ストレンジドーン

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663名無しさん@お腹いっぱい。
>>621
現実世界の「リアル」をもって異世界に対峙しようとする二人が、とりあえず一回コテンコテンに
その方法論を否定されるだろう、というのには同意。
ただ、恐らく佐藤順一は、世界を拒むというユコの在り方よりも、従来のアニメの「文法」に於いては
是とされる、エリの在り方を否定する方に重点を置こうとしているのではないか?

ユコの否定は容易い。実際、視聴者は視点人物としてはエリを選ぶ(彼女に感情移入して見る)者が、
圧倒的に多数だろう。ユコは、629の言葉を借りるならば「傲慢」な「問題児」と捉えられても仕方がない。
対してエリは、あたかもこの物語の主人公のように見える。放り込まれた世界を現実として受け入れ、
小人達とコミュニケーションを取ろうとし、あまつさえ、小人同士の恋愛にまで気を使って
みせる…それは「前向き」な主人公の行動に見える。ここまでのストーリーを見るならば、
彼女の真摯な姿勢に対して、ユコが心を開いていくという形で、二人のコミュニケーションが
形成されていくのではないかとも予想できる。

だが、本当にそうだろうか?

「佐藤順一」というキーワードから観るならば、エリとユコは、「物語的なお約束による
関係性の保護」を、あらかじめ全て奪われた、沢野口沙絵と中富七香だ。ひたむき・一所懸命で
ある(ように見える)ことが、最終的に全ての困難を克服する----そこに物語的な偶然が入り
込むにせよ----という沙絵の「特権」をエリが持たないならば、それ無くして二人が濃密な関係性を
構築せねばならないのならば、ユコのそれと等しく、エリの「世界に向かって立つスタンス」もまた、
強力に否定されるべきものなのではないか。

従って、エリはこの物語の中にあって、決して「まとも」ではないことがやがて示されるのでは
ないか。言い換えるならば、対世界における彼女のある種の欺瞞性がクローズアップされ、それが
この世界に受け入れられない、という描写が、フィーチャーされる形で描かれるのではないか、と私は思う。