最後に、誰よりも気がかりで、けれど最後まで頼りになってくれた妻へ。
あの余命宣告以来何度も二人で涙にくれた。お互い、身体的にも精神的にも過酷な毎日だった。言葉にすることなんて出来ないくらい。
でも、そんなしんどくも切ない日々を何とか越えて来られたのは、あの宣告後すぐに言ってくれた力強い言葉のおかげだと私は思っている。
「私、最後までちゃんと伴走するからね」
その言葉の通り、私の心配など追い越すかのように、怒濤のごとく押し寄せるあちらこちらからの要求や請求を交通整理し、亭主の介護を見よう見まねですぐに覚え、テキパキとこなす姿に私は感動を覚えた。
「私の妻はすごいぞ」
今さらながら言うな?って。いやいや、今まで思っていた以上なんだと実感した次第だ。
私が死んだ後も、きっと上手いこと今 敏を送り出してくれると信じている。
思い起こせば、結婚以来「仕事仕事」の毎日で、自宅でゆっくり出来る時間が出来たと思えばガンだった、ではあんまりだ。
けれど、仕事に没頭する人であること、そこに才能があることを間近にいてよく理解してくれていたね。私は幸せだったよ、本当に。
生きることについても死を迎えるにあたっても、どれほど感謝してもしきれない。ありがとう。
気がかりなことはもちろんまだまだあるが、数え上げればキリがない。物事にも終わりが必要だ。
最後に、今どきはなかなか受け入れてもらいにくいであろう、自宅での終末ケアを引き受けてくれた主治医のH先生、そしてその奥様で看護師のKさんに深い感謝の気持ちをお伝えしたい。
自宅という医療には不便きわまりない状況のなか、ガンの疼痛をあれやこれやの方法で粘り強く取り除いていただき、死というゴールまでの間を少しでも快適に過ごせるようご尽力いただき、どれほど助けられたことでしょう。
しかも、ただでさえ面倒くさく図体と態度の大きな患者に、単なる仕事の枠組みをはるかに越え、何より人間的に接していただいたことにどれほど私たち夫婦が支えられ、救われたか分かりません。先生方御夫婦のお人柄にも励まされることも多々ありました。
深く深く感謝いたしております。
そして、いよいよ最後になりますが、5月半ばに余命宣告を受けてすぐの頃から、公私に渡って尋常ではないほどの協力と尽力、精神的な支えにもなってくれた二人の友人。
株式会社KON’STONEのメンバーでもある高校時代からの友人Tと、プロデューサーHに心からの感謝を送ります。
本当にありがとう。私の貧相なボキャブラリーから、適切な感謝の言葉を探すのも難しいほど、夫婦揃って世話になった。
2人がいなければ死はもっとつらい形で私や、そばで看取る家内を呑み込んでいたことでしょう。
何から何まで、本当に世話になった。
で。世話になりついでですまんのだが、死んだあとの送り出しまで、家内に協力してやってくれぬか。
そうすりゃ、私も安心してフライトに乗れる。
心から頼む。
さて、ここまで長々とこの文章におつき合いしてくれた皆さん、どうもありがとう。
世界中に存する善きものすべてに感謝したい気持ちと共に、筆をおくことにしよう。
じゃ、お先に。
今 敏