問題にもなっていたという このことが歪曲されて日本に伝わり現代の日本では好意を持つ男性に女性がチョコレートを渡す バレンタインデーという行事が広まっているが 過去の中国で繰り広げられた血生臭い陰湿な争いが元であることを知る者は少ない 民明書房『混沌の世代 冥界編』より一部抜粋
弐。 ヤリマソと基地外の話題しか出ないなもう
戦徒・蛮恋多院出夷 殷王朝の時代、当時の中国では「女性は家庭に」という概念はまだ確立されておらず、 男女の別なく力仕事や兵役に就き、共に同じ場で働いていた。 そのため、男女が兵役に就いている間に知り合うことも少なくはなかったが、 女性の兵士が男性の兵士に思いを告げる際に、野生の猪と虎を狩り、 これを渡して己の戦闘力と生活力を示すことによって 相手の気を引くという「猪虎霊渡(ちょこれいと)」と呼ばれる風習が存在した。 しかし、周辺の属国の人々は殷のこの奇異な風習を野蛮な物と見なし、 殷の出身者は「蛮恋多殷出夷(ばれんたいんでい)」と呼ばれ忌み嫌われることとなり、 そしてこの周辺国の殷王朝に対する嫌悪感が後の殷周革命の原動力となったと言われている。 そして現在、女性はかつてのように積極的に社会進出するようになり、 女性側から思いを告げる場面も多く見られるようになり、 ついには、特定の日には女性は男性にプレゼントを渡しながら告白しよう、 という風習が復活するまでとなった。 そしてこの日は、かつての殷王朝時代の女性兵士の呼び名にちなみ 「戦徒・蛮恋多院出夷(せんと・ばれんたいんでい)」と呼ばれるようになった。 ちなみに、女性が男性に渡す品の定番が「チョコレート」なのは 当時の風習「猪虎霊渡」からきているというのは言うまでもない。 民名書房刊「こんな風習いらない・慟哭編」より
野比銅鑼右衛門 (2112〜没年不詳) 彼は常に勇敢であり、主人に忠節を尽くしました。 そして、最強の策士でした。 鼠党の乱で、夜襲を受けたのが唯一の負け戦です。 その折りに耳を囓られました。 銅鑼右衛門は、名門野比家の筆頭家老で発展に尽力しました。 嫡男野比太に源氏の嫡流である源静姫を嫁がせる政略ケコーンを 成立させたのは有名な話です。 野比家第12代当主野比太は、鉄砲の名手で、どんな距離からでも 百発百中だったという逸話が残っています。 銅鑼右衛門は、その多大な功績により、野比の名字と家紋を与えられ、 それ以後、野比を名乗るようになったといいます。 参考資料 「真説 野比銅鑼右衛門」骨川脛夫著 1949年(絶版) 民明書房刊
アフガン航空相撲 11世紀ゴール朝の頃、時の国王の命により アフガニスタン各地より集められた武術、格闘技に精通した者を中心に 編成された近衛兵の間での力比べが起源と言われる。 最初は地面の上だけでの競技であったが、時を経て高いところからの攻撃や 空中に飛び上がっての闘い等時を経る毎に技が高度化し 現在のアフガン航空相撲の形地が完成した。 後の元による侵攻の際もアフガン航空相撲力士は圧倒的多数を誇る元軍の攻撃を 得意の航空技により簡単に粉砕したと伝えられる。 その際元軍が航空相撲を研究し、アフガンに対抗するためにモンゴル式相撲を 完成させたが、空中戦ができなかったため実戦に使用されなかったということは あまりよく知られていない。 「民明書房 『フビライ怒りのモンゴル相撲』より」
>>541 激しくスレ違いは氏ね。
そしてバレンタインやチョコの起源は中国ではない事くらい知っているので、そんなネタ池沼以外は信じない
アフガン航空相撲 11世紀ゴール朝の頃、時の国王の命により アフガニスタン各地より集められた武術、格闘技に精通した者を中心に 編成された近衛兵の間での力比べが起源と言われる。 最初は地面の上だけでの競技であったが、時を経て高いところからの攻撃や 空中に飛び上がっての闘い等時を経る毎に技が高度化し 現在のアフガン航空相撲の形地が完成した。 後の元による侵攻の際もアフガン航空相撲力士は圧倒的多数を誇る元軍の攻撃を 得意の航空技により簡単に粉砕したと伝えられる。 その際元軍が航空相撲を研究し、アフガンに対抗するためにモンゴル式相撲を 完成させたが、空中戦ができなかったため実戦に使用されなかったということは あまりよく知られていない。 「民明書房 『フビライ怒りのモンゴル相撲』より」
うわっ、増えてる(怖
『阿某穏(あぼーん)』 密教で使われる言葉。正確には 「あぼーむ:A Boh Om」 と発音する。 「Om(オーム)」 という発音は密教やサンスクリットでは極めて重要視される言葉で、 これは、神に対する、或いは神自身の言葉である、という意味である。 「阿某穏」 とは 「神よ彼を攫え」 という意味を持つ言葉で、 汚らわしき存在を呪殺する際に使われ、 使われた対象は神の御手により存在すら忘れ去られるという。 "Om"を使う例文 Jai Guru Deva Om(神に感謝致します) A Boh Om (神よ、彼を攫え) 当然これは神聖視される言葉であり、 必然的に 神聖なる場 で 然るべき段階 を経なければ、 決してその言葉は届かないとされる。 民明書房刊 『これで貴方もインド通! カーマ スートラ四十八手』 より抜粋
気味の悪いスレになってきたな
ホシュカキコ… 古代中国に於いて雲南省北部を中心に発生した形位拳一派に伝わる秘奥義である。 一見何の意味も為さないような語句を書き込む事によりスレッドを維持し、 倉庫逝きを防ぐ秘伝の技である。その効果は絶大であるが 乱用するとスレ自体が内容の薄い糞スレと化す為に時の権力者に恐れられ、 秦の始皇帝の時代には禁止され弾圧を受けた。 その後は口伝として秘密裏に後世へと受け継がれていく事になる。 なおその名称の由来が、始祖である 「鳳 朱墻」(ほう しゅかき)公の名から来ている事は言うまでもない。 民明書房刊「古代中国に見る匿名掲示板絶技」より抜粋
〜宣唐吏(せんとぅり)〜 8世紀前半、唐は第六代皇帝李玄宗(AD712-756)の統治下にあり 最盛期を迎えていた。後に「開元の治」と呼ばれる時代である。 この時、玄宗皇帝は広く臣民の意見を集めるための掲示板を設 置し治世の助けとした。この掲示板では活発な議論が行われたが、 時に議論が収束せずいつまでも結論が出ないということがあった。 このような時、皇帝自らが確認し結論を預かることの意として 「宣唐李」と署名したが、後年専門の官吏を設け「宣唐吏」と変 化した。この役職は事実上皇帝の意見の代弁者であり、これに選 ばれることは非常に名誉であるとされた。 現代掲示板にて競って行われる「1000取り」は、「宣唐吏 (せんとぅり)」の音のみが残り表記が変化したものであるのは 言うまでもない。 民明書房「珍説・電脳用語事典(2003)」より
