戦国BASARAについて史実も交えて語るスレ
>>乙
本スレで面白い史実や逸話ネタ語ってくれた人がこっちに顔出してくれるといいな
>>1乙
最近、文献とか資料あさりだしたから、何か面白いネタ見つけたら書き込みに来るわ
2get
戦国ちょっといい話悪い話のまとめサイト見たりしてるけど
筆頭の逸話の数がパネェ
そら人気者だからな
でも忠実の伊達のDQNっぷり好きだw
周りからしたら迷惑だったろうけど
史実とゲーム本編のDQNぶりから考えると、アニメのはおとなしすぎてつまんなかった
前田と豊臣って史実だと仲いいよね
ゲームだと関係薄いけど
11 :
メロンさんex@ご利用は紳士的に:2009/06/27(土) 17:39:25 O
ディスってんのかメーン
熱唱琵琶ってこの話から出た案なのかね?
天正17年(1589)5月の事
伊達政宗は会津の郡山一帯で、残る伊達反抗勢力、高玉太郎左衛門尉の籠る
高玉城の攻略に取り掛かった。
攻める伊達軍は大軍であった。が、高玉勢も本丸にこもり頑強に抵抗、死に物狂いの防戦をした。
このためどうにも攻めあぐね、朝の四時から攻撃をし続けた伊達軍も夕刻となり流石に疲れを見せ
「今日中に攻め落とす事は無理であろう。」
と、引き上げ始めた。その時である。
高玉城に籠城する者の一人が、櫓に登り、狭間から足を出して、引き上げる伊達軍にむかって
招くように動かし、
「政の市、政の市、今日が琵琶の弾き収めだぞ!」
と大声で呼びかけた。
これに、伊達政宗が顔色を変えた。
少し説明がいるだろう。「〜市」というのは、当時、盲目の琵琶法師のうち下級の階層である、
座頭の名乗りに多い物であった。
すなわちこの男は、政宗が隻眼である事を揶揄したのだ。
こういうときの政宗は、怒りを我慢しない。激怒し、馬のきびすを返し叫んだ
「この程度の城が長く耐えられるものか!一気に攻め落としあの城の者ども全員の首を、
一人ひとり捻じ切って、政の市が弾く琵琶のバチ(罰)を当ててくれよう!」
引き上げかけた全軍を、一斉に攻め懸けさせた。
そのあまりの激しさに、城主、高玉左衛門尉ももはやこれまでと、妻子を刺殺した上で
出撃、討ち死にした。やがて午後八時過ぎには、城内の者は老若男女の区別無く、
斬り捨てられたとのことである。
唯一、高玉左衛門尉の、2,3歳ほどの末娘とその乳母だけが、命を救われた。
人々は、「一人の男が正宗の事を侮蔑し、『政の市』と悪口を言ったがためにこうなったのだ」
そう、恐れおののいたと言う。
一つの侮辱が招いた惨劇、のお話。
>>134 怒らすと怖いな>政宗
逸話じゃないけど瑞鳳殿に行ったとき小さい資料館で復元された伊達政宗公見たら
一般に知られてる肖像画よりずっと細顔だった
発掘検査の結果、左足首には骨折の痕があり資料から推測すると
馬イクから落馬して折ったらしい、とのこと
政宗カルシウム不足だったのだろうか
すぐキレそうだし骨折するし
>>16-17 これのことか
政宗の霊廟(れいびょう)瑞鳳殿(ずいほいうでん)が再建されたおりに
政宗の遺体の鑑定が行われた。その調査の結果によると
「身長は約160p。その時代の男子としては平均的またはやや高い部類。
血液型はB型
頭は長頭形で、額が広い。
顔は細面で、鼻筋が通っている。
左足の腓骨(ひこつ)に骨折の跡がある。 ←
骨組み、特に腕骨、大腿骨はたくましく、筋肉がよく発達し鍛錬された体。」
骨折がもとで戦に遅れた話があったな
このスレの香具師か何かがゲーキャラ板にマルチしてきててウザいです
なんでわかるの?
最近IEで見てもおすすめ2ちゃんねる出てこなくない?
伊達政宗
元服11歳
婚姻13歳(愛姫12歳・めご(愛称)・よし(本名))
初陣15歳
家督18歳で相続
母親の義姫と本名読み同じなんだな奥さん
そういえば弟殺したって言われてるけど生きてたっぽい記述が
最近見つかったとか何とか言われてるね
>>20 たぶん
>>7 の事言ってるんだろうけどこのコピペは
このスレ出来る前からあちこち貼られてるよw
>>23 自分はここと本スレでしか見たことないけど
最初は確かに本スレだったよ
真性って怖いわ
>>16 なぜか余計なこと言っちゃう人がいるんだよなあ
何年も前に野球の試合後インタビューで「あっそゆこと言わないほうが…」な人がいて
案の定相手側が大激怒した結果その後大逆転されてた
>>25 おっと・・・近鉄の悪口はそこまでだ・・・・・・
加tうわ何だ何をうふじい990ふ有為jgt5r
懐かしいw
史実の政宗の右目って眼球残ってますか?空洞?
>>27 本スレで眼球が無いまま成長すると頭蓋骨が歪むって読んだけど
資料館の複製された頭蓋骨は左右共に同じ大きさのだったよ
当時義眼があったのかネットで調べたけど分からずじまいだった
失明しただけなら残ってるのかなー
立ち読みですまんが、その復顔結果と片倉家の資料?だかを照らし合わせると、
小十郎はえぐり取ったんじゃなくて飛び出た眼球に短刀突き刺して膿を出して
元通り納めたんじゃないかという説が本に載ってたよ
うびぇえええええ
梵天丸よく耐えたな
最終回で「痛みには慣れてる!」つってたよな
にしても……イテテ…イテテテテ
こういうスレも出来たんだな
歴史に疎くて申し訳ないが信長のドクロの杯について誰かkwsk
めんどくせーな
自分でググれよ
>>34 大河とかでよくやるのは、姉川の戦い後に市の旦那(長政様)の頭蓋骨をくり抜いて金箔を貼り、盃にして酒を飲んだらしい。>魔王
最近では、後世の脚色との意見も。
佐助のセリフに給料のことや時間外労働もいいとこってあるけど
そういうのどうなってたんだろ?
給料は置いといて勤務時間という考えはあったのか
馬皿と史実を交えるの難しくないか?史実とかけ離れてるだろ…。自分はよく史実を知らないが、馬皿と交えるのは辞めた方が…別物だろ?
案の定伊達厨の巣窟になったなw
フロイスって宣教師によれば信長は酒飲まないらしい
>>38 1,史実=元ネタを知っているとより楽しめるから
2,BASARAをきっかけに史実に興味を持つ層もいるから
3,空気を読まず長文で蘊蓄を垂れ流し、スレを占拠する一部の歴オタを隔離するため
お好きなのを選んでね
>>38 少なくとも自分はアニメで「かいまき」が出たとき、
それがなんなのかサッパリ分からなかった
本スレで現在もある物だと知ったとき衝撃だったよ
>>39 想定の範囲内だろw
今まで本スレに空気読まずに史実ネタ投下してたの8割以上伊達厨だったしな
嫌伊達厨の人は関連スレに漏れなく出没するなあ。いや勤勉勤勉。
BASARAのキャラとしての伊達政宗が嫌いなのか、史実の伊達政宗が嫌いなのか教えて欲しいもんだ。
この流れで明智厨が首を突っ込みますよ
明智光秀=天海和尚説ってのを昔歴史バラエティー的な番組で見たんだが、
ただの俗説とは思えなかった
家康と内通してたというのも大いに考えられるし、
反織田連合的な動きは確実にあったと思うんだ
>>38 交えてってどういう意味なんだろ?比較してんじゃないの?
ほんとはこうだけどとか
なんで良くないのかわからんよ
>>46 伊達厨さんこんばんは^^
ついでにホモ絵馬とか悪名高い伊達厨が気持ち悪いです
>>38 知らないのに史実とかけ離れてるってわかるのかい!
両方知ったら面白いじゃん
>>49 あの絵馬はほんとにやめてほしいね
腐汁垂れ流しで恥晒し
結局ホモネタとしてしか見てないから敬意も何もないし
まともな脳味噌ならあんな状態にならない
島津と毛利のザビー教入信は
イギリスの武力を背景にした薩長同盟のオマージュなのだろうか
アニキも入ったら300年早い日本の夜明けに
島津は日本に着いたザビエルの布教を最初に許可したからその繋がりじゃないかな
ただ本心は布教を許して種子島鉄砲とか売りに来る商人が来やすいようにしたかったはず
伊達厨よりアンチ伊達の方が気持ち悪いと感じるんだが
粘着っつーか韓国人を思い出す執着ぶりっつーか…
どっちもキメーよ蒸し返すな
人気キャラって大変なんだな
史実でもゲームでも伊達がDQNなことに変わりはないからなwww
キャラが立ってるからゲームとかに出しやすいんだろうな。
明智、信長辺りもゲームや漫画に出しやすそうな感じの性格だ。
伊達が大坂の陣で味方討ちしたのと
誉田で退却する真田隊追撃しなかったのは
家康に謀反っ気が多少あったからなのかね。
敗残の真田や長宗我部の遺子引き取ったのとかも。
59 :
メロンさんex@ご利用は紳士的に:2009/06/29(月) 23:54:35 0
ageとくか
60 :
メロンさんex@ご利用は紳士的に:2009/06/30(火) 03:43:34 O
>>56 馬皿のアホ宗くんと史実の政宗公を一緒にすんな。アホ宗というか馬皿自体DQN。
>>60 ぶっちゃけDQNさは史実のほうが・・・w
出た
アニメ長政の死亡シーンは政宗の親父のエピソードも事前にだして、ダブらせとけば
より、良いシーンになると思ったな
>>61 さらに小十郎もDQNというか忠臣というか何と言うか・・・
腫れ物を焼いた蹄鉄で小十郎に焼かせて治した
「小十郎の姿ふたつにも見え」と語るほど痛かったらしい
政宗が腫れ物を焼かれる痛みに気絶しそうになった時、小十郎に水をぶっかけられて
『武将が気絶なんて情けないことするな!』って一喝されたとか
「まずは小十郎が、涼しい顔のまま焼いた鉄棒を自分の内股に押し当てて見せ、
それから政宗の腹に焼いた鉄棒を同じように押し付け、手当てした。
死ぬほど痛かったけど小十郎に痛がるところを絶対に見せたくなかったから、
気が遠くなりかけたけど超我慢した。」
片倉重長
重長の母が重長を懐妊した時、主君伊達政宗は前年に家督相続したばかりで
まだ嫡子がなかった。このため、父・景綱(小十郎)は、「伊達家に嫡男誕生までは
片倉家に慶事罷りならぬ」として生まれた子は直ちに圧殺するつもりであった。
これを聞いた政宗は、「その方の言い分もあろうが思いとどまってもらえないだろうか。
子を殺害するようなことがあればその方を恨むぞ。
俺の顔に免じてどうか助けてやってほしい」という書状を景綱(小十郎)に出している。
後の二代目小十郎である。
ちなみに
政宗は書状の中で固有名詞を略す癖があり(田村を「田」、相馬を「相」等)、
景綱宛の書状も私的なものは宛名が「かた小」となっている。
景綱が家督を息子に譲り、息子が「小十郎」を名乗るようになると
政宗からの宛名は「かた備」(片倉備中守の略と思われる)になっている。
ちなみに政宗自身の署名も「政」だけのものがある。
ここでお館様話をひとつ
「武田信玄は府内に寵臣の邸宅作っちゃって堂々としてた
ちなみに昌信に信玄が出した浮気の弁明手紙
昌信の眼を盗んで弥七郎という小姓を口説いたが布団の中では何も無かった
『お前(高坂)に連絡が取れなかったのは、色々用事があったから』
『これが嘘なら富士・白山・八幡大菩薩・諏訪大明神の罰を受けてもいい』
しかも署名もホンモノの花王もこの手紙にはある
この手紙を出して信玄が謝るまで、口も聞かなかったと言う」
BASARAなお館様がショボーンしてるのを想像してワロタw
主君に対して口も聞かないなんて家臣にあるまじき態度は
寵愛受けてるからこそできることだな
強気に出れるんだな
>>66 お館様何やってんはるんですかw
ちなみに某民主党の管さんの「ホテルで一晩すごしたが
何もしてない〜」を思い出したww
政宗公のおねだりと言えば(超要約)
この間買った(「もらった」かもしれない)笛の音色が気にいらねぇ
あん時お前が使ってた尺八がほしいから交換しろ
ついでに控えてた小姓もかわいかった
とかいうクレーマーのような手紙が仙台市博物館に展示されてた。
その後、ごねた結果、尺八も小姓もゲットしたらしい。
クレーマーの元祖やも知れん政宗公ww
滅茶苦茶だったんだな昔ってw
BASARAと別の意味でふっとんどるわ
「かた小」「かた備」自分は「政」かよ
かわいいな政宗
小十郎こええええwてかわけわからんな
今の感覚で考えてはいけないが当時の感覚なぞわかりようもないし
時代が時代だとしても根性がすげー
この前裸足で画鋲踏んだだけで騒いですいませんでした
>>71 「政」ならまだいい↓これなんか「ま」だぞw
密々ふみをもさしこす候。
無音之様ニ候。
然者、作夜之水入共、みなみなわるく候之間、其方罷越、いかにもよく候を
二本計きり候て御参候へく候。何事も重々、かしく。
尚々、いかにもよくみついれニなり申へく候たけ、二本計きり候て、
いそきまいり候へいく候。
小十郎殿
ま
意訳「誰にも他言は無用だが、水筒を作りたい。
いい感じの水入れになりそうな竹を2本ばかり切って、急いで届けてほしい。
小十郎殿へ政宗より」
これは何かの暗号か何なのか気になるんだが・・・
水筒作るのが何で他言無用なんだ?しかも急いでって何でだよw
お館様といい伊達といい手紙ネタ本当に面白いw
今のメールみたいに結構気軽に色々書いてたのね。
しっかり現存しているのがすごいな
水筒はサプライズピクニックでもするんかね
2本てなんだろうな?1話の酒思い出しちゃった
史実面白すぎるw
伊達軍の機動力って実際どうだったんだ?
アニメではやたら少数精鋭部隊のように描かれていたが
>>78 「父・輝宗の弔い合戦のため早くも畠山氏の二本松城を包囲し、畠山氏救出のため集結した、
佐竹氏・蘆名氏など3万の反伊達連合軍と安達郡人取橋で死闘を演じた。
数の上で五分の一以下の戦力であった伊達軍は重臣・鬼庭良直を討たれ窮地に立つものの
辛くも持ち堪え、反伊達連合軍の撤退により政宗は勝利をおさめた。」
3万の5分の1っていうと6000兵くらいか?
この話からBASARA伊達軍は少数精鋭部隊になってるのかもしれんな
完全勝利の勝ち戦ってない気がする。
いつも引き分けっぽかったりいつの間にか敵がいなくなってて助かってたりw
伊達軍勢っていうとこんな話もある
文禄2年(1593年)秀吉の朝鮮出兵に従軍して朝鮮半島へ渡る。また、普請事業なども行う。
朝鮮出兵時に政宗が伊達家の部隊にあつらえさせた戦装束は非常に絢爛豪華なもので、
上洛の道中において盛んに巷間の噂となった。
三千人もしくは千五百人の軍勢であったとの記録がある。
他の軍勢が通過する際、静かに見守っていた京都の住民も伊達勢の軍装の見事さに
歓声を上げたという。これ以来派手な装いを好み着こなす人を指して
「伊達者(だてもの)」と呼ぶようになったと伝えられる。
これは、派手好みの秀吉が気に入るような戦装束を自分の部隊に着させることで
本陣に近い配置を狙い、損害を受けやすい最前線への配置を避けるよう計算したものと言われる
はー
なんか・・・・すごいなあ
発想力がすげぇな。
今の時代でも成功するタイプかも。
何で天下取れなかったんだろうねぇ
>>80 まあこんな話もあるし・・・
天正13年(1585年)、政宗は小手森城へ兵を進める。討伐の際は、降伏を認めないなどの
徹底した粛清(小手森城の撫で切り)を行い、非道な一面を見せた。
豪族が殆ど親戚・縁戚同士という奥州では皆殺し戦術は前代未聞の大事件であり、
近隣の戦国大名を恐怖に陥れた。これは、近隣諸国への見せしめである。
まあこれが
>>79 の引き金になっちゃうんだけどもw
>>85 の続き
大内定綱の没落を間近で見た畠山義継は、和議を申し出た。
輝宗の取りなしにより5ヶ村のみを畠山領として安堵することになった。
ところが輝宗が、所領安堵の件などの礼に来ていた畠山義継を城門まで
見送りに行った所を拉致される。
政宗は事件の時、狩りに出かけていたが急遽戻り、畠山一行を追跡し、
父・輝宗もろとも鉄砲を放って一人も残さず殺害したという。
この事件は、輝宗が自分とともに義継を撃てと命じたとの説など諸説ある。
>>84 豊臣・家康と天下泰平の世の中になっていっちゃったからねえ
それこそあと20年早く生まれていれば・・・が、BASARAだなw
勉強になるっつーか日本の歴史って面白いのなー
ドラマや小説よりもわくわくする
そういえば武田信玄さんが自身を不動明王と称してお手紙書いたら
織田信長さんがじゃあ俺は第六天魔王ですよ〜wって
お返事書いたって話から自称第六天魔王になったんだよね信長さんww
>>86 ああ親父を殺っちゃったってそういう顛末なのか!
他の武将の話題が口直しのようにちょっとだけ入るのが笑えるんだけどw
政宗って同じ伊達であり小十郎とともに
子供の頃から一緒だった成実が出奔した時にブチきれて
成実の嫁子供ぶっ殺してなかったか
>>91 そう言われてたけど最近では出奔の一年前に嫁子供亡くなってる
出奔は政宗から何らかの依頼を受けたんじゃないかって言われてるよ
>>92 これか
文禄4年(1595年)、成実は突如として伊達家を出奔し、角田城は政宗の命を受けた
岩出山城留守居役の屋代景頼によって接収され(成実の家臣・白根沢重綱らの
内報を受けた景頼が角田城を急襲したともいわれる)、この際に抵抗した成実の
家臣・羽田実景ら30人余が討死し、成実の家臣団は解体された。
なお、成実の妻子が角田城接収にあたり、景頼によって殺害されたというのは誤りである。
成実の正室・亘理御前は既に他界しており、この時点で他に妻子が存在したという史料も無い。
ただ、この事件については不明な点があまりにも多い。
まず出奔の日付自体に諸説があり、出奔先も高野山・相模国糟谷の両説があり、
出奔の理由についても、文禄の役の軍功に対する恩賞への不満が原因とする説、
秀次事件への政宗の連座を避けるために嫌疑の内容を自らが被って隠遁したとする説などがある。
また軍記物においては、秘密工作実行のために政宗の命を受けて出奔したと
描くようなものも有る(『蒲生軍記』)。
>>88 あの厨二的ネーミングにはそんな顛末がw
何という黒歴史wwww
信長ワロスwwwwww
信長可愛いよ、信長wwwwww
なんだよ
お館様がそもそもの発端かいw
BASARAでは手紙のやり取りなんかしてないだろうからよけいおかしいわ
お館様は一級の釣り師だな
>>92 嫁子供はともかく、成実の家臣を殺したのは変わらんが。
信長から政宗の父ちゃんに宛てた手紙が仙台博物館で展示されてたな。
ある程度の交流はあったようだ。
本能寺の変が起きたとき、輝宗もまさかと思ったに違いない。
まあここまでいくとBASARAには全く関係ないんですけどねー。
いまさら何をおっしゃるのやら
>>79 ここに出てくる良直ってのはもしかして貴重なリーゼントの奴か?
>>102 あの4モブそれぞれ伊達家臣から付けたらしいからなあw
39 名前:四天王名臣録 4/4[sage] 投稿日:2009/01/10(土) 21:32:04 ID:afOtHKON
慶長18年(1613)、伊達政宗の五男・宗綱が成人し、烏帽子親として茂庭石見守綱元が
選ばれ、綱元の屋敷で元服式が行われた。
祝いの宴席では能が舞われ、膳には豆ご飯・イワシの塩焼き・芋汁が並んだ。
翌日、仙台城で成実と祝宴の話になった政宗は、
( ●Д゚) 「能は良かったけど、メシがイケてなくてなァ・・・」と正直にこぼした。
共感を覚えた成実は後日、綱元に会うと、「主君に粗末な膳を出すとは非礼ではないか」
と、素直な感想を告げた。
これを聞いた綱元、即座に政宗のもとへ飛んで行き、主君に詰め寄った。
「あの人取橋の戦の折り、殿は
『早く世を平和にして豆飯だの、焼きイワシだの、イモノコ汁だのを腹一杯食いたいのぉ…』
と言われました。それゆえに今、この時にそれらを召し上がっていただいたのです。
その志をお忘れになるとは・・・!!」
(●ω・`) 「 ・・・・・・ 」
さすがの政宗も、日ごろは温厚な男の熱い涙と叫びに、言葉も無かった。
伊達成実に送った書状
現代訳
『随分お手紙出さずにいましたが、最近雨ばっかり降ってて退屈だったでしょ?
ようやく天気も晴れそうなので明日は城に来てください。
直接会って、色々お話したいと思っています。
別に大した用事はないけど、考えてみれば随分ご無沙汰だったしお手紙を書いてみました。』
筆まめだったらしいね政宗ってw
こういうちょろっとした逸話好きだ
文化物クラッシャー伊達政宗さんが手にした宝物とその末路
・王義之の書(写し)→切断
・天目茶碗 →叩き割る
・正宗の刀 →切断(未遂)
・千利休の茶杓 →持ち主の前で折る
・千利休の花入 →家来が相撲とってて破壊
花入に噴いたw
>>107 花入は政宗さん悪くないだろww
ほかのちょっと調べてみた
・王義之の書(写し)→切断
政宗と忠興と言えば、朝鮮出兵時に漢陽(ソウル)の王宮で見つけた
王義之の書(写本)を取り合って、結局山分け(切断)して
半分ずつ持ち帰ったって話だな
で、これ↑はまだ分かるが
・天目茶碗 →叩き割る
>555 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/25(火) 01:45:57 ID:mi7tHH/v
>ある日政宗は、縁側で家宝の天目茶碗を手にとって眺めていた。
>そしてうっかり手を滑らしてしまったが、なんとか茶碗を落とさずにすんだ。
>冷や汗を流した後、ホッと息をついて小考。
>・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
>何を考えたか、天目茶碗をわざわざ庭石にぶつけて粉々にしてしまった。
>「ええい!茶碗ごときがわしを脅かすとは!」
>と叫びながら・・・・・・・・・・・・。
これが意味分からんw
茶碗に踊らされた感じがしてムカついたとか?
可愛さ余って憎さ百倍の心境なのかね
うかうか物を落とすことも出来ないな
>>110 本音は茶碗ぐらいでびびっちゃった俺みっともない!
って感じだったのかねw何にせよおもろい人だ
・正宗の刀 →切断(未遂)
ある日江戸城内で登城した大名たちが刀剣談義に花を咲かせていた
当然話題は腰の脇差の話になり、皆それぞれに自分の差料を自慢し始め
かねてから政宗と仲の悪かった加藤嘉明が横やりをいれた
「伊達殿の差料はさだめし正宗でござろうなwww」
オヤジギャグかよ・・・orz この寒い冗談に政宗
(そんなモン普段差しにしてる訳ねーだろ!
・・・しかし否定するのも正宗を持ってないと思われそうでシャクだし)
( ●Д゚)「い、いかにも正宗だゴルァ!スゲェだろ!」
と、嘘をついてしまった
自邸に帰るとすぐさま側近の茂庭周防を呼びつけて命じた
( ●Д゚)「おい!正宗の脇差もってこい!」
茂庭「は、恐れながら脇差はございません…しかし正宗の太刀ならばございます」
( ●Д゚)「じゃそれでいい、ブッタ切って短くしろ」
茂庭「…は?」
( ●Д゚)「磨り上げて脇差に直せってんだよ、とっととやれやゴルァ!」
茂庭「そんな無茶な…」
( ●Д゚)「うるせー!64万石の大名が嘘をつけるかー!」
このワガママによってついに正宗は磨り上げられてしまった
満足した政宗はこの脇差に『伊勢物語』の古歌
「くらべし来し振分髪も肩すぎぬ君ならずして誰かあぐべき」
から「振分髪正宗」と名づけ、長く愛蔵したということである。
( ●∀゚)「俺ならずして誰があぐべきw正宗磨り上げるなら俺しかいないっしょ♪」
ちなみにこの振分髪正宗、明治時代になってから鑑定したところ
正宗とは名ばかりの真っ赤な偽物だったということですw
・千利休の茶杓 →持ち主の前で折る
戦国が終わり、太平の世となった寛永15年のある日
大老酒井忠勝が伊達政宗を招いて茶会を催し
茶杓を差し出して「この茶杓は利休の作にて」と政宗に言った
要するに自慢である
それが気に入らなかったのか政宗、茶杓を手に取ると忠勝の眼前でへし折った
しかも「この茶杓は埒もなきもの(つまらないもの)」とまで言い放った
唖然とする忠勝、だが相手は名高きDQN政宗。ぐっと我慢した
そして茶会も終わる頃、政宗のお供の者が
「先ほどは失礼致しました。これは先ほどのお詫びの品でございます。」
と利休より古い名物である武野紹鴎の茶杓を差し出した
あらかじめ茶杓を用意していた事からおそらく賄賂のつもりで持ってきたのだろうが、
先に茶杓を自慢されたためバツが悪かったのだろうか?
いまいち政宗の行動原理がわからない・・・
忠勝という字を見て思わずホンダムに脳内変換してしまったw
・千利休の花入 →家来が相撲とってて破壊
302 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/04(水) 22:57:22 ID:rN4PKLMf
政宗は小姓を倅と呼び、不公平のないようローテーションで食事を共にするなど大層大事にしていた
(アッー!な理由ではない、多分)
あるとき、政宗が留守の間に小姓たちが暇をもてあまして畳の上で相撲をとり始めた
勝負は白熱し、みんな熱中しすぎて周りのことなど気にもしなかった
一人の小姓がうっちゃられた先には、秀吉が政宗に下賜した利休作の竹の花入があったのである
哀れにも花入は修復不可能なほどひしゃげてしまった
政宗はさぞかし立腹したのかと思いきや、「次は周りに気をつけて相撲をとるように」の一言で済ませてしまった
後日、秀吉から「あの花入はどうした?」と聞かれたが、
政宗は意外にも正直に顛末を話して花入を壊してしまったことを詫びた
秀吉は「さても人の命には代えられぬものかな」と大笑いし、以後その花入を『大投げ』と名付けて大事に使えと命じた
政宗が正直に話したことも意外なら、秀吉が寛大に許したことも意外である
偽物大事にしてた政宗バカスwwwwww
自分も高いティーセット落としそうになってあっぶねーってびびった後
たかが食器くらいで何焦ってんだ馬鹿らしい、ならない方がましだって
全部割って捨てた事あるから何となく共感できるわ
でも政宗さんがDQNなのはこの師匠のせいじゃね?エピソード
271 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/31(金) 04:31:03 ID:QJ0M1bYY
有名な話では虎哉さんは政宗に「お前は親父殿に似て素直すぎるから
乱世の覇者になるためにもっと強情に、もっとへそ曲がりになれ」と
「暑いときは寒いといい苦しい時には笑うように」「人前で横臥するな」などと
口を酸っぱくいっていたそうだが・・・
ひょとしたらもともとは輝宗似の人のよい梵天丸はこの人のせいで?
