リアルタイム時、7話で国崎が「友達呼ぶか?」の直後に「俺、町を出ようと思うんだ」と支離滅裂な
発言をしたことに違和感を覚えつつも、まだこの時点でのアンチレスはしなかった。
それまで以上にダイジェストだった夏編も、もどかしさは感じたものの全てはAIR編のためと無理に
納得し、やはりアンチレスはしなかった。
しかし9話のラスト、そらの声がそのまま国崎だったことに一抹の不安を覚え、ついに今後のAIR編に
ついての展開(そらの覚醒)に対する疑問を本スレに投げかけてしまった…。
それはそれは叩かれた。「よーい、どん」や観鈴の声が変化する演出で大盛り上がりだった当時
(今思えば、それらの演出もどうかと)、そうした疑問や不安は、ただの異分子だったのだ。
「本当にあれで問題ないのか?」「俺の感性の方がおかしいのか?」…。
圧倒的といえるマンセーレスを前に、俺は自分が信じられなくなり、たじろいだ。
しかし、悪いことにその危惧は、現実のものとなった。それも俺の想像を遥かに凌駕する形で。
そらの声が国崎と同じなどということは、その後襲来する「キラキラクルクル」「晴ミ」「NHK」といった大波の
前では、それこそ一抹の泡に過ぎなかった。
「あれらを見てさえTV版マンセーは揺るがないのか?」大きな不安の中に僅かな希望の灯を点しながら
俺は情勢を見守った…。
良かった、本当に良かった。流石は鍵っ子、あんなものを認められないという人々は少なくなかった。
小さかったアンチの流れは時と共に勢力を増し、上述の各演出は、今では信者すらフォローできない
致命的な欠陥と見なされるようになった。
今ならなんの躊躇もなくはっきりと言える、「TV版は糞だった」と。そして、みんなありがとう。