素麗建 (スレタテ) 古来、中国では印田阿熱闘(インターネット)という娯楽が盛んであった。 その中でも特に民衆がこよなく愛していたのが敬磁万(ケイジバン)の書き込みであった。 民衆は数々の敬磁万の中で自己主張や、悩み、思い、果てはニュースまで思いを素麗努(スレッド)にぶつけ、 人々に話題を振りまき民衆を楽しませたという。 その中で大きく分け、苦粗素麗(クソスレ)と言うものと利酔素麗(リョウスレ)というものがあり、 苦粗素麗は民衆を苦しめる地獄の使者として言い伝えられ、 利酔素麗とは民衆を笑いの渦や感動へと運ぶ箱舟として伝えられていた。 この敬磁万の素麗遊びは過度の使用特殊な電磁波のせいでは外へ出なくなるという中毒性があったため、 民衆の中には気の抜けた若者が現れ非気蝙蝠(ヒキコモリ)というものが増え、 その自由な生活スタイルにあこがれ 民衆が真似をし、中国全土に多大なる危機的影響を与えたという。 この状況を重く見た、時の皇帝が、 この印田阿熱闘を禁じたという。 民明書房「中国娯楽大観」より
『盾余観(たてよみ)』 太古の中國地方では戦乱が絶えなかった。 手足に防具を纏った戦士達は自国の勝利の為 夜を徹して戦った。しかし、そんな時代も終わりを告げ 身体の強い者ではなく、より賢い者が高い位に就くようになった。 野に下った豪傑たちは盾に映った自らの獣の様な顔を見て 名士になるには己の頭脳を極めなければいけないと悟った。 利口でなければ、生きていくことは出来ないのである。この故事から 多くの事を学び、冷静に判断することを「盾余観」と呼ぶようになった。 知力に優れたもののみが厳しい社会を生き残れるというのは、今も昔も変わらない。 ( 民明書房刊 「中國故事から学ぶビジネスのノウハウ」 より )
『矢裸納射歌(やらないか)』 紀元前、中國のとある少数民族が住む地域では 弓矢を使っての祭祀を行っていた。 特に盛んであったのは村の青年男子達が裸になって 歌を歌い、腰に納めていた弓を射て奉納するというものであった。 この祭祀は初め大勢で行われていたが、次第に二人一組の男性で 行うようになり、その祭司として選ばれる男子は極めて容姿端麗であったという。 この祭祀は長期間に渡って行われたため、選ばれた二人の男性の間で 特別な感情が芽生えることも少なくなかったという。 その事から転じて男性間での親密な関係のことを「矢裸納射歌」と もてはやすようになった。 今日の某巨大掲示板で「やらないか?」という文句が流行っているのは 偶然の一致だろうか。 ( 民明書房刊 「古代中國のホモセクシュアル事情」 より )
あぁぁぁぁぁマジうぜぇぇぇぇ
背苦臼(せくうす) 古代中国は三国時代、この動乱の時代において国の歴史を記すことは並大抵のことではない。 それは魏の国においても同様で、編さんが平安無事に済むようにと、史書編さん室は安庵(あんあん) と名づけられたほどだ。その中で当代随一の学者が史書を編んだわけである。それはまさしく 艱難辛苦を極めたため、時の皇帝は歴史学者が逃亡しないように門番を置いた。 そんな半ば幽閉状態の中で、学者は「魏志倭人伝」など後世に残る偉大な業績を残したのだ。 しかし学者は長時間に及ぶデスクワークのために、背骨が曲がって臼のように凹む奇病にかかり 大変苦しむようになった。「背苦臼」と呼ばれるその病気にかかっても学者は執念で史書の編さんを 続けたが、その苦しみの声は聞くに堪えず、門番は気が違いそうになるほどだったという。そして 壁の向こうから夜な夜な「魏志…魏志…」という幽霊のような声が聞こえてくるに及んで、獨緒(どくお) という名の門番役人はとうとう首をつってしまった。 現代の若者がセクースの「ギシギシ アンアン」という声で首をつりたくなる衝動に駆られるのは、 彼らが獨緒の遺伝子を受け継いでいるからに他ならない。 ( 民明書房刊 「魏志・魏志安庵 耗貯補(もうだめぽ)の巻」 より )
螺裏亜斗(らりあと) 明朝末期、中國北西部では現代の総合格闘技の基礎とも言える格闘技『腕競(わんきょう)』 と呼ばれる競技が存在していた。 勝者には地位も名誉も富も手に入れられる、貧困家庭の子供はスパルタ教育を受け この競技に出場し勝つことが義務付けられているようなものであった。 出場していた全ての選手がスポーツマンシップにのっとり正々堂々と勝負していたかと 言えばそうではなかった。他の者の目の届かないところで目に指を入れたり性器に 危害を加えると言うのは日常茶飯事であった。 そんな中、反則技を一切使わずに己の腕一本で腕競のトップに上り詰めた男がいた 「趙(ちょう)」と名乗るその男は自分の腕を相手の首筋に当て破壊する殺人技 『螺裏亜斗』という技でたちまち腕競のトップ競技者となった。 趙の家庭は貧困家庭であったが腕競から得た収入で一気に上流階級に名を連ね 地位も名声も富も手中に収める。 ちなみに現在のプロレスで使われている必殺技『ラリアット』は言うまでも無く『螺裏亜斗』 が語源である。 民明書房刊「中国歴代格闘技全書」より
巣遁貧愚(すとんぴんぐ) 明朝末期、中國北西部では現代の総合格闘技の基礎とも言える 格闘技『腕競(わんきょう)』と呼ばれる競技が存在していた。 勝者には地位も名誉も富も手に入れられる、貧困家庭の子供は スパルタ教育を受けこの競技に出場し勝つことが義務付けられて いるようなものであった。 その競技の過酷さ故か、すでに地に伏している相手に対してさえ、 その戦意を根こそぎ削ぐ為の技が存在した。 「巣遁貧愚」はまさにその代表技といえ、その過酷さは熾烈を極めていたらしい。 倒れた対戦者の名を連呼しつつ、公衆の面前でその対戦者の肉体に対し強烈な 踏み付けを長時間繰り替えすのである。 これは肉体的よりも精神的な痛手を狙った鬼畜な技といえ、 「巣遁貧愚(さっさと巣に帰れ、この貧愚め!の意)」という名がつけられた。 『螺裏亜斗』で一時代を築いた腕競戦士「趙(ちょう)」はこの「巣遁貧愚」の 第一人者だったと記録にある。 彼の長髪を振り乱しての巣遁貧愚は、当時の民の目には鮮烈に映ったようだ。 しかしながら、時代が経るにつれ、巣遁貧愚は試合を組み立てられない 未熟な腕競戦士の技と認識され、 この技の連発をすることは、 2流戦士の証といわれるようになってしまったようである。 ちなみに現在のプロレスで使われているつなぎ技『ストンピング』は 言うまでも無く『巣遁貧愚』が語源である。 民明書房刊「中国歴代格闘技全書」より
561 :
546 :04/03/17 01:26 ID:???