まあでも輝宗死亡時に二本松にやった首晒しと復讐戦に怒って人取橋で負けて
矢が刺さったり銃弾にい抜かれて帰ってきた政宗を
棒でぼこぼこにしながら「感情に任せてそういうことするから二本松が完全に敵になっちまったじゃないか
義継の首はねんごろに弔って死者つけて国王丸(義継の息子)にかえしてやりゃ
この戦も起きないで人も死ななかったし国王丸だって親父の行動を恥じて
すすんで伊達に臣従した挙句名誉挽回のために必死で働くようになったのに」
つーかそもそもお前小手森で人から牛馬に至るまで撫で切りとかしなければ
義継だって精神的に追い詰められなくて親父殿も死ななかったんだよ」と言ったというから
幼少期の教育の成果の政宗に後悔していたのかもしれない・・・
>>120 訓練されたへそ曲がりだったわけですねw
手紙ネタもっと見たいなぁ。
けんしんさまの手紙とか大好きなんだけど。
>>122 けんしんさまのお手紙はひらがなが多いんだよね
それを根拠の女性説とかも見かける(本来かなは女性が使うものとかで)
あと一ヶ月に10日ほど腹痛で寝込んでたとか
ああ、なんで本スレとかで謙信の話題になるとみんな
平仮名でレスするのかと思ったらそういうことかw
史実の謙信は平仮名で手紙書いてたのかー
なんか読みずらそうw
>>124 たぶんそこから来てるんだろうけど、原作BASARAの謙信の台詞は
ほんとうに全部ひらがなで表示されるんだよ。だからみんなひらがなで書くんだなw
「ごくろうでした、わたくしのうつくしきつるぎ」
「かいのとらに、とらのわこ・・・」
こんな表示。
それにしても十日寝込むとは、もし本当に女性だったなら、そうとう重いだろうな、カワイソス
>>125 > 「ごくろうでした、わたくしのうつくしきつるぎ」
> 「かいのとらに、とらのわこ・・・」
なんだこれメッチャ読みずらいwww
でも可愛いな謙信w
BASARAはアニメしか知らないからわからなかったよ
教えてくれてありがとう
顔文字使うな。きもすぎる
そんなどうでもいい事気にしながら生きるの辛くないか
2chじゃ嫌がられるし自重すべきだな<顔文字
なにそれこわい
1ヶ月に10日…おいたわしや、けんしんさま
単なる腹痛だったとしたら何かの病気だったのかね
女だとしても十日は寝込みすぎのような気がせんでもない
昔の生理痛は現代より酷かったのだろうか
てか謙信が女ってマジなのか
>>133 あくまでもしもの話だよ
そういう説もありますよ程度に思ってればいい
女だったなら景勝の叔母だった、説だっけか?
ちなみに10日寝込むのは有り得る話だよ
BASARAのロゴって「戦国BASARA」の後ろに龍があるけどどこの家紋?
ゲームのだと伊達家の家紋だけどそれと違うし
伊達家に龍の家紋なんてあったっけ?
刀に倶利伽羅刻まれてあるのは知ってるけど
浅井と武田と前田の家紋が好きだ
>>136 たぶん映像で「竹に雀」使うと使用料がハンパなくなるからオリジナルを作ったのではないかと思われる。
タイトル画像は特に、TVだけじゃなく、DVDとかいろんなメディアで使用することになるから。
>>139 なるほど!使用料か・・・・西川も使用料で一回変更になったものな
色々あるんだねえ
寛永十三年、伊達政宗死去。
政宗が一人で逝くのは寂しいと言っていたのか、家臣のほうが政宗を一人で逝かすのは
危ないと思ったのか、もしくは伊達者らしく、ただ単に流行に乗っかっただけなのか、
政宗が死んだと解るや一気に十五人が殉死!しかも流石は政宗家臣、それだけじゃ終わらない。
今度は殉死した者の家臣5人も一緒に殉死!親亀小亀孫亀かおまえらは。
そんなこんなで計20人!コレには万天下が度肝を抜かれました。
その政宗の記録に挑戦したのが、DQN四天王として政宗と競い続けた細川忠興、の、息子
細川忠利。寛永十八年、忠利が亡くなると、伊達家に負けるな!の合言葉の元に一斉に
殉死開始!その数…計19人!残念、一人足りなかった!
こうして政宗への殉死の記録は、日本の殉死史上において、燦然たる記録を残したのでした。
684 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/08(日) 21:34:55 ID:DtU/mN7/
>>652 まとめサイトになかったので投入
時代は二代将軍秀忠の頃
ある夏の日、政宗しこたま飲んで二日酔い
↓
(●∀・)「今日秀忠様と約束があった気がしたがそんなことはなかったぜ」
仮病を使って秀忠との約束をすっぽかす
ついでに暑いので川で涼む
↓
当然秀忠にばれる
秀忠「あいつほど気楽な奴いねえよ。それに比べて俺は苦労人すぎるだろ・・・」とぼやく
なぜか咎めることはせず、政宗に季節物の瓜を届ける
>>127 顔文字は元レスにあったんだと思うよ
ここにかいてあるのの多くが戦国のいい・悪い話まとめのものだし
612 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/11(水) 22:25:01 ID:JgNAmNlj
そういえばDQN眼竜応援団長で有名な鈴木元信の話がないな
この人は元々京都の茶人だったのだが、茶の講師として伊達家に招かれた
で、そのまま
「政宗公超カッコヨス!」
という事ですっかりDQN中毒になって伊達軍団に入団してしまったw
政宗が時々無茶苦茶な金の使い方しても平気だったのは
元信の財務能力が優秀だったからってのが結構ある
元信の政宗へのハマりっぷりは半端なく
「伊達幕府ができたらこうするぜ!」と
伊達憲法まで用意していた
さすがに死の間際に「もうさすがにあかん」と思ったのか焼き捨ててるのだが
それがなんと1620年
お前どんだけ政宗好きなんだよw
伊達家中はこういうロックな奴が多い
殉死の話といいなんかカリスマ性あんのかね伊達さんってw
伊達憲法どんなのか見てみたかったw
146 :
メロンさんex@ご利用は紳士的に:2009/07/01(水) 11:39:38 0
秀吉の傍にあって、伊達政宗のロビイストのような事をしていた和久宗是。
彼は奥州仕置きで政宗が疑惑を受けた時、密かに書状を出し京の状況を伝え現状の危険性を訴えた。
「仕置きのため奥州に出陣してから、一度も上方に人をよこさないとは何事ですか!
あなたがそちらで、どれだけがんばっても、連絡がなければその努力は水の泡になるんですよ!
運の良いことに今、殿下はご機嫌がいい。今がチャンスです。弁明のためすぐに上洛してください。
『大崎表で変な噂立てられたんで、釈明しに来ました。』って言えばいいんです。それが何よりの進物です。
もうね、お供とかもいらない。一人でいいからとりあえずさっさと上洛してください。
進物なんてコッチで何とかしてくれる人もいるでしょ?そう言うの心配しなくていいから。
とにかく早く出てくるように!」
どうも政宗と言う人は、若い頃から不思議と、周りに熱心に心配してくれる人が現れる。
そう言う生まれつきらしい。
BASARA関連スレだからなのか伝説と言えば政宗なのかどっちなんだ
とにかくDQNカリスマだな政宗様www
心配になる人の気持ち理解できる気がするwww
150 :
メロンさんex@ご利用は紳士的に:2009/07/01(水) 12:20:22 0
>>122 けんしんさまのお手紙意訳ならこのへん
本文が本当にひらがなが多いかどうかネットの旅に出てみるw
関東諸侯に
「佐野さん、援軍が間に合わず、一人で戦わせて御免なさい。私恥ずかしいです。」
「簗田さん、私は関東の仕来りが分からないので、どうか色々教えて下さいね。」
「宇都宮の奥さん、佐竹との擦れ違いは、私後悔してます。
でも、互いの心がこれ以上離れる事はないわ・・・。という貴方の御意見、私だって同じです。」
配下の武将にも
「北条景広さん、私は僧侶の身でありながら、こんな事を言うのは憚られますが・・・
そろそろ結婚を考えたらどうですか?」
「御両親、どうか与次を責めないでやってください。
この若者は勇猛すぎて、いつ無下に死んでしまうかも知れず、
そうなると御両親はどんなに悲しむだろう・・・と私は思いまして、国へ帰したのです。」
景勝相手には「雪が降るから早く戻っておいで」とか
「こっちは寒いからちゃんと準備して馬廻りの皆と一緒に来るんだよ。
途中まで迎えをよこすからね。こっちに来たら一緒に遊ぼうね」
>>148 BASARAだからでなくとも伝説といえば政宗だよw
DQNカリスマ過ぎて面白エピソードが史実やら逸話が山ほどあるんで
どれが史実で逸話なんだか分からんくらいだww
戦国板でやれば?って内容ばっかだな
>>153 戦国板でやるとBASARA的レスがつけれないんだよ
BASARAスレ池って言われるしもちろんBASARAスレでやれば
史実と交ぜんなゴルァ言われるしでさ〜いいじゃんココでw
川中島の対陣の折に上杉家臣・鬼小島弥太郎は、武田信玄のもとに使者に立った。
信玄は弥太郎を苦しめようと、「人食獅子」といわれる猛犬を縁の下にひかえさせた。
犬は猛然と弥太郎の手に喰いつくも、弥太郎は顔色も変えずに主君・謙信の口上を述べ役目を果たした。
そして、帰りぎわに腕を一振りして犬を庭先に投げつけ、犬は血反吐を吐いて死んでしまったという。
犬カワイソス・・・
いいわるいからのコピペが殆どか
義姫の小次郎への偏愛は、一般的に言われているような、「ただ政宗の容貌が醜くなって
しまったから」ということだけが理由ではないと考えられています。
それは、母義姫の実家であった最上氏が、「聡明な政宗ではなく、それより器量的に劣る
小次郎(様々な史料を見ても、小次郎より政宗の方が器量的に優れているという
記述しか見られない)に家督を相続させようとした」という考えを持っていたからだといわれています。
器量的に劣る小次郎に家督を持っていくことで、伊達家の脅威は減り、
ともすれば伊達を滅すことも可能となるのです。
なのでそのような命令を受けた義姫が、あからさまに小次郎をかわいがり、
それにより家督を小次郎に持っていくという動きを起こそうとしていた。
いい悪いからのコピペがほとんどじゃん
そっちでやれよ
ある意味天下取ってるよね政宗ww
「1617年に政宗の嫡男である忠宗が、徳川秀忠の養女である振姫と結婚。
これにより政宗と幕府の結びつきは強固となり、
政宗は江戸幕府の一員として残りの人生を過ごしていくことになります。
政宗は「伊達の親父様」と呼ばれるほど信頼され、幕府の政策はまず政宗の目を通し、
政宗が許可して初めて実行されるほどであったといわれています。」
話題が政宗に偏りすぎだろ
コピペ貼ってる人も自重しろよ
「政宗といえば、やはり「武将」または「知将」としてのイメージが大きいのですが、
実は政宗は、芸術家としての側面を持っていたといわれているのです。
というのも、政宗は和歌・漢詩などの文学的素養を多分に持っており、
また当時の史料には「花を立てること、香を焚くこと、茶会や楊弓や鷹狩、
そして料理の道にも才を持ち、その腕前は他に比類がない」という記述が残されているのです。
特に料理に関しては、政宗は相当に入れ込んでいたようで、仙台藩江戸屋敷の発掘調査では、
政宗が自筆した献立表や、鹿・羊・牛・鴨・鶴・川獺など、かなり富んだ食材の骨が発掘されています。
また宮城県には「料理集」という、政宗の料理のレシピ集も残っているそうですし、
命期集には「料理とは、主人自らが旬の素材などをさりげなく出してもてなすものである」との
政宗の言葉が記されています。」
この政宗様のレシピ集って宮城県行けば見れるの?
別にいいじゃん
伊達好き以外はほとんど見てない厭離スレなんだしw
他の武将の逸話とかも知りたいのに
他の武将の話をさえぎって荒らしみたいにコピペ貼りまくるから迷惑だよ
それこそいい悪いスレか自分でググって貼ればいいよ
できないならここはさぞ居心地悪かろうて
BASARA交えてとかいいつつ
結局史実の政宗を崇めてるだけのスレなんだから
次からスレタイも変えた方がいいなw
BASARAに出てきた史実話限定ってテンプレ入れたほうが良いよ
結局史実話でBASARAなくても話は成り立つから戦国板ですりゃ良い話だし
ここでまで必死な伊達アンチの方が怖い
おてがみ話とかもそこそこ盛り上がってんじゃん
伊達アンチ怖いで片付けられるのが凄いわ…
スレ全部読み直してみなよ
もはや板違いの域だから批判が出るんだろ
他の武将でも同じ
アンチと決めつけるのは強引すぎるよ
そして過疎
>>165 他力本願よくない
色々な逸話が知りたいなら自分で探して貼りまくれ
じゃBASARA絡みでちょっと前に出た家紋の話を
ゲームでBASARA技(いわゆる必殺技)を発動すると、その武将の家紋が出る演出は周知のとおり
・・・が、何故か小十郎は片倉家の「九曜紋」ではなく政宗と同じ「竹に雀」
「家臣だからじゃね?」という見方もあるが、忠勝や半兵衛はちゃんと本人の家紋が出るし
同じく主の家紋が出る佐助やかすがはそもそも架空の人物なので除外
(ちなみにアニメOPの背景はちゃんと九曜紋になっている。佐助は手裏剣、かすがは苦無のマーク)
・・・これは次回作で九曜紋の武将を出す予定があるからでは?
九曜紋の武将といえばDQN四天王でヤンデレ大名としても名高い細川忠興がいる
(伊達家の仮紋でもある九曜紋は元々政宗が文化面で友人だった忠興にねだって貰ったもので、それを片倉家に使わせたとも)
忠興を出せば九州の殿様級キャラが増えるメリットがあり彼には夫のヤンデレに苦労した有名な嫁もいる
嫁の名は細川ガラシャこと明智珠
彼女の父はアニメ最終回MVPとも称された、あの本能寺の変態である
>>172 他の武将でもコピペ貼り推奨はやめてくれ。度がすぎて通報レベル
引用は問題ないだろ
細川忠興と言えば
・伊達政宗、自邸に将軍の御成りが決まり、幕閣一同下見に訪れる。そこで将軍への進物の話になり、
政宗、長さの違う二振りの脇差を出してきて、「どっちがよろしいかな?」と聞いてくる。酒井忠世と土井利勝が
「長いほうかな?」と答えると、その答えを何故か気に入らなかった政宗、急に怒り出し
「短いほうでも、お前のわき腹ぶっ刺せるんだぜ」
と、良くわからない威嚇を始める。幕閣一同笑ってごまかす。細川忠興呆れる。
・伊達政宗、友達で旗本の加々爪忠澄の額を、何を思ったか突然ひっぱたく。
忠澄もとっさにひっぱたき返す。
→そのまま場外乱闘。拳と拳で男の友情を確かめ合う。細川忠興呆れる。
この話からきたのかね〜BASARAの「パーリィー」はww
寛永十二年正月二十八日。
伊達政宗は江戸城二の丸において、将軍家光に献茶をした。
献茶と言っても、先ず懐石料理のコースが出され、その後茶をたてる。
そのあと書院にて脇差、刀を献上し、そこからは酒宴が始まる。
このとき余興として能が行われたが、能の上手である家光自ら進み出て
「わしが敦盛を舞おう。政宗、鼓を打ってくれまいか?」
そこで政宗、一旦下がり準備をし、舞台に現れる。この時の政宗の姿がすごい。
表は浅黄の地に金の紋を浮かせた緞子。裏は赤。
その上金砂五色の糸の五所紋。前後に大きな唐団扇をさし、蔦唐文様の箔押しの肩衣。
さらに金で色々に縫箔し、少し長めに着た袴。
鼓打ちのくせに演者を圧倒するキンキンキラキラ。伊達政宗、このときなんと「69歳」。
年齢にビックリだよ!イメージが麻生総理になっちゃったおww
>173
ガラシャ出るとしたら明智の奥さんも出るのかね
アニメ明智の妻娘とか想像つかんwww
>>177 続き
さて、政宗のパーティはこれだけでは終わらない。
能が終わると踊りが始まる。なんと政宗はその踊りのため、選り抜きの美少年を集めた
20数人ほどのダンスグループを用意していたのだ!
これにはそっち趣味のある家光も大喜び。彼らの最新の若衆歌舞伎を堪能し、
政宗の献茶は大成功に終わったのであった。
無論、このパーティを一番楽しんでいたのが政宗自身であったことは、言うまでもないであろう。
ちなみに徳川家光さんは政宗さん大好きっ子ですw
政宗が病床についた際は医者を手配した上で江戸中の寺社に快癒の祈祷を行わせ、
死の3日前には家光自らが見舞いにきた。政宗が亡くなると、父・秀忠が死んだ時よりも嘆き入り、
江戸で7日、京都で3日の間殺生や遊興が禁止された。
>そのまま場外乱闘。拳と拳で男の友情を確かめ合う。
BASARA的には武田のイメージだったのにwww
>>178 黙ってればイケメンの父ちゃんなんだけどな
明智はまず黙ってないしな。
ガラシャもガラシャで、庭師に嫉妬した夫が庭師の首をはねて食事中に持ってきても、平気でメシ食ってたらしいが。
>>176 >細川忠興呆れる
ワロスwww
DQNの相手する忠興も大変だなwww
>>180 隔離とか板違いなスレにしてしまってる奴らを野放しにしとくほうがおかしいだろ
文句ばっかり言ってる人は他キャラの話を引用して語ればいいじゃないか。
自分みたいにどんな話でも面白いと思うやつだっているんだから
語りたいキャラの逸話でも持ってきてネタふればいいんじゃないのかと。
>>86みたいな阿呆ネタもっと知りたいw
自分の中で信長のイメージが変わるw
>>167の言うようにBASARAなしでも話が成り立つし戦国板でやればいい内容じゃん
>>173みたいな話ならこのスレでokだろうけどさ
>>189 同意
わざわざ物申さなくてもいいのに…
>>115 > 戦国が終わり、太平の世となった寛永15年のある日
>>141 > 寛永十三年、伊達政宗死去。
どっち?
ここがアニメサロン板だってわかってない奴いるな
あんまり酷いとスレ削除出したほうがいい
>>195 /\___/\
/ / ヽ ::: \
| (●), 、(●)、 | / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| ,,ノ(、_, )ヽ、,, | < まーたはじまった
| ,;‐=‐ヽ .:::::| \_______
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島津のじっちゃんは史実ではどんな人物だったんだろう?
アニメじゃ出てすぐお亡くなりになって悲しかった。
四国、九州の武将はパワフル過ぎるイマゲ
自分はアニメしかBASARAを知らないんだけど、長宗我部の
>長身だが色白で大人しく軟弱ともうつけ者とも評される性格から
>「姫若子」と揶揄されていたという説が有る
これはどうなってるんだろうw
ラスト暴れてる姿からはとても想像できないんだけど…
島津の爺さんと忠勝とのやり取りとかはないのかね
自分も島津の爺さん好きだわ
>>199 「姫若子」は今でいうと「もやしっ子」みたいな意味
(たまに間違えられるが「女の子のような男の子」という意味に非ず)
しかし22歳の時の初陣(嫡男としては遅い方)で大活躍し「鬼若子」と呼ばれるようになった
BASARAで「鬼ヶ島の鬼」「西海の鬼」を名乗るのはこの「鬼若子」が元だね
ゲームでは誰かれ構わず勝負を挑むアホの子な宮本武蔵に対し
「俺もガキの頃、こんくらい威勢がよけりゃなあ・・・」
と姫若子だった事を匂わせるような発言があるよ
>>201 細かく説明してくれてありがとう
やっぱりゲームだとアニメにない細々した史実ネタを回収できるのね
あまりゲーマーではないけどゲームの方もプレイしてみるよ!
もやしっ子w
長曽我部は現代のアンガールズかw
アンガールズが数年でガチムチ兄貴になれば誰でもビビるなw
人は変われるということを体現してくれたのだよ、アニキは。
アーニキー!
こういうノリが楽しいなw
長曾我部の姫若子はよく聞くけど毛利の乞食若殿はさっぱりだな
逸話は殿方の方が多いな
市の面白そうなのを探しているんだが全然見つからない
>>210 自分も市探してたw
でも戦国一の美女とかその辺しか出てこないんだよね…
市は日本人的な美しさで、市の姉か妹が目元ぱっちり美人だったと
この前NHKの番組で言ってたような
>>207 >>208 幼少の頃母を亡くし、その五年後父はアル中で死去
更に家臣に所領と城を奪われ少年期を貧窮の中で過ごしてきたとか
その後兄までアル中で死に、跡継ぎだった甥も病死
仲の良かった異母弟は家督争いで殺すわとにかく不遇
>>212 妹の方が楊貴妃のようだ、みたいに絶賛されてたんだっけ?
写実的な信長の肖像画見た時も思ったけど目が綺麗な二重で大きい
戦国時代の美女も今とあんまり基準は変わらなかったのかな?
アニメの市や濃姫は日本的な美人っぽく描かれてる気がする
織田一族は美形揃いだったらしいな
あの時代は切れ長の目が美しさの基準なんだろうか
乞食若殿ってBASARAで出てきた?
>>216 ゲーム・ドラマCD・小説とよく悪役にされるせいか出てきてない
「貴様ごときが我が歩んだ道を覆せはせぬ」
「これしき、我は幾度となく乗り越えたわ」
混ぜるな危険と重々承知だが
史実の過去を知ったうえで聴くと何か重みがあるな…
明智さんちが美人揃いなんだっけか
みっちゃんも帰蝶も綺麗だったらしいな
織田軍は美形揃いですかw
>>194 死没 寛永13年5月24日(1636年6月27日)
>>141 が正しいね
>>115 は逸話で後生作られた話ってトコかね
もしくは単なる年数間違いw
「青葉神社」
祀っているのが伊達政宗(神号・武振彦命(たけふるひこのみこと)その人で、
神主が現片倉家の当主(小十郎の御子孫)という神社
子供から子々孫々まで巻き込むとは小十郎の忠義心まじパネェwさらに
主君(秀吉)直々の誘いを蹴った片倉は我が主君を侮ったも同然、と
小十郎に腹を立てた秀吉の側近・福島正則が、後日「無鳥島の蝙蝠」と揶揄したらしい。
(鳥のいない島の蝙蝠=鳥がいないと蝙蝠は我が物顔で飛び回る
『奥州には他に優れた武将がいないから政宗程度でものし上がれた』の意。
意訳「おまえが仕えてる政宗なんて俺の主君に比べりゃ小物なんだよ、調子のんなバーカ」)
それに対して小十郎は「ちんちくりんのりんりん」と返したらしい。
(ちんちくりん=猿=秀吉、りんりん=猿回しの猿がつけている鈴
『秀吉の腰巾着のおまえなぞ、猿回しの猿に過ぎぬ』の意。
意訳「猿に回されてる猿回しが何をほざく、脳筋は脳筋らしく愚鈍に回されてろ」)
福島は武功だけでのし上がった武将で学が無かった。
そのため小十郎の言葉の意味が理解できなかった。
しかし馬鹿にされたことはわかったらしく大層悔しがったという。
BASARAアニメ2期もし秀吉編だったらこのやりとり入れて欲しいなあw
>>221-222 /\___/\
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>>223 /\___/\
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「皮厚さ一寸の鮭を持ってきたら、35石と取り替える」と
水戸黄門が言ったという伝説があるが
実はコレ、政宗の逸話らしい
鮭の皮は自分も大好きだw
DVDの取説のオッドアイ説は初めて知った
日本人にも居るとは聞いたけど前髪が白くなったり難聴になったりするんだろ
元親の面倒見のよさは「なぜ四国の覇者を目指す?」と問われて
「(豊かでない)土佐だけじゃ民を養っていけないから」と答えたり
兵糧攻めしたものの作物を全部刈り取っちゃ気の毒だから半分残した
って話からきてるんだろうか
>>226 金欠でDVDまだ買えてないんだけど取説にオッドアイ説載ってるの?
何か歴史ミステリーみたいな番組では見かけたけど
>>228 史実の政宗のことが2頁分特集されてたよ
それに両眼が有った説とオッドアイ説が少し載ってた
取説の他の史実特集も史実を大切にしてるあたり好感持てるな
次はコメンタリーが慶次の人だからブックレットの史実ネタは慶次になるのかね
楽しみだ
>>222 頭のいい人って少しの言葉で百倍の効果を出すよね。
アニメの小十郎がビキビキ状態でそんなおもろい手紙書いてる所想像できんw
だって別人ですもの
>>230 BASARAで犬千代のこと知って好きになったから
犬千代のことも多少語ってくれるといいなぁ
235 :
メロンさんex@ご利用は紳士的に:2009/07/02(木) 22:04:05 0
殺陣がはんぱなくショボそうw
草生やしてる人浮いてる
史実に詳しい人が居たらきいてみたいんだけども
長曾我部の兄貴が眼帯してるのは何か史実に関係してるのかな?
前にどこかでオッドアイだったとかなんとかって話を聞いたような気がするけど。
>>237 草ぐらいでどうのこうの言ってる人って…
どうでもいいことに直ぐ反応するやつって何なの?
顔真っ赤なの?
えっ
>>237 お前にはこの二つを授けよう つ【笑】【チラシの裏】
>>238 史実は関係ないってどっかで見たような気がする。
自分は海賊だから眼帯なのかなーと納得していた。
瀬戸内は紫外線がきつそうだからな
眼帯してる奴はみんなオッドアイかよ
んなわけねー…
オッドアイだと何か得するの?
厨二病キャラ属性になります
目の色が左右違うくらいで何故隠す必要があるんだ
アニキの眼帯の方が政宗のよりしっかり固定できそうだな
長曽我部って史実でも海賊なの?
長曾我部が海賊だったという話はないと思う。
九鬼水軍あたりとイメージを重ねているのかも。
単に水軍だと毛利と被るから、海賊という属性を追加したとか。
アニキの隻眼は、一つ目鬼とか、鍛冶を司る神様からきてると思ってた。
昔の鍛冶は火の色を見たり火を近くで扱ったり
ふいごを使い続けたりと過酷な仕事だから、
片目や片足や片腕の人が多かったらしい。
>>251 いくら“鬼”でも四国の海賊と製鉄文化じゃ関連性が薄すぎる。
タタラ製鉄が盛んだった中国地方ならまだしも。
他スレだったかであったけど
海賊は洞窟などの暗い所にすぐ対応出来るよう片目を隠していた、
とかの方がまだ妥当だと思う。
日本の戦国時代は実は人口激増所得激増の好景気の時代だったりする。
各大名がそれぞれ工夫して領土を豊かにしようと競ってた。
民が災厄麻まみれになる外国の乱世とは違うようで。
民が弁当持って戦見物してたって話もあるくらいだしな・・・。
武士達も迷惑かからない原っぱで戦ってたし。
日本人が大陸で外国と戦ったときに相手も原っぱに出てくるもんだと思い込んでて
アレ?ってなったらしい。
関ヶ原の戦の記憶も薄れ、江戸と大阪で冷戦を抱えながら世が平和に慣れだした
慶長10年代。力を持て余した傾き者の間で度胸試しとして『ゲテモノ食い』が流行した。
荒大名として知られた伊達政宗もこの流行に乗り、その日も挑戦者が現れた。
『子ネズミの味噌汁・特濃』 (原文>鼠の赤子ヲ濃キ味噌汁ニテ煮テ…)
負けた。
それどころか、食あたりを起こして江戸藩邸に担ぎ込まれ、危篤状態に陥った。
間一髪で、高屋喜庵という医師が作った薬剤が効いて助かった。
褒美として喜庵は仙台藩の御用医師となり、代々禄が与えられたという。(安斎随筆)
勝ったのは誰なんだwつーかそりゃ鼠食ったら食あたりも起こすわww
こんな事で死なないで本当によかった・・・
BASARA的には相手は慶次か幸村を押しておくww
>>252 海賊の眼帯って暗やみですぐ対応できるように〜って理由があったんだ。
史実とは関係なくなっちゃうけど、ポリゴンの裏側見ると
元親は両目がちゃんとあるんだよね。(政宗はない)
だからずっとおしゃれ眼帯かと思ってたw
政宗の引きこもりなおしたのって小十郎だよな?
片目をえぐって「私が目になります」っていったんだよな?
わざと荒らそうとするのやめろや
目ん玉えぐったってよく聞くけどアレ本当なのか?
