■ 1話 運命のベルが鳴る(7/7)
脚本=幾原邦彦、伊神貴世 演出=中村章子 絵コンテ=幾原邦彦 作画監督=西位輝実
■ 2話 危険な生存戦略(7/14)
脚本=幾原邦彦、伊神貴世 演出・絵コンテ=山崎みつえ 作画監督=加々美高浩、蒲原遙
■ 3話 そして華麗に私を食べて…(7/21)
脚本=幾原邦彦、伊神貴世 演出・絵コンテ=柴田勝紀 作画監督=中村深雪
■ 4話 舞い落ちる姫君(7/28)
脚本=幾原邦彦、伊神貴世 演出・絵コンテ=金子伸吾 作画監督=田村正文、進藤優
■ 5話 だから僕はそれをするのさ(8/4)
脚本=幾原邦彦、伊神貴世 演出=そ〜とめこういちろう 絵コンテ=幾原邦彦 作画監督=馬場充子、西位輝実
■ 6話 Mでつながる私とあなた(8/18)
脚本=幾原邦彦、伊神貴世 演出・絵コンテ=山崎みつえ 作画監督=いしかわともみ、中村深雪(補佐)
■ 7話 タマホマレする女(8/25)
脚本=幾原邦彦、伊神貴世 演出=市村徹夫 絵コンテ=松本淳 作画監督=薗部あい子、加々美高浩
■ 8話 君の恋が嘘でも僕は(9/1)
脚本=幾原邦彦、伊神貴世 演出=福島利規 絵コンテ=中村章子 作画監督=田村正文、進藤優
■ 9話 氷の世界(9/8)
脚本=幾原邦彦、伊神貴世 演出・絵コンテ・作画監督=武内宣之
■ 10話 だって好きだから(9/15)
脚本=幾原邦彦、伊神貴世 演出・絵コンテ・作画監督=後藤圭二
■ 11話 ようやく君は気がついたのさ(9/22)
脚本=幾原邦彦、伊神貴世 演出=山崎みつえ 絵コンテ=幾原邦彦、金子伸吾、山崎みつえ 作画監督=中村深雪、西位輝実
■ 12話 僕たちを巡る輪(9/29)
脚本=幾原邦彦、伊神貴世 演出=柴田勝紀、中村章子(補佐) 絵コンテ=幾原邦彦、柴田勝紀 作画監督=馬場充子、加々美高浩、中村章子
■ 13話 僕と君の罪と罰 (10/6)
脚本=幾原邦彦、伊神貴世 演出=市村徹夫 絵コンテ=幾原邦彦、古川知宏 作画監督=西位輝実
■ 14話 嘘つき姫 (10/13)
脚本=幾原邦彦、伊神貴世 演出=山崎みつえ 絵コンテ=幾原邦彦、山崎みつえ 作画監督= 石井久美、中村深雪
■ 15話 世界を救う者(10/20)
脚本=幾原邦彦、伊神貴世 演出=柴田勝紀 絵コンテ=幾原邦彦、柴田勝紀 作画監督= 楠本祐子、進藤優
■ 16話 死なない男(10/27)
脚本=伊神貴世 脚本・絵コンテ=幾原邦彦、金子伸吾、古川知宏 演出=金子伸吾 作画監督=いしかわともみ、加々美高浩
■ 17話 許されざる者(11/3)
脚本=幾原邦彦、伊神貴世 演出・作画監督=中村章子、相澤昌弘 絵コンテ=幾原邦彦、中村章子、相澤昌弘
■ 18話 だから私のためにいてほしい(11/10)
脚本=幾原邦彦、伊神貴世 演出・絵コンテ=山内重保 作画監督=西位輝実、馬場充子(補佐)
■ 19話 私の運命の人(11/17)
脚本=幾原邦彦、伊神貴世 演出・絵コンテ・作画監督=後藤圭二 作画監督=石井久美
■ 20話 選んでくれてありがとう(11/24)
脚本=幾原邦彦、伊神貴世 演出・絵コンテ・作画監督=林明美 作画監督=桑名郁郎、楠本祐子
■ 21話 僕たちが選ぶ運命のドア(12/1)
脚本=幾原邦彦、伊神貴世 演出・絵コンテ=山崎みつえ 絵コンテ=幾原邦彦、古川知宏 作画監督=中村深雪、進藤優 総作画監督=西位輝実
■ 22話 美しい棺(12/8)
脚本=幾原邦彦、伊神貴世 演出=市村徹夫 絵コンテ=幾原邦彦、古川知宏、山崎みつえ、中村章子 作画監督=加々美高浩、いしかわともみ、中村章子、中村深雪
■ 23話 運命の至る場所(12/15)
脚本=幾原邦彦、伊神貴世 演出=相澤昌弘、中村章子、金子伸吾 絵コンテ=幾原邦彦、相澤昌弘、中村章子、古川知宏、柴田勝紀
作画監督=相澤昌弘、石井久美、西位輝実、馬場充子 エフェクト作画監督=柴田勝紀
■ 24話 愛してる(12/22)
脚本=幾原邦彦、伊神貴世 演出=未定 絵コンテ=未定 作画監督=西位輝実
■ 24話 愛してる(12/22)
脚本=幾原邦彦、伊神貴世 演出=幾原邦彦、山崎みつえ、中村章子 絵コンテ=幾原邦彦、山崎みつえ、中村章子、古川知宏
作画監督=西位輝実、進藤優、中村章子 作画監督補佐=馬場充子 エフェクト作画監督=柴田勝紀、後藤圭二
結局どういう話だったんだ
誰か3行でまとめてくれ
1話から、陽毬の寝室にあった「不思議の国のアリス」(スペルはちょっと変え
られてたけど)
9話で、サンシャニーの地下に行く場面は、アリスのモチーフ。白うさぎを追
いかけて地底に落ちるアリス。これは確実。
白うさぎ → 3ちゃん
そらの穴分室で、ティーパーティ。これは、俺のこじつけにすぎないかも。い
まいち、しっくりしない。特にヤマネ。ヤマネはティーポットに押し込められ
る。3ちゃんは段ボール箱に入れられる。という、こじつけ。
三月うさぎ → サネトシ
帽子屋 → プリクリ帽
ヤマネ(ねむり鼠) → 3ちゃん
最終回、アリスは、お姉さんの膝の上で目を覚ます。これは確実に意識して作っ
てると思う。
アリスのお姉さん → 苹果
アリスの冒険も、最終回できっちり終わったんだなと思う。
結局『運命の花嫁』
って何だったんだろ?
運命に愛されてる
って事かな。
愛し愛されなきゃ生きてる意味がないってこと?
>>10 愛し愛されれば生きることに意味も出来るってことじゃないかなとか適当に言ってみる。
別に逆にする必要は無いので
愛し合いされなきゃ生きてる意味があるかないかはわからないけどとも言ってみる。
愛しましょうということ
「愛されたと感じられない人が、人を愛することはとても難しい」
「それでも愛することを知れば、一見すれば望んだ形ではなくても、巡り巡って返ってくる」
つまり、「愛されなかった人間も幸せになれる」って話だと思うなぁ
愛されなきゃ生きてる意味がない、っていうのはそれこそ過去の陽毬の言葉で、
それは作中ではっきり否定されてたと思うんだけどね
「選ばれないことは、死ぬこと」と言っていた彼女は、
はじめに望んだ相手には選ばれなかったけれど、
命を捧げて他人を愛した結果、最後には「苹果」と、幸福な暮らしを手にしたわけで。
呪文の大絶叫はこそピンゲストのシビレルだろう!と同じノリだったね
感動のシーンなのにふいてしまったよ
さんちゃんとひまりのリンクはきれたの?
さんちゃんは明らかに覚えてるよね?21話の鉢植えを気にかけてて芽が出てるの確認していったし
あのペンギンは何だったんだろう?
愛のままにわがままに僕は君だけを傷つけない
愛されるより愛したいマジで
いつまでも手をつないでいられるような気がしていた
愛してるの響きだけで強くなれる気がしたよ
>>14 いや、「一度でも愛されれば後は無限に愛せる」は多蕗・百合とひまりんごに保障されてるが、
本当にひまりんご愛して彼女達との縁を断ち切った冠晶はまだペンギン落ちてないんだから、
「一度でも本当に人を愛した人間は、愛される」かどうかは、
残された課題であり、作中では約束されてなかったと思うよ。
3巻が早く読みたいでござる
>>14 愛することしかできなかった冠葉と愛されることしかできなかった陽毬は
最後互いに愛し愛される状態になって、冠葉は光を見つけ、陽毬は幸せになったってことか
24 :
メロンさんex@ご利用は紳士的に:2011/12/24(土) 23:38:00.81 ID:8Lb8+qph0
俺のピングドラム、一緒に食べる相手がいなくて今にも腐りそう。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm14962478?via=thumb_watch Welcome to Rock'n Roll Night
Welcome to Rock'n Roll Fight
I’m just a Rock’n Roll Man
We’re just a Rock’n Roll BAND
俺たちは道なりに
走り続けてきた
標識だらけの道を
とばし続けて行く
幾つもの町を抜け
歌い続けて来た
腑抜け野郎共を
煽り続けていく
長い長い
冬が溶けても風が吹く
今も今も
激しく風が吹く
Rock Rock
RockOver Japan
さねとしと桃果が対峙して
結果としてさねとしは2匹の黒うさぎに、桃果は2つのペンギン帽子になったわけだけど
もしかして1セットそろうと幽霊として現界できるのか?
>>23 なるほど納得した。ありがと。
冠葉も陽毬もそういう意味では廻るべくして想いが実ったんだな。
>>24 俺が一緒に食べてやるよ
29 :
メロンさんex@ご利用は紳士的に:2011/12/25(日) 00:27:33.34 ID:YQFpj3nT0
最終話見たんだが、結局
自分等が生活してるこの世界は、運命の乗り換えの結果
こう存在しているって事だろうか?
ダビデ像が東京タワーになったり
子供ブロイラーがなかったり
不変的に感じているこの世界は凄く不安定なもので
人を愛するって事だけが絶対の理で
それが出来ないなら存在している意味もない(何者でもない)って事だろうか
できないなら愛することができるように探していけって感じじゃね
ところで最後のペンギンたちは何でかんばとしょうまに付いて行ったんだろう
>>30 乗り換えて桃果が帽子を回収した後の世界の陽毬や真砂子ってもうペンギン認識できないんじゃね?
あの兄弟がペンギンに近い存在になってるからそっちに身を寄せるとか
陽毬と真砂子にはもうペンギンは見えないから冠葉と晶馬についてくしかなかったんじゃ
エスメは1号の後追ったんだろうけど
>>29 「何者かになる」唯一の方法は「愛すること」だって事では
イクニのテーマはウテナから変わってなかったんだなぁと思った。
孤独に終わる存在は悲しみそのもの(=サネトシ)だけで、
ペンギン達(=何者かになる・空を飛ぶことを捨てた者たち)は、
前世代の物語として物語の悲劇の発端になる一方で、
マスコットとして愛すべきものとして描かれる。
主人公たちも完全に決別はしない、っていうのは感慨深いなぁと。
最後は、ウテナでは否定されたモラトリアムを暗示しつつ終わったとも言える。
あと関係ないけど、桃果は「蝎の炎」サネトシは「厳寒の悲しみ(だっけ?)」なんだね
だから日記を使って運命を変えれば呪いとして燃やされる、
子供ブロイラーで砕かれた子供たちは氷になり、
黒うさぎの誘いに乗った人間は呪いとして凍って砕ける。
あれは陽毬や真砂子が兄弟の記憶をなくしても
心?想い?みたいなものは兄弟と一緒だって意味かと思った
もしくは死んだ人の大切にしていた物がなくなると
その人が持っていったんだって言うから兄弟が陽毬真砂子の想いを持っていったってことかと
ぺンギン帽を持った謎の少女「私と規約して魔法少女にならない?」
来年はそんなライトでちょっとエッチな作品がはじまるといいなぁ
晶馬は苹果ちゃんの呪いを独りで負って冠葉は眞悧の呪いによって凍って砕けたのか
冠葉と晶馬と陽毬と真砂子の想いは
苹果ちゃんの「信じてるよいつだってひとりなんかじゃない」に繋がってるんじゃないの
ピンドラがハーレムアニメだったなら晶馬はラッキースケベ満載で
冠葉とけんかして仲直りして陽毬にもりんごにもモテモテでなぜか幽霊の桃果にもなつかれ
百合にも襲われ最後にはお前たちが俺のピングドラムだって言って終わってたって思うと
せつないけどこの最終回でよかったな
>>37 真砂子→晶馬は…ツンデレ的な出来事でも起きるのか
山下ルートはあるのか
39 :
メロンさんex@ご利用は紳士的に:2011/12/25(日) 02:07:06.82 ID:jjvaKY8YO
苹果の記憶は無くなったんだろうか?陽鞠達みたいにペンギンがいたら分かりやすかったんだが。
それにしても、桃果・苹果姉妹はなんで運命の乗り換えができるんだ?そして、あの「大事な言葉」帳はどこから手に入れたんだ?
きっと桃果は最初から特別な存在だった
苹果は両親の冷え切っていく様をみて桃果になろうとした
姉妹だからというよりもどうあろうとしたかじゃないかな?
乗り換え後のかんばしょうまの二人には記憶はあるんかな
>>41 記憶なかったらあの檻の中での冠葉、晶馬の出会いのループになりそう
檻の中にリンゴが現れた時、冠葉は「探してみろ、お前のところにもあるはずだ」って言ったのに
晶馬は探しもせずになんで諦めたんだろう
探したら本当はあったかもしれないのに
晶馬は本当は両親から愛されていたのに愛されていないと思い込んでいたのかも・・
やっぱり無かったからじゃないの?
大切な人への伝言の約束で晶馬には大切な人が居ないってのに掛かってるから
>>44 高倉の両親は冠葉を「長男」として迎え入れたことを考えると、
晶馬は本当の愛情を貰えていなかったのかも。
お母さんのようにお小言をいう所とか、教育やしつけを過度に行う
いわゆる「やさしい虐待」を受けていたのではないかと思う。
冠葉のリンゴは真砂子、マリオへの兄妹愛と考えている人がいたよ。
一人っ子の晶馬には現れなかったって
「すりつぶさないと」って表現に意味はあったのだろうか
>>44 >>43 そっか、やっぱり晶馬には居なかったのか。
晶馬がお母さんっぽくなってしまった経緯の「やさしい虐待」ってありそうだね。
逆に冠葉は甘やかされて育った子供みたいにすぐに寝転がったりティッシュをポイポイしてたのかも。
関係ないけど自分が一人っ子なもんだから晶馬の檻にもリンゴがあったらよかったのにと変な期待をしてしまうw
林檎はすり潰して食べたりするよね
50 :
メロンさんex@ご利用は紳士的に:2011/12/25(日) 03:39:37.32 ID:jjvaKY8YO
>>47 多分、すり潰す=消す。
記憶を消す、邪魔者を消すなどの場面で使用。
ただし、何故この言葉なのかは分からん。
教えて、エライ人!
やはり林檎にかかってるだけなのか
考察は全部無意味
元ネタはあっても作中でリンクしないし関係してない
ただモチーフにされたってだけだ
銀河鉄道の夜でいちばん言いたいことは
誰かのために命を捨てることは究極の幸いってことで
今まで何人も殺してきたサソリは、最期にイタチに追われて
井戸で死んだ時、神様に頼んで世界を照らす炎になる
カムパネルラは、人を助けて死ぬけど、同時にサソリの炎になった
冠葉がカンパネルラでサソリなら、それこそ最高の幸いなんだよ な
ただの自己犠牲万歳なら1話、12話の蠍の火で陽毬生き返って終わってたのでは
モチーフだとするとすり潰すは塗りつぶすにかかっているのかな
元々はもっと酷い言葉だったのを変えた、とどこかで読んだ
監督によると、こどもブロイラーっていうのは
忘れられるってことのメタファーだね
大切なのは、死ぬとか生きるとかじゃなくて
誰かがその死や生に意味を受け取ってくれる、繋がること
組織→冠葉→サネトシ(組織)の中で金が回転してるのが前に気になってたんだけど
今思うとこれってピングドラムの回転と対比になってたんだろうか
どうでもいいか
冠葉は晶馬に
晶馬は陽鞠に
陽鞠はダブルHに(?)
『運命の果実を一緒に食べよう』ってフレーズ(ってか乗り換えの呪文?)三人とも使ってたみたいだけど
これってある意味運命の乗り換えをしてたって事にもなるのかな?
61 :
メロンさんex@ご利用は紳士的に:2011/12/25(日) 05:20:16.40 ID:XA5LEca70
最終回見終わって「クリスタルの「きっと何者にもなれないお前達につげる」ってポジティブな意味で使っててサネトシ先生はネガティブな意味がつかってたんじゃないか」ってふと思った
「何者にもなれない」ってネガティブな意味で
使ってるとおもってたけどそう感じた
そう思ったらなんかいろんなものが腑に落ちた
一話のペンギンの隠れてるごみ箱が最終話の結末とわな
良く気付いたな
63 :
メロンさんex@ご利用は紳士的に:2011/12/25(日) 06:23:25.78 ID:jjvaKY8YO
あっ!気がついた!
運命の乗り換えに必要な林檎は、
陽鞠、苹果、そしてマリオの3つだ!
もう1個の林檎は誰のだ!?
>>50 KIGA林檎は冠葉、晶馬、陽毬をつなぐ罪と罰を分け合う家族の絆のあかし
真砂子はそんな家族のあかしをすり潰したかったと思われる
たぶん観る人それぞれに『95年』に値する時間があって、
それがどんなものだったかによっても、捉え方は変わってくるんだろうな
まだ『95年』を迎えていない若い人もいるだろうし、そういう人は
人生のどこかで、あれが自分の『95年』だったと知る時がきっと来る
その時に見返すと、また違って見えてくるんじゃないだろうか
自分の95年は2001年と2011年だな
と思ったけど、これは多蕗やゆりにとっての95だな
双子にとっては、この世に生を受けた年=生きるという罰を受けることが決まった年なのかな
陽毬にとっては生まれる前から自らを縛るものが決定づけられた年
人間みんなそうだな、生まれる前から様々な歴史や環境に呪われ
生まれたことで生きる痛みを背負い、生きていれば多くのものを奪われ、絶望し執着する
69 :
メロンさんex@ご利用は紳士的に:2011/12/25(日) 11:43:57.40 ID:PB6eo+Ua0
双子の罪ってなんだったの?教えて偉い人
>>69 家族である決めごとを破って妹とセックスした兄の罪と
運命の相手という真実を知りながら背を向けていた弟の罪じゃないかな
まあ弟の方はそれでいて他の女を好きになった罪との合わせて一本ぽい気がする
ならその罪はいつ発生したんだ
いつとは描かれていないと思う
いつか分からないけどそれが兄弟の内心に罪と罰の意識を産んでいたって印象
罪のあとに家族になったんだから、順番おかしくね?
ボヤかして表現するためにわざと整合性を外してあるんじゃないかと思ってるよ
あんまり迂闊に描いてビッチビッチ連呼されるのは避けたいんだろうし
まあそれじゃ考察するの意味ないじゃんとは思えてもくるけど
根底に子供が年頃になってセックスの問題に向き合う描写がしつこいくらいあるからさ
個人的には陽毬のクマぬいぐるみを踏みつけて腹割いちゃった描写は生々しい
兄弟のどっちなんだ?というのも表現されていないけど、お兄ちゃん、大好きってワードからは
流れ的に冠葉の方なんだろうなと思った
あぁ、冠葉とことに及んだ後に
初恋は晶馬だったと思い出したって話だったのか
苹果ちゃんが現れなかったらドロドロ一直線だなこれ
>>73 順番おかしいのはイクニだから諦めて
そもそもなんで冠葉は陽毬を選んだの?
何故か冠葉は陽毬とセックスしてることになっている
なんて恐ろしい…
いやなかなか穿った読み方であってるかも
最終回の抱き合ってる冠葉と陽毬はまじやってるんじゃとオモタ
冠葉と陽毬の血が混じってりんごが生まれるんだし暗喩だろあれ
モロに書いたらアウトだけどさ、少女マンガの体裁とってるから
メリーさんのひつじの話があったからカルトの親の罪じゃないの?
ダンスしてるシルエットのカットはそれで説明つくね
あれ意味不明だからモヤモヤしてたんだ
>>78 いやいやいやいやw単におれ個人の感想だから
「したいと思うように愛した」でも全然矛盾ないと思うよ
でもきっと晶馬は苹果ちゃんとヤったな!子供の桃果が唱え切れなかった呪文をひと息に唱えたのがその証拠(キリッ
セックスの話を切り離して解釈するのはなかなか回りくどいんじゃないかね?
それも悪くないとは思ってるけどさ
傷心時に優しくされたら勘違いしても仕方ない
そもそも女にだらしないばっちい冠葉菌だし
同じ屋根の下に可愛い女の子がいればそりゃあ
冠葉は陽毬、晶馬以外にも果実を分け与えたりして
カンパネルラとジョバンニはずっと一緒にいようって誓ってたし実際ずっと一緒にいる事にした冠葉と晶馬
これある意味ガチホモエンドだよな
まあ、このアニメだと「今の描写はやってるのの隠喩にちがいない!」とか
そう取ろうと思えばいくらでも取れそうだからナンボでもいけそうな解釈
抽象的な描き方が殆どだからな
特にイマジナリー空間は
>>86 不埒な林檎は真砂子がすり潰したに違いない
※このディスクにはメタファーが多く含まれています。ご視聴の際には充分ご注意ください。
>>87 一方身体を焼いてまで助けようとしくれた苹果ちゃんと、仲良くカレー食べてる陽毬とはガチ百合エンド
晶馬苹果と冠葉陽毬は精神的に最後の最後で想いが通じ合ったと思うけど
ホモ百合エンドとか…
色んな人に配慮したアニメだったな。
て冗談だけど、これ以上ない終わり方だと思った。
何より美しい。
すべてのジェンダーにメリークリスマス
>>52 連想ゲームに近いやり方だけど、
全てのモチーフはテーマに沿って配置されているしちゃんとリンクしてる。
むしろ、すごい緻密な作品だと思うよ。
演劇っぽいというのか、主人公たちを取り巻く環境に「無意味なものが何ひとつない」
そこに気づけないと全てが無意味で不条理なだけの作品になっちゃうだろうけど
96 :
メロンさんex@ご利用は紳士的に:2011/12/25(日) 17:46:52.86 ID:a6aEXUa70
晶馬と冠葉のあの檻の時間軸はいつなんでしょうか?
晶馬と冠葉が捨てられる。(檻の中で初対面)
↓
晶馬と冠葉が企鵝の会に拾われる。
↓
高倉家に晶馬、夏芽家に冠葉が引き取られる。
↓
晶馬が陽毬と出会う。
晶馬と冠葉は檻の中で初対面したように見えたが、俺の記憶違いかな??
冠葉は夏目家の実子で、晶馬は高倉家の実子
真砂子と冠葉は双子でマリオさんは冠葉の実の弟
親が企鵝の会の中心人物で親同士に接点があったから二人は出会う事になる
二人の親は活動に目を向けるあまり自分達の子供に目を向けなくなっている
それが、箱での初対面〜になる
台詞と時系列的に、箱の回想にあるように冠葉から晶馬のやりとりがあったから、
晶馬は陽毬に対しての行動が出来たとするほうが繋がりがいい
マリオって死にそうだったけど、誰に運命の果実をもらって生き返ったの?
99 :
メロンさんex@ご利用は紳士的に:2011/12/25(日) 18:30:27.20 ID:a6aEXUa70
>97
つまり、あの檻の箱は実際に二人が捨てられた訳ではなく、
親から必要とされていないと感じている二人の心を表した表現なのか?
>冠葉は夏目家の実子で、晶馬は高倉家の実子
>親が企鵝の会の中心人物で親同士に接点があったから二人は出会う事になる
ここら辺は俺もそう思ってたんだけど、
檻の箱が出てきてから訳分からなくなってたわ。
>>98 陽毬はピングドラムで生き返ったように見えるが、個人的には日記で生き返ったと思う
冠葉が砕け消え、それから陽毬が生き返ってはいるが、あれは運命の乗り換えが完全に終わった表現で
サネトシを日記で吹っ飛ばしたことによって世界が変わり、陽毬もマリオも健康体で生き返った
あと、冠葉は陽毬の罪を、晶馬は人間の生まれながらの罪を受けて消えた
ピングドラムは銀河鉄道の夜でいうと、天上でもどこまででも行ける特別な切符と思っている
2号が食べ物に執着してるのを見ると、実際に飢えに近い状態もあったのかという気もする。
テロが成功したとは言えないし、隠れるように生活してたんだろうし、資金面でも色々苦労はあったかも。
冠葉が自分と引き換えに真砂子、マリオを夏目家の呪いが渦巻く実家に帰したあたり、
企鵝の会が夏目家に帰るよりもよほど不味いところだってことを感じていたわけだよね。
精神的に、物質的にも劣悪な環境?の中ですりつぶされそうな晶馬に手を差し伸べずにはいられなかったのかもね。
冠葉と晶馬(真砂子もだけど)、わざわざ同じくテロのあった日に生まれてきたって設定なので、
企鵝の会の中で3月20日に生まれた子は特別だったりとかそういう扱いがあったりしたのかが気になる。
1月6日 オトナアニメディア vol,3←特集確定
1月10日 オトナアニメ vol.23←特集確定
1月10日 ニュータイプ・アニメディア・アニメージュ各2月号←アニメージュのみ特集確定
1月27日 輪るピングドラム(下)
2月下旬 輪るピングドラム 公式完全ガイドブック 生存戦略のすべて
2月下旬 輪るピングドラム ファビュラス・アンソロジー←星野リリィ・森島明子寄稿確定
陽毬って晶馬と出会わなくても高倉家に引き取られてたけどもしかして高倉家の血筋の人間だったとか?
遠い親戚とかだったなら一応血は繋がってたのかも?
>99
箱はサネトシ演説の肯定であり強い否定でもあると感じたな
人は箱から出られないけど、お互いに手を伸ばして大切な何かを伝えることが出来る
ペンギンどもはピングドラムを巡る人たちの元に現れるんだな
たぶんあの三兄弟のピングドラムの大元は真砂子だろうしだから苗字に芽が入ってるんだな
剣山は外向き犯罪者だけど、
内向きには献身的養父って二面性が、
彼への信用を失えない冠葉の辛さに説得力を出していたと思うんだけど、
冠葉は夏芽から高倉に引き取られる間の事として理解すれば良いとしても、
晶馬が親から放置というのが…。
剣山が特に実子には冷たいって描写は、晶馬側からも剣山側からもなかったし、
だとしても何でだって事に成るし。
閉鎖集団の経済状況から生活苦しかったというのは解らぬでもないが、
貧しい中でも発揮される父から子への愛って完全無意味みたいに描かれると、
13話で見せた冠葉の涙とか、何だったって事に成るし…。
良くわからないなぁ。
>>106 最終回前の怒涛の回想ラッシュの中には描かれなかったドラマがもっとあったとすると
もっと尺があったら良かったと思うが、仕方ない部分ではある
個人的には10年前の冠葉が真砂子らと別れるエピソードはもっと詳細に描いて欲しかった
>>95 普通にちゃんと見ていて関連が感じられない物事だらけな時点で無意味だろ
何回見ることを強いる作品?
>>106 剣山は要するに理想に燃えるせいで足元がおろそかになるタイプ、
全ての子供を平等に愛そう! なんていう親が居たら
たとえ扱い方は一般的あるいは標準以上だったとしても
子供なんて実子どうしの兄弟でも自分の方を愛して欲しいと思う生き物なんだから
そりゃ変な活動に燃え遊んでくれず、他所の子も自分の子として引き取る両親から
愛されてる実感はどんどん薄れていくだろうさ。
第1話の宮沢賢治について語る少年2人
↓
最終話終盤の宮沢賢治について語る少年姿の冠葉と晶馬
第1話の冒頭の晶馬「僕は運命って言葉が嫌いだ」、第1話の最後の冠葉「俺は運命って言葉が嫌いだ」
第2話の冒頭の苹果「私は運命って言葉が好き」
↓
最終話終盤の陽鞠「私は運命って言葉が好き」
こんな風に作品全体の中に散らして仕掛けておいた同一的というか対象的というか感じの演出構成ってほかに何かあるかな?
きゅぅべえのせいで「このペンギンどうせ突然喋り出して主人公たちめちゃくちゃにするんだろ?」って言われてた頃あったな……
最後までいい子達で良かった
>>109 夏芽父は作中そういう片鱗見せてたけど、
剣山は「救急車来なれい?じゃあ俺が陽毬を抱いていく。嵐なんて知った事か!」
って、全ての子供というより、身内になった子供達を非常に大事にするタイプだった。
制度的な迂回を嫌い身近な人を大切にするヤクザ気質の男だった。
親の愛を巡る兄弟の争いとか、親からの愛を求めて飢えていたとか、全然描かれないでしょ。
あろうがなかろうが無意味みたいに描かれてる。
やっぱり良く解らないよ。
>>111 窓マギにそんなんあったっけ?
ストレートに忘れたから解説plz
115 :
110:2011/12/25(日) 21:21:32.41 ID:Lgxr0vSP0
>>111 あ、ごめん、言葉足らずだった
ピンドラの中でほかに何かあるかな?・・・です
>>114 「僕と契約して〜」のセリフは1話とその後では視聴者が全く違った印象を受けるように作ってる
>>115 「無駄なことなんて一つもないよ」は多蕗と苹果の間で
桃果の思い出話のとき、高倉家が事件の関係者と知ったとき、多蕗の復讐のときの3回話してた気がする
「私は運命って言葉が好き」は高倉家が事件の関係者と知ったとき、多蕗の復讐のときにも話してた記憶がある
>>116 なるほど+から-か。
てっきり逆かと。ありがとう愛してる
そこかしこでみるりんご計算のやつ、微妙にちがう…ような?
陽毬が22話で1話の1/4を冠葉に返し、冠葉1/2、陽毬1/4
23話で1/4を晶馬に返し、晶馬1/2、陽毬0
全部返した陽毬は瀕死
24話で過去を思い出した晶馬は1/2を冠葉に返し、冠葉は戻った全部を陽毬へ
冠葉0、晶馬0、陽毬1
0になった二人は運命乗り換え罰を受け、陽毬は生き返ったんだと思った
>>113 剣山は晶馬を愛していたと思うよ。ただし晶馬はその愛じゃない
愛がほしかった。つまり認識できなかったんだと思う。
>>117 蛇足だけど逆にホムラがマドカにかけた言葉は1話では−、10話では+になってる
>>113 親から愛された実感がない人間は必要以上に自分を否定するそうだ。
なにかっちゃあうじうじと「僕のせいだ」「罰を受けるべきなのは僕なんだ」と言ってたことじたいが
晶馬が両親からの愛情に飢えていたことを示唆してたんじゃないかな。
三兄弟のなかでは一番両親と長い時間を過ごしたはずの晶馬の回想で、思い出に残るようなエピソードがないことからも
両親との関係が薄かったのかと想像できる。
なんにせよ直接的な描写ではないけれど。
>>121 いやぁ、そういうの百合と父や多蕗と母の関係ではあれだけ詳細に描いてる一方で
皆無なんだから、にも関わらず推量で解って当然ってなったら、
逆に向こうは何でちゃんと描いたって話になるし、
――まぁ、そういえば、ここは考察スレだから、
それで作品に文句言う筋合いでもないか。
冠→晶の林檎移動がわかりにくいんだよなー
冠葉から林檎をわけてもらったことで晶馬は剣山たちから愛をもらえるようになった
晶馬から林檎をわけてもらったことで陽毬は同上で家族として迎えてもらえた(か乗り換えてそうした)
と解釈した。3人林檎持ちになったから回想で出てくる高倉両親は子供思いだったって感じ
林檎をもらうことができる=他者を愛することができるようになる
であって、愛してもらえる存在になるってことじゃない。
晶馬は最後まで親の愛を感じることはできなかったととらえたが。
うん、同感だ。
きっと晶馬は実子なのに父と母の愛情が他人の子に注がれている事実に圧殺された子だと思う。
でも、冠葉を介してそれは半分でも分け与えられ得ていたという認識が彼を救ったと思う。
檻の箱は陽毬が思い出して高倉家の欺瞞が解体された後で表現され始めたものだから
たぶん全部晶馬の主観イメージだと思うんだ。
>>120 確かに。それ考えたらよくできてるな。
ピンドラも
>>122 ユリと多蕗のそれぞれの親との関係は、ちゃんと説明しないことにはさすがに分からない。
想像でなんとかしろという遠回しな描写をしてたら時間もかかるし、本筋の話からも反れてしまう。
…という製作上の問題と予想。
個人的には陽毬が高倉夫妻にどんな感情を持ってたのかが気になる。
父親は台風の中病院までつれてってくれたし、母親は自分をかばって消えない傷を負う。
けど家族から受けた小さな罰のなかにも、幸せだったという記憶のなかにも、高倉夫妻はでてこないんだよな。
で?
・乗り換えの呪文を言った苹果は 呪文を唱えたが乗り換えはしなかった。乗り換えたのは 陽毬だけ。
・陽毬は乗換えをして健康になり 乗り換え前のこと、兄のことも忘却しペンギンの姿も見えなくなった。
苹果は乗り換え前のことをちゃんと覚えているが 真実は教えずに陽毬と友達になってる?
・乗り換え先では 黒クマが白クマに変化し、テロは未遂に終わった。
・剣山たちの過去のテロ行動は 乗り換え後もそのまま残ってる。
乗り換え後の陽毬が あの家に居るということは、剣山夫妻の養女になったが その後剣山夫妻が容疑者になったので 池辺のおじさん夫婦の養女になった?
・真砂子が冠葉の夢を見た、と言ってたが 乗換えをしなかった人間が 乗換えのために消滅してしまった人間との思い出は「夢」だったと処理される?
・乗り換えなかった人間(クラスメイトなど)全員が 冠葉、晶馬のことを「夢」と認知する?
・多蕗とゆりは 乗り換え前のことや桃果のことを憶えているが、 それなら陽毬はなぜ冠葉たちのことを忘れている?その差は何?
・乗り換え後、ゆりの父や多蕗の母はどうなった?
>>124 林檎取得前の陽毬は愛をもらう側の欠如だと思ったんだが愛する側の欠如なの?
>>125 圧殺されたから檻の主観イメージ突入→林檎をもらったってこと?だと時系列合わないよね
ももか日記に書かれていた文章のまとめとか無いのかな
最終回の提供で〜お送りします。だったのは
どう解釈すればいいんだろう
銀河鉄道の最後かな?
最終回の提供?