マジレスしちまったよ、鬱。 かなりキモいよな
『御長石松(おながいしまつ)』 中国は宋の時代、宋画の代表的な画家として後の雪舟などにも大きな影響を与えた梁楷は 自然を朴訥な筆致で描いた山水画を得意とした。岩の上に生えた松の、天にも昇らんばかりの 隆々とした筆致が見事な「石松図」(通称「御長石松」)は彼の代表作であり、わが社がかつてアメリカの オークションにて10億の値をつけて競り落として話題になったことは読者諸君も覚えておいでであろう。 ところで、この「御長石松」は流石に「描線に神が宿る」と賞賛された梁楷の作だけあり、松には天竜が 宿っていて、この作品を称える人々に対しどんな願いでも一つだけかなえてくれるという。それゆえ そのご加護にあやかろうと、宋人は願い事をするときには「御長石松」と唱えたといい、それが日本に伝わり 「おながいしまつ」の語源となったことは周知の事実である。 なお、この言葉がエロ画像うpなどの下卑な願いに使用されることが多いのは、最初の祈願者が ギャルのパンティーを願ったことに由来する。 MMR(民明書房マジカルアートルーム)刊 『時空を超えて立ちはだかる古代中国 俺達は…何もかも遅すぎたんだ…』 より
誰の身内?
―結婚― 秦の時代の中国に、我こそは最強と名乗る二人の武道家がいた。 その評判は国中に響き、民衆が二派に分かれて争う事態にまで至ったのを 重くみた時の皇帝は、この二人に雌雄を決させる事になった。 二人には複数の武器が与えられ、いざ対決となったとき、 偶然にも二人は同時に同じ棍を構え、またその棍はお互いの左肩を貫いていたという。 このことから、複数で同じ技を出す事を「決棍」といい、 意味をもじって男女の婚姻の事を指す言葉となったが 2chで使われる意味での「結婚」のほうが本来の意味と近いのである。 民明書房刊 『使える!スピーチ集』より抜粋
統律譜(とりっぷ)/誇亭範(こてはん) 古代中国では役人を騙り、税の名目で金品を騙し取るものが多かった。 そこで時の王朝は要職の役人に独自の名を与えその名を書に記すことで 厳しく役人の監理を行った。その書を統律譜(とりっぷ)と呼んだ。 またその役人は誇亭範(こてはん)と呼ばれ他の役人と 区別されその仕事は他の役人の規範となるべきものとされた。 (だが実際はそうでない役人も多く皮肉の意味で誇亭範と呼ばれた) これらの故事が元になり現在の2chにおける トリップ、コテハンが有ることは言うまでも無い。 民明書房刊 「なるほどなっとくトリップ大辞典」より
亀井しね。
禿四苦胴衣(はげしくどうい) 元来は「はげ、どういにしくす」と訓む。 前漢王朝を簒奪し新王朝を興し即位した王莽は、周代を理想とし、政治体制から 貨幣・文物に至るまで時代錯誤なまでに復古を追求した。 その末期に出された法令に「胴衣令」がある。 朝廷に仕えぬ庶民が冠・帽をかぶることを「官職にあるものと紛らわしく礼に反する」とし、 また庶民が華美な衣服をまとうことを「贅沢である」とし、ただ胴衣のみを纏うよう命じた ものである。 とりわけ禿頭の者にとって、この時代既に帽は不可欠なものであり、長安の民は帽なしに いかに頭の寒さをしのぐか四苦八苦したという。しかし、新王朝の官吏を目にするや、 処罰をおそれて帽を取り套を脱ぎ、胴衣令への恭順を装ったのである。 もっともこのような現実離れした復古政治のために新はわずか十数年で滅び、胴衣令も 長安周辺以外では厳しく行われないうちに赤眉軍・緑林軍らにより事実上廃止された。 このように「禿四苦胴衣」「禿しく胴衣」あるいは「禿胴」とは本来「同意して いないが表面上同意を装う様」を指す故事であり、「深く同意している様」と するのは誤用である。 なお、このとき長安のある禿頭の男が、「冠や帽でなければいいのだろう」と 藁を頭にかぶって嘲笑されたのが「禿藁」の語源であることは言うまでもない。 民明書房刊 「禿、その苦難の歴史」より
「画井出」 中国は宋の時代、北方にフビライ・ハーンが興り、モンゴル民族を率いて宋を制覇しようと したが、中国には最強の防壁たる万里の長城があり、攻めあぐねている間に部隊の水が 切れて餓死寸前というのっぴきならない事態に陥ってしまった。ここでフビライが天に祈った ところ、髭の老人が現れて長城の壁に井戸の画を描きそこから泉を噴出させたという。 宋の漢民族はこの事に驚愕し、守備を放棄して逃げ出したため、長城は程なく陥落してしまった。 その後、守りの堅い城塞都市を攻めるたびにこの老人が現れ、モンゴル軍に水を出してくれたため、 モンゴル軍はこの老人を「画井出」と呼んで珍重したという。一方で漢民族の視点では「画井出」は 非常に忌々しいもので、「またモンゴルか」「キター(北方民族の蔑称)」となり、漢民族が政治を司るように なった現在では「画井出」は忌々しいことが何度も続けざまに起こった時の恨み言葉として使われている。 現在日本の匿名掲示板で使われている「ガイシュツ」は「既出(キシュツ)」の誤りから来ているとする 説があるが、本来はこのような語源であり、「ガイシュツ」という言葉と共に「また〜か」(例「また大阪か」) 「キター!」といった言葉が使われるのが何よりその証拠である。 民明書房刊『フビライ怒りのモンゴル相撲
魏孤猫 中国は古代よりしばしば乱世に突入したが、そんな時代に女が権力の座につくには自らの美貌で時の 権力者に取り入るほかは無かった。彼女らはしばしば王を女遊びに溺れさせ、結果として国を滅ぼす こともあった。そんな中国4000年の歴史の中で、最も悪女とされるのが魏の国の女狐と呼ばれる 魏孤・杷姐(ギコ・ハーニャン)である。彼女は魏王に取り入る一方、秦とも内通しており、スパイとして 暗躍して魏を滅亡に導いた。最終的に杷姐は秦の全ての実権を握ろうと企て、秦王を暗殺したものの 発覚して捕らえられ、獄中にて死すのであるが、辞世の句として呼んだ詩の一句 「我為壱手善、御前喪納悪」(私は一つだけ良いことをした、悪人の君主を葬り去ったことだ) が後に唐代の詩人・李白に高く評価されることとなり、長安にて「壱手善」と言って「御前喪納悪」と返す 言葉遊びがはやったと記録にある。李白が魏孤のことを「猫」と評したことから、狡猾にして知略のある 者のことをその後「魏孤猫」と呼ぶようになったが、日本では「ギコ猫」という名前が先行し、ただの 可愛いキャラクターとしてとらえられているのは周知の通りである。なお、唐代の言葉遊びが時を経た 現代においても、ギコ猫を示す文字絵が「いってよし(壱手善の日本風読み)」というと 「オマエモナー(御前喪納悪の日本風読み)」と返す、という形で続いてるのを見ると感涙を禁じえない。
