>>199 つっとこちらに近づいて、「よう」と言った。
胸の子に気づき、「奴の子か」と聞く。
なんと返事をしてみようもないのでこたえあぐねていたら、肯定と受け取ったらしい。
「お前さんもずいぶんと趣味が変わったモンだなぁ」と、小馬鹿にしたように言う。その言いぐさにカチンと来たので、
「貴様に言えたことか」と言えば「・・・ちげえねえ」と笑った。
そして、ふと思い出したように言った。
「ガキ産んだ割に、その姿とは、がせだったようだな。」
「解毒剤も持っているのだが、この子に乳もやらねばならぬのでな」
「・・・へえ」
高杉の気配を感じてか、子供がもぞもぞと動くので、奴もそれに注意をやる。
親子というのは、やはり見えぬ絆があるのだろうか。
「男か?名前は・・・」
「松に助けると書いて・・・・松之助(しょうのすけ)だ」
「けったいな名前付けやがって・・・銀太郎とかで十分だろうによ」顔は笑っているのに。
安穏な空気が漂う。一種殺気のようなものを奴から感じる。
つ・・・と、また一歩高杉が静かに近寄ってきた。間合いを計っているかのように。
「そういや、お前さんにはでけえ貸しがあったっけなァ」
完全に奴の間合いに入った。
思わず、腰巻きの短刀を確かめる。奴の渡した刀だ。貴様はこの子供ごと、斬るつもりなのか。自分の子とは気づかずに?
いや、気づいた上で、邪魔な存在を消すつもりか?どちらにせよ、貴様はきっと知らずに殺したことにするのだろうな。それならそれで。
「貸しなど元からない」
「そうかい」
「それに、この子の名前とておかしくなかろう。縁の者から一文字づつ頂いたのだからな」
どうする?高杉。これで言い逃れは出来まいよ。
お前が今消そうとしている命は、間違いなくお前の血を引く者なのだ。
とたん、高杉の殺気が嘘のように消え、変わりに驚きと、とまどいを感じた。
「お前は・・・」すたすたと近寄って、子供の顔をみやる。
「しけた面してやがる」
「まだ生まれて三ヶ月だからな。お前とてこんなものだったのだぞ。今では見る影もないが」
驚いたことに、そっと高杉が息子の頭をなでた。その様子が妙にしっくりいっているようでもあり、たどたどしいようでもあり、見ているこっちが気恥ずかしいような、
何とも表現しがたい感情におそわれる。きっと端から見たら、ただの夫婦に見えたことだろう。
ふと、高杉と目があった。
・・・こいつは、こんな顔をする男だっただろうか。
なんて目をするんだ。
その隻眼に、何か亡くした大切なものでも写すかのように俺を見る。切ない。一言で言えばそうだが、もっともっと複雑な何かが混在している。
胸の奥に、忘れていた熱いものがこみ上げてくるのを感じる。
---ああ、何で貴様はいつもそうなんだ。
大事なところで、いつも、裏切られる。
嫌な男のままでいてくれればいいのに。嫌いな奴のままでいてくれればどんなにか。
そっと、抱き寄せられた。
結い上げていて見えている項に唇が押し当てられたのが分かる。
ちりっと、鋭い痛みがした。・・・こいつの行動はおおよそ理解できない。
文句を言おうかと思ったそのとき、奴が耳元で、本当に小さくささやいた。
「大事にしてやってくれ」
それだけ言うと、俺の顔も見ずに、くるりときびすを返して歩き出した。呼び止めようと思ったが、ここで高杉の名を出すのもどうか。
逡巡ののち、「おい、待て!」と声をかけた。
顔だけ半分振り返った奴の、顔はいつもの憎たらしい顔で。
「今日のお前は、・・・存外悪くはない」
なんと言ってみようもなかった。
最後に、奴がいつものように、ニヤリと嗤ったのがかすかに見えた。
そうこうしているうちに、半年が過ぎ、そろそろ男に戻ろうか・・・と桂が思い始めたとき、また事件が起きた。
・ ・・まさか・・・
今度は、こっそりと自分一人で病院に行ってみる。
結果、
「おめでとうございます」と言われた。
めでたくなーーーーーーい!!!・・・わけでもないけど、手放しで喜べない!
帰って、新婚よろしく神妙な面持ちで銀時に言った。
「話がある」
苺牛乳を注ぎながら、こっちを見もせずに銀時が応える。
「なんだよ」
「・・・子供が、できた」一呼吸置いて、言った。これではまるで。(本当の夫婦みたいだ)
銀時を見れば、牛乳がテーブルの下まで垂れている。注ぎすぎだ!
