けいおん「男なんかいらない」シンポジウム
・「あのイギリスの旅ってなんだったんだろう」っていうことを思った、
不思議な感じの終わり方をする映画である。(司会)
・日常系萌えアニメと呼ばれているが、けいおんは密度が高い。
・けいおんと性別影響を考える。
・まず、マンガの歴史的には70年代に、男と男の関係、女と女の関係、女装男子、男装女子
といったものが一斉に描かれたが、その後は違って、男装の少女が目立った。
それが90年代から、00年代半ばにかけて女装少年、女同士の話がでてきた。
・男性的な価値観と女性的な価値観というものがあって、けいおんなどの最近のマンガでは、
女性的なものへの男の子の注目がある。
・70年代から始まる男装少女ものの特徴としては、『ベルサイユのばら』や『リボンの騎士』に代表
されるようなものがメインである。
そしてそれらは悪露こと愛し合うと男装が解けるという特徴があったのだが、
90年代の『少女革命ウテナ』のころから少しずつ転換していき(女と女の関係)、
『花ざかりの君たちへ』、『桜蘭高校ホスト部』などのように、「逆ハーレム」のための男装となる。
そしてそれに付随するように(?)、『うそつきリリィ』、『オトメン』などの女装少年が少女漫画で描かれる。
・80年代末までは、男×男のマンガは百花繚乱に描かれたが、女×女というものは暗い話になりがち
であった。そこには、「女性である」ということが即ち「現実を呼び込む」という理由があったからである。
・「男に選ばれなければ無だ」という価値観が強く、それはレズビアン差別にもつながった。
それは女が男なしで生きることは罪であり、また男なしで生きられる女性=「あいつはレズビアンだ」と言われる。
・そんなわけで、従来女×女というのは暗いものが多かったが、90年代に「明るいレズビアン」が描かれる
ようになる。『セーラームーン』のウラヌスとネプチューンみたいなのが典型で、
そこには「女性であることの肯定」がある。男女雇用機会均等法などが整備されたのもこのころ。
・80年代終わりから、それまでは女二人が男を奪い合う、という構図が、女二人が同じ一人の男に恋をしている
のだが、その女二人が強調しあう、というような構図が見られるようになる。
それまでの少女漫画のベタなパターンは「私の方が大事」を確認するというものであった。自分の恋人が他の
女といた時に、「なんで浮気するの?」「俺はお前の方が大事だ」となってその別の女に打ち勝つというようなもの。
それに対して、80年代後半のものからは、そのようなシチュエーションにおいては、浮気相手の女が泣いている
というよな状況にあって、「私にもこの女にしたことと同じことをするだろう」となって、「男に幻滅する」というような
感じになる。例えば『NANA』とかがそうで、お互い(女同士)のことを非常に大事にしあう。
・男性に関しては90年代末ぐらいから、つまり女性から10年遅れて女装少年がクローズアップされる(おとボク、はぴねす!等)
女装というのは女の子たちの間に入る、というためのものであり、これはかつて男装女子がかつて男の領域に入るために男装をしていた
構図に似ている。
・これにより、男性誌と女性誌の両方で女×女の間柄、というのが描かれるようになる。『ゆるゆり』などの「プレ」百合・レズビアン作品など。
男性側の変化と、女性側の女性であることの肯定、というものが同時に起こっている
・『百合姉妹』や『百合姫』といった雑誌が出てきて、BLという言葉に対して、GLという言葉が作られ、使われてるようになった。
・チーム男子(スポーツマンガとか)とかチーム女子といったものを扱ったものがあるが、チーム男子は基本的に女性の視線によって
描かれるが、チーム女子というものには男の視線だけでなく、女性同士による肯定がある。
・マンガの描かれ方としてBLのように「性描写」が始めはあったが、それはやがて性よりも感情の機微を書くようになり、
そしてそれはさらに日常系に到達する 「プレレズビアン系」としての『ゆるゆり』など
・これまでの日本人は上昇志向であったのだが、ある程度成長の限界が見えてきて、作品にも上昇志向のベクトルをもったもの
ではなく、平常的なベクトルを作品に求めるようになり。それはつまり、「なんでもない日常の輝き」の凝縮で、それのさいたるものが、「けいおん」
ここまでで7/20です