鼓日部 原始時代、政治とは政(まつり)すなわち祭祀と同義であり、王は人民の幸福と国の平安を 願って事あるごとに神に祈りを捧げた。原始的な祈りの行為は社会の発達と共に大掛かりに なってゆき、中国は殷王朝ではとうとう神事を行う部署として朝廷内に神祇官が置かれたほど である。その神祇官の下位に、日の神の鼓を叩く一族・鼓日部(こひべ)と、神に食物を捧げる一族・ 守庫裏部(すくりぶ、庫裏とは厨房または台所の意)が置かれたのだが、鼓日部の長であった 山 ア渉(シャン・ジャショウ)という者、王の信任を得るうちに次第に朝廷内で勢力を伸ばし、各省 庁を我が物顔でのし歩くようになり、「我請以後応援」(これからも我を援助せしめよ)と賄賂を当然 のように求める蛮行に出たため、遂に”官吏”人西村某により悪禁(あくきん、朝廷から追放すること) されたと記録にある。 その後、雨中家梅(うちゅうや・ばい)や居緒南寸(きょお・なんすん)など、たびたび朝廷を騒擾させ 世を荒廃させる鼓日部が現れ、遂には鼓日部は国家騒乱の代名詞となり果て廃されたという。 近年、鼓日部の悪評の理由は守庫裏部の中の過激派である守庫裏部党(すくりぶとう)が罪を なすりつけていたという研究が現れ注目を浴びた。 なお、現代日本において掲示板を騒擾せしめる「コピペ」がこの「鼓日部」から来ているのは 言うまでも無い。無論スクリプトというのは守庫裏部党のことである。 民明書房刊「これからも民明書房を応援してくださいね」より
雨中家梅(うちゅうやばい) 「雨中」と呼ばれ、恐れられた鼓日部、それが「家梅」である。 鼓日部の度重なる蛮行に嫌気が差した官吏たちがついに一斉蜂起、家梅を追い詰めた時の事。 家梅は大路にどっかりと座り、何やらむにゃむにゃと唱え始めたそうだ。 すると天に暗雲立ち込め、やがて激しい雷鳴と共に豪雨が降り注ぎ始めた。 その雨を体に受けた家梅はなんと、どんどんと膨張していったそうだ。 「おお、家梅が膨張しているらしい!」 「な、なんだか寒いぞ。瓶を一つ蹴ったくらい?」 「広い、広いなんてもんじゃない、超広い…」 バナナで釘を打ち始めた家梅に対し、官吏はなす術なく敗れ去っていったが、 歌学者の発武留(はつぶる)が豪雨の中に飛び出し、家梅を説得し、事無きを得たという。 以後、鼓日部を止めるものは誰もいなくなり、ますます鼓日部は権力を振るったのだという。 また、家梅は「雨中」と呼ばれ、「雨中の家梅に手を出すな」と言われるほどであった。 現在、手を出せないほどまずいことを「ヤバイ」というのは、もちろん家梅から来ている。 さらに、「雨中家梅」転じて「宇宙ヤバイ」と呼ばれるコピペでは、 雨中に出ていった発武留が褒め称えられていることは言うまでもない。 さらにさらに、温度の単位として用いられる「K(ケルビン)」は、 膨張した家梅を見た時の寒気を言い表した「瓶を一つ蹴る」から来ている事は余り知られていない。 民名書房刊「更努力、超努力(もっとがんばれ、ちょうがんばれ)」より
「戦徒・蛮恋多院出夷」 古代中国において、時の権力者たちはその身を守るために、自分らに絶対の忠誠を尽くす最強の護衛者を 育成することが必要であった。そうした権力者によって大陸中の武術と、腕の立つ武人らが集められてでき た護衛者を育成する機関が、蛮恋多院である。 数多くの有名な武人を輩出してきた蛮恋多院だが、その中でも勇猛をもって知られたのが、出夷である。 彼はその勇猛さから、「戦徒」の称号を得て、戦徒・蛮恋多院出夷と呼ばれていた。 彼の逸話は多く、その中でも特に有名なのが、自分が警護する人間に自らの血を与え固い誓いを結ぶ 血与固(ちよこ)儀式を行った逸話である。 この儀式は多くの武人に広まり、後年になると出夷の誕生した日である2月14日に血与固の儀式を行う ことで、相手に永遠の忠誠を誓うという風習となった。 現代の2月14日をセント・バレンタインデーと呼び、恋人にチョコをあげる風習は、キリスト教の聖人 バレンタインが起源とされていたが、今日では戦徒・蛮恋多院出夷の血与固の儀式がその起源であるとい う学説か主流となっている。 民明書房刊『チョコの血に塗られた戦史』より。
『魯殺李王の契り』 中国漢王朝時代、劉邦の部下であった魯殺李(ろ・ざつり)将軍(後に隣国の大王となる)が考案したとされる 伝説の決闘法。 木・もしくは鉄で作った細く鋭い釘を十字の形に縛り、それを縄にくくりつけたものを 互いの頭に巻きつけて死ぬまで戦わなければならない。 釘は時間が経つにつれてじょじょに頭に食い込んでゆき頭蓋骨を破壊して脳に到達してしまうため、 その恐怖に耐えながら必死で相手と戦ったと言われている。 このときの頭に突き刺さった十字の釘は、やがて冠のモチーフとしてヨーロッパへと流れたのだが、 これがイエス・キリストの処刑の際に用いられたいばらの冠の原型であり、 後の信者達がこれを十字架として採用したのを知る人間は少ない。 なお、現代の日本においても、一部の女学院においてロザリオを交換し、 義姉妹の契りを交わす風習が残っているが、これはこの決闘法で戦った者達が、 決闘の後に敗者の亡骸を胸に抱いて涙ながらに義兄弟の契りを結んだことの名残であることに他ならない。 コスモス書院刊『乙女にもできる! 美容と健康のための中国拳法』より
マジでつまらないから止めて良いよ
575 :
525 :04/03/17 01:36 ID:???