普通にお送りしましたで終わったけど・・・
いや、
「提供で〜お送りしました。」
ではなくて、
「提供で〜お送りします。」
だった。
俺もココ気になってた。
あれ、まだ続くのかな?って思ったもん。
でもココって提供の宣伝だから、
さすがに演出でどうこうできないとおもうんだけどなぁ。
間違いとしたらありえない間違いだけど。。。
単なる間違いが演出の一部になるのも運命
>>122 冠葉父の「俺は家族に失敗したよ」を見て、あー、KIGAの教義には
「(血に囚われずに?)完璧な家族を作る」みたいな内容があったのかー、と思った
陽毬と冠葉には「完璧な両親」であったことを示すエピソードがあるのに晶馬にはない、
家族の中で両親を一番憎んでいるのが晶馬である、
幼晶馬がKIGAの教義に一切関心が無さそうだったことを見るに、
晶馬は両親にとって都合のいい息子ではなかった+放置されていたと思しい
(対照的に、うまく利用されている冠葉は、両親の亡霊曰く「お前は私達の理想の息子だよ」)
高倉の両親は、幻想の家族像を信じ込んで、当人たちは必死でそれを演じていた。
本人たちの主観では「私達は子供を愛している」けれど、
メリーさんの羊のお話で、子供たちが「ご自慢の子羊」扱いなのを見るに、
晶馬目線では子供は家畜というか人形というか、親の所有物みたいな感じだったんだろう。
新興宗教にはまった家庭によくある光景だなー
と、思いつつ見てたけど、これでも納得いかないかな。
冠葉や陽毬が、良いエピソードあったのは
『本当の親』に
見放されたから良く
見えただけじゃない?
冠葉は、父親に
陽毬は、母親に
良く描かれすぎなんだよな…
提供は放送されたところによって違うんじゃないのか?
>>138 晶馬は苹果ちゃんとイチャイチャできたからいいやん
「蠍の炎」って表現が出てきたけど、
宮沢賢治の『夜鷹のほし』と関連するんじゃないかって意見は既出?
まあ単語でピンと来ただけなんでイマイチかも…
蠍は井戸に落ちて、もう死ぬって瞬間に、
ああ他者のために生きれば良かったなあと思ってたら
その想いがどーにかなって炎に包まれたあと星座になるんだけど
なんとなく似てるような気がする
>>121 晶馬だけが両親を「あの人」と呼んでたな。
>>136 ちと自分語りになるけど良いかな?
私は事情があって、小学生時に親戚(子供の出来なかった本家の伯父夫婦)の養子にされそうになった経験があるんだけど、
少し体が弱かったり算数が得意でなかった事、イジメで登校拒否した経験がある事などから、
「本家に相応しくない」と、養子の話が立ち消えになったんだよねw 跡継ぎには優等生の別の親戚の子が選ばれました。
本人達はほとんど自覚してない場合が多いんだけど、養子を欲しがる人達の心理って『ナチュラルに子供を家畜扱い』なんだよ。
例えは悪いけど、保健所から捨てられた子犬や子猫を拾ってくる時、病気や障害で今にも死にそうな仔や、
反抗や悪さをしたり、あるいは内向的で打ち解けにくいような、性格に問題がありそうな仔は選ばないでしょう?
ほとんどの人が、毛並みが綺麗で可愛らしくて健康で、扱いやすそうな性格の仔を選ぶと思う。
そういった人々は「選ばれなかった存在」の気持ちなんて考えた事すら無いだろうし、思いつくことも無い。
とくに高倉夫妻のように、「養子も自分の子も一緒に育て〜」な立派そうな理想を掲げたタイプだと、己の思考や行為や選択が常に正しいと思い込んでいるから、
自分達が子供に向けてどれだけ残酷で酷い行為をしているか、どれだけのストレスを与えているか、なんておそらく一生自覚しない。
高倉夫妻が陽毬(アイドルを目指せるほどの美少女)や冠馬(自分の手足となって働く優秀な手駒)を愛し、
それほど優秀でもなく、内向的で組織の思想に染まらない(つまり、大人しそうだけど反抗的な要素を感じる)晶馬を愛さなかった(選ばなかった)のは、
ぶっちゃけ言うと、保健所で、
「反抗的だったり飼い主に懐かない仔はいりません。病気や障害のない、素直で可愛くて育てやすい仔犬で、
できればドッグショーで入賞したりするくらい優秀な仔(だけ)をください」
と、DQNまるだしの主張をするのに等しい行為wなんだけど、本人達は自分のDQNさを自覚するどころか、
むしろ、「可哀想な仔犬を引き取ってあげるなんて、慈善に満ち溢れた私達ってなんて素晴らしいの!!」と思い込んでる状態だと思う。
結局、女神様の灰を盗んだ話は何だったのか?w
高倉夫妻は三人を平等に愛してたと思うよ
その平等の愛ってのが自分達の正義に基づいたもので
晶馬は純粋な我が子への愛というのを受けなかった
晶馬に対してもたとえ晶馬がどんな子供だったとしても
高倉夫妻は「平等に」愛したろうね
晶馬に、こどもブロイラーって何と聞かれた時の剣山て
我が子の問いかけに対する答え方つーより
その事に対する自分の主張を説いてるだけって感じにも見える
晶馬の方を向いてない
冠葉を兄にしたのは、もともと冠葉が
兄弟の長男だったからかな
5行目
× 高倉夫妻は「平等に」愛したろうね
○ 高倉夫妻は世の中のすべての子供と「平等に」愛したろうね
>>144 陽毬の病気の意味づけ
両親とカルト教団が悪いことやってるってほのめかしも含めて
>>145 >その平等の愛ってのが自分達の正義に基づいたもので
子供の側からすると、それは『エゴ』『独善』としか感じられないと思うよ。
平等に愛するというのは意地の悪い味方をすれば、誰一人本当に心から愛していない、
養父母として義務的に子供たちに接しているだけだった、という解釈もできる。
本当に、心の奥底から迸るような慈愛を夫妻が与えていたら、晶馬はあんな風に孤独を感じる人間にはなっていなかったんじゃない?
夫妻によって引き取られた(選ばれた)冠馬や陽毬が、夫妻の行動や性格、思い出などを善意に解釈しようとするのも、
「高倉の両親は良い人達、立派な人達だ」と、無理にでも思い込まなきゃ生きていけない環境だったのかなあ、と自分は解釈した。
つまり、狂信者・テロリストとしての高倉夫妻のおかしさ、異常さを薄々感じてはいても、
それに対して反抗の声を上げたり、逆らうとか否定するとかできない状況で育ってきていたわけで、
精神的DVを長期間にわたって受けているのと同じような状態だったんじゃないかと思うけどね。
でも晶馬は回想で両親の帰りをまたずに食べようとした陽毬に晩御飯は家族一緒にっていうのが高倉家の家訓だよ
って行って注意してなかったっけ?
親の言うことを聞くいい子ちゃんじゃないの?
それなりに両親のこと昔は好きだったんだろ。
テロ起こした犯人ってことで受け入れられなくなったのでそれは、りんごちゃんにあったりしてからだし
親から愛を受けてもそれが届かなかったりわからなかったりする子もいると思う
箱の中の子供の頃の二人は自分の中にピングドラムを持っているのかいないのか
それを他人にわけることができるのかっていう話であって
もとからピングドラムを持っていることそうでない子がいるってことだと思うよ
晶馬の中では高倉家は三兄弟だけなのに話にならんわろた
>>148 うんだから145に書いた事は48の上二行とほぼ同じなんだ
また間違えたorz
48じゃなくて148
>>150 13話の回想参照。晶馬が親を拒絶しはじめたのは3年前以降
>>149 親の言うことを聞くから、家訓を守ってるからといって、両親を愛していたとは限らないのでは?
躾の厳しい家庭に育った人だと、とりあえず表面上はルールを守ってみせる、という風に行動するようになる人も多いよ。
>>136さんも書いてるけど、マルチや新興宗教など、特殊な宗教や思想にハマった家庭出身の子供は特にそういう傾向があったりする。
>親から愛を受けてもそれが届かなかったりわからなかったりする子もいると思う
>もとからピングドラムを持っていることそうでない子がいるってことだと思うよ
うーん、なんか堂々巡りになっちゃうな;
親の愛情を感じられない子供というのは、一朝一夕にそういう状態になった訳ではなく、
赤ん坊の頃から長い期間をかけて少しずつ、少しずつ感情や魂を削り取られていくというか。
たしかに元々の本人の素質も多少は関係するとは思うけど、幼児期の物心ついた晶馬がすでに、
孤独を感じるようになってしまっていたというのは、陽毬と同じく、
両親からネグレクトに近い状態で放置されてた可能性もあるんじゃないかな?
>>152 レス読むのが遅れてスマソ。
思い入れのある作品にはどうしても強い口調で文章書いてしまうから、
自分語りとかいろいろ不愉快に感じてしまったのなら本当申し訳ない。
でも描かれてる範囲内では
20話とか剣山は小さい晶馬に対しても誠実な対応してるよね
晶馬が見つけた子供陽毬を養子にしてるし
テロは起こしたものの剣山は晶馬が生まれて喜んでる風なのも伝わってたし
普通に育てようとしたのにそれが受け取る子供には精神的DVだと思われたら
子育てや教育って難しすぎるわ…
子供のほうの素地にも問題あるんだろう
親子愛流れぶったぎってすまんが
これ、イクニの言ってた「時代を切り取る」には成功してるのかね?
どこが2010年頃の特徴なのかが全然ぴんとこなかったんだが
>>157 ねぇ、そうだよねぇ。
自分達に対しては優しくして来てくれた大人が、
対外的には犯罪者だった事を知ってしまった子供達のショック体験というのが
非常に深みのあるテーマだったのに、
そういえば子供側から見ても児童放置のダメ親でした、って成ると、
話が一気に単純になりすぎちゃわないかなぁ。
そもそも晶馬は箱の中でのことを忘れていたわけで。
23話で冠葉が思い出し玉を撃ったことで思い出せた?、でいいんだよね。
23〜24話にかけてやっと、
晶馬自身がかつて陽毬を選んだように、冠葉と運命を分け合った存在だったってわかるわけで、
それまでの描写はどうしても薄いというか、ちょっとしたところから想像していくしかない感じになっちゃうからなあ。
個人的には理想ばかりが高い高倉夫妻が足元の晶馬にはあまり目を向けてなかったって感想はしっくりくるけど。
いくら理想は美しくても身勝手で人を殺した人たちには違いないし、
唯一の実子だった晶馬が冠葉陽毬に比べて色々思うところがあったのはわかる気がする。
冠葉はなんで23話で晶馬に思い出し玉を撃ったのか、その辺がいまいち自分のなかで繋がらないんだけど、
あれはなんだったんでしょう?
>>157 でも子育てってシミュレーションゲームじゃないからしょうがないよ。
ゲームなら、攻略本通りにいつも正しい選択肢を選べば、
信頼度や好感度が順調に上がっていくけど、現実の人間関係はそうもいかないでしょう。
例えばの話、剣山が冠馬陽毬を引き取らない選択をしたほうが、晶馬の好感度や信頼度は上がったのかもしれないw
「お父さんはやっぱり僕だけが特別で大事なんだ!」
「他の子供には優しくしないけど、僕だけには優しくしてくれるんだ!」とねw
幼稚だと笑うかもしれないけど、人間ってそういう、
『ちょっとした特別感』が積み重なって、恋愛感情や信頼に変化していくのではないかと。
冠馬が陽毬に恋したのも、
「あれ、この娘なんか俺の事すごく心配してる?絆創膏貼ってくれたりなんかしちゃってひょっとして俺に気がある?」
というような、ささやかで幸福な勘違いwから始まったのかもしれない。
晶馬に必要だったのは、高倉夫妻の崇高で平等な博愛精神ではなく、
「とにかくうちの子供はお前だけ、私達が一番大事なのはお前なんだ!私たちの後を継ぐのはお前しかいないんだ!!」
という、熱苦しいくらいベタベタで分かりやすい、ある意味バカっぽいくらいの親の愛情だったのかな、と思ってみたり。
苹果ちゃんもそういう親の溺愛を欲して、桃果になれば両親が自分だけに目を向けてくれるようになる、
と思い込んでいたから、乳幼児期の愛情不足って、子供の精神の成長に長期間の悪影響を与えてしまうものなのかもしれないね。
親と子の描写が希薄だったな
>>160 「父さんと母さんの夢を俺が叶えるんだ」的な、
両親の正しさを受け入れた者としての所信表明の後に、
彼らへの批判の根拠になる体験を、
作中両親にはそもそも批判的だった晶馬に更に思い出させる
というのは意図が読めないね。
サネトシが突然メタファー語りしたのと同様、
作品展開上の都合が作中人物の行動に干渉した事例と見なすべきだろうか。
>>161 いやだから陽毬を引き取る前の話でしょ?
あのはこに閉じ込められてたのは条件同じだけど
元々ピングドラムを持ってること
持ってない子がいますよってことじゃないの?
両方とも親からの愛に飢えてたけど冠葉はピングドラムを持ってた。
晶馬は持ってなかった。
それはもともと運命?というか神様から選ばれているのかいないのかってことなんじゃないかとおもうよ
>>158 もう完全にこじつけスマソwになっちゃうけど、
90年代からのたまごっちを初めとした育成シミュレーションゲームのムーヴメントと、
スピリチュアルの流行や、食育・早起き会などの子育てムーヴメントを、上手に物語に取り込んで皮肉ってると思うよ。
自分は30代前半だけど、今の30〜40代で子育て中の人達のゲーム脳や自己陶酔しやすい面、
精神的な支柱をスピや宗教に求めちゃう部分とか、しばしば高倉夫妻に通じるエキセントリックさを感じたりする時があるから。
>>165 いやいや、オウムテロとピングテロの日時が重ねられてるだけで、
実際見ると、ピング集団は反社会的だけど、別にスピリチュアル的でも宗教的でもない。
スピリチュアルとかオカルト的なものは、前半の林檎ちゃんの変な恋魔術とかに対応してて、
アガペとか、宗教的な愛に近いものは一応の正解として最後に発揮されるんだからさ。
しかもそれは家族の絆が断ちきられた後も存続するものとして肯定的に描かれてるので、
家族的愛の欠落が作品視点で批判の対象になってるとは中々思い辛いんだけどね。
>>164 >元々ピングドラムを持ってること
>持ってない子がいますよってことじゃないの?
それだと、プリクリ様の「お前たちはピングドラムを失った!」が意味無くなっちゃうんじゃない?
晶馬や苹果が元々ピンドラ持ってない(持てない)子供だったのなら、
「お前たちはピングドラムを持ってない!」もしくは、「(呪われてるから)持てないのだ!」となるのでは。
・俺が見初めて連れてきた陽毬が病気になったのは、両親がテロを起こしたからなので、両親が憎い
・俺が高倉家の実子としてリーダーだったはずなのに、あとから兄として冠葉を迎えた両親が気に食わない、冠葉も憎い
晶馬の内心をぶっちゃけるとこんな感じだよね。
>>165 親世代の現在を切り取ったということか
そこは全然考えてみなかった ありがと
主人公世代は何かコンテンポラリーなものがあるかね?
>>164 冠葉は真砂子に愛されてたから持ってたんじゃないの。
>>166 スピって占いや魔術、パワーストーンだけではないよ。
例えば早起き会は素手でトイレ掃除すると子供が良くなると考えてる団体だけど、
掃除するだけで子供が良くなるなら、とっくに世界中の親子の悩みは無くなってるはずでしょう?w
それって「おまじないをすれば子供の癇の虫が良くなる」と信じてた江戸時代の人々や、
「恋魔術を行えばタブキさんと両思いになれる」と考えてた苹果とどこが違うの?
キガの会の面々は崇高な理想を掲げてテロを実行し、いつか世の中の人々が自分達の理想を認めるようになる、
と信じていたけど、傍から見たら、わけ分からん主張を語るオカルト宗教集団以外の何者にも見えないと思う。
信望しているのが理想であれ、教祖さまの霊能力であれ、恋愛成就の魔術であれ、
実体のないモノを心の拠り所にしてそれを盲信している、という点ではどちらも同じカルトだよ。
>アガペとか、宗教的な愛に近いものは一応の正解として最後に発揮される
というのには同意だけれど、アガペを得るまでに至るまでの過程には、
カルトの不気味さがずっと根底に流れてるなと自分は感じたかな。
冠葉の砕けたガラスで陽毬の額に傷が残ったのは、
9話の回想で倒れてくる鏡から彼女を庇った高倉母が、
運命の乗り換えで消えてしまったからだろうと思った。
同様に、晶馬がいなければこどもブロイラーで砕かれてしまう
はずだった陽毬の運命を、冠葉が引き受けたからガラス化したのかなとも。
あのシーンで、こどもブロイラーのカッターが回るカットが挿入されているからね。
運命の乗り換えは、単なるハッピーエンドへの切符ではない。
使用者は呪いを受け傷つき、消え去った人々がもたらした恩恵すらも
彼方へ追いやる、残酷で取り返しのつかない手段なのだろう。
用いるためには、乗り換えに関わるもの同士に自らの身を厭わない愛が要る。
だが、世界そのものを深く愛していた桃果と違い、苹果は普通の少女だ。
だからこそ、帽子様は高倉兄弟を苹果に接近させることで、
彼女にとって高倉家をかけがえのないものにする必要があったのだと思う。
と妄想していたが、それに沿うなら、晶馬のおかげで家族の呪縛から逃れることが
できた苹果が、乗り換え後に屈託のない性格だったことが説明できないかも。
桃果が図書館を歩み去る=桃果自身の消滅、で苹果が屈折する理由が消えたのかな?
>>163 冠葉は両親の正しさを受け入れて世界を壊そうとしてたワケじゃないぞ
ラーメン屋での会話も、あれは精神バランス崩してた冠葉の
自己肯定の為の妄想なんだし
2010年って、みんな割と水準以上の生活をしていて、それなりに幸せな家庭の方が多くて、結構問題なく育つことができるそれなりに幸せな社会
だけど自殺する子供たちは絶えない
なぜそうなのか、どうすればいいのか
そのイクニ的答えが晶馬だったと思う
思春期に突然の憂鬱に囚われて、そういえば自分は何年もずっと箱の中で我慢してきたんだって気付く瞬間があって
でも同じ箱の中で助け合ってきたのが冠葉だったんだって突然気づいたんじゃないかなぁ
個人的なチョイスだけど、
94年に描かれた鉄コン筋クリートは変貌していく社会で抗う不遇な双子の物語
その現代版、ゆるやかに死んでいくような憂鬱な社会に飼い殺された双子の物語がピンドラという印象
>>171 いやだから、その手のおかしさは子供世代の林檎ちゃんの陥ってたおかしさとして描かれているけど、
その林檎ちゃんとピング集団の結び付きとか一切無かったんだし、
林檎ちゃんがおかしくてピングもおかしいとしても、
二つのおかしさの作中での扱われは全然別。
>>173 だから妄想に陥って正しいと思い込んだ冠葉が、
どうして自分の妄想を打破する知識を晶馬に与えるの?って事。
>>173 晶馬にとってのメリーさんの話もそれと同じだよね。
自分が受けるべき罰を陽毬が受けるなんて、なんて理不尽なんだっていう理由付けでしかないっていう。
>>101 そういえば、
冠葉(と真砂子)、晶馬、苹果が
同じ3月20日生まれって何も意味がなかったね。
>>177 苹果がテロと同じ日に生まれたことで、晶馬がより自己嫌悪するのに役立った
冠葉と晶馬が同じ誕生日だったから、なんで弟じゃなくて兄なんだという気持ちが沸いた
冠葉、晶馬、真砂子がテロと同じ日である理由はあんまりないのかもしれんね。
あと、冠葉と真砂子が双子であることもあまり。同学年にすることでミスリードを誘いたかっただけかも。
冠葉と真砂子が双子であることは冠葉と晶馬が実は双子の兄弟じゃないってのにかかるんじゃ?
>>175 陽毬を救う手段としてだけだったのが
追い詰められて囚われてしまったんであって
「両親の正しさを受け入れた」経緯はない
つかあれが思い出し玉ってのも確定じゃないし
晶馬が箱の中の記憶を「忘れてた」のかどうかもわからんよ
「やっとわかった」とは言ってたが思い出したとは言ってない
>>179 本当の双子の兄妹がいて弟がいる冠葉が
別の場所で血の繋がってない子供たちと偽りの双子兄弟や兄と妹を演じていた
っていうのが対比とか皮肉みたいな部分という感じだよね
>>178 冠葉と真砂子が双子だったのが
冠葉の箱にりんごが現れた一因でもある気がする
子宮にいた時から生命を分け合ってた存在がいたから
父親に愛されなくても冠葉は生まれながらに大切な人が存在してた
>>180 >>180 いやだから、それに囚われなければ今の自分が成り立たない拠所が壊される可能性をどうして自分から増やしてしまうのか、って話。
それに経緯は無いって、作中扱われた高倉家の家庭生活のエピソードを省みてそう言いきるのは中々難しいんじゃないかと思うけど。
それにだったら、あの使用済み弾丸は何だったんだって話になるし。
そちらの言う事が正しくても、辻褄の合わない話が良く解らない話になるだけで、得心の行く話にはならないと思うんだけど。
>>180 確かに、とにかく陽毬に返したい、って気持ちから眞悧(呪い)に付け込まれていくうちにずぶずぶ…という感じ。
それと、冠葉と高倉両親に関しては、理想の子として認めてもらえた嬉しさが上回っちゃった部分はあるかも。
幻覚と話してる時に、凄く嬉しそうな顔をするシーンもあるし。
冠葉自身は企鵝の会については肯定的な立場じゃなかったと思う(真砂子マリオを家に帰した辺りからも)。
晶馬を撃ったのは陽毬に対する与えるだけの自己満足な愛とは対照的で、
冠葉の内心汚い部分も弱い部分も一緒に分け合ってほしいって願望もあったのかな?
陽毬のためと言いつつ目の前の真砂子をかばったり、終盤も単に暴走してただけではなかった部分はあった。
>>169 またまたこじつけスマソ(w)だけど、例えば、ブロ友やmixi、faceBookなどに見られるように、
必死に家族や周囲と仲良しこよしを演じようとする面とかかなあ?
例えばイジメなどがあった時、親に理解されなくても、友達が一人もいなくても、何が何でも生き延びてやる!というのではなく、
「私がいなくなればみんな嫌な思いをしなくて済むんだ」「これが自分の運命なんだ」と、たやすく自己を犠牲にする方向にシフトしてしまうというか。
昔(昭和の時代)に比べて、ちょっと「運命」という言葉がお手軽になりすぎたんじゃないかって気もする。
そういう儚い子供達がいる一方で、小学生だけどすごい資格持ってますとか、ニコ生で放送してますとか、
YouTubeで踊って世界に発信してみたよとか、親世代以上にポジティブで自己表現に長けた子達もいてメディアや世間はそれを誉めそやすじゃない?
"まだ何者にもなれない平凡で普通な子供たち"にとっては、水族館のペンギンが芸を仕込まれてステージに立つように、
「みんなを喜ばす芸を身につけないと存在を忘れられてしまう」「早く何者かにならないとすり潰されてしまう」という、
プレッシャーやストレスを常に感じ続ける世の中なのかなあ?と想像してみたり。
>>183 使用済みで白くなってるから忘れ玉の可能性もあるし
企鵝マークのついた弾丸を使うのが思い出しor忘れ用途とは限らない
(真砂子がゆりに対して使ってたのは単なる攻撃用途に見える)
あの場面ではジャマをする晶馬を気絶させたってだけかもしれない
突きつけてたのがパチンコじゃなくて拳銃→銃声・場面転換だったから
殺してしまったのか!?というミスリードだけ、殺してはいませんでしたっていう
こうしてやりたかったっていうのには、陽毬はさんでの事とか
いろいろ思うところがあったんだろう
「両親の正しさを受け入れた」だとそこで
企鵝の会から自分を犠牲にして真砂子とマリオを遠ざけた
冠葉のキャラがクライマックスでブレないか?
身体中から血を噴き出して絶叫していた冠葉のあの痛みは
今まで冠葉が自分を犠牲にして自身を傷つけ続けた痛みだろ
あるところから別のところへ向かったという物語性が、24話も費やしたにしては希薄と言えるこの作品。
最初の状況は死に瀕した妹を前にした双子の兄たちで、
最後の状況は一人っ子の娘が同性の親友を得ていて、居たかもしれなかった兄たちの存在を感じとる。
この間に運命の乗換えという現象がもたらされたが、そういうものがある世界では、これは等価な状況と言え、
且つ、双方向に行き来することが可能な物語と示された。
何が言いたいかというと、解釈する事そのものを求めた作品なんだろうなと。
そう考えれば、どこへ向かえ、こうするべきと示唆する作り手の主張がこの作品には皆無なことにも気づく。
眞悧と桃果もこの世界の理を体現した存在を装いながら、最後には彼らも惑うべき登場人物に過ぎなかった。
桃果の方は清濁の濁の方を認めないなにやら純粋な思想体として示されたから惑っていないようにも見えるけれども、
その信徒たる多蕗とゆりは桃果から離れて初めて不器用な幸を得ているね。
だから、他者といっしょにこの作品のコンセンサスを得たい欲求を満たすのは大変だと思うよ。
君がみたものが君のピンドラだ、とぞんざいにまとめるとそれは作品の欠陥だろ?なんてね、言いたい人も多かろうけど。
>>185 また丁寧な考察ありがと
つまり
子供たちの間にも格差が浸透してて
ピンドラはその底辺みたいなところに
スポットライトを当てたってことかな?
この格差はあんまり経済格差じゃなくて
存在意義格差みたいなもんだけど
そう考えると今の日本の子供たちの世界は熾烈だなあ
あの若さで他人に愛を教えて何度も運命を乗り換えてきた桃果って超人だな
>>187 >桃果の方は清濁の濁の方を認めないなにやら純粋な思想体
だよねとは対なる存在として記号のまま終わるのかと私は思ってた>桃果
当時小学生だった桃果に清濁併せ呑めるほどの度量がもし与えられていたら、
その方が怖い。
小学生だからこそ、好きな人達を救うために力を発揮し、
だよねを完全拒絶出来たのだと思う。
だよねと邂逅したために、これから様々な体験を経て成長出来たであろう
時間とチャンスを失い、帽子に封じ込められた桃果が
最後にだよねから離れられたということは、
仮に過去の柵があっても、意志を持って柵から自らを開放出来ることも
可能なのだと感じた。
惜しむらくは双子が桃果を殆ど知らないままにおかれ、
だからこそ双子は「どうありたいか」を突き付けられ、
対峙していけたのだろうけれども。
けれども、
>何が言いたいかというと、解釈する事そのものを求めた作品なんだろうなと。
同意。
内観を促すような作品になったのだと感じる。
>>186 「両親の正しさを受け入れた」って表現が反発受けるのは、
実状は追い詰められて飲み込まざるをえなくなったというのに近く、
明晰判明な合理的判断に基いた訳では無いかろう、という事なんだろうけど、
それは実際そうだと思うが、其方の方が寧ろ批判を許さない固陋さや閉鎖性を発揮していく筈なので、
そういうタイミングで、冠葉側から別の関係の径路を浮かび上がらせるっていうのはどうもね、って事。
冠葉の意図と無関係に、晶馬側から想起されたなら、それはそれで何か急な感じがするなぁ。
「こうしてやりたかった」は、愛情に飢えていた晶馬を抱きしめること(※ホモホモしい意味ではない)と、
陽毬の愛情を得ながら見ないふりをしていた、憎い恋敵を撃つことの両方と取ったな
あれはその無条件の愛情(家族愛な、一応書くけど)と憎悪が入り混じった感情の暴露であって、
陽毬を挟んで一歩引いていた部分を捨てたことが重要
で、あれが思い出し玉であってもそうでなくとも、晶馬が冠葉との因縁の始まりを思い出した物語的な意味は
晶馬と陽毬が二人とも、家族ごっこの為に抑圧して・忘れていた過去を思い出したこと、だと思う
対等な立場で陽毬を賭けて晶馬と争うためには冠葉自身も、
両親や家族の幻想に捉われることを止めて、「陽毬だけの為に」罪を犯す必要がある
それぞれの・それぞれへの本当の感情を認めて、3人がやっと(他人として)同じステージに立って
次の展開に向かう用意ができる
抑圧してきたものを解くのにあれだけの出来事と話数が必要だった、というのが
三人が押し込めてきた愛情の深さの表現じゃないかと思うんだよな。愛しているから今の関係は壊したくない。
全部解いてしまったら、あとは三人の感情はゴールに向けて一直線に向かうから、そこで終わってしまう。
作劇の都合というより、登場人物の感情に話を引っ張らせたらああなったんじゃないだろうか。
冠葉は晶馬から憎まれてた事を知ってた
陽毬のセリフからも推測される
>>192 >「こうしてやりたかった」は、愛情に飢えていた晶馬を抱きしめること(※ホモホモしい意味ではない)と、
>陽毬の愛情を得ながら見ないふりをしていた、憎い恋敵を撃つことの両方
なるほど!!
ばっちぃ冠葉菌
>>172 あの陽毬のおでこの傷は
冠葉の砕けたガラスで付いたものだろ?
母親エピソードは関係ないと思うよ
乗り換え世界の陽毬は高倉両親の記憶は全くない
兄の記憶はどこかに残っているけど
その印だと思う
>>167 晶馬はあの時点でピングドラムを冠葉に貰ってたと思う
そして高倉家の兄弟として兄妹との関係性は出来ていた。
プリクリがそのセリフ言ったのは恐らくりんごと晶馬との関係のことじゃないかな?
っていうのはりんごと自分が親の事件の被害者加害者の立場になって
関係が悪くなるかもしれないってことかな?っておもう
ピングドラムって愛というか寧ろもっと繋がったもの
お互いの絆みたいなものかなあと思う
>>197 いや、「消費される可愛さ」と幸せを手にいれる拠所たる「一度でも愛された記憶」が対比されてる以上、
あれは、前者における陽毬の優良さを守ろうとした千恵美の呪縛から、
後者を与えてくれた冠葉によって解放された、と見るべきだろう。
さもなければ傷の位置があそこになるのも良く解らなくなるし。
乗換え後生存組は身体に傷がついてる人が多いけど、そう考えた方がすっきりする。
>>195 23話
「私たちはずっと一緒。だから晶ちゃん今度は冠ちゃんを見つけてあげて」「見つける?」「冠ちゃんはあの時の私と一緒、迷子なんだ」
「だけど・・・」「冠ちゃんを止められるのは晶ちゃんだけだよ」「止める・・・僕が?」
「見つけてあげて冠ちゃんの心を。冠ちゃん世界でひとりぼっちだと泣いてるから」
>>199 なるほどなー
そう考えると苹果の火傷もタキの指の怪我も納得…
ってユリさんて具体的に出てこなかったけど、父親からの折檻の跡だったりするのか?
これも歪んだ愛情だと思うが。。
タキユリ夫婦の傷を思うと苹果と陽毬の傷は優しい記憶の跡だけど…。
タキユリは生きてること自体が桃香の愛の現れなのかな?
思ったんだがキスだけが果実なら幼少期に晶馬と冠葉はキスしてた事に…
あとリンゴからも人工呼吸で果実を貰った事になるのか?
>>199 君たちは塵ひとつ残せやしないと言われた後に
冠葉の砕けたかけらが陽毬のもとに残り傷あとを残したのは
陽毬の言っていた錫の兵隊の溶け残った鉛の心臓のことだと思った
204 :
愛の電動師:2011/12/26(月) 17:48:42.34 ID:A8omgsO/P
205 :
愛の電動師:2011/12/26(月) 17:55:13.65 ID:A8omgsO/P
「遺伝子の生存戦略」でしかないものが
人間の世界では「愛」という幻想を配給している
という醒めた世界観を頭のかたすみに初期設定するとスルスル理解できる作品ですね。
>>204 利他的行動のとこざっと見たけどもろ冠葉だね
人間の行動を遺伝子の利己性で説明するのって
1990年頃のトンデモ本の類だぞ
ドーキンスはそんなこと言ってないし
208 :
愛の電動師:2011/12/26(月) 18:16:41.92 ID:A8omgsO/P
209 :
愛の電動師:2011/12/26(月) 18:19:24.09 ID:A8omgsO/P
>>207 アニメってその「トンデモ」との距離感を愉しむメディウムだと思うんですがw
「非トンデモ」っていうのが実は不在であったりするわけでね。
210 :
愛の電動師:2011/12/26(月) 18:23:05.40 ID:A8omgsO/P
>>201 >>203 多蕗のピアノの才能にせよ、百合の姿形にせよ、陽毬の可愛らしさにせよ
その類の基準に照らした評価が全てになっちゃう人生って、
優だろうが劣だろうが実は変わらない。
その人の本当に大切な所は、本人も気付かぬ侭、
苦しんだり、痛めつけられたりしてる、って事なんだろう。
で、人生変革の切り替えポイントで、今まで隠蔽して来た痛みとかが本人にも露見して、傷として浮き出る。
それが露見したという事は、もう二度とそっちの世界には足を踏み入れないという事で、
冠葉が残せたものっていうのは、切り替えて以降の陽毬の幸福な人生なんだと思うよ。
傷は切り替えの印でさ。
212 :
愛の電動師:2011/12/26(月) 19:42:43.53 ID:A8omgsO/P
「現代思想」1997/11 特集「発達とは何か」
小説家の保坂和志と哲学者の樫村晴香の自閉症をめぐる対談にいかのような発言がありますね。
樫村晴香「元来、人間とその意識は、愛の呪縛から絶対に逃れられない。愛は利己的遺伝子戦略の
最大ツールで、相互贈与を獲得した遺伝子群が、最も力を所有するから。」
>>200 躊躇してるのは冠葉が人殺しだからだろ
これで憎んでたはいくらなんでも飛びすぎ
晶馬が恨んでたとしたら冠葉より陽毬の方じゃね
冠葉が家族ごっこ止めた途端に陽毬追い出してたし
冠葉がトチ狂ったのはほぼ陽毬が原因だし
つまり晶馬はガチホモ
>>214 ワロス
確かに晶馬やたら冠葉が女の子と遊んでるの嫌がってたもんな
あれは嫉妬からくるものか
(´・ω・)フーン
まあ晶馬にとっちゃ冠葉が運命の人だしな
陽毬の運命の人発覚時に陽毬が話しかけるのが
晶馬が多かったって言うのを見て素直に感心したから
初期から晶馬から冠葉へ何かあれば晶馬が冠葉から
大切なものを貰ったって流れももうちょい納得できたかもなあと思う
まあそれだとホモホモ言われたんだろうけどな!
