>>265 ガンダムの富野監督は人間関係の群像劇を描きたかっただけで
そんなものじゃスポンサーがつかないので巨大ロボットを出しただけです。
だから巨大ロボットどうしの戦闘なんてカタルシスは表現しないしやりたくないんです。
巨大なロボットが人間ドラマの俳優やってるようなものだと思ってください。
たまたま巨大なロボットが演じる事になってしまっただけで
監督がかたくなに追求し、表現したいのは人間ドラマなんです。
ミサイル?撃ちませんよ。人間はミサイルなんて持ってませんから。
撃ってもなかなかあたらない銃と、なかなか相手にとどめをさせないビームサーベルというものが出てくるのです。
実際の人間にいきなり拳銃渡してもまず当たりません。刃物渡しても引く動作を知らないとまともに切ることも出来ないでしょう
巨大ロボットアニメとみると楽しめませんが
人間同士の戦いであると置き換えると、腕がちぎれたり、脚が無くなったり、特攻兵を使い捨てるような悲惨な争いはどうか?と言う事を視聴者につきつけているのです。
彼の演出の例をあげると
1.後ろから羽交い絞めにして説得しようとしたり、でもあっさり逃げられる。
2.感情のままに威嚇射撃を真上に向けてバカボンのおまわりさんみたいに撃ったり
3.武器を投げ捨て「俺は武器は使わない、インテリには言葉ではかなわないから、体にわからせてやる」とジェスチャーをしてから、ジオに体当たりしたり(結果的には殺してしまったが)
4.3.にて、ついカっとなって思わず殺してしまったことから精神的に錯乱するが、人型に変形と言う表現で、整形別人に成りすます事で
過去を捨てて、これから表社会を追わ、逃亡生活を送る事になるカミーユを描いています。