>>142 そして、その日の営業、お開き・・・って感じになった頃、
将軍が、「手を握っても良いだろうか?」と、ひどくまじめな顔で月子に聞いた。通常、お触り禁止だ。スナックだし。
でも、このときの将軍の顔が酷く真剣だったからか、今までのやり取りで好意を持っていたのか、不思議そうな顔をしながらも、月子はうなずいた。
すると、将軍は両手でその手を握り、その手を自分の胸に当てた。そして、頬を赤らめ、嬉しそうな顔をした後、また、ひどくまじめな目をして、言った。
「私の御台所になってもらえないだろうか?大奥へあがってほしい」 と・・・・
「は・・・」
その場にいた、一同、皆凍り付いた。
さて、その場ではてんぱった月子が、どうにも無理だと言っていたが、
将軍もさすがはというか、がんとして「返事は待つので考えてくれ」と言って聞かなかった。
そのため、返事は保留にされてしまったのだ。
そこから、桂はさすがに焦りを見せ始めた。「だから、早く貴様が元に戻す方法を見つけないから!!!」とどなり始めた。
「なんで??もういいんじゃね??の。将軍の子供を産めば直るんだし、玉の輿だし、一石二鳥じゃん」などと軽くあしらえば、
さらに怒り狂って「そんなこと、できるわけなかろう!!」ああああ??????と絶叫、悶絶。
そんな桂を横目に、どうしたもんか・・・と銀時もまじめに考えていた。
後から考えれば、危険な奴がいたのを俺は忘れていた。と、銀時は後悔することになる。
3.獣たちと過ごす日々
将軍からの使いに、「もう少しまて」だのと何度か桂が伝えたころ、買い物に一人で行ったときにふいに後ろから声をかけられた。
気づかなかったのは、常に将軍のことに費え考えていたことと、女の身体になって、感覚が鈍ってしまったからかもしれない。
ふと、振り向くと、ヘッドフォンをした男がいた。放つ気がただものではない。そうとうの手練れのようだ。
「もし、そこの美しいお方。拙者と遊びませんか」
そう話すやいなや、・・・身構えるより早く、いきなり桂のみぞおちにパンチを食らわせた。桂の記憶はそこでとぎれた。
目を覚ませたとき、そこは見慣れぬ和室だった。
「気が付きましたか?手荒なことをして住みませんね、月子さん」表情のない声がかかる。それは、武市だった。
「はあん。こいつっすか、将軍のごひいきってのは。まあ、キレイだけど、私の方が若いっす!」偉く高飛車な態度でいう、この女は、来島・・・
ということは、ということは・・・桂の脳裏に、嫌な影がよぎった。
「随分、べっぴんになったモンだなあ、ヅラァ」
フーと煙を吐きながら言った、その言葉の主は・・・ 「高杉!」
しかも、自分の本性まで知っている。恐るべき諜報能力。
「ヅラじゃない・・・和田 月子だ」
「へえ・・・そういや、お前、旧姓は和田だったか・・・なるほど、昔に戻ったと言うことか」クク・・・といやな笑いを浮かべた。
鬼兵隊の計画はこうだ。
将軍の婚約者(?)を幕府は血眼になって探すだろう。
鬼兵隊は、月子を盾に身代金を要求する。そして、将軍自らに取引に来させ、将軍もろとも消してしまおうということだ。
もちろん、桂は犠牲になるだろうが、そんなことは高杉の知ったことではない。
大事な人質である、三食昼寝付き、何の不自由もない暮らしを桂は堪能していた。
というのも、高杉は桂に、「男だけでなく、女の姿でも追われる身とは根っからの犯罪者じゃねえか。」と皮肉った上で、
「ここなら、幕府も追っては来ない。将軍のほとぼりが冷めるまでいていいぜ」と申し出をした。
とってつけたような高杉の物言いに、桂は「何を考えている?」と怪しんだが、高杉はいつものいやな嗤いを浮かべながら、
「ただ、将軍の恋路の邪魔をしたいのさ」 と言った。
何処まで本気か分からないし、次にあったら斬ろうと思っていた相手だが、このままこいつらが何か企んでいるのであればそれを探って阻止することも、
今の自分にできる精一杯のつとめの気がした。
将軍の命を狙っていることも、その為に自分を駒にしようとしていることも容易に想像が付いたからだ。
ここで騒ぐのは得策ではない。様子をうかがうのが先決だと思えた。
それに、あれだけの別れ方をした割にひょうひょうとした態度の高杉に、昔の高杉の鱗片を見た気がして、
