に入らなかった指導者はすべて検察によって摘発」(同前)することの必要性がなくなるわ
けではない。アメリカの期待に背いたものにサンクションを加えておかなければ、アメリ
カの期待に添うことなどないであろう。もちろん、アメリカが日本にどのような働きかけ
を行っていたかははっきりとは分からないにせよ、それがまったくなかったというのもあ
りそうにないことである。孫崎享は次のように質問している。
読売新聞:質問です。読売新聞、日本テレビ以外で、wikipediaなどが、世界の主要新聞、
TVについて、外国情報機関の非公然活動に協力したと記述しているにもかかわらず、その
後、何等問題なく存続している所あるでしょうか。(注)
(注)
https://twitter.com/magosaki_ukeru/status/231173568170450944 正力松太郎がCIAのスパイであったことが、戦後史を塗り替える事実であることは疑いな
いであろう。にもかかわらず、読売新聞はお家芸であるところの検証をすることもなく、
その他マスコミがそれを求めることもない。そのようなことを求めると自らにも跳ね返っ
てくるからであろう。
こうして、アメリカの期待に添っているのは、日本の政財界だけではなく、マスコミも同
じということになる。
アメリカの気狂いじみた北ベトナム攻撃に対する日本の新聞の社説はどうであろうか。ア
メリカの北爆は誰に目にも余りに明白なメンツ気狂いの暴力沙汰だから、日本の新聞も「戦
火拡大に反対する」とは書いたが、しかしどうして今となってもまだ「撤退しろ」とはっ
きり書けないのか(朝日)。五百万部も売れていて潰れる心配などないではないか。ウ・タ
ント提案が出ればこれを「歓迎する」としか書くことができない(毎日)。(中略)日本の
大新聞の事務所はまさかニューヨークにあるのではあるまい。何を言おうと自由ではない
か。(中略)社説はもう意見(オピニオン)を述べるところではないようだ。それは「おう
む」である。(藤田省三「「論壇」における知的頽廃」)
ベトナム戦争に対してさえはっきりと反対できないのにもかかわらず、彼らは日本の平和
主義を世界のお手本として語りうるのである。
もちろん、平和主義といっても一国平和主義にすぎないのであり、対外的な意味のあるも
のではない。むしろ、対内的に「和を以て貴しとなせ」といっているのである。憲法第九
条はカントに由来するものであろうが、日本的に読み換えられた。それは「雰囲気的な支
配」に服せといっているのと同じである。
普通には残虐な支配はないが、いったん権威信仰の雰囲気的なわくに入って来ないとみる
と逆に非常に残虐になる。これは家族的原理の中に入って来ないものに対する「敵」への