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231pH7.74
精神を病みリアルにおいて良好な人間関係を築けない中島義弘さんにお薦めの本が有りますので紹介します。

かつて講演にゆく、車中での出来事である。
 ちょうど車内は、空席が多く広々として静かであった。ゆったりとした気持ちで、周囲の座席を独占し、持参した書物を開いた。
 どのくらいの時間が、たったであろうか。
 読書の疲れと、リズミカルな列車の震動に、つい、ウトウトしはじめたころである。
 けたたましい警笛と、鋭い急ブレーキの金属音が、夢心地を破った。
 機関手が踏切で、なにか障害物を発見したらしい。
 相当のショックで、前のめりになったが、あやうく転倒はまぬがれた。
 同時に幼児の、かん高い泣き声がおきる。
 ななめ右前の座席に、幼児を連れた若い母親が乗車していたことに気がついた。
 たぶん子供に、窓ガラスに額をすりつけるようにして、飛んでゆく車窓の風光を、楽しませていたのであろう。
 突然の衝撃に、幼児はその重い頭を強く窓枠にぶつけたようである。子供はなおも激しく、泣き叫んでいる。
 けがを案じて立ってはみたが、たいしたこともなさそうなので、ホッとした。
 直後に私は、思わぬほのぼのとした、心あたたまる情景に接して、感動したのである。
 だいぶん痛みもおさまり、泣きやんだ子供の頭をなでながら、若きその母親は、やさしく子供に諭している。

「坊や、どんなにこそ痛かったでしょう。かわいそうに。お母さんがウンとなでてあげましょうね。でもね坊や、
坊やも痛かったでしょうが、この柱も痛かったのよ。お母さんと一緒に、この柱もなでてあげようね」

 こっくりこっくりと、うなずいた子供は、母と一緒になって窓枠をなでているではないか。
「坊や痛かったでしょう。かわいそうに。この柱が悪いのよ。柱をたたいてやろうね」
 てっきり、こんな光景を想像していた私は赤面した。
 こんなとき、母子ともども柱を打つことによって、子供の腹だちをしずめ、その場をおさめようとするのが、
世のつねであるからである。

 なにか人生の苦しみに出会ったとき、苦しみを与えたと思われる相手を探し出し、その相手を責めることに
よって己を納得させようとする習慣を、知らず知らずのうちに私たちは、子供に植えつけてはいないだろうか、と反省させられた。

 三つ子の魂、百までとやら、母の子に与える影響ほど絶大なものはない。
 相手の立場を理解しようとせず、己だけを主張する、我利我利亡者の未来は暗黒の地獄である。
 光明輝く浄土に向かう者は、相手も生かし己も生きる、自利利他の大道を進まなければならない。
 うるわしきこの母子に、“まことの幸せあれかし”と下車したのであった。(高森顕徹光に向かって 100の花束より)

232pH7.74:2009/02/07(土) 23:15:11 ID:VkKzRfOB
(2)約束は、必ず、
      はたさなければならない
光に向かって100の花束 歴史家で有名なナピールが、ある日、散策していると、路傍にみすぼらしい少女が陶器のカケラを持って泣いている。

 やさしくわけをたずねると、少女の家は親1人子1人。親が大病なので、家主から1リットル入りのビンを借りて、牛乳を買いにゆこうとして落として割ったのだ。
 家主に、どんなに叱られることかと泣いていたのである。
 あわれに思ったナピールは、ポケットから財布を出してはみたが貧乏学者、一文の持ちあわせもない。
「明日の今ごろ、ここへおいで。牛乳ビンのお金は、私があげるから」
 少女とかたく握手して別れた。ところが翌日、友人から、
「君の研究の後援者になろうという富豪が現れた。午後は帰ると言っているから、ただちにこい」
という至急の伝言である。
 しかし富豪に会いにゆけば、少女との約束を破らねばならぬ。ナピールはさっそく、友人に返答した。
「私には今日、大事な用件がある。まことに申し訳ないが、またの日にたのむ」
 そして少女との約束をはたした。
 富豪は、ナピールを思いあがったやつだと、一時は怒ったが、後日それを知ると、いっそう信用を深め、彼を強く後援した。