( ゚д゚)ノシ<3 新世紀違いが居ますねぇ。書き込みが1分刻みだし。まさに「必 死 だ な w」
宿龍牌留怒雷破<スクリューパイルドライバー> 宋代の中国に於いて、工夫達は岩山を削る際に一切の道具を使わず、 牌流怒雷破(パイルドライバー)と言う技術を用いて岩を素手で剥ぎ取り、 そのまま岩もろとも川へ落ちるという荒技を駆使していた。 この技術に、霊州に住む淋虞と言う修行僧が目をつけ、牌流怒雷破を仕掛ける際のジャンプ力を鍛え上げ、 更には回転も付け加える事によって正に一撃必殺の奥義へと昇華させたのである。 これを見た時の皇帝が「舞い上がる事宿龍の如し(まるで龍が宿っているかのようだ)」 と呟いた事から宿龍牌流怒雷破と言う名前が付いたとされている。 尚、この宿龍が船の「スクリュー」の語源になった事は言うまでも無い。 民明書房刊 「吃驚的武芸100選
騎馬戦の起源 その昔、時の皇帝より叛意ありとして差し向けられた20000の討伐隊を 炉某暮州、古椎坐、燦岱雄、慕守覇留汰なるたった4人の武将が 主である貴芭遷が授けたと言われる「不動四神組」「円月回転陣」という兵法を 持って壊滅させたという。 そのあまりの凄絶さに、世の人々は彼らを、拠点としていた地名を取り「武禄架軍団」と 呼んで畏怖したという。 いうまでも無い事だが、彼らが、近年体育祭において武留摩と並び絶滅が危惧されている 騎馬戦の由来となっているのは、疑い様も無い事実である。 太公望書林刊「失われし教育の現場より」から抜粋
――『似駄亜』(にだあ) その昔、時の中国の属国の一つにある小国があった。その国の住人は中国とも、また隣 国日本とも違った人種(在る学者は人類とはルーツを異なるものと唱えている)であると いう。無理も無い。彼等の頬には鋭い鰓があり、その鰓に触れたものすべてを切り裂くと いわれている。 また他のども民族よりも激しい短絡性、暴力性を持ち、一度怒ると顔を紅くして口から 泡まで吹く。 彼等は基本的に寄生して生き、自ら何かを作ろうとはせずに他人のものを使い、模倣し、 ――そこまでならともかく、それを自分のものだ、と宣言してしまう。どういうわけかこ の民族に関してはこのような事は珍しくない。 彼等の正式名称は幾つもあるが、しかし彼等はその凶悪な模倣根性、身勝手さ、ふてぶ てしさなどより「似」「駄」「亜」の不名誉な(つまりは、亜流であり、駄作であり、 似非でしかない)三文字を与えられる事になる。 彼等にとって幸せな事は、この世界は全て我等のものである、という子供すら見ない夢 幻に浸れて現を忘れてしまえる事であろうか。恐らく、彼等の破滅の時まで、ずっと―― 民明書房「世界から忘れ去りたいもの・第一巻兼最終巻」より
拳寒中 中国は晋王朝の崩壊後、五胡十六国と称される乱世を迎えたのであるが、中央の勢力の 弱体化につれ、それまで虐げられていた辺境の民族が続々と台頭して来た。中でも台頭 著しかったのが朝鮮民族である。4世紀初頭には楽浪郡をも滅ぼし、朝鮮半島の一大勢力 として無視できないものとなった。 しかし中国が再び統一された唐の時代、再び朝鮮半島の支配をもくろんだ時の王朝は、朝鮮半島 における属国の新羅と共謀してまず660年百済、次に668年高句麗を滅ぼし、再び朝鮮半島の 国家を自らの属国となしたのである。その決戦の際に百済の総大将、煮駄阿(ニ・ダア)将軍は、 雪の積もった決戦の跡にて、唐の軍隊に敗れ生存者が4人となった自軍を見て、遂に気が触れ 拳を寒中に突きたて「覇微四!」(ファビョ〜ン!、わずか4人の兵で敵を制覇できるものか)と 涙に暮れたと記録にある。彼は後に百済の同盟国であった日本へと背走することになるのだが、 終生彼は漢民族と、漢民族に自らの魂を売り渡した朝鮮民族とを恨んだと言い、彼の志を継ぎ 漢民族と朝鮮民族を狂信的に憎むものを現代では拳寒中という。ちなみに誤変換を常用する 2chでは嫌韓厨とも書くが、本来は嫌中国の意も含んでいることはあまり知られていない。 民明書房刊『売リ自ナル朝鮮民族』より
ゲバ棒 ゲバ棒といえば学生運動の象徴ともいえる兵器であり、1970年前後の学生運動の際に、 機動隊や対立セクトを攻撃するため学生たちが用いた角材である。 ゲバ棒の「ゲバ」とは独語実力闘争や暴力という意味のGewalt、というのが通説である。 しかしこれは学生運動の混乱期に歪曲されたデマゴギーであり、 真の出典は1950年代アルゼンチンにこそあった。 キューバの革命指導者チェ・ゲバラがゲリラ戦のさいに最もよく使った鈍器であり、 絶頂期の彼がこの棒をひとたびふるうと、 十数名が七つの穴から血を噴きだして絶命したといわれている。 いわゆる「ゲバ棒」は、その光景を目撃していた日本人傭兵がその後学生運動へと身を投じ、 角材を用いてチェ・ゲバラが使った棒を真似て作ったものだ。 一説によるとチェ・ゲバラ自身も学生運動に参加して、 このゲバ棒を振るったともいわれるが真相は定かではない。 民名書房刊 『世界の珍棒・奇棒』より
温菜尼医(おんなにい) 中国清代中期 医学発達の最盛期にて発祥した医療法。 戦が日常茶飯事となった当時において、種の保存の欲求から来る性衝動は 兵の不満の高まりと戦意喪失を助長し、深刻な問題となっていた。 これを打破したのが、中国東北部に位置する絶倫寺の開祖の僧、包茎(ほうけい)である。 包茎は最寄の同派である淫乱寺の開祖である槍漫(やりまん)と共に、寺に代々伝わる局部マッサージ法を 尼達に習得させ、兵達に施した。 その効果は絶大なもので、ついには国中の尼が総動員で行う程であった。 この時の尼達の柔肌が茹でた野菜のように柔らかかったことから、この医療法は温菜尼医と呼ばれるようになったのである 余談ではあるが、戦が終わった後も兵達はその快感を忘れられず、各々で処理をするようになった。 これが現代で言うオナニーにあたるのは言うまでもない。 民明書房刊「中国伝承医学その神秘」より
【素霊寿党(すれすと)】 魏・呉・蜀による三国時代、隣接する地域とのいざこざや乱獲を防ぐために 狩りを行える場所や、狩猟中の降雨の際に雨宿りするための小屋の使用方法などを定めた 「労狩留雨流(ろうかるるうる)」という地域独自の規範があった。 この労狩留雨流の中でもっとも重要だったのが 国の守り神であるイタチを狩ったり売買する、 いわゆる「鼬買(いたちがい)」を禁止するという条項である。 このような労狩留雨流に違反した場合、 祈祷師や精霊信奉者で構成される集団「素霊寿党(すれすと)」が違反者を裁いた。 素霊寿党による説教のあと、 ニ槍(にやり)を突き刺すことによって処罰が完了するとされている。 死刑ではないが、恩赦がない限り再び狩りに出ることは禁止される。 現代のインターネット上の掲示板で、板違いスレッドがスレストされるのは、 この素霊寿党が起源であることはいうまでもない。 (民明書房刊 「法律の抜け道 〜勝ち組・負け組〜」 より)
