エウレカセブンは最低視聴率0.7%の糞アニメ 69
総合テンプレ(1)
Attention Please !
交響詩篇エウレカセブンをこれから楽しまれる方々へ
このアニメは物語として楽しむには不適切である。
登場人物の心理描写がことごとく不自然であるからだ。
視聴者は感情移入や共感によって登場人物の視点から世界を見ていくので、
それらが不自然な行動を取れば白けることはおわかりだろう。
制作者は奇をてらっているつもりなのだろうが、登場人物に奇怪な行動を取らせる場面が散見されるので注意が必要だ。
これは、人物達に裏打ちされた「行動原理」が無いのが原因である。
行動原理が無いことが災いし、設定そのものをまるで白痴のようにべらべらとバラすような現象まで頻繁に起こっている。
このアニメを観れば、登場人物達が人工無能であるかのように感じるだろう。
登場人物がまるで多重人格者のようだという指摘も、これを象徴したものだ。
行動原理が無いので、人物達が支離滅裂な言動を繰り返すのだ。
テーマが「ボーイミーツガール」であることを考えれば、これほど痛い欠陥はない。
また、設定説明のたびに新単語、新概念が増えていき、風呂敷を広げ続けることによって逐一理解を阻害されるので、
次第に興味すら失せていくこと請け合いである。
このアニメは随所にちりばめられた素材そのものをただ見る作品である。
物語部としては完全に失敗作なのだ。
以上に注意されたし。
※人工無能
人間らしい会話ができるようにみせかけた思考能力のないコンピュータプログラムのこと。
総合テンプレ(2)…番組の前半総括
交響詩篇エウレカセブン。このアニメはとにかく視聴者を無視したアニメだ。
一切説明されない世界と設定、一向に分からない登場人物の目的、
序盤での余暇のような話の連続、と視聴意欲を削ぐ構成が満載である。
まず物語全体の目的・目標が見えないから続きが気にならない。
かといって一話ごとに必ず盛り上がりがあるというわけでもない。
視聴者を物語の流れに乗せる前の段階で登場人物を遊ばせるだけの話を、
しかも魅力的・好意的ではない描き方でやるのでかなり興味が失せる。
登場人物の行動原理が分からないので根本的には彼らがなぜそこにいるのかも分からず、
それまでの話を忘れてしまえ、一話ごとにバラバラな見方をせざるを得ない。
設定を説明しない上に、それらを表す作中用語をなんとか意味が合致する程度の
引用されたもので固めているので分かり難く、見ていて疑問符が浮きまくる。
話の上での謎がそれ以上に不明な背景に埋没してしまっている。
精神世界や、含んだ所のある会話などの演出は独り善がりで不親切なだけだ。
ストレスが溜まる言動や描写が多く、それに見合うカタルシスは提供されない。
──と、ここまでやられると製作者の頭から視聴者の存在が抜けているとしか思えない。
こういった見ている人間を無視した姿勢からは製作者の二次創作根性がうかがえる。
序盤から一般視聴者ではなくファンでなければ耐えられないような構成を組むのは
既に成功して熱狂的なファンがいる大作であるかのようだし、
背景や設定をアニメ本編で説明しないのはまるでアニメ自体が
プロジェクトエウレカという一大プロジェクトの二次創作であるかのようだ。
固有名詞・サブタイトル・用語などの過剰な引用は意味をなさないどころか邪魔でしかない。
子供の妄想と同じレベルで思いつきだけで登場人物を増やしているので
結果多くの者が出番もロクにないまま放置されている。
このアニメを作っている人間はまずその二次創作根性を改め、
過去の大作も一大プロジェクト・プロジェクトエウレカも忘れ、
一から視聴者の心を掴もうとしてもらいたい。
こちらを楽しませようとしていないものを楽しめるほど、視聴者は娯楽に餓えていないのだ。
総合テンプレ(3)…終盤に差し掛かって
交響詩篇エウレカセブン
この作品は後半になっても、前半に指摘されたことが改善することはなかった。
話数ごとにつながらないストーリー展開、脚本のご都合で変わる主人公の人格。
確かに前回指摘された世界観が説明される回はあったが、
30話前後と話も半ばに差し掛かっている所で、且つ冒頭の歌を飛ばした数分程度のモノ。
何故もっと前半で説明がなされなかったのか理解に苦しむ。
また話の中に散りばめられている多くの謎も流れの中で明かされるのではなく、