えぐるのはいいが空洞になった目ん玉どうすんだよ
炎症起こして余計に悪化しそうな気がするんだが…
てか絶対一ヶ月以上痛くて眠れないだろ
めっちゃ腫れそうだし
259 :
メロンさんex@ご利用は紳士的に:2009/07/03(金) 13:32:39 0
伊達家に騎馬鉄砲隊が誕生した。部隊の内容としては
「騎馬隊の更に前衛に、鉄砲を持たせた騎馬隊を配置し、機動力に優れた馬の上から
鉄砲を発射し、敵が崩れれば後ろの騎馬隊が突撃をかける」といったものだった。
これは「騎馬上にいる武将は短い武器しか使えず、そのため長槍などの射程外からの
攻撃に弱い」などの騎馬隊の弱点を解消する、画期的なものであった。
この部隊の力が発揮されたのは大坂夏の陣。
この部隊の活躍で後藤基次は戦死、大坂方を翻弄。
しかし、真田幸村には通用しなかった。
幸村は兵を潜ませ、騎馬鉄砲隊をぎりぎりまでひきつけてから、
側面から一斉に攻撃。接近戦に持ち込まれてしまえば、騎馬鉄砲隊はただの役立たずでしかなかった。
幸村にリベンジをしたい政宗であったが、当の幸村は
それから程なくして戦死。政宗はリベンジの機会を失った。
一応史実的にも繋がりあるんだなー
つーかこれぐらしか政宗と幸村の繋がりって見つからないんだけど・・・
何で小十郎が幸村の子供とか保護したり政宗が幕府の追及にしらばっくれて守ったりしたんだろ?
>>262 伏見城下に屋敷を構えた時お隣同士だったと聞いた
そうでなくても伊達も真田も当時から有名な家だったろうし
色々噂は聞こえてくるんじゃないかと
小十郎(息子)の活躍を聞きこの人なら、と子供を託したって説もあるし
幸村(信繁)は晩年が目立っただけで後に講談等で語られるほどの大活躍は
してないけど家康を追い詰めたって辺りが政宗のへそ曲がり根性に
引っかかるものがあったのかもねw
伏見の伊達の屋敷と真田の屋敷が隣同士だったから
直接顔は合わせてなくてもうわさくらいは聞いてたんじゃないかなぁ
あと片倉家がもともと信州の宮司の出身らしいのでご先祖は同郷
屋敷が隣の縁があったってのもあるだろうし
日本一の兵と呼ばれる真田の子供を伊達が欲しがらないはずがないと
いう気もする
表向き徳川に頭下げてるけど本人は配下になったつもりは全然ないだろうし
徳川が探してるのをかくまって「ざまぁw」と思ってたんじゃないだろうか
>>263-265 なるほど〜伏見ではお隣同士だったんですね
片倉さん家がご先祖と同郷とか
まだまだ勉強不足ですな・・・
>家康を追い詰めたって辺りが政宗のへそ曲がり根性に引っかかるものがあったのかもねw
>徳川が探してるのをかくまって「ざまぁw」と思ってたんじゃないだろうか
史実政宗さんならありえそう過ぎですw
史実じゃ政宗のほうが幸村から逃げたりしたとか面白いw
こういう楽しみが出来るとは思わなかった
向こうで「×親方様 ○お館様」てなってるけど
お屋形様ではなくお館様なのか
どっちも意味同じだよね?見た感じで「館」のほうにしてるのかな
>>268 ゲームの字幕でお館様になってるからだと思う
室町幕府から「屋形号」もらった大名がお屋形様
信玄は「お屋形様」でもあるけど幸村が呼んでるのは「お館様」
御館に住んでるからお館様
御所に住んでると御所様ね
漢字というのは深いね
耳からだけじゃあわからんな
親が通りかかって「キツツキって…山本勘助じゃなかったっけ?」と言われました
歴史が苦手なのですっかり勘助を忘れていましたが(大河も見てない)
そういえばなんで出てないんだろう
家康を追い詰めた武勇は凄いけど真田家は徳川派の信之(嫁がホンダムの娘)が継いでるし、
幸村自身は一浪人で領地も家臣もないので、子供が反徳川の先鋒になる心配はなかった
むしろ危ないのは同じく保護されたアニキの孫
アニキの娘の子供で、土佐にはアニキの跡継・盛親の実子という説まで伝わってる
盛親は関ヶ原で西軍についた為に土佐を没収、幸村同様に大坂の陣を豊臣方で戦い、戦後に処刑された人
元国主で反徳川勢力への影響力もあったので処刑、長曾我部家は滅亡
実際、土佐では旧長曾我部家臣達(BASARA的野郎共)が「俺達のカシラはアニキの息子だ!」と盛親復帰を願い、
新しく土佐に入った山内一豊は従わない彼らを「親睦を深めるため相撲大会をしよう」と騙して虐殺、
元来の土佐武士を郷士・自分の家臣を上士として身分に差をつけ、土佐人に嫌われた
この件が幕末の土佐藩に繋がってる
一豊は嫌われてるよねー
で、大坂で政宗に拾われたアニキの孫は母親の再婚相手に気に入られて血の繋がりがないにも関わらずに跡継ぎになり、
後に伊達家重臣「柴田外記」を名乗る
長曾我部の生き残りや親戚の香宗我部家を仙台に呼んで仕官させたそうだ
その外記は後に伊達騒動で原田甲斐と斬り合って相打ちになるんだけど、さすがにBASARA無関係すぎるんで割愛
原田甲斐は原田佐馬助=アニメ伊達モブのメガネの名前になった人の孫だったりするけども
>274>276
文章に無理矢理BASARA絡めてまでここで話さなくていいから
文句ばっか言ってるやつは自分で別の内容書き込めよ
それかお前が戦国板行けばいいんじゃないか
>>278 戦国板へ行くべきは逆だろ。アホか
明らかに板違いの話してるやつが出てきゃいいんだよ
>>279 どういう逸話であればこのスレに該当するのか参考に書いて
nrnr
ゲームやアニメのBASARAで取り入れられてる史実ネタの範囲だな
上のほうでも指摘されてるけどBASARAなしでも成り立つ史実話は戦国板でするべき
おまえがこここなくていいよ
本スレいってこい
毎日長文の史実話貼ってるの伊達アンチの荒らじゃね?
文体とか時間帯からして同一人物っぽいし規制出きんのかね
>>283 本スレで長々と史実の話はできないじゃん
戦国BASARAを踏まえたスレだし
戦国BASARA関係ない史実の話をしたい人が戦国板へ行って住み分けるのに同意だ
>>286 さっきからお前レス浮きまくりなんだけど
現実社会でもそんな感じなの?
バサラに取り入れられてる関係ある史実の話が基本だけど
バサラで関係ある武将たちが史実で繋がりがどんな風にあったとか
そんなのは十分ここの話題の範疇だろ
バサラの武将が史実でどんなキャラだったかってのは十分ここで出来る話
バサラキャラにその面影あるかないかって話なんだから
盛り上がって、出てけ論争が起こり、また盛り上がってを繰り返す流れw
同じ人がやってんだろうなー
他キャラの話はバサラに添って話してるのに
ここでバサラから大きくずれて話してる政宗関連が浮きまくってるな
>>272>>277>>282>>284>>286 なんでわざわざ気に入らない所に来てるのか知らんけど
他の話がしたいなら気に入らない話は見ずに自分で話を振ればいいだけの事
それができないなら荒らし扱いされてもしょうがない
伊達関連の話題が出るたびに文句言う奴っていつも文体が同じだね
伊達関連で文句言うやつって文体が同じ
ってか携帯w
ただあまりにも逸脱しすぎと思うレスも多いよ
テンプレきめたほうがいいんでは?
逆に伊達の史実話するやつも文体同じw
>>294 もう貴方は黙った方がいいとおもうんだw
>>290 何度か色んなキャラでネタ振りしたけど伊達の時だけ噛み付かれる
アンチの色眼鏡で見てるからだよ悪いけど
一人変なのは居るwww
個人的には史実の政宗様話を知る度にレッツパーリィ過ぎて笑えるんだが…
例えばどんな話なら逸脱じゃないんだ?境目がわかんね
>>296 アンチと決め付けるのは暴論すぎでは
伊達の話なら目の話とか文句言われてなかったよ
戦国板へ行けばって言われるぐらい逸脱しすぎなことを書くからだと思われ
逸脱てwwwwww
wがコテ状態になってるからわかりやすい
>>298 だから批判されてんでしょ
そいつが消えれば問題解決だし
>>299 >逸脱しすぎなことを書くからだと思われ
他のキャラでBASARAから逸れた話題が上がっても何の批判もないわけだが
流れが伊達になると湧いてくるのは見ててわかるからスルーすればいいと思う
自分はどんな些細な話でも面白いからもっと色々聞きたい
>>303 文体分かりやすいし携帯だもんな
同じくどの武将の話が来ても興味深いから色々聞きたい
>>303 伊達は自演かしらんけど逸れた話題を長々とするからなあ
スルーが一番なんだろうけど
よしスルーだ
携帯レスをスルーすればいいんだな
たまにPCでも基地がいる
露骨に噛み付いてくる奴をスルーすればいいんだよ
ゲームの?ゲームはやらないからなあ
アニキの家臣の子孫はまだ続いてるんだろうか?
ってコレもスレチなん?
ウチはアニキの家の医者だったらしい。
跡継ぎがない時に、アニキの子孫が養子に入ったらしい。
真実は知らんが。
>>312 そうするとあなたはアニキの子孫って事か!
うちにはそんな話何もないわ・・・
朝鮮出兵してる時、政宗の元に母・義姫から三両の金子と
「政宗、きっと帰ってきてね」という意味の和歌を添えた手紙が届いた。
「国内でも書状が届かないことが多いのに、朝鮮まで来るなんて」と政宗は大感激。
「おどりたちはねあがりたづねまわり候へ共、御めづらなる物」とみやげを探しまくった。
そしてやっと手に入れた朝鮮木綿に
「国産よりいいかなと思うけど、現物比べていないからちょっとわかりません」
と、書き添えて返事を送った。
手紙のしめくくりは「なんとしても生き延びて、もう一度母上に会えるよう
懇願するばかりです。このほか、申し上げることはございません」とある。
この話だと義姫さんと政宗って仲良さげなんだけど
BASARAで政宗の過去話とかでたら(まだ出てないよね?)
>>159 とどっちの義姫さんになるんだろうねー
>>311 Yahoo知恵袋に「祖父から長曾我部家臣の子孫と聞いた」って質問
してる人がいた
元親といえば高知の「若宮八幡宮」のサイトで話題が出る
最近戦国ブーム関連で宮司さんがインタビュー受けてたりするし
胸像みたいな写真もあるけどあれは何を元に作られてるんだろうか…
(肖像画ともなんか違う)当然両目はあるしちょんまげなんだけどw
アニキの外見は史実の元親公の「長身・色白」ってのを意識してるのかな
もう一つ…先日瀬戸内物産展でもらってきたパンフレットに
「長曾我部元親が浦戸湾で捕ったクジラを秀吉に献上した」とあってワロタw
BASARAでは秀吉より家康とか他の武将になら喜んでプレゼントしそうだけど
スカネタ注意
あの時代って、鉄砲傷は馬糞をせんじた物を飲んで治したらしい。
口から流し込めるものって、まさか……
>>317 さすがにそこは普通に重湯的なものであってほしいよ;
>>316 じゃあその話を元に3ではアニキの武器がクジラになる訳ですねw
>>314 個人的には実家捨てて信長さんに心酔してた濃姫様や
実家と嫁ぎ先の板ばさみなお市さんとの対比で
>>159 な義姫を押しておく
しかしそれだと
>>314 の
>「おどりたちはねあがりたづねまわり候へ共、御めづらなる物」
と喜んでる伊達さんにちょっと切なくなった・・・
義姫さまは敵への脅しの為に戦場のド真ん中に出てくる方だからな…
鬼姫と呼ばれるツンデレを希望
>>314 最上と上杉の戦の時は小十郎が義姫を見捨てる進言をしてるから
「実家に戻った以上、もう伊達の人間ではない」と伊達家臣には認識されてたのかもしれんけど
実際は不仲でもなかったようだし
実際に最上家に戻ったのは小次郎の死から数年後で原因は別件らしいしね
兄の最上義光が妹の義姫を溺愛してたのにも原因はありそうだ
BASARAに東北大名増やすとしたら最上義光出してほしいなあ
「奥州筆頭の座は譲ったがまだ若造には負けん」な感じの娘を溺愛する子煩悩キャラで
普段は常識人だが戦に出ると部下の静止振り切って
「イヤッハーーー!!!」と鉄棒ぶん回すハイテンションぶりだったそうだ
No.2って大変だなw
馬って臆病だって聞いたけどよく戦場とか行けるな
乗ったまま闘ってたりしたら逃げそうな気がするけど
>>325 実際は単なる移動手段だったらしいよ。
馬が木曽馬だと気づいた。
こういうところは時代に基づいてるんだな。
>>326 変なとこ時代に基づいてるからねアニメBASARAはw
かいまき布団とか畳じゃなく板の間とか政宗やお館様が
伏せってる時の座り位置とか
かいまき板の間はともかく座り方までこだわってるとは知らなんだ
あの時代特有なの?
座り方といえば本スレでも指摘されてたけど
ピザ帽子の壁紙でちゃんと身分順に座ってたのは地味に細かい拘りだよな
政宗が上座で佐助が下座(というか縁の下)のあれ
下座すぎだったねwピザなんて臭くてビックリだろうなー
「素手で持たねーのかw」と思ったのが懐かしい
携帯着ボイスで驚いてる幸村(小さな箱から音が!)とかああいうの面白い
>>328 政宗伏せってる時は小十郎は枕元でお館様と同じ部屋で話してるんだけど
幸村だけ隣の部屋だったりお館様伏せってる時は幸村だけお館様の横で
佐助・政宗・小十郎は隣の部屋なんだよね
ところで某所で小十郎は竜の右目なのに戦闘時以外では
なんで左側に居るのかという疑問に右側だと視界に入らないんじゃないか
という説に目から鱗だった
確かに1話の桜の下でも上記の3人並んでる時でも左側に居るんだよね
片目だけで生活していると残った目の視力は強くなるのか弱くなるのか
とりあえず眼精疲労はんぱなさそうだ
333 :
sage:2009/07/06(月) 22:30:58 O
確か、大河で政宗役だった渡辺謙が乱視になったんじゃないかな。
失明とは違うけど、視力が右0.1、左2.0の時があって、しばらくすると左の視力が右より落ちてたよ。
片目だけだとまず距離感が掴めないよな
慣れとはいえよくあそこまで暴れられたもんだw
史実政宗は子供(梵天丸時代)の頃は
よく転んだという話をどこかで聞いたような
大河の梵天丸が右目が見えなくなってる事に気付く場面は可哀想で泣けたよ・・・
ものもらいで眼帯付けた事あるけど
距離感掴めないわ視野狭くなるわ見えてる方の目が疲れるわで大変だった
大河の独眼竜はやっぱり見ておくべきか
かなり面白いらしいしなあ
利家とまつ、風林火山くらいしか見てなくて何か申し訳ないな
大河の独眼竜面白いぞ
DQNでマザコンだが見ててワクワクする
大河見るとバサラの政宗は天下争いに参加できる時期に国主で
よかったねっていう気持ちになる
「これは異なことを」とかの独特な時代劇セリフ回しも楽しいしな
>>331 隣の部屋というかなんての?外?縁側?だった気が>幸村
お館様のときは佐助までそっちに行くもんなんだ!って思った
BASARAの礼儀正しさはさりげなくかっこいいな
大河はそういえば独眼流が一番視聴率よかったんだっけ?
自分も記憶にあるのはそれだけだなー他の大河ぜんぜん見てない
風林火山再放送やってるし見とけばよかった
>>336 一言で言うなら独眼竜と2000年代の大河は
何かもう 格 が 違 う
勿論好みはあるだろうけど出演俳優からしてとんでもない
独眼竜政宗と武田信玄と真田太平記は見て損はないと思うよ
いくら武将メンツが揃ってても天地人で戦国堪能しようなんて思っちゃ駄目だ・・・orz
なんだよ期待高まるな!
明日の仕事帰りにツタヤ寄ってくるか
>>339 この中で武田信玄というタイトルは初めて聞いた
チェックしてみるわ
最近の大河は見る気にならないが本能寺が爆発したと聞いた時は
一瞬BASARAを思い出したw
こっちは爆発してないしCGもきれいだけど
戦争シーンはしょぼいよ独眼竜
だが脚本がおもしろいのです
一番戦争がよかったのは徳川葵三代の関ヶ原シーンかな
島津のじっちゃんがかっこよすぎる
この前までスカパーで独眼竜も真田太平記もこれでもかってくらい
放送されてたんだけどな・・・
今気づいても遅すぎたな・・・
hiで再放送してくれんかな・・・スカパーとか入ってないし>渡辺独眼竜
何故かテーマ曲だけは強烈に覚えてんだ
中身覚えててくれよと自分の脳味噌に不満をぶつけてみる
戦シーンはエキストラ少ないし金かけてないのが丸わかり
なのですが
渡辺謙があのやたら似合う弦月兜姿で出るだけでテンションが上がる為
戦のしょぼさがあまり気にならない独眼竜マジック
葵三代の関ヶ原は島津のじっちゃんの中央突破でちらっと忠勝も出たような
忠勝の鹿角兜と井伊直政のひこにゃん兜はやっぱ目立つね
兜といったら前にテレ東の番組で兜特集やってたが
ゴールデンフィンガーみたいなでかい腕がついてるのがあったな
虫やら漢字の羅列やらもあって、あれに比べたら愛の一文字のシンプルなこと
独眼竜政宗といえばポスターだったかでタキシードに
眼帯姿の渡辺氏があの兜持ってる姿を思い出した
BASARAはそういう現代風の衣装着せた絵って学園BASARAだけかな?
現代風どころかアニメは政宗・小十郎・お館様以外は戦装束しか見てないな
大河あたりまでは歴史物だし楽しめるからいいけど
その現代物を混ぜるのはそろそろスレチになると思うぞ
独眼竜は少し見たが真田太平記のことは知らなかった
自分もツタヤに行ってみるか
>>348 大河ドラマのみの話を続けるのも大概スレチなんじゃ…
>>347 謙信様は絶対頭巾取らないだろうな
幸村とかもあの格好以外想像つかない
>>331 じゃあ、あの佐助・政宗・小十郎が並んでる時
政宗の視界には佐助入ってないのか・・・
斜め前だから入ってないことは無いと思う(首動かすしw)
佐助もそれを考慮したかどうかは不明だけど斜め前にいる・・・・
忍びが斜め前って上座下座的にいいのかわかんないけど
というか片膝の立て方はやっぱお館様の側が下でいいのか→佐助は左膝(筆頭側)を立てる
354 :
メロンさんex@ご利用は紳士的に:2009/07/07(火) 19:16:03 O
毛利のオクラと言われてる兜は史実でもあんな感じなのか?
たけしの本当は怖い家庭の医学次回予告で新型水虫菌だって
ゲームの「なんと!北条殿はご病気か!」を思い出してしまった
実際水虫だった武将っているのかな・・・・・
>本スレより過去スレ行きが勿体なかったので・・
980 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/08(水) 00:16:07 ID:YtDmdyP3
>アニメ終わってからも酒だの味噌だの色々出るな
>城内には味噌の香りが漂ってたのだとしたらいつも腹が減ってそう
>>他藩に仙台味噌を分け与えた政宗公
>>1592年、朝鮮の役のとき携帯していった味噌のうち、異国の風土に合わず他藩のものが
>>次々と変質する中、伊達藩の仙台味噌だけは少しも変質せず一躍声価を高めたというエピソードも。
>他所へあげられるほどってどんだけ大量に持ってったのかw
この時間に食べ物の話はきついw
婆ちゃんが手作り味噌を作っている側からすると
味噌は常温でも保つもんだと思ってたがなあ
逆に他藩がどうしたんだ
元々兵糧用の食材の研究をしてた政宗だから
他藩の味噌と違って長持ちするように今で言う
添加物っぽいものでも入ってたのかも知れんw
「元々は兵糧開発のために行っていたのだが、戦国が終わり太平の世になると
美食を極めるために料理の研究をしていた。
政宗は、料理について「馳走とは旬の品をさり気なく出し、主人自ら調理して、
もてなす事である」と言う名言を命期集に残している。」
政宗様の手料理が食べてみたい今日この頃
食べ物の話と言えばー
秀吉が伏見にいた折の事。城の中に新しい屋敷を立て、その屋敷の四隅に数奇屋を設けて
それぞれで諸大名に茶の振る舞いをした。主人役は、秀吉自身、徳川家康、前田利家、そして伊達政宗。
場所はくじで決め、料理の内容や招待客は直前まで知らされない趣向であった。
さて、政宗がくじで当たった数奇屋にいたのは、佐竹義宣、浅野長政、加藤清正、上杉景勝、
よりにもよって、政宗と仲の悪い大名ベスト5に必ず入るような連中である。
「これは…、嫌がらせをしろということだな!」
しかしとっさの事で、嫌がらせのネタが見つからない。
ふと台所を見ると、料理人が季節の野菜、つまみ菜の吸い物をつくっていた。
「これだ」
当時の茶ではコース料理が振舞われる。
四人の大名の前に、つまみ菜の吸い物の膳が置かれた。
ところがそれが置かれるや否や、次の料理が入ってきた。四人は慌てて
汁を吸った。途端、吸った椀から口を放し唇を押さえはじめた。
彼らの唇は、そろって真赤に晴れ上がっていた。
それは、さっきまでぐつぐつに煮立てられた、必要以上に熱々の汁であったのだ。
その後も料理や酒が出されたが、四人とも唇が痛くてとてもそれを食べられなかった。
政宗、会心のガッツポーズ。後でこの話を聞いた秀吉、腹を抱えて大笑いしたとか。
(くじって書いてあるけど絶対秀吉仕組んだだろって組み合わせだよねw)
史実はともかくBASARAの伊達さんはヒャッハー的な料理を出しそうでこええよw
まつ姉ちゃんの料理がアニメで見たかった
>>362 その話おもしろいな
いやなヤツが来たから嫌がらせしてやろうって発想がたまらんw
是非アニメでもやって欲しい
秀忠と家光が京に上洛した時の政宗。上洛の行事が終わったにも拘らず、一向に帰国しようとしない。
「いい加減帰れよ」と、思ったか、幕府の役人が帰国を促したのだが、これがまずかった。
「俺がいつ帰ろうと勝手だろうが、ボケ!!」
かえって火に油を注ぐ始末。そしてなんと1月も京に居座る事に。
幕閣も「またあいつか・・・」と、思っただろうが、かといってそのままにしておくわけにもいかない。
そこで使者に発ったのが酒井忠勝。まあ忠勝にしてみれば「何で俺が・・・」と言う心境だっただろうが。
「あー伊達殿。将軍家から言付けです」
「何だ。言ってみな」
「『満足するまで京都観光していいよ』だそうです」
「ああ。俺、充分京都観光したからもう帰るわ」
へそ曲がりである政宗を帰す為に、幕閣が必死になって頓知をはたらかせたのか、
はたまた、もう幕閣もめんどくさくなったのか、政宗のへそ曲がりな話でした。
1572年(6歳)虎哉禅師を師に学び始める。
虎哉さんは政宗に「お前は親父殿に似て素直すぎるから
乱世の覇者になるためにもっと強情に、もっとへそ曲がりになれ」と
「暑いときは寒いといい苦しい時には笑うように」と教育
史実政宗さんは師匠のいう事を素直に聞くいい子ww
>>366 政宗の性格が安定しないのはこの師匠のせいなんじゃね?
>>358 政宗が送った慶長使節団の船サン・ファン・バウティスタ号では当時の船旅に付き物の壊血病があまり発症しなかったらしい
それも持って行った味噌に良質のビタミンが豊富に含まれていたおかげだとか
朝鮮の時といい仙台味噌強え・・・
アニメの伊達軍が移動距離がハンパないわりに元気なのは
筆頭の肩にオリゼーやソーエが乗っかって一緒にイヤッハーしてるのかもしれないな
視聴者の肉眼では見えないだけで
カモスゾー
面白いねえ
タイムマシンで見てみたくなった
>>365-
>>366 「三つ子の魂百まで」とはまさにこの事だなw師匠ww
「もぅ帰るわ」ウケるwwwww
ちょ史実ネタ面白すぎるw
>>358 添加物入ってない手作り味噌でも何年も保存できるんだよな(風味は落ちるけど)
戦国時代に味噌と具を団子にして乾燥させて持ち歩き、
食べるときはお湯かけて溶かしてインスタントみそ汁にしたってTVで見たことある
武田軍の特集だったと思うけど間違ってたらすまそ
スレ見てるだけで豆腐やら味噌やら日本食が食いたくなってきた
伊達軍兵士のピザが握り飯持ってたり、炊き出しのシーンも確かあった気がしたが
食料持参で合戦場まで行ってるってことだよな
ただの暴走軍団に見えてあの中の誰かの軍馬は荷物抱えてるのか
馬イクのマフラーの中に・・・
>>373 うまそおおおおおおーインスタントって凄いな
すごいな昔の人は・・・・・・
>>376 ただし凄いしょっぱいそうだ
TVで試食した人はあまりの塩辛さに顔しかめてたw
血圧上がるがな
保存するには多量の塩気は仕方ないか
話ぶったぎってすまん
アニメの今川軍や徳川軍の兵士に下半身褌だけのやつが何人かいたけど
ああいうのは普通なのか?
戦国時代に詳しくないもんでずっと気になっていた
>>373>>376 歴史バラエティ番組で再現されてるのを見た>インスタント味噌汁
食べた女子アナが口に入れた瞬間吹きそうになって固まってた
当時は餓死も当たり前の時代だから
味はどうあれ食糧保存の知恵が今よりもずっと大事だったんだろうな
政宗由来のずんだは有名だけど山梨のほうとうもお館様起源説があるね
ちなみに信玄餅はお館様自身とは関係ない(美味いけど)
>>379 映画や大河なんかでも、身分の低い人でよく見かける。
足軽=自国の農民、の時代だしな。
連中が田植えだ畑だって耕してるかは知らんが…
>>380 ほうとう・・・??
ちょっと調べてくる
>>381 なるほどなあ
素足の部分斬られたら痛いだろうなと思ってみてたわ
農民があのスーパー政宗タイムを前にしたらそりゃビビるだろう
東北の方は味付けや塩分が濃いと聞くけど高血圧になったら
伊達軍のあのハイテンションはやばいw
小十郎がキュウリとかたくさん食べさせて塩分出さないと
>>382 見た感じ鍋うどんみたいだなー
うどんと呼んではいけないみたいだが;
>>384 伊達軍のでぶっちょが三話できゅうり食べてた気がするぞ
団子かと思ったらポリポリSE付いてた
細かすぎるw高血圧でメタボじゃいかんな
アニメ2期には是非仙台味噌エピソードを入れてもらおうw
でもってもちろんBASARA仙台味噌発売だな
このスレを見たせいであの味噌もえらいしょっぱいイメージがw
2期では孫兵衛の持ってくるのが味噌お握りになってると予想
あるいはついに小十郎の葱が登場して葱味噌汁に
食べ物話ついでにこんな話も
土佐では鰹の刺身(鯖並に傷みが早い)による食中毒が多かったため
新領主の山内一豊は「鰹の生食禁止令」を出した
・・・が土佐人は元々が長曾我部の家臣達なので
「俺達は今までずっとこれ食ってきたのに他所者に指図されたかねーよ」という反発もあり
旨い鰹の刺身はやっぱり食べたい気持ちもあり
そうして編み出されたのが皮の表面だけを炙って「火を通してますが何か?」としらばっくれる調理法
あー鰹のタタキ食いたくなってきた
>>391 「火を通してますが何か?」がツボに入ったww
山内一豊ってのは確か大河の功名が辻の旦那だったっけか?