【有馬井傍(うまいぼう)】 古代中国において最も速い交通手段は馬であった。 移動の途上で馬に休息と水をとらせるため、街道にある井戸の傍らには 人馬がよく集まることになるが、その休息の際によく食べられていた携行食料が 有馬井傍(うまいぼう)である。 練った小麦粉を棒状に加工し、油で揚げ塩などで調味したものであり、 小麦、油というどこででも手に入る手軽さと安さから広く人々に愛された。 この有馬井傍は王金(おうきん)という老人が考案したものであり、後に王金は 爺王金(やおうきん)と呼ばれることになる。 現代においてやおきんから発売されているうまい棒のルーツが、この 有馬井傍であることは言うまでもない。 民明書房刊「砂食う苦しみの果て〜中国の食文化〜」より
【気猛汚汰(きもおた)】 古代中国拳法界には数多くの派閥が存在した。 その中でも「汚汰」と呼ばれる一族が編み出した拳法は 大きな勢力を誇っていた。しかし、この一族は後継者争いが耐えなかった。 一族の王となった者は中国をほぼ支配できる程の権力が手に入るからである。 最初は後継者を決める会食中に上層部に命令された門下生が乱入し 「燃(もえ)!燃(もえ)!」という攻撃的な暴言を連発し会食を中断させる 程度のものだったが、時が経つにつれ後継者を直接狙う強行手段がとられるようになって 混家(こみけ)と呼ばれる人の多い遊戯場に連れて行き事故に見せかけて 複数の人間で後継者の顔を力いっぱい踏みつけて痛めつけたり 滅世三央(めっせさんおう)と呼ばれる狭い神社に後継者を 悪臭を放つ樽(糞便が詰められていた)とともに監禁したりと 人権を無視した戦い方になっていくのを見てある文豪が 「人の中で一番汚いのは気猛(きもう)な汚汰(おた)也」と著書 「中国拳法史第十五巻」に記したのがこの言葉の始まりである。 この著書の影響により、一般民衆は汚汰一族を「気猛汚汰(きもおた)!気猛汚汰(きもおた)!」 と罵るようになり、立場が悪くなった汚汰一族は少林寺拳法に統一された時に自然と消滅していった。 今でも中国の奥地では外見、気性共に酷い人間を「気猛汚汰」と罵る風習が残っている。 民明書房刊「中国拳法の黒歴史」より
【猛打滅法(もうだめっぽう)】
ヤツァン・ヤヮゥッツが開祖の拳法で、その威力は凄まじいものであり、
回転硬板を容易く割ってしまう程であった。
ある日、ヤツァンが回転硬板に卑猥な事や秩序を乱す事を書いていると
役人が歩いてきた。
彼は慌てて逃げ出したが、それを見ていた物達が
「猛打滅法!猛打滅法!」
と叫んだっために結局悪事がばれてしまった。
なお、数年前のファイル共有ソフト利用者摘発時にある男が掲示板に書き込んだ言葉
「もうだめぽ」は、ここからとった喪のと思われる。
ギリギリの状態でこの故事を思い出すとは、彼は相当の中国通だったのであろう。
ttp://www5.big.or.jp/~hellcat/news/0311/29d.html 民明書房刊「中国流摘発逃れ」より
王霊破厳戒打倒重蔦(おうれい・は・げんかい・だとう・おもつた) 古来、秦では澱舎(でんしゃ)、つまり澱んだ建造物に篭もり前述の気猛汚汰(きもおた)と呼ばれる流派の武道家達と共に 暗い澱舎に篭もり彼等が修行の一環として熱中する押し問答に耳を傾けさえせど決してその問答に加わってはいけないという官吏に課された精神修練がある。 「記様破・陀唐亜弐局泥・馬鹿煮紗麗堵医卯野田・壺之男」 (きさまは・だからにつぼねに・ばかにされというのだ・このお) つまり仏陀の尼僧に馬や鹿をを一見きらびやかでとても美味そうに見える料理を壷で出される。当然野生の馬や鹿を調理するには 相当の料理の腕がいる、貴様はそんな料理の腕があるとは思えない尼僧の出した料理を食えるのか?としう質問を出されたところ、 「愚餌獲・伯稜退参・伯稜退参」 (ぐええ・はくりょうたいさん・はくりょうたいさん) つまり私は帝の礼が祭ってある伯稜に足を踏み入れていたとは知りませんでした、すぐに帝の霊前に参って詫びを居れてからここから立ち去ります、 と。ちなみに二局とは百鬼夜行、魑魅魍魎が行き来する霊山のことである。 前述の問をした気猛汚汰は忍邪詰徒(にんじゃきつど)後者を答えたのが玲御(れおん)であった。 彼等には共通の徒、灸雲帆穂医****(官吏はこの部分をとうとう聞き取れなかった。)という灸医術の徒(きゅううんぽぽい)が居り、後に澱舎に訪れた際 「敬礼是レ」 (是を敬い何度も伯稜を礼参すべし)と二人を諭すのであった。 灸雲帆穂医の古代王朝が入れ替わる際否定され破壊される前帝の墓を敬えと言う言葉に圧倒される官吏は 「王霊破厳戒打倒重蔦」 王の霊を奉った墓を破壊し戒め打ち倒すのは重い蔦を覆い茂らされる年月に比例する、と灸雲帆穂医の唱える 故人を厚く敬えという教えに共感するのだった。 なお灸雲帆穂医は「後霊丹対州流答」 (後霊を奉る丹対州地方流の問答集)を書に記し気猛汚汰が故人を敬い真心を大切にする人々であると 説き伏せている。 民明書房刊 「揺られる鴎を眺める中國の海蛍の放つ臭い」より
沓宮留道 堂々(くっくるどう どうどう) 古代中国の武闘家「馬云梼(ま・うんとう」が、時の皇帝暗殺の為 鳥面の仮面を着け、己の流派を沓宮留道と称し、御膳試合に参加。 得意技である、馬乗り状態からの殴打により見事勝ち上がり 反皇帝の拠点である「衿亜伍十一」に皇帝を拉致せんとした所で 目的が発覚。馬云当は捕らえられるも皇帝はこれを赦し、正面から堂々と 返したと言う。この処遇に意気を感じた馬云梼は、皇帝に終生忠誠を 誓う事となった。これを人々は「沓宮留道 堂々」と呼び、皇帝の 器量の大きさと、馬云梼の武勇を称えたと言う。 なお、言うまでもないことだが、現在格闘技において圧倒的優位な 姿勢である「マウント・ポジション」は、馬云梼がその創始者であり 語源となっているのは、紛う事無き事実である。 曙蓬莱新聞社刊「鳥の詩〜翼をへし折ったエンジェル〜」より抜粋。
