>>827 > ↑の文章からでは「結果」を示せとしか読み取れないわけだが・・・w
おまえの言うように、おまえはすでに結果を書いているのだから、
それで不足だと相手が言う以上は、それ以外のものを求めてると考えるのが普通だろうに。
その程度のことも頭が回らず、「自分はすでに書いている」と繰り返すのが、
頭が悪いといってるのだけどね。
相手がどういう答えを求めているかを考えるのは、
コミュニケーションにおいて最も基本的なこと。
>>833 > 本当は家族を描く気がない。
描きたいものに対して不要なものをわざわざ各必要などない。
たとえばナウシカの村が善人ばかりだというのも、
「どんなに平和な村でも善人ばかりではない」ということを
描きたいならば、もちろん悪人も描き、その対立と和解を描くべきだろう。
しかしナウシカが描いているのはそういうものではない。
何でも写実的に描けばいいというものではない。むしろ描きたいものを誇張し、
不要なものを省略し、歪めて表現することが、表現の本質。ピカソの(ry
>>837 > 遺族は弔問客をお迎えしなくちゃいけないんだよ。
それは万里子がやっていただろうに。全く何も見ていないな。
>>841 > 夏っぽさもないんだよな。クーラーないんならもっと暑がれよ。
別に今作品に「夏っぽさ」はいらないだろう。単に大家族が一同に会する理由付けとして
夏休みが必要なだけだ。それとて本当は栄ばあちゃんの誕生日祝いなのだから、
夏休みにたいした理由はない。
>>850 むしろそういうありきたりのパーツを組み合わせて、面白い作品を作ることの方が難しい。
>>853 > 事情の知らない人の家に衛星が落ちてもかまわない、というテーマを持った作品である。
> こういうことか。
> サマーウォーズを「素直に」観ると、そんな感想になってしまうんだな。
基本的に作品を「評価」しようとするなら、あらゆる作品は「素直に」に見るべき。
自分の価値観や先入観を重ねて見たら、人によって評価が異なってしまう。
北朝鮮のような独裁国家の文化に浸った人間でも、アメリカのような民主国家の
文化に浸った人間でも、「評価」は同じにならなければならない。
つまり評価者の価値観や文化と切り離して見なければならない。
一方で、感想を語るなら逆だよ。それは自分の人生経験や価値観と重ねあわせ、
その作品を見て自分がどう感じたのかを語るべき。
感想とは作品そのものではなく、自分の中に投影された作品を語ることだ。
「評価」と「感想」の区別がついてない人間ばかりだ。評価とは客観的であるべきだし、
感想とは主観的であるべき。客観と主観の区別がつかないのが人間的に幼稚だってこと。