>>170 > もともと
> 依るべき論が脆弱だから
おまえも勘違いしているな。そもそも論拠が強固なものというのは既に確定した事実であり、
議論など必要ないし本来生じるはずのないものだ。ただ知っている情報は個人で違うから、
情報量の差によって意見が異なることはある。しかしそれは情報を共有し均一にしてしまえば
意見は一致し、自然と議論は霧散する。
で、そういうのを正しい議論、良い議論だと思っているのが、間違いなわけだよ。
そういうのはそもそも議論じゃないわけ。単なる「既にある」情報の交換に過ぎない。
議論とは他にどこにもない情報、すなわち自分が生み出した情報、つまり自分の主観を
遡上に載せるものだ。つまりおまえのいう論拠が脆弱な議論こそが、最も価値のある議論。
議論を通じて互いに意見を手直しし、論拠を強化していく。それが議論の価値なわけ。
既に強固な論拠を持つ主張は完成された主張であり、議論を通じて何も進歩しない。
単に情報を持っている側から持ってない側に川の流れのように情報が流れるだけだ。
何も新たな情報を生み出していない。つまり価値のない議論だ。
まあ情報を得られる側には価値があるが、それは議論の価値ではない。
言ってみれば学校の授業のような価値だ。
ったくおまえら、本当に「真の議論」というものをわかってないな。
「自分」が主張するなら、自分独自の考えを主張しなければ意味がない。
他人にも主張できる意見なら、自分が主張する意味がない。他人に任せておけばいい。
自分にしか主張できないことを主張することこそが、真の議論。