晶馬の冠葉への依存具合はなにげに作中屈指だと思ってたから不自然ではない
晶馬と冠葉の対比は意味があったのかなかったのかよくわからんなー
晶馬が白とか冠葉が黒とか一概に言えないが、漠然とそんな対比だったようなきがするんだけど
けっきょくは表裏一体で、黒の存在がなければ白は存在できず、黒を否定すると
バランスが崩れますよという事なのか?
陽毬のためにとっておいた晶馬の良心って役にたったと思っていいんだよな?
ホモのことじゃなく過去の因縁が不自然ではないということね
作品が受け手に投げかける問いって
司馬遷の「天道是か非か」のような作者は答えを出してて
受け手に同意を求めてくるような問いと
荘子の「俺が胡蝶か胡蝶が俺か」みたいな
それは答えあるのかっていうような問いがあると思う
ピングドラムはこの問いはどちらの問いでしょう?ってまずそこから訊いてくるかんじで
これイラッとする人はすごく不愉快なのかもと思った
223 :
メロンさんex@ご利用は紳士的に:2011/12/27(火) 00:53:34.21 ID:4DrU/m8t0
最終話のももかがさねとしに捨て台詞言って去るところの地面
あれ線路なんだよね?
ってことは空の穴図書館は駅のホームみたいなもんなのかな
駅名は運命のいたる場所だろうな
225 :
メロンさんex@ご利用は紳士的に:2011/12/27(火) 01:14:40.75 ID:Rqm4n/CAI
また電車が来るのを待つってサネトシが言ってたんで、
やっぱ電車待つとこ=駅なのかな。
>>222 それって、監督のスタンスそのものに通じるなー
公式発言を見てると、自分の答えは出した上で作ってるんだって感じるけど
ピンドラの作劇もそうだけど、遊びを沢山残したようで裏をガチガチに固めてる感覚。
ただ固めた部分は所詮「見せる」部分に説得力を与える土台扱いというか、
舞台裏は絶対に見せんぞ!って意識を凄く感じる
意図的にやってるように感じるけど、見る人が見ればスカスカにも見える
突き放されてるように感じてカチンと来る人もいるんだろうなと
>>220 晶馬の良心は陽毬のためにとっておけと言っていたけど
あれは冠葉が自分自身の為の砦にしてた気もする
晶馬の両親が残ってる限り多少自分が踏み外してても
いいだろみたいな
前半はそれで自分の精神バランスとってた
それじゃもたなくなって今度は両親との会話妄想で自分を支えて
あ、227の晶馬の両親は晶馬の良心のまちがい
人格が破たんしているというセリフがあったけど
性格がきついということではないか
性格が破たんしている=性格の個性が強すぎて周りから理解されない
最近何でもかんでも病気にされてるのでそんな事を思った。
>>229 人間としては破綻していた
ではなかったか
このアニメは言葉遣いがいちいちヘンで印象に残る
この世界は間違えている
自らは与えようとせず、求められることばかり考えている
呪文を使って神様にお願いする と罰を受ける
(好意的な)表面的な言葉で傷つけあう
かつて聞いたことのない文脈ばかりだ
231 :
メロンさんex@ご利用は紳士的に:2011/12/27(火) 09:04:21.07 ID:jrzPNFUBO
ペンギン2号の食欲は、愛情欠乏の表れらしいが、昌馬は家族愛では満足できない質だと推測。
おそらく両親からネグレクトされたため、家族という存在が信用できず、陽鞠の好意も素直に受け取れない。
リンゴという他人から愛されて、初めて自信がついたのでは?
自分だけを愛してくれる人がよかったんじゃね
半分以下のリンゴじゃ満足出来なかったからリンゴ丸々一個欲しかったとか
自信というかやっと気づけたってことだと思う
人を愛す感情も愛される感情も
18話以降晶馬は苹果のことを好きになってはいた
しかし罪の意識が強いためいまだ自分の愛情にフタをしていた
晶馬は罰を受けるのは自分といいながらいまだ自分は罰を受けてはいないと思っていた
最後に罰を受けることで望みが充足され、愛情のフタが取れた
つまり罪の意識から開放され、自分の中の愛情に向き合えるようになった
罰されないと満足できないってMだねえ
最後の兄弟を生まれ変わったって解釈してる人はなんで?
その方が個人的にうれしいから。
一応根拠としては双子の方も記憶が無いっぽいから。
>>273 それが不思議なんだけど二人に記憶ないってあのシーンだけでわかる?
あとペンギンがついて行ったのは普通に転生してるならおかしくない?
>>238 高倉家素通りしてるから覚えてないのかと思った。
ペンギンについては、そもそもあいつらが何者なのかが自分の中で整理がついてないのでこたえられません。
あいつらがフリーパスをもってるであろうことは分かるんだけど、まだそれしか理解できん。。
ペンギン達はすべてが変わった後も絆が残っているという表現じゃないのかな?
双子はたしかに記憶がなさそうに見えるけど、ぬいぐるみの手紙の字は子供の字っぽいんだよなあ
ぬいぐるみは、本スレでもいってた人いたけど、
サンちゃんが乗り換え前の世界から持って来たんじゃないの?
あのメッセージは21話の回想で腹破った2人が縫い直した時に入れたものだと思う。
じゃあ最後に家の中ですれ違った3ちゃんはあのぬいぐるみ置きに来た感じなのかな
ひまりりんごまさこは記憶が無く、記憶が無いからサンちゃんとエスメラルダは離れたけど
双子はペンギンを引き連れてどこかに向かってるという描写なのが%
すまん途中で切れた
そういう描写になってるのが自分はただの生まれ変わって普通に暮らしてますよって終わりには見えないんだよね…
245 :
メロンさんex@ご利用は紳士的に:2011/12/27(火) 14:16:58.95 ID:jrzPNFUBO
陽鞠と真砂子は双子の記憶がないシーンあるけど、苹果の記憶がないシーンってある?
逆に記憶があるシーンもないし、ある理由がわからない>りんご
あるならあるという描写あってもよさそうなもんだし
ないほうがテーマ的に美しいかなあという気がする
多蕗とゆりは最終回の結論に至るまですごい遠回りする羽目になったけど
あれって過去の想い人そのものに対する執着が原因のひとつだと思うし
それを考えるとね、ないほうがむしろ前向きかなと
テーマ的に、最後も「命(=陽毬からの林檎)を二人で分け合った」と読めると思う
大切な人への伝言……のくだりは、乗換で二人は箱の中に戻ったと解釈することもできる
(大切な人がいなかった筈の過去の晶馬が「話はきまり」と言ってるのはちょっと不自然)
> この世界は間違えている
> 自らは与えようとせず、求められることばかり考えている
> 呪文を使って神様にお願いする と罰を受ける
> (好意的な)表面的な言葉で傷つけあう
どれも厨2病が好みそうな台詞だとか思ってしまったw
「どこまで説得力を与えられるか」が腕の差だと思う
>>249 上二つがテロリストの言葉ってのがなかなかにビターだなw
夏芽家の呪いっていったいなんだったの?
>>252 父さんが組織の幹部だったことじゃないの
色々テロやってただろうし
あとは強欲な者の論理を体現するかのようなじーちゃんのこととかかな
三角木馬に乗れるか出来るかどうか?とかw
価値観が違いすぎて祖父から拒否された父、
その父から拒否された冠葉という負の連鎖を感じたけれども、
祖父の後継者になれた真砂子、真砂子に庇護されるマリオさんという
別ルートがあるから、呪いと共に救いがあるように感じる。
強欲な祖父もだけど家族を省みない父親もでしょ
>>253-255 なるほどねー
>>131 これみるとやっぱりりんごのストーカー話が長かったのとかも
これと合わせるためだったから意味があるんだなあと思う
お前たちはピングドラムを失った
世界は再び闇ウサギを呼び込んだ
て結局どういうことだったの
晶馬と苹果がセンセーの幽霊を呼び入れたって言いたかったのかな?
なぜに?
箱の中に戻ったとか、上のほうで出てた
りんごを返したから透明な存在に戻ったとかって
せっかくそこから脱してその後のいろいろな経験や思いを
分け合ってあの結末だってのに
ふりだしに戻るってそれまでのすべてをなかった事に
してるようなものじゃないのか
>>258 陽鞠が二度目に倒れた時に眞悧の誘いにすがったからじゃない?
真砂子は陽鞠その前からすで眞悧と接触して取引してしまってる訳だし・・・
陽鞠が倒れるその前から・・・ね
うん?その予言の後プリクリぶっ倒れて陽毬死亡→サネトシ登場→契約成立って流れだったから
サネトシと契約=闇ウサギ呼び込んだ ってのは順番おかしくね?
>>258 闇ウサギ=眞悧=過去の呪い=分かり合えない世界を破壊しようとする意思
かつての企鵝の会の残党を動かして今度こそ世界を破壊しようと目論む
しかし眞悧は実体がない、現実世界に干渉するための触媒が必要
そこで、企鵝の会の子供たちを利用することを思いつく
彼らの現状は、この世界を憎むに足るものだから、過去の呪いを背負わせるにはもってこい
おそらくは、実体がない眞悧に最も近い状態に陥った陽毬とマリオが眞悧と接触した時点が「闇ウサギを呼び込んだ」
で、12話時点の高倉兄弟と苹果
冠葉=陽毬のためならKIGAともつるむよ!明らかに一方通行でバランスを逸した状態
晶馬=心の中では人とは分かり合えないと思っている(14話で明らかに)
苹果=桃果にならなければ家族が壊れてしまうという強迫観念に取り付かれている(ただし晶馬との出会いで軟化、後に克服)
=ピングドラムの輪が断たれた状態
うーん上手く言語化できないや
眞悧が陽毬にペンギン帽と林檎を与えた理由は多分、「狩りは対等な者同士で」という真砂子理論
目論むのはやはり完全勝利か
>>259 箱の中に戻ったってのはないよなとは俺も思う
そもそも箱は依然としてあるけど、でも手を伸ばせば届くよって話だと思うから
>>262 あれ?そうだっけか・・・
自分の中で時系列がごっちゃなっててダメだな・・・
林檎は分け合う心があれば誰とでも分け合う事ができるって話だと思うから
箱には戻ってはないが愛された記憶以外はリセットエンドで
それぞれがこれから出会う別々の人と林檎を分け合って輪すのが一番いいと解釈してる
ペンギンだけが気がかりだからペンギンの解釈によっては双子はモモカやサネトシみたいな
一段階外側から見守る存在になったというのもアリだと思う
ひまりやりんごが記憶とりもどしたりそうじゃなくてもあの双子とやりなおすってのは
カプ厨過ぎる解釈で釈然としないわ
'90年代の幾原なら、高倉兄弟はウテナみたいに綺麗さっぱり消えてたと思う
なんというか、優しくなったよなあw
震災とかとも蔵とか色々あってちょっとセンチだったのかしら
「彼女は消えたんじゃないの。貴方の世界から居なくなっただけ」
ってアンシー言ってたじゃん。
ウテナはアンシーに記憶されてたが、
義兄弟は誰からも忘れられてるんだから、
彼らのこれからの方が色々心配だよ。
>>260-263 見直してみたら
「自分たちをつなぐ運命の輪に得心がいったか?
やれやれ人間とはつくづく学習能力の乏しい生き物だな
やむを得まい 特別にいいことを教えてやろう
おまえたちはピングドラムを失(ry」
だった
ますますわからなくなった
プリクリが何かを知っていると思う自体がミスリードにひっかかってたってことかな
ちなみにそのあとには
冠葉「俺の命を分け与えたじゃないか」
プリクリ「以前おまえから奪った命は電池切れ」
でも晶馬は10年も前に分け与えられた命で今まで生きてたしなあ
作中でやりとりされる愛とピングドラムと運命乗り換えがごっちゃでどうにも分かりにくい
原資(これが無いと誰とも愛情をやりとりできず透明になるしかない)
・親からの愛
運営(与えすぎていたり貰いすぎていたりするとおかしくなる)
・家族愛
・恋愛
・友情その他
投資(自分に愛が満ちている状態で身を投げ出す事で運命を変える)
・透明になる子供をひとり助け出せる
・死にそうな人間をひとり助け出せる
・子供に危害を及ぼす親を消す事が出来る
・無差別に犠牲を望む悪意を持った人間を消す(つもりだった)
・場合によっては景色や人間関係も変わる
この最後がピングドラムでいいのかな?
それともやっぱり愛そのものがピングドラムで
最後は付随する魔法ってことなんかな??
個人的には、人とのつながりのなかで分かち合える愛をピングドラムとして捉えたい
>>無差別に犠牲を望む悪意を持った人間を消す(つもりだった)
おそらくこれは作中で疑問視されているんじゃないかなあ
というか、桃果を完全に肯定しているわけじゃないとも思うんだよ
だって、桃果が正しいなら地下鉄テロを防げててもいい訳で
あのときの桃果は「こちら側の世界の総意」でしかなかったから、失敗したんじゃないかな
だからお互いに身をふたつに裂かれた(集団の総意が衝突することによる軋轢の暗喩?)
で、桃果はそれとは違う方向に兄弟を導こうとしているようにも見える
少し見直してみたけど感じ方が違って面白いね
プリクリの「妹ではない」が陽毬はお前たちの妹ではないに聞こえる
「ピングドラムを手に入れろ」と言った直後、冠葉から抜いたのもピングドラム?
陽毬を純粋に妹として愛するピングドラムを取られたので、女性として愛するようになってしまった?とかね
陽毬がはじめて死んだ時の双子の反応は今だと逆っぽい感じもするな
冠葉の方が運命受け入れてて晶馬がなんで!って言う感じの
>>272の生存戦略のせいかな〜と思ってたけど違うのか
最終回を見た一部の人々は「謎の感動」「理由は分からないけれど涙がでた」
なとの感想を書き込んでいる
物語としては既に理解不可能であるにも関わらず感動し美しいものを見たという
これはどういうことか?
檻は視聴者を感動へ誘導するために必要な「演出」の都合上
出したものでそれ自体に物語上の意味はないのではないだろうか?
檻の解釈について決定打が出ないのでその方向で最終回を考えてみる
別に映像とか勉強してないので色々適当
キチンとした考察はそのうち誰かちゃんとするでしょう
檻=不気味で不安定な環境下で瀕死、空腹感、飢餓感を視聴者に与える
[21話〜23話Aパートあたりまで]
日常→不安と絶望(ココが長く長く続く)
映像的には暗い夜や地下の画面が多く、音楽も明るいアップテンポのものは影を潜める
両親の幻覚、ラーメン屋の死体、そして冠葉の暗殺と、
視聴者は次々に今までの日常から転落・解体していく高倉3兄弟を見せられる
[23話アバン〜Aパート]
冒頭で地下鉄内の照明が落ちる
我々が地下鉄に乗ってる状況で照明が落ちるというのは非常に不安感を煽られる
これを合図に日常から不気味な非日常へ移行、不安を煽る音楽
血のように赤いカーテンに包まれたベッドの上に美しい少女の死体
少女の血の気のない手を握る少年
真っ赤なカーテンが陽毬の肌色の血の気のなさを際立たせる
[23話Bパート〜エンディング]
→絆→救い→死と消滅→再生→暖かな日常→美しい星空
これを卓越したテクニックで見せていくことで視聴者は話の意味は理解できなくても
何かが救済されたような感動に持っていかれる
・陽毬の周囲にばら撒かれるガラス片
・冠葉の体から血液が噴出してもがき苦しむ
・それを全裸の陽毬がまるで母親が子供を抱くように抱きしめる
これらの状況について誰も明快に説明ができないのは話の脈絡とは
おそらく無関係に出されているからではないだろうか
必要なのは救済へと至る映像のシークエンス
全裸の陽毬は幼い子供がむき出し状態にされている絵によって
守られるものが何もない状態で冠葉救済に向かう図、神秘的な雰囲気を演出する効果もある
晶馬や冠葉が裸にならないのはそれをより際立たせる効果がある
普通はこういったものはストーリーとの整合性をとって出すもので
それを外すと視聴者は理解不能部分がノイズになって映像に没入することはできない
しかし、この最終回の場合、物語としてはほぼ理解不能であるにもかかわらず
一部視聴者を感動にまでもって行くことができた、ちょっと珍しい最終回になったと思う
しかしオウムはコンテナに閉じ込める修行とかあったらしいから
檻を道具に使うっていうのは案外脈絡のないことではないな
275 :
274:2011/12/27(火) 23:11:45.83 ID:Np1iudhi0
>>274 やっちゃた!…訂正です
×[21話〜23話Aパートあたりまで]
○[21話〜24話Aパートあたりまで]
×[23話アバン〜Aパート]
○[24話アバン〜Aパート]
×[23話Bパート〜エンディング]
○[24話Bパート〜エンディング]
>>273 1話の陽毬死亡時だよね
あそこ自分も気になってたあの時点ではプリクリもでてなかったし
どうしようもなかったけど救える手段があるって分かってからはむしろ冠葉は晶馬より
積極的なんだよね
自分的には眞沙子のマリオ救済の代償が冠葉から眞沙子への記憶、想いを消すことかなぁなんて思ってた(実際忘れたし)
その分余計に陽毬にうつったのかと妄想してた
今思えば冠葉は剣山のことかなり憧れか尊敬の目で見てたように思えるから両親がいなくなって父親役を
すすんで演じてた(引き継いだ?)ようにも思える。嵐の時も剣山の教えを一生懸命聞いてたし。
あそこで晶馬と一緒に絶望しててもどうしようもないし、むしろ晶馬の兄でもあるし父親の役割を
果たそうと現実的に陽毬の死をうけとめようとしてたのかなと。冠葉的には晶馬も庇護対象なわけだし
晶馬の前でとりみだせなかったっていう あそこ冠葉冷静にみえるけどおじさんに電話するとき声が震えてるんだよね
なので晶馬の前だから冷静を装ってたってのが自分なりに解釈した
>274
感情の動きの考察、面白いなぁ
男性は論理的に考察する傾向にあるから、一々映像の整合性を考えて楽しめなかった可能性がある
個人的に運命の乗り換えをどう映像化するのか興味あったけど、ああくるとは予想以上だったよ
禍々しい連結器が外れるとことか凄く良かった
あんな音楽とそれっぽい言葉と映像がある最終回ならたいがいは感動するもんだろ
>>274 かなりスゴイことやってるけど、ほとんどの人はそのすごさに気づかない
理解できるのはクリエイターだろう、どうやったらこんな驚異的なもの作れるのかっていう
映像とモチーフの見せ方は尖ってるし圧倒的だけど、
物語としてもよく作ってあると思うけどなぁこの作品
「物語としては破綻してる」とか「理解できない」って意見が多いのが逆に理解できなくてモヤモヤしてるw
>>143 わかるよ、言いたいこと。
ラーメン屋での会話に現れてたじゃん。いいこと言ってるようだけど、結局子どものこと全く見ていない。
ていうか死体じゃん。
乗り換えのあとも生き返ることがなかったことは、親たちへの断罪じゃないかな。
俺も、昨年父親が死に、母親も多分あと1年ぐらいのうちには死ぬと思うけど、最近になって、ああやっぱり子どものことなんかちゃんと見てなかったんだと思えることがあって、ちょっと醒めてる。
わざわざ陽毬の額の傷を映してから手紙→涙で、陽毬には愛された事実が残ってると表現してるのに
おなじく火傷のある苹果には事実が残ってないとは思えない
カプ厨としては嬉しいやら切ないやらで引き裂かれそうだが、これからこのふたりは別の誰かと愛し愛されて生きていくんだよ
だからこその先例(多蕗ゆり)だろ
>>274 この流れだからいうけど、子どもの頃俺の母親は宗教にはまってて、俺も20話の晶馬のような、まさにああいう状態だったわ。
それで、20話の冒頭の、玄関に靴が並んでるのを見て衝撃受けた。というか、あの靴が並んでいるのを見て震えがくるぐらいのトラウマが自分にあるって初めて気づいて、そのことが衝撃だった。団地の廊下で暇つぶししたりとかも、、、
これのスタッフって、絶対こういう世界の経験があるか、きっちり取材していると思う。何が言いたいかというと、だから、例えば檻のシーンとかも、心象を表しているだけとも言えないかもしれないとも思えるよ。
>>280 本スレや考察スレ見て分かるように「ピングドラム」「日記の呪文」の解釈が
見事にバラバラで未だに統一見解が出てないよね?
この話の最終決着に使われる「日記の呪文」
そしてメインテーマ「愛」を語るための最重要アイテム「ピングドラム」
これらの効果や設定がふわっとしたままで、しかも乗換えとピングドラムが同時に使用されているので
解釈が非常に困難な状況になってしまっている
解釈が色々できるのはいいことだけど、過去のエピソードで出された情報と
最終回で提示されたものの間に明確な矛盾があるので非常に厄介
最重要アイテムがしっかりしてないので物語を理解する土台がなくなってしまってる状況なんだな
>>283 ID変わってるけど
>>143です。
辛い体験だったね。でも生き延びてくれて、ありがとう。
カルト宗教やマルチ団体についてぐぐると、そういった施設で虐待を経験した子供はいっぱいいるみたいだね。
そういう体験談やトラウマを投稿してる2chのスレを昔読んだことがあるよ。
冠馬と晶馬もひょっとしたら、修行と称して食べ物を与えられなかったり、暗くて狭い場所に何時間も閉じ込められたりしたのかもしれないって事か…。
それはちょっと考えが及ばなかった。でも確かに、人殺しくらい平気な組織だから、子供の虐待なんて屁とも思ってなさそうだよなあ。
>>188 あ、もうひとつ思いついたのでついでに。すでに既出だったらスマソ。
主人公たち(陽冠晶苹)の初期のセリフって、なんだかすごくTwitterっぽいなと感じたんだ。
携帯やスマホで自分撮りwしながら、
「今日は待ちに待った陽毬Day☆水族館なうー♪♪☆」とか、
「今夜は我が家の大切なカレーの日だよっ♡♡♡」とか、
あるいはロールキャベツやたこ焼きの写真と共に、
「◯◯くんとっておきの△△△(料理名)!>▽<b」
…と、主人公たちがやってても全然違和感無さそうな感じしない?w
アニメ的な説明セリフと言われればそんな気もするんだけど、第一話を見た時から、
この子達なんか妙にテンション高いよなあ周囲にアピりまくってるよなあ??というのが引っかかっちゃって。
ふと思い出してみると、個人ブロガーやTwitter民の人達ってそういえばいつもこんな感じだよなと。
何というか、発言や行動の一つ一つが妙に演劇的アニメ的とでもいうか、
常に誰かに見られること、聞かれることを意識して、毎日を過ごしてるというか。
「その発言は、アピールは、誰得なんだ?」と、思わずツッコミたくなってしまうようなw
3兄弟は「家族ごっこ」してるんだから
その台詞が演劇的でわざとらしいのはわざとそうしてるんだろ
ピングドラムは何かについて訊かれると、言語化するのが割と骨だから少し困る
見解が分かれていても作品のテーマそのものは大体共有できてるのはすごいと思うが、ここ考察スレだしね
ただ、林檎のやり取り表みたいなのが早い段階から作られたのはかえってまずかったのかもしれない
林檎の半分があっちにいって…みたいなやつ
それと、どうでもいい話
今年は兎年(闇ウサギ)で来年は辰年(タツノオトシゴ♪タツノオトシゴ♪)
桃果「あなたたちのピングドラム」
最終回、冠葉の体から吹き出た血がペンギンマークから林檎になる
ここらへんは手がかりになると思うんだけど
地獄少女「いっぺん死んでみる」これが浮かんでしまったじゃないか。
>>267 「これは愛の話なんだよ。死んで終わりじゃない、むしろそれが始まり」
このあたりに尽きると思うなぁ。ブレてないよ。
初回にあの子ら二人を出した時点で結び方はおおよそ固まってたと思うよ
>>284 はっきりさせる必要があるかっていうとそうでもないよね?この話
サネトシが司るのは悲しみという呪い、凍りつくような世界への憎悪。自らを愛し、他者を罰すること
桃果(=日記)が司るのは自己犠牲を厭わない他者への愛情が起こす奇跡、蝎の炎。他者を愛し、自らを罰すること
この段階では「自分を犠牲にするか世界を犠牲にするか」の二択
ピングドラムはそのどちらでもなく、人と人の繋がりがもたらす果実、
見返りを求めず、しかし自分を犠牲にせず、罪も罰もただ分け合うことの象徴
どれが何のメタファかは作中でちゃんと(人物自ら)説明してる。
サネトシは二回とも挫折して、桃果は一度失敗(一人の自己犠牲では限界があったと思しき描写)。
「分け合う」ことを選んだ高倉兄弟の行動が「輪」を作ることで、やっと世界が変わる、
っていうことで、訓話と捉えるなら十分だと思うんだけど。
矛盾も何も、作中でこれら以上の情報は出されてなかったしなあ
こどもブロイラーって
最初は更生施設や孤児院を子供の視点で都市伝説的に表現したのかと思ってたんだけど。
例えば誰も虐待に気づかなくて死んでしまった子供や
いじめのせいで自殺した子供は
ある意味、社会の制度によって殺されたとも言えるよね
その場合、実際に集められて死んだわけじゃないんだけどさ
何故運命を変えるアイテムがピングドラムと日記と2種類あったのか?
ピングドラムは愛を分け合う象徴である半分の林檎(命)のことであり、この作品のテーマでもある
日記は完全なる自己犠牲、罪も自分自身に非がないのにもかかわらず死んで他人を救うこと、例えるならば1個の林檎を全部相手に与えることのようなものである
幾原監督は林檎を全部あげてしまうような自己犠牲を否定したうえで、愛を分け合うというテーマをより浮き彫りにしたかったのではないか?
となると、ラストのシーンは日記で運命を乗り換えた世界ではなく、ピングドラムによって運命のレールを切り替えた世界だといえ、
日記の運命の乗り換えを冠葉と晶馬がピングドラムで上書きしたって考えたほうがよさそう
氷の世界とこどもブロイラー
密室(呪いの箱)としての家庭と換気扇
氷の世界、「南極環境保護隊」
ガラスの破片に身を裂かれながら進む陽毬と晶馬
氷に蝕まれて砕け散る冠葉、ペンギン
これら一連のモチーフが最後で綺麗に繋がってて鳥肌立った
村上春樹が「損なわれる」って言葉をよく使うけど、
こどもブロイラーはまさに「子供たちが損なわれる場所」
自分はあの辺の描写見てて、90年代の少年犯罪のレポ思い出したわ。
損なわれた顛末が「死」とは限らないんだと思う
296 :
メロンさんex@ご利用は紳士的に:2011/12/28(水) 09:12:30.83 ID:W4gii6c90
>>293 実際に死ぬってことじゃなくて透明にされるっていってる
押しつぶれて自分がなくなるってことだと思うんだけど
そのあたりは過去レスでもでてるんじゃないのかな
>>295ガラスの破片になりながら消えるカンバと
ガラスの破片になり消える子供たち
ふたつの場面とも同じ共通の押しつぶすためのローラーがでてきてるんだけど
前者はポジティブなシーンとして後者はネガティブなそれとして
描かれてるとおもうんだけどその辺はどう思ったんだろう
>>295 絵的なモチーフはよく連携がとれてるけども
人と人との繋がりが大事だよっていうような結論は明確に打ち出されていたわけではないから
いったい何だったのこのアニメ?て話になるんだと思う
愛の連鎖が答えだと思った人の中にも
それでこの物語の呪いは解けたんだよ派と
それがこの世を救う道だよ派がいるような
高倉家という個別の事例を救えたと思うのと
世の全ての困難を救えると考えるのでは
だいぶ違う
いや多蕗がおもいっきりセリフで説明しちゃってるじゃん
あれ以上やったら一気に陳腐になるぞ
>>296 子供の晶馬が「死ぬってこと?」って聞いて
親父が沈黙で通して否定しなかったから
やっぱり死ぬ扱いでいいと思うよ>子供ブロイラー
301 :
メロンさんex@ご利用は紳士的に:2011/12/28(水) 10:38:57.58 ID:W4gii6c90
>>300 自分がなくなるって死ぬってことと同義だって考え方もあるとおもうよ
あとショウマが親父に質問してるところはショウマの質問が始まったところから
こどもブロイラーのメタファになってて現実の段階の話じゃないとおもった
最後よく分からん終わり方だったな。
まとめきれないで終わって中途半端な作品になった感じ。
BD買おうと思ってたが回避する。
お前の中でだけな
ここ考察スレなんで
筋道だった批判でないならグッドバイだ
さねとしセンセーはずっと石炭袋に引きこもってる気かな。
かわいそうにね。
>>297 仮説
運命の乗換えがおこり、「透明な存在」となる冠葉を何故美しく描いたか
「透明な存在」は常に求める側だったが、透明に成り行く冠葉は陽毬を乗換わり先へと運んでいる
おそらくは「透明な存在」でも与える側に立とうという勇気を持てば、そこから輪は回っていくんだよということを示しているのではないか
サネトシはその姿を見て「君たちは絶対に幸せになんかなれない!」と吐き捨てている
「透明な存在」が幸せになることなどありえないという凍てついた心の発露だけど、冠葉はもうその地平には立っていないだろう
つまり、大切な人と愛も罪も分け合ってつながり合うことを描くと同時に、選ばれなかった人々に対しても、自分から手を伸ばしてみたら結構生きていけるかもしれないよ?と言っているのではないだろうか
あのエンディングは「決して何者にもなれないお前達」への救済だったのだろうかと漠然と思っていたのを
>>306が説明してくれたので、そこはそれとして、少し遡って考察
大規模虐殺を起こす少年、はまさに「透明な存在の透明な犯罪」
実際、冠葉のテロは誰にも気づかれない
犯罪に手を染めた冠葉は、(こどもブロイラーの描写はなくとも)生きながら呪いを受けていた
陽毬が二回目に病死する回のタイトルは「氷の世界」なので、彼女の病気の原因も同一
「生まれた時から罰を受けることが運命だった」という陽毬と晶馬の独白はここへ至る経緯を差していたと思われる
運命の乗換えによってテロ自体は無くなり、呪いの連鎖は断たれた。
陽毬を蝕む呪いも消えたけれど、「呪いは決して消えない」ため、冠葉は透明な存在となるしかない。
つまり、陽毬の病気が治ろうが治るまいが、消えるのは確定事項。
彼が呪いに侵されたのはいつか、といえばKIGAの誘いに乗った時点で……というより、
サネトシは彼曰くの「呪いのメタファ」なので、陽毬が犠牲になり・冠葉が罪を犯す、
ここまでの一連の流れというか、サネトシが関わった描写のある部分全てが「呪い」だったと思われる。
なんか回りくどくなった
こどもブロイラーも箱での餓死もOPでの陽毬落下も冠葉の消失も、実質的に起きている現象は同じ
それでも演出が違う+視聴者の受け取り方が違うのは、
無力感を乗り越えて愛を与えることを選択できた(=大切なものを手に入れた)結果ってことだと思う
透明な存在となった冠葉と運命乗換えの罰の身代わりとなった晶馬が2人よりそって歩いていく描写って
やっぱり褒美の林檎を手に入れたってことなのかね
何者にもなれないけど、孤独じゃないっていう
>>309 ご褒美の林檎をまた二人でわけあったから何者にもなれなかったけど孤独じゃないEDだと解釈した
ちなみに生まれ変わったわけではない派
ペンギン達と同じ視覚できないけど存在してるものになったのかなーと
>>309 でも、人間て必ずしも「何者かになる必要」は無いんじゃない?
世の中の大多数の人々は特別なキャリアや才能やスキルなんて持ってないけど、まぁまぁ幸せに暮らしてるよね。
サネトシがよく目を細めて微笑してるけど、あれって悪役っぽくないな
なんか意味あり気じゃね
俺だけと思うけど
>>311 「何者にもなれない」ってのはそういう意味ではないのでは……
多蕗を例にとってみよう
彼には、音楽の才能をこよなく愛する母がおりました
音楽の天才だった弟にだけ母の関心が向くのを恐れた彼は、自ら指をダメにして「もしかしたら……」という可能性を残すことで母の心をつなぎ止めようとしました
だが母は弟を選び、彼はこどもブロイラーに送られ透明な存在になるのを待つばかりでした
しかし、彼を大事な人だと認めてくれた桃果の献身により、彼はこどもブロイラーから脱出し、透明な存在にならずに済みました
ここでわかるように、何者にもなれない……「透明な存在」とは「誰からも選ばれなかった子」のことであり、
キャリアや才能やスキルの問題ではないと言える
思い切り単純化してみる
ピョンきちくんとカバおくんが道に行き倒れになってて、アンパンマンが顔を分け与えるんだけど2人分は無理なのでピョンきちくんに顔をあげます
すると、顔をもらえなかったカバおくんは見捨てられ、そのままほっとかれます→このままでは「透明な存在」となってしまいます
でも、行き倒れてるカバおくんをカレーパンマンが発見して、カレールゥを分け与えました→カバおくんは「選ばれたこども」になります
夏芽ホールディングス社長たる真砂子だってあのままだったら「何者にもなれな」かった可能性があるしね
彼女自身は23話でそこから脱却できたと思う
ミス
×23話
○22話
4連投になっちゃうけど
その「選ばれる」ってのも、「たった一度の、心から求められているという実感」のことなのかな……と思う
>>312 眞悧は見た目可愛げがあって悪役=コワイ感じはしなかったよな
破壊活動は口実にすぎず
実はゲームの主催とかのメタな目的があって登場したキャラかと思っていた
というか、まだ思っているわ
>>317 進化学は知らないけど、生存戦略とも言ってるし進化の過程・結果・進化するのかどうかを楽しみにしているだけかも
良く解らないんだけど、
幸福になれると太鼓判の押された、
「一度でも愛された」「予め失われた子供」に、乗換え後の義兄弟は含まれてる?
多蕗と百合、ひまりんごが含まれてるのは間違いなさそうだけど。
義兄弟が溯ってる年齢が、
晶馬が冠葉から果実を半分分けて貰えて、冠葉が陽毬からバンソコ張って貰えた辺りである事からして、
「一度でも愛された」体験を、彼らはちゃんと持ち越してるんだろうか。
それとも、桃果に出会う前の多蕗・百合と同じ様に、未だ予め失われているだけの状態で、
これから愛されなければ幸福になれないんだろうか。
晶馬と冠葉は乗換え後の世界では
普通の人間とは違う箱からでた存在だから
持ち越し云々とは次元が違うんじゃね
これから二人で星めぐりに行くんだろう
本人たちが「これから何所にでも行ける」って行ってるから
本編開始前の諦念と無力感にとりつかれた様子はなく、少なくとも当人たちは幸せそう
心理学用語を引っ張り出すと、子供らしい・健全な万能感を取り戻しているように見える
から、つまりそういうことじゃない?