「え?・・・何?」
「だから、子供が出来たのだ」
「は!!!???俺の???!!!!マジで・・・・・・!!!!」
うわ??????と銀時は頭を抱えてのけぞった。そのため、表情が分からない。
「どうする?」
「え?いや、どうするって何???産んでどっちが育てるかって事?それとも、なんて名前にするかとかそう言う相談???」
「いや・・・産むか産まないか」
その瞬間。
ダン!!と銀時が机を拳で叩く。
「どういう意味?」
「・・・もう一年、男に戻るのが遅れる・・・」
「だから、その子を犠牲にするってのか??」
本当に怒っている銀時の目を見るのは久しぶりだ。どうにもつらい。
「男に戻りたいから、殺すのか?!」
「そう言う意味ではない」
「じゃあなんだ!あいつの子は産めても俺の子は産めないってか?!」
何でそんなつまらないことを言うんだ。
「ただ、これ以上は迷惑になるかと思ってだな」
「もういいよ」
銀時が近づいてきた。殴られるかもしれない。さっと桂は身構えた。だが、
次に銀時が言った言葉は。
「迷惑じゃないから、産んで欲しい・・・」
・・・懇願だった。じっと桂の顔を見て言った。
!!!!!!
この男、こんな事を言うような男だったのか???!!!
あまりの衝撃に何も言えないし、何も出来ない。
女になったら、物事が違うように見えると言ったが、本当にそれは嘘ではない。
子供の頃から知っていて、
喜怒哀楽も知っていて、
戦い方も、性格も知っている。
友として過ごした時間は長い。
それなのに。
男としてのあいつらのこと、初めて知った。・・・それはそうだ。
ああ、きっと自分だってあいつら相手に見せたことのない自分がいただろう。当然だ。
いままでの幼なじみの、知らなかった面を知ることで、より深く理解できた気もしたし、
大切な何かを失った気もした。
こうして、長かった月子生活が終わり、“今までの生活”が戻るのはそれから一年後のこと。
いろいろあって、月子がいなくなった後に、銀時の評判が堕ちることは(それほど)なかった。
3.5名前のない感情
(桂視点)
その日の夜、風呂を借りに高杉の部屋へ行くのが、何だか億劫で仕方なかった。かといって、行かなければ入りあぐねてしまうし・・・と、
葛藤の後、高杉の私室のドアを開けた。そこには、主の姿はなくて、ほっとする。そして、机の上に置いてある紅い簪を見つけて、また安堵した。
やはり高杉が持っていたらしい。贈り主を聞いてきたのは自分のくせに、銀時にもらった、と言ったことが気に障ったのか、朝起きると何処にもなかった。
お陰で、今日は髪が結えずに結んでいた。
主が戻ってくる前に風呂に入ってしまおうと、そそくさと風呂場に向かう。
そこにある、小さな鏡には既に見慣れた女の身体と、見慣れぬ紅斑が写っている。
まさか、こんな事になるとは・・・と、ため息をつきながら、身体を洗い流した。
突然、自分に押し入ってきてかき回し、嵐のように通り過ぎた奴のことを思い出す。訳の分からない奴だ。ほんとに。
昨日、あいつのしたことの目的が測りかねる。俺の言ったことにかっとなったことが発端であろうが、だからといって殴る蹴るの暴力ならいざ知らず、
まさかこんな暴力をする奴だとは正直思っていなかった。
風呂から出ると、いなかったはずの主が戻ってきており、いつもその部屋でそうしているように窓枠に半分腰掛けた姿勢で煙管をくゆらせている。
無意識に乱れてもいない襟を正した。
「そんな、おびえんなよ」クク、と、高杉がこちらを見もせずに笑うのが分かる。反射的に、「怯えてなどいない」と言い返していた。
「そうかい。昨日は随分ふるえていたみたいだったが」
「武者震いという奴だ。貴様相手に俺が怯えるわけがなかろう」
「そうだったな、痛くも痒くもねえんだろ」と、いつになく饒舌な風情に苛立つ。
「お前の考えていることは、昔からわからん。俺は貴様のそう言うところが嫌いだ」
と言えば、
「嫌いな男に」と何か言いかけて、また煙管を吸い始めた。気にはなったが、その場から立ち去りたいと思う方が強かった。
部屋を出て行こうとすると、珍しく呼び止める声がある。「何で責めねぇんだ?」と言った。
回りくどい言い方はこの男の特徴だと思うが、言いよどむのは珍しいことだ。この男なりに、罪悪感を感じているのかもしれない。
「きにしていないと言ったろう。昨日のこと、俺は別に怒っていない。ただ、不思議に思っていただけだ」
振り向いたとき、今日初めて高杉と目があった。