ちょうど冷蔵庫に鰹のタタキがあるから冷酒とやってくるかな
>>391 一豊のせいでというか一豊のおかげでというか>タタキ誕生
秀吉が朝鮮出兵で河豚禁止にしたのも有名だよな
禁止令出すほど死者続出というのがなんとも
5月9日、政宗は再び黒川城を出発し、今度は越後を通るなど遠回りをし、6月5日にようやく、小田原に到着しました。
しかし小田原攻めは4月3日に始まっており、いうならば、これは完全な遅参でありました。
政宗は覚悟を決め、髷を切り、白の陣羽織を着るなどして、死の覚悟を示しました。
ですが秀吉は政宗の謁見を許さず、底倉という場所に政宗を閉じ込めました。
政宗はそこに使わされた前田利家・浅野長政らの詰問使に対しもう一度申し開きをします。
更に政宗は利家に対し、「自分は千利休に茶を学びたいのだが」と、幽閉中の身ではまず言わないであろう事をいいます。
これらによって秀吉は政宗のことを気に入ったのか、蘆名攻め以前の罪は不問とし、蘆名攻めのみを罪とし、その結果、蘆名領のみの没収で本領安堵という、最小限の犠牲で済んだのです。
6月9日、政宗は数々の大名が見守る中、秀吉に謁見しました。
その時も政宗は、死装束で現れたのです。
秀吉は政宗に対し、杖で首を叩き「もう少し遅ければ、ここが危なかったな」と言ったといわれています。
ですが、そんな政宗を秀吉は気に入ったようで、謁見が終わってからはわざわざ小田原攻めの陣立てを説明し、また翌日には、茶会に招待しているのです。
そんなこんなで政宗は秀吉に従うこととなり、7月13日に、没収となった黒川城を捨て、米沢城に戻りました
歴史に詳しくないんでこういうの見ると本当に面白いな
BASARAの秀吉と政宗といったら首をギュッとねが出てくるw
>>399 政宗が滅ぼした蘆名の当主は佐竹からの養子で戦に負けて実家に戻ってた
つまり恨みを買った佐竹領の常陸(茨城県)を通れず
仲介をした上杉領の越後から小田原に行ったわけ
当時の上杉家当主は景勝で直江兼続も仲介に絡んでるけど
天地人でやるような兼続自身が説得に赴くなんて事は勿論史実ではしてない
なるほどねー
色々あって覚えるの大変
史実漁ってくと色んなところで意外な繋がりがあったりして
面白いよね〜逸話も入れるともう訳分からないくらいw
毛利キャラスレに雑誌付録のCDの話が出てて中の人は
「子供が3人もいたとは驚いた」とか言ったらしいけど
史実の元就公の子供は3人どころじゃない(正室の産んだ子だけでも5人)
9男秀包に至っては70歳くらいに誕生だしw
秀包は大友宗麟の娘を妻にした縁で後にキリシタン大名に(洗礼名シマオ)
BASARA元就はそんなたくさん子供作りそうなイメージないけど
昔の人はよくそんなに産むなと思ったがうちの爺ちゃんも10人兄弟だった
歴史の番組で見たけど信長の子供の幼名は珍妙なのが多かった
今でいうDQN名だあれは
でも幼名を名乗る時期は短いから当時はそんなに気にしなかったのかな
>>404 全員を一人が産んだわけじゃなく後年の子は側室腹だから
君の曾祖母ちゃんの方が凄いんじゃないか
(といってもまつは11人も利家の子を産んでるが)
子が多いほど血統が残り政略結婚も広がるから子沢山大歓迎だったんだよね
女性の価値は「元気な嫡男を産めるか否か」にかかってたと言ってもいい
濃姫は子供が産めずにその後の消息記録が不明だし
政宗の正室(愛姫)もなかなか子供ができず肩身の狭い時代が長かったから
幼名は奇妙な名前を付けて鬼や妖に攫われるを防いだとか聞いた事あるな
おぅ濃姫・・・カワイソス
奥州の戦国大名伊達家の第十七代当主。
幼い頃片目を失い、後に独眼竜と称された。
才気煥発で、家督相続からわずか6年ほどで、東北地方に一大勢力を築きあげる。
その後は豊臣秀吉、次いで徳川家康に属し、江戸幕府では「伊達の親父様(または叔父様)」
と慕われ、政宗が目を通したものしか家光まで届かないほど信頼されたという。
>>406 「〜丸」って名前もそこからだよね
意味は…
おまるを漢字で書くと「御虎子」なのは知らなかった…幸村w
>>403 シマオってうちのひい爺ちゃんと猫と同じ名前w
それにしても70で子供作るとか昔の人は元気だよなぁ
精力剤的な物があったんだろうか
>>411 毛利元就は松永久秀著ハウツーSEX本を持ってたとかw
子沢山の方がいいなら避妊具とかも無かったんだろうな
松永著じゃないよ。
毛利や信長などその時代の武将がこぞって頼ったという名医、曲直瀬道三が書いた本だよ。
曲直瀬が松永に献上→その写本が全国に散らばる、が正しいルートだと思われ。
確か「戦国武将の養生訓」という本にハウツーSEX本の中身が抜粋されて載ってた。
あぶない
松永がエロおっさんとしてインプットされるところだった
>>416 あながち外れでもない>松永がエロおっさん
戦中も陣幕に女連れ込んでお楽しみしながら部下に指示出したなんて逸話もある人だから
BASARA祭か何かで「ワイン片手にバスローブ」とか例えられてたような
数ある武将の中でも、なぜ曲直瀬が松永に献上したのか、とか
なぜ陣内に女連れ込んでパーリィだったという逸話が残されているのか、
ってあたりを考えると、松永=エロおっさんな認識でもたぶん間違ってない。
史実松永を纏めると
エロダンディーで教養溢れる極悪ボンバーマンでいいのかな
あ、史実でボンバーしたのは最期(茶器に火薬詰め)だが
ワイン片手にバスローブは信長にも当てはまる気がする
アニメでこの二人の会話が見てみたかった
史実信長は下戸だったそうだが
男子中学生かw
陣でヤるってどんだけ本能のままな人なんだよーw
>>411 家康はバイアグラみたいな薬を沢山作ったらしい。
家康は60越えても10代の側室に子供生ませてるんだよな。
子供といったら、
幸村の子供は九度山に蟄居してる頃に生まれてるのが多い。
他にする事なかったのかw
まあなかったんだろうなw
雪国では夏や秋生まれの子供が多い、みたいなもんだろうなw
>>426 しかも兄に焼酎の無心するほどの困窮生活中に子沢山って・・・
本人の討死後に生まれた子供もいるそうだからまさにギリギリまで励んでいたわけでww
しかし娘は後妻として玉の輿に乗り息子は大藩に就職と何だかんだで真田家の生き残り能力は半端ないと思う
3は関ヶ原がテーマだけど大谷吉継出ないかな(幸村の嫁の父親)
兄の信之とその嫁(ホンダムの娘)も見たいところだ
関ヶ原の大谷隊なんて悲劇しか待ってないじゃないか…
いきなり小早川隊が裏切るイベントがメインかな
でも大谷吉継は関ヶ原で出てこないともう今後は参戦ないよなぁ
BASARA的にアレンジされた大谷吉継動かしてみたいな
>>429 真田家の生き残り能力も半端ないけど
その子供ら保護した小十郎と幕府からの追求に
さらっとしらばっくれる政宗も半端ないよねw
435 :
メロンさんex@ご利用は紳士的に:2009/07/16(木) 18:48:04 O
>>432 その辺りの事実を踏まえてBASARAの筆頭と幸村はライバル設定なんだろうか?
徳川も「あのDQNが言い張るなら…恐いし」みたいな感じなのか?
>>435 > 徳川も「あのDQNが言い張るなら…恐いし」
ちょwww
>>435 徳川からすれば政治的脅威のない幸村の子を血眼になって捜す必要はあまりない
むしろ睨まれたのは真田本家継いだ兄の信之
上田城で父親が頑張っちゃって秀忠を遅刻させた事で睨まれ
大坂の陣で弟が頑張っちゃって家康の首獲りかけた事でまた睨まれ・・・
当時の「お家第一」感覚からすれば幸村は実家に大迷惑かけちゃったんだけど
60年後に仙台で孫同士が会って血が残ってた事を喜んでくれたそうだ
政宗の曾孫もその事で礼状出したりしてる
>>437 エエハナシダナー…
しかし不思議なのは史実で同い年の政宗と幸村を何で2歳差つけたんだ?
ライバル設定なんだからむしろ変えないほうが
良かったような気がしないでもないんだが
真田家はあの戦国で必死で家を残そうとしたイマゲ
信之兄上よく頑張ったよな…
>>438 2歳年下説もある。
年齢はなぁ…
信玄の娘は氏政の正室だとか、年上の甥説が有力な慶次とか、利家と氏政が同い年とか、毛利とか、色々不都合がw
>>438 >>440 史実はどうも3歳差が正しいらしい(政宗1567年生 幸村1570年生)
1567年説は幸村(信繁)が49歳没だったと言われてるので逆算した生年
真田家の記録文書に生年月日の記載がある事と上杉家に人質に行った
(1585年頃)時に幼名の「弁丸」と名乗っていた事から
(1567年生だと満年齢でも18歳なので元服してないのは不自然)
BASARAの2人は2歳差位でちょうどいい気もするけど
アニメは歳公表してたっけ?
伊達政宗の19歳(アニメ公式発表)に合わせるとこうなる
宮本武蔵 2歳
伊達政宗&真田幸村 19歳
森蘭丸 21歳
直江兼続 26歳
片倉小十郎 29歳
本多忠勝 38歳
まつ&お市 39歳
浅井長政 41歳
竹中半兵衛 42歳
前田慶次&本願寺顕如 43歳
徳川家康 44歳
長曾我部元親 47歳
前田利家&北条氏政 48歳
豊臣秀吉 49歳
濃姫&島津義弘 51歳
織田信長 52歳 (享年49歳)
上杉謙信 56歳
明智光秀 58歳
武田信玄 65歳
今川義元 67歳
松永久秀 76歳
ザビー(仮) 80歳
毛利元就 89歳
あっ史実的にはって事ね↑年齢
>>443 後半、ナイスミドルってレベルじゃねーなw
濃姫と島津のじっちゃんて同い年だったのか
よだれ垂らして鎌振り回す58歳なんて嫌だ
一族で一番知名度の高い奴が出てるから年齢めちゃくちゃなのは仕方ないわな
時代に合わせるなら毛利は孫が出てるだろうし。
武蔵は論外として伊達と真田省けばいい感じで揃いそうなのに
よりによってこの2人メインに据えるから・・・
熟年BASARAも面白そうだ
フラフープをする89歳
元就様はあの外見で普通に89歳と言われても
何か納得出来る気がする
by捨て駒
アニメ終了時に夏だったけど武将は熱中症で死んだりしなかったのかな
あんな格好してたらボーっとなって戦どころじゃないような
戦国時代はプチ氷河期で作物も不作だったんで
食糧確保の為にも領土広げる必要があったとか何かで読んだような・・・
今と違ってアスファルト地面じゃないからヒートアイランドもないし
出陣中もずっと鎧着込んでたわけじゃないよ
(時代劇や大河も陣幕の中では陣羽織姿で具足は横に飾ってあったりする)
どっちかというと寒さで身動きの取れない冬の戦が厄介
つかBASARAの武田軍は平常時が熱中症みたいなもんだな
だから幸村あんなんでも寒くなかったのか
お腹壊しそうだよ・・・・と思ってみてた
>>443 長曾我部元親47歳 毛利元就89歳
これって親子の年齢差があるねw
森蘭丸21歳って伊達と真田より年上ってw
前田慶次43歳 片倉小十郎29歳
これもビジュアル的に無理だわ
小十郎くらいなら老けてる29歳いくらでもいるじゃんハゲだって白髪だっているんだから
459 :
457:2009/07/18(土) 06:09:00 0
>>458 小十郎29歳で前田慶次43歳の年の差がBASARAと逆って事で驚いたんだけど
史実年齢でアニメやったとしたら小十郎はアニメのままでいけるよ
慶次が小十郎よりひと回りも年上になってしまうから
慶次のビジュアルを変更しなくちゃダメだなぁと思っただけだよ
慶次は京本正樹なのか
ハイビジョンで撮ったらだめだな
>>457 あの時代なら親子どころか孫とじいちゃんではw<長曽我部と毛利
長曾我部と毛利にそんなに年齢差があるとは思わなかった
毛利おっさんどころかお爺ちゃん・・・
毛利は前キャラ中唯一の1400年代生まれだからなw
BASARAで長曾我部と因縁関係になったのは場所が近いのと
毛利と同時代の武将がいない・長曾我部が戦った四国の他武将がマイナー等の理由だと思う
次作の新キャラは関ヶ原関連らしいけどいずれ戦国初期武将も出してほしい
BASARAの尼子経久と毛利の対決も見てみたいよ
佐助が給料のことを何度か話題にしてるけど
そもそも時間内とか時間外とかいってる仕事体系じゃないよなw
忍びや上層部の人間なんて24時間体制じゃないのかな(それは現代も同じか)
>>464 でも佐助は外注業者みたいなもんじゃない?
使えてるのは真田家であって武田家じゃないし忍び隊の隊長だし
お館様とは雇用関係にはないというか何と言うかw
旦那のモノは大将のモノです
雇用関係など知ったことではありません
武田主従なら思ってそう
雑誌にもそんなカンジで書いてあった>幸村の部下はお館様直轄の部下状態
偵察とかだとお館様の指示がどう見ても半分以上なのにそれで当前っぽいしw
でも暑苦しいけど武田軍の雰囲気はいいな
武田のご飯は美味いらしいから入るなら武田
自分は何故か武田のご飯はビビンバなイメージがあるw
>>467 休日は漏れなく漢祭り参加だがそれでいいのかww>入るなら武田
佐助はの給料は知行じゃないよな・・・現金払いか?
小十郎はもう城貰ってても良さそうだけど
自分の領地にはいずに常に政宗の横に控えてるイメージだな
必要としてないだろうな
けんしんさまのスマイル0円
あれ?なんか一部消えたw
かすがの話ね
>>469 小十郎どこで暮らしてるのかよくわかんねーなw
なんかあの世界って嫁とか側室とかも想像しにくいなあ
領地にいるときも出てこないから
濃・市やまつみたいに表に出てるのしか存在してないかんじ
幸村ってお館様の家に居候してるのか?
幸村も小十郎も自分の城あるよな
小十郎は伊達家の領土範囲や地位からすると城持ちと考えるのが自然だよなあ・・・
幸村はゲームだと上田城を防衛してるけど
政治向けの仕事はまだ任せられてなさそうだし(史実幸村は城持ってない)
CDか何で昌幸は故人設定だったから実は信之が城の中にいるのか?
アニメでは城持ってなくて
上司の屋敷に家臣の部屋があってそこに住んでそうな
幸村はどうして「幸村」にされちゃったんだ
創作?の佐助はまだしも実在してたのが名前変えられる必要あったのか
>>476 信繁が正しいって事?
BASARAに限らず、真田「幸村」の方がメジャーだからなぁ…信繁といえば幸村よりも御館様の弟なイメージ
信繁ってなんて読むの?
のぶしげ
バサラの幸村も創作なんだから信繁でなくていいじゃない
>>476 史実信繁が「幸村」になった理由が知りたいって事?
どうでもいいじゃん
親切だな皆
>>476 講談にする際
・家康を討ちかけた「信繁」の名を使うのは幕府と真田本家に憚られた説
・幸隆→昌幸→信幸のように真田家には「幸」の字が入っててほしい拘り説
徳川方についた幸村の兄は父と決別した事を示す為
「信幸」から「信之」に改名してるので「幸」=真田のイメージってことらしい
幸村の本名「信繁」は元々お館様の弟の名前だけど
兄の改名後の「信之」もお館様の夭折した息子から貰ってるよ
真田家にとって武田家が一番思い入れの深い主君だった証拠だね・・・
あんだけお館様ぁぁぁァァァ言わせてるのもその思いが全部詰め込まれてるわけだ
10話のセリフでお前どんだけお館様好きなんだよwって思ったけどしんみり来る
しかし六文銭の影が薄すぎになってしまったのがちと寂しい
旗もないし
関白秀次が切腹となったとき、秀次と親しかった伊達政宗も罪を問われ、
秀吉より糾問の使者がやってきた。使者は石田三成、富田知信、施薬院全宗の3人。
「いかにも自分は秀次と親しかった。しかし、太閤(秀吉)の御目がね違いを起こしたから、
このようなことになってしまったのだ。というのも、そもそも秀次殿に関白を譲ったのは
どなたであったとお考えになっているのか。このように太閤ですら秀次殿を見抜けなかったのであるから、
片目しかない自分が御目がね違いを起こすのは当然であろう。自分はもし太閤が万事を関白である秀次に託し、
ご隠居されたときのことを考え、秀次と懇意になったのだ。もしこれを罪だと思うなら望む所、
遠慮なく首をはねられるが良い」
この答えを聞いた詰問使は震え上がりました。
というのも、見て分かるとおり、この答えには秀吉に対する痛烈な批判が込められているのです。
なので詰問使の一人である施薬院全宗は「そのような答え、とても太閤様には申し上げられない。
なんとも恐れ多い」と言ったのですが、政宗は全宗を睨みつけ
「そなたは病人のことは分かっても、武士道のことは分かるまい。ありのままに伝えよ」
と言い、そこで詰問は終わりました。
翌日、政宗は案内者に連れられて城の中に入りました。すると目の前から僧が来て
「わしに脇差をよこすのじゃ」と政宗に言うのです。
政宗が「なぜ脇差をやらねばならん」とい言った所に秀吉が現れ、
「茶を飲むのに刀は物騒じゃろう」と機嫌が良い様子で言ったのです。
なので政宗は脇差を預け、秀吉とともに茶を飲んだのです。
そして茶が終わったところで、秀吉は政宗に「奥州のことは心配要らんぞ」と言ったのです。
つまり秀吉は、政宗を無罪放免するという決定をしていたのです。」
こういう話ってどれが本当か嘘かわからんけど面白いな
今の政治家はちっちゃい
お館様はお得意の隠し湯・漢方薬で治ったんだろな
けんしんさまにも薬を送ってやったんかもしれん
なんで十勇士の佐助しか出てこないんだろ
逆に幸村の下の格がプレイヤーになっただけでももうけもんじゃ
BASARAの佐助はスカウトされるどころか自分で売り込んだっぽい性格だな
こないだ風林火山のOP見てたら武田菱の幟が何色かあったけど
あの色分けは何のためだろか
何班とかのグループ分け?
大河はスレチ
お館様はトイレで仕事をしていたらしい。
トイレ付書斎らしいが、変な習慣だなーと思ったら、筆頭もトイレ付書斎で仕事してたらしい。
あの時代の書斎ってトイレ付がデフォなのか?
謙信もトイレで熟考したらしいね
あの時代の厠(トイレ)というのは、今の便器と巻紙と手洗い場しかない、一、二畳の小さな部屋ではないそうです。
(城よりも)小さめの一軒家みたいな感じで、書斎(仕事場)兼トイレ兼要塞(砦?)兼(女好きな武将なら)密会所みたいな感じですね。
連投失礼しました。
現代でもトイレで新聞読んだり読書したりする人は多いし
やっぱトイレって排尿排便するだけの場所ではないのね
お館様のトイレ(御閑所)は6畳と広かったそう(風呂の残り水を流す水洗式)
通称が「山」の理由を聞かれて「山には常に、草木(臭き)が絶えぬから」
と答えたとかw
政宗のは各種書物(料理本も)や手紙を書く道具等を揃えてあって
一日の中で時間を決めて閉じこもり色々な決定や献立等の考え事をしてた
トイレで献立とは感慨深いw
政宗公直筆の手紙で、書いて行くにつれ字が小さく
行間が狭くなっていく(要するにスペース配分ミス)なものが
仙台博物館だかどっかにあるらしいww
最後のほうにすっごい豆字で
「花押がちっちゃくなったけど偽物じゃないから」
って追伸付きで
「に、偽者じゃないんだからね!」
というツンデレBASARA政宗様が頭の中を駆け抜けて行きましたw
当時はぼっとん便所じゃないのか
臭いの問題はないのかな
506 :
メロンさんex@ご利用は紳士的に:2009/07/26(日) 11:38:39 0
ホモ
そりゃまあ、あの時代は衆道が武士のたしなみみたいなモンだしたな
女しか興味ない秀吉の方が変わり者だったらしいし
天下取ってからも衆道に興味がない事を部下に心配されたり
「あいつは生まれがが卑しいから衆道がわからないんだぜww」
と裏で馬鹿にされてたとか>秀吉
でもそういう関係にある家臣の扱いは女相手以上に気を使わなきゃならんらしいな
お館様の「浮気してないよ!」という弁解の手紙は有名だけど
痴情の縺れで小姓に刺し殺された大名までいる
そのせいで家中が衰退・混乱して政宗に滅ぼされちゃった蘆名
いろんな事に絡んでるなあ、伊達。
>>503 微笑ましい
むかしはエイズって無かったの?
>>508 犬千代様が嫉妬心で小姓殺しちゃったんだっけ?
>>504 臭い対策は常にお香を炊いていて特にお館様の所では交代制で香炉の
火を絶やさないようにしていた
>>510 エイズの症例発見自体は1981年らしい(それっぽい病気は1950年頃から)
梅毒等は流行ってたかと(家康の次男は梅毒で死亡)
梅毒はそういえば聞いたことあるね
お館様は見かけによらず気にしいだったんか
しかし家臣が毎日うんこ見て健康状態点検するとか上に立つ人もたいへんだわ
BASARAにでてくる武将全員が家臣にウンコ点検されてるとかおもうと複雑だ
仕方ない、かなり困窮していたから
しかし、豪快といえば聞こえはいいが、
実際のところ、字がド下手という評価だったらしい>幸村
字が下手な武将っつったら幸村と三成が思い浮かぶな
逆に達筆で有名なのは秀吉・謙信・政宗か
バーローズの幸村の武器「武田筆」は
「習字の鍛錬もせい」というお館様の意向なんだろうかww
>>505 兄あての手紙だっけ
この壷に酒入れてこんな風に封してくださいっておねだりだよね
かわりにゆかたあげますみたいな感じの
真田は一家が仲良しのイメージだ
史実幸村は温厚で辛抱づよい物静かな人だったと兄の信之が
語っていたそうだがw
BASARA幸村も豪快な字を書きそう…座ってする仕事は苦手なイメージ
>>517 秀吉は代筆じゃないか? と思うが…
けんしんさまは文字すら美しいんだろうな。
晩年の謙信はアル中だったのか、手が震えて字が書けなかったらしい。
家康はどっかの博物館で「特異な書体」って評価されてて笑った。
はっきり「へたくそ」って言ってやれよw
>>520 いま、520の城へ向けてホンダムが発進しますた
史実というわけじゃないけど、少し前に政宗の遺骨が調査で発見された際、当時の片倉家当主が
病気で寝込んでいたにも関わらず現場に駆け付けたという話をどっかで聞いたことがある。
家族の反対を押し切っての行動だったらしい。
この話を聞いた時はかなり感動した。数百年たってもまだ忠臣なんだなあ・・・と
子孫が政宗を祀った神社の神主をしているとか、ほんとに片倉家って忠臣の鑑みたいな家だよね。
>>505 昔の上手い下手の基準とかよくわからないけど
殴り書きみたいに汚い字だなw
だけど幸村らしくていい
>>522 三代続けて主家に大貢献してるのもまた凄いよな・・・
政宗の方も白石城や青葉城の入口(城敷地に入る橋の袂にある防衛の要)の
一番大きな屋敷を小十郎に与えたりと全幅の信頼を寄せてたらしい
余談だけどその発掘に駆け付けた片倉家当主が昔書いた題字が
BASARAパッケージの仙台味噌に使われていたりするw
最後の現当主の逸話吹いたw
この先の片倉家の人もそうであり続けるのだらうか>忠臣
これまでそうだっただけでも十分凄い
>>527 片倉さんは良い方だよ
仕事で少しお話させて頂いた事がある
最近の片倉公ブームに戸惑ってらっしゃったな…
そう聞くとちょっと申し訳ないね>ブーム・・・
味噌のパッケージまで来るとは
前に本屋で立ち読みしてたら武田信玄は実証主義だったとか書いてあって
四話だったかな「やってみなければわからない」のやりとりは
そっからきてんのかなと思った
>>529 昨日ナゴヤドームであった大学の説明会でもBASARAの政宗まつりのパンフ貰った
おじさんがマジレスすると政宗がこんなに人気あるのは
完全に大河ドラマのおかげだよ。
あれを放送する前の政宗のポジションなんて
長宗我部とか佐竹辺りと同程度の単なる田舎の有力大名扱い
だから政宗オタクは渡辺謙に足を向けて眠っちゃ駄目だよ。
>>533 んなことないよ
正宗の評価は大河ドラマ以前から高かった
島津と比較してもいいんじゃないかな
マジレスするとおじさんがこんなとこ来ちゃだめだよ。
ちゃんと働けよ。
>>533 だよな
独眼流大河まではそれこそ知名度なんて低かった
まあそれだけに史跡めぐりも人いなくて楽しめたけど
>>535 マジレス過ぎて笑ったw
でも確かに、大河の独眼竜政宗は神作品だ。
こないだ仕事でちょっとだけリアル謙さんを間近でみたんだが、
目の前の謙さんに頭の中で自動的にBASARAの政宗の第一衣装に眼帯を合わせ、
「……そろそろ大阪夏の陣年齢ですな、政宗様」
とか思ってしまった俺、25才。
一度も独眼竜政宗は見てないが、見てみようかなあ。
8月からスカパーで独眼竜政宗やるよ
チャンネルNECOだ
と思ったらこれ謙さんのじゃないや
1942年制作の方だった
すまん
NHKもさあ「天下取るぜ!」なんてテロ出すくらいなら
独眼竜の再放送してよ
>>538 渡辺謙の独眼竜政宗は一度は見といて損はない(いやマジで)
大きめのTUTAYAならほぼ置いてあるよ
あのモブ4人の名前の元になった伊達家臣達もしっかり出てくるし
脚本のむとう氏が独眼竜好きだと言うだけあって
アニメにも大河からのオマージュらしい場面があったり
(7話の「政宗の右側を集中攻撃する小十郎」が大河の稽古場面にある)
ゲームスタッフにもファンが多いのか
バーローズOPの政宗の顔が謙さんそっくりになってたりするんだよね
巨大化した信長と秀吉に向かって口開けて突撃する場面か?
あのシーンは確かに謙さんそっくりだった
他はそんなに似てなかったが
独眼竜政宗は前にここで薦められて一気見したが見て損は無かった
あのとき薦めてくれたやつありがとう
キャラデザの人も独眼竜好きと言ってた
BASARAはスタッフに恵まれてる気がする
ここ「独眼」で抽出すると面白いなw
DVD特典映像のミニBASARAに出てきた毛利くんの手紙が
史実の元就公の手紙並に長ったらしくてくどかったw
元就見てるとおじいちゃんと呼びたくなる
いい意味でね
第二期に御当地アニメじゃなくなったらそこでは放送しないのかな
549 :
メロンさんex@ご利用は紳士的に:2009/08/07(金) 03:17:49 O
BASARA、無双のファンにも史実好きな人いるんだ。ちょっとびっくり。
史実知ったら、イラッとしないのか?
