輪るピングドラム180th STATION

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49名無しさん@お腹いっぱい。
東京裁判を日本社会は今なお受け入れていない。それにしても、どうして東京裁判は受け
入れられないのであろうか。裁判官の属する法秩序と被告の属する法秩序が全く異なるか
らである。

アメリカの軍隊内務令の中に「上官の合法的命令には服従の義務あり」というのがある。
ここには客観的価値の独立がある。これを「上官の命令は陛下の命令である」という軍人
勅諭と比較すると違いがハッキリする。日本では治者が法を作り、治者はその法に拘束さ
れないのである。(丸山眞男「日本人の政治意識」)

「上官の命令は陛下の命令である」のであるから、それに従っていれば、責任を問われる
ことはない。また、治者はその法に拘束されないのであるから、治者も責任を問われるこ
とはない。つまり、日本の法秩序からは、戦争責任は問いようがないのである。
しかし、「上官の合法的命令には服従の義務あり」という法秩序からは、上官の合法的でな
い命令に従えば責任に問われるであろうし、そのような命令を発した上官についても同じ
である。
従って、日本の軍人を裁きうるのは、外国人の裁判官のみである。日本人の裁判官がこの
ような裁判を行うことはできない。彼らも「上官の命令は陛下の命令である」という法秩
序の下にあるからである。
東京裁判を受け入れるには、日本とは異なる法秩序を受け入れる必要がある。しかし、い
うまでもなく、こちらが普遍的な法秩序である。中国もそちらの法秩序に属する。

シナの儒教思想にはまだしも価値が権力から分離して存在している。即ち君主は有徳者で
なければならないという所謂徳治主義の考え方で、ここから、暴君は討伐してもかまわぬ
という易姓革命の思想が出て来る。ところが日本の場合には、君、君たらずとも、臣、臣
たらざる可からずというのが臣下の道であった。そこには客観的価値の独立性がなかった。
人間の上下関係を規定するところの規範が、客観的な、したがって誰でも援用できる価値
となっていない。(丸山眞男「日本人の政治意識」)

中国には客観的な規範があるということである。東京裁判は「文明の裁き」といわれたが、
しかし、伝統社会には客観的な規範がないというわけではない。
それでは、日本人は自らの行いについてどう考えていたのであろうか。上層としては、植
民地支配は欧米も行っていることであり、日本だけが責められるのはおかしい、というも
のであろうし、下層としては、上層の命に従ったのであるから、われわれは悪くないとい
うものであろう。つまり、誰も悪いことをしたとは思っていないのである。上官の期待に
添うことと汎人称的な期待に添うことは通じている。つまり、上層も下層も同じ思考様式
50名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/29(火) 01:18:43.72 ID:JzFHyL5w0
なのである。ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムなるものが成功したとは
いいがたい。
このような思考様式を改めない限り、国民は東京裁判を受け入れることはできないであろ
うが、受け入れられないからといって、当時の日本人が占領軍と一戦を交えたかといえば、
そうではない。それどころか民主主義に順応したのである。

この現実の時勢だから順応するという心理が日本の現在のデモクラシーをも規制している。
現実への順応の態度、それは権威から来るもの、外から来るものである。デモクラシーが
内容的な価値に基礎付けられないで、権威的なものによって上から下ってきた雰囲気に自
分を順応させているだけである。保守性と進歩性がこうした「環境への順応」という心理
で統一されている。(丸山眞男「日本人の政治意識」)

国民は民主主義という与えられた「環境への順応」を行ったわけである。丸山がいうとこ
ろの主体性とは、このように「環境への順応」しか考えない思考様式に対して、それでは
いけないとして打ち出された概念である。戦争中は上層は無責任であり、下層は非協力的
であったが、それでも上層も下層も「環境への順応」しか考えなかったため、「一億火の玉」
となりえたのである。
このような上層も下層も貫く思考様式があり、その変革を丸山らインテリは求めたのであ
るが、それは拒絶された。丸山は戦後民主主義の旗手のように見做されているが、それは
御輿に乗せられただけである。
では、戦後民主主義とは何であったのであろうか。それは過ぎたことは忘れて、「環境への
順応」だけを考えたものである。ここでの環境とは冷戦であり、それをアメリカの属国と
して乗り切ろうというわけである。「戦後」民主主義という呼称は欺瞞的である。アメリカ
に基地や物資を提供して、冷戦に加担していたのだから。
日本社会は内部において間接統治されているが、日本そのものも間接統治しやすい。人々
は上位者の期待に添うことを叩き込まれているのであり、それが天皇であろうが、マッカ
ーサーであろうが、どちらでもいいのである。
孫崎亨「戦後史の正体」について、朝日新聞読書欄(2012年9月30日付)はこういって
いる。

