>>757 出遅れました。
なんか、僕の代わりに的確に反論してくれてる人がいるので、あまり言うことが残ってないかな。
アニメという大衆文化は「その時点で流行っている作品が主流を占める、安直さ」でいいと思ってます。
その「時代」を生きている人々の共有物ですから。
リメイクも含めて、その時々でその作品を受け取る人々が主体であり。
投票で人気を決めたり、意見の違う者同士で良い、悪いと言い合えばいいんです。
そういった人気や、市場価値と、あなたが想定してるような「絶対的価値」みたいなものは分けて考えるべきですね。
ゴッホのあたりの突っ込みも既にされてますね。
ゴッホほど悲惨じゃありませんが、有名なところではダビンチやミケランジェロも生前は貧乏で、社会的にはただの職人でしかありませんでした。
彼らが芸術家としてあがめられるようになったのは、彼らの死後ずっと経って近代の美術市場が成立してからのことです。
この美術市場抜きに「芸術の価値」は語ることはできませんし、美術市場が投機の対象である「市場」であることも忘れてはいけません。
美術の価値などわからない人間も介入してこそ成立するのが市場で、そういった人々の経済的活動を背景に値段を左右されのが市場価格です。
その投機性の高い前衛芸術市場で天才的嗅覚をもっていたのがピカソです。
彼は市場の代理人であるところの画商を上手く使って、自らの価値を市場で高値に釣り上げることに成功しました。
20世紀の画壇で重要な人物であることは間違いありませんが、彼の作品は美術的価値はひとまずおいて、まずはその市場価値と共に人気がありました。
ピカソに高値がついたのは彼の商才によるところが大きく、こういう視点はピカソを語る上では忘れてはいけないでしょうね。
もし、むやみにピカソは最高の「絶対的価値」であるかのように引き合いに出そうものなら、それはいまだ我々がピカソの手のひらの上にいるということなのです。