誰かが淡々と語って視聴者に明かすという何とも味気ないもの。
別の謎を明かす時も、また新たな専門用語を多用し、話をうまく誤魔化した気になっているようだが、
視聴者により解りやすくしようという意図が全く感じられない。
むしろ見ている視聴者に不快感を与えるモノになってしまっている。
さらに、残り数話という段階で、未だに解決されない謎も多数あり、
果たして全て解決するのか疑問を感じる。
キャラの行動に至っては脚本家が自分の思い描いたモノを造り出す為に、
キャラを活かすどころか歪めている。
最近では、一番体格の良い主人公が重いと言っていた銃を軽々と持ち上げる小さな少年。
人を殺して罪悪感で自分のいた所を飛び出した主人公が、人を殺している人に好意を抱く。
銃を人を殺すために使っていた人を神格化し、自分に都合よく考える主人公。
散々仲間を殺されたというのに、その仲間を殺した武装集団の出している雑誌に興味を持つ軍関係者。
など数をあげればキリがないと思われる。
(また新兵器登場の際も、それを匂わせる前振りなどは一切無く、いきなりそれを使って戦っている。)
果たしてこの作品が、監督たちが当初言っていた「ガンダムとエヴァを超える」作品と成り得るのだろうか?
総合テンプレ(4)…終盤に差し掛かって〔承前〕
「他者」(コーラリアン)との対話、交流はこの作品の中心テーマであったはずだが、
成果がなかった。ボーイミーツガールなんて口当たりの良い設定とだぶらせようとした
姑息さが失敗の原因だ。監督は、「他者」を、「他者」との対話を甘く見ている。
視聴者の「他者」性すら踏まえきれていない。
(メタテーマとして、ポストモダン的に引用の織物としてアニメを作る、もあったが
それは成功しているのか?)
志は高かったが、思想も作劇術も入り口で止まっているし、十分な準備期間を持たなかったことが
ありありと分かる。スタッフの力量が十分認められるだけに残念な結果になってしまった。
眼高手低。アマチュアにありがちな失敗をプロが・・・。納得できないのはそこだ。
総合テンプレ(5)…最終回を終わっての総括
交響詩篇エウレカセブン、この作品が【駄作】であることはもはや言うまでもない。
脚本家が己のしたい演出状況を描きたいばかりに、主人公の発言と言動が
全く噛みあわず、それが全ての脚本家に言える。
設定にしても、ある用語に対し、脚本家が話し合い無しに独自解釈を行い、
ストーリーを書いているせいで、一貫性がみられず、話をぼかしてしまい、
結局視聴者の独自観点に委ねなければならない状況に至っている。
そればかりか、〜あるという事象に対し、何故そうなるのかの理由付け、本質を
練り込まず、ただ〜があるということだけストーリーの中で浮いていることが多々ある。
演出も既存の作品を模倣しているとしか思えない物が多々あり、
そのまま話の中に組み込みんでいる。最終回にいたってはそれが顕著であった。
話を盛り上げる伏線も、はることならどんな人でも可能である。
それを上手く処理するのがプロなはずなのだが、完全に放置。
回収した気になっている伏線すら描写・脚本が希薄であるため、視聴者を不快にしている。
さらに、ストーリー上今まで一切触れなかったことで、突然ストーリーを展開させるなど
プロとしてやってはいけないことを全て犯している。
主人公の成長のキーワードであろう「ねだるな、勝ち取れ、さすればあたえられん」すら
活かされないまま、主人公が目の前の困難に対し懇願して解決していくという状態。
「ねだって、勝ち取れ、必ず与えられる」の方が正確なさえ気がする。
ロボットアクションにいたっては50話通してほとんど無い。商業目的のため、
しょうがなくロボットを出してみた程度の物。むしろ無いくらいが清々しい。
ストーリーの本質であろう【共生】ということも本質的な解決法を見出さず、まさにノリとグルーヴで逃亡。
もう呆れて何も言えない。結局の所【にわかラヴロマンス】でもやりたかっただろうが、
この散々たる構成・演出は、それにすら嫌悪感を覚える。
作品として監督・スタッフ一同がこの作品に対し、愛着をもっていたのかはなはだ疑問である。
吉田健一×安彦良和 (1)
(中略)
安:実は今日のためにエウレカを見て、「どうしようかな、俺生意気なこと言いそうだな」とも思ったりも
したんだけど、吉田さんだっていうこと出てきたんですよ。(中略)で、エウレカでは総作監を?