 金持ちほど怒りっぽく、あつかいにくいものはない。いつも金で、何事も自由にできる、と思っている。
 また金で、約束を破り節をかえる金銭奴隷が、いかに多いことか。

『儲け』は「信用のある者へ」と書いてある。

 たとえ自分に不利益なことでも、誓ったことは、必ずはたすのが信用の基である。
 はたせぬ約束は、はじめからしないこと。相手に迷惑をかけるだけでなく、己をも傷つける。(高森顕徹光に向かって 100の花束より)

233pH7.74:2009/02/07(土) 23:16:22 ID:VkKzRfOB
(3) 高価な楽器が
    いい音色を出してくれるのではない、
     演奏者によるのだ
光に向かって100の花束
(Photo by TheAlieness GiselaGiardino23)

 古今の名手ビテリーが、5000ドルのバイオリンをひく、というので、その日の演奏会は、たいへんな評判だった。
  満場の拍手に迎えられ、ビテリーは、舞台に現れた。
「見ろ! あれが5000ドルのバイオリンだ!」
 何千人の目は、いっせいに彼の持つ、バイオリンに注がれる。
 やがて、演奏が始まった。
 急調、緩調、なんともいえない美しい楽の音に、満堂の聴衆は、ただ恍惚たるばかり。
「まあ、なんていい音色でしょう」
「さすが、5000ドルの値うちはある」
「1度でいいから、あんなバイオリンをひいてみたい」
 随所に感嘆の声は絶えない。
 ところが、どうしたことか、第6曲なかばにして、突然、楽の音はピタと止まった。なんと思ったか彼は、いきなりバイオリンを、おもいっきりイスに投げつけたのである。
 バイオリンは、微塵に砕かれた。
「お待ちください。どうぞ、お静かに」
 総立ちになった聴衆に、こう言いながら、かわりのバイオリンを持って、舞台に現れたのは、その日の主催者である。

「いま、ビテリー君がたたき壊したのは、どこにでも売っている、1ドル60セントの安物です。
 近ごろ、音楽界では、いたずらに楽器の高価を誇る傾向があります。そんな風潮を、最も憂いているのが、ビテリー君です。
“音楽の妙味は、楽器の高価にあらず、演奏者にある”
 この平凡な真理を、彼は知ってもらいたかったのです。
 これから使用するバイオリンこそ、5000ドルの品であります」

 ふたたびそして、演奏が始まった。
 拍手とアンコールの嵐は、前のとおりであったが、聴衆には、壊された安物と5000ドルのバイオリンの相違がどこにあるのか、まったくわからなかった、という。(高森顕徹光に向かって 100の花束より)

234pH7.74:2009/02/07(土) 23:16:54 ID:VkKzRfOB
(4)悪人ばかりだと
    ケンカにならない
     一家和楽の秘訣
光に向かって100の花束

 ある所に、内輪ゲンカの絶えないA家と、平和そのもののB家とが隣接していた。
 ケンカの絶えないA家の主人は、隣はどうして仲よくやっているのか不思議でたまらず、ある日、B家を訪ねて懇願した。
「ご承知のとおり、私の家はケンカが絶えず困っております。お宅はみなさん仲よくやっておられますが、なにか秘訣でもあるのでしょうか。一家和楽の方法があったら、どうか教えていただきたい」
「それはそれは、別にこれといった秘訣などございません。ただお宅さまは、善人さまばかりのお集まりだからでありましょう。私の家は悪人ばかりがそろっていますので、ケンカにはならないのです。ただそれだけのことです」
 てっきり皮肉られているのだと、A家の主人は激怒して、
「そんなばかな!!」と、言おうとしたとき、B家の奥で大きな音がした。
 どうも皿かお茶碗でも割ったようである。

