この話をする前に、当時の日本がどんなだったか知ってもらわなければなるまいね。
当時、日本はアメリカ相手に戦争をしていて大変な状況だったんだ。
たちまちのうちに着るものも食べるものも無くなってしまった。
食べるものがないつらさは君たちには想像できないだろう。
やがてアメリカ軍は日本の年に空襲を行うようになり、
子供たちは地方に疎開することになった。
僕もお父さんやお母さんと離れて宇都宮に疎開することになった。
しかし、当時の田舎では都会出身の子はよくいじめられてね。
僕は運動が苦手で気が弱かったから特に目を付けられた。
慣れない農作業といじめ、そして空腹。
今思い出しても辛くなることばかりだ。
僕はある日、農作業中に日射病で倒れてしまい、教官に殴られた。
もう限界だと感じ、その日の夕方、僕は川に身を投げようとした。
その時だ。白い服を着た色白の美しい少女が僕に近づいてきた。
言葉は一言も発さなかったんだけど、彼女はチョコレートを僕にくれた。
「花に例えるなら白百合のような」少女だったな。
そのできごとがあってから、僕は辛いことがあっても耐えることができるようになった。
小学三年生の時、戦争が終わって僕は東京に帰ることになった。
あの子の姿を描いてみたくて、僕は少女の絵を描いて描いて描きまくった。
道を歩いてかわいい少女を見るたび、僕はその特徴を写し取って絵に反映させた。
そうか・・・そうして始まったんだな・・・・
手塚治虫さんの漫画にも興味があったんで、少女たちの絵を描いて生活できるんなら、
と僕は漫画家になる決意をした。
で、その途中で作ったアニメがいくつかヒットしたんで僕は
屁の音のような名前のアニメ会社を作って今に至っているというわけだ。
当然のことなんだが、結局その少女は誰か分からずじまいだったよ。
僕ももちろんそれが幻想で、美化された記憶だってことくらいは分かっている。
奇跡が起こって、実際に彼女に会えたりしたら間違いなくひどく失望してしまうんだろう。
でも、その白百合のような少女は僕の心の中でずっと微笑んでいる。
白百合のような少女は私の母になってくれるかもしれなかった女性だ。