家族の呪縛から自分達を解放しきれた事をもって、「どこにでも行ける」って事だよね。
それが絶対孤独に至るか絶対自由に至るかは、その台詞だけじゃ解らないでしょ。
そして、半端者の象徴たるペンギンが全員付いて来てる事からして、
まだ彼らの人生の課題や不安定さは残ってるって事だろう。
陽毬や真沙子のは彼らが解決してやったけど。
サネトシは厨二病のメタファだとわりと真面目に思ってる
りんごちゃんって晶馬と世界をつなぐリンクになってるんだな
晶馬にとっては被害者家族と加害者家族、絶対に分かり合えない間柄のはずなのに
後半はいつも隣にりんごちゃんだったもんな
冠葉が砕け散っていくシーンだけど
冠葉があの時点で透明な存在になっていってるんじゃなくて
あのかけらは、それまでの間に自己犠牲で
冠葉自身が自らを透明な存在にしてきていた分かなとも思った
本当の光を手に入れたと言いながら冠葉自身が光を発してる
電車内でサネトシが言っていた明かり的な光ではなく
愛されて自分も光る、よくいう「自分を愛せなければ人を愛せない」的な
冠葉の犠牲が本当の犠牲になった
苹果が乗換えを発動させたけど
23話以前にあの呪文知って唱えても
乗り換えは起こらなかったんじゃないかな
愛された事で冠葉は陽毬を命の列車へ移せた
愛する事で晶馬は苹果の炎を自らに移せた
この全24話全体が一つの運命の輪で
外側から干渉していたように見えるサネトシや桃果も
さらに大きな運命の輪の一環だったと
サネトシの、結果的に墓穴だった行動も運命
動機はまぁサネトシが構ってチャンだったからとか…
サネトシは監督の代弁者だと思っている
ただし半分だけの代弁者
最後の方で灰羽連盟を思い出したのは私だけではないだろう
色んなアニメの効果を合成してるけど、その仕方が上手い
むしろその元ネタの村上春樹テイストをどことなく感じる
ラノベ漫画アニメのセカイ系にもっとも影響をあたえたのが村上春樹と言われている
最終話の陽毬の傷は顔に一生残る傷なんだろうか?
332 :
メロンさんex@ご利用は紳士的に:2011/12/29(木) 06:22:21.15 ID:wC5bw0y30
続編期待できないのかな?
主役変わって世界観同じとかでもいいけど
>>331 一生残るかもしれないけど髪の生え際だから見えにくいかも
>>332 ウテナみたいなキャラ同じ・設定変更・テーマ同一の劇場版ならあるかも
>>125 檻(箱の中)のシーンって22話Cパート以前に
どこかで映ってた気がするんだけどあったかな? わかる人います?
この話って様々なモチーフを散りばめ、情報の隙間をつくる事によって、わざと色々な見かたができ、かつ色々な見え方になるようにつくられているんだよね。
だからなんだかモヤモヤする。
大筋(表向き)では愛とか家族がテーマなのかもしれないが、このモヤモヤ感が今の日本に漂っている閉塞感を表しているように思えて、「良く分からんが最後はハッピーエンド風で良かった」なんてノーテンキにしてていいのか?という電波を受信した。
>>336 "情報の隙間"と書いたが、これもメディアによる情報操作に感じる。
自分を含め、ヒトなんて「見たいモノを見たいようにしか見ない」生き物だから、そのようなヒトに対する挑戦的な作品だったのかも…
(見る=聴く=感じる=信じる)
>>337 だよねもそんなようなこと言ってたね
多蕗回あたりで
どこかで既出かもしれないけど、最終話で叔父さんの仕事が和菓子屋から工務店に変わってるのって、あの家に住むためだと思うんだ。
和菓子屋じゃあそこでは無理だから、当然陽鞠は引き取られてあの家から離れているだろうし。
もっとも、乗り換え後の世界では高倉に引き取られたということ自体がスキップされてるのだろうけど。
あの家はそれほど大切なものなのだろうな。それが物語内部での位置づけなのか、作画上の都合にすぎないのかはわからないけど。
>>340 家の前の招き猫が「福」に変わってるのを
見せたかったのでは
乗り換えで変わった風景として
皆のロジカルな綺麗な解釈に塗りつぶされて透明な存在になりそうです。
愛が呪いを封じる話で終わってますが
でも眞利は次の電車を待っている。
桃香は超越者として、今後世界にどう干渉するつもりなのか?
冠葉と晶馬は、呪いを超克しちゃったから、もう人ではないよね。
不思議ペンギンの住まうアタゴオル的世界にシフトチェンジしてしまった。決して力ではたどり着けない世界。
愛したものの記憶すら残させないなんてなあ。その方が優しいんだろうけど。
さんちゃんはそれではあんまりと思ったのかな。
陽鞠や苹果のように傷と火傷が残るような作品でした。
※ ラストが納得いかなかった人に向けての考察です
ラストが特に気にならない人は即あぼんでお願いします
1/3
「よくわからなかった」「途中の話いらなくない?」こんな感想が後を絶たない
これはこの作品のメインテーマを語り、最終決着に使用される重要なアイテムである
「ピングドラム」「乗り換えの呪文」についての説明不足どころか
明らかな矛盾があるため、物語の理解が不可能な構造にされているためではないだろうか
・呪文が「陽毬の大切な言葉」になっている
・乗り換えの罰を肩代わりできるという新設定
・乗り換えをした側であるにもかかわらず陽毬と苹果が記憶を失っている
・陽毬がピングドラムという言葉を知っていた
・ピングドラムを放置すれば家族の誰かが大いなる罰を受ける、といわれていたが
実際ピングドラムを手に入れても晶馬は罰を受けて消滅した、
・「失った!」といわれていたのに晶馬の胸からピングドラムが出た
・「持っている」はずの苹果はピングドラムを出さず呪文を唱える
・ピングドラムを説明する上で重要なエピソードであるはずの
檻について全く状況説明されない、など
最終話で示されたそれらの説明と、これまでのエピソードで語られた情報が
様々な点で矛盾していて繋がっていない
「ピングドラム」「乗り換えの呪文」はこの話を推進してきた「軸」で、
それらをめぐって今までキャラクターが様々なドラマを展開してきた
受け手はそのドラマを通じてこの物語が伝えたいことを
読み取ったり解釈したりするわけだから、
その最重要アイテムについての認識さえ受け手側で共有できず、
さらにキャラクターの迷走も相まって物語が崩壊してしまう
だから「わからない」人が続出したのは当然といえる
投げっぱなしというのはよくあることだが、
その場合でも最低限過去の話との整合性は崩さず、支障がないように終わるのが普通のやり方
しかしこの作品の最終話の場合、ちょっと考えれば分かるような杜撰な矛盾点が多すぎる
ここで一つの疑いが浮かび上がる
「制作者は意図的に"物語を崩壊させた"のではないか?」
>>337さん、貴方の感じ方は多分正しいと思う
つづく
※ ラストが納得いかなかった人に向けての考察です
ラストが特に気にならない人は即あぼんでお願いします
>>343のつづき
2/3
・最終話にちょっと考えれば分かるような杜撰な矛盾点が多すぎる
・多くの謎を残したまま終了
・序盤〜中盤にかけての物語展開で目指していたであろう方向と最終話の着地が繋がらない
・最終話があの幾原氏にしては別人のようにオーソドックス過ぎ、大人し過ぎる
・決着がARBのカバー曲で作ってきた雰囲気とあまりにベクトルが違いすぎる
・最終話にきて散々出したキーワード「生存戦略」を完全放棄
だとすればのあの最終話は本来意図されたものではない、と考えるのが自然ではないだろうか
おそらく大きな転換点は21話にある、この話以降
ストーリーは明らかにそれ以前とは異なる方向に大きく舵を切っている
あれだけ生き生きと動いていたキャラクターたちは動かされる駒になり
物語初期とは性格さえ変わってしまったような言動をはじめる
真砂子が前期OP風のポーズを取る、番宣のセリフ等、
本筋とはあまり関係のない、とってつけたような伏線回収が目立ち始める
では、この物語が本来指向していた決着とはどんなものだったのだろうか?
それを読み解くには幾原作品の特徴を知る必要がある
(と言ってもウテナしか見てないが)
[特徴1 身近な題材]
ウテナは身近な出来事を題材にしながらも、それを壮大なエンターテインメントで見せる、
という点で大きな評価を得ていた
世界の果て、絶対運命、革命、決闘などのキーワードを用いながらも
解釈してみれば実に身近で、視聴者の人生にささやかな示唆を与えるような作風
[特徴2 読み取ること]
映画や演劇とは異なり、アニメという表現では人物の複雑な心情や微妙な心の動きを
キャラクターの動きや表情だけでは十分伝えきれない、ということに自覚的であった
しかしキャラクターの心情や関係を長々とセリフで説明するようなことはせず、
人物設定をステロタイプに単純化することもせず
1枚の絵や少ないカットに意味を盛り込み、受け手側が「読み取る」ことを求めた
これによってテンポを崩さず、必要な情報を提示しつつ「読み取る」楽しみを提供していた
つづく
※ ラストが納得いかなかった人に向けての考察です
ラストが特に気にならない人は即あぼんでお願いします
>>344のつづき
3/3
ではこれらの特徴を持った幾原作品が、この物語の初期に目指したものは
一体どのようなものだったのか?20話以前の物語の流れから推測してみる
[この物語の命題]
「失われた子供たちの愛の救済」を、現実と非現実が曖昧に交錯する
ファンタジー的世界で、楽しく・ドラマティックに描く
[メインターゲット]
・オウム事件等を体験してきている世代("95"に反応する世代)=子育て世代
・人と接することに臆病な思春期の子供たち(アダルトサヴァイヴァーも含)
[物語読解・キャラクターの心理や状況の補足="読む"楽しさを教える]
・ペンギン小芝居
・小説の同時出版
・ペンギンマークで組織の体質やアイテムの出所を分かりやすく表示
・先の展開を想像させる謎めいた言葉・台詞
・宮沢賢治、村上春樹などのサブテキストの提示
[メッセージの方向性]
・「愛してる」と口に出して言うのは難しいこと、いきなり重すぎる愛はNG
だけど一緒に楽しく食事をしたり、手作りのちょっとしたプレゼントをするところから
始めてみてもいいのでは?そうして一歩ずつ人とのつながりを広げることが、
恋愛、結婚、子育て=人類の生存戦略に繋がる(ジョン・レノン"imagine"的)
・子育て放棄・虐待・オウム・酒鬼薔薇などの事件が起きるこの社会について
「所属と愛と承認」という視点で考えてみて欲しい、という受け手に対する投げかけ
これらの事から考えると、最初からある程度着地点に至る道筋は計算していて、
決して最初から崩壊させることは予定していなかったように思う
「物語を意図的に崩壊」させなくてはならなかった事情は分からない
スケジュールや予算の都合かも知れないし、何らかの圧力があったのかも知れない
あるいは単に広げすぎた風呂敷を畳み切れなかっただけかも知れない
だからこれだけ誰にも分かるように矛盾だらけなのは
「この話、意図的に壊してますよ」ということを
受け手側に読み取って欲しかった、と思わずにはいられない
※ 仮にそうだったとしても制作者は絶対認めないと思う、信用問題だし
自分的には物語が崩壊していて、しかも倫理的な問題を抱え、
誰にでも薦められる作品ではなくなってしまったけど、
やりたかったこと、言いたかったことは何となく伝わったし、
どうしても受け入れがたい部分もあるけど、決して全部を嫌いにはなれない作品で、
ボロかわいい高倉家や子供ブロイラーなんかこの作品がなかったら出会えなかったわけで
そういう「話は壊れてるけど割と好き」ってスタンスの人は結構居ると思う
壊れているってことを認めた上で楽しむのもアリでは?
縦読みですけど、ピングドラム・りんご・呪文
そういうのは目や耳でわかりやすいように具体化してるだけだとおもたよアバウトだけどさ
実際には気持ちなので、気持ちが消えてればピングドラムがないし
思い出したり生まれたりすればまた持ってる状態になる
気持ちを誰かに向けて何らかの形でぶつけることで乗り換えという結果が得られる
ユリは父ちゃんのこと覚えてるのに陽鞠は兄ちゃんのこと覚えていないというのは確かに
ちょっと腑に落ちないかも。
まあ乗り換え時に兄ちゃんたちがそう願ったからということで解決してもいいけど。
>>・乗り換えの罰を肩代わりできるという新設定
ピングドラムを輪すとは、愛も罪も分け合うこと
ピングドラムを見出すことが出来た晶馬は、物語を通じて出会った新たにつながりあえる相手=苹果の罪を分け合うことが出来るようになった、としても不思議ではない
>>・陽毬がピングドラムという言葉を知っていた
なにしろ帽子さまの宿主だからねえ、一応理由付けられないことはない
あと、陽毬が何にも知らないかわいい妹、って理解を俺がしてないから気にならないw
結構したたかよ彼女
>>・ピングドラムを放置すれば家族の誰かが大いなる罰を受ける、といわれていたが
>>実際ピングドラムを手に入れても晶馬は罰を受けて消滅した、
自ら進んで受ける罰は罰なのかという気はするがそれはさておき
「罰を受ける」とは世界に何も残せず、世界の風景から消え去ること
晶馬は何も残せなかったのか?これまでの考察から言えば否でしょう
>>・「失った!」といわれていたのに晶馬の胸からピングドラムが出た
12話時点の晶馬がこの物語中でどんな状態だったかといえば、
テロ加害者の家族として世間の悪意にさらされてきたことにより、世界とのつながりを信じられずにいた(サネトシのいう「箱」にこもった状態)
ピングドラムは輪ることによって初めてピングドラム(分け与えるべき運命の果実)となるので、それが出来ない当時の晶馬は「ピングドラムを失っ」ているといえる
>>・「持っている」はずの苹果はピングドラムを出さず呪文を唱える
「荻野目苹果が持っている……多分な」
それにそれこそ苹果がピングドラムについて何か知ってたっけって話だ
>>・最終話にきて散々出したキーワード「生存戦略」を完全放棄
さすがにこれはない、愛も罪も分け合うことでこの世界でもつながって生きていける、それが私たちの生存戦略ってことだろ
帽子様のしゃべっていたことは半分以上ブラフ
眞悧が冠葉をそそのかしたように
おそらく桃果も直接的に干渉する方法がなかったから
>最終話にきて散々出したキーワード「生存戦略」を完全放棄
これの意味がわからん。もうちょっと日本語を・・・・
・呪文が「陽毬の大切な言葉」になっている
これは苹果が運命の乗り換えで救いたい対象が陽毬だから
>>345 幾原は初見だったので、特徴解説参考になりました。
シュレーディンガーの猫の話があったけど、心情や条件付け(観測)をして初めて話に筋がつく(状態が収束する)ところは量子力学の「重なり合った状態」みたいだとちょっとニヤリとしていたけど、物語としては崩壊してるといっていいのかもしれませんね。
以下ただの仮定で遊びです。
もし全てがミスリードだったら…とても陰謀めいて血生臭い話になる、か?
気になった16年前の事件:
[12話 剣山 あの日]霞ヶ関前で車から降りて歩いてるだけ。
[12話 多蕗 16年前]地下鉄事故アナウンスと煙。
[13話 晶馬 三年前]正体不明の男女登場、おじさんから電話(ケーサツ)
[13話 晶馬 三年前]おじさんから電話(テレビ)、中継←容疑者宅(自宅)
[20話 ピングフォース・アウト 決行前日]世界を炎で浄化する(演説)
[20話 晶馬 10年前]浄化継続意志表明(演説)
[23話 サネトシ 16年前]ピングフォース車中に黒熊入りの箱、ピングフォースメンバーの後に黒熊
さて、剣山・ピングフォースのテロ風味はこれくらいかな。純粋にこれだけの情報でピングフォースがテロル実行したといえるだろうか?いえないよね。すると冤罪か?となるんだよね。
陽毬をかばってチエミの顔についたらしい傷を思い出してさ
お姫様のように守られてきた陽毬ちゃんの顔に傷が残った
良いとか悪いとかじゃなくて、何かすごいことのように感じた
>>352 気になる事つづき
爆発する黒熊は誰のもの?…黒熊の左手に何か模様が付いている。桃果の左手首には多蕗救出時の火傷痕があるはずだけど?
陽毬とカレーのリンゴちゃん…桃果サネトシ空間から退場→玄関シルエットが桃果に見える。リンゴちゃんの左手首に火傷痕のようなもの。会話が三兄妹団欒の時のようだ。誰?
>>354 まとめてて思ったのだが、良く探せば情報揃うのか?
ミステリー?
>>354 下段について
>>玄関シルエットが桃果に見える。
苹果と桃果の髪型そっくりなんで、多分気にしすぎ
>>リンゴちゃんの左手首に火傷痕のようなもの。
運命乗換えが夢ではなかったことを視聴者に認識させる効果
陽毬のおでこの傷と同じようなもの
>>会話が三兄妹団欒の時のようだ。
単純に考えれば、ふたりが幸せな日常を送っていることを、崩壊前の高倉家の会話をトレースすることで表現
もうちょっと考えれば、そのような会話が成り立つほどふたりがつながっていることの示唆
>>355 伊神さんはミステリー畑の人
1クール目とか「意外とみんな気付かないもんなんだなあ」と思っていたらしい>>アニメージュ誌インタビュー
>>357 既出だったのですか、ありがとうございます。
お恥ずかしい…
論うピングドラム
そろそろ考察自体が無駄なアニメと気付けよw
確かにイクニ自身もあまり考えないで作った言ったくらいだからなぁ
左手の傷か‥
ネットで拾ったヌード画像のモデルにリスカの痕があってドン引きしたのを思い出した
自傷に限らず、傷跡を持つ人にも何かの救いをもたらす内容なのかもしれんなぁ
あー、確かに
傷付き多いしその可能性は捨てきれないかな
思い出したといえば、サネトシ軍vs桃果軍のスターウォーズ風DNA戦争の設定を思い出した
>>362 何かを失ってしまった人に向けての作品だと思う
登場人物のほとんどがコミュニティの崩壊を経験してる
高倉兄妹と多蕗&ゆりに至っては、作中で新たに作った擬似家族が一度ぶっ壊れるという念の入れ様
そこからの話なんだろうなあと思う
やっぱり震災後の物語的な感じあるよねこれ
>>364 感覚的に伝わってこない人は基本幸せで恵まれてるのかもと言う気はした。
ロジカルじゃないから物語が破綻と言う見解についてはそれはなんか違う気がしてる。むしろロジカル如きでたまるか?と言う気概を感じる。
>>365 破綻していると"感じるか否か"は各々の感性で良いと思うのです
>>364 2001、2008に世界で何が起こったか確認してみたら、何と表現していいかわからない…
キーワードはやっぱりイマジンなのかな
あ、2001といえば宇宙の旅でしたね
本当に破綻した作品は、一応の説明すらつけられない
それにしても、ピングドラムが高倉兄妹だけのものだって考えている人って結構多いみたいね
ピングドラムを意識的に追い求めてきたのは彼らだけだから、彼らをつなぐものとして現出するんだけど
桃果が「あなたたちの」ピングドラムって言ってたのは無視してるのかなあ
>>274 主張なきプロパガンダという感じだな。
感情だけが共鳴するという。俺はなんかキモく感じる。
感動ねぇ、俺は最後のサネトシの態度で逆に気持ち悪くなった
世界の果てと同じような構造のメタファーで、同じように世界の狭間に幽閉されて終わり
そのくせ今度はそれを面白がってるからな
愛を描いてる監督自身が、果てや歪みのメタファーのように振舞いたいのかよ、と
>>307 「サネトシが関わった描写のある部分全て」の始まりは、9話「氷の世界」で描写されてるように、ヒマリが死んだ後からだよね。
そうすると、ヒマリが犠牲になることそのものは、サネトシの「呪い」ではないんじゃはないか?
俺は、ヒマリ病気から回復させるためにプリクリ帽子をヒマリにかぶせたところから、サネトシの「呪い」は始まっていると思う。
>>274 砕けたガラスの中を傷つきながら進む陽毬と晶馬は
現実世界を生きていくなかで負わざるを得ない痛みの暗喩
冠葉から噴き出す血は
冠葉が陽毬のために払ってきた、冠葉自身が陽毬に届いたと実感できていない犠牲の暗喩
剣山や千恵美が冠葉や陽毬を庇って「ガラスで怪我をする」ことや
「生きることは罰」と語る陽毬
18話で冠葉が陽毬を助けようとして流す血が、最終回と同じようにペンギンマークにかわるという共通点
「俺はまだ何も与えられていない」というセリフ
最終回ではペンギンマークが林檎に変わる(受け入れられて果実となる)
読み解く材料はこれくらいあるしとても無意味とは言えないと思うが
最後冠葉も夏芽兄弟も苹果も陽毬も幸せに暮らしてる世界に乗り換えて
代償に晶馬だけ消滅、ショタ晶馬と桃果が一緒にどこかへ歩いて行くって感じのがしっくりきたなあ
ショウマだけだと分け合ってないじゃん。
妄想垂れ流していきます。他人の意見を否定する気はありません。
・桃果×サネトシの描かれ方
少女×成人男性として対照的にしつつ、下記ギャップを効果的にする
・桃果のイメージ
イワトビペンギン…強者、利己的遺伝子の象徴
・サネトシのイメージ
アルビノのウサギ…弱者、利他的遺伝子の象徴
・ピングドラムとは?
運命
・なぜこのようなアニメに?
登場キャラの台詞に混じってる
"雰囲気アニメ"、"考察自体が無駄"というのはある意味的確な表現だと思う
色々質問があります・・みんなの意見をどうしても聞いてみたい
プリクリ様に関する質問
1プリクリ様とは誰だったのか?数々の指令の狙いと発言の意図はなんだったのか?
2最終回では既に燃え尽きていたあの日記にとくに拘っていた理由は?例えば、全てを知っているので兄弟を正しい方向に誘導するためとか
3プリクリ様は桃果?陽毬?その根拠はなんだろう
桃果に関する質問
1桃果の日記内容は単に桃果が改変を決断する前に夢見ていた、あったはずの未来を羅列したものなのか?
2桃果はどんな想いを込めて、なぜ、あのような報われない未来日記を苹果に遺したのか?もしや多蕗と百合への愛の予言?だが挿絵はきちんと多蕗と桃果らしき人物が描かれていたが・・
3眞悧と同様にこの世の全てが見えていたらしい桃果(その力でテロを阻止しようとしたので少なくともテロ時には保持していた能力)がプリクリ様だった場合、彼女の生前の願い(日記を書いた時点)と死後の願い(プリクリ様期)は一緒?
黒歴史ともいえる、希望に溢れた自身の日記がピンドラ世界でどんな意味を持つツールなのかわかっていたのか
4眞悧と一緒にいるときの桃果のスタンスは?最後は転生を匂わせる去り方をしたがそれではその以前はどのような瞳で生者達を見つめていたのか?全ての結末は桃果嬢の”計画通り”?
妄想垂れ流したらぴったりなイメージが浮かんだ
マルチエンディングのアドベンチャーゲーム
>>375 プリクリ様について
1.桃果がサネトシによって呪いの中に閉じ込められ、ふたつに分割されたのがペンギン帽
陽毬がそのペンギン帽をかぶると、プリクリ様に変身する
プリクリ様=桃果なのか、陽毬の深層意識と桃果の意志がスパークした結果かは考察中
個人的には、プリクリ様の衣装とダブルHの衣装の類似性から見て、陽毬にただの宿主以上の意味はないとするのは早計ではないかと考える
プリクリ様の目的は、サネトシの計画を止めること
ペンギン帽は、サネトシから陽毬に与えられたものであり(9話)、その目的は運命が人の人生を決定しているのか、ピングドラムは本当にあるのかを知ること(13話)
その方策として、サネトシは16年前の続きをしようとしている
つまりこれはサネトシから仕掛けたゲーム
個別の指令については、眠いのでまた今度
2.最終回でプリクリ様が日記にこだわっていた描写は確認できず
3.1に同じ
桃果については眠いのでまた今度考えてみる
あと
>>371追記
確認したら流す血はいずれもペンギンマークで、その後全て林檎に変わっている=日々の痛みも果実として分け合う意味も含むのでは
>>374 >・ピングドラムとは?
>運命
ちゃんと「運命の果実」って言ってるしね。
ここだけ理解してれば他の考察なんてどうでもいいと思う。
ピンドラとは?って聞かれたら「運命の物語」って俺は答える。
379 :
メロンさんex@ご利用は紳士的に:2011/12/30(金) 02:37:45.59 ID:MP++bGtU0
ピングドラムは運命と愛両方を表してると思った。果実が愛。
どちらか片方だと考えるからややこしくなるんじゃないかな。
りんごがピングドラムを持っているというのは運命を信じ、人を愛する心を持っていることかな。
>>379 それが正確な答えかもね。
俺は「運命」を重視してるから
>>378のように答えたけど。
苹果についてはそのとおりだと思う。
苹果がなぜ運命の果実であるリンゴの名を冠してるかはこの話を読み解く重要なヒント。
AVGで結構スッキリしてたんだけど、実はメディア・リテラシーってこと?
382 :
メロンさんex@ご利用は紳士的に:2011/12/30(金) 03:09:07.64 ID:MP++bGtU0
>>380
同じ感覚の人がいてよかったわ。ありがとう。
運命と愛で混乱してる人が多いのかもなあ
383 :
>>375:2011/12/30(金) 03:13:04.36 ID:B6YhO0c70
>>377 どうもありがとう、
ピンドラは”眞悧側攻プリクリ側守”の世界。つまりプリクリ様は全ての可能性を知った上で、単に高倉が眞悧理論にやられない道を探って暗に伝えるガイド(幼少桃果が彼らの運命学の先生になったようなもの)なんだと思うとしっくりくることが確かに多い
特に生存戦略というコールだけど、この世を生き抜く為にDNAに組み込まれた動物的サバイバルを喚起するコールではなく眞悧側に飲み込まれない学習をさせるためのコールだと考え結末を思い返すとわかりやすいかも
「運命が人の人生を決定しているのか」・・・結局人にはどうすることもできない理不尽な出来事ばかりだがそれでも冠葉晶馬が呪いに抗ってぬいぐるみの中に紙を遺したから、この決着はどちらともとれる?
2.は”最終回では既に燃え尽きていた”を”あの日記”に形容させたつもりだった。完全にミスです!
苹果がピングドラムへの鍵だとしても、やっぱり前半での日記のあの存在感が妙で。
家で仕事中もモヤモヤがとれないくらいで、勢い余って質問してしまったから色々と至らない部分があるかもしれない・・スマン
それから桃果に関する質問3で書いたこの世の全て〜だけど、眞悧と彼女は苦しんでいる人々の声が聞こえるんだったね
質問内容にさして影響はないけど重要だからこれも訂正しておきます
>>379 面白いし同意
眞悧の予想に反して冠葉晶馬が妹へ「大好き」と遺す事ができたのも、広い意味で言えば彼女(林檎)の運命観と愛のおかげととれるかもしれない
苹果が晶馬に縁があったのもこう考えれば納得できる
この話はりんごの2話と、そしてラストの運命ポエムがすべてなんだよね。
あれ見れば半分理解したのと同じ。
他にもポエム用意してるのはカムフラージュとかミスリードのためかと思ったけど
よく考えると冠葉とショーマのポエムが問いになってて、りんごのポエムがその答えになってる。
ホントによく考えて作ってある。
すまん。なんか断定的な書き方になってしまった。
もちろん、
>>385は個人の一解釈にすぎない。
これが正解なんて言うつもりはない。
ただ、確信みたいなものはあるけど。
一つの答えに収斂させようとするのは監督の意に反するのであまりしたくないな
監督が作品についてのコメントを控えてるのも多様な解釈を尊重したいからだし
関西最速で視聴した人が、異様な勢いで読み解きまくってその日のうちに記事アップしてるのとか読むと、もはや畏怖の念が湧いてくる
>>387 もちろん。それぞれ自分なりに解釈して納得すればそれでいいと思う。
>>388 その記事はどこで読めるの?よかったら教えて。
>>389 2ちゃんに晒されることを嫌がる人のほうが多いと思うからねえ
俺が読んだのははてな界隈の現役の画家さんが書いてた感想だった
考察とはちょっと違ったけど、初見であれだけの感想書くのか〜って思った
>>187 興味深い考察だけど、そうなるとこの作品はもはや「物語」とは言えないのではないかという気すらしてくる。
世界の断片を拾い集めるようなベンヤミン的手法というか…しかし、それはまさに「作品の欠陥」と紙一重だよね。ピンドラはどうだったかというと…微妙かなあ
作品の大筋とかテーマ的なものをつかみたいだけなら、苹果ちゃんを最初から最後まで追っていけばオッケー
いや、マジで
393 :
メロンさんex@ご利用は紳士的に:2011/12/30(金) 13:02:49.20 ID:kHZzPC3Z0
> 監督が作品についてのコメントを控えてるのも多様な解釈を尊重したいからだし
そりゃあ控えるだろ。
何か言えばそれが設定になる。
当然矛盾も作画ミスも認めた事になる。
つくづくチキンだねぇ、この監督は。
日記の呪文について考えてみた
これ、「日記がアイテム」という凶悪なミスリードに引っかかってる人が多いと思うんだけど
桃果がゆりに語ったところによると、「日記に書かれた呪文を唱えて、神様にお願いする」ことで乗換えが起きる
ここで重点が置かれているのはあくまで呪文で、日記ではない
だから、最後に苹果が唱えた呪文が「陽毬の運命の言葉」、つまり乗り換え対象にとって大切な言葉という解釈が生まれる
そこで、じゃあなんで日記が話に絡むんだよ、呪文って書き換わったりするのかよメチャクチャじゃん、という疑問が出てくる
大事なのは、「日記に書かれた」ってところなんだよ
日記を書くのは誰だ?日記の持ち主だ
日記には何を書く?その日にあったこと……体験……出会い
そして、「出会いによって世界の風景が変わる」ことは作中で繰り返し語られている
つまり、あの日記に書き記されていることは、桃果が出会った人たち、見てきた風景、出会いによって世界の風景が変わった瞬間なんだよ
桃果が出会った人たちや、おそらくは桃果自身の世界の風景が変わった、運命の分岐点を象徴する言葉こそが呪文
そして日記はそれを記した記録なんだ
だからこそ、桃果は地下鉄テロを防げなかった
桃果の日記に記されている記録だけでは限界があるからね
これは、不特定多数の救済をひとりの命で背負うことの不可能性を示す暗喩でもあるんじゃないかな
>>394追記
だから、日記を燃やして勝った気分でいたサネトシにしてみたら、桃果に一杯食わされた感があると思うよ
「……マジで?」は心からの呟きだろうね
うん、作品のテーマとは別に、桃果とサネトシのマインドゲーム的な側面もありそうだ
共同脚本の伊神さんがミステリー作家であることを考えれば、これの解釈は結構妥当なラインじゃないか?
マインドゲームってなんか意味取り違えてるかな俺
まあ要するに知恵比べってことw
>>394 > つまり、あの日記に書き記されていることは、桃果が出会った人たち、見てきた風景、出会いによって世界の風景が変わった瞬間なんだよ
> 桃果が出会った人たちや、おそらくは桃果自身の世界の風景が変わった、運命の分岐点を象徴する言葉こそが呪文
> そして日記はそれを記した記録なんだ
プロジェクトM=マタニティってくだりは、その解釈では無理があると思われ
モモカが誰かの妊娠や出産を(比喩的なものも含め)見たり立ち会ったりしたとでも?
>>397 母親が妹妊娠してんだろw
その妹にそっけなさすぎたのは微妙だったな
自分のコピーとしてしか思ってないのか
桃果にとって日記に記した膨大な妄想が愛の呪文で
超早口で読んでたけど長えよ聞いてられねえよで眞悧シール
って顛末だったとしても別に矛盾は無いのかな
>>398 5話のアレなら「駄目だこいつ…はやくなんとかしないと」的なアレだと思ってるw
※398
普通じゃない?
高倉兄弟みたく「兄弟じゃないといけない」のならともかく
実際の姉妹なんだし、むしろ近づき過ぎない距離感に姉妹愛を感じる
プリクリさまの言いようは、妹を(わざと)罵る姉だと思えば微笑ましいw
>>400 あー、いいですね。
子供のやることだから、電車ん中で魔法少女になったつもりペラペラやってて、「うるさい」ペッタン!
→地盤崩壊→電事故→多蕗「桃果ちゃん!」
みんなナイーブだからゲームだとかメディア・リテラシーとかは気に入らかったみたいだね。
「ベンジャミン的手法」がどのようなことを指しているかはわからないが、「断片を拾い集める」に似た行為は無意識にみんなやっているよね。それが断片と感じるほど小さくはないかもしれないけど。
ほとんどの人が自分勝手に情報の取捨選択をし、足りない部分を補完して、自分の望む納得のできる方向へ解釈をねじまげる。
まあモノの見方なんてそれでいいとは思ってるけど。
このアニメの登場人物ってみんな思い込み激しいよね。それを見ている方も思い込みがあって、それで不思議空間が出来上がってるんだな。演出や思わせ振りな台詞が助長してるのね。
>>404 うーん・・
”取捨選択をし、足りない部分を補完して、納得のできる方向へ解釈する作業”を馬鹿にしたら、世界中の創作物が重宝される意味がなくなってしまう。美術品や書籍がこの世に存在する意義がなくなってしまう。
作者が他人に作品を提供する限り、一二三といった数字や文字を概念として使う限り、人がテレパシーかなにかで完全なコミュニケーションが可能になるまでは、この作業は省略できないじゃないか。
自分の望むだとかねじまげるだとか穿った形容をするのもいいかもしれないけれど、この受容作業こそ人の人たる証じゃないかな。”ほとんどの人”なんかじゃなくあなたもこれを介さないと絵本すら読めないはず。
思い込み、・・・というか人は自分の脳を介さないと他人を認識できないから他人と心から愛し合うのは難しい。だからこそDear Futureみたいな曲がEDで使われるアニメが生まれたのかもしれない。
もちろんこれとは別のトピックとして、
2ちゃんとかTwitterは発言の敷居が低いから、考えが飛躍したり妄想力逞しい人が多いように見えたり、心象を行動に曝け出すよう演劇的にデフォルメされた登場人物が思い込みが激しく見えるのは事実だろうけどさ。
プリクリ様の主人格は桃果って考えるのが多数派意見なんだな
桃果の人物像に興味が湧いてきて後半見返したがそれぞれの中にそれぞれの桃果がいて、ディオスみたいだ
結局プリクリ様が日記を探させたのはリンゴと晶馬を逢わせるためだったって事でいいんだよな?