日本の戦後史が、米国との関係の中で培われてきたのは事実だろう。しかしそれは陰謀で
はなく、米国の一挙手一投足に日本の政財界が縛られ、その顔色をつねにうかがいながら
政策遂行してきたからにほかならない。(佐々木俊尚「自立への一助にできるか」)

顔色をつねにうかがうのは日本的な行動様式であり、日本の政財界の行動様式がそのよう
なものであることは疑いない。しかし、そのような行動様式があるからといって、「米が気
51名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/29(火) 01:19:43.32 ID:JzFHyL5w0
に入らなかった指導者はすべて検察によって摘発」(同前)することの必要性がなくなるわ
けではない。アメリカの期待に背いたものにサンクションを加えておかなければ、アメリ
カの期待に添うことなどないであろう。もちろん、アメリカが日本にどのような働きかけ
を行っていたかははっきりとは分からないにせよ、それがまったくなかったというのもあ
りそうにないことである。孫崎享は次のように質問している。

読売新聞:質問です。読売新聞、日本テレビ以外で、wikipediaなどが、世界の主要新聞、
TVについて、外国情報機関の非公然活動に協力したと記述しているにもかかわらず、その
後、何等問題なく存続している所あるでしょうか。(注)
(注)https://twitter.com/magosaki_ukeru/status/231173568170450944

正力松太郎がCIAのスパイであったことが、戦後史を塗り替える事実であることは疑いな
いであろう。にもかかわらず、読売新聞はお家芸であるところの検証をすることもなく、
その他マスコミがそれを求めることもない。そのようなことを求めると自らにも跳ね返っ
てくるからであろう。
こうして、アメリカの期待に添っているのは、日本の政財界だけではなく、マスコミも同
じということになる。

アメリカの気狂いじみた北ベトナム攻撃に対する日本の新聞の社説はどうであろうか。ア
メリカの北爆は誰に目にも余りに明白なメンツ気狂いの暴力沙汰だから、日本の新聞も「戦
火拡大に反対する」とは書いたが、しかしどうして今となってもまだ「撤退しろ」とはっ
きり書けないのか(朝日)。五百万部も売れていて潰れる心配などないではないか。ウ・タ
ント提案が出ればこれを「歓迎する」としか書くことができない(毎日)。(中略)日本の
大新聞の事務所はまさかニューヨークにあるのではあるまい。何を言おうと自由ではない
か。(中略)社説はもう意見(オピニオン)を述べるところではないようだ。それは「おう
む」である。(藤田省三「「論壇」における知的頽廃」)

ベトナム戦争に対してさえはっきりと反対できないのにもかかわらず、彼らは日本の平和
主義を世界のお手本として語りうるのである。
もちろん、平和主義といっても一国平和主義にすぎないのであり、対外的な意味のあるも
のではない。むしろ、対内的に「和を以て貴しとなせ」といっているのである。憲法第九
条はカントに由来するものであろうが、日本的に読み換えられた。それは「雰囲気的な支
配」に服せといっているのと同じである。

普通には残虐な支配はないが、いったん権威信仰の雰囲気的なわくに入って来ないとみる
と逆に非常に残虐になる。これは家族的原理の中に入って来ないものに対する「敵」への
52名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/29(火) 01:20:31.34 ID:JzFHyL5w0
憎しみに外ならない。(中略)中心となる権威が赤裸々な人間の支配としてあらわれず、雰
囲気的な支配としてあらわれるのが特色である。(丸山眞男「日本人の政治意識」)(「わく」
に傍点)

この「雰囲気的なわく」はその内実を問わない。平和主義でも軍国主義でも構わないので
ある。「雰囲気的支配」こそが戦争を導いたのだとすれば、それこそ改めなければならない
はずであるが、そうは考えないのである。このような「雰囲気的支配」による平和主義が
平和主義でありうるのは一国平和主義であるからであり、これを外に対して押し付ければ
残虐さは免れない。もちろん、国内においても「雰囲気的なわく」としての平和主義は、
そこに入って来ないものに対して、容赦のない排除を行ったことはいうまでもない。
ここまで一国平和主義という言葉を疑問なしに用いてきたが、ここにも誤解を招くものが
ある。「一国」とはいうものの、国家なき平和主義だからである。

注目すべき現象は従来のナショナリズム意識の社会的分散ということである。地方的郷党
感情や家父長的忠誠などの伝統的道徳ないしはモーレスの組織的動員によって形成された
国民の国家意識は、中央への集中力が弛緩すればただちに自動的に分解して、その古巣へ、
つまり社会構造の底辺をなす家族・村落・地方的小集団の中に還流するのは当然である。(丸
山眞男「日本におけるナショナリズム」)(「社会的分散」「自動的に」に傍点)