イラっとする人はなんでも混同しちゃうのかもしれないな
現実と虚構の区別がつかないタイプなのだろう
史実好きだからBASARAが面白いと思ったんだけどな。
ネタ部分のほとんどが史実ネタの誇大表現じゃん
大坂冬の陣の最中のことです。
冬の陣が講和の動きに持ち込まれていたので、大名らは戦をする必要がなくなり、そのため香合わせをしていました(要は暇つぶしです)。
その中で、諸大名らは景品をかけて勝負することになり、皆景品として馬の鞍や弓矢などを出しました。
その中にあって、政宗は、腰にかけていた瓢箪を景品として出したのです。
皆「奥州の独眼竜ともあろうものの景品が瓢箪か」といって笑い、当然誰も、その瓢箪を取ろうとはしませんでした。
しかしそれに参加していた大名の家来の一人が、その瓢箪を取ったのです。
すると政宗は、その者に瓢箪ではなく、政宗自身が乗ってきた名馬を(しかも高価な飾りをつけたまま)進呈したのです。
わけが分からず狼狽する大名の家来に向かい、政宗は「古いことわざで、『瓢箪から駒』というのがあるだろう。そのことわざどおり、わしの瓢箪から駒が出たのじゃ」と言ったのです。
そこに居合わせた大名らは、その景品をうらやましがったと同時に、政宗の意が見抜けなかったことを、実に悔しがったと言います。
政宗は非常に先見力、また洞察力に優れていました。
それが最も分かるのは、1601年の今井宗薫宛ての書状でしょう。
その中で政宗は「秀頼が秀吉と同じく、日の本の置目を執り行える人物であるのなら、
秀頼が成長するまで家康の側において家康に判断させれば良い。
置目を取れる器でないのなら二、三ヶ国を与え、豊臣家は一つの大名として
存続させれば良い」と言い、更に「どちらにせよ、今は秀頼を大坂に
置いておかないほうが良い。大坂においておくならば、いつか世のいたずら者に
秀頼は担ぎ上げられ、家康に対し牙を向くだろう。そうなってしまえば秀頼が
腹を斬ることになりかねない。なぜなら秀頼では、家康に勝つことはできないからだ」
と述べているのです。
果たして歴史は、まさに政宗の予見した通り、後の大坂の陣で秀頼は総大将に
担ぎ上げられ、そして家康に負け、そのため命を失い、豊臣家は滅んでしまいました。
まさにこれは、見事な政宗の先見力を示す話だといえるでしょう。
>>552 粋だねー
香やら歌やら戦もやって武将ってすごいね
強ければそれだけでいいというわけにいかない
BASARAの幸村は戦以外てんでダメなイメージだがw
幸村だって礼儀作法をわきまえた偉い子だぞ
とアニメで思った
特定キャラをバカにすんな
偉い子って書き方もどうかと思うけど
フィルタかかってない目で見たらBASARA政宗だって
香やら歌やるイメージ全くないw
笛なんかだとわりと想像しやす・・・>BASA宗
BASARA登場人物の芸術面は不問
過去レスからの連想で幸村の手紙を見てみたい気もするけどw
元気のある字体と勝手な想像
幸村好きで
>>554と似たようなこと思ってたけどバカにはしてないな
だよな
馬鹿にするとか落としてるというほどでもない
w←が不要なだけだ
んだんだ
>>558 >BASA宗
短くてわかりやすいですな
上の文に幸村の名前ないのに出してきてるとこがアレなんじゃ
どうせ比較するならBASARAの伊達だろうに
自分も上から読んでてなんで幸村?と思ったわw
受け取り方はそれぞれってこと
そうだね
BASARA自体バカアニメって言われても誰も怒んないから(むしろ言われると思ってる)
似た感じと受け取った
>>562 えー「こいつならこうかな」って流れになるのは特におかしくないしょ
前に出て来なかったら出しちゃいけないわけじゃなし
自分は馬より瓢箪が欲しいですよ
人それぞれって意味わかる?
自分が意味わかってるなら放っとけばいいんじゃないかな
人それぞれだもんね
知らないうちに「バカにしてる」と思われてたらこわいけどさ
忠勝とかにしてれば過剰反応は無かっただろうよ
と書くと「なんでそこで忠k
瓢箪から駒ってそんな昔からある言葉だったのか
馬がまさに最重要な時代だもんな戦国時代は
江戸時代に入ると大名旗本クラスじゃないと騎乗資格なくなっちゃったし
(武士でも御家人クラスは馬に乗れない)
アニメは筆頭の馬イクにまず目がいくが
北条の馬と明智の馬もさりげに目が離せないと思う・・・特に明智馬
北条のはポニー
馬も主人に似るとな
>>572 マジレスすまんが戦国だから木曽馬とか在来種なのかな?にしても北条のは小さいか
>>574 いや見た目で
マジレス返し出来なくてすまん
地元が蜂須賀家政の生誕地なんでほんの少しだけ知ってるが
馬の生産牧場や育成牧場なんて当時はあちこちにあったと思うぞ
・・・・意味がわからん・・・・・・
>>574 全部の馬が木曽馬だと思ったな。
馬イクは違うように見えたけど…
忠勝といえば、林羅山に「お前と天神様のどっちが頭いいんだ」って聞いたら笑われた、って話が好きだ。
学者といえば天神様しか知らない、教養のない武将って事らしいが、
この後家康に「林羅山にお前と天神様のどっちが頭いいんだって聞いたら
笑われたんですが、何故でしょうか」って、聞いたらしい。
家康は笑って答えなかったとか。
大名クラスになるとなんでもできるイメージだけど、
そうでもないんだな。
忠勝って地元でもついこないだまで無名だったと聞いた
最近になって忠勝祭りとかやり始めたと
>>578 泥くさいまでの武骨さが三河武士 だがそれがいい
元から大名の生まれなわけじゃなかったしな
学問はともかく誠実で頭はいい人だったみたいで幸村と昌幸の助命に奔走してくれたりとか
ところで大河主役にしてほしい武将アンケートで忠勝が2位らしい
実現してほしいけど合戦シーン撮るの金かかるんだよな
今年みたいに重要な合戦がナレーションだけな忠勝大河だったらやる意味がない・・・
>>578 それはなんとも微笑ましいっていうか>何故でしょうか
>>579>>580 無傷くらいしか知りませんでしたスンマセンw>地元
「大河で主役にしてください」は地元新聞記事にもなってた
サン・フランシスコ号遭難(2chでflashのあったエルトゥールル号遭難事件に似てる)とか
www.pref.chiba.lg.jp/syozoku/b_kokusai/friendship/mexico.html
本多が関わってるしやってほしいって書いてあったけど・・・後年がちょっと寂しいな
合戦がナレのみは確かに嫌だねw
アニメ見てると幸村を投げ飛ばして助けた場面でその助命の件を思い出すよ
上のURL見たけど
えーっそっから政宗の慶長遣欧使節団につながってたのか…知らなかった
>>582 そっからさらに英語を話すBASARA政宗様がw
>>578 ものすごいうろ覚えで申し訳ないが
「中身が立派なら外見(服装?)はだらしなくてもいいという人もいるがそれではだめだ
どちらもきちんとしていなければいけない」
みたいなかんじの忠勝の名言があった気がするのだが
きちんとというのは別に高価なものを身に着けろというのではなくて
心がけが身なりに表れる・出てしまうぞということなんだろうな
やっぱかっこいいのう
ちゃんと油を差してボルトを締めておくのですね
>>585 零戦なんかだとボルト1つ緩んだだけで空中分解してしまう事があったからな
(軽量化の為ギリギリの部品しか使われてなかった)
>軽量化
まさに史実の忠勝(軽武装)
588 :
メロンさんex@ご利用は紳士的に:2009/08/18(火) 21:47:36 0
とりあえず保守
さて家康が重量化したわけだが
>>589 重量化したアイツは実は世良田二郎三郎元信で、竹千代は左近と侘助に暗殺されたのでは?
家康の影武者には、2代目服部半蔵こと服部正成もいるんだけどね
神君伊賀越えの時はこれで乗り切ったらしいよ
BASARAのくせに妙に関ヶ原設定にこだわってるな
てことは、政宗も幸村も三十路超えか…と思ってから気付いた
家康の年齢……考えちゃいかんか
若返りの薬でも使ったことにしとけw
史実家康は性的な意味の若返りの薬開発に余念がなかったらしいし。
政宗が、江戸での会食に呼ばれる機会があり、魚料理としてヒラメが出てきました。
当時江戸ではこういった裏表のある魚は表だけを食べて裏を残すのがマナーだったのですが、
政宗は何も知らずに両面を食べてしまいました。
それを同席した武将に指摘されたところ、政宗は逆に胸を張って
「仙台ではヒラメに裏など無く両側が表なので、ついいつもの癖が出てしまっただけだ」と言い張ります。
両面に顔のあるヒラメというのは生物学的に考えられないのですが、政宗は自分の失敗を認めようとしません。
しかし指摘した武将も引かなかったため、政宗はとうとうその武将を招いて『両面が表のヒラメ』をご馳走することになってしまいました。
仙台に戻った政宗は、両面が表の魚を捜すようおふれを出します。
政宗が意地を張ったせいで仙台中の漁師が血眼で両面が表のヒラメを探すこととなったのです。
果たして会食から数ヶ月後、仙台の政宗の元を訪れた件の武将の目の前には両面が表の立派な畸形魚の姿が!
漁師たちの必死の捜索のおかげで恥をかかずにすんだ政宗でした。
どんな奇形魚やねんwwwww
両面が表ってどうなってんの
ヒラメの裏にカレイを張り付けたとか?
>>593 若い娘とするのは健康にいいとされてたらしい
薬開発も健康の為=若い娘とする為で行為自体は目的じゃなく手段のような
史実の家康と秀吉比べると
「長生きする」「最後まで頭ボケない」「子供をたくさん残す」が勝ち組だとつくづく思う
秀吉は年齢はともかく後の二つがダメだったな
ところで3で茶々が出たりするのか?ねねの設定考えるとないかな
アニメ最終回で、利家が信長攻撃隊に参加してたけど、
ゲームでの利家と信長の関係性ってどうなってるん?
躊躇してからまつに促されるように走り出してたよね
思わず「お前が行っちゃいかんだろう!」と画面にツッコんじまったけど。
>>598 無印は「織田の家臣」って感じだった。
2はつながりはあるけど独立勢力になってる
苦悩する利家を描いて欲しかったなぁ…
>>599 598です。レスありがとう
>苦悩する利家を描いて欲しかったなぁ…
うむ、柴田勝家を裏切るのとわけがちがうもんな、利家が信長に刃を向けるって。
ゲームで敵対してないとわかってうれしい。
601 :
598:2009/08/24(月) 08:10:02 0
質問ばかりじゃなんなので。
信長つながりで、アニメで面白かった松永久秀の話など我流に。
松永が平蜘蛛の釜を抱えて爆死したことになってる信貴山城の戦いは
信長が松永の御膝元大和国の守護を松永の宿敵・筒井順慶にしたことで
松永がカチーン!ときて反旗を翻したというのが直接の発端。
元々中央の実力者だった松永を打ち負かして臣従させた信長、
さらに反抗されるのもこれで二回目?三回目?
それでも、気に入ったヤツ(?)には贔屓…もとい寛大な信長
(前田利家しかり、森蘭丸の森一族しかり)
「え、どうしたの?何がイヤなの?説明してくれたら許しちゃうよー」と
甘々な使者を遣わしたが、松永は「このKY!」と手切れ。
ここらへんの「破格な対応」が、アニメの信長の松永に対する評に繋がってるのかと。
「面白きゆえよー」とか「珍しいホトトギス」by信玄とか。
602 :
598:2009/08/24(月) 08:12:15 0
(長すぎた。つづき)
信長は顕如と長ーいケンカの真っ最中だし、越後から謙信がせまってきてるしで
松永もこの機にブッ倒しちゃれと思ったのだろうが結果は敗北。
この松永攻めには、明智光秀・羽柴(豊臣)秀吉も参加している。
ちなみにその頃、アニメで松永を倒した小十郎(片倉景綱)は
米沢で元服した梵天丸あらため伊達政宗(11)の剃刀役を勤め
「若様…立派になって……」と目頭を熱くしている弱冠21歳最低賃金所得者である。
共闘の真田幸村は武藤弁丸から真田弁丸に変わった頃か?
604 :
602:2009/08/24(月) 22:19:15 0
>>603 謝ります。調子にのってジョークで書きました。
現在の最低賃金制度のようなものではなく
小十郎が伊達輝宗の徒小姓として働き出した初任給(?)からしばらく
加増されないままだったので、伊達家内では一番下レベルかな、と。
ちなみに4人扶持2両だったそうです。
「サンピン」というのは江戸時代からの言葉ですが
武士の最低レベル賃金3両1人半扶持をあざけったものなので、
時代は違えどイメージはそんなあたりから。
低い身分出身の小姓が嫡男の傅役に抜擢されたので
周りの反発を招かないために加増は遅くしたという説を見たことがありますが、
史料からの抜書きなのか、後世の解説なのかは不明。
不真面目に書いちゃいかんね。ROMに戻る所存。
輝宗のバックアップがあったとはいえ当時は弟を跡継ぎにしたい派も
多くて嫡男の傳役といっても安泰ではなかっただろうけどな…
小次郎が継げば殺されるか政宗ごと一生日陰の身もありえたわけで
将来の不安や周囲からのストレスで家出しかけたのもわかる気が(´;ω;`)
色々調べてたら輝宗が「総次郎」政宗が「藤次郎」って通称なんだけど
それ以降の当主も交互にそれを名乗ってたとか
607 :
606:2009/08/25(火) 06:11:44 0
すみません字間違えたw傳役じゃなくて傅役です
コピペすりゃよかった…
間違い探しのレベルが微妙に高いww
ホントだ。言われてからでもどう違うんだ?ってーレベルだww
伊達家は惣領息子に「〜次郎」って傾向?
通称は親子同じだったりして誰が誰やら
二郎の次が三郎って縛りもないらしいし
真田源二郎ゆきむぅるぁ の兄ちゃんは源三郎信幸ってカウントダウン?
信長は三郎か。織田三郎信長。意外とシンプル
濃姫が「三郎様」って呼んだらゲームの印象変わるね
真田さんちは未だにどっちが上かわからないんだっけ?
母親の身分って大事だな…
>>609 伊達家の場合は次男が家を継ぐ事が多かったから…と書いてありましたが
政宗以前でもそれほど多くないw
(政宗の息子(忠宗)は上に側室の子(秀宗)がいるので次男)
戦や病気で亡くなったり正室の産んだ男子が優先される事を考えると
必ずしも長男が継げる訳ではないし養子も多かった時代だし
>>610 真田信之の生年が1566年で間違いなければおそらく信之が長男
幸村(信繁)の生年は仙台真田家の資料によると1570年のようです
仙台真田家! まぎれもない幸村(信繁)直系ですな
その1570年説がBASARAの、筆頭より年下幸村かー
・・・って、17歳設定だっけ?ちょっと違うか
いやBASARAで年齢設定とは、野暮なことを言ってしまったよ
>>612 まあBASARAの場合は主に役者が演じる際のイメージ年齢だからw
…ただ3の画像を見る限りではどう考えても2から1年以上経ってるよね
今さら史実を参考にとか言ってるけどBASARA幸村に史実持ち出したら
キャラほぼ全否定なんじゃ…
明日(8/26 22:00)のNHKの歴史ヒストリアで真田幸村特集ですよ
歴史ヒストリアですね!情報dです!
関ヶ原で史実に沿った設定でステージ作ったら
家康、幸村、政宗、とみんな戦場が違うから
それはそれで面白そうだけどね
新キャラ多すぎて大変ww
小田原に豊臣軍参陣じゃなくて、
しかもよりにもよって三成に負ける政宗って時点で
ものっそヒドイ落としっぷりだ。
地に「降りてきた」どころか地中深く埋められてますぜ筆頭
関ヶ原に信長、とか関ヶ原に松永、とかのはっちゃけた展開期待!!
信長「大〜きくなったのう、竹千代ぉ」
家康「家康です、信長公!」
義元「大きうなったでおじゃるの、元信」
家康「家康ですってばー」
なんだ今日の1:00から上杉謙信特集と織田信長もあるんじゃん>歴史ヒストリア
戦ド下手(という評判)で有名だもんな三成
あの展開は三成がめちゃめちゃ強い設定なのか戦闘的な相性が悪かったのか
大河天地人は直江が主役なのに最上も慶次も出ないんだそうで
BASARAに最上義光出ないかなあ
娘の駒姫のエピソード出すと秀吉が100%悪役になるけど
>>616 慶次出ないの!?なんか慶次役は誰なのか予想で盛り上がってた気がするんだけど<大河
最上はなあ…政宗が奥州筆頭な時点であまり期待はできない気がする
個人的には大谷へ引き継がれたMSの系譜が最終的にどこへ行き着くのか興味あるんだがw
どういう基準でMS化してるんだ…
公式HPにまだキャスト発表されないの?と質問した人にこんな回答が返ってきたそうな
「前田慶次郎は現在のところ登場する予定はございません。
直江兼続を中心としたストーリー展開である都合上、
登場させても十分に描くことができない人物でもございます。云々」
のわりにオリキャラの女性が出しゃばってるんだが・・・
最上も慶次もいないんじゃ長谷堂はナレーション終了疑惑が湧いてる(もはや直江主役の意味が・・・)
でもBASARAの直江には今後も無敵モブのままでいてほしい
モブのままで直江状発行
>>617 最上は奥州じゃなく出羽、今のBASARAじゃ出しても咬ませ・当て馬・踏み台にされるな
大谷(未確定)はMSではなく最も神に近い男にしか見えん
>>618 >モブのままで直江状発行
それイイ!
戦国BASARA、北の関ヶ原
伊達政宗、前田慶次、直江兼続(モブ)、
新キャラ・上杉景勝…?いやいっそけんしんさま&かすがでいくか
最上義光はなぁ… 魅力的に描いてくれるスタッフ期待できないよな
変にイケメン武将にされてもイヤだし。
義光の脇に義姫つけて毒殺攻撃!てのはいけるか?
ダメージを受けるのは味方武将の政宗だがな
>>620 なぜか頭の中に口から茶吹いて「毒霧!」みたいなギャグ技が出てくるw
>>618 あの大河じゃ出しても意味ないというかむしろ出ない方がファンには
ありがたいw脚本家にきちんと描く能力がなさそうだし
それに天地人は普通のより期間短いんじゃなかったっけ
このスレ的にはBASARA3に慶次が出るかどうかの方が気になるかな
家康が2の慶次化しそうな雰囲気ですが…
>>622 そういう大河の悪口止めなよ…
くだらない自演せずに慶次の史実語れ
>>612 へー伊達が19才設定らしいから幸村は16才か
史実の方がキャラ的にもしっくりくるではないの
慶次の誕生したのは、1533年か1541年説が高いらしいけど
つまり関が原の戦いの時は若くてみて59才
名前も利貞、利太、宗兵衛、慶次郎、慶二郎とかあるけど
漫画の影響で慶次なんだってね
数え年で考えると還暦かー慶次
島津のじっちゃんは66になるし、それでバリバリ戦すんだからすげーな
史実とBASARAキャラの年齢を当てはめる流れは前やったからもういいべ
>>624 利太・・・読み方は「とした」か・・・?
>>626 利太=としたか
>>623 大河ファンなのか知らんが勝手に自演とか決め付ける方が悪口じゃないの
しかも「慶次の史実語れ」って何様…
そういえば忠興とガラシャの長男の子孫という人が亡くなられたね
どうせなら選挙の結果が出てからだったらいいのにね、残念
明日の歴史ミステリー最終回で長曾我部元親
慶次の名前がたくさんあるのは知らなかった
「慶次」が選ばれた理由も
他の武将も別の名前持ってるものなのかね
>>628 空を飛び回って全国の選挙結果に毒舌を投げて楽しんでくれることでしょう
>>628 今日は幸村、明日は元親、いい夏休みだ!
慶次の名前、利益(とします)利卓(としたか)利大(としひろ/としおき)利治(としはる)もー。
謎の多きお人だねぇ。
幼名が宗兵衛、と書いてあったが、幼名としては珍しい気がする
秀吉&利家亡き後の家康のイチャモンつけの相手が
まず利家の子・利長であり、謙信の養子・景勝であるあたり
BASARAで家康に対抗する図も描けそうだが、BASARA家康がああも明るいキャラだとなー
>>622 慶次の史実、というか作品2点
船過江 「吹く風に 入り江の小舟 漕きえて かねの音のみ 夕波の上」
神無月三十日に信濃の野尻に出て
「さむさには 下はら(したはら=下痢)おこす 野尻かな」
なにこの落差(笑) 千変万化つーか何でもオッケーつーか
ごめん、アンカ間違えた622じゃなくて623ね
下の628も629だったー! 何やってんだ一体
ヤケになって連投!信長の通称、というか自称役職名の「上総介」について。
最初「上総守」と名乗っていたんだけど、上総は親王任国であり
パンピーが「守」になれるわけがない。
人にpgrされたのか自分で気がついたんだか知らんが上総介に訂正。
おちゃめな信長くん
野尻ってのは野尻湖周辺のことか?
地元だが神無月といわず今年は既に寒いな
>>633 前の手紙の件といい信長の逸話はおちゃめで面白い
野尻と野で尻を出すをかけてんのかな
赤面モノだがその通り>野尻の野で尻を出して野糞
慶次の旅ブログ(『前田慶次道中日記』)は
美しい風景描写があるかと思えば
ダジャレと笑い話の連打がきて力が抜ける。
「あつあつの鮭汁ウマー」とかも微笑ましいが
その実は、帰らぬ決意の上杉景勝オッカケ旅である。
まさに風来坊だな
あの時代野糞は当然だろうがわざわざ駄洒落にして詠むとはw
景勝ゲームで出したら慶次ももっとキャラ立ちすんのになぁ
景勝も来てほしいよなー
慶次も厳格な景勝の前では傾くの自重したくらいだから真面目すぎてギャグに見えるくらいの堅物だといい
それに最近多い「直江は謙信の愛弟子設定」も食傷気味なので(史実にそんな話ないし)ちゃんと景勝との主従にしてほしい
ただし直江はモブのままで これは譲れん
正室の菊姫もお館様の娘という事でいいキャラになりそうだ
歌に詠むくらいだから壮絶な下痢ピーだったんだろうな
歴史秘話ヒストリア幸村特集見たけど特に今までの歴史番組と
変わらなくて拍子抜けしたなあ…最初にBASARAの映像出て笑ったけどw
せっかく子孫の方に取材に行っといてインタビューも無しとか…
(取材・撮影に8時間かかったとか)
寡黙を通り越した無口で、誰も笑顔を見たことがないといわれた上杉景勝。
ペットの猿がしたいたずらに思わず笑ったところを周りが見てビックリしたという。
生涯でただ一度笑ったところを見せた、とか記録されちゃうほど。
真面目すぎの強面だが夢吉にメロメロ、というほのぼのギャグキャラでどうでしょうカプンコさん
大丈夫、CVは風魔と同じで。
このスレ見たせいでアニメスレで慶次の話が出ると野糞が同時に出てきて困るw
>>637 前田慶次道中日記ってのググったら色々出てきたんだが書物でいいのか?
面白そうだから読んでみたいわ
647 :
637:2009/08/27(木) 01:46:56 0
>>645 正直すまんかったw
逆に「野○ソはちょっと…」な政宗の話もあったが(『伊達政宗とその武将たち』に載ってた)
野グ○続きもナンだし、『天下一大快事』て別の武将の逸話として聞いたことも
ある気がするので遠慮しとくわ。そもそもバサラに出てこないもんなw
>>646 自分が持ってるのは、市立米沢図書館刊行の2200円のヤツです
ちょっと高いけど、影印本(現物複製の和綴じ本)と、
資料編の冊子は、オリジナルの写真と対応して活字化したページに
注釈付の現代語訳もついてて、更に慶次のプロフィール解説、エピソード、遺跡紹介、と
至れり尽くせりで、不勉強者としてはありがたくて涙が出たよ
内容を確認してみたいんだったら、さっきぐぐってみたら
ネットに日記全文あげてくれてるサイトがあった。
モノも米沢図書館刊行だから、各地の図書館にあるかもしれないね。
>>642 NHKでBASARAの映像出たからオオッと思ったわ
真田十勇士の事とか伊達との対決とか幸村の槍の奉納先とか
一般向けだけど丁寧に作られてたかな
幸村役の俳優さんとか戦いのシーンとかクォリティ高かった
NHKの大河の天地人とコラボしてるのかと思えるほど
こういう特集組んでくるけど
上杉景勝来るかー?と期待してしまうじゃないか
多少の美化はされてたけど面白かったな>幸村特集
戦局の事情や戦場面は天地人より真面目に考察されてたと思う
そういや大坂の陣で幸村は六文銭を(目立つ所では)一切使わなかった説もあるんだよね
兄が継いだ東軍の本家にせめて迷惑はかけないようにと
焼酎ください、浴衣あげるから!
というこのスレで知った手紙が紹介されて噴いた<NHK幸村特集
>>649 朝から泣けた(兄に迷惑かけないように)
阿梅も紹介されてたな。
33歳で17歳の阿梅を後妻に迎えたんだっけ。
松永の後妻(元主君の娘)は30歳離れてるし、これぐらいの年の差はよくある話なんだろうけど…
>>613のおかげで幸村特集見れたよ!dだよ!
NHKって合戦シーン作れるんじゃんw
真田家って勇猛あり智将あり一族助け合っててイイナー
ゲームに使われるほどの人物ってどれもやっぱ伊達に名前残ってるわけじゃないなー
>>652 北条早雲が本当に50代後半で正室迎えていたら一番凄い
>>647 全文見られるサイトなんてあるのか!太っ腹
ちょいと見てきます。ありがとう
今図書館に行ったら読みたい本多すぎて
貸し出し期間までに読破出来そうもない
>>649 泣ける話やなー
>六文銭を(目立つ所では)一切使わなかった
大阪の陣で徳川家康に十万石やるから仲間になれって言われても
幸村はそれを選ばずに戦った
「兄貴本当にすまない…後は頼む」という思いだったんだろうね
まぁ信繁(幸村)の肖像画に六文銭があるのはそういう理由かもしれないな
ちょっとバサラからはずれるけど幸村の子供たちの話にのっかって投下させて〜
片倉重綱(のちの重長)と阿梅姫の年齢差は、没年から計算すると20歳
阿梅(12)と共に阿菖蒲、おかね、名前不詳の女の子も預けられているらしい
表向きには「戦場で分捕ったぜ俺らの戦利品だぜイェー」としたそうだが
徳川に「真田から預かりました、大切に育てます」とは口が裂けても言えないよね
重綱の室・針生氏はこのとき26歳。阿梅たちとは実の姉妹や親子のように仲良く暮らした
彼女は病気のため37歳でこの世を去ったが、その際重綱に
自分の死後は必ず阿梅を正室にして大切にしてくれ、と言い残している
かくして重綱43歳・阿梅23歳のカップルができあがった
(つづき)
男子の大八(4)は戦後九度山近くで幸村夫人(大谷吉継の娘)と一緒にいたところを捕えられた
もちろん、幕府の決定は打ち首。そこに口をはさむ戦国DQN大名伊達政宗
「そりゃ打ち首は当然だけどよ、そんなチビどーやって斬るんだよ
首据わるまで待ってから斬らなきゃムリだろ?You see?」と、1年延長を提案
厳重な監視体制のもと、打ち首までの1年を無邪気に暮らす大八だが
ある日、子供同士で遊んでいる最中に無残にも事故死してしまう
石合戦の標的になってしまったのだ
遺体の顔は腫れ上がって見る影もない。泣き崩れる母君や侍女たち
(ごめん、これでおわる)
その数日前、京の伊達屋敷で大八と同じ年頃の子供が病死していた
病のため顔が腫れ上がって哀れな姿だったそうな
その後、大八がよく懐いていた尼僧が白石の片倉家に帰っていったが、連れはヒミツである。
我が子の為に泣き崩れる芝居をうったお母さんもスゴイな
その後二度と会えなかったのかな
「大八丸?ああ残念でしたね。この男ですか?片倉久米之介って身内ですがなにか?」な
片倉家と伊達家は、信之には連絡したのかな
ご存じの方よろしく
イイハナシダナー;;
イイハナシ…あれ?替え玉殺人てこと?
