ストレンジドーン

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ちゃんと「見えている」者には言わずもがなのことを確認しておく。ついでに言っておくと
これは主観の押しつけではない。表明だ。

本作のテーマの真ん真ん中に据えられているのは「ディスコミュニケーションの超克」ないしは
「そこからの回復」だろう。従って、描写のプライオリティは、ユコとエリが異世界で
どのような冒険をするか、にはない。一種の極限的な状況に放り込まれた二人が、
現実の(我々のいる)世界では向き合わずともなんとかなっていた、
「他人との全人格的なコミュニケーション」を、否応なしに取らざるを得なくなっていく、
そのプロセスこそが高い優先度をもって描かれるべきものである筈だ。
「奇妙な黎明」という作品タイトルは、二人が、とにもかくにもその端緒には
たどり着くであろうことを示しているのだろう。

エリとユコは、1枚のカードの裏と表だ。エリは自分を取り巻く世界に、とりあえず
薄っぺらい「友好性」を振りまく(外で小便をするのが気持ちいいなどと、やくたいもない
ことをわざわざ言うのはその表れだ)ことで、
ユコは逆に世界を拒絶し「自分のいる場所はここではない」と
全身で宣言する(実際、異世界に来ているのだからそうなのだが)ことで、
かろうじて自我を守っている。二人は裏と表、極北と極南であるだけに、本来であれば
互いを容認することは決して出来ないだろう。

だが、現実であるならば、ある種の「処世術」として有効性を持ち得たかもしれない二人の
「世界との接し方」も、周りが戦争している3頭身の小人ワールドという状況では、世界に許して
もらえるはずもない。二人は、生き延びていく為に、この世界で唯一の「自分と同種の存在」に
対して、胸襟を開く…といえば聞こえは良いが、要するに通り一遍ではない、濃密かつ全人格的
かつ相互依存的な関係性を構築せざるを得なくなるだろう。それは、二人が両極端な存在で
あるが故に、互いへの否定と攻撃によって始められるのが当然だ。

…というあたりまでが、放映分のまとめということになろうか。