>>81 カリ城はストーリー的にツッコミ所が多いしね。
そういや1997年1月10日出版のキネマ旬報別冊・動画王って本で、
唐沢俊一が書いてたカリ城のコラムの最後の部分を抜粋してみる。
> もう一度言うが、この作品のストーリィは破綻だらけである。
>しかし、その破綻が、決して意味のない破綻ではなく、
>ドラマとしての作品の起伏のために犠牲にされている。
>もう少し言葉を加えれば、アニメにおいて、
>作品としての出来(面白さ)のために、
>まず犠牲にさるべきはストーリィなのだ。
> ストーリィの整合性を捨てたところからドラマは始まる。
>逆に言うなら、そこらへんにこだわってジタバタしているうちは、
>アニメの真の価値は見えてこないだろう。
> そういう意味で見れば、
>昨今もっとも話題となったエヴァンゲリオンなどは、
>見事なまでに「アニメ」している作品、と言える。
>少なくとも、マニアしか突っ込まないストーリィの些末な整合性のために、
>あの作品は物語性を犠牲にしてはいないのである。
しかしこのコラムの主張だけど、カリ城だけに言及してるだけならこんな考え方もあるかなって思えたのに、
最後のエヴァ擁護のせいで全て台無しになってしまった気がするのは俺だけだろうか?