輪るピングドラム180th STATION

このエントリーをはてなブックマークに追加
822名無しさん@お腹いっぱい。
論考プラス公式ガイドの国
喋るバイクに乗って、論考プラス公式ガイド(注)の国にやって来た。
(注)http://blog.livedoor.jp/ronkouplus/
「なんか、国民が一人しかいないような国号ね」
一人の男に出会った。何だか浮浪者のような格好なので話しかけたくもなかったけど、話
しかけてみることにした。
「こんにちは。論考プラス公式ガイドの国ってことだけど、国号にまでなる論考プラス公
式ガイドって何なの?」
「論考プラス(注)の公式ガイドです。論考プラスは論理哲学論考のスタイルで旧司法試
験について語っています。その公式ガイドというわけです。しかし、まだ一つしか記事が
ありません」
(注)http://yaplog.jp/ronkouplus/
「へえ。一つしか記事がないのに国号になってるんだ」と喋るバイク。
「いやあ、実は、書きあぐねているんですよ。ほとんど誰にも読まれていないとはいうも
のの、論考プラスは私の二十代そのものなんです。そんなに時間を掛けてはいないんです
けどね。二十代は司法試験とアニメを除くと何も残らないような日々で」
「へえ。どうして書きあぐねているの?」と喋るバイク。
「伊藤真など業界のスターが言っていることを集めたのが、論考プラスなわけです。とど
のつまり、予備校のいう通りにすれば通る、それでダメなら諦めなさいということなんで
すが、その理由はこういうことです。予備校は試験を解析しました。それで分かったこと
は、試験が論点中心であるということです。だから、予備校は論点中心にカリキュラムを
組みました。試験に対応したカリキュラムなのだから、これをこなせば通るはずです。論
点中心では体系が分からないという批判もあろうかと思いますが、予備校のカリキュラム
でも体系はもちろん教えられます。体系マスターから入るわけですから。このことは予備
校本を読めば一目瞭然でしょう。予備校本は、学者本から抜書きすることで要領よく体系
を述べ、それでも分かりにくいところには伊藤真が語りかけるような欄を設けて、後ろに
論証カードを付しています。つまり、法律を一通り説明しているのです。これを薄っぺら
いというのは容易いことですが、このくらい圧縮しない限り、頭に入らないことは明らか
です。かつてはこのような圧縮を自ら行うことが求められていました。これは「法律学の
森」に自ら道を通すことを意味しますから、大難事です」
「そこまでは分かったわ。でも、どうして書きあぐねているかまでは、まだ辿り着いてい
ないと思う」
「そうですね。あえて不親切に書いたものに対して、親切に注釈を付けるのは躊躇われる
ということでしょうか」
823名無しさん@お腹いっぱい。:2013/04/19(金) 00:16:20.22 ID:SZLAZC3E0
「へえ。それでどうするの?」と喋るバイク。
「予備校についてはこれでいいとして、ローについて語って、後は放置してもいいんだけ
ど」
「ローについてはどう考えるの?」
「かつては「法律学の森」に自ら道を通さなければならなかったのに、予備校が道を通し
てしまいました。巨人に梯子を付けたといってもいいかもしれません。そうなると選別も
変わらざるを得ません。論点中心に学んできた人に対して論点中心の出題をしても選別で
きないからです。そこで事例問題が出題されるようになりました。これは事実から法的論
点を抽出できるかを試すものです。これにより選別ができないという事態は回避できまし
た。本来ならこれで一件落着です。質的にも問題はないです。事例問題を解ける人は法的
思考ができます。予備校の作り出す一本道を通れば法的思考ができるようになります。エ
ッセンスは詰まっていますからね。逆に、それを通って法的思考ができないのなら、何を
してもできるようにはなりません」
「へえ。その差はどこから来るの?」と喋るバイク。
「分かりません。できる人はできるし、できない人はできないとしかいいようがないんで
す。やってもできない人はいるんですね。ちなみに、事例化に伴って、事例を集めるとい
う学習法が出てきました。井藤公量のP&C方式です。しかし、彼は事例化したことの意
味が分かっていないと思います。事例化したのは事実から法的論点を抽出する能力を試す
ためでしょう。これには法的論点がどうして法的論点なのかまで遡って学ばなければ対応
できません。そういう学習が求められているわけです。これは別に学者本に戻らなければ
ならないということを意味するわけではありません。体系マスターをしっかり学べばいい
わけです。P&C方式は一世を風靡したとはいえ、褒められたものではないです。それど
ころか、いくら事例を集めても、そこから外れた出題はいくらでもありえますし、そうい
う出題に対しても集めた事例に引き寄せてしまうおそれがあります。こうなると有害でさ
えあります。もっとも、事例を集めるのは悪いことではありません。しかし、それは基本
に限ります。辰巳の「えんしゅう本」のような。そして、悲しいことですが、P&C方式
から方法論に進化はありませんでした。事実から法的論点を抽出する方法が見つけられれ
ばいいのでしょうが、できていないようです」
「ローのことがまだ出てきていないんだけど」
「予備校本だけでも法的思考ができるようになるので、予備校本しか読まないで受かって
しまう人が出てきたというのはあるようです。実務家としても学者本は読めなければなり