あ、ごめん病死体でしたね
>>660 つまり打ち首を避けるために
京の伊達屋敷で同じ年頃の病死した子どもを
大八の替え玉にしたということか
で死んだと公表すれば打ち首は無しと…なるほど
針生氏と阿梅はすごく仲がすごく良かったらしくて
阿梅を後妻にしてくれと言い残して亡くなったらしいね
阿梅と針生氏の縁が母と次男大八の命を救った訳か
打ち首1年延長を提案した伊達政宗もいい人だ
じゃ歴史ミステリーに仙台真田氏こと幸村のご子孫も出演したのでその後の話を
伊達家は幕府には大八の事を「真田昌幸の弟・信尹の次男(本当は実在しない)の子」という偽家系を報告していた
さて幸村が討死し子供達が保護されてから約60年後の1673年
松代3代藩主・真田幸道(信之の孫)が仙台を訪れた時の事
伊達家臣の中に結び雁金紋(六文銭説も)の羽織を着た若者を見付け
「うちの家紋と同じか、奇遇だな」と思い声をかけると
若者は「片倉沖ノ進」と名乗った
しかし「片倉とはあの白石城主の?片倉家は九曜紋では?」と重ねて出自を尋ねると
さすがに真田本家の当主に偽の家系は通じないと思ったのか
沖ノ進は「実は自分の父は・・・」と事実を語り始めた
沖ノ進こと片倉辰信の父は大八改め片倉守信・・・つまり沖ノ進は幸村の孫
かつて東西に分かれた真田兄弟の孫同士が60年越しの対面をしたわけである
>>664 >針生氏と阿梅は〜
ってか
>>658に書いてあるぞw
幸村の子孫は結構伊達に関わってるんだな
イイハナシダナー
てなんで伊達政宗は真田信繁の子を引き取ったんだろ?
初めてBASARAを知ったときは
「なんでこの二人(政宗と幸村)がライバル設定?」と思ったもんだが
ここでのエピソードに目からウロコ落とされっぱなしだ
歴史って面白いよなあ…つうか、BASARAのさじ加減が好きだ
そんなわけで3も期待している
>>665続き
幸道は意外な対面に驚きつつも
祖父の弟の血が残っていた事を大いに喜び、幕府にも明かさないと約束してくれたという
信之は93歳の長寿で亡くなった時まだ2歳で家督を継いだ幸道の後見人をしてくれており
敬愛する祖父の弟の孫との出会いは感慨あるものだったのかもしれない
その後、当時の片倉家当主・3代目小十郎こと景長(初代小十郎の曾孫)から
江戸藩邸にいた幸道の元にこの件でお礼の使者が訪れた
更に時は経ち1712年、仙台5代藩主・伊達吉村(政宗の曾孫)から
「既に将軍家を憚るに及ばざる」と許しを得て
辰信は真田姓に戻り正式に「真田辰信」を名乗るようになったのが仙台真田氏
ちなみに幸道の正室は宇和島2代藩主・伊達宗利の娘(政宗の曾孫)
そして沖ノ進こと辰信に真田復姓を許した伊達吉村
中興の名君として聡明で名高いこの吉村、父は政宗の孫で母は幸道へお礼の使者を出した片倉景長の娘・・・
つまり小十郎の血も引いていたりする
複雑すぎて図を書かないと混乱するw
>>668 BASARAをちらっと知ってる人に冒頭で「またかよ!」と思わせといて
「ええーそうだったのんと思ったろ驚いたろ作戦」な気が
しなかったこともないといえなくもなかった
3で遂に治部少が出るし、有名な逸話ですけど記念て事で。
石田三成が処刑間際に、湯を所望した。警護の者が「湯は無いが、ここに干し柿があるので、それを喰われよ」と言い、それに
「柿は痰の毒だから食すまじ」と三成は答えた。「首を刎ねられる者が毒断ちはおかしい」と笑われても、
「大義を思う者は最期まで命を惜しむ。本意を達成する為だ。」と超然としていた、という。
バサラの三成は捕まる前に、忠勝ビームや筆頭の六爪で即殺されるんでしょうけども(苦笑)。
幸村の子どもを小十郎が引き取る理由って
いろんな説があるんだけど梅は片倉家で幸せに過ごしたらしい
梅の弟妹が片倉家を頼って白石にやってきた時も
片倉重綱はよく面倒を見てくれたとか
梅に限らず幸村の娘たちはいずれも婚家で大切にされていたよう
「名将・幸村の娘を妻にできたのは名誉なこと」と思われていたらしい
3では石田三成が登場するね
旧友の大谷吉継の説得にも応じず家康の戦いを決めたらしいけど
家康をかなり憎んでいたんだろうな
>>673 DJCDかなんかの話で、小十郎が赤ん坊に懐かれてるの見て、幸村が「自分は子供の扱いにはサッパリだが、片倉殿は慣れておられるご様子」みたいな会話する場面があったな
後に死を覚悟した幸村が、小十郎に自分の娘を託すエピソードを匂わせた話だったりして…
丁度その赤ん坊も女の子だったし…
真田は家臣ごと片倉を頼ったからな。
今でも白石行くと、元真田の家臣の末裔さんがいらっしゃるよ
>>674 その発想はなかった!なるほどー
あれを聞いたときは小十郎29歳なら重綱が2歳だから良いパパ描写かなとか
単に、強面なのに意外!ネタかなとか思っただけだったよ
そう考えると深いなバサラ
伊達に子守りやってたわけじゃないな
伊達の子守りやってたわけじゃないな
あれ?
「独眼竜は伊達じゃねえ」と
「伊達に右目と呼ばれてはいねえ」は自らを否定してしまうじれんま
空気も読まず、しかももっのすごく前の話に繋がる話を投下する夏休み。
でもずーっとひっかかってるんで、吐き出しちゃうぜ。
>>361のつまみ菜の汁でいやがらせをする政宗の話
この茶会での主人役に備えて、前田利家・徳川家康・伊達政宗、
その四隅に数奇屋を設けた「御学問所」(named by 秀吉)に前の晩から泊り込んだ。
『めんめんよき葛籠持たせ、登城して御学問所に自身と床をなをし、
三人枕を並べ臥し候ところへ、秀吉公も御葛籠持たせ御出、
四人床を並べ夜もすがら、天下の政道または過ぎにしめんめん戦の手立て、
さまざま御物語……』
これって、戦国武将のパジャマ・パーリーだよね???
あー、すっきりした。藩政…じゃねぇ、反省はしていない。
ちなみに
>>361のいやがらせ対象メンバー選定だが、後に政宗思い起こして曰く
「太閤様笑ってたけど、アレ平和になったし仲が悪いヤツらに仲直りさせようと思って
セッティングしてくれたらしいんだよなー」
修学旅行の男子の部屋の図かと
>>610真田兄弟は同い年説とか信繁(幸村)がやや年上説とかいろいろあるからね
時代小説もあって後者の方が有名なのかな?昌幸が正妻の山之手殿を怖がって内緒にしようとしてたんだよね
昌幸とお気に入りの愛人・お徳さんとの子供が生まれる
→自分とお徳にそっくりでかわいいのう!かわいいのう!決めた!この子を真田家の子としてちゃんと育てるぜ
→でも今連れてったら山之手の子との跡継ぎ争いでいじめられたり命まで狙われるかも…
→それならちょっとの間隠しておいて次男として紹介すれば争いも起きないんじゃね?
昌幸「そんな感じでお前は源三郎の弟になったんだが、もっと探せば実は俺の隠し子って奴いっぱいいるかもしんねw」
幸村「破廉恥乙w」
でも結局昌幸は信幸ほっといて幸村ばっかりかわいがったもんだから母君の山之手はかなり幸村を疎ましく思っていたそうな
昌幸が幸村を跡取りにする気じゃないかと山之手殿は気が気じゃなかったんだね
当事者の兄弟は周囲の争い関係なく仲良しだったみたいだけど、幸村と母親は死ぬまでに和解できたのかな?
>>682 池波先生ですかな
かわいいのう!かわいいのう! がミョーにツボにはいったw
>>681 修学旅行の男子か…BASARA秀吉の枕投げはすごそうだ!
利家が寝巻き着たら普段より露出減ることに…?
「花の慶次」で皆で露天風呂に入ってるのを思い出した
>>682そう、池波版は後者の説だったから。
真田関係では一番有名な小説だろうから年上説が良く信じられているのかなと
池波小説には父と信幸、母と信繁がそれぞれ和解できた場面があったけど
実際はどうだったのかな?一番和解が必要なのは両親だったろうけどw
あの時代の正式な夫婦は政略でだから、どっちも愛情が湧く訳がない
アンカ間違えた
>>686=
>>682で
>>683宛な
あとBASARAの利家は寝るときも服着てないと思うw極寒の地でもあのファッション貫いた漢だ
普段から裸族やってると寝巻き着たらそわそわして安眠できなさそう
政略結婚した正妻やその子供より
普通に惹かれあって愛した愛妾の子供を溺愛するのは当然だったのかもしれないが
夫婦の愛情がなくとも自分の子にお家を継がせたいって自分の地位の安定と正妻としてのプライドだな
愛妾との子供の中でも源ニ郎だけを真田家に入れたことからして不満はあっただろうし
母親が源ニ郎を毛嫌いするのも仕方のないこと
>>688 >極寒の地でもあのファッション貫いた漢だ
いや、あれはまつのミスだ
まつ談「あぁ……あの毛皮、どこにしまったかしら…」
だが毛皮、毛皮かよ。
ゴージャスだな利家w
そっちの毛皮かよww
>>689 悪い意味で恐妻家らしいけど
正妻の山之手殿はやり手の賢くてしっかりした嫁だったらしいから
なんだかんだ文句いいながらも旦那の子どもだから割り切って
面倒見てたんじゃないのかな
厭なら離婚すればいいのにね、山之手
あの時代なら何度結婚と離婚繰り返しても女のレベルは落ちないんだし
一応正室・山手殿の子供という記録になってるみたいだね
穿った見方をすれば、後の講談が「実は幸村こそが嫡男(長男)〜」と
よりドラマチック(ゴシップ的)に仕立てたなんて可能性もなくね?
また、本当に信幸より先に生まれた妾腹の子なのであれば、
山手殿の悋気を恐れてというより、山手殿の立場を守ったと言えなくもない
確かに信繁を連れて「嫡男の母」が家に入ったらややこしいことになりそうだ
信幸1566年・信繁1567年生まれ説をとれば年子だから、誕生日がわからない分
いろいろストーリーは作れそうだが、信繁1570生まれ説ならどうかな…
昌幸が信繁の方を溺愛した、というのは、
嫡男は御家のために厳しく育て、次男以降は我が子にデレデレ面が強化されたとか。
どっちにしろ昌幸より山手殿がしっかりしてる図が浮かんでくるなww
>>690 あったねぇ、まつが毛皮探すセリフ!
あれってもしかして、若き日の利家が信長と傾いてまわってた時の衣装って意味か?!
だとしたら史実ベースじゃーん
てっきり四郎丸か五郎丸が・・・と思って悪かった
ある意味ゴージャスだな、傾き者衣装。ミンクのファーコートじゃないけど。
女物の着物のほうじゃなくてよかったね利家
>>696 690だが、そのまつのセリフの直前に
「殿、寒くないのかなぁ」みたいに自軍兵に心配されていたような気がするし
利家のことだから、毛皮っつっても、蓑レベルの毛皮の事かと思ってたんだがw
え、なに、史実ベースの小ネタなのか!!!!!!
歌舞伎者時代の毛皮か、すげぇ
まつ、探してやれよ!
>>695 >穿った見方をすれば、後の講談が「実は幸村こそが嫡男(長男)〜」と
よりドラマチック(ゴシップ的)に仕立てたなんて可能性もなくね?
その通り
誕生日がわからない分自由にストーリー展開出来る
もちろん史実で関が原での真田家の決別とか家康の天敵だったとか
大阪の陣の家康を追い込む話があるからなんだけど
作家も出版社もそりゃ利用したくなるはずだよね
>>611が言ってるように仙台真田家の1570年生説の方が最近は有力みたいだね
1567年生説は「享年49らしい」て話から逆算したものだから
幸村が正室腹でも側室腹でも信之が兄なのは確実か
>>694 長政の前妻みたいに政治的な問題で離縁ならともかく
嫉妬での離縁はお家を守る心得が足りないとされて恥だよ
ねねが秀吉の浮気を信長に相談した時も
「あのハゲネズミにそなたのような良い妻は二度とないだろう。それは藤吉郎が悪い。
だが嫉妬は禁物だから軽はずみな事はしないように」
と慰めつつも釘は刺してる
でも秀吉よりねねの方が身分高い時に周囲の反対押し切って恋愛結婚したのに
出世した途端に浮気されまくったらねねもキレるよな・・・
子供できない負い目もあるからストレス溜まりそうだ(子供できないのは秀吉が原因だと思うけど)
今とは結婚観も価値観も違うからなぁ。
>>699 611です
教えて頂いたのは元亀元年(1570)2月2日生まれ
年号や暦とか詳しくないので新暦で何日になるのかわかりませんが
当時は乳幼児の生存率が低かった為あまり記録が残って
いない人が多いとか…(´・ω・`)
1585年の上田合戦あたりに色々人質になってた頃に幼名の「弁丸」
だった事からして1570年生で納得できるとの事でした
(1567年生だと18〜9くらいまで幼名を名乗った事になる)
NHKのヒストリアじゃ享年49歳って出てたけど子孫に取材しといて
その辺は確認しないんだなあ…と思ってしまった
>>697 そういや慶次の衣装はファー付きだった
もう利家の毛皮は慶次がちゃっかりリフォーム済みなんじゃね?
裸に毛皮はチクチクするだろうな
>>702 もう慶次が持ち出して自分の衣装にリサイクルしたとしか思えなくなったwww
>>703 >裸に毛皮
いや、大変すべすべしていて気持が良く
なぜかエロい気分になります。
そして前田家は子宝に恵まれた
>>701 おおっ!幸村の誕生日!レア情報dです!
お礼に新暦の何月何日になるか調べようとしたら、
残念ながら元亀元年に2月はなかった…(四月二十三日に元亀改元だったから)
その年の二月二日だったら永禄十三年二月二日(1570/3/8)になるっぽいよ
でも確かに1585年に19歳だったら
まだ元服してないのはカワイソウだな
1570年生まれでやっとギリな感じだ
1585年は筆頭も19歳な頃なので、ちょうどBASARA暦なあたり?
ここで幸村が弁丸だと名乗りが面白いことになるなw
「All right, 真田弁丸!ひとつお手合わせといこうぜ!」
「望むところ!お相手いたす、美作どの!」
(政宗は1585年三月に従五位下、美作守に叙任している)
BASARAに持ち込んじゃいけないことばっかりだww
>>704 BASARAの利家は小柄なイメージがあるんだけど慶次と同じくらいだっけ?
慶次かなりでかいよね
>>707 年号に関しては教えて頂いた通りなので元々記録した人が勘違い?とか
あくまで「元亀」という年号になってからの2/2なのか?とか
考えたけどよくわからないw年号コロコロ変わってるし太陰暦だし
ちなみに「仙台真田代々記」って本に載ってるそうです
(絶版なので仙台周辺の図書館で探して下さいとの事)
…確かにBASARAで出会った頃弁丸だと拍子抜けだけどちょっと面白いw
>>709 707です。丁寧にありがとー史料名までありがとー
ああ図書館に住みつきたい。PSP持込は許されんだろうか
そういや、リアルタイムで誕生日記録したら永禄十三年って書くだろうが
後年に書き留めたら元亀元年って書くかもな
昭和64年1月アタマに生まれた人は平成元年って書いたりするのかな
>>708 画面で見る分には利家も慶次に劣らずデカイように見える…
でも慶次のほうがひと回りデカイ気がするのは服の分か?
元ネタの利家は180cm超だったそうだが
成人男性の平均身長が160なかった頃に180だと
来日NBA選手ばりだったろうな
「長身、細身、美形」の六尺超えた暴れ者が
「女子と見まごうほどの美男」で「よく通る甲高い声」のうつけ者と
毛皮やら女物の着物やらの奇抜な格好で闊歩する・・・
しかもアッー!なカップル。そりゃコワイわww
ドラァグクイーンか!!
花の慶次の影響で大男イメージが定着してるけど
残ってる鎧から推測すると160pちょいだったらしい(当時の平均よりちょっと高いくらい)
傾奇者らしく派手な色合いなんだけどデザインセンスはそんなに・・・
史実兜のデザインなら政宗と謙信が洗練されてるなあ
ってことは実際は利家の方がごつかったのか
BASARAの慶次は服の分もあるがとにかく腕の太さに目が行ってしまう
>>713 愛もいいよ・・・
715 :
メロンさんex@ご利用は紳士的に:2009/09/02(水) 00:07:34 0
思うままに欲しがればよいのだよ
なに、金は出さん
>>714 無敵の人は愛の他にもバットとボールにしか見えない前立てもあって
どこまで後世にネタを提供してくれるんだと思ったw
3ではアニメみたいにモブのまま兜かぶってくれるかな
このスレみてるとなんかモンヤリするよ
モンヤリってなに? 紋槍?
>>680 政宗が浮きそうな面子だな
一人だけ若いし回りが織田時代の昔語りとかし始めたら
黙って聞いてることしかできないな
実際、歴史研究者の中には「このメンツの中に政宗ってありえねー」と
政宗の大ホラ話だと判断している人もいるそうです
でもまあ鄙の華人でもあるし、秀吉は政宗のこと随分と気に入ってたみたいだから
おいちゃん達が若いオモロイぼんを混ぜて茶会ってのもあったのかも
BASARAキャラだったら逆にこのメンツで秀吉ってありえねー!になるのかな
まず、茶室のあの狭い戸をくぐれないよな。
>>723 BASARAにおいて利休が切腹させられる理由はそれだな
利休カワイソス(´;ω;`)
建物ごと持ち上げて入ればいいじゃない
そんな作りにしておけばいいじゃない
ここまでの流れを見てもパジャマパーリィで利家がきちんと寝巻きを着るとは思えないぜ
どこらへんの流れだw
今更ながらやっと2巻を開封した
ブックレットってあれだけの割には結構色々とまとめて書いてるね
上にもあった幸村の名前とか
幸村は名乗りの時真田源二郎幸村て全部言ってるけど他のキャラクター言わないね
なんか意味あるのかな
>>729 実在の人物を元に創られた架空のキャラですよ、って示しときたいからじゃない?
幸村もホントは信繁なわけだし。
いやーぁ、ゴロもいいし、ちょっとソレっぽいしカッコイイから〜程度じゃね?
「真田源二郎幸村」
他のキャラクターの通称は、それ付けちゃうと年代イメージが限定されちゃう恐れがあるから…
「上総介さま」だと20〜32歳くらいの間?とか
「犬千代さま」は言語道断だがww なんだその赤ちゃんプレイw
政宗も例えば「奥州筆頭・伊達藤次郎政宗!」くらいならいいけど
「奥州探題・伊達美作守政宗!推参!」ではなー
モブが「探題!探題!」って囃したりしてw
その上、官位やらなんちゃって官位だと同じ通称も出てくる
「まろも上総介でおじゃるよ」という時代もあるよね
濃姫にハチの巣にされそうだが
空を飛びまくる探題ステキすぎます
別々には言ってるんだよね上総介様とか
皆名前が色々変わるからね・・・
アニメは「浅井備前守長政」と「松永弾正久秀」は言ってくれたね
通称+名前はキャラによるよなあ
「片倉小十郎景綱」とか「前田慶次郎利益」とかの名乗りは格好いいけど
「武田太郎晴信」と言われてもど・・・どちら様?って感じだ
「本多平八郎忠勝」もいいがホンダムの場合は家康に名乗ってもらわんと・・・
ホンダムだと、ヴァージョンごとに平一郎、平二郎…とあった後の
Ver.8.0のような気がしてくるw
元親の名前は「長宗我部兄貴元親」だな
浅井備前守長政かっけーなあ
まさに正義の味方って感じだ
3発売記念で、佐吉こと治部少ネタを。
ある日の茶会で、お茶の回し飲みが行なわれました。大谷吉継はハンセン病(肉が腐って崩れてゆく病気。当時はらい病と呼んだ)に侵されており、
体や顔からも膿が出るほど重いものでした。吉継がハンセン病に侵されていることは周知のことだったので、その茶会にいた他の誰もが気味悪がって、
吉継の飲んだ後の湯のみは回ってきても飲む振りをするだけでした。しかし、石田三成の段になって三成は、そのお茶をためらうことなく飲み干したのです。
三成という男は、そんなつまらぬことで人の面子を潰すことの出来ぬ義の人なのでした。吉継は三成の姿に大層感じ入ったとのことです。
有名な話ですが、三成&吉継(←発表されたシルエットはおそらく)登場記念で。ゲームでは西軍勝利を味わいたいものです。
大谷は正直いうとBASARAにはあまり出して欲しくない気もする
下手ないじり方すると批判が来そうでこわいな<大友
>>738 いや大谷ね大谷
大友はむしろいじりまくってほしいよ宗麟
毛利とも戦わせられるし一緒に立花宗茂も出せる
関ヶ原メインとなると各地のご当地武将はどれくらい増えるかな
マジレスすると実は三成もビミョーだった
真面目な堅物の学級委員長をおふざけに巻き込んでからかうような気がしてさ
逆にBASARA世界が三成に合わせて真面目になってしまったらますます違うし
てかシルエット出たとき、肉体派は絶対市松だと思ったんだよなー
BASARAの悪ふざけが大谷に悪影響を与えそうだから参戦はしてほしくないなぁ
本スレの「ロボにしろ」とか気軽に言う奴等にブチギレそうになるわ
京都けんか祭りステージのねぶたは「津軽の大灯篭」が元ネタかな?
1593年七月、京都に滞在中の津軽為信が盂蘭盆にお国自慢の為
重臣服部長門守に約4メートル四方の大灯篭を造らせ、人気を呼んだとか
>>739 書き込んでずいぶん経ってから間違いに気づいた、すまんw<大谷
大谷は「お前尊大すぎるから、大将になったら豊臣派の連中も徳川に寝返っちゃうよ。
悪い事いわんから大将は他に任せて、裏方にまわっとけ」
と三成に言ったエピソードが好きだな。三成フルボッコw
三成にそんなこと言えるとこがさすが大谷
なーんで今になって史実重視みたいな内容になるんじゃろ
津軽為信とはシブイとこを。
奥州にひっとーがいるとあっちの方の武将は出しにくいだろうね。
けんか祭…。秀吉が倒されているってことは、
秀吉と慶次の仲直り、なんてストーリーも夢のまた夢か…
PSPで3外伝とか出して、リストラキャラ救済で、そういうのやんじゃね
あまり戦国時代に詳しくない一般の間じゃ
「東北の戦国大名は伊達政宗しか知らない」人も多いだろうしなあ・・・
同様に「九州は島津しかry」「四国は長曾我部しかry」とかね
仮に津軽を出したら「何で津軽だけなんだ南部も出せ!」という声は上がるかな
あの辺りは飢饉頻発地域で江戸時代の一揆ワースト1だったっけ
いつきちゃんとは上手くやれるんだろうか・・・
いいねー外伝
あの秀吉が家康に倒された(ステージの勝敗じゃなくて)って筋と
小田原に全力であの北条を倒しに行った秀吉ストーリーと
兵站や検地に実力を発揮する官僚タイプの三成にフルボッコにされる政宗ストーリーが
主に見てみたい
>>741 あれ、ちゃんと元ネタあったんだ!
桜とヒガンバナが同時に存在するステージだから、
「まちがった京都のイメージ」だと思ってたw
>>748 多分これかな?という推測、あのスタッフがそこまで知ってるとは思えんw
BASARAの京都はどう見ても江戸時代イメージな華やかさ
津軽関連なら関ヶ原の戦いで西軍敗北を知ると石田三成の次男重成を匿い、
その後杉山源吾と名乗って津軽家臣として仕えたとか(秀吉と三成は津軽家にとって恩人
奥州検地の際、前田利家&慶次が津軽に赴いたとか(前もって田を荒らし少なく見積もらせた
利家は南部に同情的だったので「田舎者」「表裏の仁」とボロクソに言ったとか
>>749 バサラの慶次なら、
慶「わははっ!前田家が来る迄に『前もって田を荒らす』、こりゃ一本取られたな、利?」
利「笑い事では無いぞ慶次!あぁ、きちんと役目を果たさねば、まつに叱られる…」
で、おしまい。
慶次の検地法…高い所に上り「あれは5万、あれは8万」と目分量で図る(いいのかw
いつきと当時の状況を上手く絡めるとしたら
南部支配(年貢が厳しい)→一揆衆蜂起→南部で内部分裂(後継者争い)中、鎮圧行けず
といった具合か?やたら他軍に攻められるのも南部の内輪揉めでろくに動けないのかも
津軽為信は独立に向けてアップ中かもしれん
そういえば無印漫画の乱世乱舞で
いつきの一揆鎮圧に出向いた政宗と小十郎(今のデザインじゃなく優男風)が
こんな会話してたような・・・今手元にないんでうろ覚えだが
政宗「南部と津軽は何やってんだ!?」
小十郎「内輪揉めで動けないようです」
北の武将も登場させて知名度上げに貢献してくれないかな
変な知名度かもしれないけどw
南の方も是非。
宙に浮かんでるのは大谷刑部でFAなのかな
いっそホンダムに対抗してジオング3体、大谷・如水・道雪で
九州引っ掻き回してくれー!
わざとか?
なぜ無敵の人は政宗をめちゃくちゃ嫌ってたんだろう
今でいう女子供含めての大虐殺の撫で斬りやらかしてるからじゃね?
父親ごと射殺する羽目になったのもそれが原因っていうしな
色々素行と人間性で馬が合わなかったんだろ
夏の陣で徳川方で唯一全滅してしまった神保隊二百七十名を撃ち殺したのは
味方であるはずの伊達軍だしな
アニメの明智がやったことを平然とやっているのが伊達政宗
直江が政宗に厭味かました話は後世の作り話説が有力だけどね
直江自身も畑谷城で数百人殺してるし八王子城の女子供含む千人虐殺は上杉・前田・真田の連合軍での殲滅戦だったから
直江が撫で斬りや味方撃ち(こっちは時期的に)で見下すのは違和感ある
撫で斬りに関して怒ったのは佐竹とか伊達家の親戚筋だしこの頃の上杉と伊達は同盟関係
主君の景勝と政宗のその後の親交は悪い物じゃなかったし
他にも直江が利家を出自の事で見下した逸話もあるけど陪臣が奥州探題や秀吉の片腕にんな態度とったら景勝の顔に泥塗る
家康に直江状を叩き付けた事から本人の死後そういう性格として脚色されたんじゃね?
>>757 アニメのあのシーンは、神保隊のことを踏まえて
「おまえが言うかー!」というギャグだと思って大爆笑したんだが
違ったのかな
無敵と小十郎はペンパルだよな(外交担当)今ならメル友か
>>757 最悪だなw
パチCMで直江が正義面して伊達倒してたの見て糞ワロタ
BASARAとはえらい違いだw
>>758 >他にも直江が利家を出自の事で見下した逸話もあるけど
mjd?! できればkwsk
しっかし無敵ー仲良くしろよー
同じ小姓あがり仲間じゃないかー
そういや背丈がでっかくて美形なところも仲間じゃないかー
上司の贔屓でイイ家の家督にポンと置かれたところも仲間じゃないかー
奥さんが有能なところも……あれ?こうしてみると無敵と利家って似てる??
>>760 義風堂々のパチCMだよね
倒してた相手伊達なのか
>>762 あれ義風堂々のパチなん?