リンゴとタブキがファイト一発しててもピングドラムは手には入ったのだろうか
>>406 帽子様の主人格については、監督が語るまでは視聴者の想像にお任せします、
で良いかもと思う。
個人的には桃果のS部分と素の陽毬との相性が良く、
マリオさんは桃果の優しいお姉ちゃんな側面と相性が良いように思う。
>>407 そう思う
でもプリクリの中には陽毬も入ってると思う
見てみぬふりをして冠ちゃんから奪ってしまったものをお返しします
ってことはすこしは感じていたのではないか…プリクリ状態の時に
>>405 創作物は全て等しく意味があり、全て等しく意味がない。
美術品、書籍の存在意義も同様。
自分勝手にねじまげるのが問題だと思われ
そもそも、ヒトは
「見たいモノしか見ない」
「見たいようにしか見えない」
と思っています。あなたのいう"脳を介す"作業が必要だからですね。もちろん自分にも脳はある(たぶん)ので自分も含めてということです。これは「取捨選択と補完」と等価ですよね。
つまり「そう捉えたならそれでいい」と思っているのです。それ以上でもそれ以下でもなく。
創作物の意味もそう、有ると思われれば発生し、無いと思われたら無くなるのです。"選ばれなければ死"ですかね。
妄想炸裂大歓迎ですが?
ここの解釈なんてそれこそ全て妄想でしょ?
んー、"せっかく出たサンちゃんの鉢植えの芽を摘まないで"って感じかな。
じゃあ考察スレになんてくるなよ
常に主観評価じゃ考察にならないのでは?
愚痴スレにもこのIDいてうざがられてたじゃん。
何したいのこの人。
とりあえずNG突っ込んどいた
NGにしている人もいるのに突っ込んでごめん。ちょっと考えてみたい。
>>405だけど、
>>410 がピンドラにこんな風に触発させたことが不思議で面白いんだ。言ってる事もある種もっともだし。
ただ・・・
「有ると思われれば発生し、無いと思われたら無くなる。つまり認識されていなければ存在の証明ができない」というのは基本的で完璧な哲学であると同時に、現代人の常識。透明な存在心理にも通ずる。
しかし逆に、ここまでジェネラルな意見に落ち着いてしまったら、正直どんな映像の考察スレにもコピペできると思わないか。
ピンドラは、この透明な存在心理をしつこいくらい取り上げた後に、あえて運命の輪を繋ぐというラストを組み込んだんだ。
監督は一度は子供が感じる”結局人は何者にもなれない”、”幾ら足掻いてもなるようにしかならない;選ばれなければ死”、という普遍的な失望の先の選択をあえて描いた。希望も残した。愛の物語・・だからかな。
かなり過大解釈になってしまい自分でも怖いが、もしかしたら監督は世界をパーソナルに受け止めたかったのかも。または世界はそうでなければならないというルールにあたたかな血を通わせたかったのかも。
そしてここからは蛇足覚悟だが、ID:Vs1d7PCZ0の自分勝手にねじまげるの定義に疑問がある。
話題の反復+基本哲学返しになるけど、完璧エスパー超人がこの世にいない限り、ID:Vs1d7PCZ0の言う”自分勝手にねじまげる”要素は多かれ少なかれ”捉える”内に存在し、・・・そのねじまげ裁量は他の主観でしか裁けない。
彼/彼女のいう自分勝手なくらいのねじまげが、他者にとっては全くねじまげているようには見えないかもしれない。
逆に彼/彼女が純粋に捉えたはずのものが他者にとっては全く以てねじまげているようにしか見えないかもしれない。
個人が個人を超えられないかぎり、「自分勝手にねじまげるのが問題だと思われ 」とバードアイで観ているフリには限度がある。結局好き嫌いの範疇にすぎないじゃないか。
考えたんだが、この疑問は実は自分が桃果を観ているときに感じる違和感とも似ている。完璧に魅力的なはずの桃果を、視聴者が完璧に思えないのはこの違和感が原因だろうな。
人は常に選ばれない側の人間に立つ恐怖を拭えないから、運悪くヒーローに助けられなかった場合を考えてしまう。桃果がリスクを顧みず果敢にトライする姿に感動しつつも、それが時にとんでもない逆効果になることがあるのを知っている。
でも桃果は人物としてみるより、思想や概念として観た方が良いのかな。人生としては未熟に見えても、生き様は確立されていたから。
>>410より自分がスレチダヨネ。過去スレで挙った考察に似てきてしまっている上に纏まってすらいないからもうやめるし、皆(ID:Vs1d7PCZ00含む) にはチラ裏失礼した。すまない。もうしません・・・。
やっぱり1月27日(下巻発売日)まで自分には新鮮な考察は難しいな・・・。
ああいえばこういう、屁理屈思考に陥ってしまう。
出来るだけはやく手にするには尼は逆効果だったよね?
上中をフラゲした人たちに訊きたいんだが、都内で一番幻冬舎ピンドラの発売がはやい場所って神保町?
BS11だからやっと見れた。このスレひととおり読んだんだけど、
•サネトシの呪いって何?
•この作品における運命の定義って何?•
>>63の乗り換えに必要な林檎ってどういう意味?
•ピングドラムはみんなに備わってるけど、愛し愛され繋がることで発現するものってこと?
もしそうなら抜き取るとか返すっておかしくない?分け与えるならわかるけど
眞悧の呪いに関しては、23話全体で描かれていたのを観かえせばわかると思う
眞悧の呪いというよりは、眞悧が呪い
二つに分かれた林檎
二つに分かれた帽子と兎
二つに裂かれた日記
冠葉と晶馬 冠葉と真砂子 陽鞠とマリオ 陽鞠と真砂子
桃果とサネトシ サネトシとプリクリ タロとジロ
存在や立場が対になるようなものが大量に配置されてるのに
特に意味を成してない理由が分からない
幾つかは世界の二面性ってことだろうけども
415
でも蛇足には同感したよ
やはり好まれないようですね。お年玉を置いてサルことにします。
八木山 印象操作
みんな結局自分の見たいものしか見ないし、それを真実だと思い込む。
そういうニセモノの真実を超えた本当の真実があると、
この作品は訴えてるような気がするんだけど
それは頭ではなく、心、あるいは魂に訴えるしかないんだと思う。
そういう意味においてはこの作品は成功してると思う。
謎の感動とか、わけがわからないけど泣いたとかよく聞くけど
それってイクニさんにとっては最高の褒め言葉だと思う。
>>406 プリクリは桃果より陽毬要素のが強いと思う
ロールキャベツ作ってる陽毬のセリフはプリクリそのもの
衣装もトリプルHとしての陽毬の姿がベース
晶馬が「汚い言葉を使うな」と口うるさい、これプリクリ時含んでる
プリクリは16年前のこと(桃果の記憶)を理解した陽毬の別人格…とか
少なくとも最終回ではプリクリと陽毬は一体化してる
>>422 >>410です、入ってなかった。
#愚痴スレなんて知らないいよ
ピング・ドラムはピングフォース社のテディ・ドラム(黒)。
ピングループのテディ・ドラムは白。
桃果が欲しいのは黒だったけど今はもう無いのです。
それは16年前流行った魔法少女アニメのお付きのキャラ。街で大人気。サネトシを見つけて今週の呪文を唱えるとシールが貰え、お店でテディと交換できます。
ヒロインの決め台詞は「生存戦略!」
ゴメンもういいや
KIGA APPLEはすべてダミー説
陽毬が晶馬に返したのは林檎ではなくマフラー
檻の中で冠葉が見つけた林檎はなんのシールもない。これだけが本物
ダミー説で時系列を並べると
(1)陽毬と晶馬が出会う。選んでくれてありがとう
(2)冠葉が真砂子たちを帰す。この自己犠牲によるご褒美が檻の中の林檎
(3)晶馬と冠葉が檻の中で出会う。晶馬の「選ばれたんだ」という言い方は
陽毬の「選ばれないことは死ぬこと」を受けたものとも取れる
檻の中の晶馬と冠葉は(陽毬と真砂子を)救った者同士であると同時に
まだ救われていない者同士。ここがこの作品の独特なところで
救う者・救われる者は対立的な関係で描かれてる
救われた者は離脱、救った者は残る。椅子取りゲームのような状態
林檎を受け取って晶馬が救われる側になったが最終回で返して解消した
返した時点で二人は檻の中の関係に立ち戻った
この作品では救う側は代償を払う、救われる側は払わない、で峻別される
この代償を誰かに移したら救いの主体がどっちか不明になり台無しになる
だから桃果はゆりに日記に近づいてはダメ(罰が移ってはダメ)と言った
桃果はゆりに対する犠牲と多蕗を選ぶことで一人二役やってる
こっちは二人一役で晶馬と冠葉を足せば桃果の性能と一致する
なので晶馬と冠葉が救う・救われる関係でなく二人同時に救う主体になること
二人協同で実行することで世界を救う者=桃果を再現する
あとは苹果の呪文を足せば桃果のいない世界でも桃果の仕事が完成する
・ピングドラムを失った=「10年前のこと」を忘れてる
・たくさんの丸い林檎が宙に浮くエンディング。最終回では
半球の林檎だけがついに上空の手に届く=ピングドラムを手に入れた
晶馬が赤い球を胸から取り出すと周囲にある林檎は一面赤に飲まれて消える
丸い林檎もダミー
ピングドラムとは一般概念でなく「10年前半分に分け合った林檎」を特定して指す
とすれば半球の形状が重要なわけだから、監督が物品だと言ったのもうなずける
最後の陽毬のセリフ「忘れないよ」は乗り換え前乗り換え後両方に通じる言葉
乗り換え後の兄弟の子供姿は(3)の時点。(1)(2)が残存しても筋は通る
・ピングドラムを手に入れた=「10年前に分け合ったこと」を忘れない
>>343を消化したつもり
陽毬と苹果が乗り換え後の世界で記憶を失っているということをなんとなくみんな前提として考えているが
陽毬はともかく、苹果に関しては明確な描写は一切ないからな
え?
電車の中ではじめて出会ったって設定じゃないの?
りんごが覚えてたらひまりに話すだろうし。
電車の中で初めて出会ったというのは「記憶を失った」陽毬の言葉です
苹果が覚えていたら陽毬にすべて話したかと言えば、そうとは限らないでしょ
わざわざそんなヘビーな話を聞かせることはしないってのも選択肢のひとつ
つまり、苹果が記憶を失っているか保持しているかは、現時点では視聴者が推測するしかない
まぁ、そう言われりゃそうだけど
妥当性に欠けるというか不自然というか・・・
やっぱり俺は二人とも記憶を失くしてるとしか思えない。
でもりんごがもし覚えてたとしたらかなり残酷だよね。
苹果が覚えてる説は残酷だなぁ
小説2巻の冒頭の語りが晶馬だとしたら覚えてない気もするけど
あくまで可能性ってことでひとつ
記憶ありだとしてもテーマ性は保持されると思うし後は解釈次第
>>433 そうだね。
どっちにしてもテーマ性は保持されると俺も思う。
>>424 冠葉を押し倒してたプリクリにも
ちょっとは陽毬意識が入ってたら冠葉も報われるだろうなw
苹果が晶馬を覚えている可能性についてはこんな風に考えていた。
蠍の炎
乗り換え後一緒にいる陽毬苹果は、温泉卓球中苹果に多蕗と結婚した理由を問われたゆりの
「私たちは、運命の輪で繋がれているの。だから、一緒にいるのよ」という台詞と重なる。
そしてそれぞれが日記:蠍の炎で桃果に救われた多蕗とゆりは桃果のことを確かに覚えている。
蠍の炎関連で晶馬を救い救われた苹果は、燃え去った晶馬のことを必ず覚えているはずだ。
ピングドラム
ではなぜ同じように取り残された陽毬の記憶がないことが確定している?
記憶消失の原因になり得るのが、幼いときに冠葉から晶馬に贈呈されたピングドラム(晶馬曰く「僕にくれた命」)の返還。これは桃果のような前例掲示がない。
・・陽毬が唯一の光だと信じる冠葉の運命の果実半個贈呈によって愛された記憶を手に入れた晶馬、のマフラーに救われた(順不同)陽毬。
ピングドラムという高倉兄妹をつなぎ止めていた物の返還によって、陽毬から呪いと兄達が同時に失われた(記憶消失)。
彼女を挟んだこの返還によって、冠葉に救われたはずの晶馬という存在も苹果の記憶から消えてしまうかもしれない。この、消えてしまう晶馬には2パターンが考えられる。
1.贈呈時から今までの晶馬が消えてしまったまたは晶馬という存在自体が歴史からいなくなった(だから乗り換え後の冠葉晶馬は林檎贈呈時の容姿)なら、苹果は晶馬を覚えていない。
2.逆に返還時の晶馬が消えてしまったか晶馬という存在は消えてすらいない(乗り換え後の冠葉晶馬の幼い容姿は返還時の半分の年齢、つまり16÷2ということ。+ご褒美の林檎は転生かなにか。)なら、苹果は晶馬を覚えている。
勿論1.と2.どちらでも、冠葉晶馬が罪の責任を取る限り陽毬の呪い(罰=難病)が解ける事に変わりはない。
しかし・・そもそもピングドラム返還とは、そういうものなのか?晶馬はピングドラム返還後、本当に苹果の記憶からさえも消えてしまうもなのか?
演出上では返還後冠葉が徐々に透明なガラスになり碎け散った時晶馬は健在だった。
陽毬が一度息絶え→冠葉が碎け散り→陽毬が息を吹き返す間、晶馬は普通の姿のまま、詠唱後の苹果を蠍の炎から庇い、そこで桃果と同じように、蠍の炎と共にこの世から消え去っただけだ。
よってピングドラムは運命の輪で繋がれた苹果の記憶を消したりはしない。苹果は晶馬を覚えている可能性がある。
エピローグについて
陽毬から同時に呪いと兄達が同時に失われたとはいえ、独白にあるように彼女に愛された記憶は残っている。
一度愛された子供は他を愛することが出来ると桃果残留組の多蕗ゆりが言っていたので、彼女達にも明るい未来が暗示されている。
あとは個人的には乗り換え後にもちゃんと苹果がリンゴカレーのレシピを陽毬へ教えた事と、彼女もダブルHのファンになったことがちょっと気になる。
最終回含めて数話と考察サイトのまとめしか見てない新規ですが
ちょっと聞きたいことがあってもいいですか?
最終回のひまりは既に冠葉からりんごもらってるのに
なんで乗り換え呪文発動する必要があるんですか?
自分的には運命は変えても運命(生命力)が足りないと結局死ぬから
一応りんごも必要って思ってるんですけどこれで合ってる?
あと冠葉が消えたのはひまりを救うために兄弟二人分のりんごが必要だからってこと?
【自分のピングドラムを手に入れたい人へ】
このアニメに違和感を覚えていなければ、既に子供ブロイラーにドップリ状態です。
違和感の正体に気付いてくれればいいのだが…いや勘違いだと笑い飛ばして欲しい
クソッ、大晦日になって気付くなんて、なんてこった!
みんながそんなに子供だったとは気付いてなかったよ。
てっきり冗談でじゃれてるだけだと思った。
もうほっとこうと思ったけど、もし本気だと思うとあまりにも憐れで、剣山・サネトシ・幾原氏の気持ちが…こんな気持ちで新年迎えられないし、アーッ、モーッ!
ホントに気付いてない人は次の単語を検索してみること。意味が分からない人はお父さんかお母さんにきいてね。
先入観 印象操作 情報操作 メディアリテラシー 騙し絵 固定観念
どうだったかな?
まだ気付かないかな、じゃヒント:
日記がピングドラムだと言ってる人はいません
ピングドラムで運命の乗り換えができると言ってる人はいません
頭空っぽにして観てごらん。
手助けはここまでか、後は自力で脱出してね。
では、よいお年を!
整理してみる
陽毬死亡→帽子様の力で仮延命
命の代償として冠葉から命を分ける
12話で電池切れ→冠葉からの命の分割失敗、プリクリ様あきらめモード?
サネトシアンプルで延命
以上より、陽毬の延命手段→1〜12話は冠葉の命、13話〜24話は謎アンプル
電池切れ前と後の変化
前「妹の命を助けたくばピングドラムを探せ」
後「家族の誰かが罰を受ける、お前たちの一番大切なものが損なわれるからピングドラム探せ」
ピングドラムは必ずしも延命手段にあらず
>>437 その辺は謎多いよね
ショーマが運命を肯定(それまでは否定)したあと
イリュージョンがはじまったところを見ると
ショーマのピングドラムが目覚めてそれにひまりが反応したってことかな?
あれはホントかなり謎。
それと、ひまりは冠葉からピングドラムはもらってないんじゃ?
ショーマのピングドラムを冠葉に返しただけに俺には見える。
それで真の自己犠牲の愛に目覚めた冠葉がひまりを乗り換えの列車に運んだ。
だから乗り換え発動自体はやっぱり呪文は必要だったと思う。
冠葉の死によって陽毬だけでなくマリオも真砂子も命助かったのでは
苹果は桃果の日記を使って燃えて消える運命だったけど晶馬が代わりに燃えて命が助かった
陽毬の生存にはピングドラムが必要
テロ回避には乗り換え呪文発動が必須
ってことでは
>>441
晶馬の身代わり説には同意。
>>442 そこが問題だと思うけど
それを判別できるような描写はないのでは?
前半はともかく、後半ピングドラムが陽毬の命を救うアイテムであるとは誰も言ってないな
陽毬が何によって延命しているか変わったからかな
なんで、カンバってあんなに世界を破壊しようといしてたのに
あっさりやめちゃったの?
運命を巡るストーリーであると同時に、
桃果とサネトシの頭脳ゲームという側面もあると思う
>>441 でも最後運命が乗り換えられて冠葉と晶馬は生きてたじゃん
この世に無償のものは無い。命を長らえるには代償が必要・愛されない事は死ぬ事 で
(桃果が多蕗を子供ブロイラーから連れ出す際火傷を負った例からいっても)
陽毬を「選ばれた子供」にするには代償が必要なはずだったのを
晶馬は運命を分け合うことを誓うのみで陽毬を救い出している
↓
直後、晶馬と運命を分け合っている冠葉が父を失う。
冠葉は晶馬を救って真砂子、マリオとの関係も失っている。
陽毬、冠葉ともに晶馬の両親の愛情を受けて育つ。
◇愛と罪を分け合う。ここで陽毬・晶馬にまつわる命の代償は返済完了と仮定
その後両親が犠牲にした人々の分の罰を受けて陽毬死亡
↓
冠葉代償を払う〜足りない〜もっと犠牲を のデススパイラル
陽毬が冠葉を犠牲にして得た命を返上
◇陽毬が運命に従って死ぬ事で高倉両親の呪いについては一段落
冠葉再びテロを起こし大勢の人間を犠牲に陽毬を救おうとする
↓
陽毬生き返る
苹果が陽毬が生きられる世界(呪いを受けずとも愛される世界)へ乗り換え
冠葉は自らの罪で滅ぶも孤独からは救われる
晶馬は乗り換えの罰を受けて蠍の炎に焼かれる
◇双子はごほうびでペンギン達とあっちの世界ツアーへ
命と罰の因果関係をはっきりさせてみたいところだけど最後はやっぱり難しいw
間に合った
>>438 です
読み違いしてる人がいるかもしれないので…
私はストーリーの解釈について言及している訳ではないのです。このアニメがどのような性格なのか、違和感の原因が何なのか、本当に伝えたい事が何なのかを知るためのヒントを示しているのです。
それに気付いた時に、新たに見えてくるモノがあると思います。その時あなたにネットワーク・プロトコルに関する知識があれば剣山達のチームの名前の由来などもおぼろげに見えてくると思います。やくしまる氏の唄に関しても…
冠葉の命分け与えや眞悧のアンプルで
生き返らせても、結局病気はそのままで延命治療にしかならならなかったから、
冠葉の犠牲で陽毬を生き返らせ苹果が呪文で陽毬が病気でない
世界を作ったってことなのかなと思った。
う〜ん、でも陽毬だけでなくマリオも病気ではなくなってたんだよね。
あれは何故だろう。
>>437です
説明ありがとうございます、とっても助かりました
最後にもう一つ聞きたいことありますけど
最終回で冠葉が血っぽいもの噴出したのはなぜ?
あとひまりはなんで冠葉にりんご差し出したんですか?
もう兄の犠牲はいらない、返すわってことですか?
>>451 冠葉の罪や苦悩を象徴した表現じゃないのかな?
で、それを癒すのがピングドラム。
「僕達の愛も、僕達の罰も、みんな分け合うんだ」
>>450 マリオの病気もじじいか父由来の夏目家の罰で
苹果の乗り換えた世界ではうまく帳消しになった…じゃ都合良すぎるかな
>>450 陽毬の病気もマリオの病気もメリーさんが松明の炎の灰を奪った罰だろ
20話冒頭で灰を持って地下鉄テロを起こしたのはわかっているから
つまりピングフォースに関わった人間にそれぞれ下った「理不尽な罰」が命を奪われる現代医学じゃどうしようもない病気
理不尽だから高倉家と関係ない(ただし企鵝の会のマンションにいたから「ピングフォースに無関係」とも思えない)子供の陽毬だし
理不尽だから夏芽家に「返された」姉弟のうちのより幼い子供のマリオだったんじゃねえの?
で、もともと晶馬たちの運命は16年前のテロでの眞悧と桃果の「中途半端な相打ち」から因果が始まっているから
そこの乗り換えを桃果側(苹果晶馬陽毬)が成功する形を踏襲することで
16年前が起点で理不尽な罰を受けた人含め「全ての人」の乗り換えを成功させたんじゃないの
>>450 自分もその説考えたけど、16年前のテロをなかったことにしたのなら
どうして乗り換え後の世界にも桃果や高倉両親はいないのかなって。
池辺のおじさんと暮らしてるんだから
高倉両親はテロをせずに普通に事故や病気で死んで、
桃果は「私はもう行くわ」って言ってたから乗換え後の世界にいるのかもよ
乗り換え後の世界が具体的にどういう世界か分からんからなんとも…
>>455 16年前から「やり直す」わけじゃなくて
16年前の中途半端な乗り換えで半分しか救えなかったことで続いてきた出来事のうち
理不尽な罰=死を受けた陽毬(マリオ)を
もう一度今度は24話で乗り換えることでを救うわけで
両親は24話の時点で死んでいるわけだからそれはそのままでしょう
桃果は乗り換えが起こったことで眞悧が閉じ込めていた帽子から逃れたわけで
それはすなわち16年前の代償で多蕗やゆりたちと同じ世界にはいられないから
当然乗り換え後の世界にもいない
ゆりや多蕗の乗り換え見ればわかるんじゃない?
二人とも乗り換え以前の怪我は消えていない
ゆりは死に直結する父親からの怪我だけ消えた
そこで桃果が乗り換えたから
乗り換えはパラレル世界に行くってより
とある地点から別の線路が新しく出来るってイメージじゃないかな
乗り換えって意味がよくわからんが
要するに誰かが犠牲になって誰かが生き残れば
運命=生存戦略的には問題ないのかなと。
俺の中ではそういう理解。
でもそう考えると疑問が生じる。
桃果の命とテロでなくなる大勢の命が釣り合うのかっていう。
まぁ、でも多蕗が
「桃果がこの世界にいれば大勢の人が助かる」みたいなこと言ってたから
やっぱ釣り合うってことかな。
24話の時点で死んでる人はそのまま全員死んでるんじゃね。
テロで死んだ人の乗り換え後も死んでる理由は
テロはあったが剣山達が起こしたテロとは別のテロが乗り換え後世界にある
かもしれんし、
剣山はテロを起こしたが、いけべのおじさんと
そこに引き取られてるひまりとは無関係の人間
かもしれんし。
桃果=みんなを救おうとした(けど駄目だった)
苹果=陽毬を救った(結果、世界の風景が変わった)
というひとつの解釈
24話の時点で死んでる人は死んでるというのは同意
23話で晶馬と苹果がいた公園みたいな場所ってどこか分かる?
見覚えがあるから都内だとは思うんだけど……
20話を見返して最終回のラストのぬいぐるみの中に入ってた手紙は晶馬からの手紙だと認識してるんだが、それで合ってる?
後、OPのダンスシーンの相手はピングドラムを返すって意味で冠葉?
それとも運命の相手って意味で晶馬なの?
服の線の入り方的に冠葉だと思う
★『運命の至る場所』を各人の死亡ルート、人生の終着駅と読んだ場合★
帽子は「お前達の運命の至る場所から来た」と言っており、ペンギン達も三羽一緒に高倉家に来た。
陽毬が高倉家に与えられる理不尽な罰によって病死する以外に、兄二人も身を滅ぼす
(冠葉は組織に関わって自滅・晶馬は罪の意識から誰も愛せず透明になる)運命にあった可能性が高い。
一時的に帽子の力で蘇生した陽毬も、同じ終着駅に向かう冠葉の命では延命しきれない。
16年前のテロで組織が得たもの=女神様の灰、林檎の木を蘇らせるものと晶馬が言っているので
(更に終盤にただ陽毬を救うとのみ宣言する冠葉に『たくさんの人を犠牲にするのか』と問うている)
眞悧の与える薬は本来愛によって救われるはずの透明になる子供達の命を
無差別な犠牲(誰でも良かったというような凶悪犯罪)によって補填するものと考えられる。
陽毬のための薬を得る為に冠葉が罪を犯すことで、高倉家に更に大きな罰が与えられることになる。
そして死んでしまう陽毬を生き延びさせるにはテロをもう一度起こす必要がある。
苹果の持っている日記は、桃果が多蕗とゆりと繋いだ運命の輪の存在を示すもの。
もし苹果が日記の記述通り多蕗と結ばれた場合、
桃果と苹果を繋ぐ輪が完全なものになったかもしれないがそうはならなかった。
一方高倉家では冠葉が単独で運命の輪から外れようとしている。
焼失によって誰も桃果の日記を得ることは不可能になり、帽子とペンギンは元の場所に帰るのみになる。
晶馬はピングドラムを陽毬に手渡し、陽毬によって冠葉は再び運命の輪で繋がれる。
苹果は日記にある呪文ではなく陽毬の為の呪文を使い、高倉兄妹を破滅の運命から乗り換えさせる。
冠葉は乗り換えの車両に陽毬を運ぶまでは生きているが陽毬を本当の愛で蘇らせて砕け散る。
晶馬は苹果への愛を伝えて運命を分かち合い、晶馬が炎で焼かれ燃え尽きる。
晶馬と冠葉がいなくなった世界で陽毬と苹果には記憶はなくとも愛された経験が残り、
運命の輪で繋がれているので一緒にいることになる。
いくつか解消できない疑問(桃果とかエスメラルダとか)が出るけどこんな感じはどうかな〜
そういえば17話の時点で、ピンドラは現代の情報戦を話の構造に組み込んでいるって書いてたブログがあったな
どこだったかしら
>>457 高倉夫妻はテロが起こった世界に飛ばされたのかもな。
ゆりの父親とダビデタワーみたいに。
>>457 桃果が歩いていった先が
レール線を外れた真っ暗闇だったから
乗り換え後の世界には滞在してないと思うけどな
>>426と
>>439を踏まえて書かせてもらう
24話の眞悧はアンプルを使わず指一本で真砂子を蘇生させた
これはもう生死の操作自在っぽい
眞悧がここまでできるのに、帽子による延命の半端さは落差ありすぎて奇妙
延命は眞悧専用能力だと仮定する。桃果の能力は「乗り換え」で
「呪文と代償が必要」とはっきり説明されており断定できる
陽毬にプリクリ帽子を渡したのは眞悧。敵に先手を譲る行為に見えるが
「帽子が電池切れ」になると桃果の行動力が尽きてターン終了
陽毬は死ぬ。それを合図に眞悧のターン開始するとしたら
・9話、陽毬の最初の死亡。陽毬がそらの孔分室来訪
眞悧のセリフ「僕を必要とした時」再び蘇生を求めるという予言
ここでゲームが始まる。眞悧は陽毬がまた死ぬ方に賭けた
桃果は行動力が尽きる前に乗り換え能力を取り戻す方に賭けた
12話でこの賭けに桃果は負けた。桃果=帽子は運命の至る場所へ帰還
・12話、陽毬の二回目の死亡
13話の眞悧の独白前半の相手は陽毬。予言通りそらの孔分室を再来訪
13話の眞悧の独白後半の相手は帰還した桃果。桃果は「怒ってる」
桃果は一回きりのつもりだったと思われる賭けの二回目が始まる
女神=眞悧「だってこれで終わりじゃつまらないでしょ?」
黒兎「そのとおり!」
・22話で陽毬の三回目の死亡。桃果は運命の至る場所へ帰還
どうして帰還したといえるのかは24話で帽子が上から落下してくるから
23話の帽子は桃果の声。陽毬は晶馬との会話終了直後死亡
陽毬事切れる+電池残ってる=帽子直接しゃべれる
・そらの孔=運命の至る場所から現実世界に戻ってくるシーン
9話、帽子着用の陽毬が病室へ落下してくる
(そらの孔分室でKIGA林檎を与えられて蘇生)
13話、帽子着用の桃果が落下しかけて、帽子のみ落下
(病院診療室でアンプル林檎を与えられて蘇生)
24話、帽子のみ先に落下して、後から陽毬が降り立つ
(蘇生の必要なし。そこはもう運命の至る場所だから)
・眞悧の転職と陽毬の死の関係
22話で陽毬が倒れたのは絵的な酷似から1話と同じ原因と見なす
延命は眞悧の能力。赤玉はプリクリの儀式。ふたつは無関係
眞悧は賭けに勝つ(陽毬が死に、桃果が帰還する)たびレベルアップしてる
プリクリのセリフ意訳「(同じ林檎は)一度きりしか効かぬ」
→上位レベルの林檎を使えば効くが桃果的に状況が悪化する
メリーさん=眞悧、林檎が手に入って羊を放置して大喜び
→23話黒兎「僕は力を手に入れたんだ」
1話(9話)│ 12〜13話 │ 23〜24話
陽毬→病死 │電池切れ死 │病死
所持→KIGA林檎 │アンプル林檎│ピングフォース林檎
職場→図書館分室 │病院診療室 │KIGAアジト
必死で現実に世界の危機が起こっていた壮大なファンタジーとして見たい奴もいるようだが
最終回通り、数人の中だけのただのしょぼい話でしかなかったと思う
473 :
メロンさんex@ご利用は紳士的に:2012/01/02(月) 20:34:12.63 ID:KvN0ligF0
そうどこにでもあるような平凡な話を信者はただありがたかってるだけ
お前の中ではそうなんだろうな。
お前の中では。
×お前の中
○世間一般
おまそう
怪我人の首を絞めます
死にそうです
「ごろうじろ☆」
手を緩めます
生き返りました
あるいは心拍計の表示をいじってるだけかもしんね
マイナス表示もしてたし
さんざん既出なのかもしれないが、
12話冒頭、冠葉の「運命って言葉が嫌いだ」のくだり
まんま冠葉晶馬陽毬のことなんだな。なんか見返してはっとした。
飢餓(KIGA)の真っ只中に生まれる人、は考察が必要しがいがありそう
>>471 俺はサネトシも桃果もメタに過ぎない部分だと思っている
どちらも誰かを幸せになる(生きる)には誰かが透明になる=不幸になる(死ぬ)0と1の世界線の現れ
サネトシの延命は誰かを殺し誰かを生かす運命の果実を奪うKIGAの生存戦略の表れ
一方桃果の延命は己を殺し誰かを生かす運命の果実を分けるもうひとつの生存戦略の表れ
運命の果実を与えるなら他から与えるサネトシの延命の方が強力なのも自明の理
世界線の乗り換えに呪文が必要なのは誰かの足りない果実を完全に補う為には透明になる(死ぬ)選択が必要だから
相手を想う→自身が透明であって=不幸になって(死んで)も相手が幸せなら自分も幸せに感じられる→世界線の乗り換え
おそらく桃果の呪文は共産主義的な物と想像 平たく分け与えあうとかの
不特定多数を救おうとしているしね 故に全てを救おうとしたが果実は足りない
全てを救えないまま分け与えた桃果は透明になった
冠葉と晶馬の結末から与えることの世界線の突破=桃果が去っていく事で表現 かな
>>479 メタてメタファー?
