2005年12月16日毎日新聞・週刊テレビ評
「アルプスの少女ハイジ」 今はなき「深み」と「間」 脚本家・浅野妙子
4歳半の娘と、「アルプスの少女ハイジ」全10巻のビデオを少しずつ、楽しみに観ている。
宮崎駿、高畑勲の両氏が手がけ、昭和49年に大ヒットした誰もが知る名作アニメだ。放映当
時は既に中学生だった私。このアニメ、実は「初見」なのだが、あらためて観て、作品の完
成度の高さ、きめのこまやかさ、人間描写の卓抜さに胸をうたれた。日本でかつてこのよう
な作品が作られていたこと、それが子供にも大人にも広く人気を博していたことは、全世界
に誇りうる出来事だと心から思う。
驚くのは、その、ゆったりとした「間」の取り方だ。例えばハイジが慣れ親しんだアルプ
スの山を離れ、フランクフルトに連れられてゆく、その汽車の旅に惜しげもなく30分、1話
分が充てられる。―長旅に疲れた目をふと前に向けるハイジ。向かいの席で赤ん坊を抱いて
眠りこけている母親。乳飲み子を包んでいた毛布が座席の下に落ちている。ハイジが拾って
かけてやると、その途端、火がついたように赤ん坊が泣き出し母親は咎めるような目でハイ
ジを見る。すごすごと席に戻るハイジ。―そんなエピソードで、少しずつ故郷から引き離さ
れてゆくハイジの所在のなさ、心細さが現されるのだ。なんという繊細な表現力。まるで良
質な映画だ。