一般的に伝統社会において自我は環境に埋没しているのであるが、「環境への順応」しか考
えないというわけではない。しかし、江戸時代に人々は「環境への順応」しか考えないと
いう思考様式を植え付けられた。このような思考様式からは第一次的グループへの順応だ
けを考えていればよく、国家はいらない。《彼等は政府のこととなると、何か泥棒の組合で
もあるかのように語る慣わしを持っている》(きだみのる「気違い部落周游紀行」)。戦後民
主主義とは過ぎたことは忘れて、「環境への順応」だけを考えたものであるが、国家も忘れ
たのである。
しかし、このような一国平和主義はソ連崩壊により終わりを告げる。これにより、アメリ
カの期待が変容してきたからである。つまり、それまでは日本は共産圏の防波堤でさえあ
ればよかったのに対して、国家として軍事面で協力することを期待されるようになったの
である。
アメリカの属国として、日本はこのような期待に添わざるを得ない。マスコミも論調を変
えていく。朝日新聞がアフガニスタン空爆を支持したことについて、福田和也はこういっ
ている。

『朝日』はなぜ「限定された空爆はやむをえない」と主張したのか。いままで云ってきた
ことをひっくり返してしまうようなことをしたのか。聞いたところによると、やはり読者
53名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/29(火) 01:21:19.04 ID:JzFHyL5w0
からものすごい批判があって、「もう新聞を取らない」とか「なんであんなことを書くんだ」
と、本社だけでも二百何十本の電話がかかってきたらしい。そうしたら幹部の一人が「一
千万部近い部数があるんだから、二百いくつの抗議は関係ない」と云ったとか。そこに覗
えるのは、『朝日新聞』のというか、日本のジャーナリズムが有する、基本的にはやはり体
制的な体質なんですよ。まぁ、御用新聞とまではいかなくても、本当に体制の危機になる
ようなことはしないという姿勢が一つ出ている。つまり、アメリカには、致命的な場面で
は逆らわない。(福田和也・大塚英志「最後の対話」)

彼らは「環境への適応」だけを考えているので、環境が変われば論調が変わるのは当然で
ある。こうして「雰囲気的なわく」としての平和主義が取り払われたので、悪いことをし
たとは思っていないという本音が噴出することになる。「雰囲気的支配」は雰囲気が雲散霧
消していしまうと、何も残らないのである。コンテクストなしに理解できるテクストがな
いので、後世からは理解できない。
戦後民主主義とは過ぎたことは忘れて、「環境への順応」だけを考えたものであるが、「環
境への順応」のためには、過ぎたことを思い出すのは不毛である。そこで、過ぎたことは
忘れることにしたのであるが、アジア諸国が被害を忘れるということはありえないであろ
う。それゆえに、日本としてはアジア諸国を忘れることにしたのである。アジア諸国につ
いては、差し当たりそれで済んだことになる。しかし、東京裁判は、過ぎたことを忘れる
ことを忘れさせるものである。このようなものに対しては、どのように対処すればいいの
であろうか。過ぎたことを忘れることを忘れされることを忘れるしかないだろう。こうし
て、東京裁判についても差したり済んだことになる。
「環境への順応」しか考えないという思考様式しか存しないところでしか、このような戦
後処理はできなかった。丸山の意味での主体性を有するものが多くいれば、こういうこと
はできなかっただろう。つまり、外から主体性を有するものが入ってくることを断ち切る
こと、つまり事実上の鎖国が求められたのである。
しかし、アジア諸国を忘れることができたのは、冷戦において日本が西側に属していたか
らであり、冷戦が終わり、事実上の鎖国が解ければ、そういうわけにもいかない。アジア
諸国からの戦争責任の問いかけは、東京裁判を思い出させるものである。つまり、過ぎた
ことを忘れることを忘れされることを忘れることを忘れさせるのである。
「環境への順応」しか考えないという思考様式の下、過ぎたことを忘れ、アジア諸国を忘
れ、国家を忘れるという在り方は江戸時代を彷彿とさせる。全て忘れれば全てよしという
わけである。しかし、冷戦の終りはそれらを思い出させることになった。考えるべきこと
を考えなければならなくなったともいえるが、それはよいこととばかりはいえない。それ
らについて考えてこなかっただけのことなのであるから、それらについて考えた最後の地
点のそれらが戻ってくるかもしれないのである。つまり、《地方的郷党感情や家父長的忠誠
などの伝統的道徳ないしはモーレスの組織的動員によって形成された国民の国家意識》(丸
山眞男「日本におけるナショナリズム」)である。