ませんから、これは由々しきことではあります。しかし、そういう人はほとんどいなかっ
たのですが、このことは誇張されました」
「そういう人をなくそうとして、ローは作られたの?」
「ローを作るために誇張したのでしょう。大学としても予備校の繁栄は苦々しい事態では
あるわけで、予備校の弊害を訴え、自ら教育に乗り出そうとしました。ここでいう予備校
824名無しさん@お腹いっぱい。:2013/04/19(金) 00:17:01.85 ID:SZLAZC3E0
の弊害とは、予備校の作り出す一本道を歩むと、学者本を読まず、答案が画一化してしま
い、法的思考から遠ざかるというものです。しかし、もしこれが本当だとしても、これは
法学部が教育にほんの少しでも熱心さを持っていれば回避できたことです。ほんの少しで
も教育をしていれば、どこかで学者本に触れるでしょうし、法的思考にも触れるでしょう
から、アンチョコが大きな害を及ぼすことなどあり得ません。こうしたことを棚に上げて、
今まで放棄していた教育に乗り出そうというのですから随分と虫のいい話です。そして、
ローは予備校の弊害の対偶とでもいうべきもの、つまり、学者本を読ませ、法的思考を行
わせるということを理念としています」
「へえ。ローを褒めてるの?まさか、理想の教育とか言い出すんじゃないだろうね?」と
喋るバイク。
「いや、法曹養成としては普通のことでしょう。しかし、問題は法的思考を作り出すため
と称するソクラテス・メソッドを始めとするあらゆるメソッドに何の実益もないことでし
ょう。もともと、教育になど一切関心のなかった人たちが教えていることも一因なのかも
しれませんが、それだけでなくメソッドからして意味がないのです。むしろ、予備校の作
り出す一本道のほうがはるかに法的思考を作り出すのに有益です。しかし、ロー生がダブ
ルスクールというわけにもいかないでしょうから、ローは適当にこなしつつ、予備校のよ
うな学びを自ら行うというのが司法試験対策としては適切でしょう。しかし、こうなると
ローも予備校に近づかざるを得ないのではないでしょうか」
「ソクラテス・メソッドに実益がないなら、アメリカのローはどうして成功しているの?」
「あそこは試験が簡単なんです。だから、教育のメソッドはどうでもいいんです。しかし、
日本では難しい試験が残ってしまった。新司法試験は旧司法試験の五行の問題を五ページ
にしただけだといわれたりもしますが、まさにその通りなんですね。つまり、旧司法試験
と同じくらい難しいんです。それなのにローで行われているメソッドには実益がない。で
すから、未修というのは棄民に近いですね。それにしても、どうして難しい試験が残った
のか。一つには、旧司法試験をあまりにも狭き門にしていたことの残影が残ってるからで
はないでしょうか。そんなに司法試験が難しい国は他に聞いたことがないです」
「へえ。でも、どうして旧司法試験はそんなに狭き門だったの?」と喋るバイク。
「法律家はこの国では受け入れられていないのでしょう。それゆえ数を抑えたかったのだ
と思います。弁護士としての本来の活動は忌避されていたとさえいえます。弁護士のイメ
ージは諸外国に比べて高いなどといわれたりもしますが、弁護士の役割が理解されている
とは到底いえません。しかし、そうもいっていられなくなったので、弁護士を増やそうと
いうことになったのです。しかし、旧司法試験のレベルが残影として残っており、それが
期待を押し上げ、今なお司法試験のレベルを高めているのかもしれません。今後について
いえば、弁護士は今でも溢れているわけでして、これがどう推移するのかは問題です。し
かし、現実としては、ローの定員を削減して、合格率をある程度に上げて、司法試験はこ
んな感じの難しさで続けて、ローの教育は当初の理念をあからさまには裏切らないように
825名無しさん@お腹いっぱい。:2013/04/19(金) 00:20:09.42 ID:SZLAZC3E0
外見を装いつつも予備校に近づき、どこまでも折衷的に動いていくのでしょう。合格者が
著しく減らされることはないでしょう。だから、弁護士は溢れたままでしょう」
「弁護士が溢れているのはどの国も同じじゃないの?」
「そうです。ですから、弁護士が貧しくなるのは避けられなかったと思います。しかし、
ローは避けられました。というのは、この国は法学部と修習というドイツ型の制度だった
のですが、法学部が教育を放棄せず、ほんの少しでも熱心さを持っていれば、予備校の弊
害というのはありえず、司法試験の合格者を増やせば済んだからです」
「へえ。でも、教育機関が教育を放棄するってすごくない?」と喋るバイク。
「教育を放棄しているのは法学部だけではなくて、全学部です。ですから、法学部がとり
わけ腐っているとかいうことではないです。しかし、旧司法試験が教育なき選別であると
いう事態を招いたのは、彼らの教育の放棄であることは事実です。選別が教育を歪めると
いう現象は高校でも中学でも見られ、その隙間に予備校が入ってくるという点でも共通し
ていますが、彼らは教育を放棄しているとはいえません。大学が教育を放棄できるのは、
学歴主義から大学は入った時点で経歴と化しており、そこでの教育は期待されていないか
らです。生涯の台風の目のような時期であるといえましょう」
「そうなの。でも、そんなことを考えて、お金になるの?」
「ならないでしょう。私とて、暇で他にすることがないから、こういうことを考えている
だけです」
2010'03'01(Mon)20:10