アニメ用語のメタはメタファーではないぞ
そもそもアニメに限定される言葉なのか>メタ
>>480 さねとし含めたテログループが共産主義的でしょ。
この世の不平等、理不尽を変えようとして世界を平たくしようとしてる。
で、実際の共産革命同様に大量虐殺に走る。
桃果はそれを止めようとしただけで、平等な世界を実現したい(実現できる)なんて考えてないだろ。
世界はもともと理不尽で残酷で不平等。
15話で「醜いものなんてあるのかな」といった桃果はそんな世界をそのまま愛している。
>>483 サネトシを闇のかなたへ追放するはずの呪文を唱えていたから
透明な人間が出ない方法に帰結すると思うんだよね
それは成しえなかったし、
桃果は世界の半分しか救えなかった世。
苹果の呪文での乗り換え後も「こどもブロイラー」は消えてないと思う。
なぜなら「女神」「こどもブロイラー」はこの世界の残虐さや理不尽さの象徴だから。
それは世界のルール、本質であり「乗り換え」ることができない。
いくら物語を書き換えようと、文法自体は変わらないのと同じ。
そのへんについて桃果は最初から不可能だとわかってるんだけど
(こどもブロイラーに乗り込んでもタブキしか助けなかったとか)、
サネトシはあきらめずに「世界の本質」を変えようとする。
だけど「世界の本質」とは文字通り世界と切っても切れない「世界そのもの」なので、
サネトシの行動はそのまま世界の破壊へと向かう。
ただの善悪じゃなくて、サネトシ=ロマンチスト、桃果=現実主義者のような側面もあり面白いな。
サネちゃんの願いをかなえるのなら、
一番手っ取り早いのは人間全て死に絶えて社会とかなくしてしまうのがいいしな。
どうせアニメ見てるような奴らは愛もわからんやつが多いだろう
アニメみたいな妄想世界に憧れてもきっと何者にもなれない。
だからさっさとピングドラム(愛そのものや愛を分け与える愛の連鎖)を手に入れて生存戦略して子孫でも残せって意味かと思った
つまりアニオタ男共よ、愛された経験がないと嘆く者よ
主人公の男子二人のように自分の命捧げる位人を愛してみろと
そうすれば世界は変わる
なんかそう受け取った。
丁度最終回見終わった
凄く面白かったし感動もしたんだが
輸るピングドラムのテーマは何か?と尋ねられたらどうも答えが出ない
猫の銀河鉄道の夜見た時もやはり同じ様にテーマは分からなかった
両方とも問題提起自体が目的だったように感じた
なので
>>488はちょっと分かる
運命の乗り換えはCの輪転機の逆回転と似てるな
幾原はかなりシビアに現実認識しているロマンティシストという印象
>>486 少しわかる
桃果をきれいに退場させてしまった監督が、同じように考えていたのかは怪しいけれどw
>>419 「分け合う」ことと「相容れない」ことは同列に存在している、ということだと思うけど・・・
全ての対比構造はその象徴だと思う
よく似た記号を持ち、同質の存在でありながら決して相容れないサネトシと桃果
白と黒のテディ、兎と帽子、冗談のように繰り返し引き裂かれる桃果
対比されるものであり、しかし、数々の出来事を経て運命を分かち合い、最後に道行を共にした冠葉と晶馬
引き裂かれるのではなく、「分け合われた」林檎
同じく「妹」でありながら、全く違う道筋を経て「兄」を受け入れ、そして失う陽毬と真砂子
一見対比関係が存在せず、最も遠いものでありながら、無数のリンクによって繋がり、
新世界の同行者になった陽毬と苹果、家族を作ることを選ぶ田蕗とゆり
「分け合う」ことの結末が、最終的にはこれらの関係性に収斂される
こういうのって皮膚感覚だから、違うじゃんワケわからんって人がいてもあんまり不思議ではない。
設定自体にミスリードはあっても「矛盾」はないから、伏線が矛盾してる!と感じてしまうのは、
このへんの(おそらく意図的に配置された)不条理な関係性にモヤモヤしてるんじゃないかなと思う。
ただ、このアニメをつくった側はこの不条理を飲み込める人だなあとは見てて感じた
現実ってそんなものだと思うんだよね。それでも、この作品の不条理感は
「現実は不条理だからおかしくて当然」みたいに漠然と無造作に配置されたものではなく、
それなりに理屈を組み立てて・リアリティを与えることに腐心して作られた不条理感だと思う。
久しぶりに勢いで書いたら思う思うになってしまった。適当に頭の中で削除して読んでくれw
>>479 桃果の能力は「分け与える」というより、一個まるごと与える自己犠牲じゃないかな。
だから呪文が発動すると駅名が「蝎の炎」になる
サネトシ:誰かを殺し、可能性を奪う生存戦略
言い換えると「透明にされた子供たちの戦争」、世界に悲しみがある限り(氷の世界/南極の隠喩が象徴するもの)、
影響力は必ずしも大きくないが、リソースは無限大
桃果:自らを犠牲にして世界の風景を変える(不特定多数の他者を救う)生存戦略(=蝎の炎に象徴されるもの)
影響力は大きいが、「自分は一人きり」だからいくら有能でも限界がある
物語のラストで行われた「愛も罪も罰も分け合うこと」は、
二人が象徴するどちらの生存戦略とも重なる部分はあるし、同時に、厳密には異なる。
ただ、他者を害してしまうと分け合うこともできないので、分け合うことを選択した場合、
最終的には桃果いわく「私の勝ちね」ということに。
>>495 桃果=プリクリが冠葉の果実をひまりに与えているのも生存戦略でしょ
あそこでまるごと与えているわけじゃ無いだろうから呪文が無ければ丸ごとは無理なんだと思う
世界線を越えることによって運命論に支配されない世界に移ったんだと思うよ
お前らの解釈だと、
「ピングドラムは”唯一つのもの”という事」らしいが、
そこがそもそも間違えてるんじゃねーのか?
ピングドラムは唯一の物だから、
誰から誰に分けてるって理解になって、
その移動の整合性を分析してるけど、
そもそも「愛情なんて増えるもの」なんだから、
整合性を論じるのは意味がない気がするんだが。
ラストシーンで林檎の数も一気に増えてるし、
「大事なのは愛を増やして、分かち合うことなんだよ」ってテーマじゃねーの?
なんか、移動の整合性の話ばかりで疲れるわ。
>>497 自分たちのピングドラム、みたいな表現でその辺はわかってると思う
わかってなくて、整合性ばかり気にしてる奴が多いけどね
ピングドラムを分ける、というより
ピングドラム自体に「分ける」という行為が含まれてるんだけどな。
リンゴが命、運命で、それを分けると愛になる。
半分のリンゴはそういう意味だろ。
まあ計算しても意味がないとは思うが。
ピングドラムは愛だろうし増えるけど運命の果実に基づく生死の総数は変わってないよ
当然といえば当然だし乗り換え後の世界で冠葉と晶馬は言い方を変えれば死んでいる
誰かに分け与える行為に意味があって
分けたからって減るものではないものだと思ってる
初期に林檎分割表みたいなのが出てきてたけど
今はあれを支持してるのは少数だろ
命を分け与えて死ぬとりんごが生まれて
愛を分け与える存在になると
桃と竜宮城のモチーフの意味は
桃源郷とウラシマ効果でいいのかな?
罰を分け合う件はどう見りゃいいですか?
4回の終身刑は4人で分けても終身刑じゃん と
最初に思ってそこから離れられないワタクシ
「分け合う」って意味誤解してんじゃね?
支えあうって意味だろ。
だから、林檎の移動や分割の整合性分析はほとんど意味がない。
冠と晶が最後に小さくなってるから、
林檎を二つにわけあって半分しかない事の暗喩だ
と捉えるのが間違いなんだと思うが。
運命の果実は最終的に冠葉にも晶馬にも存在しないでしょ
最後の林檎の解釈は別としてストーリー上での林檎の移動は生死や幸不幸に影響してる
生死や不幸に連動するなら、最後の冠と晶は消滅してなきゃおかしくね。
消滅してるだろ、この世から。
テーマは「選ばれなくても生きろ」ってことのように感じたな。
ペンギン達は、何者にもなれない=普通の人=のび太たちに贈られた
期間限定のポケットのないドラえもんとの日々として自己完結。
世界から完全に消滅してないから、どうなんだろうな
桃果のような存在でもないようだし
>>510 あの世界では「選ばれないことは死ぬこと」
家族を愛せない、自分も愛せない
そんな自分にピンドラは劇薬でした。
>>512 選ぶのは自分自身でもあるんだよ。
誰かを選んで、愛や友情を心に抱けば、そこにピングドラムが出現する。
たとえ愛を捧げる相手が自分の望んだ相手では無かったとしても、
共に過ごした日々が、その「誰か」や他の「誰か」の生きる糧になるかもしれない。
うーん、なんかみんな自分とは全然違う解釈をしてるんだな。
あまりの違いに呆然としてしまう。
やっぱり人と語るような作品ではないのかもね。
選ばないことも死ぬこと。
本人が選ぶことに不全を抱えていたら、希望はないんじゃないか。
また、「共に過ごした日々」が相手の「糧」になるのなら、カンバやショウマのようにもう居なくなっちゃってもいいじゃない、って思いに引っ張られる。
銀河鉄道の夜がどこまでモチーフに入ってるのかと思って、
久しぶりに小説を読んでみたがあまり関係なくね?
>>518 たしか「銀河鉄道の夜」って、賢治が妹とし子の死を回想しながら書いたんだって聞いた事がある。
若くして逝ってしまった妹の人生とは何だったのか、と死の意味を模索した結果、
「愛ある死を選んだ者には林檎(実りの果実=天国からのご褒美?)が与えられる」という結論に行き着いたのだとか。
だから、モチーフとしては、
「冠晶は消えてしまったけど、消えて全てがゼロになったわけではなく、
短いなりに彼らの人生は彼らにとって意味のあるものだった」
「とし子が賢治の人生に愛を与えたように、彼らも、陽毬・林檎・真砂子の人生に愛を与えて逝ったのだ」
…みたいな感じかなあ?
賢治の詩、「永訣の朝」を読むと、結論に達するまでの逡巡と慟哭が読み取れて、
涙腺ゆるむからイカンわ;;
あくまでも舞台演出の為のギミックであって、
言われてるほど銀河鉄道の夜を意識してるとは思わないけどね。
前半EDの宇宙や星や23話で陽毬が裸で水に浸っているシーンは
銀河鉄道の走っている風景であり、水死したカンパネルラを表す死後の世界のイメージ
銀河鉄道から引用的に使われてるのは「死の表現」
蠍の炎については誤解が生まれる描写だった気がするけど
蠍は炎で死んだんじゃなくて、炎のように輝いて皆を照らしたいと願った話
照らされて有難いと思うことと大事な人が死ぬことを交換できるかという
打ち消しがたい感情が両作品のテーマだろう
カンパネルラと書いてる奴が、銀河鉄道の夜を語る事に違和感がある。
カムパネルラだろ。
>>521 蠍の炎は行き先なんだから呪文の代償の炎とは関係ないだろ
自分が生きるために何匹もの生命の命を喰らってきた蠍が
トカゲ(だっぬたかな?)に捕まりそうになって必死に逃げて
井戸に落ちて「こんな無駄死にするならトカゲに喰われりゃよかった。
今度は誰かの役に立つ命になりたい」と願って星になった
自己愛から一段高い愛を体現できた姿、それが蠍の炎
冠葉と晶馬もそういう愛を自分の中に持てたということ
>>522 wikiによると現代表記として「カンパネルラ」を採用する書籍もあるらしい
>>523 サネトシの呪い→凍りつく
桃果の日記の呪い→燃える
これは対比されてるんじゃない?
人を呪えば凍りつき、己を犠牲にすれば燃え上がる
ふと連想した。
さねとし先生→呪い→ノロイ→赤い瞳のイタチのリーダー
それじゃ冠葉はガンバかいなww
星の表現がどーのこーの言ってる人って星野リリィの漫画読んだ事ないのかな
よくやってる星野リリィ風の表現だよね
別に普通にアニメにも取り入れただよね
星野ってホモ漫画とざくろくらいしか描いてないじゃん
ざくろには星の表現なんてなかったと思うしホモ漫画なんか読むかボケ
おまえの興味の範囲なんてどうでもいいわボケ
ホモ漫画を読んだことない人多いのは当たり前だと思うぞ
いよいよ話のネタも尽きたか。
小説の下巻が出るまで話ないわな
>>532 読んでようがなかろうがキャラデザに関わった人の作風なのに
知らないなら偉そうにすんな
そんで自分の推察が正しいふじこ!ふじこ!
正直深読みがすぎて微妙に感じる考察もあるよ
はいはい銀河鉄道の夜だね(棒読み)
で、★が出てくるリリィ先生のほも漫画って具体的にどれ読んだらいい?
>>535 ちょっと落ち着こうかw
リリィ先生の作風を取り入れた演出だとしても
作中で固有の寓意があるかどうかはまた別の話じゃない?
まずリリィは少女漫画系(ざくろ)からBL、ティーンズラブまで色々描いているんだが
ホモだけじゃないんだが
ざくろと夢見る古都しか読んだこと無いけど
☆なんかあったっけ?
すごく国語力が問われる作品だと思う
全て答えが書いてあるようなラノベアニメではないから
クラムボンってなんなの!と怒るような人には向いてないよw
アニメ誌のバレはまだか
小説出るまで書き込みしないっていうのは
自分の解釈が間違ってたら嫌だから書かないってこと?
なんか勿体ない気がする
小説からして書いたやつだけの俺ピンドラなんだから別に公式見解でもなんでもない
>>542 メージュはきたみたいだが大した事書いてなかった様子
一応作者に監督の名前も書いてあるんだけどな……。
クラムボンなついわw授業中結構真剣に考えてたなあ
>>544 一応「原作小説」なので公式見解は
入ってるだろ キャラの心理描写はアニメと大差無いだろうし
まあ小説でも子供ブロイラーや双子の箱の謎は曖昧にすると思うけどな
オウム関係のネタだしスレチかもしれないけど、松本聡香著の本から
ちょっと気になった所を抜粋 邪魔だったらごめんね。
「教団から抜け出すことで信仰と決別し、ずっと一本しか見えてこなかった道が、
これからは無数にあるのだと気づくことができました。
固定されてない未来が見えてはじめて、私は運命論を否定できる答えを見つけたのです。」
なんかノルニル思い出しちゃったよ
最終話見たのでやっとネタバレスレに来れる。
結局ウテナの頃から進歩してねーじゃんとおもったのは俺だけかなぁ
今の時代(95年以降)、愛と家族と社会について、宮沢賢治を再解釈しながらイクニ流のメッセージを打ち出した挑戦作として、評価できると思う。
ウテナと変わってないと言われれば、作中に出てきた村上春樹だって『風の歌を聴け』から変わってないと言えるし、監督オナニーと言われれば最初からそういう構造の作品としか言いようがない。
ウテナ→殻を破れない雛は自滅(こんなんだったっけ
ピンドラ→で、その殻を破る力って、親から貰ってないと無いんだってばw
自分から「親は駄目だったけど、そういや親以外に貰ってたじゃん自分」と
気づくのって、そこまで辿り着くのマジもう大変なんだって。ああ疲れた(微笑み
こういう風に進化したんだな、と見た。
ウテナは「閉塞感を破る、突破する。」助けてくれる王子様を待つんじゃなくて自分で世界を切り開け。
ピンドラは「ダメになるならちゃんとダメになる。」自分がダメになった時、本当に愛しいと思ったものを大切にしろ。
って感じの事を監督がインタビューで言ってたな
ダメなものを突破しようとするウテナとちゃんとダメになろうとするピンドラは真逆とも言ってた
>>553 それ、どこに載ってたインタビュー?
すっごい重要だと思う。
季刊エス10月号だな
ウテナが外へ向かう物語なら、ピンドラは内へ向かう物語という感じか
>>555 ありがとう。チェックしてみるよ。
>>553の
> ピンドラは「ダメになるならちゃんとダメになる。」自分がダメになった時、本当に愛しいと思ったものを大切にしろ。
ここ個人的には重いなあ、と思った。
どういう形であれ自己犠牲の愛を美しく描いちゃダメでしょってずっと思ってたけど、こういう言われ方されると成る程と思ってしまう。
なんだっけ、ツイッターだったか本スレだったか忘れたが
ウテナの頃は革命しようっていう程度には元気あったけど
ピンドラは生存戦略だよ、革命とか以前にとりあえず生きようだぜと、
そんな主旨のことを言ってるのを見かけて
なるほどと思った。
ここ数レスを読むとそういうところこそが、
東北の震災を受けての物語だったのだなと感じる。
だから冠晶は乗り換えした違う世界で
生存している、と思いたい…
誰も死ななかった、はやっぱり登場人物に向けての言葉だったと思ってる
脚本の完成はギリギリだったってどこかで言ってたし、
生き延びるための物語ではあっても
物語を書き終わるまで「本当に生き延びられること」は確定していなかったのだろうなと
両親死んでるがな
みんな買わないだろうと恥を忍んでオトメディア買ったのに他の雑誌バレもないとは…クソッw
予想通り大した事は載ってなかった
高倉双子の存在は歴史から消えてしまった、とか
晶馬が過去を思い出したって記述があったからやっぱり撃ったの青弾かな?ってくらい
あと池田Pのインタで
・今後の展開は色々考えてるが「こっそり」だから言えない
・やりたい事はスタッフで本気の同人誌
お爺様も死んでるな
雑誌記者とか公安警察とか
「よく、虐待されて育った人は自分の子供も虐待するとかなんとかあるけど
それって結局人それぞれじゃないの?しない人はしないだろ。
統計的には多いかもしれないけどヒトである以外に共通点が無いものを
サンプリングしたデータなんて正確性に欠けるだろ」
というメッセージを受け取った。
あくまでメインテーマではなくて数ある中のひとつということで。
虐待の連鎖を断ち切ることは大きなテーマの一部だったよね
必ずしも暴力とか虐待じゃないけど、親から子に及ぶ支配というか
『オトナアニメ』というムックの22号にピングドラムで音楽を担当された橋本由香利さんの
インタビューが載っていて、そこでARBの楽曲を使う事になった経緯を聞かれ、
「(幾原監督が)単に好きだから、みたいですね(笑)。あとは、あの時代のバンドなのに、
恋愛の歌詞がひとつもなくて、ラディカルなところも好きだそうです。それを、今の10代の
女の子たちが歌って、わけもわからずに「腑抜け野郎ども」みたいなことを言っているのが
面白いのではないか、と。」
という風に答えています。この、「わけもわからずに歌わされてる」というのは重要だと思います。
監督はBD1巻のインタビューにおいて次のように語っています。
学生運動は国家の否定だったけど、それらは同時に親の世代の否定、家族の否定でもあったよね。
そういう風に、何かを否定することで自分のコミュニティを肯定する…、悪を登場させて、
その時代的なものを否定することで自分の立ち位置を守るという話にはしたくないと思っている。
むしろ、間違っているかもしれないけど、それをしたお父さん、お母さんすら、愛おしいと思ってしまう
感覚。自分には帰るところがないと感じたとしたら、間違っているものですら心の居所になると
思うんだ。そういう家族の話をリアリズムで描くんじゃなく、現代の寓話・神話のようなものとして
描きたいと思っているんだ。ただ、スピリチュアルなものだと勘違いして欲しくはないね。
僕はそこに興味はないから。
『輪るピングドラム』BD1巻小冊子に掲載された「幾原邦彦インタビュー」より
ttp://d.hatena.ne.jp/samepa/20120109/1326097758
>>564 統計的には「虐待された人は虐待する」というケースの方が実は少ない
と前に育児の本で読んだ覚えが
「そういう血統の人がするだけで自分たちは大丈夫」と安心感を得たいからとか、
「加害者にも可哀想な事情がある」と理解出来ない存在にも物語を与えることで納得したいとか、
そういう発想から「統計的にはそうなってるらしい」というデマが広まってるんだと
>>566 情報サンクス。
面白いなぁ。
内容も面白いけど、作者である幾原さん自身の言葉も解釈の一つ
にしか感じられらないところが実に面白い。
こういう作品を真のテクストというのかも知れないな。
明らかに作者の意図を超える作品になってる。
570 :
メロンさんex@ご利用は紳士的に:2012/01/14(土) 22:00:00.53 ID:K/7lpPJ60
な
571 :
メロンさんex@ご利用は紳士的に:2012/01/14(土) 22:00:09.18 ID:K/7lpPJ60
な
よく分からない超能力者の抗争で世界がおかしくなりかけて、
たくさんの人が不幸になったけれど、
抗争それ自体に何の責任もない少年少女が何故か自己犠牲を強いられた結果、
世界は今日も平和です。
救いようがねえw
コピペにレスしてもアレだと思うけど
現実にはサネトシ(=無力感からくる世界への憎悪)の支配下にあるのと
「あの二人」を身近な存在と感じられないってのはほぼ同義だと思うわー
サネトシと桃果は誰もが持つ力と意思のメタファ、擬人化されたもの
誰の中にでもいる存在で、誰一人として二人の振る舞いと無関係ではない
作中の人物については言う間でもない。
冠葉はいつくらいから、KIGAの会や両親の善し悪しを理解してたんだろう。
・真砂子と2人で父の話を聞く→good
・晶馬と監禁→?
・真砂子とマリオを実家に返す→bad
・高倉家に引き取られる→good?
・台風に日に病院へ→good
・両親逮捕→以降badへ?
ここら辺、時系列も含め、冠葉の心情が整理できない。混乱してる。
視聴者をあえて惑わせるエピソード多いからかもしれないけど…
>>573 ごめん、スワヒリ語すぎるんで、
バカッターで西さんや宇野さんと仲良くしたほうがよろしいのでは?
>>576 ごめん…
日本語のほかは、みさくら語くらいしか理解できないのだよね…
>>578 なるほど、作中で人の形をしているモノは、
概念を表現したもので、
人格に意味はありませんが、
キモオタがブヒって円盤買ってくれないと困るので、
キャッチーなキャラデザにしておきました。
ってことか。
なるほど、理解した。
>>579 プリクリは正にそうだなあ
あれはもうキャラというより舞台装置っぽいけど
自分の解釈は、
ももか→神様(説法で人を救う、お札で封印されて依り代(帽子)に宿る、日記=信者には神典)
プリクリ→巫女(神様の信託を口寄せ、衣装がある、時々でまかせ)
さねとし→新興宗教における神・神になろうとした男(弁が立つし聞き上手(だよね)、人を惑わすマジックが使える)
ピングドラムとセットで、「運命の果実を一緒に食べよう」というフレーズも
一緒にまわっていることが重要に思った。
582 :
メロンさんex@ご利用は紳士的に:2012/01/16(月) 22:25:12.01 ID:OCXXj5Dt0
プリクリはさねとしのうさぎみたいなものだよ。ももかのサブ人格。
ピングドラム分け与えと乗り換えの呪文が同じ言葉だから
これら二つは本質的には同じものなのかな
現実世界でも、生きて行くのには
たった一度の愛された記憶があればいいけれど
他人の運命を本当に変えようと思ったら自分の一生を捧げる必要がある
ピングドラムの分け与えは前者で林檎の消費は手持ちの半分
乗り換えの呪文は後者で、林檎の消費は丸々一個
ひまりは高倉兄弟から分け与えられたピングドラムで
生きる意味を見つけたけれど
病弱で死ぬという運命(高倉家への罰)を変えるには
乗り換えの呪文が必要だった
だからプリクリ様はりんごちゃんを探せと言った?
そもそもピングドラムは愛でありながら同時に罰なのでは
585 :
メロンさんex@ご利用は紳士的に:2012/01/17(火) 18:31:34.68 ID:JOj1V8+X0
かんばがひまりにリンゴをあげようとしたけど、あげられるのは1回だけだって
プリクリにいわれてたのはなぜ。自己犠牲なら何度でもあげちゃっていいじゃない。
>>585 恋みたいなものだからって説明あったじゃん
それがすべてで、言葉にすると野暮になる
それでもあえて説明してしまうなら
人生変えるような運命の出会い、奇跡は
同じ人とは何度も起こらないってことでしょ
587 :
メロンさんex@ご利用は紳士的に:2012/01/18(水) 00:39:22.50 ID:tClErynq0
説明がすべてじゃない
じゃあ初めてのセックスの感動は生半可なセックスじゃ味わえない
まして同じ人じゃなおさら無理
っていうのはどう
童貞じゃわからない
590 :
メロンさんex@ご利用は紳士的に:2012/01/18(水) 02:33:16.02 ID:Noe9DABI0
それは恋愛であって自己犠牲とか家族だからとかじゃないよね。
何回もとったら冠葉が死んじゃうからだろ!
冠葉が望んでもプリクリからはそれが出来なかったんだと思う
初めてのセックス云々言うのは分からないでもないが…
冠葉とプリクリの17話のとことかはなんか慣れ親しんだ何かが在った
うーん、説明が難しい
要は同じ対価払えばいつでも同じ見返り貰えると思うなよってことなんだけど
恋とかセックスの感動はその最たるもので
妹が生き返るって奇跡もこの分類に含まれるんじゃない
2011年、大反響で幕を閉じた「あの」アニメで生存戦略!
新年早々『輪るピングドラム』を徹底評論!
あけましておめでとうございます。2012年も、話題作をジャンル不問で徹底評論!
ニコ生PLANETSをよろしくお願い致します。
毎月第三水曜日は、批評家・宇野常寛氏が編集長を務める雑誌「PLANETS」と共に、
サブカルチャークリティーク番組「ニコ生PLANETS」をお届け。
今回のテーマは、去年の秋〜冬期アニメ最大の話題作、『輪るピングドラム』です。
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「面白かったけど、『?』な部分も残った」というファンも多い、本作の独自の魅力を、
「PLANETS」評論家チームが改めて読み解きます!
この番組を観ると「ピンドラ」が100倍面白くなる!?
「きっと何者にもなれないお前たちに告げる」。
ニコ生PLANETS2月号「徹底評論!輪るピングドラム」をお見逃しなく。
【出演者】
宇野常寛 (評論家、PLANETS編集長)
石岡良治(批評家)
成馬零一(ライター)
坂上秋成(文芸批評家)
http://live.nicovideo.jp/watch/lv77443146 【会場のご案内】
2012/01/18(水) 開場:19:50 開演:20:00
595 :
メロンさんex@ご利用は紳士的に:2012/01/18(水) 18:41:00.63 ID:rn+Ww2YE0
続編くるか
2号が執拗にGを殺虫剤で退治する
ってのは何かの比喩なのかしら?
>>597 本当に身内をすり潰したのは奴だったのか…
両親の死は謎だったな
>>594 その討論会どんな感じでしたか?
見てないので教えてください
602 :
メロンさんex@ご利用は紳士的に:2012/01/22(日) 16:15:43.65 ID:nd9ghJsm0
な
今忘れ去られつつある90年代を昇華させた作品だと勝手に解釈した
最後の冠葉晶馬が犠牲になることで運命を乗り換えることにピンと来なかったんだが
二人が今まで生きる糧や生業としてきた理不尽な運命に対する怒りや苦しみに耐えることを愛情に変える=死だとしたら
最後二人が子供に戻ってどこかへ行くように死ははじまりなんだと思えた
それが出来なかったのが世界を革命したがってるピンク髪の幽霊サネトシ先生だと思った
番組の冒頭で謝罪してたね、その人
虚構の時代(68年〜95年頃)ってなげーなぁ
宇野さん結局ずーっと坂上さんに突っ込まれ続けて終わったな
高倉夫妻は夏芽父と同じように「利用されて殺された」だろうな
放送中は警察に追われて逃亡したんだと思ってたけど
白骨死体は普段着だったし尻尾切りで暗殺された気配
リーダーが死んでも幹部が死んでも活動し続ける企鵝は
個人を消滅に至らしめるまでの究極の全体主義の意味でディストピア的
組織のための組織でそれ自体が目的化してるから説明されるべき動機とか存在しなそう
17話の生存戦略がいまだによく分からない
命をもう分け与えることができない冠葉にプリクリは何をしたの?
まっぱで押し倒し…その後は…最後までいわせんなww
オトナの生存戦略
嫌だわ
冠ちゃんはプリクリ様に全部吸い取られてしまったんだよね
かわいそうに
615 :
メロンさんex@ご利用は紳士的に:2012/01/31(火) 19:46:29.02 ID:DdFw9pRs0
その心のスキマを埋めてあげるよと寄ってきたのがサネトシ
宗教勧誘ダメ、ゼッタイ
>>615 サネトシは桃果だろ。おまえあっちこっちできしょいんだよ
618 :
メロンさんex@ご利用は紳士的に:2012/02/03(金) 23:49:23.43 ID:xa2rRJdt0
既出かもしれんが
もしかしたら牢屋の林檎は真砂子、マリオさんの愛の林檎だったのかな〜って
冠馬→晶馬に林檎を渡したから林檎がマリオさんの分が足りなくなってマリオさんは「生存戦略〜」したのかな〜
リンゴが足りないならかわりにキノコを分け与えれば大丈夫
>>618 真砂子がマリオさんの林檎とって渡したら酷いお姉さまだ
あれは冠葉が真砂子たちのことを思ってあの中に生まれたものだと思うよ
この話題はもう出たのかな?
12話でテロを結構する時に
剣山が頷いたらもう一人が頷き返した。
この人が冠葉 の父親?
顔がそっくりなんだが剣山と 冠葉 の父親は双子?
つまり冠葉と晶馬は従兄弟?
>>621 冠葉の回想シーンで
父親の葬式の時高倉剣山が「彼は私たちの親友だから…」とか何とか言ってたので
ので双子じゃないよ
それとも放送見てなかったのならネタバレしちゃったけどww
>>624 いや見てたけど。
親友ってのは同志って意味じゃない?
子供にわかりやすく説明する為に。
12話の顔がそっくりなヤツは何者?
その話題は結構出てたけど、あれは頷き合う二人じゃなくて
両側に頷づく剣山を両側から写してるだけじゃないの
20話の演説する剣山もしゃべってる方と
ピングフォースのなにかを取り出す方と二人いるように見える
>>626 今確認したけど
頷き合ってるようにも見えるし
周囲の人にGOサインのつもりで頷いたのを別角度で撮ったようにも見える。
冠葉の親父の顔がバッチリ映ってるシーンてあったっけ?
16話見たら冠葉の父は髪形が違うと思うなー
髪の色も真砂子に似た明るい茶色
剣山は黒
>>629 地下鉄のシーン?
16年前と現在(幽霊?)じゃ違うだろうな。
小説じゃ池部の叔父さんが剣山の兄らしいが。
以下推測
夏芽 左兵衛 に双子の男の子(兄が冠葉父、弟が剣山)が生まれたが
双子は不吉(北斗の拳の天帝とリンみたいに)という理由で剣山は高倉家に養子に出される。
剣山は親から愛されない(ピングドラムを手に入れられない)ピングフォースに入る
冠葉父が死に冠葉が高倉家に養子(兄の子なので高倉家の長男)
あなたのいう剣山が二人いるっていってるシーンなら
二人とも髪の色も一緒だったよ
真砂子だって
冠葉は私のふたごの兄で血の繋がった本当の兄と陽毬に説明してたし
高倉父はお葬式の時親友だから子供の冠葉を引き取るっていってたからこの伏線は決着付いてる
>>631 >二人とも髪の色も一緒だったよ
うん。16年前は一緒だったんでしょ
>冠葉は私のふたごの兄で血の繋がった本当の兄と陽毬に説明してたし
冠葉と真砂子は真の兄妹だが、剣山と冠葉父の血がつながってないとの否定ではない。
>高倉父はお葬式の時親友だから子供の冠葉を引き取るっていってたからこの伏線は決着付いてる
625参照。
なんか双子とか言いだしてる電波っぽい人がおるな
さっき見終わったけど、ももかとサネトシは結局何者なの?
「運命の至る場所」をいったりきたりできる特別な存在なのはどうして?
あと双子の黒ウサギはなんの暗喩?
>>633 このスレのスレタイが読めないバカが紛れ込んだようだな。
いや、いまさらだなと思って。
放送中から妄想垂れ流しのスレだったが、このスレ考察の役割果たしてないだろ
俺の中では
>>292でこのスレは止まったままだ
感想ブログとか読んでると、「サネトシの過去が気になる〜」みたいな感想書いてる人がいて
当たり前のことだけども、物語的な側面からキャラクターを見る人が圧倒的に多いよなぁ…とふと思った
客観的な設定の深さで魅せるアニメじゃないしな。
演出とか寓話性といった、主観的な要素が面白い。
逆にそれが個人的に合わない人には駄目なんだろうな。
>>640 前半はミステリー、後半は現代社会風刺を盛り込んでるから、客観的に見たくなるのはしょうがないでしょ。
そこら辺、視聴者を納得させられるだけの脚本になってなかったように思う。
もうこのスレいらないな
放送終了するまで18スレ消化
その後正月休みを挟んで一ヶ月以上経っても1スレも消化しない。
本スレに合流だな。
>>639 自称メタファとか言ってたが
人間時代があったのは確かだからな
その部分も断片的にしか語られてないから
ダヨネの過去が気になる人はいるだろ
あいまいな存在なんだろ
痺れるだろう?
の口癖から生前の眞悧先生は麻酔医だったのではまいか
646 :
メロンさんex@ご利用は紳士的に:2012/02/09(木) 21:57:04.43 ID:yo/oVJIh0
一方、文章の平易さに対して作品のストーリーはしばしば難解だとされる。
幾原自身はこの「物語の難解さ」について、「論理」ではなく「物語」としてテクストを
理解するよう読者に促している。一辺倒の論理的な読解ではなく、「物語を楽しむ」
ことがなによりも重要なことだという。
また、物語中の理解しがたい出来事や現象を、村上は「激しい隠喩」とし、魂の深い
部分の暗い領域を理解するためには、明るい領域の論理では不足だと説明している。
このような「平易な文体で高度な内容を取り扱い、現実世界から非現実の異界へと
シームレスに(=つなぎ目なく)移動する」という作風は日本国内だけでなく海外にも
「イクニチルドレン」と呼ばれる、幾原の影響下にある作家たちを生んでいる。
診察室のオブジェの赤い玉は何だったんだろう
>>647 家の近くの自販機の前に捨ててあった石膏像を
なんとなく拾ってベランダに飾りたく気持ちだろ
よくわかりません
651 :
メロンさんex@ご利用は紳士的に:2012/02/18(土) 20:50:33.93 ID:u880ZwWv0
りんごが夜這いかけたとき
先生はどこ行ってたんだ?
水漏れか雨漏りかで、ゆりさんの部屋に行ってた
>>650 アスペやメンヘラは自分でも理解できない衝動に突き動かされて
たまにそういったことをして見たくなるんだ、これが恋?
(ちょっとだけ似ているかも知れないけど違います)
BD5巻コメンタリーでこっそりピングドラム
キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!!!
下巻28日かネタバレ待ってるけん
本当はゆりさんとファビュラスマックスだったんだろ?
もう下巻って売ってるとこあんの?
そろそろ下巻ネタバレこい
はは、早い…!(゚o゚;;RT @EDAKIO: 新宿紀伊國屋で「輪るピングドラム」小説版下巻が早くも並んでいた。三列平積みの冠ちゃんが赤く迫る…!
誰か早く買ってこいよ
下巻買ってきた!これからパラパラと見てみる!
ネタバレ見てから買うか決める
>>661 ぜひここにも投下を
日付変わったらくるかなぁバレ
下巻読んだ。全俺が泣いた!
色々辛くて心臓痛かったが買って損はないと思う。
アニメにプラス肉付け描写されててよかった
あと印象的だったのは最後の2人の存在が言及されてたとこかな
自分の中でアニメで謎だったとこは謎のままだったがプリクリの人格と桃果の人格はイコールじゃないとか解明されてるとこもチラホラあった
表現媒体が違うから小説とアニメでちょっと違うとこもあるがそれはそれでおもしろい
内容の基本解釈はアニメも小説も変わらない気がした
>>664 どこらへんの心理描写が追加されてた?
中巻みたいに晶馬あたりの補完だろうか
下巻読み終わった
最後の地の文で泣いた
あんなこと言われたら泣くだろ
最後の文は本当によかった。
あと冒頭の1ページ目もよかった。
アニメをうまく補完してた気がする。
ラストの晶馬と苹果の描写がより良くなっててまじ泣いた。
結局ありがとう愛してるは晶馬の苹果への気持ちだったの?
そうじゃないって腐女子が放送直後は暴れてたが
669 :
メロンさんex@ご利用は紳士的に:2012/02/28(火) 10:18:14.72 ID:rm+RHaeb0
苹果への気持ち
晶馬から苹果にキスしてるし
晶馬スレでは「ありがとう、愛してる」は冠葉から真砂子への、
「大スキだよ!!お兄ちゃんより」は晶馬から陽毬への想いを
お互いの大切な人に伝え合ったんだと強引に解釈してる人がいたけど
小説版でやっと結論が出て安心した
本スレでも見たなあそんなの
672 :
メロンさんex@ご利用は紳士的に:2012/02/28(火) 13:02:36.01 ID:rm+RHaeb0
小説を読むと「愛してる」が苹果への言葉だとはっきり分かるよ。
落ち着けそしてsageよう
>>668 「荻野目さん、ありがとう。でもこの罰は僕達の罪なんだ。
僕は君を愛してるよ」
晶馬、俺は見つけたよ本当の光をの冠葉の返しで
知ってるよ僕だって見つけたんだからと笑ってる
やっぱ全体的に三人の家族愛に感動した苹果のとこも
あと苹果も最後覚えていそうだと思った
さねとしはせっかく桃果が一緒に行こういってるのに手をとらなかった馬鹿だ
箱に入っていた冠葉とショウマについてだけど
別に晶馬のほうは別に親からの愛を受けられなかったからりんごがなかった
とか書いてなかったな
最初からりんごがあるほうが選ばれてる子どもってことみたい
そういう運命みたいなもの
>>669 >>673 ありがとうあの冠葉の台詞に返しがあるとは
下巻買う決心がついたわ
あとサネトシに救済があったとは・・・なのにサネトシェ
晶馬の気持ちはっきりわかってよかった
いつもこの手の話はあれちゃうんだよね〜
陽毬はどうなんだろう?