(そして、刀もないので)斬るのは後回しにして、その申し出を受けることにしたのである。
来てすぐのことだが、風呂に入りたい・・・と言った桂に、来島が女湯を案内した。鬼兵隊は結構な人数で、女性も僅かながらいた。
しかし!もともと男であった桂はどうにも女湯になんて入れない!どうしても男湯にはいると言って、男湯で脱ぎかけたとき、大騒ぎになった。
万斎があわてて止めに入って連れ戻したが、男湯にはいると聞き入れない桂に高杉の私室の風呂を貸りるよう進めた。
おどろくほどあっさりと、高杉は「いいぜ」といって風呂を貸した。
こうして、一日に一度だけだが、通り抜ける程度に高杉の私室に桂は出入りした。
そのとき、高杉がいることもあるし、いないこともある。しかし、いつも桂のことなど気にしてはいない。
高杉の私室には僅かな人間しか入ることを許されておらず、来島ももちろんなくて、いつもいいっすね??とうらやましがった。
それを聞いて月子は(来島は桂だと知らない)「そうか?なんの変哲もない部屋だが、そんなに見たいのなら今度写真捕ってきてやろうか」
などと、とぼけたことをまじめに言うものだから、来島のツボに入ってしまった。
それ以来、来島はなにかと月子について回っている。
月子が、料理をしているのを見つけては、来島は料理を習ったりした。
まるで、そうしていると普通のお嬢さんのようで、月子はこのまま血なまぐさいことを辞めたらいいと言ったのだが、
来島は「あの人のためにしか生きれないっす」と言って寂しそうに笑った。
「来島殿は、きっといい奥さんになれるぞ」といった時には、うれしそうに笑ってくれたのに・・・。
高杉、お前には大切にするべき仲間がいるじゃないか。その隻眼でちゃんと見ろ。
桂というのは、噂通り、礼節を重んじ、義理堅く、非常にまじめな性格なのだと万斎は思いしることになる。
世話になりっぱなしでいるわけにはいかないと、率先して鬼兵隊の食事を作ったり、洗濯をしたりと家事をこなす。
作る料理がどれもまたお袋の味・・・といったような質素なもので、しかし、手間のかかる煮込み料理などを作るところが育ちを伺わせる。
紅い簪でくるりと結い上げた黒髪、小さな輪郭に整った顔立ち。長いまつげ。船員達に手料理を配りながらにこりとほほえめば、大抵の男は虜になろう。
それも、自身を利用し、犠牲にしようと企んでいるもの達に向けているのだ。
天然とは聞いていたが、こんな警戒心もなくてよくあんな戦場を生き抜いてきたものだと万斎は感心する。
せめて、あの顔で、とろりとほほえむのは辞めて欲しい。
何か間違いがあっても困るし、志気に影響が出そうなので、月子には配膳を辞めてもらい、食事も鬼兵隊の主要メンバーと一緒に取ることにしてもらった。
来島はとても喜んだ。まあ、食卓に花が加わるのは悪いことではない。武市も心なしかうれしそうである。
まさか、女とは言え、桂とこうして食事を共にするなど・・・予想だにしなかったことだ。本音を言えばかなり複雑である。
まあ、一番複雑なのは、はっきりと袂を分かった当の二人だろうが。どちらも表情からはその心情はうかがい知れなかった。
4.混乱と決断
時折、風呂を借りたときに高杉がいても、別段話をすることはしなかったが、この日は少々事情が違った。
風呂に入る前は、いなかった部屋の主が、あがってみると戻ってきていて、桂が机に置いておいた簪をもてあそんでいた。
何の気なしにしたことかもしれないが、なんとなく嫌な気分になり、「勝手に触るな」と言った。
高杉は、「てめえにしちゃあ、趣味が良い」などと言って手放そうとしない。
「もらい物だからな。くれた奴の趣味が良かったんだろう」と言えば、さもつまらなそうに手荒に机上に置く。
「将軍は、てめえのどこがよかったんだろうなァ」などと言いながら、桂の方に近寄ってくる。
不思議な話だが、この船に来てから、まともに高杉を見たのは、このときが初めてだったような気がする。
いつも、桂にあっても素っ気なく、余りこちらを見ようとしなかったからだ。だから、今まで、話すきっかけもつかめず、話すこともなかった。
もしかして、今がチャンスではないか。と、桂は思った。
そして、説得してみても良いかなと思った。
だが、それは、後から考えれば間違いだったにちがいない。