>>507 「・・・・・・」
その両眼、あの、にやにやと笑うような、それでいてその奥で牙をといでいたような、
その瞳は、すでにない。本来眼が納まるべきその二つの窪みにはステンレスのハサミが突き刺さっていた。
半開きになったハサミの刃が、左右に広がり、その両眼に。
ほとんど根元まで食い込んでいて、その刃先が眼奥どころか恐らくは脳髄部分に達していることは確実だった。
それだけでも生きていないと解かるのに、しかしそれだけではない。
まずは口。
だらしなく開かれた、何の生命の息吹も感じられないくらいにだらしなく開かれた口内には、
無骨としか表現の仕様がないナイフが、今、僕の胸に突き刺さるナイフなど玩具に見えるくらいの無骨なナイフが突き刺さっている。
眼球に対するハサミと同様に突き刺さっていて、それは喉を貫いて背後の壁にまで達している。
そのナイフこそ、兎吊木垓輔を磔にしている楔(くさび)だった。
そして胸。
心臓手術でも受けたかのように、筋肉も胸骨も切り開かれている。
そこから、人間の中身が露出している。思わず目を背けたくなるような、そんな風景がその隙間からは覗いていた。
人間が肉と血の塊であることを思い知らされているような、
生々しいものが詰め込まれただけの皮袋であることを思い知らされる。
腹。
心臓部からの傷が、臍(へそ)の辺りにまで続いている。
ゆえに、窮屈な皮袋から解放された内臓器官が消化器官が、そこから零れ落ちていた。
どろどろと。ずるずると。
薄黒い肉の管が自己主張しているかのようにはみ出して。
強烈な匂いが離れたここまで届いてくる。少なくともこんなものを見てしまえば野菜嫌いの子供だって、
しばらくの間は肉なんて食えないことだろう。
レバーなんてもっての外(ほか)だ。恐怖よりも嫌悪感の方が先に立つ。
両の脚。
元の形がどうだったのか解からないくらいに、べきべきにへし折られている。
あちこちから骨がはみ出していてとても正規に堪えない。
被害はそれだけに留まらず、口内に打たれた楔同様、その大腿部に、それぞれ一本ずつ、太いナイフが穿たれている。
太ももの真ん中辺り。つまりあれは肉を裂いているだけでなく、骨まで砕いている。
口内の一本、左右の脚に二本のその楔。
ゆえに兎吊木の身体は宙に浮いている形になっていた。
磔。
血塗れの兎吊木垓輔
そして何より『それ』を奇々怪々めかしていることに。
その肉体には両腕がなかった。何かにもぎ取られたかのように、肩から先の部分が欠落していた。
それがかつて兎吊木垓輔と呼ばれていたものを更にアンバランスにアンビバレンスに、そして不自然に魅せていて、
だらりと垂れ下がった白衣の袖がますます不気味さを喚起する。
滅茶苦茶だった。本当に滅茶苦茶だった。
残酷だとか非人道だとかいう以前に、この行動の、この情景の意味が解からない。
解体(ばらばら)死体の方がまだ得心いく。
人一人の肉体をこうまで破壊し、破壊し、そして破壊する行為に、一体どういう意味があるというのか。
磔。
部屋中の床が真っ赤に染まっていた。妹の血だ。
既に一部は乾き始めていて、酸化によってどす黒く変色を始めている。
兎吊木の体内にあった血液が全て零れ出したのではというくらいの惨状だった。