祐巳「しかし早えもんだぜ。あの地獄の連鋳爾射武留宇(レイニーブルー)からもう 一ヶ月か。やっと姉妹の関係も修復して初登校じゃ」 由乃「よく考えるとわしら全然登校しとらんのう。・・・おぉ、久しぶりのリリアン女学園じゃ!」 祐巳「よーしわしが一番乗りじゃ!」 由乃「ま、まて祐巳、わしが先じゃあ!」 祥子「フッ、あれだけの事件の後だというのに、相変わらずだなあの二人は」 令「ああ、まったくだ」 由乃「何じゃぁーっ!あの十字型の決闘場は!?」 志摩子「あ、あれはまさか噂に聞く露挫離悪(ロザリオ)・・・?」 祐巳「なっ、知っているのか志摩子さん!?」 〜露挫離悪〜 古代中国において、獰悪な犯罪者には相応の罰をもって報いとしていたが、あらゆる 刑罰の中でも特に辛酸を極めるとされたのがこの露挫離悪(ろざりお)である。 その内容は、十字型の鉄板を下から火であぶり、その上に裸にした犯罪者を長時間 正座させ続けるというもの。縄できつく縛ることによって身じろぎをすることも許されず、 あまりの苦痛に気を失えば、拷問吏によって水をかけられる。 とある中国の山奥にある拳法道場が、この刑罰を修行者の修練として取り入れ、 焼けた十字型の鉄板の上で裸足で決闘させていたということが記録に残っている。 なお、首から提げる十字架のことを「ロザリオ」と呼ぶのは、この刑罰から来ている 事は言うまでもない。 民明書房刊 〜古代中国における武術と刑罰〜より抜粋
マジレスすると「バールのようなもの」とは古代シリアのカナアン神話における主神バァルの事です。 以下、ググッた文を貼っておきます。 >元来バァル神に与えられた神格は、豊穣を約束する太陽神といったものであり 決して現在の日本における「バールのようなもの」という負のイメージを喚起させるものではなかったのである。 何故そのような事になったか、興味深い逸話があるので紹介しよう。 バァル神の信仰がインドに伝わると、仏教の影響で祇園精舎の守護神 牛頭天王へと変容する。 さらに中国に伝わると、今度は道教の影響で冥界の獄卒としての牛頭天王になる。 閻魔大王の配下の牛頭馬頭の片割れの誕生である。 このような神格の変遷を辿りながらバァルは牛頭として、朝鮮を経由して日本に流入するわけなのだが、 朝鮮半島においてのみ不可解な形で定着した。 朝鮮民族特有の火病(一章参照)の状態に陥った時に、荒ぶる牛頭が乗り移ったと形容された。 しかし、直接に牛頭を言葉に出すことははばかられ、語源までさかのぼり「バァルのようなものが憑いた」と 表されるようになったのである。 つまり、昨今NEWSで使われる「バールのようなもので破壊した」という言葉は、意外に知られていないが 「韓国人がかんしゃくをおこし、ムリヤリな力(方法)で破壊した」 という意味の言葉なのである。 著・許 元璧 「HOP・STEP・ふぁびょ〜ん」 出版元 民明書房
【盤義谷流(ばんぎゃる)】 古代中国において、年頃の若者には絆杜(ばんど)と呼ばれる 数人からなる組を結成し、諸国を巡り武者修行をする者達がいた。 彼らが諸国を回るにつれ、多くの従者が付き従うようになり、 従者の数が増えて勢力を増した絆杜は都へ登り、富と名声を欲しいままにしたものもいた。 絆杜には数々の流派、服装をしたもの達がいたが、中でも 化粧を施した美呪或(びじある)と呼ばれる流派の者達に付き 従ったのは、盤義谷と呼ばれる谷に住む住民が大多数であった。 盤義谷の住民は多くが10代の少女で、、黒い衣をまとい独特の風習、踊りを 多数持ち、己の気に入った絆杜の者たちを金銭的、精神的に支え、共に諸国を渡り 歩いたという。その流浪の様から「盤義谷流(ばんぎゃる)」と 呼ばれるようになり、後にさらに略して「盤義谷(ばんぎゃ)」と称されるようになった。 彼女らの多くは20代半ばになると、谷での暮らしや流浪をやめ、 黒い衣を脱ぎ捨て里へ降りてごく普通の生活を営むようになるが、 一部はさらに奥の谷へ移り住み、30を越えてもなお絆杜の若者と共に 諸国を巡る旅を続ける者もおり、「奥盤義谷(おばんぎゃ)」と呼ばれた。 現代でも化粧をほどこしたバンドに付き従う黒服の少女達を「バンギャル」と 呼ぶのは、この盤義谷の民が由来であることは言うまでもない。 (民明書房刊 「古代少女文化紀行」より」)
素婦痢(す ふり)・・・中国宋代、都の西沃省に勢力を誇った秘密結社。 その首領である倭堕惨(ワ ダサン)は全国制覇の野望を抱き、把裸把裸拳 という拳法を編み出し、人々から恐れられた。その秘奥義・非情戒弾とは、 狙いを付けた敵(倭堕惨娯乃味と呼ばれる)を宴席に招き、遊技に誘って 油断させ、密かにアルコール度数の高い酒を立て続けに飲ませて泥酔させた 挙げ句、集団で襲うという手段を選ばない卑劣きわまるやり口であった。 倭堕惨とその一党の手にかかった相手は500人とも1000人ともいわれ、 倭堕惨魔術(ワダサンマジック)の名で恐れられたという。 今日、学生コンパ等で同様の手口を使う者がまれにいるが、倭堕惨の 後裔であるかどうかは定かではない。 (民明書房刊『中国異常性欲物語〜倭堕惨の野望〜』より)
『治殷 治殷 主!主!主!(ちんちん シュッ! シュッ! シュッ!)』 殷王朝最後の皇帝である紂王は寵愛する妲己にそそのかされ、悪政を重ねた後、 周の武王により打ち倒されたのはあまりにも有名な話である。 紂王は、牧野の戦いで大敗後、都へと逃げ戻り、鹿台に火を放って自刃するのだが、 自刃の直前、紂王の元で贅沢の限りを極めた役人や宦官たちは、 かつての贅沢がもうできないのを悔やみ、紂王に対し、泣きながら 「治殷 治殷 主!主!主!(※注・治殷=殷を治めて下さい、主=我らが主紂王よ!)」と懇願した。 その懇願ぶりは、悲惨としかいいようがなく、ある者は燃えゆく宮殿の中で「治殷 治殷 主!主!主!」と ヨダレを垂らしながら、柱に体を激しくこすりつけ、そのこすりつけようは柱の塗装が剥がれ落ち、 血が噴出し肉がずたずたになるほどであったという。 なお、現代日本の匿名掲示板において「ちんちん シュッ! シュッ! シュッ!」という文言と共に ヨダレを垂らした肥えた初老の男性のAAが貼られるのは、 根底にこの逸話が元になっていることはいうまでもない。 民明書房刊 『古代中国王朝滅亡全書』より抜粋
もうシカトしとこうよ
荒らしてた香具師へ お前が荒らしを行うきっかけになったレスをもう一度よーく見てみろ。 いいか、ちゃんと読み直したか? そのレスは誹謗中傷だったか?そのレスに害意が感じられるのか? お前は、何の害もない普通のレスに過剰反応したんだ。その結果、お前が守りたかった香具師の評判はさらに落ちることになった。 お前は味方の振りをしているが、そいつを傷つける一番の要因はお前自身であることに早く気づけ。馬鹿。
596 :
sage :04/03/17 02:17 ID:zFduKyBc
遅レスながら。
>>517 何処のMIZUKIかワカンネ。
リアルタイムで荒らし見てた奴通報しとけよ…
わっ、ごめん。あまりにキモ杉て寝てたらしい…m(__)m 結局点呼に応じてくれたのは3人だけか。 この嵐は1000までやるつもりかと一瞬思ったよ で、頭の悪い漏れは一体誰の話題がのぼったために嵐が起こったのかさっぱりなんだが 女数人と基地外猿供と工房の話題だったよな? 誰か教えてはくれまいか…?