吉:いちおうメインアニメーターという名前で、全カット自分のところを通してもらっています。
安:そうすると全話なんらかの形で手は加えているわけだ。第1話は作監?
吉:第1話は作監です。1話に関してはレイアウトから原画まで、かなりのところまで手を入れてました。
安:第1話は、作画はすばらしかったと思うよ。2話以降の演出はもっぱら「?」なんだけれど。
作画については第2話以降もね、第1話が非常にいいから多少落ちて見えるけれど、
じつにナイーブな感じで「よく維持なさっているな」という感じが強いですね。
(中略)
安:あの、最初に演出の話をしたんだけれど、察するに、演出とあなたとの間に軋轢があるんじゃないの?
吉:え!正直、僕自身も安彦さんにそこを突っ込まれるとは思わなかったです。軋轢というか・・・。
たとえばエウレカなんかも監督と話をして合意してもまたズレてくるんですよね。その辺の齟齬は、
べつの人間だから当然なんですけれど、なかなかキャラクターをつくることと、自分の妄想を働かせることと、
ドラマを考えていくこととの間でずいぶん引き裂かれている感じがするんです。
だから時に「ちょっと違うんじゃない?」という気分に陥るときもあるんですよ。
安:第1話から順番に見ていって、第6話で「うーん、もういいな」って思ったって感じになったのね。
それは率直にいって演出に対してなんですよ。こういう話をムック本に載せてどうかという気もあるんだけれど、
どうせだから率直に拾っていただけると、いいなと。いろんな意見が出ているんでしょ?
吉:あると思います。
安:はっきり言ってしまうと、監督さんが何をおやりになりたいかわからないんですよね。
監督さんは若い方のようだけれど、主体的にものをおつくりになる立場がおありなのだったら、
監督さんが未熟なんだとしかいいようがない。
吉:・・・はい。
吉田健一×安彦良和 (2)
安:アニメってずっと「子供がみるんだからわかりやすく」ということもあって、ディティールはどうでもいいって
いうことでやっていたんだけれど、それがそこにだんだんと趣味が持ち込まれるようになったわけですよ。
(中略)ところがガンダムやエヴァンゲリオンの影響を受けた”子供”の作品になるとディティールから入るのが
当たり前になってしまって非常に瑣末になっていくんだけれど、全体が見えないっていう、そういう傾向が今強い
ように見えるんですね。それは趣味性のもたらした弊害ですよ。だから第6話まで進んでも、枝葉にばかり
興味があるから、なにをしようとしているか見えないんですよ。僕が言いたいのは、若いうちから変化球ばかり
投げるな、っていうそれに尽きるんです。「もっとストレートを投げろよ」っていう。エウレカというヒロインの名前が
タイトルなら、 もっと演出がエウレカに惚れ込んで作れば、そのタイトル通りの作品になると思うんだけれどね。
吉:もちろん僕も参加しているわけですから、自分にも責任はあると思うんです。でもたとえば軍隊があって、
主人公のレントンは「ここでまともに生きていくためには軍に入るしかない」ってことを言っている。
じゃあ、そこで軍がどんな存在か描けているか。僕が描きたいのはそこなんですけれど、だからこそ、
僕自身が「出てこないじゃないか」とちゃんと指摘してきたか?と反省があるんです。
アニメーターとして監督と話し合いながら、かつ自分が描くに値すると思う世界を作品に投入したいときに、
どいういうスタンスでいればいいか、実は今は本当に迷いながらやっているというのが正直なところです。
安:演出って、ごく一部の演出家を除いてダメなんですよ。だからアニメーターがしっかりしないと。
僕がガンダムの時に作画監督とかではなくアニメーションディレクターって名乗ったのは、
演出でも何でも文句を言うよ、というつもりだったんですよ。コンテにも文句を言ったりしたし。
だからそう思うならば、絵描きの側から演出にもっと強いサジェスチョンを与えていいんだと思う。
だから「うるさいアニメーター」になるのが一番いいんじゃないですかね。
吉:ああ、そう言っていただけると、心強いです。