「お母さん、申し訳ありませんでした。
 私が足元を確かめずにおりましたので、大事なお茶碗をこわしてしまいました。私が悪うございました。お許しください」
 心から詫びている、お嫁さんの声がする。
「いやいや、おまえが悪かったのではありません。先ほどから始末しようしようと思いながら横着して、そんなところに置いた私が悪かったのです。すまんことをいたしました」
と、続いて姑さんの声が聞こえてきた。
「なるほど、この家の人たちは、みんな悪人ばかりだ。ケンカにならぬ理由がわかった」

 A家の主人は感心して帰ったという。

   謗るまじ たとえ咎ある 人なりと
      我が過ちは それに勝れり
(高森顕徹光に向かって 100の花束より)

235pH7.74:2009/02/07(土) 23:17:49 ID:VkKzRfOB
(5)大将たる者、
    臣下の言葉をよく聞くべし
光に向かって100の花束

「大将たる者の第1のつとめは、臣下の諫言を聞くことである。諫めを受けねば、己があやまちを知ることができない。それゆえに人の上に立つ者は、家来が諫めのしよいように、よくなつかせておかねばならぬ。武田勝頼は諫言を嫌って身を滅ぼし、
信長も森蘭丸の諫めをもちいず明智の恨みをかい失脚した。唐の太宗は広く諫言の道を開いたから、子孫長久の基を築いたのである」
 徳川義直は口癖のように、こう教訓していた。
 しかし、諫言に耳を傾け、進んで諫めをいれることは、難中の難事である。
 あるとき、匿名封書を奉った者があった。義直が開封すると、
「お家には、十悪人がおります」
という書き出しで、9人の名前が列挙してあったが、あとの1人が記されていない。
「もう1人は、だれであろうか」
 義直は、近習を見まわしてたずねた。
 そのとき、持田主計という23歳の秘書が、
「それは、殿さまでございましょう」
と答えた。
「なんと申す。余が悪人とな」
 義直は、声をふるわせる。
「他の9人は臣下でございますから、はばかるにおよびませんが、残る1人は、はばかるべきお方ゆえ、わざとお名をあげなかったものと思います。お名をあげずとも、殿さまには、おわかりになると思ったのでございましょう」

 ちょうど、自分が書いたもののように、ヌケヌケと言いはなった。
「余は格別、思い当たるところはないが、なにか欠点があれば言うてみよ」
「ございます。殿さまが、ご改心あそばして然るべしと思うことがおおよそ、10カ条ほどございます。よろしくば申し上げましょう」
と、列座の近習らの前で持田主計は、立板に水を流すごとく、義直の欠点を並べたてた。
 臣下の前で、さんざんにコキおろされた義直は、一時は憤懣やるかたなく、肩で荒い息をしていたが、よくよく反省してみれば、持田主計の指摘には、思い当たる節が多かった。数日後、義直は持田主計を大忠臣として加増し、旧に倍して重用し国政に参与させたという。

 名君と、いわれた所以である。(高森顕徹著・光に向かって 100の花束より)

236pH7.74:2009/02/07(土) 23:18:17 ID:VkKzRfOB
(6)お嫁にいったら、
   毎日よい着物を着て、
   おいしいものを食べて、よくお化粧するのですよ
光に向かって100の花束

 富豪ドンマカセンの夫人は、賢夫人の名が高かった。
 その一人娘も、たいへん聡明だという評判だった。
 リキミという大臣の夫人が、ぜひ、息子の嫁にと婚約がまとまった。
 夫人はそこで、ドンマカセン邸を訪ねてみた。
 すると母親が娘に、こんこんと、こう教えているではないか。

「いいかい、いつも言っていたように、お嫁にいったら、毎日よい着物を着て、おいしいものを食べて、よくお化粧をするのですよ」
“これはとんだ嫁をもらったものだ”と思ったが、いまさら、破談にするわけにもいかず、複雑な気持ちで帰宅した。

 無事、結婚式は終わったが、今後のことが案じられてならぬ。
 ひそかに嫁の言動を観察していても、起床は早く、家や庭の掃除をし、洗濯もする。
 舅姑や、主人の面倒見もよく、台所の整理整頓も、おみごとの一語に尽きる。
 どこにも、浮いたようすは微塵も見られない。
 そこで彼女は、かねての疑問をきいてみずにおれなくなった。
「あなたは家を出るとき、毎日、よい着物を着て、おいしいものを食べて、お化粧をするようにと、お母さまから教えられていなさったが、そのようになさっていないのでは……」

