マターリ逝こうよ永久の世界へ シスプリ32

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〜公明党〜

文化芸術で国興す発想 社会全体で支援する流れに
 ではなぜ、ルーズベルト大統領は未曾有(みぞう)の不況の中で、文化芸術の振興にこれほど力を注いだのか。
 出口氏は、その理由として当時の政権が、文化芸術の持つ公共性を高く評価していた点を挙げる。道路や橋が一度造られれば長い年月にわたって、多くの人や車の通行に利用されるように、1つの戯曲(ぎきょく)、1つの楽曲も、名作であれば時を超えて上演、演奏が繰り返される。そこには経済的観点から見ても大きな波及効果が生じる。
「たとえばピラミッドは、観光資源として長い間活用されている。初期投資に対して、そこから得られる利益は極めて大きなものがある。シェークスピアの戯曲は、発表から400年経た今も、世界中で多大な経済効果をもたらしている」。ルーズベルト政権でも、そうした文化芸術の持つ公共性に対する強い認識があったと分析する。
 さらに、ニューディールで実施されたどのプロジェクトでも、単に失業者となった芸術家を雇用するだけではなく、その一環として国民への教育プログラムを実施していたことにも着目。出口氏は論文の中で、「そこには人が国をつくるという基本的な発想が見られる。大恐慌の最中に、まさに芸術によって国を興(おこ)そうという発想が散見された」と述べている。
 ニューディール政策での思いきった振興政策によって、アメリカの文化芸術活動は各分野とも大きく花を咲かせていく。ヨーロッパからも優秀な若い芸術家が数多くアメリカに移り、活動の拠点を築いた。
 当時、芸術の中心はパリといわれていたが、戦乱で破壊されたパリにかわって、第2次世界大戦後はニューヨークが世界の中心の座につく。創始期の未熟な段階にあった映画界も、後に西海岸のハリウッドを中心に巨大産業へと発展を遂(と)げた。
 また、35年には歳入法で個人や法人に寄付金の税控除(こうじょ)を導入。これを機に、国民の間に文化芸術を積極的に支援する機運が生まれた。
 現在では個人や民間企業から年間約1兆円以上の寄付が文化芸術団体に寄せられ、活動を支える柱となっている。現在の文化芸術大国・アメリカの礎(いしずえ)は、まさに大恐慌時に敢行された多様な文化芸術振興政策によって築かれたのだ。