>>674 なにそれ興味深い
誰かから与えられた愛情の有無とか難しく考えてたけど
単に晶馬は、あの時点で(罰を受けて?)死ぬはずだったのかな
>>677 ヒマリが高倉家に来なければ、罰(=呪い?)を受けるのは晶馬だった
ってことだと思う。
箱の中に閉じ込こもり愛することがどういうことかわからなかった晶馬が本当に大切な人(りんごちゃん)
にであえて愛してると告げることが出来たんだなとよくわかってすごく良かった
あと大体はアニメと同じだけど運命の悪戯で引き裂かれた本当の兄妹の真砂子と冠葉の辺り、
愛を見失った冠葉が陽毬に抱きしめられて我に返るところは
感動的であった
やっぱり下巻がいちばんいい、読んでよかったよ
晶馬の気持ちがはっきりわかってすっきりした
陽毬は晶馬にキスしてたんだね
下巻良かったよ
晶馬と苹果の雪のシーンはなかったな…
個人的にはもう少し冠葉の気持ちを描写してほしかったかな
冠葉父の葬式の辺りは丁寧に描かれていて良かったが
上巻で
冠葉から陽毬にキス
下巻で
陽毬から晶馬にキス
晶馬から苹果にキス
こうなってたね
最終的にこの三人は本物の家族になったんだなと胸が熱くなった
陽毬が家を出て行って冠葉のために命を投げ出すとこも
よかった、泣けた
>>683 いや真砂子のことも忘れんでくれ
真砂子が夢の中で冠葉に大切な妹だと言われて
幸せに満ち足りた記憶が残ってるところで涙腺崩壊したんだ
>>673 ちょっと訂正見つけたんだじゃなくて見たんだだった
>>682 晶馬から苹果への気持ちが恋愛ってのはわかったのはよかったけど
冠葉は結局陽毬のことをを一人の女の子としてみてたのかを
もうちょっと書いてほしかったな
ラストで桃果がダヨネに
一緒に来ないかと誘うシーンがあって
「おっ」てなった
まあ結局「さよなら」と断ってたけどなダヨネ
今まで輪るピングドラムって高倉3兄妹の中だけで輪ってるものだと思ってたけど
下巻のプロローグ読んでピングドラムは冠葉、晶馬から陽毬、りんごへ
陽毬、りんごからこの先出会う人へ更にその先へって
永遠に輪り続けるってことなんだなと解釈した
自分たちはいなくなっても愛することが受け継がれてくってことが自分たちがいた意味ってことでいいのか
小説はアニメでみんながニュアンス掴んでたものがはっきり明示されてていいな
陽毬の恋心が本気のもので良かった
アニメじゃそれほどでもって感じだったけど
そうじゃなかった
>>690 本気だったんだ
これですっきりした
晶馬諦めて冠葉を男として好きになった説推す人多いからその辺気になってたんだよね
>>691 でも
晶馬は結局りんごを愛したよね
抱きしめてからだのしなやかさを実感したとか…初めて異性に触れたみたいで
初々しいたら、晶馬
そして陽毬は晶馬にお別れして冠葉の元に行ったし
誰もそんな話してないんだけどね
陽毬の気持ちが知れて良かったっていってる
>>691 なんかごめん…
別に晶馬と陽毬をカプらせようとしたわけじゃないから安心してください
ただ陽毬の恋心の解釈って本スレでも意見分かれてて気になってたんだよ
晶馬よりわからなかった
>>693 なんでそんな苛苛してんのw
あ、晶陽厨か、いつも本スレにいるよな
りんご厨性格悪いwww
おまえもいつもいるなwww
陽毬の恋心も初恋って感じで最終的に家族ってなったんだなと思った
冠葉も陽毬に対して最終的に妹を見る目になったのかなとちょっと思った
冠陽厨か
陽毬がうわごとで呼んでたの、アニメだ と冠葉だけど小説だと晶馬になってたの が気になった。 あそこは冠葉の方でいい気がするんだ が… やっぱり苹果は覚えてるかな、と感じ た。
「発射」って誤字はひどくない?www
少しずつアニメとちがってたりするけど
やっぱりそこは二次創作的な感じなんだろうな
>>702 ネタバレスレのネタをドヤ顔でパクってRT貰いまくってる常習だから貼ったまでで
そいつはただの気持ち悪い腐だから関係なくね?
ここは私怨のヲチスレじゃないんで
小説カプ厨描写になるのかと思ってたけど
晶馬の「愛してる」が恋愛描写じゃなくてよかった
しかし解釈が確定しかけてた(お兄さんだから冠葉だろ!)うわごとといい
相変わらず確定事項が存在しないというのはすごい作品だなあ
>>701 むしろアニメで変更になったと思う
下巻ってかなり放送終わる前には書き終えてたみたいだし
下巻にある陽毬が晶馬に玄関でお別れキスについてもその放映回の時のアニメディアで玄関先でお別れのキスをするって書かれてたのにアニメではそのままマフラー渡すだけに変わってたり
初めにできてた脚本から変えたってのが正しい気がする
うわごとってどこだよ
>>705 たしか小説って脚本参考にして書いてるんだっけ?
書き手の表現法で個性出てくるかもしれないけど
監督も監修してるし本編の補完本だよね
電車の乗換えシーンとか陽毬のクリスタル空間のシーンとかは
当然アニメのほうがいいな
あれを小説で表すのは難しいだろうが
>>708 アニメの演出が神だったもんなー
自分も電車の乗り換えでアナウンスが流れたり
陽毬が階段登ってガラスが飛び散ったりするシーンは
確かにアニメのほうが好きだ
でも小説の終わり方はアニメよりも感動したなあ
アニメのが良かった部分もあるし、小説のが良かった部分もあるって感じだね
どっちもお互いを補完し合っていて自分は最高に楽しめた
アニメにはアニメの、小説には小説の別の良さがあるよな
映像と文章で表現しやすいものって違うし、どちらの描かれ方も
好きだから別物だと考えてる
>>706 アニメ23話で病院に運び込まれた時。
苹果が日記を持って水族館に行って、
冠葉に「倒れた時もずっと冠葉くんの名前を呼んでた、って」
って言ってるんだけど、小説だと鷲塚医師が晶馬に「きみのなまえを呼んでた」と。
あれー?と思ったんだ。なんかさっき改行反映されてなかった…
苹果が覚えてるかもしれないって描写はどんな感じ?
だとすると最終回の晶馬の掴んだ手が逆に修正されるといいな
確か火傷痕と掴んだ腕が逆なんだよね
>>711 アニメは映像もさることながら音楽も神だったからなー
小説版は結構匂いの描写が繊細というか生々しい印象がある
>>711 けっきょく両方の名前を呼んでたって事なのかね
>>704 十分恋愛だと思うけど
>>712 火傷は手首じゃなく背中になってた
苹果が覚えてそうと思ったのがメモをみて陽毬が泣き出した後コレって見せた?後陽毬を抱き締めて大丈夫だよここにいるからとかずっと一緒だよといってたことかな
乗り換えた後は陽毬視点だからわからないけどなんか覚えてそうだなと
自分は晶馬のりんごへの愛してるがよくわからなくなった。アニメ以上に唐突な気がした…。冠葉への返答は晶馬にとって光になったりんごをさすのか、再生した高倉家の象徴として陽毬が乗り換えをできたことなのか。
晶馬が必死にりんごに向き合おうとしてるのはよくわかったんだけど、それと高倉家崩壊と再生が噛み合ってないもやもやがある。結局みんな隠したまま。愛と家族がテーマだと思ってたけど、お互いの恋慕に偏りすぎた気もする。
最初と最後読めばそれでいいような、自分が読解力ないせいだとは思うけど。
アニメはアニメで、小説は小説でいいとこあるけど、なんかすっきりしない。
晶馬、親のこと憎みきれてなかったな
何をしたのであっても憎んだりできるはずがない
って書いてて、やっぱりと思って泣けた
>>716 え、下巻だけ読んだわけじゃないよな?
むしろ晶馬の心理描写ちゃんとあるのが小説だと思うんだけど
>>716 晶馬とリンゴの部分読み飛ばしてるのか?
上巻から一貫してリンゴのあの活発さというか生命力の強さに惹かれてたじゃない
あとどんなことがあっても一緒にいてくれて晶馬にとったら支えだったんでしょ
下巻の方が分かりやすかったけど
光に関しては両方だと思うよ
>>717 わかる
晶馬はなによりも家族という絆を大事にしてて大好きなんだなって
>>712 陽毬と同じ病室で目覚めた時、陽毬に対して記憶があるか探りを入れてるのかな?と思った。
あと、メモを見て泣く陽毬への態度。
晶馬の苹果への思慕の描写はかなり濃く描かれていて、陽毬もそれを把握していたように見えた。
逆に冠葉の陽毬への想いが意外に恋ではなくアニメより妹に戻して来た感じがある。
あと桃果がアニメより天使だね。最後。ダヨネェ…
玄関キスがなくなったの23の脳内通信でキス描写入れるから省いたのかな
あの描写のほうが幻想的で玄関先より雰囲気あっていいよね
夢なのかなんなのか分からないあのシーンを
小説で表現するのは難しかったんでは
>>720 鷲塚がダヨネの事を本当に優秀な助手だと思っていて
組織のリーダーになってしまったことを
すごく悔やんでたのが少し救いだったな 後桃果とのやりとり
結局なぜああなったのか語られなかったが
あの話の中ではあくまでもメタファ扱いだからそのほうが良いのかもな
>>720 冠葉の陽毬への気持ちは
焼き尽くす愛から穏やかで深い愛にかわったんだろうな
アニメでもそれはそんな感じだったように思ったけどな
まあ冠葉の本当の妹への愛は結局最初から最後まで真砂子に向けられていたんじゃないのかな砂子自身、赤の他人なら冠葉に「なぜ彼女を愛していると認めないのか」
と歯がゆく思っている描写があって面白かった
最終的に真砂子は最後に冠葉のことを
「本当に大切な言葉はいつも胸に秘めてしまって」といって理解してた
みんな小説で納得した感じなのかな
納得出来ないのか?
納得もクソも、制作側がこうです(キリッ
ってんだから、受け入れるしか無いだろw
ぼくのかんがえたさいきょうのかいしゃくの出る幕はなくなったw
別に自分個人の解釈なんてどうでもいいし、公式がそうならそうなんだからいいし
ただ、上巻の高村さん?て結局誰だったのかなーとか思って
730 :
メロンさんex@ご利用は紳士的に:2012/02/29(水) 20:53:46.07 ID:/R+DovqoO
>>729そうなんだと思う。
だからもっかい上巻から丁寧に読み返してみてる。
喧嘩腰みたく感じさせてしまったならごめん。
731 :
メロンさんex@ご利用は紳士的に:2012/02/29(水) 22:45:53.04 ID:5rFlRBdaO
発売前に小説では終わり方が違うって話聞いてwktkしてたんだがガセでガッカリorz
ガセというか伝言ゲームで勘違いだな
上巻時点で違う展開になるかもみたいなことはあったが
こそピンで中巻の宣伝来てた時、結末が違うってのは否定してた気がする
描く部分がアニメと小説で違うこともあるって意味じゃないかと判断したが
上中巻は9話分ずつで下巻は6話分になるから小説でしか描けない部分も追加したいみたいな発言はあったが、結末変えるって発言はなかったと思う
こそピンアーカイブが残ってれば確認できるんだが
ないから記憶で言ってるのでうろ覚え
晶馬が苹果にキスして抱きかかえて駅のホームに降ろしたり
冠葉の「光を見つけたよ」に「知ってるよ」って返したり
それだけでも自分にとってはアニメと違ったからびっくりしたし嬉しかった
アニメで観たかった
アニメのほうが好きだな
小説は血まみれなのがちょっと
まあ上巻から血まみれだったしな
陽毬の初潮シーンとかはあったね
ああいうのは女性小説家だからこその描写なんだろうが、
どうしても必要な場面なのかがわからん
好きな人である晶馬に生理用品を買いに行ってもらわないとならない
陽毬の気持ちを思うとキュンキュンするだろ
>>740 そんな描写あるのか
アニメではできなさそうな描写だね
小説に興味もってしまったw
アニメと違って陽毬は報われなかったのな
夢の全裸キスも恋人手繋ぎもなし
下巻で冠葉や陽毬の出血の描写があったのは
下巻のプロローグの
「きみの血にはきちんと僕の愛が混ざっている」ってことじゃないかな
報われる報われないの問題じゃないと思うが…
陽毬じゃなくてお前の希望通りにならなくて
報われないって騒いでるだけじゃないかと言いたい
小説版の一人称はだいたい晶馬が主体と考えて間違いないはず
下巻プロローグは晶馬から苹果へ向けた言葉と解釈していいんじゃね
晶馬×陽毬も罪作りな組み合わせだったね
メインヒーローAとメインヒロインA
王子様とお姫様のようなビジュアル
幻想的で美しい描写
後半駆け足気味なのが玉に瑕だが、好きな人は相当好きだろうな
中巻と下巻の序章は物語世界から少し離れたメタ視点で描かれてる感もあるし、
誰が主体かは一概には言えないという見方もアリかも知れんね
>>750 家族の血の繋がりについて視聴者をミスリードするために
冠葉は剣山似に、晶馬と陽毬は千江美似にあらかじめデザインされているようで、
晶馬と陽毬の組み合わせはどこか単一的で変化に乏しい感じがしたけどな、個人的に
冠葉と真砂子についても言えることかも知れんけど
753 :
メロンさんex@ご利用は紳士的に:2012/03/02(金) 13:49:30.35 ID:8Og4mObS0
晶馬は王子というか美少女的なビジュアルだったからな…
オカン役だったのもあったりしたのもしたから恋愛てもんからは程遠いと思っていたが
まさか苹果とああなるとは。
確かに穏やかだけど一番変化があった二人かもしれん。
個人的に初めから運命の人とか結ばれないフラグビンビンやなと思ってたから
最終回に向けての展開は納得だった。
愛がどういうものかわからないといっていた
晶馬が最終的には苹果にキスして「君を愛してる」
という結末は感動したものだけど
あと、下巻はわりと視点が色々晶馬だったり陽毬だったりりんごだったりしてるので
一人称が晶馬とは決まってない
「僕」という一人称を使っている点で語り手が晶馬であるようにも思えるけど、
運命の乗り換えで世界の風景から消えてしまった晶馬と冠葉、そのどちらとも
つかない存在のモノローグと考えてもよさそうな気はするね
はっきり言って相性に関しては成立カップルの方がお似合いだと思う
草食系の晶馬&肉食系の苹果、男性的な冠葉&女性的な陽毬
特に前者は好感度マイナスの状態から好転していくところが丁寧に描かれていたし
でも晶馬×陽毬にもお雛様としてセットで飾りたくなるような妙な可愛らしさがあるというか
どのカップリング・コンビも愛せそうな気がしてきたわ
プロローグ確かに一人称は僕だけどどっちとも取れるように余白を残してる感じだよな
りんごが最後記憶あるかないかはプロローグが晶馬って断定されてれば
目覚めて一人でオロオロしたり〜云々のクダリで記憶残ってる前提?とも思ったけど
きみが間違いなくりんご!って感じでもなく
陽毬にも当てはまるし逆に陽毬、りんごとか断定的でなく
最後に冠葉、晶馬がなったような誰でもない存在からみんなへみたいにも受け取れる
カップリングより冠葉→陽毬→晶馬(←苹果)発覚時が一番楽しめた
片想いが見ていて一番ハラハラドキドキしておもしろいので
特に高倉さん家は叶わぬトライアングルなのがツボだった
アニメより陽毬が好きになれたわ
晶馬好きってのがハッキリ書かれてたのが良かったのかも
「家族じゃないからもういいよね」ってキスした時なんてもう…
ただの良い子ちゃんじゃない陽毬たん最高
うーん色々考えたけど
>>744のいう報われないってのは
どういうことを言ってるのかイマイチよくわからない
あのシーンってキスしてるあたり妹だけでなく女としての部分も
描写されてるとは思うけど晶馬は21話の玄関のシーンではっきり
ごめんと言ってるし陽毬にしてもむしろあのシーンはキス含めて
恋に決着をつけたというか恋のとの決別であってそのあと二人が
手を握ったのはこれから冠葉をみつけようって約束みたいなもんだと
思ってたからかな
あと陽毬があのシーンで語ってるのは晶馬のことでなく
最初から最後まで冠葉と自分が二人の兄弟の妹になれたって事だし
陽毬ってあのシーンに限らずさようなら運命の人って言って
冠葉の所行ったり最終話のクリスタルワールドで冠葉の所に行く時
妹としての兄弟への思いを語ってるあたり晶馬への感情に
揺らいだ部分はあっても基本的に結論としては一貫して晶馬にも
冠葉にも恋愛じゃなく兄と妹の家族愛としての関係を選んでたタイプだと
思うんだよね
だから本当に陽毬が報われないことがあるなら恋愛の部分より
家族であることを拒否されることであって例えるなら21話の
晶馬の家族ごっこはもうおしまいって言われた方のがよっぽど
報われなかったと思うんだけどなあ
陽毬と晶馬の海のシーンはリアルタイムの時はもしかして陽毬は
今度こそマジに死ぬのか…?と思ったのでキスは陽毬からのお別れで
手を握りかえしたのは晶馬が陽毬との別れを受け入れた描写なんだと
自分は思ってたよ
本スレでも言われてたがあそこで陽毬の恋愛が
報われたと思った人がいるのはその前の苹果との
描写が比較されたからだと思うな
晶馬が苹果を好きでも
それでも好きだから最後にキスしたように見えた
「僕があの時生かされたわけが解った」っていってたのが
箱に閉じ込められてたときに冠葉から林檎を貰った時の事件のことだよな
あの時晶馬は死ぬはずの運命だったんだろうな…
>>757 自分だけかもしれないけど
りんごが目覚めてオロオロするってなんかイメージわかないんだよね
りんごは強く引っ張っていくイメージなんだ
小説の苹果ちゃんはとくにサバサバした子に見えたな
陽毬を慰めてるシーンとかいろいろカッコ良い女の子
アニメはゲロ豚ビッチ言われた時とか
手伝わないと言われた時とか
実は打たれ弱いように見える
>>765 苹果は晶馬に拒否られただけで落ち込んで泣いちゃう子だよ
この物語のテーマはバラバラになってしまった家族がどうやってそれを取り戻していくかが
ミソだったんだろ←イクニも後半のインタでいってた事だけど
だから陽毬に恋した冠葉も晶馬に恋したも陽毬も最終的に本物の家族としてなるってのが大事だったんだと思う
そして改めてて思ったけどやっぱこの物語の主人公は晶馬だな
だから家族だけとしかいられないって思ってた晶馬にとって他人なのに何より裏切らない女の子としての苹果が必要だったんだなあと
>>768 それだと
自分は真砂子も好きなんで高倉家が本当の家族になってしまったら
真砂子が非常に不憫だなと
真砂子は本当の兄の冠葉を取り戻したかったわけだし…
誰でも好きな人から拒否られたらショックだろ
ちょっとやそっとじゃ落ち込んだりしない子だと思うけど…
>>769 妹が二人いてもいいじゃないか
いや正直冠葉は最後まで陽毬を女として愛してた派だったんだけど小説みてたら妹というのに執着してるなと思ったので
原点に戻ったというか真砂子とマリオあっての家族への執着というのが小説で書かれてるんじゃないかと
>>770 さすがに苹果も人間だろ…
初めは泣いたりオロオロしたりするけどそれを受け入れる強さを持ってる子だと思うんだが
この気持ちはどこ行くんだろうってとこからなんとなく冒頭に繋がると思った
まあホントに覚えてないってのもあるけどやっぱあの陽毬への態度みてたら覚えてるんじゃないかなと
>>766 自分は小説の苹果のがアニメより弱い部分が出てるイメージだったな
心は真っ黒だって言われたの結構引きずってたし
たしか中巻あたりで晶馬と出会ってから泣くべき時に
泣けるようになったって描写もあったから
個人的に苹果って確かに強い部分はあると思うけど
最初から物事をすぐに受け入れるんじゃなく
バンッとでかい衝撃があった場合は案外人並みにショックは
受けてたタイプだと思う、アニメでも小説でも
>>772 自分は冠葉の陽毬に対する愛と真砂子に対する愛を区別するためにあえて
義理の妹と血の繋がった妹を描いたのかなと思った
あくまでも妹に対する愛は最後まで真砂子にあったと思いたいな
真砂子を遠ざけたのも一緒に呪いを受けるのを避けるためだろうと思う
小説で晶馬の気持ちとか今まで掴めなかった陽毬の内面がわかってよかったが
自分は冠葉サイドが未だに整理つかない
真砂子のことはみんなが書いてるの見てなるほどと思ったけど
冠葉が見つけた本当の光の意味や
何で陽毬の言葉すらも届かなくなって行き着くとこまで行ってしまったのか(自分だけで愛も罰も背負い込んでしまったから?)とか
冠葉から吹き出した血の意味するところとか
あと陽毬の見つけたメモは何でお兄ちゃんたちよりじゃなくお兄ちゃんよりなのか(単に語呂の問題?)
とか小説でも自分の中で解決出来んかった
長々スマソ
陽毬の言葉さえも届かないところまで行ってしまったのは
心が凍りつくまでキスした結果だと思う
与えるだけ与え続けて空っぽになっちゃったんだろうね
結局、謎超能力者の私的な抗争にまきこまれただけの少年少女が自己犠牲を強いられたって筋立ては、
小説でもかわらないん??
小説読んで一区切りしたなーと思って雑誌整理してたら
オトナアニメディアの図書カード応募締め切りが5日だって事に気づいた
危ねぇ・・・
スマン本スレと間違えた
桃果と三兄弟の接点がないのに、
(同じ時代に存在していないので当然だが)
桃果の呪文=陽毬の大切な言葉
だったところだけが不満
苹果が陽毬の一番大切な言葉に賭けたのもよくわからん
小説だと眞悧はどんな感じ?
出番の多さとか他キャラとの会話、関わり方とか
買おうか迷ってるんだけど最後救済や誰かに認められるなんてことがあったら嫌だ
晶ちゃんなんか黒いよね
過去の記憶もってたの晶馬だけだし
まありんごちゃんに出会って色々変わったんだろうな
ダヨネさんは小説のほうが悪役っぽかったな。個人的に。
晶馬が眞悧の顔を思い出せなかったところはぞくっとした。
そう言えば小説を読んで初めて思い至ったんだが冠葉は晶馬と陽毬が実の兄妹だと思ってた可能性もあるんだね。
そう考えるとまた冠葉の見方がかわるなあ。。。
陽毬が晶馬を好きなことを知った上での「俺では無理だ」説もあったりしたけど
本編見る限り、二度目の生存戦略失敗→ダヨネ「君では駄目だ」からの流れにしか見えなかった
続いて陽毬は冠葉の好意に気づいている説も外れだった中
陽毬の恋心を察知して即座に回避行動に出る晶馬が一番意外だった
陽毬は冠葉の恋心を知っていながら見て見ぬフリをしていたのだと思ってたけど
>>787 惚れた弱みに付け込んだというより家族として甘え過ぎてごめんなさいという感じに見えた
>>788 プリクリに変身して素っぱになってピングドラムを抜いてるんだから
それって惚れた弱みにつけこんでってことじゃないか
自分が誘惑していることを知ってて気がついていない「ふり」をしているのが
陽毬の小悪魔ぶりがでてて
自分は好きだけどな
冠葉もおそらくそうなんだろうな…惚れた弱みで
晶馬もじぶんがピングドラムを貰ってたこと知ってたんだろうな
23話のシーンで冠葉が思い出し玉撃って思い出したってわけでもなさそう
アニメ放映ではそうなのかなという説が出ていたが…
晶馬は真砂子を冠葉の妹だと知ってたのか
知ってて目の前で三人だけの家族だはちょっとひどいな
陽毬と二人きりになったら、兄と妹ではいられなくなってしまうからな。
陽毬も妹の立場を越えて、恋人関係を求めて攻めてくるだろうし。
高倉家にこだわる晶馬としては、冠葉を失って高倉家が崩壊する選択は絶対にとれない。
晶馬が陽毬を恋人として受け入れて、
新生高倉家や高倉家第二章を選択しても良いのではないか?
と思う向きもあるだろうが、まだ若い晶ちゃんにはそういう選択は難しいんだろうね。
もう少し精神的に成熟して満たされるか、逆にもっとずっと幼くて理性がなかったら、そういう選択もありえたんだろうけど。
苹果も晶馬に「恋人関係を求めて攻めた」(=ずっと待ってたんだゾ)ら、失敗したけど、
ずっとそばにいる、離れたりしない、水晶馬クン”達”を嫌いにになったりしない
という形で、家族として高倉家のそばにいるという切り口で攻めたら愛情を向けてもらえてる。
「家族」は求められても、「恋人」では違和感を感じてしっくりこないという
あの辺りの追い詰められた精神状態が「晶馬の業」なんだろうね。
逆に冠葉は、真砂子とマリオという本当の家族がいるから、そこまで飢えてない。
飢えてないというか、高倉家に対する拘りも水晶馬とは質が違うんだろう。
ただ単に、「惚れた女(=陽毬)と一緒に生活できる環境」という意味合いが強い。
だからといって冠葉が陽毬を口説いたら、
確実に拒絶されて陽毬と一緒に生活できなくなることは冠葉は理解している。
だから、冠葉は高倉家という枠組みに兄という立場で拘らざるを得ない。
悲しい関係性だよね。みんな、どこか満たされてない。
陽毬は陽毬で、「大好きな運命の人である晶馬」は自分を恋人として見てはくれない
女心としては悲しいけど、妹として一緒に生活できているところで満足している部分がある。
高倉家の両親のおかげで、
「家族愛の部分」では陽毬はある程度満たされてるので、
女として晶馬に見てもらいたいと考えるだけの余裕がある。
(実母に似て、女としての欲求が意外に強いという見方も成立する。)
「女として見て貰えない部分の飢餓感」は、
自分を女として見ている冠葉がある意味で満たしてくれているので、
そこまで焦ってもいない。
結構、腹黒い部分が陽毬にはあるんだろうな。女王様気質というか。
陽毬視点で見ると、
大好きな運命の人である晶馬と(妹としてではあるが)一緒に生活が出来て、
冠葉は兄としての役割をこなしつつ、女としての自分の自意識を満たしてもくれる。
誰かが自分のそばにいて、
自分を見ていてくれるという実感があるので、
高倉家は実母との生活よりはるかに居心地が良いという感覚なんだろうね。
結構というか、かなり腹黒い。
プリクリさまの思考パターンには、陽毬のそういう黒い部分が反映されてるのかもね。
真砂子はそういう陽毬の黒い部分に女として気が付いているから、
あれ程に陽毬を嫌うという見方も出来る。
「女として冠葉に応えるつもりがないのに、妹の立場を利用して冠葉をもてあそんでいるビッチ娘」
だと陽毬の事を見ているのだろう。
だから、陽毬の事はあしざまに罵るが、真砂子は晶馬の事は悪く言う事がない。
自分と同じで家族に飢えていて、家族として冠葉を思っている晶馬の事は、そんなに嫌いじゃないのだろうね。
そうじゃなかったら、晶馬にも「お兄様を返して!」と罵しるはずだもの。
運命や人間関係が、それぞれに後追いしてるような関係性で、みんなどこか満たされていない。
この辺の構図設計は、イクニがしたんだろうけど、
破綻しそうな微妙な関係をよくもここまで重層的に設計できるもんだよ。
幾原さんはやっぱ天才だわ。
宮沢賢治が関東大震災後の日本の姿に触発されて書いた「銀河鉄道の夜」を題材にした作品を
東日本大震災の年に発表することになった時点で、天才というか天に選ばれた人物である気はしたな
鈍感草食系に見える晶馬は意外と察しが良くて打算的
ヤリチン肉食系の冠葉は本命には一途
天使のような陽毬は小悪魔
童貞キラーを装っている真砂子は処女
ゲロビッチストーカーさんのシンプルさは異常やで
その真っ直ぐさこそ、最終的に苹果ちゃんが世界を救う者になれた所以なんだろうな
ビッチに見えて純情
人畜無害に見えて復讐魔
ゆりさんは百合
>>769 冠葉から真砂子、陽毬への感情はまったく同じじゃないけど、妹という要素は
どちらにも含まれると思うよ
冠葉にとっての夏芽家って、変な言い方になるけど、他家に嫁いだ女性にとっての
実家に近いものじゃないかな
家庭という運命をともにするもっとも密接なコミュニティは別の場所へ移って
しまったけれど、肉親たちへの情が失われるわけもなく、少し遠いけれど家族ではある、
みたいな
だから、高倉家の長男であることと、真砂子の兄であることは同時に成り立つと
思うんだ
晶馬は冠葉の事を「高倉家を構成する為に必要なストッパー」ぐらいに思ってる。
→陽毬と二人では「家族としての高倉家を維持できない自覚」があるので、
冠葉のわがままもある程度は許容してる
冠葉は晶馬の事を「陽毬と一緒の生活環境を維持する為の付属物」ぐらいに思ってる。
→だから、わりと晶馬に対する態度は雑になっている。
家の中での靴下を脱ぎっぱなしなどの態度も、
雑な家族を演出する事で晶馬と陽毬の仲を邪魔するための牽制の意味もあるんだろうね。
陽毬は「晶馬の事を恋人として大切な相手」、冠葉は「基本的に二番手の扱い」
もちろん冠葉を嫌いなわけでなく、
冠葉がいるからこそ晶馬との生活がギリギリ成立している自覚はあるが、
冠葉には兄としての立場や振る舞い意外は求めていない。
(そこから逸脱するなら、邪魔者として敵のような認定をする可能性まである。)
「そういうズレによって成立していた高倉家」が一度崩壊するのはある意味での必然ではある。
でも、「それでも私達は一緒に居た」と最後に自覚して、
ズレや行き違いがあっても「家族としてお互いに大事な存在なんだ」とお互いに再認識するんだよね。
「兄貴なんていらなかった」といってた晶馬が冠葉を兄貴と呼んで、
「高倉家での生活は罰を受けていたようなものだった」と言っていた陽毬が晶馬にピングドラムを返す。
「ふたりでピングドラムを返す」事で、冠葉をちゃんと救う。
主人公なのに能動的に動いてこなかった晶馬が主人公として振舞うのも良いし、
ある意味で一番省みられていなかった立場の冠葉が救われるのも良いし、
陽毬が自分の心無い態度や言動をちゃんと謝罪して冠葉を救うのも良い。
ああいう演出が非常に練られていて、
幾原監督の家族観や祈りみたいなものが入っていて最後は非常にステキだよね。
家族としての決着が高倉家でついたあとで、
晶馬は苹果を救い(恋人して)、冠葉は陽毬を救う(兄として)
踏ん切りのつかなかった恋人関係に踏み込んで、
苹果に「愛してる」とちゃんと伝える晶馬は人間的に成長してる。
踏ん切りのつかなかった兄としての立場を受け入れて、
陽毬に「光をみつけた(自分を救ってくれた家族だったという比喩だろうね)」と伝えてから消える冠葉も人間的に成長してる。
ラストで二人の成長をきちんと描いてるから、あの辺の演出も上手い。
男子組が割りを食って損をしてる感じがあるが、
女子組があれだけ頑張ってるのだから、
男なら「ど根性で何とかしろ!」って感じがして、とても幾原さんらしくて良い。
男はやせ我慢でも良いから踏ん張らねばならん!って意識が強いんだろうね(笑)
>>804 >陽毬と二人では高倉家を維持できないから冠葉のわがままを許してる
→それでは冠葉をいい金づるとして利用してるだけみたいだw
単にお金を持ってくるだけの存在…だったんだろうか
>陽毬と一緒の生活を維持するための付属物
→冠葉はずっと前に晶馬にもピングドラムを渡していたのでは?
>陽毬は…そこから逸脱するなら邪魔者として敵のような認定をする
→そんなとこあったっけ?