「お母さま。実家の母の、よい着物を着よと申しますのは、清潔なものを身に着けよ、ということでございます。
 おいしいものを食べよと申しましたのは、労働をすればどんな物でもおいしくいただけるから、まめに身体を動かせ、ということでございます。
 また、お化粧をせよと申しましたのは、家や庭、部屋や台所の清掃のことでございます」

 答える彼女の笑顔は、輝いていた。
 ドンマカセン夫人の優れた教育に、姑は、いまさらながら感嘆したという。
“きれい好き”ということは、いかなる場合にも女性の、大きな美点にちがいない。(高森顕徹著・光に向かって 100の花束より)


237pH7.74:2009/02/07(土) 23:18:56 ID:VkKzRfOB
(7)もうおまえは、
   帰ってもよろしい
光に向かって100の花束
(Photo by *L*u*z*a)

 イタリアの有名な音楽家のもとへ、1人の青年が、音楽の教授を求めて訪ねた。
「よしたほうがよかろう。音楽の道は、たいへんだから」
 音楽家はキッパリと断る。
「必ず、どんな苦労でもいたしますから、ぜひ教えてください」
 青年は必死にたのんだ。
 どんな苦しいことがあっても一切、不足や小言は言わないという約束のうえで教授を許した。
 それから青年は、その家に起居して炊事、洗濯、掃除など一切の家事の面倒をみて、その合間に音楽の教授を受けた。
 はじめの1年は音階だけで終わった。2年目も同じく音階だけ。
 3年目こそは、なにか変わった楽譜を、と期待していたが、いぜんとして音階だけで終わる。
 4年目も音階だけであったので、たまりかねた青年は不足をならした。
「なにか変わった楽譜を教えてもらえないでしょうか」
 師匠は一言のもとに叱りとばした。
 5年目になって、半音階と低音使用法とを教えた。
 その年の暮れ。
「もうおまえは、帰ってもよろしい。私の教えることは、すべて終わった。おまえは、いかなる人の前でうたっても、他人にひけをとることはなかろう」
と、免許皆伝したのである。
 その青年はカファレリといい、イタリア第一の名歌手となった。

 音階ぐらいと、ばかにしてはならない。それを5年間も魂を打ちこんで教授したのは、基礎が完成すれば、どんな難しい楽譜でも、自由自在にあやつることができるからである。
  何事も基礎が肝要。(高森顕徹著・光に向かって 100の花束より)


238pH7.74:2009/02/07(土) 23:19:29 ID:VkKzRfOB
(8)夫婦は
   もともと他人である。
    だからケンカもする
光に向かって100の花束

 夏の暑い日、主人が帰る。
「いま帰ったぞ。ああ暑かった」
「おかえりなさい。暑かったでしょう。家にいてさえ汗が流れたのに、一生懸命働きなさって。マア! この汗。太郎、うちわであおいであげな」
「ナーニ、これくらいの暑さ。オオ、もう一ぺんいってこようか」
となるが、
「おかえり。夏ですもの、あんただけが暑いのではないのよ。大きな顔しなさんな」
 とくると、
「ナニ、このふてくされめが」
となる。
 男には、三軍を叱咤するような気持ちのおこるときと、子供のように甘えたいときがある。
「とにかく、おれについてこい」
と、たのもしくリードするかと思えば、
「オイ、母ちゃん、耳のあかをとってくれや」
と、膝枕でヨダレを流したりする。


「オイ、1万円だぞ」
と、奥さんに渡すと、
「1万円、1万円と、えらそうに言わずに、あるだけみんな出したら」
「男には、交際があるんだ」
「つきあい、つきあいと言って、よそばかりで飲まないで、家で飲んだら、どうォ」
「豚の尻みたいな顔見て、飲まれるか」
「長い間、がまんしてきたが、こんなに侮辱されたことないわ。17年前、一緒になってくれにゃ死ぬと言ったのは、どこのどなただったのよォ!」
「このやろう!! 昔のことを引っぱり出しやがって……」
と、収拾つかなくなる。