絵が全然違ってるけど
倒されてたのは伊達だよ
伊達家紋背負ってたわw
3Dポリゴンなんで漫画と絵が違ってても勘弁してつかあさい><
>>761 1589年の聚楽第での重陽の節句
秀吉への挨拶の順番で前田家と上杉家が揉めた時
直江は利家に「我が上杉家は関東管領の家柄にござる」と景勝を先にしようとした
要するに「元は田舎土豪の前田は後にしろ」という厭味
すると前田家臣の村井長瀬(ゲームのモブにもいる)が
「関白殿下も元は小身なれど、手柄を重ねて天下人になられた御方。
我が殿も槍働きで手柄を立て、今や三国の太守になられた。
直江殿の仰るとおり上杉家がさほどに高貴な御家柄なら、殿下へのご挨拶など無用でしょう」
とやり込めて利家を先にする事に成功した・・・という話
利家は大喜びで長瀬を褒めたそうな
ついでにこの時の直江の論法で逆に上杉家が砂をかけられた事もある(続く)
(続き)
政宗の従弟で幼馴染でもある重臣・伊達成実(彼もモブにいる)が
出奔していた時(出奔理由は諸説ある)
戦上手の成実を上杉景勝が5万石の大禄でスカウトしたが
「本来なら家臣筋の家に仕えるつもりはない」とあっさり断られてしまった
というのも成実の父親はかつての上杉当主・定実との養子話があったのが
色々ゴタゴタがあってお流れになったという経緯がある
つまり「もし父が上杉当主になっていたら元は長尾家の景勝は家臣筋だ」という意味
(ちなみにこの養子話の時に上杉から伊達に贈られたのが「竹に雀」の家紋)
それに成実は先々々の伊達当主・稙宗の男子直系でもあり
長尾家出の景勝より出自は高貴になる
政宗も小田原参陣の時「自分に何かあったら次の当主は成実に」と指名していたそうな
その後成実は伊達家に帰参し上杉相手の城攻めに参加して戦ってる
この時奪った城が小十郎に与えられた白石城ね
・・・今までの話が全部本当だとすると
直江が政宗嫌いなのはこの成実の件が原因かもしかして?
>>760 >>758もふまえるとどっちもどっち感がしますな…
>>766 ゴタゴタしても家紋はもらってたんだ
あーやっぱりややこしいw名前は変わるし人間関係複雑だし
>>759 あの場面はたしかにツッコミ入れてる人が多かった
なんなんだろーな味方討ちの真相
>>765 761です。丁寧にありがとうございます!!
このスレは優しい人が多いなぁ(ノ´∀`*)
家柄とか席次とか、重要だったんだねホントに。
兼続にとってはコンプレックスだったとか…とゲスパーしてみる
成実の出奔理由も諸説あるけど「石川昭光の次席になったのにご立腹」説があるもんな
(それが主な理由だとは思えないんだが)
>>767 >ゴタゴタしても家紋はもらってたんだ
ゴタゴタが深刻になる前にもらってたようですよ
その時一緒にもらったのが上杉定実の「実」の字=>実元
で、またその「実」をもらって「成実」
政宗は伊達家のメインの家紋である三つ引両がキライだったと見えて
成実ん家がもらった竹に雀を「いいなーいいなーちょーだいちょーだい」やってご満悦。
後年、成実の陣幕を見て「俺の紋をおおっぴらに使うなよ」と抜かして
「ウチがてめーにやったんじゃねぇかー!!」と怒られている。
ちなみに政宗が小十郎に使用を許した九曜紋は、やっぱり政宗が細川忠興に
「ちょーだいちょーだい」をやらかして貰ったもの。
小十郎は三つ引両の使用も許されていて、白石城を見てもこれらの家紋が随所に使われている。
小十郎、おまえん家のメインのバラ藤井桁は?
>政宗は伊達家のメインの家紋である三つ引両がキライだったと見えて
>成実ん家がもらった竹に雀を「いいなーいいなーちょーだいちょーだい」やってご満悦。
竹に雀は政宗が成実から貰ったんじゃなくて、晴宗(政宗の祖父)が実元から貰ったんじゃなかったっけ?
772 :
メロンさんex@ご利用は紳士的に:2009/09/14(月) 23:50:03 0
>>770 > 小十郎、おまえん家のメインのバラ藤井桁は?
気を使いすぎて気の毒な小十郎が見えます
部下の鷹にも「いいなーいいなーちょーだいちょーだい」やってたな。
ソースは「伊達政宗の手紙」
小十郎の奥歯と胃が心配だ。
>>771 770です。ご指摘かたじけない。
うろ覚えで書いたから細川忠興のときの話とごっちゃになったかも。
そうだね、政宗がねだって貰ったんじゃない気がしてきた。
みなさま申し訳ない。
某家紋登録商標のサイトには上杉から伊達がもらったとあるけど
晴宗がもらったのか、実元がもらったのか。
実元がもらったけど、その後養子話がポシャって本家へあげたのか。
ここらへんまでいくといささかスレチになっちまうかな。
なんにせよ、後日成実にツッコまれたのは政宗。
欲しがれば良いのだ
>>773 でも小十郎も常識人のようでいて
「主君にまだ子がないのに自分に嫡男が生まれるのは不忠だ」
と長男殺そうとして政宗が慌てて手紙出して止めたような逸話の持ち主だからなー
予想の斜め上を行く気の使い方してるよ
しかし本当殺さんで良かったな
もし長男の重長がいなかったら幸村の子供達も生き残れたかどうか・・・
それ、子供&奥さんサツガイ未遂だよな、確か
そこまでいくと気遣いっていうより、もはや狂気w
まぁでもこればかりは相性かタイミングの問題だからな
ねね殿に秀吉の子どもが女でもいいから産まれていれば
秀頼は産まれてくる事はなかっただろうしね
そういや3で秀頼は……出ないんだろうな、きっと
>>777 生まれてきたのが男だったら殺すつもりだったらしい・・・
ので奥さんまで殺す気はなかったのではと
奥さんの矢内氏は小十郎自身よりも出自は上だったしね
しかしバサラで秀頼が生まれたら慶次キレそうだなあ
ねね殺したのは何だったんだよって
まあ史実の秀頼が本当に秀吉の子供かどうかは疑わしい気もするが
我が子可愛さにトチ狂って晩節を汚す秀吉ってのもバサラっぽくないし
>>776 政宗を慌てさせるってすごいよw
「オレに免じて助けてやってくれ」なんて政宗のイメージに無いわ
>>782 史実の秀頼は母方の祖父である長政によく似ていたそうだよ
茶々が信長と市の娘だとか、吉継は秀吉の隠し子だとか、
秀頼は茶々と治長の子だとか、家康が春日局に産ませたのが家光だとか、
出自に関する与太話の類って萎えるよな。
>>783 「自分(政宗)の子供はお前(小十郎)の子供に任せるのだから殺すな」って
言って止めたんだよね。その後の事を考えると無事生まれて良かったなぁ。
>>786 うまい止め方だなぁ
どうしたら言うこと聞くかよくわかってる感じだ
小十郎はたしか上杉と最上の戦に
「放っておきましょう。共倒れして万々歳です」って言い出したんだっけ。
政宗は慌てて最上に援軍送ったって言うけど、援軍送るように仕向けたのか、
本気でそう思ってたのか…
>>788 政宗に後悔させない決断をさせたかったんでないかい? 小十郎
BASARAの小十郎より史実小十郎のほうが
キャラ的にイっちゃってる気がすることが時々ある。
政宗が怪我だかなんだかの治療の時に痛みで気を失いそうになったら
小十郎が「こんなことで醜態さらすな」って水ぶっかけたとか…なんという家臣
史実小十郎凄いな
息子が政宗と衆道関係にあった事をむしろ喜んでいたのだろうか小十郎
そういう気持ち悪い話はいらない
>>788 たぶん本気の提言じゃないかね
家康との盟約も関ヶ原の情勢がわからん以上
和睦したばかりの上杉とまた事を構えるのも何だからと
まさか関ヶ原が1日で決着つくとは誰も予想してなかったろうし
最上側は豊臣家や三成に肩入れする気は絶無だから旗色ハッキリしてたけどね
一番可愛がってた娘を秀吉に惨殺されてるもんなあ・・・
>>790 政宗にしてもBASARAでは英語話したりしてそれなりにバサラ者だけど
史実政宗の逸話(善悪どちらも)聞くと本当にこの人存在したのかとw
むしろBASARA政宗が常識あるように感じてしまうw
まあそれくらいの人物でないと戦国時代生き残れなかったんだろうが
まぁ実際織田信長だって司馬遼太郎や津本陽が小説にするまで受けなかったのは
この21世紀にタイムスリップしてきたとしても生き残れそうな性格のせいだからな
信長って農民に踊り披露したり声かけたり気さくな人だったんだねー
○○記とかで「誰某が何処其処でこういう言動をした」っての見ると
こういうのって誰が見聞きしてたんだ?と思ったりするのがある
戦場で筆持って書いていられるのかなあ
記憶しといて後で書くの?
>>789の優しい心根に全俺が泣いた
政宗のマザコン度を甘く見ていたな、とか思ってた。許してくれ
冗談抜きで、小十郎の戦況判断はあの時点で妥当だと思う
上の方針(二股膏薬・切取御免)にもちゃんと沿ってるしな
小十郎子供殺すな!の手紙は有名だけど、感動的なのでのっけてみる
(所々漢字にしたり仮名にしたりして操作済みだが基本原文)
「彼の生まれ子の事、是非なく押し返し候べく候由、聞き及び候。
さりとては、身の心ざしに、助け給うべく候。
末の事を、覚束なく思い候て、其方のとかくを言い候も、いかがにて候。
ただただ、身に任せ候べく候。これを押し殺し候わば、其方へ怨みを深く申すべく候間、
ひらにひらに、助け給うべく候。 かしく。
尚々、しきりにおしかえし候べく候由承り候間、急ぎふみ(文)にて申し候。
ともかくも、人は子にて候間、かく意見を申し候。
かえすがえす、身に相まかせ候べく候。
かた小 政 」
18歳の主君から28歳の家臣への大急ぎの手紙だと思うとじーんとくるんだ…
いい話なのに、最後のオチがwww
かた小はともかく宗の一字くらい書けとw
差出人名「ま」って手紙もあったよw
>>800 私的な手紙で気のおけない相手しか使わないからいい話だよ>オチ
小十郎に宛てた私用の手紙は平仮名が多様されてるので
ほんとに素の状態で書いてるらしい
公用の手紙は達筆漢文バリバリなので意外とオンオフのギャップが激しい人のようだ
BASARA的に書くなら「M」だな
Mがつくやつ山ほどいるがw
805 :
800:2009/09/16(水) 23:18:36 0
>>803 あ、いや、別に「略しすぎで酷いぜ、いい話台無し!」と言ってるわけじゃないよ
政宗に名前略す癖があるのは知ってたんで、この流れでそれか!と吹いたんだw
しかし政宗は本当に小十郎を信頼してたんだなぁ、改めていい話だ
歴史とかまったく詳しくなくて、本スレからここのスレの存在を知って
勉強になるなー、と読ませてもらってる者だけど
その、政宗の手紙の原文見て、本当に不勉強な意見だけど
現代のギャル文字とか若者言葉(笑)に通じるものがあるなーと思った。
不勉強ついでに聞きたいんだけど、ひらがなって女の人が使う文字と
されてたんじゃないっけ?戦国時代はそういうの関係ないの?
それとも政宗が「俺そういうの気にしないしwwww」って言うだけ?
>>806 公的文書=漢字
私的文書=ひらがな
って使い分けてたみたい。
位の高い男性がひらがなを普通に使い出すのって、明治以降じゃなかったっけ。
うろ覚えですまん
けんしんさまはひらがなつかってるよ!
おとこかおんなかわからないけどね!
そうか!それをあらわすためにひらがななんだね!ふかいね!
政宗の手紙は自筆のものが私信までたくさん残っているので、
漢字かな交じり文書もたくさんあってその割合や傾向を見るのも面白いよね
政宗に限らず、女性宛>子供や家族>身内>親しい人……と
仮名>漢字率が変わっていくみたい
特に女性宛だと「正式に平仮名」って印象がある
仕事の書類でもメモ書きっぽい書付なんかだと仮名率が上がるのかも
政宗の場合は、やっぱり女子供や家族宛に仮名が多いし、
茂庭綱元宛の手紙なんかも結構仮名使用率高い
有名な只野作十郎宛ラブレターも高いよねww
でも小十郎宛の仮名率は研究書解説にも「異例」とか「例外」とか書かれる程高い
パッと見て女性宛かな?と思うくらいだけど、やっぱり女子供宛とは文章が違う
相当な親近感と信頼感があったんだろう
自筆で平仮名の知行宛行朱印状見たときは流石に「異例」なんじゃないかと思った
>そうか!それをあらわすためにひらがななんだね!ふかいね!
初々しい反応だな
けんしんさまはなんでおとこかおんなかわからないんだ?
子孫の方も知らないのだろうか
けんしんさまの首のドーナツが気になる
臥せってた時みたいに垂らしてればいいのに
>>812 女性説は学者間じゃ与太話扱いだけど本人が生涯独身で子供もいなかったから何とも・・・
遺体調べりゃ一発なんだが上杉家にとっては謙信は神様同然だから
学術研究の為に柩(甕だっけ)を開けるなんてまず許可貰えそうにないな
政宗の場合は瑞鳳殿再建の為って事情もあったし
そういえば政宗の遺体発掘の時にも片倉家のご当主がいい話を残してたなあ・・・
病をおしてかけつけたってやつ?
けんしんさまは生涯独身だったのか…
本当に未知の人だな
>>812 上杉家の家紋入りの生理用品が近年発見されたとかで
家紋入りの物って例え正室だろうと身に付けるのを
許されてなかった時代だから謙信の物だと思われる。
みたいな事をNHKだかのTVでちらりと見た覚えがあるよ
謙信が月に数日、戦中でも引き篭もったりするから
女性説を挙げる人は生理痛が原因ではないかとか
言ってるよね。
しかし体力的な意味で女性が先陣切って
戦場を駆け抜けたり屈強な兵士と渡り合ったり
出来ないだろうし、今より男尊女卑が激しい時代だから
本当の女性を男性だと偽って殿様にしたと言うより
謙信の肉体に両方の性があった方がしっくりくる。
(詳しくは「第三の性」で検索かけてね)
もしそうなら自分の事を普通の人間と違う
神と例えてみたり、殿様でありながら
生涯独身を貫いて側室すら持たなかったのも納得いく
まぁ、素人の幻想ですけどね…。
けんしんさまは、けんしんさまということですね
痔の酷い男性が女性の生理用品を使うなんてよくある話だけどね
どっちもかっこ悪いな
>819
痔は定期的なものじゃないだろう
だから定期的に籠っていたことが謎を呼ぶんだよ
>>821 謙信はトイレから出た後で倒れて亡くなったせいで
極度の便秘で痔持ちという説もあるんだよね
だんだんけんしんさまがかわいそうになってきた……
便秘で痔持ちで生理があったらもう・・・
馬なんか乗ってらんないな・・・
びしゃもんてんにいのっちゃうよ……
何だこの流れww
バサラのけんしんさまはあの傷からも回復してお館様と盛大にバトってたから
体力は結構あるはず・・・と思いたい
かすがは忍秘伝の便秘薬を作るべきだと思った
切実に思った
佐助は飛行道具よりボラギノール的なものを発明すべきだと心の底から思った
けんしんさま…
上杉謙信の身長は甲冑の大きさから推測して156cm位とか
それなら女性説も…と思ったけど当時の男性の平均が160足らず
だしなあ…(史実政宗が159cm)
BASARAけんしんさまは170以上はありそうな感じだけど
史実謙信の血液型がABらしいがそれはけんしんさま的にはなんか納得w
今更ながら録画したままだったふしぎ発見の安土城の回を見た
この時代の建築物についても興味を持ってしまった
城巡りしたいけど今行くと色々と混んでそうだ
そして当時から宮大工さんの技術は素晴らしい
>>830 そういえば安土城って信長の二男が燃やしたというのは結局根も葉もないデマだったね
(二男は祖母たちを救出した蒲生軍と合流したりしてるから時間的にそれは無理)
デマだったのか!…なんか安心したw
安土城はロマンだよなぁ
そして、謙信、痔主が大酒飲んじゃますますイカンだろ
てか謙信が倒れた!と聞いた瞬間、きっと誰もが「酒だ…」と思ったろうな
いつも梅干しを肴に酒呑んでたらしい
酒がより旨くなる組み合わせらしい・・・が塩分とアルコール
脳の血管には良くないわな・・・
ゲームのムービーでもでかい杯使って呑んでるね
酒豪としてはキャラ1かな
2番目が島津の爺ちゃんあたりか
現代でもセメンヤが男とも女とも割り切れないんだから
けんしんさまはけんしんさまとしかいえない
>>833 あの当時の梅干なんて塩分ぱねえだろうしw
酒と塩分なんてますます痔が悪化しまする!
史実はともかくゲームアニメの細いけんしんさまが
がっしりしたお館様と互角にチャンチャカやってるアンバランスさが素敵だ
トイレで倒れたらしいけどお尻丸出しとか便器に顔突っ込んでたらイヤン
けんしんさまアニメは武将ぽくそれなりにがっちり体系だけどゲームはほんと細いねー
しかもね、尻と太股がむっちりしてるからね滅茶苦茶えろいね
信長の好物は、鶴(当時は一般的)を塩でくるんで揚げたものだったらしい。
しょっぱ過ぎて、食えたもんじゃないと思うんだが……
歴史ミステリーで信長は塩をおかずに飯食ってたと言ってた
味噌汁も味噌たっぷりしょっぱかったらしい
しょっぱい味大好きだって
薄い味付けで食事出したらマズイって怒って料理人を処刑しようとしたんだよな
知らぬは仏ってほんとだわな
そんな食生活おそろしくて出来ねーw
歴史ミステリーって終わっちゃったよね
見るに堪えない再現?ドラマはともかくもっと見たかったのに
当時は今と違って、体を動かす量、かく汗の量が半端なかったから、今の日本人よりは塩分の摂取量が多くないといけなかったんよな。
でも、信長の好きだったという献立は、今の我々には見るだけで口んなか、塩辛くなりそう。
味噌や塩をおかずに米を食うとか、ありえへんわ…orz
食べる量が半端なかったらしいし
兵糧確保の苦労は想像しようにも無理だ
あんな昔に色んなことやってるよなー
すごいな昔の人は
>>845 おかずとはちょっと違うが、塩むすびと味噌むすびは美味いよ
このスレに来る人はテレビ番組くらいはチェックしてるよなやっぱ>歴史ミステリー
まぁ今のイスラムの人が「ラマダン明けに飲むポカリは美味い」と語るのに似てるかもな
(ソースは「ルビコンの決断」)
一日二食でガーッと米食って塩分補給して・・・が基本だもんなあ
クレヨンしんちゃんの戦国映画の合戦場面で
炊き出ししてる女性陣が「塩は多めに!」と塩むすび握ってる場面思い出した
黙祷・・・・・・
塩分取りすぎだからあんな高血圧みたいな人ばっかりなのかw
BASARA元就とか薄味好きそうなイメージだけど
wikiには当時の味噌は今のようなペースト状ではなく米や麦の
粒がそのままのものだったとあったな
昔は食事の味は二の次食えればOK!だったけど戦がなくなって
からは政宗は美食を研究したとかw
話d斬りすまん! 歓喜の叫びをあげさせてくれ!
3、最上義光参戦の噂、つつがなく実現しますように!
いっそ悪役でもいいよ、脳内補完して愛するから!鮭様!
フライングバレした人のHP削除中で危険な香りがしているがな
つか声優のブログで発表したんでしょお
鮭様来るってBASARAでか?
無双ならしっくりきそうだが、BASARAのあのハチャメチャ世界観にあうかなあ。
いや、なんとなく鮭様は勤厳実直の常識の権化みたいなイメージしかないもんでピンとこないなあ。
大河独眼竜だとすっげー怖い悪役だったとか聞いてるが、大河見てないから分からんのだよ。
どんな鮭様なんだろう。
渋いかっこいいロマンスグレーな悪役だと松永と被るし、いっそ於義を出してシスコンブラコンコンビ……
無理か。
独眼竜の鮭様はメチャクチャ格好良かったぞ
主役の政宗に謀略仕掛ける側だから怖くて悪役っぽいが(原田芳雄が迫力あるんだこれが)
切れ者で戦国を渡り抜く武将の風格があった
反面必死で駒姫の助命嘆願するも叶わず愛娘殺される場面は泣けたよ
BASARAではどういうキャラ付けになるかな
普段は常識人だが出陣するとハイになりまくるとかハガレンのヒューズ並に娘ラブの親馬鹿とか・・・
大河は長谷堂なのに出ないの確定しちゃったんでBASARAで活躍して知名度上げてくれ
最上くるなら政宗ママを是非
伯父貴、と呼ぶ政宗くるのかしら
政宗なら「最上のおっさん!」だろう
独眼竜の鮭様、カッコよかったよなー
「ひどい悪役に描かれた」と憤慨している人もいたと聞くけど、
政宗を批判するセリフとか、情勢をみるセリフとか、いちいち尤もだったから
すっげー切れ者って印象だった。
リアルタイムじゃなくてDVD借りて見た口だから、噂みたいに悪役じゃないじゃんって
>>858 さらに(政宗が)パワーアップして
「Hey, Uncle Yoshiaki!」だったらどうしよう
無論発音は「アンコー・ヨシアキ」だ
魔王のおっさん、虎のおっさんに続くかと思いきやまさかの英語か…
シリーズ続く毎にパワーアップしてるからね政宗英語も
無印はほぼ単語のみだったのが外伝では英文に…
日々勉強してるんだよ、きっと
喋る英和辞書が火を噴くぜ!
台本に振り仮名振ってあっても正しい発音がわからないものもあるしな
喋る辞典は役立つ
っつかさ、北米版があるんだから
それ手本にすれば、すげー問題無いと思うんだが
そういう部分的に英語にして政宗という人物を表現してる部分は
北米版では全く無視になってるの?英語しか喋ってない?
>>866-867 でも政宗語だから完璧な発音でなくてもOKな気が…
北米版参考にすると中井さんどころかプレイヤーもわからんw
>>864 しかしバーローズの台本ではカタカナ書きになっていた件
ようつべで探してみたらフツーに英語のフツーのちょっとガラ悪い人のようだ
Are you ready, guys? とか
I hope you guys are ready to party! とか言ってた。
えーそんなんBASAムネじゃないよw
だからって所々スペイン語にでもなったらまたおかしな具合だけど
日本語の中のパーリーが、英語の中のフィエスタになったりですか
"Now let's get ESTA FIESTA started, huh?!"
そういえば向こうの名前のAzure Dragonってのもちょっとラテン系の言語なのか???
よう知らんけど。
ウィキよりひっぱってきてみますた
伊達政宗:Azure Dragon
真田幸村:Scorpio
武田信玄:Red Minotaur
猿飛佐助:Talon
織田信長:Devil King
濃姫:Lady Butterfly
森蘭丸:Hornet
明智光秀:Reaper
上杉謙信:Frost
かすが:Venus
いつき:Puff
ザビー:Xavi, short for Xavier
前田利家:Lark
まつ:Bramble
島津義弘:Zaan
徳川家康:Irdine
毛利元就:Kahz
長宗我部元親:Arslan
北条氏政:Orwik
今川義元:Muri
とりあえずザビーいいのか
北米版やったことあるが筆頭はちょっとガラの悪いお兄ちゃんってかんじでした
Are you ready, guys? はムービーの冒頭でちゃんと喋ってる
これはあえて揃えたんだと思う。
筆頭:普通に英語喋ってる、とても普通。
真田:普通の主人公的お兄ちゃん。あいかわらず暑苦しい。
武田:声低くてガラガラ声でちょっと悪役風
佐助:かったるい感はよく残ってる。ナイス演技
織田:一応主人公。当たり触り無くオッサン系
濃姫:強いオンナ系演技、でも討ち死にの台詞は優しいイメージ
蘭丸:あんまりイメージ変わらない
光秀:ヘンタイじゃない
上杉:あまりイメージ変わらないが、ちょっと男っぽくなっているか?
かすが:かわいい。はぁぁぁぁんが板に付いていない
いつき:元気な幼女。方言が抜けているせいか、新鮮
ザビー:あまりイメージ変わらない
前田:あまりイメージ変わらない
島津:ちょっと酒が抜けた感じにスッキリしていた
長宗我部:アニキじゃなくなってた
北条:まんま
>>876 筆頭の英語といつきの方言と北条の公家言葉がないとあまりキャラ立たないなあ
しかも変態じゃない明智なんて
お館様はとてもとても見てみたい
879 :
876:2009/09/22(火) 14:09:59 0
まつが抜けてた
まつ:かなり可愛らしい感じになっていた。
毛利、徳川、今川はまだ遭遇していないのでわからん。
そういえばザビー城の開門テロップなどがスペイン語だかの表示になっていた。
背景やモブ兵特殊兵のコスチュームが、北条ステージがエジプト風
前田ステージがアフリカ風、光秀ステージは西洋風になってたりと
ところどころ変更されているので面白いよ
880 :
876:2009/09/22(火) 14:15:29 0
>>877 北米版では、主人公が信長なんだよ。
ゲームタイトルもDevilKingsになっている。
プレイヤーが使える武将も少なくなっていたり
天下統一が世界統一になっていたりと
若干北米版仕様になっている。
そろそろ板違いなので、戻ります。
>>876 ちょっと酒が抜けた島津は正統派のジジイ・ヒーローか
いろいろ面白いね。
かすがの板についてないはぁぁぁぁんが心底見てみたいぞ
利家ステージがアフリカ風、瞬時に納得してしまったがすまんかった
>>878 しかも変態じゃない明智なんて
あいやしばらく、その御仁はもしや惟任日向守光秀殿ではござらぬか?
北米版おもすれえーゆつべ漁ってくる
真田幸村:Scorpio
えー
ホンダムは Iron Oxじゃなかったっけか?
お、面白いけどそろそろ怒られそう
よし、終了。
北米版話は、感想も質問もレポートも
これ以降ゲーム板のほうに移動だぞ。
御意。
ではアンコー・ヨシアーキに敬意を表して。
有名な駒姫の悲劇は、題材になりやすいおかげでたくさんの物語に取り入れられており、
それぞれの物語の内容により登場人物の行動が何パターンもできあがっていて
もう一次史料に帰らなきゃわっかんねーよ!な世界に陥っている。
石田三成にしても、
A.秀吉に秀次排除を勧め、駒姫を含む秀次の妻子を三条河原でノリノリで処刑する三成。
B.秀吉と秀次の対立は豊臣政権のためにならないと心を痛め、秀次の無罪を主張するもならず涙を呑む三成。
C.モブキャラとして真面目に事件処理係を勤めているだけの三成。
と、いろんな三成が。
(続く)
(続き)
駒姫の助命嘆願もいろんな人がやっていて、嘆願自体も、
A.秀吉が頑なに拒絶した。
B.秀吉が折れて助命を承諾したが、その知らせが処刑に間に合わなかった。
C.秀吉が承諾、処刑場に知らせが届いたが、三成がそれをもみ消して処刑を続行した。
などなどなどなど…。400年の間にさまざまな解釈の同人誌が発行されている。
(ちなみに江戸時代のコミケでは三成悪役ポジションが王道)
カプンコさんがどんな三成像を作るかによって義光像も変わっていくのか、
そもそもそれほど重要キャラじゃないのかww
いずれにせよ、駒姫の斬首とそれを聞いた実母・大崎夫人の死と義光の絶叫は真実である。
駒姫辞世「罪をきる弥陀の剣にかかる身の なにか五つの障りあるべき」
-私は今、慈悲深い弥陀さまの剣により罪を切っていただくところです。
私は五つの大罪のどれを犯してしまったのでしょう?-
享年15歳。
駒姫の辞世って2種類あるよね
どっちが本当なんだろう
もうちょっと日本史真面目にやってれば良かったとおもうけど
当時はどうしても興味持てなかったわ・・・・
人が多すぎるし名前変えすぎ数字苦手
西暦と年号がある上に今と昔で日付が変わってる
此処の歴史好きな人はいつ興味持った?