でも、やせ我慢でもいいから踏ん張って、きちんと成長したら、
きちんと「ご褒美の林檎」が与えられて男子組の二人にもピングドラムが与えられた。
とはいっても、半分ずつではあるんだけどね。
その半分ずつの兄達(二人でようやく一人前)が、
家族として妹の陽毬に最後に「大好きだよ お兄ちゃんより」と伝えるのがとても綺麗だよね。
それを受けて陽毬が泣きながら「ありがとう」と返すのもすごく綺麗だと思う。
ピンドラが家族をテーマにした物語なのが自然に伝わって、とても良いラストシーンだと思う。
>その半分ずつの兄達(二人でようやく一人前)
だから「お兄ちゃん」よりなのかー
>>806 冠葉が出て行って陽毬と二人になったら、
「池辺の叔父さんの家に移れ」とすぐに促してる。
陽毬と二人だと、高倉家として成立しない。
晶馬には「二人きりだと兄と妹の関係じゃなくなる自覚」が強いんだと思うよ。
陽毬もそれを自覚してるから、あえて妹として振舞ってる部分があるんだろう。
でも、高倉家から出て行く時は「晶馬と女として話す最後の機会」ぐらいに思っていて、
それでキスシーンになるんだろう。
「晶ちゃんは女としての自分の気持ちには応えてくれない」
という自覚は陽毬にもあるんだろうね。
仮に冠葉が陽毬に「好きだ」とか「二人で生活しよう」とか言ったら、陽毬は絶対に拒絶すると思うよ。
「私は晶ちゃんが好きなの。冠ちゃんとは居られない」つって。
でも、冠葉の事が嫌いなわけではないし、
今まで利用してしまった部分があるという自覚もあるので、
真砂子のところにいって謝罪して、それをある程度は受け入れた真砂子がそれを許す。
それで「二人で冠葉を救うのよ!」という流れになるのだろう。
「晶ちゃんには苹果ちゃんが居る」という気持ちもあるし、
自分の命の期限が迫ってる。
そういう時に、冠葉を救おうという選択を取るんだから、陽毬も本質的には善人なんだろうね。
冠葉はわりと晶馬の事が嫌いなんだと思うよ。
陽毬から女として愛情を向けられてるのに、それに応えるつもりがない。このヘタレが
みたいにどこかで思ってる。
それでも、高倉家を維持しないと陽毬と一緒に居られないから我慢をしている。
だけど、二人と一緒に居ると息がつまったり、居たたまれない時があって、
そういう時に他所の女の家に泊まりに行くのだろうと思う。
傷ついた冠葉の逃避行動だよね。
それを晶馬は表面的な理解しかせずに、
「ばっちぃ冠葉菌がうつる」なんてのたまうのだから、
「殴ってやろうか」ぐらいはたぶん思ってる(笑)
二人で殴りあう会があるが、あの時の冠葉の気持ちを想像すると非常に楽しい(笑)
かなり爽快感を感じながら晶馬を叩きのめす冠葉と、
高倉家を維持する為と両親の負債への気持ちの意味で冠葉に殴りかかる晶馬
「拳にかける気合」が違うので、晶馬が負けるのは必然すぎるのです(笑)
>それを晶馬は表面的な理解しかせずに、
>「ばっちぃ冠葉菌がうつる」なんてのたまうのだから、
>「殴ってやろうか」ぐらいはたぶん思ってる(笑)
ワロタw
間近で陽毬→晶馬見てたらそりゃ他の女に逃げたくもなるよな〜
>>810 どこを読んだらそうなるんだろう
かなり妄想&思い込みが入ってると思うw
むしろ冠葉は陽毬→晶馬に全く気が付いていなかったんじゃないだろうか
男として迫ったら陽毬に拒否され家族関係が破綻する事に怯えていただけで
冠葉は空気が読めて頭が回る設定なのに兄妹の人間関係に一番詳しくなかったような気がする
外で家族のために必死で働く一方で家庭事情に疎い父親みたいだ
晶馬を憎む心はどっかにあっただろうな
真砂子は気づいてたよな
冠葉→陽毬も陽毬→晶馬も
連雀さんを通じて監視してるとはいえ、
部外者の真砂子が気がつくぐらいだから冠葉も多少は理解していたのじゃないかな
気が付かせないように陽毬が完璧に振舞っていたのなら怖すぎるww
そら、実のおかーちゃんに捨てられるわ
よく陽毬はビッチって言われてるけどしたたかさはあるよね
アニメ前半のへんじゃ全くおもわなかったよ
可愛い妹を演じている陽毬に視聴者も騙されていたのかもな
陽毬は陽毬で、可愛い妹を演じないと捨てられるという恐怖感があるんだろう
実母に捨てられる
あのマンションで林檎をわけてもらって晶馬に惚れる
こどもブロイラーまで晶馬が助けに来てくれて物凄く惚れる
高倉家の子供になっても、捨てられる恐怖感が完全に消えないままに過ごす
本質的には優しい子なので、葬儀での冠葉を気遣って絆創膏を貼ってあげる
潮干狩りで見つけてもらって、捨てられる恐怖感がほぼ消える
高倉家にも馴染んで行って、リボンの件でわがままが言えるまでになる
(相手を信頼していない子供は、ああいうワガママは言えない)
しかし、高倉家の両親の逮捕でようやく取り戻した生活の基盤が崩れる
さらに重篤な病に倒れる
陽毬は陽毬で十分に気の毒だし、可愛さを演じるだけの理由もあるのだけどね
>>810と自分の意見は反対だなー
晶馬って、確かに、冠葉の中では非常に特殊な位置にいるんだけどね
冠葉は基本的には情のある相手はむちゃくちゃ大切にするけど、そうでない相手には冷淡
陽毬のためならテロで他人を犠牲にすらできる
で、陽毬や真砂子といった彼の大事な人には自分自身を犠牲にして惜しみなく与える
でも晶馬に対してはそのどちらでもない
冠葉がらみの愛憎入り混じる感情のせいかとも思ったけど、実は最初からそうなんだよね
「運命の果実を一緒に食べよう」
これは冠葉からは晶馬に対してしか出ない言葉じゃないかと思う
冠葉や真砂子にはりんごを一個丸々あげただろう冠葉が、晶馬には自分から
分け合うことを提案した
冠葉にとって晶馬は陽毬とは違う意味ですごく特別な愛の相手なんだと思うよ
だから冠葉が一緒に銀河鉄道で旅立てる相手は、晶馬しかいなかったのかもしれない
820 :
819:2012/03/05(月) 02:30:43.62 ID:RpA2GSDN0
ごめん、誤解されそうな書き方だったんで連投
本当の光を見つけた後の冠葉は、陽毬や真砂子にも「運命の果実を一緒に食べよう」
って言えると思うよ
でも、困難な道行を一緒に行きたいと積極的に考えたり、
重い荷物を半分持って欲しいと考えた時に真っ先に思い浮かぶのは晶馬なんだろうと思った
>>814 晶馬だって「兄なんかいらなかった」って言ってたしな
晶馬にも冠葉に対する黒い感情があったんじゃない?
・実は冠葉以外喧嘩相手いない
・家族になる前、千江美から晶馬が冠葉の話ばかりしている事を暴露された
・正論で糾弾しながらも汚れ仕事を押し付けている罪悪感がある
・倫理観で対立してもどこか筋が通している事も認めている
・行動的で頭の回転が速い冠葉を密かにリスペクト
つまり晶馬→冠葉はツンデレ
対苹果ちゃんといい、晶馬側の心理描写は小説で相当捗るね
ツンデレ…?
冠葉=カズマ「俺の勝ちだ」
晶馬=劉鳳「貴様の負けだ」
晶馬=劉鳳「カンバァァアァァ!」
冠葉=カズマ「ショウマァァァァ!」
陽毬=無常さん「勝者。それは私です」
桃果=カズマ「私の勝ちね」
眞悧=劉鳳「今度こそ、君の負けだよ」
桃果=カズマ「サネトシィィィィ!」
眞悧=劉鳳「モモカァァァッァ!」
眞悧=劉鳳「やっぱりまた負けちゃったか。仕方ないよね、惚れた弱みが僕にはあるんだから」
桃果=カズマ「ウフフフ」
こんな感じで理解しておけば、良い気もするんだがーw
晶馬はMらしいから苹果ちゃんに惚れたんだなきっと
りんごはMだぞきっと
829 :
メロンさんex@ご利用は紳士的に:2012/03/06(火) 07:54:10.94 ID:JGVRZsbZ0
晶馬はSだと思う
830 :
メロンさんex@ご利用は紳士的に:2012/03/06(火) 07:54:59.92 ID:JGVRZsbZ0
冠葉はM、陽毬はSだろ
真砂子もM、そしてマリオさんは隠れSだと信じてる
桃果はドS
そしてイクニは…
おまえらよく服のサイズわかるな
Sなのは晶馬と眞悧
Mなのは桃果と真砂子とマリオ
陽毬ちゃんはMっ気を含むHな子
りんごはNか…
監督と一緒でMらしいぞ晶馬
陽毬は基本Mっぽいけどプリクリ的に考えてSの素質はある気がする
苹果ちゃんと冠葉は好きな人の命令ならどんなプレイも受け入れそうだからM
そして桃果さんはぼっち限定S
>>837 晶ちゃんはああ見えてSだよ
監督はMなのかなw
>>820 なんだろう、腐が一生懸命に「冠葉の一番は晶馬なの!」と言いたいが為の屁理屈に見える
男は普通好きな女の子に重荷を背負わせたくないよ
>>840 晶馬の一番は苹果、冠葉の一番は陽毬
でも共犯者となりえるのはお互いだけってことでいいんじゃないか?
>>820はレス先の相手があまりに極端な陽毬中心主義者だからフォローしているだけだろ
オープニングのラスト
中央に寝台に眠っている陽毬 左右に別の方向を向いている冠葉と晶馬
途中でも中央を陽毬が走り 左右に別の方向に向けて走っている冠葉と晶馬
(しかも、冠葉だけ他の二人よりやや遠い距離を走っている)
この辺の暗示を素直に読み解いたら、陽毬を軸にしてテーマを見るべきなのはすぐにわかる
「一緒に生活をしながら、別の方向を見ていた高倉家の三人」
が最終話できちんと向き合って家族になる
その辺を自然に読み解けばいいだけさ。
完全に反対の方向を向いていて、
全く向き合っていなかった冠葉と晶馬が最後に一緒になって、
「どこに行こうか」と話し合ってる事も併せて読み解けばテーマはわかるはず。
カップリングや恋人関係で読み解こうとするから、
陽毬中心主義だどうだという見方になるだけさ。
この作品のテーマは家族だろう。
その辺について自分の意見を言ってみただけなのだが、
フェミニズムの強い人にはそうは受け取ってもらえないのかなあ。
晶馬と陽毬は同じ方向走ってる
あれは道を踏み外し
晶馬と陽毬が同じ方向を走ってるのは冠葉を追いかけてるのだと思ったけど
自分はあからさまに違う方向に走ってる冠葉はもちろんだが晶馬と陽毬も
方向は同じだけど二人とも相手を意識するわけでなくひたすら一直線に
走ってるので、きっと行き着く所は違うんだろうと思ったから
一番最初に見た時は多分この3人は最終的には今の形のままでなく
完全にバラバラになるかそれぞれ別の道を行くんだと思ってたな
でも22話で冠葉を止める時の陽毬が走ってるシーンはOPと重なるから
やっぱり陽毬と晶馬が冠葉を止める為に走ってるって感じなのかもな
OPの陽毬が走っている後姿は22話でKIGAのアジトのシーンで冠葉を
追いかけてるところにそっくりそのまま、でてきてましたよ
あそこのことだと思ったけどな
晶馬のはしらんが
逆さまになっている晶馬は家族を欲しているように見えて一番家族と向き合ってなかったように思う
高倉の両親の実子である晶馬の苦悩は、養子である他の二人にはわからんって
他の二人よりも重くて深くてきついはず
それを「被害者家族側である苹果」が癒す構図が意味深なんだよな
>>851 冠葉と陽毬は、実の親から得られなかった
家族と愛を得られたからこそ、高倉の両親を素直に愛せたのかも。
晶馬は実子故に両親と罪を美化できず、
擬似家族の殻にこもるしか逃げ場所がなかったのだけれども。
苹果は晶馬を癒すことで、逆に精神的な安らぎを得られたのかもと思った。
前半、自らを犠牲にして桃果の不在を補おうとして足掻いている間は
一瞬見せる不安そうな表情が印象強かったけれども、後半は、ね。
そういう細やかな感情表現に、改めてこの作品の奥深さを感じる。
二人の漫才を散々見てきた帽子様の副音声ver.を聞いてみたいかもw
>>852 人格は桃果さんだから「仲良しねえ」ぐらいの微笑ましい意なんだけど
晶ちゃん大好き陽毬言語変換によって卑語が装飾される予感が
脳味噌ド腐れゲロ豚ビッチ娘ェ…
桃果「苹果可愛いよ!」
↓
陽毬による変換
↓
プリクリ「脳みそド腐れゲロ豚が!」
いろいろ見たけどわからんかったのだけど、運命の乗り換えに必要な呪文は人によって異なるんだよね?
病める時も健やかなる時も
富んでいる時も貧しい時も
良い時も悪い時も
前髪にメッシュが入っている時も前髪にメッシュが入っていない時も
あなたの事が大事です。そばに居ます。
という主張が入っていれば大丈夫なんじゃないか。
赤い時も赤くない時も…
でもやっぱり荻野目姉妹が唱えないと発動しないのか?
>>780 「ひらけゴマ」みたいなもんで呪文の言葉自体に意味はなかったと思うことにしてる。
それより、誰かを救いたいという思い、そしてその言葉が、呪いに対する最大の防御であり、サネトジもそこにつけこみたいと思いつつ見落としていたのかなと。
陽毬と冠葉はお互いの好きな人知らなかったんだな、と自分は解釈した。というか最後まで読んだらそんな些細な事どうでも良くなった…
オトナアニメに出てた台詞は記事書いた人がデタラメに書いただけだと思ってたけど盛大なネタバレだったのね
只の感想になった
寝る
>>860 >デタラメに書いただけだと思ってたけど
これ当時言われてたな〜
そのせいで雑誌記事は信用性ほぼ0認定くらってたw
今回繋がって雑誌の良さを改めて感じた
でも雑誌のところどころ間違ってるとこもあったぜ?
863 :
メロンさんex@ご利用は紳士的に:2012/03/10(土) 19:34:42.43 ID:IGJrGUhJ0
そりゃサンプル渡した後も調整はするからな・・・
名前とか全然取り違えていたところがあった
記者ちゃんと見てないだろ
名前間違いは勘違いか?って何故か流せてたけど
セリフはさすがに妄想すんなよ!!って感じだったから今回で許した
未来日記にはさすがにキレたw
公式ガイドはどこまで解説があるのかなあ
解説は無いだろ紹介はあっても
桃果のキャラクターがイマイチつかめなかった。
日記をリンゴに託したということはリンゴに
乗り換えをしてもらうことを望んでたということだよね?
世界を救うためとはいえ妹が焼け死んでも構わなかったのか?
桃果は13話の段階で負けてるからね
全てが思い通りにはいっていないことは確かかと
私は、遺品の日記が心ならずも苹果の手に渡ったからこそ
兄弟を奪うように唆して、妹の焼死を回避したかったのかなと思った。
無事ミッションが終了したら、日記とは全く関係なく存在する
ピングドラムの正体を明かすつもりだったのかなーと。
でも、マリオさんの帽子の方の桃果の意図は不明のままだったから
未だに分からないまま。
公式ガイドで補完できるかな…?
マリオは人質であり、保険であるという見方をしているブログを読んだことがある
なにもネガティブな意味で言っていたわけではなく、16年前に己の愛の盲目さを暴かれた桃果が絞り出した戦略だったという説だった
高倉兄弟の絆を信じつつ、失敗した時の保険をかけた、と
愛を信じることと疑うことの両立
こういう考えをしていた
桃果が唆して兄弟と苹果を接触させないと
冠葉がテロって悪夢再びだし
苹果は日記に束縛されて自分を持てないでいただろうし
>>872 妄想の域を出ないだろ、それ。
マリオは、真砂子を動かすためのコマかつ、視聴者を惑わすブラフ以上の意味は無いと思うんだけど。
やっぱり銀河鉄道にもちゃんと当たっておくべきだと思うね
公式コミックアンソロ買ったよ
晶馬りんごと冠葉陽毬ってかんじでカップル描写多かったかな
・・・あと多蕗ゆりも
わりと満遍なくほぼ全部キャラ載っててすごくよかったです
カラーは夏芽兄妹弟も多かった。マリオさんが日の目をみていてよかった
買うべし!
マリオさんはもったいないキャラだった・・・
登場したときのワクワク感なつかしい
マリオさんはしょせん道具に過ぎなかったのだ・・・
真砂子の河豚食いイベントを発生させるための。
痺れるだろう?
オーコメがすごい真面目だった。
チャウダーさんは、南米の日系人w
クラウダーさん(?)の、ハリウッドぽいピングドラムも見てみたい。
アメリ冠葉になるのかw
真砂子が運命日記に執着するための原因になってるんだから
物語上で必要な人物設定だろww
しかし運命日記は最初はふつうに○月○日に△△があった、
みたいな、ふつうの桃果の日記だったのに、なんで途中から
未来日記になってるのか。
神様のメモ帳だからさ……
桃果「アタイはニート桃偵だ」
メッシュwww
ぶっ通しで全部見終わった。近くで見れば花の絵。遠めで見れば人の顔、みたいな騙し絵があるが、そんな感じ。
焦点を定めすぎると見えなくなるような、幻惑される楽しみを味わった。
で、感じたこと。
>>70あたりにカンバとヒマリはセックスした、みたいな記述があって、
んなアホな、このエロ脳がwwとか思ったけど、後半見直して、ありえるかも、って思い直した。
リンゴちゃんがストーカーやっているあたりとか、ユリさんの過去とかけっこう性がらみの描写がある。
プリクラさまが裸でカンバを抱きつくとか。この作品のテーマに性的なものも絶対含まれている。
でも、後半シリアスモードに入ってから激減する。その代わり暗喩で示されているのでは。
親が宗教だかテロに夢中で、放置され寂しい思いをして居た幼いころ、カンバ、ショウマ、ヒマリは性的な慰めあいをしたのでは。
先ずカンバとショウマ。それからヒマリ。
分け合ったアダムとイブの罪のリンゴってとこがその暗喩。
劣悪な生育環境に育つと、性的に芽生えるのが早くなる。(それも一つの生存戦略だそうな)
その行為は一過性のもので長く続かず、成長するにつれ忘れられるお医者さんごっこみたいなものだった。
だが、なにせ皆愛に飢えた子供達だったため、あまりにその時分け合った愛情が深すぎ、それが罪となり
それぞれの呪縛となった…。さすがに幼児どうしの絡みは絵的に無理。それで非常に曖昧な表現にされたのでは。
トンデモ解釈だと自覚しているけど、なにせあのウテナで暁生×アンシーやった幾原だし
こんな穿った感想を抱くこともきっと許してくれるよな
あと、3兄弟から焦点を外して遠くからこの作品を見ると、
これは親(というか生育環境)と子の関係の物語なんだな、と。
子は「親」にとことん支配される。親がバカだと子はそのトバッチリを受ける。
成長しても、親を恨んだり憎んだりしているうちはまだ親に人生を歪まされているのと一緒だ。
真に、親とか生育環境という運命から自分を解放するには
自分を捨てれるほどの、他者への思いやりを持つこと、っていうようなメッセージが勝手に頭に湧いてきたw
過剰な妹へのこだわり、親との確執などに宮沢賢治っぽさを感じたりもした。
性的なものを暗喩してるのは間違いないね。冠葉と陽毬はキスしまくりだろ。
セックスしてるかどうかは、ふつうの読み方だと死にかけの女とセックスしまくりは
いくらなんでも鬼畜すぎる、となるが。
>>885 陽毬と晶馬が運命の果実をわけあってた場面は流石にナイと思うよ
なんせ推定3歳と5歳だからなあ
あれは家族になる=運命共同体になるって意味じゃないかな
一話の最後のほうでプリクリが冠葉の胸からピングドラムを抜いてる
生存戦略シーンは性的暗喩なのかなって思う
それから23話で冠葉が病院に現れたときに晶馬が見たシーンも
恐らくそうなのかなって思う
>>886 家族の話だよね
京大新聞で、'95年以降寄るべき物語を失った日本人が帰るべきコミュニティとしての「家族」、
それが孕む問題点……ゆりが受けた虐待、祖父の価値観を引き継がされている真砂子を例に取った、家族の呪い(逃れられない運命)に縛られる子供たち
といった批評があって、なるほどなあと感心してしまった
で、そういったものを克服する手段として、愛する者と、生きることの罪や罰で実った「運命の果実」を愛でもって分け合うことで「家族」となる、
家族の呪いを家族でもって上書きするという結論だったわけだが
この生きることの罰ってなんだろう、って考えた時、苹果の辿った経緯を考えるといいのかなあと思う
なんというか、苹果って、話が進むにつれて、どんどん見たくない現実を突きつけられていってるじゃない
後半、実は高倉の子供たちも、それぞれがそれぞれの見たくない現実を、それぞれの態度でもって認めてこなかったことが明らかになるわけだけど
そんな中、苹果は辛い現実も受け入れて強くなろうとしてるし、さらに晶馬の負っている苦しみにも寄り添おうとしてる
この苹果の行為って、まさにピングドラムを分け合う行為だよね
愛でもって罰を分け合う
さすがは京大新聞あいかわらず目ざといな
最終的にマサコが一番かっこよく自分の目には映った。
マサコは最初から現実を直視し、行動力があり、しかもその行動に歪みが無かった。
すげえ16歳だよ。
リンゴちゃんにも感動した。ある意味あの子も歪み無く、ハンパ無い。まっすぐに伸びている。
あの二人が残っている限りあの世界は大丈夫だって思わせる力強さがあってよかったよ。
マサコは潔い。守りたいものは自分が守る。取り戻したいものは力ずくで戻す。
泣き言は言わない。ひたすら実行。
対照的に、リンゴちゃんは自己犠牲の権化だね。ゲロビッチな行動も家族再生のため
身を捨てるように行っていた。もちろん家族には自分も含まれるから、自分のためとも言えるのかもしれないけど
自分を完全に捨てさり、姉になりきることでソレを実現しようとしているのだから。
ただ父母に仲直りしてもらいたいというレベルじゃない。
おまけに見ず知らず、に近いヒマリちゃんのためにあそこまでする。いくら好きな人の妹だといえ。
真砂子はストーリーの犠牲になって行動が歪みまくりでしょ。
マリオを助けるためなら、何故、もっと早く冠葉と話し合わないのか。
二人の実の弟が陽毬と同じ病にかかって死にかけてるのかもしれないのに、だ。
共闘できるではないか。
理由は単純。ストーリーをミステリーにしたてるため。
実の妹という秘密を伏せ、真砂子を謎の日記強奪ストーカー女にしておくため。
最終話まで見て最初から見返せば、彼女の行動の不思議ちゃんぶりが分かる。
この物語の登場人物たちはすべからくストーリーの操り人形だけど、その最たるものは真砂子だった。
最後も夢オチという、悲しい犠牲者、真砂子。
よく10話の真砂子のストーカーぶりがわからんという人がいるんだけど
あれって冠葉の行動とかぶっているんだよね
真砂子→冠葉:KIGAから自分たちを逃がしたことへの感謝の念が、しこたま重いプレゼントとして贈られる
冠葉→陽毬:陽毬に生きる力をもらい、返礼として陽毬のために身を削って自己を捧げる
どちらも一方的な愛の贈与で、受け取る側が受け止めきれなくなってることも共通してる
>>895 真砂子も冠葉も最後は愛を受け止めてもらえて愛を返され報われたと思うよ
それが真砂子が「夢の中でお兄様に愛しているといわれた」ってセリフと
冠葉の「本当の光を見つけたよ」ってセリフに現れていた
>>896 もちろん最終的にはそれ相応に報われていると思う
けど、その前に一度つまづいているように俺には見える
真砂子は冠葉に贈り物をし続けたが、冠葉から返ってきた言葉は「お前はただのストーカーだ!」
冠葉の捨て身は、陽毬に「私が見て見ぬフリをして〜」って贈り物(≒命)を返される結果になった
とりわけ陽毬の場合は、冠葉の自己犠牲を感じるたびに、それが罪悪感に転化していることすらうかがえる
18話では自ら身投げをしようとしたし、22話では前述の通り
それと、「カラッポになるギリギリまでキスを繰り返」す話がエピソードとしてつながるのではないかと思う
からっぽになるまでキスをし続けて最後に報われたんだったらそれでよかったのかな、きっと
陽毬はからっぽになるまでキスし続けるのをやめたんじゃないの?
陽毬はキスなんてしないという子だよ
あそこの会話は、陽毬と晶馬をなぞらえてるように聞こえるし、実際陽毬はそのつもりだろうけど、冠葉と陽毬の関係性を語る挿話でもあると思う
あの後、陽毬は冠葉が自分のためにどれだけ危ない橋を渡っていたのかを知るよね
そこで、冠葉がキスを繰り返して凍りついてしまっていることに気付く、そしてそれは自分のせいだとも
そして陽毬はキスのお返しをしようとする(冠葉を止めるためのあれこれ)けど、もはやそれは一人が返すには重すぎて……
と、俺は解釈した
>>900 あのキスの話陽毬はどっちの立場にもあてはまっていたよね
晶馬に23で振り向いてもらえなくてもキスして
24で今まで与え続けてくれた冠葉に実りの果実を与えて
殻を破った陽毬は悟りひらいたみたいだったw
>>900 そうそう、サネトシから「キスだけが果実」と誘われたけど、それは嘘だと跳ね返したんだよね。無意識のうちに。あそこは陽毬見事だなあと思った。
たぶん
>>898 は冠葉のことを指していたんだろう・・・と分析してみる
からっぽになるまでキスをするのは心が凍りつくからって消極的だった陽毬が
考えを変えたのはやはり冠葉が命を分けてくれてたのを知ったからだろうな
904 :
メロンさんex@ご利用は紳士的に:2012/04/11(水) 19:20:43.54 ID:5KlOfZ/10
今更ですが、晶馬くんの初恋って陽毬ちゃんか苹果ちゃんどっちなんですか?
小説読んでないけど小説読めばこの辺はっきり分かりますか?
いきなりすみません
このスレをちゃんと読んでいたらそんな質問は出ないはずだが。
小説買えば?
晶ちゃんの初恋はりんごちゃんだろ
>>472 超ロングパスだが、むしろ世界を救おうみたいに息巻いていた、サネトシと剣山がテロに走り、
タブキとユリっていう手の届く範囲の人間に手を差し伸べた桃果の意思が勝ったという所に
メッセージがあるのではないかと思う。
909 :
メロンさんex@ご利用は紳士的に:2012/04/30(月) 18:12:03.83 ID:vmw22cOG0
ところでここ1000まで行ったら終わりか?
そうだね
もうネタバレがどうとかないし
本スレに合併でいいんじゃね
運命の乗換?
運命の果実を一緒に食べよう
それまで良く解らんかったけど
晶馬の初恋がりんごだって初めてわかった
解説本読んで・・・
自分が他の人を好きになることを初めて許したって書いてあったな
晶馬はいつ好きになったんだろう
7話冒頭あたりから放っておけないって感じだったけど
意外と言及が少ないけれども、
桃果的な愛から愛も罰も分け合うという結論に至る流れがあるわけだけど
それと対決している思想、剣山にあのような演説をさせたのは何故か、眞悧はどんな世界を夢想していたのかはもっと語られるべきだと思うな
だって、擬似家族や病弱な妹というポピュラーなモチーフを転がすには駆動力過剰だし、単に対立概念として物語上必要だっただけと考えるには存在感が有りすぎるよ
剣山も子供や家族は愛してたんじゃないか?
それとやった行為は別だけど
子供や家族を愛していたからああなったんだろう
「この子たちのような子供たちが選別されるような世界は正さねば」ってな
考えたいのは、彼等の理想はどのような世界で、その実現のためのテロリズムが何を意味しているのか、そして何故うまくいかなかったのかということ
晶馬が生まれたのが恐らくはテロの後押し
男の子が生まれたらテロ実行、女の子だったらやらないって決めてたのかなーと思ってた時期もありました
剣山が考える現状の世界=選ばれたものと選ばれなかったものがはっきり分かたれた世界・選ばれなかった子供たちを透明にする世界
眞悧の現状認識=人と人が箱によって分かたれた世界
テロの目的=箱の破壊、つまり人と人を分かつ境界線の破壊?
人類補完計画との類似と95年、過去の亡霊
(感想ブログを参照・参考にしました)
なんで、高倉家で生きてきた思い出の、煩わしさに分けられる類のものを「小さな罰」と呼んだのか?
単に「そういうのも含めて分け合おう」と言うには言葉が重いよね
「生きるってことは罰」だし「始まりから全て罰」なわけで、うーんどう解釈するのがしっくりくるだろう?
生きることは to me なんだよ
>>921 「煩わしさに分けられる類のもの」と言うより、高倉家で暮らした日常の事を、
陽毬は逆説的な意味で、「小さな罰」と呼んだんだと自分は解釈してるんだけども。
>921
この逆説的な意味での「罰」は、それまでに作中で使われてきた「罰」を根底から覆すもので、
「小さな罰」は「小さな愛」だと置き換えられるかもしれない。
「生きるってことは罰」ならば、生きることは誰かを愛し、誰かに愛され続けることでもある。
925 :
メロンさんex@ご利用は紳士的に:2012/05/17(木) 02:36:02.22 ID:G7c3+9/q0
愛してるよ
ごめん…
あいっ?!!
最終巻のコメンタリーはトリプルHも悪くないんだけど
〆として高倉3兄弟がよかったな
面白かったー
アニメの猫の銀河鉄道の夜も原作の銀河鉄道の夜も暗記するほど
繰り返して読んでるからすんなり楽しめた
罪がどうのーは「よだかの星」っぽいとも思った
「よだかの星」は生きる=罪がシンプルになってる
テロ組織の名前から賢治の「飢餓陣営」を思い出した
「飢餓陣営」は自己犠牲をシュールにしすぎてもはやギャグなのに
よく考えると重くて面白いよ
賢治の小説は小学校の時はわけわからんなりに読んでて
大人になって読み返すにつれシンプルな児童文学だとわかっても
重いパンチになる
妹の存在云々はモロに賢治の生涯だし
家路が流れた時、北の国からのUFO回(14話)でも流れてたような気がしたんだけど
ただの偶然かもしれないけど、北の国からのUFO回の考察を読んだら全く無関係とは
思えなくなった。意味深だな。宇宙つながり。
>>921 例えばすごく仲の良い友人同士でも、見ないふりというか、スルーしたくなるような
気に食わない部分がお互いにどうしてもあったりするよね。
赤の他人同士の場合、本当に我慢出来ない時は相手と縁を切ればそれですむけど、
『家族』になってしまった高倉家の兄妹たちはそれが出来ない。
でも嫌な部分があるからといって、家族や兄妹の関係を解消したいという訳では無い。
ずっと一緒にいたい。でも嫌な時もある。とても居心地が良い。でもモヤモヤする。
そういった、相手の嫌な部分を我慢してでも一緒にいなければいけないという事を、
家族だから仕方がない、これは果実を分け合った罰だと、兄妹たちは感じたのかもしれないね。
>>929 企鵝の会のアイディア自体は阿部公房の飢餓同盟から直接来てるけども
飢餓同盟は飢餓陣営から影響を受けて書かれた作品だから その通りだよ
それに監督が 飢餓陣営の存在を知らないはずがないと思うし
ネタバレではないけど本スレで言うことじゃないと思ったので
ピンドラやってからオ○ムの指名手配2人も逮捕ってすげえな
無関係で偶然だとは思うけど偶然とは思えないような不思議な感じ
このアニメであの事件を知った若い世代にもタイミング的に良かったような
風化させてはいけない事件だった
風化させていい事件なんて無いよ
935 :
メロンさんex@ご利用は紳士的に:2012/06/15(金) 19:23:10.46 ID:XtY0Z4hh0
全員逮捕しちゃったよ
この件で1000まで埋めよ
だが断る!
菊池や高橋達もピンドラ見てたかな どうだろ
見てるわけねーだろ
49の漏れが見てるんだから見てるだろ。
時々冗談で言ってるのか本気で言ってるのか分からなくなる
小説の最終巻発売されたの
とっくにな
昌馬は温泉宿の時に男友達に穴を狙われてたのかw
ダブルHの片割れは腐だし。
あれはただのネタだろ
気持ち悪いなあ
948 :
メロンさんex@ご利用は紳士的に:2012/07/09(月) 18:35:20.95 ID:FZtnepWx0
一周目終わっったー(圧倒的じゃないか!)
2週目で最初の数話みてるんだけど、まったく風景違うね。1周目との違いに驚きまくりデス
で、サネトシ先生の直接の敗因は、マフラーを届けてしまったことなんだけど
ずいぶんと余裕こきすぎたよね!
彼は檻というかヒトが心の壁から手を伸ばしながら微かにでも他の誰かとつながる
ことの破壊力を見誤ったってことになるのかな。
ヒマリちゃんがダブルHに対して自ら檻を作って篭ってしまってるんだから
計画は上々なのにオマエがヒマリちゃんのリンゴ(みたいなものというか。。)を
ダブルHに届けてどうするんだと
ピングドラムの解釈が定まっていないらしい?んだけど、
ヒマリ:カンちゃん、これがピングドラムだよ!
カンバ:(それって、オレがショウマにあげたリンゴじゃん!(驚愕))
上記は解釈抜きの確定事項で、
今ちょっと悩んでるのが、
カンバはショウマに「オレはホントウの光をみつけたよ」といってるのだけど
光は、単純に“希望(光明)”をさしていて、
自分には与えられるもの(ピングドラムがある)という自負なのか田舎。
ピングドラムがヒトを生き返らせたりするはずはないんだけどさぁ。。。
なんだか書いていて、これは有名な青い鳥の話ですか?になってしまってるなw
ヒマリちゃんに与えられるものを探して、行き着いたのは最初に自分が出来たこと。
お、おう
運命を乗り換えた先の世界=ひまりが高倉家に来なかった運命(平行世界?)って考えた
冠葉が林檎を見つけてカンバだけ生き延びるんだって話になったとき「それが運命なんだ」って台詞があった
でも冠葉はその運命を選ばずに昌馬に林檎を分け救った
昌馬が救われなければ昌馬は分ける林檎が無いのでひまりは高倉家の子にならず
冠葉は父親に愛されなかった悲しみを埋める光が見つからない。
そういう運命だったので乗り換えた時に透明な存在になってしまう
ただひまりは高倉家への罰を受けないので病気にならず親戚かどっかの家で健やかに暮らせる
ひまりは生き返ったんじゃなく元々病気が無かった運命に乗り換えたんだと思う。
冠葉から輪ってきたピングドラムをもう一度冠葉まで輪して(ある意味戻して)
運命の分岐点まで戻る事で平行世界へ行けたのかなって
だが出会わなかった運命へ乗り換えても、愛は無くならない。
無駄なものはなく夢になってしまった元の運命も意味のある事!
そんで冠葉は、親の繋がりがあるからひまりが居なくても養子に来てそう
って考えると最期の小学生冠葉昌馬も意外と生きてる子供かもしれん。縮んだ理由はなんとでもw
親には選ばれないし愛に飢える運命だけど、乗り換え元で得た愛があるから大丈夫だよね。
改行忘れて真っ黒になってしまった…
あと冠葉の光の話
絆創膏を貼ってくれた小さなひまり(光)に対して尽くす冠葉
与えてばっか居る冠葉に与えたいひまり
終盤やっとひまりが冠葉の愛の部分に目を向けたのに
冠葉は呪われてしまってひまりに与える事ばかりに夢中で破滅の一途。
でも最期にひまりからの愛を受け取って
その与えられた愛こそに本当の光を見つけたんじゃないだろうか
考察目的で「生存戦略のすべて」って買う価値あるの?
やっぱり普通のファンブック程度なんですかね
全話解説、スタッフコメントとか、情報量が多くておすすめ
956 :
メロンさんex@ご利用は紳士的に:2012/08/05(日) 13:00:31.25 ID:kmLTfxme0
ここまでいったのなら全部埋めてしまおうよ
ピングベアプロジェクトってのが来たね。
960
この透明な嵐っていうから子供ブロイラーの話かな。
せゆな
うめよう
次スレいこう
本スレと統合するんじゃなかったっけ
新スレはいらん
新スレ排卵
うめ
ウメホマレ
970
971
972
うまらねえ
そこは
>>964の先走りオナニースレでしょ 放置で落としていいんじゃない
この板は削除人働かねえんだよな
最近どこもサボりすぎ
うめ
てんてー
オチるダロウ?
ここは過疎板だから落ちないよ