 なぜ夫婦ゲンカが、おこるのか。

 男は47、女は48の歯車でかみあっている。突然1つの山が、かちあうときがある。
 どちらかが“すみません”と、詫びをいれればいいが、はりあうと歯車は、かちあった状態のままになる。
 要は一心同体と考え、無礼な言動が原因だ。
 夫婦はもともと、他人であることを、忘れてはなるまい。(高森顕徹著・光に向かって 100の花束より)

239pH7.74:2009/02/07(土) 23:19:56 ID:VkKzRfOB
(9)矢は1本しかないと思え
    一意専心
光に向かって100の花束

 矢場に立った1人の男、2本の矢をたばさんで的に向かっている。
「おまえは、まだ初心じゃ。1本にしなさい」
 そばで見ていた白髪の指南は、にべもなくこう言った。
 弓を射るとき、諸矢(2本の矢)を持つのが通例である。
 初心だから2本持つな、1本にしろとはどういうことか。
 為損ずることの多い初心者だから、1本では無理だろう、2本持てというならわかるが、どうも腑におちない。
「はい、かしこまりました」
 素直な男は、言われるままに1本を投げすてた。
“この一矢よりないのだ”
 1本の矢に全精神を集中する。かくて彼は、みごとに的を貫いたのだ。
 初心者に、にあわぬできばえと、満場の喝采をえたが、“1本にせよ”の老指南の意味は、どうにもわからない。
 思案のすえ彼は、老先生を訪ねて教えをこうた。
 笑みをたたえて老先生、こう答えたという。

「子細はない。ただ後の矢をたのみにするから、初めの矢に専心できないのだ。どうしても油断ができる。勝つも負けるも、ただこの一矢の覚悟がなくては、何十本の矢も、みなあだになるのじゃ」

“これがダメなら次がある”
の思いが専心を妨げるのである。熱中できるはずがない。

 熱中といえばフランスの大学者ビュデ。
 家事万端を妻にまかせて一意専心、勉学に没頭した。
「隣家が火事です。はやく、お逃げにならねば……」
と、書生が飛びこんだときも、
「すべて妻にまかせてあるから、家内に相談してくれ」
と、目もくれなかったという。
 ばかのような話であるが、1つのことに魂を、そこまで打ちこみたいものである。

 時空を超越して、一意専心、目的達成に熱中すれば、成就できぬ何事もないにちがいない。(高森顕徹著・光に向かって 100の花束より)


240pH7.74:2009/02/07(土) 23:21:10 ID:VkKzRfOB
(10)忙しい人ほど勉強できる
    暇を盗む
光に向かって100の花束

 ある成功者のところへ、1人の学生が訪ねていった。
「こうにも世の中が忙しくなってきては、勉強する時間がありません。まことに困ったものです」
 そのとき、大喝一声。
「ばかなことを言うな。用事が多いからこそ勉強ができるのだ。君たちは暇があれば寝てばかりいるだろう。勉強する時間というものが特別にあるのではない。忙しいときにこそ、
暇を盗んで勉強するのが本当の勉強である。用事が多いから勉強ができぬ、などと言っている者は、暇になれば遊んでばかりいる者だ。
他人が勉強しているときに負けずに勉強し、他人が休んでいるときも勉強してこそ、
他人より優れた成果をあげることができるのだ。忙しい時間を活かすか殺すかは、その人の覚悟次第である」 と、諭したという。

「光陰矢のごとし」と古人は言った。


 まことに月日のたつのは早い。昨日今日と思っていることが、すぐ2カ月、3カ月となり、半年や1年は、またたく間に過ぎ去ってしまう。
毎日、郵便、電話や応対などの雑務に追われ、忙しい忙しいで、己の本分がなかなかはたせない
 無常は迅速であり、生死は一大事である。
 一刻たりとも、おろそかにはできぬ。(高森顕徹著・光に向かって 100の花束より)