2で感動できる人は大抵の「泣ける映画」と言われる作品で泣ける人なのだろうな。決して煽りではなく。
普通(俺が”一般的(普通)”と思う価値観)なら、2の各演出のダメさや、物理的な位置の不一致、
言動・行動が一致しない人物や、巻き過ぎのストーリーにうんざりし、ラストが決まっているにも
関わらず「監督以外理解不能な空間・現象」でヒロインが消えるなどの、おざなりすぎる構成に
感動も糞も感じられたものではなかったと思う。
(これはこのスレに批判的な意見が多かった事で、俺の思い込みでは無い事がある程度は肯定できると思う)
2はトップに泥を塗っただけではなく、1と直接繋がっているためにトップ1のラストの感動(語られずとも人々が想像した光景)
を”公式”の名の下に粉砕し、否応にも【ノリコとカズミが帰る間にあったのはこんな話です】と押し付けてしまった。
ある者はユングを通じて二人へのメッセージが一万年以上を経て伝わったと思ったかも知れない。
又ある者は、ユングが冷凍睡眠を経て一万年以上、まさに”時を越えて”二人を待っていたと思ったかもしれない。
しかし2が完結した今、全ての夢ある仮説は全て「ありえない話」になった。
人類は二人を待っていなかったのだ。
覚えてさえもいなかったのだ。
そして一歩間違えれば帰る地球すら無くなっていた・・・
二人の存在を知っていたのはこの宇宙でただ一体、「記憶」ではなく「記録」情報を生まれながらに持たされたBM7号だけ・・・
(時を越えた想いの繋がりを信じていた我々(トップ1視聴者)に対して、これはもう冒涜とも言える演出だろう)
そして最終的にはそのBM7号、ノノから一万二千年後の人間であるラルクに伝わった。そしてラルクは二人を待つ。
だがそれのどこが感動なのか?ノノが乗り移ったかのように興奮するラルクの心境の変化は何なのか?
ノノの憧れた人はお前の憧れの人じゃない。お前が待つべき者は、待ち続けるべき者は”ノノ”ではないのか?
俺はどこで感動すれば良かったのかが全然分からなかった。ただ怒りだけが沸々と沸き上がってきた。