6月から
BASARA終わってからか
名前が同じ人とかも混乱する
>>890 昔々高校生の頃に伊達政宗の歴史小説を読んで以来好きになった
しばらく離れてたけどBASARAがきっかけで戻ってきて
前より色々調べるようになったwだからやっぱり伊達軍贔屓になるかな
小学生になる少し前まで岡崎に住んでいた
産まれた病院も岡崎城からすぐ近く
最上義光のことを知らなかったので色々と調べたら
駒姫関係のところでめっちゃ鬱になった…
15才の美少女が正式に側室になる前に斬首とか…
自分の中で秀吉の印象が変わっちまったよ
主に悪い意味で
駒姫の悲劇こそBASARA慶次が絡みそうなネタだねえ
さっき駒姫調べて鬱になったよ…。
彼女は伊達政宗の従妹だったんだね。
秀次の正式な側室になっていなかった従妹が
無惨に殺された事も政宗が後の関ヶ原で
豊臣に敵対した要素の一つだったのかな
>>898 政宗は危うく自分が流刑になる所だった(秀次と親しくしてたから)
その時フォローしてくれたのが家康
最上義光は溺愛してた駒姫を殺されたうえ正室まで娘の後追い自殺・・・
最上家はこの件で完全に東軍について関ヶ原の裏戦の長谷堂では上杉と戦って撤退させてる
その時の上杉軍の指揮が直江兼続で慶次もいた
じゃあ>488は家康が秀吉になんかうまいこといった結果ということなのか
>>897 BASARAだと伊達よりも慶次と絡みがありそうだよね最上さん。
え?無敵の人??彼はあのままでいいんじゃないかなw
実の甥である秀次とその子供達ほぼ皆殺し→豊臣家の血族が激減
秀次と親しい者は自分の忠臣だろうと処断→自ら忠臣を減らす
処刑された側室は大名家や公家の出→娘や妹を殺された有力者の恨みを買う
豊臣家の滅亡は秀吉の自業自得だと思う・・・
ちなみにこの時殺された秀次の継室・一ノ台の娘は辛くも処刑を逃れていて
それが後に幸村の側室になる隆精院
だから幸村の大坂での奮戦が「豊臣への忠義」というのは何か違う気がする
バサラ秀吉が秀頼(そもそもバサラで生まれるか謎)可愛さに
分別なくすってのは考えにくいけど駒姫の件は絡んでくるかなあ
最上と秀吉の関係上じゃ必須だと思うんだけど
女子供を皆殺しにした上その辺に穴を掘って遺体を
まとめて埋めたってのもキツイ…
駒姫の遺体すら返してもらえない両親や死んでも
家族の元へ帰れない駒姫の心情を察するといたたまれない
なんか本当に凄い時代だよな…
じゃあ、最上は伊達の伯父よりも豊臣派への復讐者としてのキャラ設定が強調されるのかもね。
駒姫の処刑に三成関わってるし、ストーリーによっては家康の護衛してそうだな。
当時の感覚でも異常な処断だよな駒姫の件は
処刑された女性達の身分からして遺体は返すのが当然なのに(そもそも処刑自体が異常)
まとめて埋めて「畜生塚」「悪逆塚」なんて碑を立てたうえその塚の供養も許さなかった
当時の仏教感だと成仏すら許さないような扱い・・・
大河の独眼竜政宗でも駒姫の話があるけど見てて辛かったよ・・・
秀吉がそこまでするほど秀次を毛嫌いした理由ってなんだ
なんか重大なことでもやらかしたのか
秀吉に息子の秀頼が誕生したから秀次の存在が疎ましくなった。
秀次の方も、当然自分が後継者のつもりだったのが秀頼誕生で危機感を持ったと思われる。
そこから対立に繋がったってところじゃないかな。
秀吉は淀君懐妊の際に冷やかし(本当に秀吉の子か怪しい)をされたことにも怒り狂って
無関係の本当に通りすがっただけの老若男女を100人ほど処刑してるからな
秀吉って結構ヤバイ人だったんだな
朝鮮出兵はまだ理由付けできるが駒姫処刑はさすがにフォローできないよなあ
晩年の秀吉は耄碌してたとしか・・・
家康や政宗は70過ぎの最晩年まで頭シャッキリしてたのにな
秀吉に年齢詐称疑惑がある由縁か
あの時代だと男は赤子であろうと殺すけど
女は既婚者も幼児も見逃すのが普通だし
夫を殺されて髪を下ろした人まで全員皆殺しは
どう考えても異常でやり過ぎだったみたいだね。
天下を取るまでは細やかな心配りが出来る
好々爺なイメージだったのにね
家康は長生きする為に色んな健康食品試したり
政宗も料理が趣味みたいな感じでちゃんとしたの
食べてたから老いてもしっかりしてたのかなぁ
秀吉は不老長寿の妙薬でございますって勧められて
喜んで水銀とか飲んでそうなイメージ
そしてBASARAの秀吉は水銀を飲んでも平気そうなイメージ
処刑に参加してたといわれてる三成は主君の
異常な行動に疑問を抱かなかったのだろうか
これ処刑する側もメンタル面おかしくなりそうだよなぁ
BASARAの秀吉は自分の弱さを断つとかでねねを殺しているあたりに
史実のヤバい部分がうっすら伺えるな
けどBASARA最上義光はどうなるんだろうね
駒姫自体いない設定でもおかしくないし
伊達が三成に叩きのめされて弱体化したのをこれ好機と
嫌がらせオンパレード展開させるくらいしか想像できん
>あの時代だと男は赤子であろうと殺すけど
>女は既婚者も幼児も見逃すのが普通だし
あの時代だと、女性も連座させられる方が普通だろう
荒木村重の家族だって、信長に女性も処刑されている
>BASARA最上義光はどうなるんだろうね
3は関ヶ原が舞台だし、最上が東軍ってのは史実のまんまだろうし、
伊達とは争ったり共闘したりな感じなんじゃないかね。VS上杉とか。
まぁ、途中でけりを付けそうな気がしないでもないなぁ。
>>908 その秀吉の八つ当たりで殺された通行人
最年少はまだ7歳の子供だったんだってな・・・
日本史で暴走した独裁者って秀吉くらいなんだな改めて考えると
↓以下鬱どころかショッキングな話なんで注意↓
秀次の子供達(最初に殺された嫡男は6歳で最年少は0歳らしい)は
「抱きしめる母親の膝から奪い取られ、犬の仔でも扱うようにぶら下げられて刺し殺された」
これ立ち会いしてて精神的に耐えられるのか・・・?
戦国武将にとってはなんでもないこと
精神的に辛い話が続いてるので、戦国一の骨董マニア・松永弾正の逸話を。
松永は中風の予防のため、毎日時刻を決めて頭のてっぺんに灸をすえていた。最期の時になって灸の用意を命じると、部下から「この期に及んで養生もないでしょう」と言われたが、
「いざ腹を切る時に、中風にかかったら、腹を切るに及んで臆したと思われる。今までの武名が一時に廃れるではないか」と言って灸を据えさせた後、腹を切ったという。
頭に灸って、北条のじっちゃんみたい。当時は珍しくなかったのか?3でまさかの松永参戦を願いたいなあ。
松永「天下分け目の戦とは…。いやはや、長生きはするものだな。時に内府殿、卿の持つ曜変天目を頂けないか?さすれば私は東軍につかぬでもない…」
家康「よーへんてんもく?そんなもんウチにあったっけ?」
忠勝「…」
松永って日本初の爆死した人だって話だけど、腹切ってから自爆したって事?
当時の爆死ってどういうことなんだ?
名物の平蜘蛛茶釜に火薬詰め込んで自爆
923 :
メロンさんex@ご利用は紳士的に:2009/09/26(土) 00:03:48 0
島津義弘の話題があんまりなかったので。
薩摩の風習では武士の子が何歳かに達すると、殿と面会するという。
島津義弘は面会の時、誰の子であるか紹介されるとその子を
しっかと見つめて
「お前の父は○○○に巧があった。お前は父に負けないように
しなくてはならぬぞ」
「お前の父は○○○の戦で活躍したものだ」
「父によく似ているのう。その様子なら父よりも大巧をあげること
はあっても、劣ることはないだろう。しっかり忠勤するんだぞ」
などと言って励ました。しかし、父親に巧がない子も当然いる。
そういう子の場合、義弘は
「お前の父はよく働いたのだが、運と場所に恵まれず、今の所は
手柄がない。だがお前は父よりも優れているように見える。今後、
多くの手柄を立てることであろう。よく忠勤するのだぞ」
などと言って決して蔑むことなく、一人一人に相応しい言葉を
かけたそうである。
島津義弘はガチで良い話が多い。
史実秀吉は各大名の妻をNTRうとしたりと晩年が酷すぎてなぁ…
石田三成の子供たちは誰一人処刑されてなかったりする
長男重家は剃髪して仏門に入ったのでセーフ(僧は基本殺せない)すっごく長生きした
次男重成は小姓仲間の津軽信健の助力で津軽に逃れ、後に杉山源吾と名乗って津軽藩に仕える
三女辰姫は二代目津軽藩主信枚に嫁ぎ三代目藩主信義を産んだりしてる
後に家康の養女で姪の満天姫が嫁いで「女の関ヶ原」とか呼ばれたり
杉山家は今も続いてると思うと感慨深い
島津の爺っちゃんも晩年は認知症で衰弱してしまったが(何せ85歳で大往生)
それでも家臣が「殿、出陣でござる!」と法螺貝を吹くと
一人で起き上がって食事を始めたとか
さすが老いたりといえども鬼石曼子・・・
70過ぎの最期までしっかりしてた家康・政宗や幸村の兄ちゃん(93歳で頭脳現役)とかと比べて
秀吉が60で酷くなっちゃったのは荒淫が原因なのかねえ
たしか、義光の正室にも駒姫処刑後に美人だからよこせとか秀吉が言った話あるみたいだなぁ。
侍女が身代わりに出向いたけど、バレてその侍女は殺されてしまい正室はその間に出家したと
大崎の逸話にあるみたいなんだけど、かなり無理があるから…やっぱ自害したんだろうかね。
う〜ん、秀吉ヤバイなぁ年とって狂ったとしか思えんね
松永はなんでわざわざ爆死する必要があったんだ…
てか嫌疑をかけられたとき家康はなんで最上と伊達を
庇ったんだろうな。こいつら仲良かったのか?
晩年の秀吉は認知症だったんじゃないかって記事を読んだことあるな
少しでも秀頼の地位を脅かしそうな者が恐ろしくてたまらなかったんだろうね
「アタシのお金を盗むヤツがいるよ!」って妄想に苛まれるお年寄りみたいな?
>>914 BASARA政宗にいくらいやがらせしても
蛙のツラにしょんべんって気がしないでもないなw
松永は信長の命令に背いて反逆に及んだものの、城を包囲されてしまい
平蜘蛛差し出せば赦してやんよって云われたけど拒んで火薬入り平蜘蛛で自爆
家康は最上や伊達以外にも細川や藤堂等も庇っているよ。
でも、もともと最上、伊達は東北大名だから上方大名主流の豊臣政権下では軽んじられてるってのも
あっただろうから、余計に家康は親切に接したのかもとも思う。
つまり、後々の為に恩を売ったんじゃないかな。
>>930 詳しく教えてくれてありがとう!
本当このスレ勉強になるなぁ
今まで知らなかった歴史を解りやすく学べるのが楽しい
>>930 家康自身も東国の人だもんね
それに伊達・最上はいわゆる成り上がりじゃなく元から名門家だったから
婚姻関係を結んどけばメリットがある
現に政宗の娘(五郎八姫)を自分の息子(松平忠輝)と結婚させてる
忠輝が失脚して結局離縁しちゃったけど
ただし最上家は清和源氏の血を引いてた事が後の改易理由の裏事情とも・・・
徳川も最上も源氏だけど徳川は自称だったんだよなぁ…
最上は結局、改易後に5000石の旗本になったんだよね。
徳川っておまえら親戚なんだからもっと仲良くしろよって伊達、最上に言ってたらしいねw
それもあってか、秀次事件の時に
「最上義光と伊達政宗は豊臣を倒して東三十三ケ国を政宗、西三十三ケ国を義光の領地にする企みをしてる」
という無理があるにも程がある高札が立てられる嫌がらせ?をセットで受けてたりする。
認知証の秀吉でもそりゃないわなwってなったとか。
仲良くしろよって言っといて何故嫌がらせをするんだろう
いや、933の言ってるんは家康が最上&伊達に嫌がらせしたというのではなく、
徳川屋敷の前にその高札が立てられたって話。
通説によると、秀次に連座したと秀吉側に怒られてピンチの最上&伊達はそれぞれ、
懇意にしていた家康にもとりなしを頼んだ。
その後何者かが件の高札を徳川屋敷前に立て、家康は秀吉に
「こんな物が立てられましたがいかがなものでしょうか」と報告。
それで933にあるとおり秀吉が苦笑と共に許した、って話。
誰か、最上&伊達を陥れようとしている犯人が別にいるんだよ、って
シナリオを書いて、高札を立てて世論にもアピール、搦め手からの理論で秀吉を諭す
という徳川の弁護作戦だということだ。
無論実際に陥れようとしていたのは豊臣だったのだから、家康は言外に
「あんた、こんなムチャなこと言ってんだよ、おやめなさいよ」と指摘したことになるんだろうな。
徳川の源氏自称というのは、正確には系譜をこと細かに調べてどっかに源氏の血が入ってないか
(ムリヤリ)探し出して「俺、実は源氏だったよ!」ということだそうだ。
征夷大将軍には源氏がなるものだったから。
当時は金を積むとそういうのをでっちあげ…ゴホゴホ、調べてくれるその筋の権威がいた。
成り上がりだってことを誰もが知ってる秀吉は流石に「実は源氏…」とは言えなかったので
征夷大将軍ではなく、関白という地位から支配するほかなかった。
源平藤橘に並ぶ「豊臣」という姓を新設して認められたあたりスゴイ権力者。
逆から言うと源氏の名門は将軍家になる可能性があるっつーことが
つぶされる理由になってしまった。最上が正にそう。
もちろん名目は御家騒動だが「あいつ源氏だしこの際つぶしとこーぜ」となりやすい。
ちなみに伊達も名門だが藤原氏。
政宗のフルネームは「伊達藤次郎藤原政宗」(官名とかはちょっと略)
藤次郎の「藤」が藤原の「藤」。
モブキャラの伊達成実も「伊達藤五郎藤原成実」でおそろいだね。
(小十郎も藤原氏だ)
血筋なら毛利元就の毛利家も感慨深いものがあるな。
毛利家は大江が本姓で大江広元の四男・毛利季光を祖とするが、
この大江広元という人が公家でありながら源頼朝の側近として
武家が支配する『幕府』の創立に貢献した人物。
いわば武家社会の創生に深くかかわったのが毛利元就のご先祖様。
そして時代が大いに下って子孫の毛利敬親。
家柄や年齢にこだわらずに優秀な才能を信頼し若い才能を庇護したことにより
吉田松陰や高杉晋作等々の幕末の世に多くの人材を輩出させ
ついには関が原から二百六十年の宿願だった打倒『幕府』を達成。
武家社会の幕府の誕生と終焉に深く関与してきた血筋だな。
BASARA元就なら最初から最後まで自分でやりそうだな
>>919 頭のてっぺんには、よく効くツボがあるんだよ。
今は髪の毛があるからまずやらないけど、
当時は月代入ってるから可能だったんだろ。
秀次は最近評価が上がってる人だなー
側室の多さとかめちゃくちゃさは、秀吉側の
「あいつこんなDQNだったんだから、処刑したんだぜ!」って捏造がかなりあるらしい。
大学の先生が言ってた「歴史の価値観は、10年もあれば変わる」
って言葉を思い出すなぁ。
>>939 情報サンクス。ついでに聞きたい、戦国武将は皆、月代剃ってたの?時代劇の描写は嘘だらけなのは知ってるけど
(天地人のヘンテコヘアーとか)、昔の肖像画で剃ってない武士も見たことあるし。教えてプリーズ!
>>936 だから最上と婚姻関係は結ばなかったのか。
後々、将軍家としての地位を乗っ取られる可能性もあるしな。
駒姫の事でトラウマになったのもあるかもだが、他の娘は家臣の嫁にやってるんだよね。
でも、息子の嫁達もたしか家臣達や身内の娘じゃなかったかな…家康に遠慮してたのか?
>>939 秀次の殺生関白の異名も疑わしいんだよな。
942 :
メロンさんex@ご利用は紳士的に:2009/09/26(土) 10:18:21 0
BASARAのキャラのご先祖とか調べていくと面白いかも。
このキャラとこんな繋がりが!みたいな。
あの中で一番の名門は間違いなくおじゃか?
前田家は菅原道真の後裔なんだっけ。
あと、元親は始皇帝の末裔を名乗ってるって話は聞いたことあるな。
>>941 江戸時代に太閤記みたいなので秀吉の人気が出たから、仕方なく秀次を
悪役に仕立て上げ、その結果その異名が定着したって話をどこかで聞いた。
>>941 自分の地元に前野一族の末裔が住んでいるんだけど
あれは作り話だと説く人多いね
>征夷大将軍には源氏がなるもの
鎌倉時代には藤原氏や皇族が征夷大将軍になっているし、
平氏の信長も征夷大将軍の打診を受けているから、そうとも言い切れないよ
それから、大崎や最上は確かに名門だけど
伊達が名門、と言うのは違和感があるな
元々の出自がどうも微妙な大名家なんて伊達も含めて山ほどあるからな
あっちは成り上がりでこっちは名門なんて迂闊に比較しないのが吉
秀吉もそこそこ地盤のある地侍か全くの最底辺の出かはっきりしてないんだっけ
あくまでもあの当時の話だね
>武家の棟梁=将軍には源氏
征夷大将軍設定時にどうしても源氏と決められたわけじゃない。
なんだろう?風潮?
当時の人の武家としての「歴史」感覚が鎌倉幕府からだったのかな
なんにせよ、本姓によって就く職責のエリアがあったのは間違いない
>>938 BASARAでは元就が息子の役も孫の役もひとりでやりそうだもんな、関ヶ原。
そういえば家康ってかなりの源氏オタだよね?
五男に武田氏の名跡を継承させたり、今川の墓参りもしてるし。
もっとも今川には人質とはいえ、世話になってたからかもだけれど。
結局、今川の息子も徳川幕府のもとで高家として存続をゆるされて幕末まで続いてる。
最上の改易は家康死後の事だけど、義光の孫の流れが旗本の最上駿河守、
四男の家系を水戸徳川家代々の家老にして徳川の傍に従わせている。
つまりあの天下の副将軍水戸黄門の家老は最上義光の孫だったりする。
>>940 月代は兜を安定させる為と頭が蒸れるのを防ぐ為だけど
広く流布したのは実は戦がなくなった江戸時代以降
一般人が「これが武士のオサレヘアーなんだぜ」と真似をし始めて広がった
こまめに剃らなきゃならんので逆に戦の間は月代が伸ばしっぱなしだったのかもね
兜をかぶる時は髷を解いて下ろす(落武者がザンバラ髪なのはこのせい)
「天地人」は髷結ったまま兜してるみたいで変なんだよね・・・
視聴者にイケメンヘアーに見せようとして不評だった例かと
前髪付きは二次元だから映えるんであって実写であの髪型はなあ
「武田信玄」「独眼竜政宗」は前髪なしでえらい格好良かったんだが
最上義光の話題が続いているので、ここで一つ、
甥の伊達政宗との話を……。
最上家と伊達家は昔から敵対していたが、義光の妹義姫が伊達家に嫁ぎ、
一応友好関係を築いていた。
しかし、それでも両者は敵対。義光は伊達包囲網を築き、政宗を窮地に
陥れるが、義光の妹であり政宗の母である義姫が両陣の間に陣取り、
和平を促す。
ちなみにこの時、義光は幼いわが子が義姫と戯れる姿を見て号泣したという。
とにもかくにも、両者は和睦を結び、血を流すことはなかったのだが、
それは両者がシスコンであり、マザコンであった他ならない。
……と思う。
あんまりBASARAじゃ想像できないけど、政宗はかなりのマザコンなイメージが。
義光と政宗はまだ両家が友好的だったころ、和歌などを贈ったりして
交流があったらしい。和歌の内容が中々可愛らしかった。
マザコンでいて最終的に母離れはしてたタイプだと思う>政宗
秀頼みたいに母子べったりだと悪い方に相乗効果が出るからなあ
むしろBASARA政宗は小説版だとファザコンぽい
ところで次スレは
>>970か
>>980あたり?
最近のスレはいい雰囲気なので継続したいんだけど
初期みたいに単なるコピペ連投(荒らしやアンチの工作もあると思うが)対策にも
そろそろテンプレ考えた方が良さそう
義光が政宗やべェと思って険悪化したのは
政宗の撫で斬り(人畜皆殺し)という暴挙だったと聞いたが
それで周囲との関係が悪化して父親を撃ち殺すはめになたと
虐殺を行えば因果が返ってくるもんだな、やっぱり
BASARAなのでゴッドファーザー的なのを想像していたら
至って普通の人だったな>小説の輝宗
>>949 にゃるほど!それで「へうげもの」の信長公は本陣では落ち武者ヘアーなんだ。
個人的には、時代劇の柳生三厳みたいな髪型が好き。天地人は論外(苦笑)。
>>952 政宗15歳の時、
恋しさは秋ぞまされる千歳山の阿古耶の松に木隠れの月
(秋はさみしいよね 山形にお月見に行っちゃおうかな)
義光36歳の返歌
恋しくば訪ね来よかし千歳山阿古耶の松に木隠るる月
(さみしいなら山形に来る?松の木に隠れる綺麗なお月さまが見られるよ)
意訳すると大体こんな感じ?英語交えて意訳できんかったよ…。
何だこの可愛らしい文面はw
BASARA風に訳すと
「秋のはどうもsentimentalになっちまう。
千歳山にある阿古耶の松に隠れる月、
そいつで月見するのはさぞかしcoolでいいんじゃねえか?」てとこ?
この阿古耶の松って昔話の本で読んだような記憶がある
武将絡みの昔話だと柴田勝家(お市の再婚相手ね)の首なし行列とか
上杉・前田・真田に攻められて落城した八王子城とか
てどっちも思いっきり怪談だ・・・
かわいい手紙を書いて送ってくれた甥っこ15歳が
DQNになっちゃって伯父さん驚いただろうな
19歳で家督を継いだら「撫で斬りしたぜウワハハハハ」みたいな手紙よこしたんだっけ
最上のおっちゃんのストレス半端なかっただろうなw
四年の間に何があったww
ところでここってアニメ版BASARA関係のスレ?
上のほうでゲームの話が続くと怒られる…
ってレスあったからアニメのみなんじゃない?
両方のつもりでやってる人が大半かと
アニメには秀吉とかいないし
上の方で云々は史実話とは無関係の北米版キャラ名の話題だったからだよ
この辺の事もテンプレ入れる?
「戦国BASARAのゲーム・アニメ・漫画・小説等の史実的な事を語るスレです」
「ゲームシステム・攻略等に関する話題は該当スレで」とか
そうね
>>964 松永「成程、卿は頭が良いな。いや感心。諸君、私はこの提案で納得だがどうかね?
放っておけばスレは朽る。殯宮に置かれた屍の如く…。さて、私は三人衆と爆薬の調合を済ませてから寝るとしよう、か」
>>956 こういう歌って本文だけだといつもさっぱり意味がわからんのだけど
()内の訳みたいなこと言ってるんだなぁって読み取れるもんなの?
本読んでても「えーこの歌こういう意味なのー?」となって結びつかないんだ
>>956の上も前半は原文でもわかるが後ろは何が言いたいのか
全然わからない・・・・お月見ィー?!状態w
そうだよねー。
>>967 単に良い景色を詠んだのかと思ってた歌が、時代背景とか詠み人のおかれた状況とか
知った途端に哀しい歌だとわかったりすること多いし。
そういうのを知った瞬間がまた史実あさりにのめりこむ瞬間だったり。
この歌も、千歳山が義光おじさんちの近くだと知って初めて
甥っ子がおじさんち行きたいなー、とお手紙書いたのがわかるし、(ぐぐったよー)
阿古耶の松のロマンチックな昔話を知って初めて
風流とか、ガキが小生意気にカワイイぜこんちくしょうな感じでニヤリとできる。
連歌好きの義光の返歌があまりオトナな作為なく「じゃあおいでよ」な感じなのも、
この頃はまだ子ども扱いしてたのかなー?なんて妄想ふくらませてます。
>>956 ありがとう!
ゲーム本スレで「家康が竹千代呼ばわりされるのは人質生活で
有名だから」ってレスがあったんだけど
幸村も上杉・北条・徳川あたりで人質生活してたんだよね
BASARAでは信玄の家臣になってるせいか幼名じゃなく「虎の若子」等だが
>>967>>968 自分は新聞とかに読者投稿で載ってたりする現代の歌すらわからないよw
端っこにある偉い先生方の評価見て「どこが?」ってなってる
>>970 武将にとって和歌はいわば基礎教養で必修科目だったみたいだよ。
連歌会というのは外交の場でもあったので、歌が詠めないと話しにならない。
その和歌にしても古今集などの歌集や源氏物語などの古典に通じていなければ詠めない。
本歌取りや源氏物語の言葉や場面を借りての言葉遊びとかでね。
だから結構戦国武将の詠んだ和歌は残ってるよ。
詩集が伝わっている武将もいるしね。
今よりよっぽど頭良かった気がする
城作って治水して農業教えて歌やって戦って笛とか吹いて
一般人も身の周りのものは自分で作るわけだし
考えてみたら現代って何を勉強してんだろって思うわ
山村留学必須だーw
治水も農業も城作りも当時の技術の最先端だよね
多くの人間を思う通りに動員する権力や資金がないと出来ないし
現代の山村にそういう意味の最先端はないもんなぁ
料理も兵糧開発・保存食考案・客への饗応の一貫で実益も兼ねた
けっこう重要な知識の一つだったらしい
(政宗みたいに趣味の域まで行くのは異例らしいが)
戦国大名は最高学歴にジャンルを問わない専門職知識と芸術家も兼ねてるようなもんで
用兵学と経済学と建築学と土木工学と農学やって
体鍛えて料理して茶道と華道と歌詠みと舞と音楽やって・・・うわ
習字も練習したり甲冑のデザイン考案したりすごいよなぁ
小さい頃から親元を離れて、論語とかの英才教育受けてるしなー
今の幼児早期教育なんか、大したことない気がする。
何人もの専門家が一人の子供につきっきりで世話してれば、そりゃあね
ゲームが関が原って今さら史実に沿ってそもそも戦国時代だっけ?と思ったら
諸説あるし関が原どころか大坂の役も入る場合があるんかぁ
大河ドラマにもなった毛利元就のタイトルの字。
あれ、本人(毛利元就)直筆らしいですね。
すごい達筆!
>>975 兜のデザインは聞いたことあるが甲冑までやってたのか!
個人で有名な甲冑とかってあるの?
>>980 明智光秀の娘・ガラシャの夫の細川忠興は甲冑なども自分でデザインしてたって
聞いたことある。
「自分の甲冑もデザインしてくれー」ってお願いされたりしてたんだよね忠興は
>>981 ありがとう
ググッたら色々出てきて非常に面白かった!
大名兼デザイナーとは格好いいな
文武両道ってかっこいいよね。宮本武蔵もそうだし。まあ武蔵は大名でも武将でもないけど。
晩年の武蔵は寂しげな鳥の絵を好んで描いてたって。どんな心境だったんだろ?
3の武蔵はバカボンド風のボサボサロン毛で出るとみた。
ところで次スレどうする?
980でスレ立てってテンプレ入れとこうか
西川が知人に5000万円だまし取られたって
友達に会計経理まかせてトンヅラ
あるある
>>988 なんでこのスレに?
…と思ったが「BASARA関係の史実」ではあるのか
そういうことなのかーw
西川さん良い人だなあ
これからもBASARAよろしく
誰かスレ立ててくれー。
自分じゃ分からん。
乙
|愛\
|∀`] ダレモイナイ オドルナラ イマノウチ
|⊂
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♪
|♪ /愛\ ドジョッコホイ!
| ヽ[´∀` ]ノ ドジョッコホイ!
| [ へ]
く
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| ♪ /愛\ ホイ! ホイ! ホイ!
| ヽ[ ´∀`]ノ
| [へ ]
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|ミ
| サッ!
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1001 :
1001:
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,、‐''''´ ̄ ̄``''''-、,
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/ \/\/ ::::::ヽ
/ \/\/\/ :::::::ヽ もう1000行ったんだよ
|ヽ/\・∀・/\/ :::::::| アキラメロンex
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ヽ \/\/\ :::::::::,'. .工._
ヽ /\/\ ex ::::::::::/. /x x \ ○実況は実況板で
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