>>600 『ビチグソサクヤ真理教』とやらの仕業でしょう(プ
そして600げとオメ。
602 :
ゲームセンター名無し :04/03/17 04:13 ID:gheEhhk4
MIZUKIはどこをどう見てもかわいいとは思えないのだが
プチ姫もな。
ヲィ藻舞等! ついに漏れの長年の夢だった『土人の肉便器化』が叶ったようですよ!(プゲラッチョベリバ
はい、次。
607 :
ゲームセンター名無し :04/03/17 06:38 ID:gheEhhk4
ぷち姫は実際見てみないとコメントできん。 ジーカムは遠いんで・・・
いや、コメントしなくてもいいですから。
サゲマツガエタ。 MIZUKIてどんなヤシ。
何かトリビアの泉化してるスレはここでつか(プ お舞等おもしろ杉 どんどんやっとくれ
糞スレ
せめてスレタイに何のゲームのプレイヤー事情か明記しようぜ、チンカス
>>1 よ
614 :
610 :04/03/17 10:45 ID:???
616 :
ゲームセンター名無し :04/03/17 12:57 ID:S/U1AfMw
このスレは吉害どもがウザいので閉鎖しよーぜ。漏れは入水自殺してくる。
>>1 は機知外及びスレの後始末ヨロシク!
>>616 ウザいなら見なければいい。このスレの住人は、お前に読んでもらいたいなんてこれっぽっちも思ってないぞ。
619 :
ゲームセンター名無し :04/03/17 13:10 ID:S/U1AfMw
>>617 >>618 漏れが間違ってた。スマソ。言葉使い汚かった。みんなゴメソ…スレはこれから楽しみに見るさね。本当にスマソ
>>619 しつこいようだが
見たくなかったら見なくていいのよ?
621 :
ゲームセンター名無し :04/03/17 14:54 ID:S/U1AfMw
>>620 口では見たくないなこと言ってるけどやはりみた!漏れはもう煽らね。迷惑お掛けした。ゴメンナサイ…
話を戻そうか。 MIZUKIはどんなネタもってんだw
,. - ' ´ ``''"´ `" ' 丶 、 , -'" 、: :ヽ、 , '´ / iヽ : : :ヽ、 :`ヽ : :ヽ ,.': : : : /. : :/ , ,、 i :i : :ヽ:: :: :: :ヽ : : ヽ丶ヽ / : : : :/: : : /i:::,.'::/゙゙゙i. :i :: :: ヽ :: :: ::ヽ : :`、丶ヽ / : : i.: : : i.i: :,'::/ i : i 、: ::ヽ :: :: ::ヽ : :`,.:丶ヽ / :i : : i.l :; :/ i : ト、 、,: ::ヽ、: : : .`、 : :i: :丶ヽ i i : :.l: :;:/ ! : i丶'、'、::ヾ、 : : :i : : i: : :ト.`、 .i i. l:: ;/ !. i. ヽ'、ヽ、`、ヽ : :.l :. i: : iヽ.i i ; , i. l. i ヽ ! ヾ,,.-‐'-,-i、; l i.: : i `;i i ; ; i. l. | _, -‐‐- ヽ.! ヽ、 ヾ、`i.l i : :i. i! i ; ;. i. il r'´ ___ ヽ ,=i'ツ"'i'-、i! i. : :i. ! i i ; i i |! ,..ッ''゙T'' i ゙'' '' '゙ ´ i i : :,: i i! ,i ;. i i. l i.゙ベ-''" `、 :::::::::: r'‐-- 、 : ;:`、 ii ;i ; i _,..!-、_ ::::::::: ' .i ヽノ .! : : ;`、 i i. ,i ; r'´| √/`- 、 , . ' /し' ` }: : : ;:`、 i i ;.i. ; | j / / Y .!. ` "´ ,/^´ ./i`丶、;_`、 j i , ; i ; /iヽ ⌒ ‐- 、. ,.ィ´ /: :i `ヽ、 ./.i. ; ; , ‐'゙ i ゝ、 ヾ':::‐イ ィ'.i : : : i `、 / i ; , '´ i. ;`i`r 、_ }:::::ハ. '、i : : : :i. i 、
はっきり申し上げよう ちひろとかゆきのとかぷち姫とかヤリマンとかすぐヤらせてくれるとかいうが... 2次元の使者の君たちには全く無関係だよw 何よりココの鉄則「本人の前(リアル)では何も言えない」 ということがそれを証明してるわけで「中傷が趣味です」といわんばかりのお前らに偉そうな口を叩く権限はない あえて名は出さないけどホントに名無しでばれてないとでも思ってる? ゲーセン行ったときにどんな目で見られてるか知ってる? うわべの関わりをまさか本気にしてないよね?
ヤリマン呼ばわりは、その女にフラれた奴の復讐に他ならんな。 どの女の場合も、そのテをたどれば犯人わかるんじゃないか? ホラでは済まなくなる前につまらんマネやめろや、見苦しい。
626 :
624 :04/03/17 19:51 ID:???
>>625 推測や履歴といった憶測だけだからこのスレはいつまでも腐ったまま居座り続ける
あぶりだし方なら他にいくらでも知っている
それに...
その書き方じゃ君を知っている人がみたら正体ばればれだと思う
>>424 ぷwwww
とりあえず俺は誰だか、友達にばれてるしなwwwwww
お前キモいよ^w^w^w^w^w^
必死になりすぎだってwwwwwwwwwwっっうぇ
>>627 DAKARA吹き出しそうになったじゃないか!!!
629 :
↑ :04/03/17 21:48 ID:???
あぼーん
どこからか電波を受信して名無しの方々の正体を把握できる基地外が現れますた。 じゃあ俺の正体もあぶりだして下さいよ(プ 「前世が見える」と主張するotake大先生と変わらねーなそれ。 プププゲラゲラ
またウザくなってきたなぁ……
みんな仲良くしようYO!
なんで
>>626 (
>>624 )は、賛同してる
>>625 を煽るような書き方をするのでしょう?
もし「振られた」って言葉に過敏反応したんだったら、626が誰で、625を誰だと思っているのか、だいたい想像できますがね。
634 :
ゲームセンター名無し :
04/03/18 00:27 ID:QwVZxCUZ レスは誰がカキコしてるかわかるんですか?すごいですね。それより平和に語りあいましょうよ!いがみ合ってちゃいけませんよ!人を誹謗中傷するスレではないですし…もっと和やかな雰囲気でいきましょう